1984年のプロ野球
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「ここまで来れたのは誰のお陰だと思ってんだ!」
喧嘩のたびにASKAがCHAGEに言い放った台詞という。誰一人として言い返せないだろう。
ボーカルが作詞作曲までやってしまうバンドやユニット、グループは悲しい。
ボーカル以外は残りカス、不要と思われてしまう。確かにボーカルだけで売れただろう。
ミスチル、サザン、チャゲアス、イエモン、安全地帯(玉置浩二)、スピッツなどが思い浮かぶ。
俺の熱狂的ファンであるXJAPANは助かった。作詞作曲とボーカルが別。
ボーカルに絶大な権限が集中しない。メンバー全員が必要不可欠だからだ。
Bz、GLAY、ラルク、ドリカム、LUNA SEA、ジュディマリ、TMNなども作詞作曲は別。
ボーカルが作詞作曲までするバンドやユニットが悲しい。
「他のメンバーも絶対に必要だ!」と言い切れない。 だって、ボーカルだけで売れていただろうから。
俺はサザンのファンの心理が1ミクロンも分からん。サザン好きなのか?桑田好きなのか?
何が違うのだ >>2
だが、この年にスポットライトが当たったのは石川優子とのユニットでヒットしたCHAGEの方だった。 チャゲアスといえば西鉄ライオンズのことを歌った曲は名曲 王巨人一年目
巨人創設50周年とかいう、どうでもよい名目で
何が何でも日本一になって、メジャーにも勝って
世界の頂点に立つことを宿命づけられる
そのプレッシャーからか、チームはガタガタ 中畑が原より本塁打を打った。
デビューからMVP獲得の前年まで順風だった原は伸び悩んだ。 開幕戦で山倉がイージーフライを落とした時場内が大爆笑の渦になった。
あれ見て84年の巨人優勝は無いだろうと思った。 >>2
雅夢も同じような感じで分かれちゃったね。
ああいう組み合わせは織田哲郎と近藤房之助くらいの組合せがいいのかもねw 日本シリーズ後に行われたオリオールズとの日米決戦
初戦に川口があっさり完封してしまい
なんでオレなんかがと、何度もクビをかしげていた >>8
中畑が「永遠のテーマ」だと語っていた30本塁打が実現し、篠塚も念願の首位打者獲得。
しかし原の不調に投手陣の不甲斐なさが重なり3位に入るのがやっと。 10年ぶりに後楽園の人工芝を張り替えた年。
巨人内野陣はパニックに陥っていた。
バウンドさせてアウトに出来たものが出来なくなってしまい
内野安打の嵐となった。 巨人も割と、個人成績がすごい年より、パッとしない年の方が優勝する場合は多い
中畑なんかは、この年が自己最高のはず。去年巨人は最低いわれながら優勝したってのも、結局、ここという集中力が際立ったから。
野球というのは難しいスポーツで、10―9で負けたら1敗。0―1で勝ったら1勝。当然9点取ったら個人成績は伸びるが、優勝には結びつかない。 王の野球は藤田の真逆。だっただけに、選手から戸惑ったのも事実。開幕戦に4点取りながら逆転され、追い付いて引き分けはしたものの、先行き不安な試合だった。50周年のプレッシャー言うよりも、王に対する不信感も勝てなかった理由の1つ。
いまいちまとまりは薄かった >>19
そうだよ。9月23日の本拠地最終戦が2人のラストゲーム。
その日はTBSが西武×ロッテと首位攻防の中日×広島を二元中継してた。 >>20
そのあと二人とも
9/27近鉄戦(藤井寺)に代打出場
9/29阪急戦(西宮・・・チーム最終戦)に先発出場してるね
阪急戦の田淵は9イニングフル出場して最終回には捕手としてマスクを被る
珍しい姿が西武ライオンズ25年史にも収められてる。 江夏も事実上現役最後だったな。(引退表明は翌年だけど)
広岡と合わないと思ったし、前年のセーブ王2人も同じチームにいても
ダメだろうし。そうしたら江夏はチームで浮いて7月末で二軍落ち
で最後まで一軍に上がらなかった。
7月の南海戦見に行ったけど10回出てきて1点取られ勝ちこされたけど
裏にチームがサヨナラ勝ちして、江夏の最後の勝利投手だった。 この年のヤクルト
武上(序盤で休養→辞任)→中西太(代行)
→これまた休養で土橋が監督代行の代行に
これじゃ暗黒なのも納得。特に武上は以前から独裁ぶりが選手に嫌われてて、
前年オフに大杉を不整脈の名目で引退させてたし。 >>24
その土橋がこの年は間違って5位になって昇格してしまい
翌年から2年連続の最下位に転落したのが皮肉な事に… 恐竜打線
1田尾2平野3谷沢4モッカ5大島6宇野7中尾8上川 巨人も中日に初戦勝って以後全く中日に勝てなくなってしまったのは
何でだろう。 早々に優勝争いから離脱した西武ではあるが
広岡「(若い選手を育てられるから)今が監督やっていて、楽しい」
とぬかしていた 日ハムって選手層が薄いのに、ギリギリまで戦うから
割と翌年疲弊しやすいのと
江夏放出だわな いやいや、新任の植村監督が無休で朝から晩まで練習とか
時代錯誤のことをやったからだろw
主力に愛想を尽かされた植村は、シーズン途中で解任 エース不在で江夏放出じゃ
投手陣崩壊は目に見えてた。元々破壊力はなかったチームだし。
大洋は、遠藤アウトなら総崩れだから。
その教訓がダルビッシュや大谷につながってんだと思う >>32
>エース不在で江夏放出じゃ
>投手陣崩壊は目に見えてた。
>その教訓がダルビッシュや大谷につながってんだと思う
へぇすごい教訓ですね(棒) 森と江夏の豪華リレーもシーズン前半まではいい感じで来てたのだが
途中江夏が駄目になったのはどうしたんだろうとは思った。 http://2689.web.fc2.com/1984/BL/BL15.html
この試合かな 6/20の阪急戦
大量得点差で7回から登板の森、そのまま9回まで投げ切ればセーブが記録されるという
ケースであえて9回を江夏に代えて完了。
これじゃあ森がやってられんだろうと(思い込んだ)江夏が広岡に抗議しようとすると
「起用法について選手が異議を唱えることはできない」
「個人成績を意識してプレーなどもってのほか」
「そもそも選手が監督に声をかけてはならない(コーチを通じて)」
とすげなくあしらわれて、完全に修復不可能になったらしい。
大沢親分だったら
「豊もちょっと登板間隔あいてただろう」とか
「二人ともセーブ扱いにするよう球団には言ってあるから」とか
いろいろざっくばらんにフォローに努めてたのかな 巨人と西武が空気的Aクラス
下位はカモるも上位にはからっきし…
なお95年も… 9回ツーアウトから連打されて逆転負け食らったことあったね。 バースが父親の病気で一時帰国してから阪神はBクラス一直線で27本止まり。
この時は「そんな奴はクビにしろ」との世論もあり、
4年後、息子の病気で長期離脱した時の解雇につながったのかも。 >>38
東北遠征では1点差であとアウト1人。
四球出して、豊田に逆転2ランってのもあったw 角の押し出しで連敗地獄継続ってのもあった気がする。 >>41
七夕の日にNHKで中継があった試合だな
その3週間後にもナゴヤで巨人戦があって江川をKOして勝ったが、この試合で中尾が本塁でのクロスプレイで右肩を負傷した
トータルでは17勝8敗1分けだが、それ以降の巨人戦は負け越している >>43
この前年のドラフトは自殺者が出て
この年のドラフトは失踪者と服役者がでるとは… 巨人は出だしに躓いて開幕10試合1勝7敗2分!
これじゃ勝てる訳無いと思ってたら、24年後1勝7敗からメークレジェンドの大逆転V! >>45
ちなみに12年後も逆転Vをしたがポストシーズンで
関西のチームに1勝4敗と歯がたたず ある意味、この年が一番戦力的には王巨人はあった。
悲しかな、初めてで節目の年だったのが運が悪かった 75、79、84、91年。
中日は、何故か広島との優勝争いには勝てない。
巨人とは、良くも悪くも伝統的に名勝負が多いのだが。 うろ覚えだけど、この年って記録的寒冬・大雪じゃなかったっけ? 1月19日に大雪あったよ。
当時中2だから、よく覚えてる。 84年と91年は似てる
中盤に打線爆発で中日が独走するが
9月に広島に抜かれてしまう
一つは明確な抑え不在
もう一つは、打力だけで勝ち上がる不安定さが理由の気はする。 >>51
84年 牛島和彦 50試合 3勝6敗29S 防2.74
バカかこいつ 42だけど、中日V逸の原因は中尾離脱による控え捕手不在と、左腕が都だけだった
そこで球団に楯突いた田尾を放出し、杉本と伊東の成長により出番が減った大石を獲得した >>51
>>52
抑えで6敗もしてたらアカンやろ
他の共通点としては…
・広島の日シリが7戦までもつれこまれる
・オフに暗黒チームの有力若手が突然消える
・翌年に阪神が躍進、中日は低迷
が挙げられるか? >>54
>抑えで6敗もしてたらアカンやろ
現代の視点で語るアホ 牛島抑え抜擢は、魔術師近藤貞雄のマジック
近藤貞雄がいなくなればこんなもの
で翌年先発に回したが
最終的に星野仙一によって追い出された
今みたいなダブルストッパーって時代でないツケ 衣笠が初めての3割をマーク。
前半不振の山本浩二の穴を埋めてた。 当時、阪急の大ファンだったが西武が勝手にこけてくれ競り合うこともなかったので
自分としては阪急ファンになって初めての優勝だった割にあっけない感じだった。
広島新外人「レーザー」ことレーシッチ党首(のちの中日ゲイリーの兄でもある)の評判が高かったが
ショートバウンドの暴投ばかり投げてて、すぐ小林(西武〜広島)にスイッチされてた。
友人に「阪急VS広島どっちが勝ちそう?!」と言ったら「ヤマトナデシコ七変化のほうに興味がある。」と返された記憶もあるね。 ファンでもないがこの頃水泳教室つながりで阪急ブレーブスこども会に入れられてたな。
会報はイラスト含めまぁまぁおもしろかった。 優勝した日のニュースは阪急じゃなく多賀竜優勝だった 浩二(38) .293 33本 94打点
衣笠(38) .329 31本 102打点 クロウが序盤不振でCNNがダメ選手を高額でどしどし日本へ輸出しようなんて
言ってたのが笑えたw この年で終わってたら「巨人ダメ害人」にミセリとかマントと同列に扱われた可能性があった
全盛期は守備でも安打製造機だったけど 中日は最後の決戦で牛島が衣笠にサヨナラヒットを打たれて
終幕だったな。
あそこで連勝してたらまだわからなかったかも。 強竜打線
1右 田尾 打率310 20本 49打点 最多安打
2中 平野 打率291 3本 31打点
3一 谷沢 打率329 34本 99打点 最多安打
4左 大島 打率280 30本 87打点
5三 モッカ 打率316 31本 93打点
6遊 宇野 打率253 37本 87打点 本塁打王
7二 上川 打率309 7本 39打点
8捕 中尾 打率322 12本 35打点 こんな打線で優勝させられずに且つ翌年から暗黒にした山内ってよほど無能なんじゃねーか?
イチローや落合の打撃にもケチつけてたし 確かにすごい打線ではあるけど
この年のセリーグって全体的にかなり打高投低で
優勝した広島とも得点力ではほとんど差がなかったりするのよね 密かに田尾の打点が少なすぎるな。
下位に3割打ってる上川がいるのに。 この年ははっきりと西高東低のシーズンになったな
東日本贔屓の俺はつまらないシーズンだった。
巨人も西武も最後は3位だったが早々と優勝戦線から脱落して
6月には終わってたからな >>69
でも星野になったら組替えられたりしてるし実はツッコミ多数なメンバーだったのかも 広島ー阪急の日本シリーズに決まった時に、ラジオテレビなどで、今年のシリーズは西ばかりでつまらないですねえ〜的なコメントがよく流れてて、昭和50年の時と全然マスコミの扱いが違うなあと感じた。 広岡は5月20日に「今シーズンは捨てた」と若手への切り替えを図った
それが的中し翌年以降黄金時代を築いたが、一方で根本陸夫と補強で対立し退団を余儀なくされた 5/20は田淵が本塁打を放ち、東尾が完封してロッテに快勝。これで18勝20敗2分。
首位阪急は23勝15敗4分で5ゲーム差。
勝者の方程式で「5/21から若手の特打ちを指示した」とは書いてあるが、
なによりも変則プレーオフがあるわけだし、あの広岡さんがペナントを捨てるわけないと
思うんだよなあ。
田淵山崎の両ベテランもまだまだ先発出場してたし。
本人含めて過去の記憶を美化してるような気がする。 たしかに敗北宣言は出したと思うんだけど
7月頭、最下位の日ハムにまで3連敗して借金8になったころだったような気がする。 マジック4の阪急が勝って対象のロッテが敗れて一気にマジック1になったのだけは覚えてる 巨人が中日と阪神に序盤は全然勝てなかったな
確か中日に13連敗くらいした 週刊誌は「郭泰源(合作金庫)の西武、巨人争奪戦」の方が盛り上がってたな。
ドラフトでは竹田、広沢(明大)と伊東(本田技研)広田(電々中国)大久保(水戸商)が騒がれてた。 日本ハム監督植村早々と休養、矢頭代行、植村を監督に
指名した大沢が尻拭い
83年オフに監督候補に挙がっていた高田がこの年オフ監督に パ・リーグのゴールデングラブ賞で、高沢に1票差で敗れて次点の選手は誰? パ・リーグのゴールデングラブ賞で、高沢に1票差で敗れて次点の選手は誰? 山本浩二が大不振で8月には打率.240に落ち込み本人も引退を覚悟したらしいが
11年ぶりに6番に落とされた巨人戦で5番長内を敬遠するという屈辱の場面で
決勝3ランを打ったあたりから復調し最終的には33本.293と完全に復調した しかしこの年の巨人と西武の開幕からの低調ぶりの原因は何だろう? 谷沢は打率5厘差、本塁打3本差、打点3点差と、限りなく三冠に近い無冠。中日が優勝していたら、文句無くMVPだったはず。 この年の衣笠は、23年の現役生活で唯一の3割、100打点。ある意味で狂い咲きに近く、翌年の岡田も似たパターン。 衣笠は.299の年とかもあったからもっと早く3割打つべきバッターだったけど >>88
巨人は首脳陣が・・
藤田ー牧野体制なら優勝争いはしてたんじゃないか >>89
谷沢大島の大ベテランが翌年からガクっと落ちたね >>89
掛布と宇野の敬遠合戦となった最後の阪神戦2試合で
10打数6安打9打点2本塁打 2勝利打点なので3冠は無理かなと首位打者はとれたかもしれない 谷沢はマラソンに例えると、トラックに帰って来てから、強烈なラストスパートをかけた感じで、その前に勝負がついていたんだな。ただ、3部門ともに、高いレベルの記録で無かっただけに、もったいないことをしたな。 衣笠が自己最高成績を残した年だが、1983年までは知名度や人気で山本浩二に
水をあけられていたが、この優勝とMVPで一気に並ぶまでアップさせる事が出来たのは大きいだろうね 中日は、巨人との優勝争いはかなり伯仲するけど
何故か広島との優勝争いには勝てないよね?
(75,79、84、91年) 北別府が中日に強かったからね、負けた記憶がほとんどない
75年は池谷が中日によかった >>68
確かにこの打線は魅力的だったな
上川の3割が利いてる
バースがいた頃の阪神より強力だと思う パ・リーグ外野手部門・簑田189クルーズ128高沢125(次点・河埜113)。指名打者部門・リー101(次点・クルーズ59)。票が分散したクルーズは、2部門で次点の可能性もあったかも? 阪神の場合、野手層だけなら昭和60年より、この頃の方が層は厚い
岡田やバースでさえレギュラーでなかったから
でも、とにかくけが人が多かった レギュラーって定義が人によってものすごく幅をもつ言葉だとはわかるけど、
一塁手で規定打席にまで達したバースをレギュラーじゃないって
話の盛り方にもほどがない? こんな感じかなあ
真弓4
弘田(北村、吉竹)8
佐野7
掛布5
バース3
岡田9
平田6
山川2
中日打線のほうがすごいと思うよ >>107
さらに105氏の、「85年より層が厚い」もわからない
翌85年は長崎啓二も加入するし、
84年は正捕手の山川猛は打率1割台 84年阪神は監督の安藤と大ベテラン藤田平の対立(喧嘩両成敗のような形で藤田引退・安藤退任)と
川藤戦力外通告→銭はいらんから居させてくれと懇願して再契約が印象に残った。 >>74
珍プレーの王様・宇野と「不動」の三塁・モッカのザル三遊間とか(´・ω・`) この年、弘田が規定打席に達して3割打ってたのは意外だったな。
自分としては、規定打席には達してないけど優勝した85年にしぶとさを
発揮してる印象の方が強い。85年の序盤は首位打者争いしてなかったっけ?
それが84年で記憶がゴチャゴチャになってるのかな? 巨人の優勝は日本シリーズの第1戦が始まるまで諦めない。
だって広島の選手が乗った飛行機が墜落するかもしれないでしょ?
by徳光和夫
マジかよ…日テレ徳光最低だな… 藤田平、田中
1吉竹2弘田3真弓4掛布5バース6佐野7平田8山川 王監督に監督が変わって、藤田巨人とは
別のチームになった印象。
投壊に雑な野球になった感じ。
堀内巨人と似てる部分あるかも。 原がプロ入りしてから本格的なスランプにハマって6番に
打順降格されることも多かった。
その代わり中畑がこの年突如確変して4番に 秋山幸二が前年までのアメリカ留学を終えて
本格的に一軍デビューしたのがこの年(ルーキーイヤーに3試合出ていて一軍デビュー済)
プロ初本塁打は記録したが
序盤に自打球を足の甲に当てて離脱し
結果4本塁打に終わる
翌年40本塁打を打って一気にブレイク 巨人と西武がコケて一休みといったシーズンだったかなw 広岡のぐう蓄ぶりといえば、この年のオールスター第2戦(甲子園)で
最後まで田淵を出場させなかった事があった。 巨人の中畑が1試合3本塁打を記録したのはこの年だっけ? ロッテは健闘したけど、
高沢が札幌でフェンスに激突で膝(皿だったっけ?)を骨折して
出場不能になって阪急を追い上げできなくなったような覚えがある。 高沢が最後まで出ていたとして、3割を切っていたら、ベストナインは河埜だっただろう。 >>65-66
まあ複数年契約が功を奏したというか…
それにしてもクロマティのフォームと
応援歌の歌詞を今で見ると結構ワロタwww >>118
秋山はオープン戦大賞?とかだったね
だから期待されたけどシーズンはさっぱり
翌85年もオープン戦は活躍したけど
前年のことがあったから「どうせ駄目だろ…」と
思ってたが予想を覆して開花したな 江夏が二軍行きに怒ってサングラス姿で空港で森に迫ってた。
秋山が1984年 山沖(阪急)から西武球場の左翼席に本塁打打ったの記憶してる。
西武期待の「小野 秋山 駒崎の三羽ガラス」は当時聞き飽きてたから信用してなかった。
工藤もショート・リリーフでひどいピッチング(3イニングで7四球とか)してて「これも永遠の未完の大器だろう・・・」
ただ渡辺久信は期待が持てた。広岡監督 渡辺が二軍でまだ実績出してないのに「これは使える」と一軍に上げてた。 >>73
西日本贔屓の俺には楽しいシーズンだったよ。 >>91
この年の衣笠は大振り癖が影を潜めて、コンパクトなスイングだった。
不思議だったなあ。 >>112
84開幕直後はブッチギリで打率トップ
しばらく5割をキープしてた。 この年の日本シリーズも名勝負なんだけどな1,2,5,6.7戦は逆転勝ち
4戦は同点の9回に山本浩二対山田の対決があって
山本浩二の決勝2ベースで決着するなど見どころ満載だったのだが…
西宮での不入りが相当印象を悪くしているのかな >>130
ろくに見てない人が不入りと騒ぐだけ
実際に見てた人は緊迫感あふれるシリーズだったと感じてる 弱いジャイアンツファンがキーキー喚いてただけだよw >>130-131
阪急も最後は負けたけどよく粘ったよな…
まだ阪急黄金時代の香があったのかな? >>132
こんなところでも、ゴミウリヲタは迷惑かけまくっていたのかw 東京一極集中のマスコミが、今年の日本シリーズはつまらない、盛り上がらない、とネガキャンやりまくっていた。 広島と中日の優勝争いは見応えがあった。その裏で、田尾が球団と衝突して、年明けの電撃トレードに発展した。 打力の中日。投手力の広島という割には、結構打ち勝つ試合が広島は多かった。 衣笠が初&唯一の3割超えで浩二の不調分を補って余りある活躍をしたからね。
浩二が夏バテに陥った夏場は衣笠一人で打線を支えている感すら。 浩二は9月に大爆発したけど、それまでは衣笠が引っ張ってたな。 自分の知人に大学野球の投手がいた。4年春で引退した。が、秋になって「また投げてるところ見たいなあ。」と
自分。それに対しその大学生投手は「何言ってるんですか、○さん!俺もう4ヶ月も何も練習してないんですよ。本来135キロ投げれますが
今はもう110キロも出ないですよ。そんなに甘いもんじゃありません!」と言われた。やはり維持のためには毎日 猛練習してないと維持できなのだなと思った。
そうだとすれば山本昌は「カール・ルイスのロス五輪」「桑田・清原のPL 取手二高に破れる!」「パ・リーグに新風!小野&加藤&津野&渡辺がデビュー!」「前略 道の上より(一世風靡セピア)」「ロン・ヤス会談」・・・31年前のこの日も猛練習してたのだな・・。
どんな体力してるのやら・・。 今31歳の人は自分が生まれた年に入団した投手が、まだ現役を続行
しているわけだからな。
自分に立場置き換えたら、信じられんわ。
俺はそういうのは24歳の年が最後だった。(ちなみに日ハムの大島) それまで昵懇の仲だった広岡と森の仲が険悪になった。
投手陣の不調の責任を森に負わせ、シーズン終了に
森が退団。投手コーチの八木沢も次のシーズンは2軍コーチになった。 中日は広島と優勝争いしたら必ず負ける
75、79、84、91 福本豊が初めてゴールデングラブ賞落選。翌日の報知の関連記事に、福本時代は終焉したと言えるとあった。かなり、エグい書き方だな。 試合に出るしか脳がないゴリラがこの年は浩二より打ってビビった この年にルーキーだった投手が今年まで現役だった。
これ、何気にすごいことだよな。 最近巨人と阪神の監督問題で持ち切りだけど、84年の関西もこんな感じだったのかな 西武は前年のお得意様・ロッテに派手にやられてましたな・・・。 >>153
あわや二冠だったからな。しかし、この年が無ければ通算打率が2割7分を切るから、田代や初芝に守備力と、故障しない屈強さを足した選手なんだよな。 この年2位になったのに給料が上がらず反発して放出された田尾は叩かれて2013年にBクラスに落ちて減俸食らったのに反発して放出された井端はみんなかわいそうと擁護されるんだ?
同じ中日のいい打者の話で行った先は金満じみたチームと理由は似ているが
やはり井端の場合は読売であることや相手が落合だからなのか? >>158
地元名古屋では「エー!どうして?」との驚きと田尾可哀想という感想が殆どで、
大幅な戦力ダウンになるとの認識だったよ。>田尾放出
まだネットも無い時代、中日がほぼ独占状態の名古屋マスコミでそんな声無き声
が表に出る事が無かったってだけ。 つまらない!つまらない!こんなシリーズ見たくない!
↓
カープ女子だ!オリ姫だ!見たい!見たい! >>159
田尾なんて所属した球団と全部揉めてるしwww この頃から広島は観客動員に悩まされるが、平和台で開催する発想はなかったのかな
大分で開催するなら平和台の方が近いし、ライオンズ移転後カープファンに鞍替えする人が多かったと聞くのに。 >>165
前年に同じ福岡県の小倉(現在の北九州市民球場)でヤクルト戦(新大分→小倉の土日2連戦)を開催したけど、
それ以降の福岡開催はなく、ビジターとして巨人(小倉→平和台)かヤクルト(平和台)主催に帯同するだけだった。 >>165
>この頃から広島は観客動員に悩まされるが
黄金期真っ最中なのに意外
落合中日の末期みたいな感じだったのかな
結構かぶるところ多いよね古葉広島と落合中日って 村山2回目の監督の時投手が打たれると椅子を蹴ると
当時投手コーチだった上田が言ってた >>169
黄金時代を作ったチームは観客数に悩まされるのが常だよ
V9時代の巨人、西武、ヤクルトみな同じそして責任は現場監督にいく、森監督なんてひどい扱いだった。
広島で言えば、この頃から優勝慣れに加え、球場の観客席の狭さが問題になっていて
2階席を増設するなど対策をしたが観戦環境が悪く不入りに拍車をかけるような状況になってしまった。
人口の少なさはあるが、山本浩二に高橋慶彦、小早川と目玉はあったのにうまく取り込めなかったのは残念だが
ナゴヤドームの2層目の黄色席を見てると不入り広島市民球場と被ってしまう。 広島は1979年以降、観客動員記録が長らく更新されなかったからな 高橋慶彦、山本浩二、小早川みたいなタイプもいたが
長嶋、長内、木下
確かに客を集められる感じではないな
渋いってのが揃いすぎた 一番打者タイプが三番に座るような打線になると動員が落ちる気がする
松井稼頭央とか青木とか鳥谷とかもそうだし
やっぱ迫力不足の苦肉の策って客も気づくんだろうな 開幕戦からしばらく、1番高橋慶彦でなく1番長嶋だったんだよな。古葉広島は。でも勝ち続けた。長嶋1番起用は、将来性だったのか?編成上だったのか? 慶彦3番がシーズン前の構想だったからじゃないかな
新1番に白羽の矢が立ったのが長嶋、うまく機能しなかったけど 中日が優勝していたら日本シリーズの西宮の入りはどうだったろうか?
82年の西武球場では3塁側に空席が目立つと言われていたが 長嶋1番時に12連勝。でも古葉は高橋慶彦に1番を変えた。
まあ長嶋自体、俊足でもないし抜きん出た長打力って訳でもない。勝負強さはすごかったけど。
終盤に2試合連続サヨナラホームラン。 日本シリーズでも。 阪神も最初真弓を三番にしてた。
しかし期待された吉竹が序盤戦絶不調。
苦し紛れに北村や田中などと併用する日替わり一番。
結局まゆみが一番に戻った。 この当時の広島にとって残念だったのは中四国にプロ野球が開催出来る球場が少なかったこと
開催できるのは岡山県営、福山、徳山くらいで実数で7000〜8000人くらいの球場だけで、倉敷や坊ちゃんおろか米子も呉も完成前
倉敷や坊ちゃんが完成していたら、2軍がどちらかに移転していた可能性がある 江夏が救援失敗する度、広岡はわりと擁護コメントをしてた
むしろ他の選手が悪い、みたいな
それも6月までだったかな >>183
江夏と広岡との関係が悪化したのはやはり
選手と首脳陣との食事対応の差? 江夏は戦力面だけで考えたら、翌年もバリバリやれたろう。
84はあまり投げていないから、肩も休めているわけだし。 この年の巨人て、世界一決定戦したかったのかなあ?それなら、開幕3カードを 阪神(ホーム)→中日(アウェイ)→阪神(アウェイ)てこんな日程組まれて圧力かけなかったんか。当時、打倒巨人色が、最も濃い両者なのに。 中日はともかく阪神と立て続けに当てる日程を見て
きっと巨人に勝たせるための日程かと疑ったが
こうしてみるとなぜヤクルトに当てなかったのか、と思う この当時の阪神は、90年代と違って巨人には、キバをむいてたからなあ。(ただ、中日とは、ベクトルは違うが) この当時の巨人の犬は、ヤクルトと大洋。 巨人の中日アレルギーが顕著だったのがこの年と記憶してる。
とにかく勝てず、(特に抑えの牛島のフォークに)巨人ファンにとっては中日戦は憂鬱だった。 クロマティがただのネタ外人みたいに言われた
化けるのはもう少しあと 前半戦で巨人は中日戦1勝(王監督の初勝利)の後14連敗くらいしたのかな?
オールスター明け初戦にやっと連敗ストップで後半戦は7勝3敗、中日は8月末はトップだったのに9月に巨人に痛い星を
落として広島に抜かれてた。 延長戦で角が石井にサヨナラ押し出し四球で
負けた試合は名勝負だった。
ナゴヤの中日×巨人ではかなり有名な試合。
NHKで試合終了まで放送していたような記憶が。 >>194
あの試合すごいよく覚えている 完全アウェーの巨人が最後は圧力に屈した感じだった NHKは基本的に完全中継。俺、96年に広島−巨人で23:20くらいまでやってた試合を現地で見てたけど、ラジオをテレビ音声に
切り替えたら期待通り中継が続いてた。 この年ホームランキングを獲った宇野だけどこの時点でオールスター出場経験なし まだこの頃って、甲子園でも巨人と阪神は半々の入りだった。だから半分の阪神ファンの熱の入れようはすごかった。
翌年から巨人ファンは徐々に減った。
意外だが、この頃は広島ファンも甲子園にはかなりいた。 >>199
試合前のヤジ合戦が消えたのもその頃からだな 82年頃の甲子園の掛布の応援歌は
掛布が出した歌gogo掛布の一部分だった
かっとばせー放り込め放り込め掛布は、確かこの年からの気がする
あと、この年あたりから選手個人の応援歌が増えた
でも、平田や北村や吉竹はまだ
かっとばせー○○扱いだった 巨人がオールスター明けに三連戦を二勝一敗、二勝一敗と良いかたちで
追撃ムードが出ていたところをヤクルトに三連敗して息の根を止められた。
この三連敗は衝撃でしたね。
あと西本が山本浩二の前の打者を敬遠して、
浩二勝負でホームランを打たれた試合も印象深い。 みんな結構覚えているんだな この年は俺が野球を本格的に見始めた年なので俺にとっても印象深い
巨人のグダグダぶりが序盤目立ったが、後半に10連勝と7連勝を記録しなかったっけ?
結果的に余裕のAクラス確保でも日本一が至上命令だったからなんだかなーといった雰囲気だった お盆ぐらいまで巨人と阪神が3位を争ってて
まず阪神がお約束の死のロードで8連敗、そのあと巨人が怒涛の10連勝って感じで
一気にAクラスがほぼ決まったね。
下手に10連勝とかしたせいで補強とかあまり着手しなかったイメージ オールスターで江川が8連続奪三振をやった時は、それをシーズン中(特に中日相手に)
やってくれよとボヤく巨人ファンもけっこういた。 阪急の独走優勝で変則プレーオフは実現しませんでした。
夏場の平和台での首位攻防戦は
かなり荒れた試合になりましたね。 この年、ヤクルトが監督→監督代行→代行の代行
という感じで、指揮官がコロコロ代わったのには
驚いた。(当時小5)
そんなチームよりも順位が下だった大洋…。 阪神がよくロートルトレードって揶揄をされたが。巨人も結構多かった。
加藤英、有田、山本雅etc
山本雅はこの年か?
左殺しの平田が大洋に行って。 ロス五輪では大学社会人で構成された代表メンバーが金メダルを獲得して、
その時のメンバーの大半がこの年と翌年にドラフトで多く指名された 阪神佐野と巨人河埜の4月5月のホームラン数、分かりますか?
ホームラン打者でないこの2人のどっちかが、開幕からしばらく
彼らにしてはハイペースで打ってた記憶がある。でも全くの記憶違いかもしれない。 この頃の広島って広島ー東京に移動日はあったものの移動が大変だった
新幹線は本数が少ないうえに今より1時間以上遅いし、新横浜の停車本数は少ないし品川は駅が無かったし >>216
そっかね?
新神戸・新横浜に止まらないだけイライラせずにすんだような気がする 日本の新幹線は終点が遠ざかると駅減らすからな
北海道は新青と仙台だけだし、北陸も結構信越地区の通過がある もっとも作ったら作ったで各方面から叩かれるのが目に見えてるからなあ
安中榛名駅とかひどいもんだったぞ 中日は中尾と平野の怪我が響いたな。
特に捕手の層の薄い中日にとっては。
この時、中日ファンと広島ファンの友人それぞれが言ってたけど、
例え巨人が嫌いでも、お互いの球団と巨人が対戦しているときは
巨人を応援してた。
相手が負けなければ優勝ないから。って理由で。 >>218
今の方が圧倒的に速いよ
当時は200km今は300km全然違う >>222
広島市民球場常連の感覚だとカープファンが一番嫌ってたのは中日ファンだと思う。
広島と名古屋じゃ街の規模が違うけど、あれは同族嫌悪じゃないかと。
車産業主体の物作りの街で文化が不毛。野球チームも中途半端。
名古屋の作家の清水義範が広島弁は名古屋弁にそっくりだと書いてたし。 一方で阪神とはあの選手がFAで裏切るまで概ね良好な関係だった印象だな 後、この頃は、阪神と中日て、同じ匂いというか親戚みたいだったなあ。
・打倒巨人をスローガン(ただ、ベクトルが違うが。)
・タイトルホルダーは、ゴロゴロいるがチーム力にむすびつかない。
・調子のムラが激しい。
1001が中日の監督就任で、完全にかけ離れてしまったが。 >>224
今は名古屋にカープファンが遠征するけど
当時は広島にも名古屋にもビジターファンはいなかったので、仲がいい悪い以前のような気がするが >>222カープファンだけど、その通りだった。
巨人ー中日戦は巨人を応援してた。
家族全員アンチ巨人だったけど、巨人応援している事に
なぜ?って言われた。 谷沢は最後の5試合で、24打数14安打5本塁打15打点。驚異のラストスパート。 確かこの年の途中までサンテレビの広島−阪神戦はバックネット裏からの映像だった
やっとセンターカメラに切り替わって見やすくなったが、
今となってはもっと見たかった >>216
新横浜のひかり停車は翌年60年春ダイヤ改正の増えたね…
それにしてもなんか今年のセはこの年みたいになりそうな予感…
あと阪神の安藤騒動は今年のオリックスで発動するんかな? >>228
それは天邪鬼だったからじゃないですか?
228さんもそうかもしれないが、アタイは広島市民で周りは全部カープファン、ましてカープの黄金期。
当然「アンチカープ」になっちゃう。
オヤジとマラソン見てて黒人と日本人選手が戦ってる中
「黒人頑張れー」
って喚いててオヤジにぶん殴られた口だから嫌なガキだよね。
けどさすがに巨人と中日だったら中日応援してたね。
その点、巨人はずっとアンチで有り続けて欲しいと思うんです。 江川を得意にしていた山本浩二が打てなくなった
過去4年で74打数35安打 12本と打ち込んでいたのに84年は17打数2安打 何が原因だったのか謎 阪急藤田が新人王。
球団関係者は「阪急のキャッチャーは藤田で10年は決まりや。また黄金時代が来るで。」
と言っていたが・・・。 福間への「お前のような奴が稲尾さんの記録を破るのは失礼だ」
の発言がなくても安藤解任は決定的だったのかな 掛布の1塁話が出たのはこの頃?
岡田の3塁コンバートが目的だったのかもしれんがその影響でバース解雇説が出たのかな まだこの頃は掛布は2000安打・500本塁打通算打率.310は余裕だと思っていたんだがどうしてああなった・・・。 安藤はある程度の土台造りはやったけど、大ベテランの藤田平と仲違いして
(代打や守備固めに回した)
喧嘩両成敗な結末だったような 2年目は父の病気による途中帰国以降、
Aクラス争いから脱落して本塁打も27本に終わった。
今なら家族優先するのは仕方ないけど
当時は「こんな奴要らん」って世論がかなりあった。
それが伏線となり、4年後の息子の病気による長期離脱〜解雇の時も
特に激しい抗議行動とかもなかったし、
次のジョーンズにバースのヒッティングマーチを平気で使い回しして
ファンは結構薄情だった。 日本シリーズの関東での視聴率
第1戦 17.2%
2戦 22.8%
悪くない数字なのに不人気と言われるマスコミによる理不尽さに厭きれる >>234
ロッテと阪急の競り合いって
ロッテが不利な印象なイメージがあるというか…
1974は勝ったがこの年と1995は… >>243
順位表の1,2位だけみて判断するバカがまた来たか >>240
球団代表が自殺してしまったし、当時の風潮もあった。
しかし、83・84年と連続して最高長打率だし、84年は最高OPS。
いまならクビなんて考えないだろうし、もしクビにしたら即他球団が手を出すだろうね。 84のシリーズを悪く言う人が多いけれど、面白かったよ。
子供は変に穿った商業的視点が無いから、純粋に野球を楽しんでいた。
一時代を築いた山田の最後の輝きを
多くのファンが記憶に残す事が出来たのではないのかな。 >>243
71年も80勝46敗4分だったのに
80勝39敗11分の阪急に優勝さらわれたなあ… 今はもうあんな手練れのチーム同士のシリーズ自体がありえなくなってしまった >>249
巨人絡みで無いとダメみたいな空気が強過ぎた時代。この年のシリーズは、いわゆる玄人好みの好カードだった。 日本シリーズ史上ワースト入場者数って
この年の第5戦なんだな >>251
この年の第5戦が14,442人だけど、黎明期にそれ以下の試合もあったよ
1950年 毎日‐松竹第5戦 12,630人(中日球場)
1953年 巨人‐南海第6戦 6,346人(甲子園球場)
50年は2リーグ日本シリーズの初年度
全国開催をもくろんで両球団にゆかりのない名古屋で行った試合。
53年は通常の12-345-67というホームビジターの開催を崩して
12-34-56-7という形で組んで、例年なら後楽園で行うはずの試合を甲子園で開催。 >>248
>>250
玄人好みするようなチーム自体が無いしね…。 玄人好みって割には打撃戦が多く、ホームランも沢山でたから
内容は結構派手は派手だった
今の広島ファンなら、西宮一面占拠も夢ではない内容だった気はした
初戦に長嶋が逆転2ラン打った時のあの人の悔しさは
今でも思い出される 阪神ファンの俺が公平に見ても
85年より83〜84年のシリーズの方が数万倍面白い 宇野掛布の敬遠合戦も安藤監督の辞任にも繋がったの?
最終戦の前に異例の警告も出したの? 1975、79、80、84、86、91年のカープを総合力で序列するとしたらこんな感じかな?
1位 1980 98点
2位 1986 95点
3位 1984 93点
4位 1991 90点
5位 1979 86点
6位 1975 85点 攻撃力
80>84>75>79>86>91
投手力
91>86>80>79>84>75
機動力
79>80>86>75>84>91
守備力
86>91>84>80>75>79
75 10ポイント
79 13ポイント
80 15ポイント
84 13ポイント
86 15ポイント
91 12ポイント
ベンチワーク、采配を加味したら
1位 80年
2位 86年
3位 84年
4位 79年
5位 91年
6位 75年 >>257
総合力2位は84年だと思う
貯金30で勝率.625 この年、謎のプロ野球つまらない論が出てなかったか?
ファミコンが出てマリオやパックマンが流行り、アニメは大山ドラえもんの一番人気のあたりで娯楽がふえたのは確かだし、
ロス五輪がひさしぶりの五輪でサッカーでキャプテン翼が流行ったりあとテニスや体操も流行ったりと野球以外にクローズアップが出たのもあるけど
これで強い広島がつまらないといわれたのが許せんかったわ 広島みたいなつまらんチームが強いとつまらんでしょ〜
しかもMVPが試合に出るしか能がないゴリラ。
間違いなくワーストシーズン10ケツに入る。 マリオドラえもん翼は日本の象徴とわかったやん
マリオの祖父は当時外務大臣だったな >>263
そんなん王巨人が早々にずっこけたからひがんでるだけやん >>263
讀賣ヲタの妬みやっかみ
満載のレスだなw >>263
スペランカー篠塚に比べたらゴリラの方が全然有難いわ。 5月13日の阪神−巨人戦
雨中での試合で、4回で0-5ぐらいになると
「もう止めましょう」と審判に懇願する安藤監督。
結局7回ぐらいで降雨コールドになると
「まだできるでしょう」と審判に懇願する安藤監督w >>262
読売中心史観のマスコミの煽りじゃないかな?
原が歴史に残るほど偉大なバッターではなかったと分かり
江川も素質はともかくもう大して勝てないと達観した連中が
今のプロ野球つまらない論、昔は良かった論が色んな媒体で
流れた。当時のOBやオジサン記者の懐古も含めて
まあ今やプロ野球はそんなことあーだこーだ言われる状態ですらなく
存在が忘れられかけてるけど この年の一番の印象は待ちに待った王監督初年度にも関わらず首位を取れずに叩かれてたってこと でも長嶋堀内よりは良かった
高橋も王以下になりそう いやマジックの対象チームになった分堀内高橋の初年度の方が立派
王初年度は8月末からの10連勝でようやく体裁をつけたけど
優勝争いには一切かすらない 鈴木啓示の300勝
オールスターゲーム第3戦において読売ジャイアンツの江川卓が連続8奪三振 >>274
当時の時勢を表すものとして、いしいひさいちの漫画があるよね。
王監督は眉にヒビを作って、ベンチは暗く……実際暗かった。 >>272
今年は下3つ(4つかも)が論外
84年はヤクルト以外はそこそこ強豪で手を抜く暇がなかった
特に中日打線が手つけられなかった >>277
84年の最下位チームも知らんでよく書けるね
適当なうろ覚えで 大阪球場開催でも無いのに、門田が球宴ファン投票で選出されたのには驚いた。その球宴第2戦で、甲子園のライトスタンド中段に弾丸ライナーを放り込んだ。 >>121
甲子園で三方向に打ったんじゃなかったかな? 西高東低のシーズンだった。
特に巨人と西武が予想外の低迷ぶり。早々と優勝戦線から脱落してた。
ここで1つ関東のファンに質問です。
当時、パリーグは南海、阪急、近鉄と関西電鉄3球団があったのだが
その3球団の話題や3球団の選手などは関東では有名だった? 広島の優勝決定ゲームとなった横浜
3塁側は超満員だったが観衆は25000人と少なめだったのが印象に残っている 75広島、82中日、84広島、88中日
対戦相手の胴上げを見ることが多い関根潤三 >>262
後、この頃は、特撮は、宇宙刑事シリーズ。時代劇は、必殺仕事人。ドラマはハングマンだったな。 弱くてもこの人気。それが84年阪神タイガースだった。 私事で恐縮だが、俺が中日にかなりの強豪球団の印象をずっと持っているのはこの年が本格的に野球を見始めた年だからかもしれない
日本一になったのはカープだが、毎試合中継がある巨人に勝ちまくっていたからインパクト充分だった
あと打線の破壊力も半端なかった 大洋に22得点で勝った試合もあったし(しかも毎回得点) 広島と阪急が2年前のオフに連覇の時のベテランを大勢引退、トレードさせて
前年から若手に切り替え、この年に優勝した印象 【緊急】自衛隊内部で事件発生か!?
東海ア マ
北濱さんを殺害したのか? ニセモノよ! どこに遺体を埋めたんだ?
https://twitter.com/tok aiama/status/779592042154299392
君らが北濱さんを殺害して遺体を埋めるとすれば信太山演習場だろうな
https://twitter.com/tok aiama/status/779592576550567936
すぐにカマに引っかかってくれる、とても素直な性格だね
労せずして君たちが殺害犯であることがよく分かる
君たちの知能程度もよく分かる
君たちが消してしまった、北濱さんの自衛隊内イジメ記事への評論を見れば誰でも君たちが自衛隊員であることが分かる
https://twitter.com/tok aiama/status/779600074561073152
「信太山演習場に遺体を埋めた」と書いた直後に急に激しく反応してるね
友人の自衛官に頼んで信太山演習場内に掘り返し跡がないか調べてもらう予定だったが、
そこまで反応すると真実性が高そうだ
https://twitter.com/tok aiama/status/779602473660981248
とうとう北濱幹也のニセモノにブロックされてしまった
北濱さんの遺体を信太山演習場に埋めたと書いたら、もの凄い反応だった
https://twitter.com/tok aiama/status/779608668136284160
20時5分 無言の不審電話がかかってきた
たぶんニセ北濱グループだろうね
いよいよ襲ってくるのかな?
https://twitter.com/tok aiama/status/779637957649063937 中日の打線はこの頃が一番萌える
1田尾2平野3モッカ4谷沢5大島6宇野7中尾8上川
広島も渋さが味わいを膨らます
1高橋2山崎3衣笠4山本浩5長内6長嶋7木下8達川 まさかその中日打線がその後2年も持たず解体されてしまうとは あのダブルスチールは良かったよ。
NHKの全国放送も嬉しかったね。 >>293
3谷沢4大島は130試合不動。モッカは5番ほぼ不動で、たまに宇野と入れ替わっていた。しかし、翌年の谷沢、大島の劣化の速度は凄まじい。 この中日打線の凄さは、谷沢以外全員他球団に移籍したこと
いかに野武士集団ってのは、組織度外視で一旦バラバラに陥ると収拾がつかないかがわかる 辻平野秋山清原デストラーデ石毛安部伊東田辺
これもまあ伊東以外全部他球団に >>296
谷沢にしても衣笠にしてもほぼ生涯最高のシーズンだよね。
衣笠は85年も持ちこたえたが、「ロウソクの消える前」って感じがする。 >>300
谷沢と同学年の門田は、前年40本塁打から30本塁打。足のことを考えると、もう2〜3年だろうと思った。 この年は広島・阪急共に75勝45敗10分の成績で優勝した
セパ両リーグの優勝チームの勝敗数が全く同じってのは
かなり珍しいんじゃないかと思う 西武は誰かさん意外みんな指導者だからね
でも中日もみんな指導者なんだよな 谷沢はある意味、山内の指導と猛練習がハマったんだとは思う
実力派のベテランが、もう一度初心に戻り絞りなおした結果が最高の成績を収めた気はする >>303
失敗率も高い
特に編成絡みのGMやSDは 当時ダメ監督の代名詞的な存在だった王が、その後ソフトバンクの名将になるなんて凄いことだ。 ホークス時代は、1から作り上げる状況だから、ある意味では癖がない分楽だったと王会長は言ってた
巨人は妙なプライドが確執を起こしやすいのだろう
中畑の横浜とある意味似てる なるほど、そう考えると原辰徳はやはり生粋の名将だな。 阪神ゴタゴタあったな安藤から吉田に監督が代わって
藤田平が引退 最初は安藤の残留だった。ただ安藤残留だとバースは解雇だった。次は西本幸雄。しかし西本幸雄が断念。
で吉田が就任した。 >>315
ずっと3、4位を行き来して優勝もなかったかもしれない。
一瞬の輝きと長い暗黒か、これといったアップダウンもないが安定して3.5位を保つのか、そのどっちが良いのか難しいね
。 この頃って山本浩二や衣笠が一目置かれる存在だったの? 巨人 原 中畑
阪神 掛布 岡田
中日 大島 宇野
ヤクルト 若松 杉浦
大洋 田代 高木
この頃って、全球団が全球団の個性派が揃ってたし
知らない選手はいなかった
テレビの影響力かはわからんが
阪神や中日の選手でも全国区のCMやテレビに出てたりしてた
それ考えたら今は地味すぎる
金本は、阪神の若手にオフのテレビ出演自粛しろとフロントに直言してるみたいだが
自粛以前にオファー来ないだろ
今年もスポーツ王をやるみたいだが
野球盤
原口は引っかかりさえしなかったみたいだ 私は元創価の会員でした。
すぐ隣に防衛省の背広組みの官舎があるのですが、
自分の家の窓にUSB接続のwebカムを貼り付けて、そこの動画を撮影し続け、
学会本部に送っていました。
別に大したものは写っていません。ごみだしとか奥さんが子供を遊ばせている所とか。
官舎が老朽化して使われなくなってから、
今まで法人税(うちは自営業です)をほぼ払わなくても済んでいたのが、
もう守ってやれないのでこれからは満額申告するように言われました。
納得がいかないと言うと、君は自業自得で餓鬼地獄に落ちるから、
朝夕南無妙法蓮華経と三千回ずつ唱えて心をきれいにしなさいと言われ
馬鹿らしくなって脱会しました。
それ以来、どこへ行くにもぞろ目ナンバーの車につけまわされたり大変な日々です。
すべては自分の出来心から起きたことで、どこに訴えて出ると言う訳にもいかないのですが、
何とかしてあの人たちと縁を切って新しい始まりを迎える方法はないんだろうか >>318
FAがなかったからチームの顔と言える選手がいたよね。
1984年頃は団塊の選手の晩年だったから各チームに名球会クラスの選手が顔を揃えてた。 ちょうどその辺りの世代から長く現役を続ける選手が増えたんだよね
それより前は30代半ばぐらいで辞める人が多かった >>317
ほかには中日の谷沢、ヤクルト若松、大洋平松、阪急山田、福本、ロッテ有藤
南海門田、西武田淵
このあたりが年齢、実績から言って現役選手の重鎮的存在だった。
王や野村、張本らは引退していたし、落合はまだ低レベルな三冠王扱いだったし。 >>322
近鉄の鈴木、西武の東尾を忘れたらアカン。 主力といえる存在がみんな全国区で有名人が多い時代だった
どの球団も、それぞれに個性ってのがあって、今みたいなスマートさはなく暑苦しくむさ苦しくても
野球が楽しかった
代表例がオールスターの江川の8連続三振
まだクーラーの少ない時代
暑苦しい部屋の中で効かない扇風機で汗を拭きながら江川を応援していたあの頃
ドームってクーラーみたいで機能あるんだけど
無機質だからな
そういうのも個人名に有名人が少なくなり野球が視聴率とれなくなった一因もある >>316
ある程度、先発ローテーションが確立してる60年代後半〜70年代後半なのが今なんだろうな
暗黒に一気に来た理由は、基本的に投手陣が軟弱過ぎたこと
150も投げられない
変化球も乏しい
村山なんか、仲田や池田は1回ノックアウトで翌日先発ってのもあるぐらい層は薄かった
でも優勝するまでは江本や小林繁がいたから何とかやれた
若手自体は猪俣や仲田や遠山などいたが
見事に全滅した
先発ローテーションがないに等しかったから暗黒が一気にきた 1回KOっていうか、先発して0/3で降板が複数回あったよね確か。
今だとリリーフ使うの勿体ないからどうせ負けるならって感じで
そういう先発でも4回くらいはいかせること多いけど。
当時は予告先発も無かったし翌日、もしくは中1日で・・・ ソレイタと江夏を退団させたのがまず間違い。いくら大沢親分が退任して
植村に替わるからといって投打の核をあっさり斬るとは よくオリックスとスレイヤーズの関係を指摘されてるが
この年度は阪急が優勝し林原が声優学校を受かったという… 日本ハムは投手陣の崩壊に加え、打撃陣も酷かった。クルーズは3割5分近く打ったが、柏原、古屋がサッパリ。 この年の日本シリーズについて(といっても、いかにして
ブーマーを抑えるかについて、達川から見た回顧録だけど…)
昨日の「球辞苑」で放送していたな。 日本シリーズのビデオ見てたら
ブーマーに内角攻め言うより、ほとんど真ん中に達川は構えてた
実際ど真ん中でも内野ゴロ
対策云々以前に調子悪かったのかも
長嶋の逆転ホームランはキレイな流し打ち
長嶋のみたホームランで唯一の逆方向だった >>317
浩二が実質的にプロ野球界のトップだったよ 川上→長嶋→王→浩二→落合→イチロー→松井→金本→おかわり→山田砲
球界トップ打者の変遷はこんな感じかな?
山田砲はまだ若すぎる感があるが… >>317
衣笠はそうでもなかったよ 大袈裟に言うとこの年MVPとって全国区になった感じ
掛布のほうが断然上 夏場の甲子園で左中右
全てにホームラン打ち分けた中畑
これを後一人やったのが後々の落合博満
バースはなかった ルーキー藤王
ホームラン2本、打率は打数少ないながらも.361
2年目からグーンと伸びると思うやん?
でもな…
地元のファンは谷沢・モッカの高齢化、田尾の放出でレギュラーイケる!
と思ったんだろうか? この年自己最高成績を残したのが衣笠、谷沢、中畑だけど他にいる? 小林誠二 唯一の規定投球回数到達にして最優秀防御率
今井雄太郎 最多勝防御率の二冠 自己最多の21勝
山根和夫 自己最多16勝
スティーブ .338 20本 101打点 いずれも自己最高
クルーズ .348 29本 96打点 おなじく3部門とも自己最高
上川誠二 唯一の3割到達年
弓岡敬二郎 唯一の3割+ベストナイン受賞
山本功児 唯一の3割+Gグラブ
藤田浩雅 新人王+ベストナイン+Gグラブ 打率本塁打打点はいずれも自己最高
>>345
田尾の穴埋めは若手抜擢でいけるという甘さが 安藤監督の解任って宇野掛布も原因の1つ?
警告があったのに無視したの? この年の郭は当時パワプロがあったら確実に負け運が付いてるな >>354
それもあるだろうけど、藤田平とのイザコザがもっと大きな原因だったような。
結局、両者共に退団だったし。 福間への「お前のような奴が稲尾さんの記録を破るのは失礼だ」
も人望を失う一因に あれは、宇佐美とかいう数字キ○○イも
一枚噛んでいるんだよな、確かw セットアッパーの価値が極めて低かった時代だからこその話ですな。
例え登板記録を更新されたにしても、勝ち星や登板イニング等と稲尾の記録は
空前絶後の偉大な記録なのは明らかなのに・・・・・・・。
もっとも当時のセットアッパーは敗戦処理的な仕事も兼ねていて、福間も終盤
登板数稼ぎとしか思えない登板が増えていたのは事実だけど。 >>357
安藤監督そんなこと言ったのか
オレは宇佐美が安藤監督に終盤
「福間に稲尾の登板記録を破らせるな」
と手紙を送り続けてそのせいなのか結局福間を登板させなかったことしか知らんかったよ 安藤監督がそういった外部からの圧力を感じて
福間に言ってしまったんだろうけど… 王巨人の調子が最悪で 怒った巨人ファンの おっちゃんが 近所に放火して
逮捕されたのは この年だったなあ。
王さんも監督生活で 一番 暗い表情だったなあ。 選手の面倒見は良かったけど
野球には関係ないからな
ある意味85年より選手層は厚かったのに優勝出来なかった >>360
全ては、宇佐美とかいうクズが安藤に圧力をかけ続け、
安藤がそれを断れずにいたことに起因するわけよ。
だから、安藤がクビになったところで、同情はしないw 死人にくちなしではあるが、宇佐美は記録の神様なのかもしれないが、記録を恣意的に操作しようとした時点でろくな人間ではない、ということだけはよくわかる >>366
その記録でも結構間違いをドヤ顔で書いてる奴だからな〜
もうどうしようもないカス 安藤監督もまあ褒められたもんではないが
不味い采配を福間継投でとりあえず誤魔化しただけ
プロの監督として4位なんだから宇佐美に何と言われようが仕方ないよ
ましてや翌年阪神は優勝したんだから
一記者に言われただけで止めるなら監督の方に問題があるよ >>368
南海をお払い箱になった山内新が25試合全て先発登板。いかに小林繁の穴が大きかったか頷ける。それにしても、福間の78試合は異常な数字。 安藤時代、打順が掛布以外固定出来なかったのは
福間みたいな事が色々あったんだろうな
ライト バースとか
真弓もショートからセカンドやファースト
岡田なんかは内野と外野をたらい回しだったからな
いくら選手層が厚いっても
軸がぶれたら野球にならない 岡田は守備で股裂きやってしまったから
怪我を恐れてセカンドでの再起は厳しいと見たんだろうし
バースのライトは藤田平との兼ね合いもあったんだろうけど どんでんと原は生涯通じてポジション変更ばかりだったな。
理由は違うけど。 西武は広岡と江夏が予想通り衝突。大ベテラン田淵、山崎も早々に気持ちが切れて引退。 原 ファースト、セカンド、サード、レフト
岡田 ファースト、セカンド、サード、レフト、センター、ライト https://goo.gl/YWFb2E
この記事本当?
普通にショックだんだけど。。 打高投低すぎる
広島 .282 163本 635点 140盗塁
中日 .290 188本 641点 91盗塁
巨人 .277 184本 637点 94盗塁
阪神 .272 163本 563点 71盗塁
ヤクルト .273 101本 530点 49盗塁
大洋 .270 99本 484点 109盗塁 中日は9月初旬まで広島と首位争いをしてたけど、
選手層の差がもろに出たな。
特に中尾の怪我であと捕手での出場ができなくなって
他の捕手(金山、大河原等)との差が大きく・・。 84年の中日の選手層の薄さってよくネタにされるけど
実際のところ捕手だけはなかなか替えが利かないからなあ
他にも伊東が開幕に間に合わなかった89年の西武とか
古田が序盤戦で指を骨折した94年のヤクルトみたいな例もあるし >>378
田尾、谷沢、大島、モッカ、宇野は全試合出場。広島に負けたのは、投手、守備、機動力の差だな。 ナゴヤ球場時代の竜には無縁のものばかりじゃないか… セントラルリーグ讃歌 ビクトリー
(細川たかしwith原辰徳、高橋慶彦、遠藤一彦、岡田彰布、宇野勝、荒木大輔) 江夏を出し、水谷を出してV逸し続けて叩かれまくってた古葉監督にとっては会心の優勝だったろうな。 80年からの4年は世代交代とカラー変えが至上命令だったから広島は
80年開幕
1高橋2衣笠3ライトル4山本浩5三村6水谷7デュプリー 8水沼
84年開幕
1長嶋2山崎3高橋4山本浩5衣笠6長内7アイルランド8達川
見事に成功した >>385
でも広島ファンの反発は強かったろうねえ
いまでもオールドカープファンの古葉監督評って江夏ガー水谷ガーが多い この年のセリーグが2アウトまでだったら
巨人が優勝だったとクイズにされてた。
つまり2アウトからの得点が少なく、失点が多かったんだね。 2017年5月2日現在
セ・リーグ単独首位 広島
パ・リーグ単独首位 オリ この年は日米決戦があるということで、阪急ー広島 の勝者が対戦。
阪急が負けた日本シリーズの終わった日のプロ野球ニュースで、別所が「これでよかったばんざーい」と言っていたのが印象的。
阪急が日米決戦に出たら困る人が多かったんだろう。 巨人はOPSの低い松本の1番と出れば打たれ定岡の先発に拘ったのがダメだったな
さっさと吉村を1番に据えて斎藤をローテに組み込めば違った結果になったと思う この年は巨人の中畑の打撃が良かった印象 31本塁打だったっけ
クロマティには及ばないものの原を上回ったんだよね
夏に1試合3本塁打も記録している 前年パ断トツ最下位の村田・レオンなきロッテが阪急との開幕シリーズで
水谷実雄を再起不能にした挙句に三連敗したのに2位になったのは意外だった で、4番水谷実雄を再起不能にされた阪急が優勝したのはもっと意外だった
水谷が健在なら日シリも勝てただろうに 2003年の小久保にしてもそうだったけど
野球って主力打者が一人ぐらいいなくなっても優勝できるもんなんだな
ただ中尾が故障がちだったことがモロに影響した中日を見ると
捕手だけは替えが利かないことが多いようだが >>399の後半
その典型的なパターンは、ザックリと思いついた範囲では
94年のヤクルト・89年の西武あたりかな。 89年の西武は伊東欠場はそんなに長くなくて開幕から7試合
そこはむしろ仲田らが健闘して4勝3敗。
むしろ伊東が復帰してから森西武初の5連敗を喫したのが痛かった。
むろん伊東自身の試合勘が未調整ということもあるが、
先発投手を引っ張り過ぎて最終回に痛打、という敗戦が5連敗中3つ。
88年までの先発完投でなんとかなる、という投手起用に陰りがさした。 そういえばリアルタイムでは知らないんだけど徳光が広島の選手が乗った飛行機が云々、という発言ってこの年?それとも86年?
もしこの年だったとしたら2位は巨人ではなく中日だしいずれにせよキチガイ発言なんだけど... まぁでもあの戦力でリーグ優勝1回、日本一ゼロだからなぁ 松本が徐々に脚力が衰え、機動力が使えなくなったのも
王巨人が戦力ほど勝てなかった理由
破壊力は阪神や中日に勝てないし
機動力は大洋や広島に負ける
ただ、クロマティという存在が何とか踏ん張れた要因
あとは駒田、吉村、槙原の50番トリオの成長 原がプロ入りして初の長期スランプに陥ったが、中畑の確変でカバーできたのも
何とか踏ん張れた要因。 >>392
むしろブーマーのいた阪急が出るべきだったよな
メジャーで駄目だった選手が打ったら、って方が面白いのに
まあ別所的発想は当時の野球人の典型的な島国根性だったろうが 1福本2弓岡3蓑田4ブーマー5松永
破壊力、機動力全てを兼ね備え生え抜きのみの打線
これで何故、集客力がなかったのだろう
魅力的な打線だがな 関テレ以外に放映権開放しなかったから他局からネガキャンされたと聞いたことがある
球場の立地といい集客力の戦略がダメなんだろ 阪急の経営戦略が頓珍漢なのは野球に限ったことじゃ無いしな 確かに、阪神は勝てないが客寄せの技術だけは天下一品だった
元々発祥が広島だったトランペットや個人別応援歌やジェット風船やラッキー7やホームランファンファーレを
さも自分たちの手柄の様にすり替えたからな 阪神はこの年の内容で200万人近い動員か…
そら勘違いするわな 阪神の人気は関西で唯一巨人と対戦出来るチームなのが一番大きいからな この頃はまだ巨人ファンが多かった甲子園
声援もレフト側が大きかった だから平気で「阪神電車はボロ電車!」と大合唱できたんだな
84年と言えば、6回まで江川にパーフェクトに抑えられて
7回裏に弘田がようやく初安打を放った時に
何かにブチ切れた阪神ファンが
ライトスタンドからバックスクリーンを渡って
レフトスタンドに殴り込もうとした事件があった。 関西だと圧倒的に阪急の方がステータスが上なのに
野球だけは阪神が圧倒していたよな 阪急のスカウトが入団交渉やドラフト候補への挨拶の際に
「『阪神の方が大企業だと思われがちだが、
ウチは梅田の土地の8割を持っている』と説明しないといけない」
とか言ってたね 関西私鉄の格は
阪急>近鉄>阪神>南海
だが野球では弱小私鉄が親会社の阪神や南海が名門扱いされていた 今年の巨人の対広島戦を見てると、この年の中日アレルギーを彷彿とさせる 高橋由伸見てると王監督の暗黒臭と長嶋監督の采配力を併せ持った最凶の監督になりそう
本人も無理からさせらえて迷惑気味なんだろうけど >>424
あれは酷かったね。
9回2アウトから逆転負けした試合もあったし、角のサヨナラ押し出しとかも 中日は親会社同士が敵対しているからか対巨人戦の通算勝率が5球団中最も高いんだよな 小早川がルーキーながらパルコのキャラクターに起用されたってホント?
前年比+20万弱で110万クリアしたけど7980年ほどの観客動員に繋がらなかった >>427
ほとんどが星野と落合で荒稼ぎしたんじゃないか 全体的に見るとそうだろうな。
勿論、個々の年では負け越しもあるだろうけど。 中日と阪神のレギュラーシーズン対戦成績は1936年〜2016年の通算で中日が結構勝ち越している
(中日の951勝899敗44分)が、86年まではわりと拮抗していた
阪神が87年から暗黒時代に突入して中日に大きく負け越すシーズンが増え決定的な差がついた >>425
高橋が引退せずに打席に立てれば今の巨人の代打野手層のスカスカ具合は多少マシだったろうから自業自得だな 広島は日本一だったのにお客さん全然入らなかったんだよな
森西武や落合中日の晩年と同じで、客が勝ち飽きてたというか 勝ち秋田というより若手や新戦力が弱過ぎ。小早川・長嶋じゃあ客は来ないよ。 >>433
去年のCSでAHRAがしょうもないこと言ってたの思い出した 見事に地味ないぶし銀ばっかり揃えたからな
長内、長嶋、小早川、西田、木下、山崎
でも日本シリーズは客足少なくとも割合は圧倒的だったはず 山本と衣笠の前後を固めさえすればいいって考え方は間違ってなかったけど弊害もあったと 広島人気ないって話だけど他球団は水増し発表だらけの中、独立採算で実数に近い数字を出していたからな
1983年の人気調査では阪神と変わらない人気だったし
正直者がバカをみるのかな >>440 小早川はスター性抜群だと思う
泥臭さが売りだったカープの体質に合わなかったのかもしれない
長嶋も派手な活躍をしてそこそこ知名度あったし 地元出身で高校、大学、プロと日本一を経験した小早川は
いわゆる「持ってる男」で、次代のミスター赤ヘル間違いないと思ったのに 小早川も巨人の原同様にポスト前任者の重圧には勝てなかった。
(原はポストON、小早川はポスト山本浩二)
引退してからの通算成績で見ると中距離打者で同じ山本姓でもむしろ山本一義に近かったのでは >>445
衣笠や浩二が本格化する前の4番を務めた分山本一義の方が数段上でしょう >>442
甲子園のビジターだと巨人の次に人気はあった
YouTubeに山本浩二の場面があったが
結構大声援だったからな >>398
結局、この年が「阪急ブレーブス」としての最後の優勝となる。
そして、この年の優勝監督・上田氏が逝去。
ご冥福をお祈りします。
https://www.nikkansports.com/baseball/news/1848890.html この年、ヤクルトが監督→監督代行→監督代行代理
となったのは、当時小学生ながら驚いた。 >>403
飛行機の事故があっても2軍選手で戦うだろ 衣笠がMVPとるような選手になるとは思わなかったな ☆ 日本の核武装は早急に必須です。総務省の、『憲法改正国民投票法』、
でググってみてください。現在、衆参の両議員のそれぞれで、改憲議員が
3分の2を超えています。私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。
憲法改正国民投票法、でググってみてください。お願い致します。☆☆ ロウソクが消える直前に一瞬大きくなるってアレだよ。
現役晩年近くになって突如全盛期並の好成績を残すってのも、プロ野球では意外と
多く見受けられたり。
1957年に打率3割復帰&日本シリーズMVPの青バット大下とか、1971年に6度目の
首位打者に返り咲いた長嶋とか。
そんな中で全盛期以上の自己最高成績を残したのが衣笠、序でながら消える直前
の筈が数年に亘ったのが門田辺りだろうな。 今年の柳田が、この年の谷沢の二の舞になりそうな悪寒。打率が5厘、本塁打が3本、打点が3点差で無冠。 谷沢健一も引退2年前なのにすばらしい打撃成績だった記憶がある
この年の本塁打34本は自己ベストじゃなかったっけ 広島-中日を関東でも何試合もTVで見られた
開幕3戦目、9月中盤のナゴヤ
広島での最後の連戦
記憶にあるだけでも4試合あった >>153
しかも、前年の春季キャンプでえびせん山内の指導で3割を打つコツをつかんだと本人が言ってた。(ソースはスポニチの我が道)皮肉にも、この年山内が中日の監督就任して、広島にだけ痛めつけられるというオチ。 巨人伝統の左○し
平田→山本雅→西岡→大道
山本雅って阪神の福間からよくホームラン打った印象 >>464
えびせんとチームメイトだった頃に3割打つコツをつかんで欲しかった >>467
スレチだが、この当時の広島て監督根本・コーチ関根爺に広岡とこの頃の西武の管理野球よりも猛練習プラス野球漬けのミーティングだったとピーコや衣笠が言ってた。 このころになると、また広島?って言われていた。初優勝や21球の時と全然違う言われかたされていた。 >>450
土橋って何でヤクルトの投手コーチになったんだ
フジテレビで解説者だからか? >>468
衣笠が深酒して寮に帰るとにこやかな顔をした関根潤三がいた
さあ始めようかと関根潤三が目の前で素振りさせられたとか
当時関根潤三は単身で寮にいて夜に強い方だから半ば脅えていたと著書にあった >>469
いわれるほど優勝してはいなかったが(笑)
世代交代がうまく進み、山本浩二と衣笠以外はほとんど新世代だった 序盤は阪神に7連敗、中日に13連敗。中日とは加藤、槙原の裏ローテに当たることが多かった。 広島vsオリオールズの「日米決戦」やったの覚えてるか?
今で言えば野球版クラブワールドカップ。 >>478
巨人50周年で、巨人日本一前提で、読売新聞が企画したイベント。 >>480
巨人日本一前提で、日テレの日9を巨人贔屓のプロ野球ワイド(サンデースポーツ9)
にした位だしなw
元々桃太郎侍の昔から、現在の行列が出来る〜に至るまで、日テレの強い時間帯
なのも相まって関東では高視聴率をマークしたものの、巨人日本一が消滅したのと
同時に番組そのものが終了。 都立高の入試不合格から始まっていくらでもあるんじゃないの オリオールズ対広島は、向こうにやる気がなさそうで期待していたものではなかったな。 >>360
後に安藤と福間がMBS解説者で同じ釜の飯を食うとは思わなかった。 >>487
んなこと言ったら、川上と広岡、広岡と森も、同時期にNHK解説者だったぜ。 木俣に引退勧告した近藤貞雄が後に両者がCBC解説者という例もあるなあ。 >>491
広岡が西武を退団してからNHKの解説者だったけど川上もまだ解説者だったはず
その頃は川上が解説してた記憶があまりないけど すごくおもしろい嘘みたいに金の生る木を作れる方法
関心がある人だけ見てください。
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
3X3L7 正直言って、広岡がNHK解説者だったというイメージが湧かない… >>495
現役引退後から解説はRFで、ヤクルトを辞めて西武監督になる前どころか、
ロッテのGM退任後もそうだったからNHKの時は違和感あった。
やはり個人的には島、内藤幸、早川アナと組み、
ラジオの巨人戦で辛口解説しているイメージが強い。 西武監督辞任後、川上・鶴岡両巨頭に入れ替わるかの様に長らく解説していたけどね。
三塁転向したばかりの広島江藤の危なっかしい守備を怒りを噛み殺すかの様に
「ま、こうやって実戦経験を積めば、次第に上手くなるでしょ。」
と解説したのが妙に印象に残っている。 >>495
90年だったか広島-巨人戦でクモ男が出没した時の中継がNHKで広岡が解説だった記憶が。
試合の終盤にも別のファンが乱入したりしてて広島出身の広岡もさすがに苦笑いしてたw 衣笠は3割はこの年の1度きりだが
その前後の年も2割9分打ってるから円熟期だったんだろうな 84年85年と渡り広岡西武は何故か稲尾ロッテに分が悪かった。
落合がいたというのもあるけど全体的にスピードでも翻弄されていた感じだった。
あれは不思議だった。試合中寝ている稲尾さんの采配でよく広岡西武にスピード面でも
翻弄できたものだと思う。 >>473
まさか、衣笠が関根よりも先に逝くとは思わなかった
仙一も1月に急逝したし、浩二は盟友に次々に先立たれて辛いだろうな >>500,502
今にして思えばプロ野球選手にありがちな「引退前の狂い咲き」だったんだろうけど、それまでシーズン3割が一度も無かった事と、何より
浩二が夏場スランプに陥った(つうか打撃でも衰えが明らかになったと観るべきか)事から、「浩二がダメなら俺が(`・ω・´)」と言わんばかり
の大活躍に、世間へのインパクトも大だった。
このシーズンが無ければ、「只、試合に出続けただけのオッサン」程度の選手と見做されてしまっていたかも。 終盤戦の広島と中日の首位攻防の直接対決は名勝負が多かった。
衣笠のサヨナラヒットは衣笠の選手生活の中でも代表的な名場面でしょう。 カープの長嶋清幸がこの年2試合連続サヨナラ本塁打を放つ
巨人中畑が同じくこの年に1試合3本塁打を記録 特に讀賣系統のマスコミが、(その一線を)黒歴史に
仕立て上げようとして必死な感じw オリオールズを前年覇者と知らず、マジで日米ワールドシリーズだと勘違いしてた輩もいたw >>511
讀賣だったらマジで言いそうなセリフだなw 日米野球の対戦相手がメジャーの単独チームだった頃
来日した年ワールドチャンピオンになったチームはなかったと思う
66年ドジャース68年カージナルス71年オリオールズはリーグ優勝したけどシリーズで敗退した >>509
野球を見始めたのが翌年の阪神フィーバーからだったから、
ギリギリ知らない >>501
西武はロッテと競り合うとなかなか勝てない 高橋直樹と田淵幸一の公式戦でのバッテリーが1試合あった 巨人50周年、読売新聞110周年記念イベントだった日米決戦。
巨人が出るはずだった。だからクロマティ獲得。
巨人が出てたらトヨタカップ並のイベントになったかな? 広島との5試合制の「日米決戦」のあとは、たしか巨人との試合が2試合入っていた。
だから仮に巨人が日本一になっていれば、7試合制の「日米決戦」になっていたし、
当然、王もこれを勝ちに行こうと全力をつくしたはず。
読売、報知、日テレ、ラジオ日本は総出で盛り上げるだろうね。 >>515
84年と95年のパの順位が
4位と6位以外が同じ順位だったしか
印象が無い…
しかも巨人が3位のオマケつきだし… 柱となるべき人物がそれなりの数字を残せないのでは
この順位も致し方ないよね 今年こそ、この年以来のカープ日本一に輝いて欲しい
それが本来あるべき姿だから でも巨人の主力選手の前年とこの年の数字を比較したら、大差はないんだよな。 日本シリーズの翌日
関東では一面がシリーズなのに関西ときたら…
マスゴミの程度の低さは >>524
こんなんだから金本監督クビにさせられたんだよ 中日に14連敗、阪神にも6連敗したのが効いたな。
王さんの眉間にシワがこの年の最大の記憶。 >>472
皮肉な事に、翌年は地元の阪神が優勝したのに、日シリはテレビ中継出来なかったなあ。同じ阪急ネガキャン(というかガン無視)のABC・YTVはテレビ中継出来たのに。 >>529
MBSなら第4戦をNHKとABCと3局で並列中継してる。 そうだったのか。これは失礼。しかし、日シリ地上波3局が同時中継て今じゃ考えられないなあ。てっきりABCの独占中継だと思ってた。(第5戦のYTVはユーチューブで知ったが。) 阪急X広島の日本シリーズが印象的だったな
おそらく最後の日本シリーズになるであろう
阪急 山田の力投
1,4,7戦と先発し 結局山田で1勝もできなかったのが
敗因、決して山田が打ちこまれたわけではなく打線の援護がなかった 結果として最後の日本シリーズ登板になったけど、
山田としても阪急としてもまだまだ出るものと思われてただろ 西武が黄金期に突入したのは誰の目にも明らかだったからなあ(´・ω・`)
この年こそ開幕から下位低迷していたし、森コーチの不倫報道やら、江夏の二軍落ち拒否やらと何かとバタバタしていたけど、広岡監督が
その機に乗じた格好で若手中心に切り替え、シーズン終盤に近鉄を追い抜きAクラスを確保した事から、翌年以降常勝の地位に戻るであろう
事が確実視されていたし。
只、如何に西武が常勝とは言え、阪急もまだ強かったし、もう1,2回位はシリーズ出場のチャンスも巡ってくるとは思っていたろうな。
結局、山田が先発した試合で3敗したけど、すっかりベテラン円熟の域に指し掛かっていた山田には何処か勝負を楽しんでいる
(良い意味で)雰囲気があったのを記憶している。 浩二・衣笠vs山田・今井とベテラン同士の対戦の一方、両軍とも捕手が達川、藤田と正捕手を獲得して1,2年程度の若手で、達川が「もう頭がパニックで
一杯一杯です(´Д⊂ヽ」と嘆いて、藤田と同郷且つ同じ年で面識がある長島が「大丈夫、藤田の方がもっと頭が混乱しているよ。」と励ましたとの逸話も。 長嶋清幸9月以降凄かった
巨人戦で2試合連続サヨナラ本塁打、日本シリーズ第一戦山田から決勝本塁打
第三戦浩二敬遠からの佐藤義則から満塁本塁打、3本塁打10打点でMVP 阪急はこの後数年のドラ1が悉く働かなかったのが痛かったなあ 熊野と藤田は大選手になりそうなスタートから並みの一軍半に 元々かなり遅いプロ入りだった熊野はしょうがないとしても
藤田は上田監督が呆れるほど慢心していたようだしなあ どうでもいいことだが長嶋の一本目(西本から)の方は、この年最後だった蔵前での相撲観戦の帰りの焼肉店でテレビを見てたきがする。 小錦パワーが黒船並みの衝撃を日本人に与えた蔵前最後の場所か?たしか平幕の多賀竜が優勝したな。 【告発者の名前と住所】
◎宇野壽倫 連絡先:東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸202号室
還暦無職・生活保護不正受給犯罪者の色川高志(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室)はアルバイトをしていながらそのことを内緒にして申告をせずに
不正に生活保護を受給しています。「糞アリ貧乏人どもは一生死ぬまで汗水流してせっせと働いとればええんじゃい。おんどれら糞アリ貧乏人どもがちゃんと働かんかったら
ワシが遊んで暮らせんじゃろうが〜。ボケ〜。カス〜。アホンダラ〜。」が口癖で「金や金、金持うて来い〜。どアホ〜。」といつも大声で叫んでいるようなとんでもないクソ野郎です。
こんなクソ野郎の思い通りにさせてはいけません。みなさんどんどん匿名で役所や警察に密告してこのクソ野郎が遊んで暮らせないように人生の厳しさというものを徹底的に教え込んでやりましょう。
生活保護が受給されなくなった時点でこの犯罪者クソ野郎の場合は自殺するしか他に道がないでしょう。 こんな犯罪者クソ野郎をのさばらせていては世の中のためになりません。
このような犯罪者クソ野郎が存在していること自体正当に生活保護を受給している人の迷惑となるでしょう。
まずはこの犯罪者クソ野郎に渡ってしまった我々の大切なお金を取り戻しその上でみなさんの力でこの犯罪者クソ野郎を自殺へと追い込みましょう。
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色川高志 (あいかわ たかし)
〒125−0062
東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室
【色川高志という人物も生活保護受給者でありながら申告せずに内緒でネットストーカーなどのアルバイトを
している生活保護不正受給犯罪者です】
【通報先】
◎葛飾区福祉事務所(西生活課)
〒124−8555
東京都葛飾区立石5−13−1
рO3−3695−1111 衣笠ってのは若い頃に打率リーグ2位とか4位にもなってる(当時は球界全体が投高打低なので3割未満)、もともと打率が低い選手ってわけでもなかったんだよな >>544
俺もその場所観に行った。中日であった。 >>535
山田はともかく、阪急が4年後に身売りするとは
誰が想像したか この年の日本シリーズって
9年前(75年)と同一チーム(阪急・広島)で
しかも同一監督(上田・古葉)同士の対決だったんだな
これだけ間が空いて監督まで同じとは ていうか、同一のチームで10年以上監督を務めるなんて、
最近では王(ダイエー→ソフトバンク)とタツノリぐらいだろ もし巨人が日本一になり、オリオールズとの対戦がそれこそ野球版トヨタカップと宣伝され盛り上げられたら、
まじで本当に盛り上がったのでは?
で、その後も恒久的に続いたとか?対戦相手も「その年の」北米チャンピオンにして。
返す返すも黒歴史にするにはもったいない企画だった。
当時の日本人はどれだけトヨタカップがすごく、日米決戦なんてナンセンスだと知らなかったろうから。 史実を見ると、オ軍対広島5試合のあとに、オ対巨の試合が6試合ある。途中全日本や連合軍を挟んでだが。
もしも、巨人が日本一になっていたら、オ軍対巨人の試合が都合11試合になって
いたわけで、その勝敗で「世界一」を決めたのかな? >>417
この年、ロッテから移籍してきた弘田が「俺は初めてこんなに観客の多いところで試合した。」と言ってた。(ソースは板東英二の野球関連の本) この年の2年前のオフ、広島の水谷と阪急の加藤英司の大型トレードが成立したな
この年の日本シリーズに水谷も加藤もいなかったわけだが… 加藤はまさかの1年で近鉄行き、
水谷は前年見事打点王も84年の開幕直後に頭部デッドボールで離脱か。
ブーマーをもじってミズマーって呼ばれたよね。
ブー谷とは呼ばれなかったw 田淵が西宮の引退試合でマスク被ってたけど
捕手金森もその試合が最後かな 記憶違いごめん
金森はその試合9番レフトでフル出場しており
84年は捕手で出てなかった
(82年4試合、83・86年各1試合捕手で出場)
田淵がマスク被ったのは間違いない >>542
しかも最後にジャイアンツへ移籍
という共通点まであるな マネー退団の後デービスが入団、4年後デービス退団の後ブライアント入団
まあ4年先の事なんて分かる訳無いけど色んな因果は思わぬとこに転がっている 日本シリーズのブーマーが喫した、満塁で大野から落ちる球振らされて三振…
いまだに思い出すと悔しい >>568
あのシリーズ、途中からはもう完全に広島の投手陣にブーマーは見降ろされている感じだった。
簑田や松永は対応できていただけに、打線がど真ん中でぶった切れてしまっていたけれど
上田監督は打順を頑なに変えなかったな。 打撃三冠+最高出塁率の四冠王ブーマーはさすがに外せないわな もし巨人が日本一になってオリオールズと対戦したら、TOYOTAカップ並に盛り上りその後も継続されたか? 「失意」
現役生活22年の後に3年間の助監督という“助走”を経て、王貞治が巨人軍第11代監督に就任したのは84年シーズンの事だった。
球団は創立50周年、満を持して就いた王に与えられた使命は、読売新聞主催で行われる前年ワールドシリーズの王者ボルティモア・オリオールズと
の“日米決戦”に出るため日本一を奪回する事だった。オープン戦は11勝4敗の2位、前年打点王の原辰徳を軸とする打線も固まり、下位に新外国人
ウォーレン・クロマティと中畑清を置くラインナップは強力といえた。投手でも元々の布陣に加え「斎藤(雅樹)という新しい投手も出てきて使えるメドが
立った」と話すなど王には自信が漲っていた。
しかし、その自信が崩れていくのは実に早かった。開幕戦で江川卓が阪神相手に4回6失点KO、終盤で4点差を追い付きドローに持ち込むのが
精一杯だった。2戦目はリチャード・オルセンに対し7回までわずか2安打で好投の西本聖を見殺し、3戦目には抑えの角三男が掛布雅之に逆転の
3ランを浴びて連敗発進して出鼻を挫かれた。巨人はこの後も一つ勝って2分けを挟みまたも中日、阪神、ヤクルトと4連敗したため開幕から10戦で
1勝しか出来なかった。3日後からもう一度4連敗した巨人はこの時点で3勝10敗3分けで最下位、12連勝の首位広島と早くも9.5ゲーム差が開いて
しまった。王は「開幕10試合で選手、チームに動揺が広がってしまった」とスタートを悔やんだ。
前半戦は苦しみ、5月の大洋戦で四番・原に送りバントをさせて引き分けに持ち込む試合もあった。首位中日と9.5差の貯金1で球宴ターン、後半戦は
中畑を四番、原を六番に下げて臨み10連勝するなど30勝18敗の追い上げはあったが、途中14連敗のあった中日だけならず、4位阪神にも5年ぶり
のカード負け越しを喫した王巨人失意の初年度は、297万4000人の観客動員新記録とは裏腹で一度も優勝争いに絡めず3位に終わった。
打高投低が目立ち機動力と投手力で広島に、長打力で中日に劣った巨人は何より緻密さに欠け犠打数ではリーグ唯一2ケタで最下位だった。
王期待の斎藤は8月以降に4勝を挙げて頭角を現したが槙原寛己、定岡正二、角の不振が響いた。打者で篠塚利夫が初の首位打者を獲得し、
中畑が初の30発といった個人成績の良さも王の大雑把な野球のイメージに拍車をかけた。
一軍のコーチ陣が全員監督より年下な事で、進言や意見する参謀役が不在だったのも一因だった。王は「50周年だっただけに、普段の年ならある
程度の所で育成も考えたが、節目の今年だけはどうしても優勝したかった」とシーズン後に話していた。
秋の日米野球で世界一決戦は実現しなかったものの巨人はオリオールズと5試合を戦ったが、オリオールズも84年はア・リーグ東地区で5位だった。
そのオリオールズに巨人は1勝4敗、日本一球団とワールドシリーズチャンピオンが激突するシステムはこの年限りで終わった。 (了) >>568-569
翌年以降のブーマーだったら内角攻めにはコンパクトに軽打狙いで
対応できてただろうね。
このシリーズだけなぜか一発狙いが見え見えだった 4勝3敗だからブーマー1日代打に回して代わりに出たのが当たってたらひっくり返った可能性もあるわけだ >>568
ベース付近でワンバンした球を空振り三振だったね。
その前に、ノーストライクツーボールから2球続けてそんなに厳しいコースでもないストレートをファールしたのが痛かった。
あの2球のストレートで追い込まれる前に仕留めなければいけなかった。 >>559
水谷は84年の日本シリーズでは代打出場しているよ。 阪急の敗因は公式戦から日本シリーズまで丸2週間空いてしまったこと。
ブーマーから試合勘が失われた結果がシリーズ不調と言う結果になってしまった。
一方の広島は山根が公式戦から中5日の登板という公式戦中と同じ登板間隔でシリーズに入れて
広島にとっては絶好のコンディションでシリーズを迎えることが出来たのだ。 もし8月ころまで巨人が油症争いしてたら、「日米決戦」に冠スポンサー付いて賞金マッチに?
でほんとに日本一になったら、巨人とオリオールズとの試合は7試合の賞金マッチに変更。
読売グループで総力あげて盛り上げて、むりやりトヨタカップ並みのシリーズに。
まかり間違って勝ったら国民栄誉賞? この年のシリーズ見返したら山田1人で3敗もしてるのな…これワースト記録?
山田はシリーズ通算でも7敗もしてるのか >>582
関東ローカルイベントに過ぎない箱根駅伝をビッグイベントに仕立て上げた喧伝力を持ってすればなんて事無いだろ(w
まして当時はまだネットも無く、マスコミの影響力も今とは段違いだし。 >>584
MLB側にメリットのない大会なんてやるわけない 日米決戦といっても前年のチャンピオンチームとやるんだから無理がある
ただの余興の域を出ない 81年の記事を読むと読売新聞創業110周年&巨人軍創立50周年のダブル記念行事として、
84年のワールドチャンピオンを招いての日米ワールド7試合に加え、
対全日本戦など各地を転戦する親善試合を予定していたようだ。
しかし翌82年に開催が決定した際にはワールドチャンピオンを招くには時間と余裕もなく
日程上の関係も考慮し83年度のチャンピオンを招待することに変更。
この時点で日米決戦の意義は失われていたはず。
しかしメディア(特に読売関連)は「1984日米チャンピオン対決」と誇大報道。
NHKですらオールスター、日本シリーズと同等に深夜枠で解説者付きでハイライト番組を編成。
しかも平日開催だった西武球場の第3戦は生中継までする力の入れよう。
前にも書き込んだけど、本気で「日米ワールドシリーズ」と勘違いしていた輩も多く、
学校じゃクラスメートも「広島世界一になるかな」と話題持ちきり。
何人かの先生も試合経過が凄く気になっていたらしく、
職員室のテレビを付けては食い入るように見ていたけど、
子供心に「それ違うんだけど…」と口に出したくても出せなかった35年前の今頃。 トヨタカップにしたいんなら中立国でやらんと駄目だろ >>578
その前のイニング7回表に山田がノーアウト満塁のピンチを1番高橋2番山崎3番衣笠を抑えて切り抜けて、
その裏の先頭打者の山田が2塁打で出てからのワンアウト満塁の場面でのブーマー三振は痛かった。
あの山田のノーアウト満塁のピンチを切り抜けた投球はほとんど話題に出ないね。
注目度が低い対戦カードだからなのかな。 日米対決だ!なんて盛り上がってるのは日本のごく一部だけで、大半は冷めた目で
見ていた。巨人の選手自身だって「なんで去年のチャンピオンとやるのが日米決戦?」っていう
感じだし。
まして米国側は「しようがないなあ、付き合ってやるか、ギャラ入るし」くらいのスタンスだろう 山田は結局3つ負けた記録が残った印象だからな
無死満塁切り抜けとか記憶から消えてた 第5戦まで
日本一(広島)とオリオールズ(83チャンピオン)
第6戦以降
いつもの日米野球
巨人ほか
なお広島とオリオールズの試合に表彰、賞金無し 山田は7月に膝を故障して2か月近く1軍登録抹消されていた。
いわば日本シリーズは病み上がりであり、ベテラン36歳が良く日本シリーズで3試合先発して力投出来たと思う。 本当に世界一決定戦にするなら、その年のチャンピオン同士を戦わせて、
日本シリーズ、Wシリーズみたくどちらかが4勝した時点で勝ち抜け、終了にしないと。
そのあともダラダラ試合やるんじゃ、締まらない。 締まる締まらないの話じゃなくてタダの一新聞社の営業企画だからね
遠征費用は全試合分キチンとチケットを売って配ってまかなう 2005年に始まったアジアシリーズはその年の各国のチャンピオンチームが集まって
ちゃんとしたレギュレーションでやってたけど、
結局縮小していつの間にか終わってたな いつしか、それに出場することが罰ゲーム
みたいな風潮になっていたからね >>598
そのくせアメリカには出てほしいとかおかしいだろ うむ、日米シリーズなんかやっても、メジャーのチームは
「何でそんな罰ゲームに出ないと行けないの?」だ罠。
>>597
アジアシリーズや日韓シリーズが現在も続いていたとしても、
今年は韓国チームがボイコットして中止になってただろうな。 山本浩二2000本安打
東尾200勝
福本1000盗塁 読売グループが社運をかけて企画した日米決戦が広島って微妙だな
しかし、もしこれが宿敵の西武とか阪神だったら、読売側はたまらなかったろうな 一番たまらないのは中日大洋ヤクルト阪急だよ
この4球団は読売に思うように動かないし、放映利権が無いし 興行権とか放映権は出場球団に渡されてないよ
あくまで読売主催のフォーマットにただ出場するってだけで だから5試合決戦の球場も後楽園、後楽園、西武、横浜、大阪で広島ではやらなかった
その後のどさ回りで広島巨人連合軍との対戦で広島開催があった 大リーグの単独球団での来日は
この時のオ軍が最後になりましたね。
20試合近くの日程ですから長い滞在でした。 広島どころか中日だったら、読売にとっては屈辱このうえなかったな
もっとも中日は日本シリーズに弱くて勝ち上がれない公算が高いけど 新橋のそごうで巨人50周年セールを派手にやってた。
沢村投手の映像とかメガホンたくさん並べたり、江川と原を呼んだりやってた。 巨人あんな人気あったのにみんな2000万くらいしかもらってなかった この年のオフだったな。
西本が江川を年俸で上回ったのは。王が口を添えたらしいが。
確か4000万くらい? 50周年の年は後楽園のチケットに江川と原の写真が印刷されて綺麗だったが
次の年は下手なイラストだった。 >>612
中日×阪急になられたらもうフジテレビがやれと言われそう >>616
西本と中畑の顔写真もあったような気が。 >>617
日本シリーズなら放映権というか推薦権がホームチームに与えられるよ
だからこの年は西宮分は関テレ×3
広島分がRCC×2、広島ホームテレビ×1、広島テレビ×1
中日がもし出てたらふだんから中京テレビに中継させてないから、
82、88通りにCBCと東海テレビが分け合う感じだったろう 広島と中日の優勝争いは結局この両チームの直接対決15勝8敗が大きかった。 この年tssはKTV制作の西宮3試合を理由に外されたか?
80年のHOMEはABC制作3試合プラスの4試合獲得だったが。
tssは最後発の局ということで割りを食ったかな。 広島と巨人の対戦成績は12勝12敗だったよ。
ちなみに中日は巨人戦は17勝8敗だった。
しかしオールスター以降は中日は巨人戦に負け越した。 >>615
江川4800万、西本5000万
王が、査定役の戸田一軍総務と岩本一軍担当に、西本を江川より上にしてやってくれと言ったって話だね。
江川はかなり腹立った(年俸ナンバーワンにプライド持ってた)らしい
58年の契約更改の途中、一時的に原が江川を上回った時にそのことを原が冗談で江川に言ったら、「生意気言うな!」とマジギレで怒鳴られた ロッテは村田兆治が1年早く復帰してたら阪急の優勝を阻止で来ていたかな?
無理だったとしても阪急との決着をPOまでには持ち込んでいたか? >>625
この年のロッテは何故か南海に大きく負け越していた。
別に相手が南海だから谷間の投手を投げさせていたわけではなく
深沢、仁科、石川とこの年の3本柱も打たれていた。
せめて五分五分だったら阪急に肉薄できたのだが。 >>626
85年までは5ゲーム差以内ならプレーオフだったよ
結局それ以上に大差がついたため実施されなかった >>625
この年の終盤にはもう村田は復帰登板してるんだよね。
でも打たれていたのでやっぱりダメかなあと思っていた。
翌年の復活は正直予想できなかった。 >>625
「たら・れば」を言い出したら、阪急は山田が7月に故障で戦線離脱しなければ一時期ロッテに4ゲーム差くらいまで
迫られることもなくもっと余裕でゲーム差つけて優勝していただろう。 あと、ロッテは開幕戦で前年36ホーマーで打点王の水谷を頭部死球でブッ壊したからね。
これが無ければ、阪急打線はもっと厚みが出ていただろうに。
以上、「たら・れば」でした。 巨人の「たられば」は矢張江川・西本が活躍してくれれば優勝出来た!だな。 >>634
優勝した前年は二人で31勝
三位のこの年は二人で30勝
ほとんど変わっていなかった・・・ 個人成績で言えば前年と大差なかった、と何かの書籍に書いてあったね
原が落ちたといっても、それを補うかのように中畑が上がってるし、
スミスの凋落は苦労でお釣りがくる。 >>614
それで浮いたカネを赤字だった中京読売並びに九州読売の損失補填に使っていたんよ(マジ)。
そもそもは大正力が強引に読売新聞の九州進出を決めた際に、務台が大きく儲かっていたプロ野球事業並びに不動産事業の傘下
とする事で損失補填を行なうと共に、読売本社の経営に影響が及ばない様にしたものらしいが。
ONが年俸でごねずに一発サインするタイプだったのにも(結果的だが)助けられた格好。 後に落合が「俺が粘って年俸を上げないと他の選手の年俸も上がらない」と言ってたね
トップの給料が基準になっちゃうからって理由
漫画界では手塚治虫が少年誌での連載を続けたくて原稿料を上げようとしなかったんだが
他の漫画家にははた迷惑だったと言う話
「漫画の神様より原稿料を上にはできない」になっちゃうから この年の巨人は中日に歯が立たなかったのが致命傷になった。
小学生だからそこまで考えなかったが何故勝てなかったんだろう。 >>641
中日の17勝8敗だったが、オールスター以降は巨人の7勝3敗だったんだよ。 オールスター以降だけだと、優勝した広島が貯金13で巨人が貯金12で中日は貯金2だけに終わった。 既に何回も書かれているが、オールスター明けの巨人戦で中尾が右肩を脱臼した
その間金山や大河原を起用せざるを得なくなり、控え捕手の薄さを露呈し、終盤広島との争いに敗れ、前半カモにしていた巨人にも勝てなくなった そうやって84年前半に巨人を苦しめていた中尾が
後年、巨人に来て斎藤覚醒に一役買うんだから
世の中分からんもんだよなぁ。 >>638
少し違う。巨人の黒字を西部読売、中部読売の赤字で相殺し税金対策。
巨人の運営会社な東京読売巨人軍でなく読売興行(1992年からよみうり)。巨人と西部読売(九州)、読売会館(有楽町そごう→現ビックカメラ)、1988年から中部読売で一つの会社。つまり巨人は法人格を持たす野球協約違反なんだが。 >>644
中尾の故障に続いて9月入ってすぐに平野の故障も後半の中日失速に拍車が掛かってしまったね。
中日一の外野守備力、中日一の送りバントなどの小技に、故障離脱した時点で30盗塁という中日一の走力。
さらに2割9分台の安定した2番打者を失って9月は8勝12敗と負け越してしまったのである。 高木守道氏、この年から2年間二軍監督に。
この年藤王に山本昌、翌年中村武志が高卒入団し高木監督の教育を受けていた。 >>646
巨人の黒字を読売の不採算部門に回していたから体のいい税金逃れだった。
02年にナベツネが株式会社読売巨人軍の独立会社にした。それでも広告収入は東京ドームに、興行権収入は読売新聞スポーツ局が分捕ってるのかな。
巨人の収入がヤバくなればこの辺から切り崩すはずだから、まだそこまでの状態では無いのだろう。 「優等生」
「バースが三冠王になれたのは俺のおかげさ」と85年秋に言ったのが、前年に外国人初の三冠王に輝いた阪急のブーマー・ウェルズだった。
84年の阪急はブーマーのバットに引っ張られて、5月中旬から首位を快走した。以後は独走で6年ぶりリーグ優勝のゴールテープを切ったが、
唯一の首位攻防といわれた8月14日の対ロッテ戦でも2本塁打と決勝の走者一掃三塁打を含む猛打賞で8打点と大暴れ、最終打席の押し出し死球
でも“暴れて”退場処分を受けるオマケも付いた。それでも個人記録もさることながら、節目の試合でも悉く結果を出して勝利打点の数は21、
前年に巨人・原辰徳の出した20を更新する当時の新記録だった。
ランディ・バースへのライバル心を密かに抱いていたからこそ、85年のコメントが出たといったところだった。同じ83年来日で関西の電鉄会社球団、
甲子園と西宮も近距離でありながら注目度では遥かに差があった。メジャー経験が浅いのも共通していたが、バースの130試合を下回る47試合で
本塁打は0だった。
三冠のタイトルのうち打点は前半からハイペースで最終的に130打点、2位のスティーブ・オンティベロスに29点差の独走だった。昨年17本だった
本塁打は前半だけで21本でトップ、それでも南海のクリス・ナイマンが1本差、チームメイトの簑田浩二が2本差、日本ハムのトミー・クルーズと
南海・門田博光も3本差と混戦状態だった。8月からは共に13本塁打ずつを放ったロッテ・落合博満との一騎打ちとなり、途中「ウチの投手までが
落合にど真ん中を投げていやがる」と怒っていた時期もあったが、最終的に2位の落合に4本差をつける事が出来た。
首位打者のタイトルは終盤までもつれた。残り5試合の時点で打率.349でトップのクルーズと3厘差だったが、翌日の優勝決定試合で3安打で
遂にクルーズを抜くと、次の日も2の2でスティーブも引き離して.355とライバルを振り切り史上5人目の三冠王が誕生した。
ブーマーは「世界の王さんと同じタイトルが獲れて嬉しい」と喜んだ。ライバルバースも「彼がセ・リーグにいたら物凄いブームになっただろう」と
存在の大きさを認めたが、練習態度も含めた真面目な性格、相手投手を分析する研究熱心さにも定評のある優等生ぶりも際立っていた。
このあたりは過去にも努力家のボビー・マルカーノやバーニー・ウィリアムスを見てきた経験もあり、前年から「ヤツは慣れたらもっと打てる」と読んで
いた監督・上田利治の眼力もさすがだった。 (了) >>637
現代の監督なら定岡と松本は4月上旬の段階で切るだろうね プロサッカー選手・野本健を肉体改造したのがトカゲロン >>609
まあスパイ活動する事もなくなってきた時期ですからw 巨人が中日に全く勝てなくなってしまったのは不思議だった この年のヒット曲
・爆風スランプ「よい」
・シーラE「グラマラスライフ」
・レッチリ「トゥルー・メン・ドント・キル・コヨーテ 」 >>661
特定のチームを苦手にしていれば、優勝など夢のまた夢だろうよ >>614
でも巨人戦視聴率は当時絶対的だったし、cmもたくさん付きまくりタニマチもたくさんいた
最低でオロナミン、原とかはそれに足して更に契約あり
んなもんだから若い選手が外車買ったりタニマチから貰ったりして王が怒った 争ってもないくらい独走なんだけど
まだ5月までの南海近鉄の方が争っていたというのにふさわしかった オールスター明けに10連勝したロッテが
ようやく阪急と4.5差と5ゲームプレーオフ圏に入ってきたが
直後の平和台での直接対決で連敗
これで終戦 この年が阪急の最後の優勝になるとは思わなかった。
昔の様な黄金時代は無理としても西武に一泡吹かせる
実力あるチームとして何年かに一回くらいは優勝する
だろうと思ったんだが。 それはたった4年後に身売りされたことの方が意外というべきでは?
当時でも山田と福本の年齢を考えれば若返りに苦労することは容易に想像できたし 水谷の頭部死球が無ければブーマーはあそこまで打ちまくれたんだろうか
それとも二人揃って打ちまくったか 振り回さずにコンパクトにミートしたライナーでも
十分にスタンドに届くと自覚して84年のキャンプに入ったらしいから
その辺は打てたと思うな
打点を食い合って三冠逃すとかはあるかもしれないが 日本シリーズで広島投手陣に内角高めを突かれて沈黙したものの
これも翌年のシーズンには克服してきたから
ブーマーはすごい適応力の高い選手だったと思う >>676
だからこそ、長きにわたってNPBで活躍できたんだろうね クローズドスタンスからスクエアスタンスに変えたんだっけ? ブーマーに日本シリーズで雪辱する機会が無かったのは残念 >>674
ロッテ土屋が水谷にぶつけなければ阪急が日本一だったろうな あれは投球の癖が盗まれてて踏み込んで打とうとしたところにすっぽ抜けが来たんだっけ。
しかも水谷は耳カバー無しヘルメットだったから最悪な事になった。 そもそも安全対策で耳当てヘルメットを導入したのになんで例外なんか認めたのか・・・
サッカーだと脛当てについては一切例外が認められないのに 衣笠が視界遮られてかえって危ないってクレームつけたから
実績のある選手は許可されたけど
耳なしヘルメット着けた以上は自己責任だわな 水谷以降はこんなひどい死球禍は無かったよね、確か? 巨人の井上は耳付きメットだったけどキーオに速球をぶつけられた以降打てなくなったよな >>688
吉村級の活躍してればそう言えるけど
あの程度なら島貫に毛が生えたようなもんだろ >>688
そのキーオがアメリカに戻って何年かして、
どこかのキャンプ地で打球が頭に直撃して再起不能になったんだよな… 阪急は離脱した水谷(元々守備は不得手だったためDH専任だった)の穴埋め要員として
石嶺(当初捕手だったが膝が悪かったため外野に転向したばかり)が育って
カバーできたのは長い目で見ればプラスだったのでは? 水谷の死球禍の翌年、阪急はDHに新外人ヒックスを起用してた。
パワーはあるが確実性に欠け一年で退団になり、翌年以降は
DHに石嶺を固定したけど、ヒックスが当たり外人だったら
石嶺はチャンスを貰えず埋もれていたかもしれない。 >>692-693
そのチャンスをものにした石嶺、あっぱれ 85年の時点で200打席足らずでで14本塁打を記録してたから
上田監督としても使わないわけにはいかなくなってたけど
もしDH枠が開かなかったら起用法でめっちゃ苦労したかも ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています