1990年のプロ野球を語ろう Part.2
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この年の開幕戦で、巨人は誰がどう見てもファールであるにも関わらず、
ホームランと判定された”誤審”により、勝利を収めた。
そして今日、歴史は繰り返すのか(?)、ソフトバンクがオリックス相手に
誤審で勝利を収めてしまいました… 開幕戦での篠塚選手のあのポール際の打球、
この年からセ・リーグで採用された審判4人制がいきなり試される結果になりましたね。
打った瞬間、篠塚選手の打ち方から「ああ、ファウルだな」と思ったら、
意外に打球が切れなかったのがむしろ驚きでした。
斎藤投手は、あの本塁打で敗戦投手を免れた事で勢い付いたのかな?と思っています。 田淵幸一
1978年 阪神選手 最下位
1979年 西武選手 最下位
1990年 ダイエー監督 最下位
杉本正
1990年・1993年 ダイエー投手 最下位
2008年 ソフトバンク投手コーチ 最下位
2009年 横浜投手コーチ 最下位
2018年 楽天巡回投手コーチ 最下位 >>769
若い人には分からないだろうが
それぐらいプロ野球ってのは昔は人気があったんだよ
そこらへん歩いてる人だって野球選手の一人や
2人の名前は言えた 野村の「巨人が強い理由がよく分かった」ってコメントに
喝采を挙げたファンも大勢いたんだろうなぁ >>784
特にノムさんの場合は、開幕早々に「ジャンパイアの洗礼」を
思いっきり浴びてしまったからね >>783
広島の選手で顔が分かるのが新井くらい。
菊池も鈴木、丸、野村、薮田も顔はよく知らない。 「アグレッシブ」(前)
監督が代わったチームの初年度は好成績を出す事が、プロ野球の世界にもある。特に横浜大洋の場合は前半戦で顕著にその傾向が表れていた。
80年の土井淳は老舗球団の低迷をよそに6月までは2位で首位広島を追い掛け、82年の関根潤三の時も6月下旬に貯金7として首位だった広島に
2.5差と詰めるなど7月まで巨人、広島、中日と首位争いをした。90年代でも球団名が変わった93年の近藤昭仁の時には、球宴1週間前まで2位で
首位ヤクルトに2.5差と健闘していた。96年の大矢明彦に至っては、GWまでだが貯金2ケタで首位を走ったほどだ。中でも取り分け90年の須藤豊
の時は、前任者・古葉竹識とのギャップと対話重視が選手に強い新鮮味を与えた。
ベテランには「まだまだお前の力が必要だ」と言い、若手には巨人二軍監督時代に指導した同期の名を出して「お前が上」と言ってやる気を引き出した。
イースタン4連覇の経験則から熱血指導で練習量も多かった。就任時に掲げた「AFT野球」のAは“アグレッシブ”の意だったが、対選手だけでなく
采配にも表れていた。
開幕ローテーションに野村弘樹と盛田幸妃の21歳2人を組み込み、先発での働きに陰りが見えた遠藤一彦と前年抑えで10敗もした中山裕章を
入れ替える配置転換も実施した。打者では通算6安打の横谷彰将をトップバッターに起用、同じく14安打の清水義之を銚子利夫に代えて三塁の
レギュラーに抜擢した。
開幕戦に引き分けた後に接戦続きの3連勝スタート、巨人の対抗馬と言われた広島、中日を尻目に4月10勝6敗、5月も1分けを挟んで3連勝発進で
単独首位に立つなど巨人と首位争いを演じた。登用した野村、盛田、横谷、清水は奇しくも全員3年目、盛田こそ結果が出なかったが5月末までで
野村は5月の3連勝で4勝2敗、横谷と清水は3割前後の打率をキープして躍進に貢献した。前年5勝しかできなかった巨人戦に既に5勝(3敗)と
健闘して、5月の成績13勝9敗は月間首位だった。
5月7日に首位を譲ってからも、チームは30日に最大貯金9まで一時伸ばし快走する巨人に食らい付いた。打線では5月打率.309打点22の
ジェームス・パチョレックで走者を還す形が確立、下位打線にも絶好調のベテラン高木豊を置いてパチョレックが歩かされるのを防止した。高木のみ
ならず投手陣でもベテランが“須藤マジック”で息を吹き返し新浦壽夫が5勝1敗、斉藤明夫は2完投1完封で3勝、抑えの遠藤は防御率1点台で
9セーブを挙げた。若手でも開幕投手中山は精神的に強くなり2完封で3勝、中継ぎの岡本透は30日までのチーム39試合のうち19登板、
27回3分の2イニングでわずか1失点と、噛み合った新生大洋に必要なのは“アグレッシブ”や“マジック”だけでは補えないスタミナだけといった
ところだった。 (続) 「アグレッシブ」(後)
須藤大洋と巨人との自力の差は、6月以降の成績にしっかりと表れた。球宴前まで常に2位はキープしていたが、6月と7月は2ヶ月連続負け越しで
球宴後すぐの7月末には、遂に中日と入れ替わり3位に転落した。この2ヶ月では、勝ち頭だった新浦が1勝も出来ず3連敗したのが痛かったが、
開幕投手にも指名して右のエースと目した中山が先発では8月下旬まで7連敗したのは一番の誤算だった。安定していた右の松本豊、左の岡本透と
いった中継ぎ陣も打ち込まれる事が多くなってきていた。大洋は6月からの2ヶ月で、3連敗と4連敗を2度ずつ、5連敗1度で最大9あった貯金を使い
果たしてしまった。
借金生活に入り巨人と12.5ゲームの大差をつけられた大洋の8月以降は中日、広島との2位争いの戦いだった。5月以上にパチョレックが打線を
引っ張り、打率.446に24打点で2年ぶりの月間MVPを受賞した8月は、野村と遠藤が3勝ずつを挙げて月間勝ち越し、この間は2位から4位の
順位が目まぐるしく入れ替わった。8月は広島が15勝9敗と星を伸ばし、シーズン初めて2位に浮上した。この頃の広島は不振の大野豊を救援に
回していたが、大洋でも同じベテラン左腕の新浦を中継ぎに回して中継ぎ強化を図った。打線では2年目の宮里太が三番に座り、安定した打撃で
ジョーイ・マイヤーとパチョレックの両外国人へのつなぎ役になった。
9月はいきなり8連敗の中日が2位争いから脱落、巨人のリーグ優勝が早くも8日に決まり、激しい争いはといえば広島と大洋の2位争いだけだった。
一時大洋は広島に3.5差をつけられたが、二村忠美の連夜の決勝打もあって8日からの敵地3連戦に全勝、一度は残り16試合時点で2位を
奪い返す粘りも見せた。残り少ない最終コーナーの10月も4連勝して猛追、最終試合となる広島戦に勝てばタイとはいえ11年ぶり2位と7年ぶりの
5割確保という所まで来ていた。
左腕を苦手とする広島に村田辰美、岡本透、新浦の左投手による1失点リレーで最終戦を“取りに行った”須藤だったが、打線が0勝3敗と苦手の
佐々岡真司の前に3安打完封負けで2位と5割と逃した。ただ、須藤も「ホッとした」と言ったように7年ぶりのAクラスは無事に成ってアグレッシブな
シーズンは終わった。目立った補強の無い状態で健闘した大洋は、翌年は5位ながら90年と全く同じ64勝で、須藤は3年目の92年5月頭に成績
不振で辞任した。92年はわずか22試合の消化と早い段階での休養だったが、2年間の戦いを見るともう少し監督生活を続けて戦国時代だった
90年代前半のセ・リーグに旋風を起こして欲しかった。 (了) >>790
コラムさん乙
須藤と森脇って似た者同士やなw 久々にAに入り本を出したら翌年からまた暗黒に戻ったり ☆★☆【神よこの者たちはもはや人間ではない悪魔であるこのような悪魔どもを一匹残らず殺してくださいお願いします】★☆★
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※宇野壽倫は過去に生活保護を不正に受給していた犯罪者です/どんどん警察や役所に通報・密告してやってください
A色川高志(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103)
※色川高志は現在まさに、生活保護を不正に受給している犯罪者です/どんどん警察や役所に通報・密告してやってください
【通報先】
◎葛飾区福祉事務所(西生活課)
〒124−8555
東京都葛飾区立石5−13−1
рO3−3695−1111
B清水(東京都葛飾区青戸6−23−19)
※低学歴脱糞老女:清水婆婆 ☆☆低学歴脱糞老女・清水婆婆は高学歴家系を一方的に憎悪している☆☆
清水婆婆はコンプレックスの塊でとにかく底意地が悪い/醜悪な形相で嫌がらせを楽しんでいるまさに悪魔のような老婆である
C高添・沼田(東京都葛飾区青戸6−26−6)
※犯罪首謀者井口・千明の子分/いつも逆らえずに言いなりになっている金魚のフン/親子孫一族そろって低能
D高橋(東京都葛飾区青戸6−23−23)
E長木義明(東京都葛飾区青戸6−23−20)
F若林豆腐店店主(東京都葛飾区青戸2−9−14)
G肉の津南青戸店店主(東京都葛飾区青戸6−35ー2 田代の引退試合の満塁ホームランと、その日のダブルヘッダー第一試合でボロボロの盛田がバックの援護に恵まれてプロ入り初勝利した事しか覚えていない 与田と佐々岡の新人王争い。
リアルで見てない世代だと、先発・抑えやって規定投球回にも達して防御率も与田よりよかった佐々岡に軍配を上げる人が多いような。 >>796
一般の人でも選手の成績を容易に入手できる現在のような環境ならば、そうだったかもしれません。
与田投手の「勝因」は
・最速157km/hを記録するほどの速球のインパクト
(当時は野茂投手でも150km/h超の計時は珍しく、
小松、槇原投手の急速は低下、伊良部投手はまだ成長段階)
・新人の歴代最多セーブ数
・星野監督のプロモーション(談話等でのプッシュ)
こんな感じかなあ、と自分は思った次第です。
それと余談ですが、
翌年、森田幸一投手と岡林洋一投手が新人王争いをしている時期に
誰だったか忘れましたが、
上記「勝因」の3番目の理由を挙げて森田投手有利としていたのを当時聞いた記憶があります。 >リアルで見てない世代だと、先発・抑えやって規定投球回にも達して防御率も与田よりよかった佐々岡に軍配を上げる人が多いような
逆じゃね?w >>798
当時のプロ野球ニュースでも解説陣が佐々岡の新人王で纏まりそうになってしまい、中日OBの鈴木孝政が「与田があれだけ目立ったんだから、今年は
与田にしましょうよ(汗)」と焦りまくっていたっけ(´・ω・`) 何だかんだ言っても、タイトル(セーブ王)を獲得した
というのは大きいと思う この年、巨人が日本シリーズ4連敗を喫する兆候はどこにあったんだろうか?
やはり斎藤をシリーズ第1戦に持って来るべきだったのではないか? 96年の日本シリーズで巨人が負けたけどこの時ほどは負けたことが言われていなかったな >>801
斎藤もシーズン終盤はダメダメだったから、
敢えて言えば桑田だったらマシだったかも知れん
第3戦で打たれちゃいるけど、斎藤よりはいい内容だったと思う シーズン終盤の巨人戦のテレビ中継で
先発投手だった斎藤雅樹投手のフォームについて
解説の堀内恒夫氏が「(好調時に比べて)肘が下がっている」と指摘していましたね。 シーズン終盤でいえば西武の投手陣もかなり悪かった。
特に渡辺久信は9月初め頃までは奪三振以外のタイトルを総ナメする勢いだったのにほとんど勝てなくなった。 >>805の堀内氏の指摘は
「肘が下がっている」ではなくて「リリースの直前に肘が(手よりも)前に出てこない」だったかもしれません。
肘の位置についての指摘は間違いなくされていたのですが。 96年は1勝しているし90年ほど序盤でボコボコに打ち込まれてないからな 阪神も未だに05は言われるが14はほとんど言われない https://www.youtube.com/watch?v=nvg8TKebaDo
4:01〜数秒間のあいだに映ってる20歳位の女性2人組はジャイアンツファンっぽいけど
3連敗後の4戦でも敗戦が目前に迫った状況にも関わらず笑顔で応援してるね。
こういうのを見たら自分なら闘志が湧いてくるけど。
まあそれだけで勝てるほど甘い世界でもないとは思うけど。 90年シーズン中の最も調子の良い時のジャイアンツとライオンズがシリーズを戦ったとしても
4勝1敗でライオンズが勝ったと思う。
斎藤が本来のピッチングをしてもその試合は2対1とかでライオンズが勝つのではないかと思う。
ベストピッチをしたからと言って完封する訳でもなく結果完封であった試合をベストピッチ扱いする傾向にあるけど、
そうではないと思う。
そういう意味ではジャイアンツの当時の投手達はいつライオンズと試合してもベストプレーは出来ないと思うし、
当時のライオンズはジャイアンツの様なチームを相手にするのが得意である様な気がする。 ライオンズの選手が88年のシリーズ後にドラゴンズに対して
「何故あのチームにセントラルを制する事が出来たのか分からない」
とコメントした選手がいたけど(石毛だったかな??)
90年シリーズの後にそういった言葉は聞かれなかった。
それは西武の選手の成長かな?
88年ドラゴンズや90年ジャイアンツの様なチームを得意とする自分達と同じ様なチームがセリーグには無かっただけだと思う。
逆に92年のスワローズなんてライオンズからしたら苦手なチームだったのではなかろうか?
ライオンズの選手からしたら92年スワローズはセントラルを何故独走で制する事が出来なかったのか?と不思議に感じたと思う。 連投になってしまいすみませんが
92年の東京ヤクルトはもしかすると発展途上のチームであって
前半と後半の強さが全く違い一年を通して後半の状態を維持すれば独走優勝してたのかな??
ちなみに92年のジャイアンツに10連勝→4連勝→7連勝で21勝2敗の成績を挙げ
その間の1敗も偶然負けただけで内容的には勝ちゲームだったという非常に強い時期があった。
あの時期に巨人と西武がシリーズを戦えば巨人は4連敗を回避し1勝4敗位にはなったかもしれない。
巨人というのはそれほどに西武が手玉に取りやすいタイムのチームだった。
同じような例で92年好調であったタイガースはジャイアンツには大負けした。
タイガース有利な展開でもワンチャンスでひっくり返され最後はジャイアンツに軍配が上がるといった感じに
何故かジャイアンツに有利有利な展開になる事が多かった。
これは西武が巨人を得意としたように巨人が阪神を得意としていたからと思われる。
この様に相性というものは確実に存在しており、どんなに巨人三本柱が絶好調と時に西武と当たっても
90年については巨人は良くても西武に1勝しか出来なかったと思われる。
クロウも日本シリーズ前に「うちは1勝出来ればいい方だろうな」とコメントしている。 藤田2巨人はOP戦含めて、西武には全敗。全部で何連敗だったか?
それは長嶋巨人になって途切れた。
不思議と長嶋には西武コンプレックスがなかった。
それは西武黄金時代と長嶋浪人時代がほぼ被るからか? 単純に94年の西武はデストラーデはもういないし石毛は衰えるしで
長く黄金時代支えてたメンバーに陰りが見えていただけだと思う
まあ西武も西武で試合前に森退任報道をリークして西武ナインを動揺させたけど >>814
89年 二連敗
90年 六連敗
91年 三連敗
92年 三連敗
88年4月のビッグエッグオープニングトーナメント戦で勝利してから
93年3月のオープン戦で勝利するまで14連敗 結局、第二次藤田政権時代は西武に一つも勝てなかったのね >>810
その少女らは16〜7あたりに見える。
現在45位。
幸せに暮らしてるかな?? 長嶋は阪急コンプレックスだからな
オリックスにあっさり負けた >>810
右の娘なんて中学生じゃないのか?
そんな子も3〜4年後は黄色い髪にして真っ黒な顔になってたんでしょうねw ヤクルトで監督野村、コーチ高畠コンビが13年ぶりに復活も1年でコンビ解消 >>810
その子供っぽい高校生の娘と同様90年の巨人軍は子供っぽかった。
一方4年後の巨人軍の選手達は4歳大人っぽくなっていた。
あの子供っぽかった桑田や緒方、斎藤が普通の大人っぽくなってた。単に外見の話だけど。
その高校生達は成人してたであろう94年のシリーズは観戦したんだろうか?
もし観戦したのであれば前回と違いさぞや良い想いを出来たのであろう。 >>804
実際1994年日本シリーズは1戦目の先発は
桑田だったしこの時の長嶋采配は
結果的には成功だった。 94の西武なんて
秋山、デストラーデ、石毛もいないし
ナベQも郭泰源も劣化してるし若手も糞だらけで
かなり弱体化してたから勝っても自慢にならんわ しかも、試合前に讀賣新聞のニュースで、「森監督退任」なんてニュースまで流れたからねw あのニュースも西武側がリークしない限り絶対漏れない話だからなぁ
リーグ優勝した際にもパーティ一つ開かれなかったというから
根本が退団して以降の西武フロントの動きは陰湿 >>810
1戦後の夜中にドーム外で2戦に備えて並んでる女子中学生2人が「明日は斎藤だから絶対勝つ」
みたいに言いながら、緒方の応援歌をフリ付で歌いながらノリノリって場面を放送してた番組があったけど、
その時の中学生に非常に似てる感じする。
お友達同士ですか?何歳ですか??どこから来たんですか???とかレポーターから色々質問されてた。
その番組知ってる人いる????何の番組だったかな。1戦とその後を伝える日曜朝とかの番組だったかな? >>826
堤派
清原派
石毛派
工藤派
と分裂しちゃった…
もっとも現状では工藤以外は失脚して
存在感なくなったけど…(特に堤、清原) 藤田元監督は、
藤田前監督巨人軍を語るという著書の中で、
90年のジャイアンツはそれほどでもなかったのだが他チームの調子が悪すぎて簡単に勝ち進めた。
また92年の自軍は充実しており優勝候補筆頭と自負しており他軍もジャイアンツをそう見ていたと思うが、
92年は皆強かった。下位の中日太洋に至るまで皆が強かったと述べている。
藤田氏は90年よりも92年の方を上に見てた様だ。しかし他球団が強くて勝てなかったと。
証拠は同氏の著書の中にある。しかしそれが事実かは分からない。藤田氏はそう感じたというだけの話である。 90年巨人が強すぎたというのは間違い無い。
しかしその理由は他が弱すぎたからだ。
藤田元監督はそう思ってるようだ。
さすがに弱すぎるとストレートに表現していないが、
どのチームもそれほどの調子ではなかったと自身の著書で語っている。 石毛って西武黄金期のリーダーやってたとは思えないくらい精神論者だよなぁ
野村ID野球も「野球は頭を使ってするものではない」と全否定 藤田氏は92年ジャイアンツが自身最終年にして最も強い状態としたうえで、
原辰徳についても92年は入団以来最も良い年であったと振り返っていた。
チームと原辰徳。この二つが藤田氏にとって最高であったのが92年であったようだ。
それらはあくまで藤田氏の見解であり異論も沢山あるとは思いますが。 92年原の3本の本塁打(大野からの逆転弾、与田からの勝ち越し弾、伊東からの同点弾)は4番としての威厳存在感を、
これでもかというほど示しており、そういった原の『真の4番としての存在感&力強さ』を発揮した本塁打を藤田氏は92年に初めて見たという。
89年の日本シリーズでの満塁弾などまるで眼中に無いかのような最大級の評価を藤田氏は92年原に対してしている。 第二次藤田巨人はドラフトでとった即戦力が壊滅的だったけど、他チームは88〜91年のドラフトで戦力強化していったからな。 1990年の巨人は、公式戦では相手チームが攻守でミスをして勝手に負けていくという印象がありました。
シーズンが進むにつれて、その傾向が強くなったような気が。 清原より原のほうが成績良かったのに原のほうがマスコミに叩かれてたな >>810
中学生ぢゃないか??
もしくは無職の16歳 >>839
清原は華試合や大舞台には滅法強かったけど原は違うから。原はTV中継が始まる前にHRを打っていた印象。 時代背景が全く違うのに、そこだけ切り取って同列に語られてもねえ… のぼせもん気質の博多っ子の与太話にマジレスしてもね(w
「どーせ弱くなったら嘗てのライオンズのように見向きもしなくなるんでしょ?w」と言い返してやれよ。
強きを助け弱きを挫く九州人気質(だから893が増長する)を示す格好の材料でもあるし。 阪神はな
ひょっとしたら強くなる土台ができて…
仲田幸司・湯舟敏朗・中込・野田・葛西・弓長・田村 >>848
湯舟・弓長・田村の3人は、1990年の時点では阪神に在籍していない
(湯舟と田村は1991年〜、弓長は1992年〜) 8月のナゴヤの中日戦で原が大飛球打って「ホームラン」って実況が言ったのにファール。
今ならリクエスト。桑田の連続関東がかかってたのだが。 88年吉田
89年大森
90年元木
91年谷口
ひどすぎ さらにひどいのは2位指名以下も壊滅的なこと その辺が育たなかったのが、
FA設立にも繋がってくるのだろうなぁ
元木の使われ方が、斜め上だったが この年の今日、讀賣が史上最速(だったかな?)でリーグ優勝を決める
しかし、日本シリーズでは西武相手にひとつも勝てずに終わるw >>855
最速。9月1週目に決定、
確か吉村のサヨナラヒットだったかね? 当時埼玉に住んでいたが、
巨人ファンのほうが多くて西武が勝ってもまだ醒めていたわ >>856
日テレ山下末則「ホーーーーーーーーーーーーーーームラーーーーーン!!!吉村!!」 日本シリーズの最初の3試合で讀賣が3敗
これ自体は前年も同じだったんだけど、前年はそこから日本一
一方この年は呆気なく4連敗
さて今年は… >>853
FA創設を主導したのは巨人じゃなくて選手会だけどな 巨人がこの年以来の日シリ
4連敗だが翌年はヤクルトとの
Aクラス争いが精一杯だったんだっけ? >>865
そして、それにも敗れてBクラスへ転落だった
この年に前倒しで勝ち運を使ってしまったんだろうねw 選手会発足時からFA制度の導入を叫び続けていたが当初は梨の礫だった
巨人の野手陣が過渡期になり打線に迫力がなくなると、
発言権を持ち始めていたナベツネが読売新聞をフル活用して
「ドラフトにも職業選択(球団を選ぶ)の自由を!」と
大々的に打ち出し、FA制度導入への流れへ傾いていった FAはナベツネのバックアップがなけりゃ導入はもっと遅れてたよ
選手会が発足して最初の10年間、全くと言っていいほど話に進展が無かった
その間ずっと主張し続けてたから選手会の頑張りのおかげって言い方も正しいけど
選手に権利を与える」のではなく協約に則って他所の選手を獲得できる手段として
ナベツネにはさぞ魅力的に映ったろう 当時はまさか巨人から渡米する選手が出るなんて思いもよらなかったからなぁ。 職業選択の自由を盾に導入しようとしてたのは逆指名の方な
FAと併せて空白の事件よろしくセリーグ脱退新リーグ設立を匂わせて
他球団が及び腰になったところを強行して導入させた >>131
その川崎を開幕投手にして、川上憲伸の登板をズラした落合が2004年にリーグ優勝する。 第1戦で槙原が3ボールからど真ん中直球を投げて大ホームラン打たれた一方で、原は第3戦の初回、一死二・三塁で、3ボール後の4球目の棒玉を平然と見逃した。
その夜の『プロ野球ニュース』の解説で、権藤博は呆れながら
「これど真ん中ですよね、デストラーデは打ってるわけですし」
「(第5球で見え見えのスライダーを空振り)まさか続けて同じタマが来るとでも思ってたんですかね」
「(最後はハーフスイングにボールが当たってピッチャーゴロ)まあ最後はこうなりますよね」
と言っていた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています