1984年のプロ野球
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原がプロ入りして初の長期スランプに陥ったが、中畑の確変でカバーできたのも
何とか踏ん張れた要因。 >>392
むしろブーマーのいた阪急が出るべきだったよな
メジャーで駄目だった選手が打ったら、って方が面白いのに
まあ別所的発想は当時の野球人の典型的な島国根性だったろうが 1福本2弓岡3蓑田4ブーマー5松永
破壊力、機動力全てを兼ね備え生え抜きのみの打線
これで何故、集客力がなかったのだろう
魅力的な打線だがな 関テレ以外に放映権開放しなかったから他局からネガキャンされたと聞いたことがある
球場の立地といい集客力の戦略がダメなんだろ 阪急の経営戦略が頓珍漢なのは野球に限ったことじゃ無いしな 確かに、阪神は勝てないが客寄せの技術だけは天下一品だった
元々発祥が広島だったトランペットや個人別応援歌やジェット風船やラッキー7やホームランファンファーレを
さも自分たちの手柄の様にすり替えたからな 阪神はこの年の内容で200万人近い動員か…
そら勘違いするわな 阪神の人気は関西で唯一巨人と対戦出来るチームなのが一番大きいからな この頃はまだ巨人ファンが多かった甲子園
声援もレフト側が大きかった だから平気で「阪神電車はボロ電車!」と大合唱できたんだな
84年と言えば、6回まで江川にパーフェクトに抑えられて
7回裏に弘田がようやく初安打を放った時に
何かにブチ切れた阪神ファンが
ライトスタンドからバックスクリーンを渡って
レフトスタンドに殴り込もうとした事件があった。 関西だと圧倒的に阪急の方がステータスが上なのに
野球だけは阪神が圧倒していたよな 阪急のスカウトが入団交渉やドラフト候補への挨拶の際に
「『阪神の方が大企業だと思われがちだが、
ウチは梅田の土地の8割を持っている』と説明しないといけない」
とか言ってたね 関西私鉄の格は
阪急>近鉄>阪神>南海
だが野球では弱小私鉄が親会社の阪神や南海が名門扱いされていた 今年の巨人の対広島戦を見てると、この年の中日アレルギーを彷彿とさせる 高橋由伸見てると王監督の暗黒臭と長嶋監督の采配力を併せ持った最凶の監督になりそう
本人も無理からさせらえて迷惑気味なんだろうけど >>424
あれは酷かったね。
9回2アウトから逆転負けした試合もあったし、角のサヨナラ押し出しとかも 中日は親会社同士が敵対しているからか対巨人戦の通算勝率が5球団中最も高いんだよな 小早川がルーキーながらパルコのキャラクターに起用されたってホント?
前年比+20万弱で110万クリアしたけど7980年ほどの観客動員に繋がらなかった >>427
ほとんどが星野と落合で荒稼ぎしたんじゃないか 全体的に見るとそうだろうな。
勿論、個々の年では負け越しもあるだろうけど。 中日と阪神のレギュラーシーズン対戦成績は1936年〜2016年の通算で中日が結構勝ち越している
(中日の951勝899敗44分)が、86年まではわりと拮抗していた
阪神が87年から暗黒時代に突入して中日に大きく負け越すシーズンが増え決定的な差がついた >>425
高橋が引退せずに打席に立てれば今の巨人の代打野手層のスカスカ具合は多少マシだったろうから自業自得だな 広島は日本一だったのにお客さん全然入らなかったんだよな
森西武や落合中日の晩年と同じで、客が勝ち飽きてたというか 勝ち秋田というより若手や新戦力が弱過ぎ。小早川・長嶋じゃあ客は来ないよ。 >>433
去年のCSでAHRAがしょうもないこと言ってたの思い出した 見事に地味ないぶし銀ばっかり揃えたからな
長内、長嶋、小早川、西田、木下、山崎
でも日本シリーズは客足少なくとも割合は圧倒的だったはず 山本と衣笠の前後を固めさえすればいいって考え方は間違ってなかったけど弊害もあったと 広島人気ないって話だけど他球団は水増し発表だらけの中、独立採算で実数に近い数字を出していたからな
1983年の人気調査では阪神と変わらない人気だったし
正直者がバカをみるのかな >>440 小早川はスター性抜群だと思う
泥臭さが売りだったカープの体質に合わなかったのかもしれない
長嶋も派手な活躍をしてそこそこ知名度あったし 地元出身で高校、大学、プロと日本一を経験した小早川は
いわゆる「持ってる男」で、次代のミスター赤ヘル間違いないと思ったのに 小早川も巨人の原同様にポスト前任者の重圧には勝てなかった。
(原はポストON、小早川はポスト山本浩二)
引退してからの通算成績で見ると中距離打者で同じ山本姓でもむしろ山本一義に近かったのでは >>445
衣笠や浩二が本格化する前の4番を務めた分山本一義の方が数段上でしょう >>442
甲子園のビジターだと巨人の次に人気はあった
YouTubeに山本浩二の場面があったが
結構大声援だったからな >>398
結局、この年が「阪急ブレーブス」としての最後の優勝となる。
そして、この年の優勝監督・上田氏が逝去。
ご冥福をお祈りします。
https://www.nikkansports.com/baseball/news/1848890.html この年、ヤクルトが監督→監督代行→監督代行代理
となったのは、当時小学生ながら驚いた。 >>403
飛行機の事故があっても2軍選手で戦うだろ 衣笠がMVPとるような選手になるとは思わなかったな ☆ 日本の核武装は早急に必須です。総務省の、『憲法改正国民投票法』、
でググってみてください。現在、衆参の両議員のそれぞれで、改憲議員が
3分の2を超えています。私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。
憲法改正国民投票法、でググってみてください。お願い致します。☆☆ ロウソクが消える直前に一瞬大きくなるってアレだよ。
現役晩年近くになって突如全盛期並の好成績を残すってのも、プロ野球では意外と
多く見受けられたり。
1957年に打率3割復帰&日本シリーズMVPの青バット大下とか、1971年に6度目の
首位打者に返り咲いた長嶋とか。
そんな中で全盛期以上の自己最高成績を残したのが衣笠、序でながら消える直前
の筈が数年に亘ったのが門田辺りだろうな。 今年の柳田が、この年の谷沢の二の舞になりそうな悪寒。打率が5厘、本塁打が3本、打点が3点差で無冠。 谷沢健一も引退2年前なのにすばらしい打撃成績だった記憶がある
この年の本塁打34本は自己ベストじゃなかったっけ 広島-中日を関東でも何試合もTVで見られた
開幕3戦目、9月中盤のナゴヤ
広島での最後の連戦
記憶にあるだけでも4試合あった >>153
しかも、前年の春季キャンプでえびせん山内の指導で3割を打つコツをつかんだと本人が言ってた。(ソースはスポニチの我が道)皮肉にも、この年山内が中日の監督就任して、広島にだけ痛めつけられるというオチ。 巨人伝統の左○し
平田→山本雅→西岡→大道
山本雅って阪神の福間からよくホームラン打った印象 >>464
えびせんとチームメイトだった頃に3割打つコツをつかんで欲しかった >>467
スレチだが、この当時の広島て監督根本・コーチ関根爺に広岡とこの頃の西武の管理野球よりも猛練習プラス野球漬けのミーティングだったとピーコや衣笠が言ってた。 このころになると、また広島?って言われていた。初優勝や21球の時と全然違う言われかたされていた。 >>450
土橋って何でヤクルトの投手コーチになったんだ
フジテレビで解説者だからか? >>468
衣笠が深酒して寮に帰るとにこやかな顔をした関根潤三がいた
さあ始めようかと関根潤三が目の前で素振りさせられたとか
当時関根潤三は単身で寮にいて夜に強い方だから半ば脅えていたと著書にあった >>469
いわれるほど優勝してはいなかったが(笑)
世代交代がうまく進み、山本浩二と衣笠以外はほとんど新世代だった 序盤は阪神に7連敗、中日に13連敗。中日とは加藤、槙原の裏ローテに当たることが多かった。 広島vsオリオールズの「日米決戦」やったの覚えてるか?
今で言えば野球版クラブワールドカップ。 >>478
巨人50周年で、巨人日本一前提で、読売新聞が企画したイベント。 >>480
巨人日本一前提で、日テレの日9を巨人贔屓のプロ野球ワイド(サンデースポーツ9)
にした位だしなw
元々桃太郎侍の昔から、現在の行列が出来る〜に至るまで、日テレの強い時間帯
なのも相まって関東では高視聴率をマークしたものの、巨人日本一が消滅したのと
同時に番組そのものが終了。 都立高の入試不合格から始まっていくらでもあるんじゃないの オリオールズ対広島は、向こうにやる気がなさそうで期待していたものではなかったな。 >>360
後に安藤と福間がMBS解説者で同じ釜の飯を食うとは思わなかった。 >>487
んなこと言ったら、川上と広岡、広岡と森も、同時期にNHK解説者だったぜ。 木俣に引退勧告した近藤貞雄が後に両者がCBC解説者という例もあるなあ。 >>491
広岡が西武を退団してからNHKの解説者だったけど川上もまだ解説者だったはず
その頃は川上が解説してた記憶があまりないけど すごくおもしろい嘘みたいに金の生る木を作れる方法
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3X3L7 正直言って、広岡がNHK解説者だったというイメージが湧かない… >>495
現役引退後から解説はRFで、ヤクルトを辞めて西武監督になる前どころか、
ロッテのGM退任後もそうだったからNHKの時は違和感あった。
やはり個人的には島、内藤幸、早川アナと組み、
ラジオの巨人戦で辛口解説しているイメージが強い。 西武監督辞任後、川上・鶴岡両巨頭に入れ替わるかの様に長らく解説していたけどね。
三塁転向したばかりの広島江藤の危なっかしい守備を怒りを噛み殺すかの様に
「ま、こうやって実戦経験を積めば、次第に上手くなるでしょ。」
と解説したのが妙に印象に残っている。 >>495
90年だったか広島-巨人戦でクモ男が出没した時の中継がNHKで広岡が解説だった記憶が。
試合の終盤にも別のファンが乱入したりしてて広島出身の広岡もさすがに苦笑いしてたw 衣笠は3割はこの年の1度きりだが
その前後の年も2割9分打ってるから円熟期だったんだろうな 84年85年と渡り広岡西武は何故か稲尾ロッテに分が悪かった。
落合がいたというのもあるけど全体的にスピードでも翻弄されていた感じだった。
あれは不思議だった。試合中寝ている稲尾さんの采配でよく広岡西武にスピード面でも
翻弄できたものだと思う。 >>473
まさか、衣笠が関根よりも先に逝くとは思わなかった
仙一も1月に急逝したし、浩二は盟友に次々に先立たれて辛いだろうな >>500,502
今にして思えばプロ野球選手にありがちな「引退前の狂い咲き」だったんだろうけど、それまでシーズン3割が一度も無かった事と、何より
浩二が夏場スランプに陥った(つうか打撃でも衰えが明らかになったと観るべきか)事から、「浩二がダメなら俺が(`・ω・´)」と言わんばかり
の大活躍に、世間へのインパクトも大だった。
このシーズンが無ければ、「只、試合に出続けただけのオッサン」程度の選手と見做されてしまっていたかも。 終盤戦の広島と中日の首位攻防の直接対決は名勝負が多かった。
衣笠のサヨナラヒットは衣笠の選手生活の中でも代表的な名場面でしょう。 カープの長嶋清幸がこの年2試合連続サヨナラ本塁打を放つ
巨人中畑が同じくこの年に1試合3本塁打を記録 特に讀賣系統のマスコミが、(その一線を)黒歴史に
仕立て上げようとして必死な感じw オリオールズを前年覇者と知らず、マジで日米ワールドシリーズだと勘違いしてた輩もいたw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています