1990年のプロ野球を語ろう Part.2
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>>930
「監督がへぼだから負けました」だったよね?
他にも原のフライ落球について「こっちは平凡なフライを落とすなんて...」と。
「西武の強さは想像をはるかに超えるものだった」と言っておけば、問題なかったんだろうか。 「ヘボだから負けた」は自らの負けを認めた様な気もするが、
相手を讃える表現ではないわね
相手を讃えると、自分たちは永久に勝てない印象を植え付けるから、
意図的に言わなかった・・・なんてこともないか・・・
祝勝会の潮崎とかのはしゃぎっぷり見れば、
讃える気にもなれんかも知れんがw 何で相手を讃えなきゃいけないんだよ
少年ジャンプかよ >>953
「西武は完成された素晴らしいチーム」
「悔しいが完全に力負け」
「脱帽に尽きる」
これくらい無難なコメントをしていればね。 「私だって寝ないで采配したのにひどい、日本はイジメ国家になったもんだ、イヤなら巨人を観るなよ!たかがファンが」
これまで言ったらどうなるか 藤田は慕う選手も多いし2度も巨人を立て直した功労者であることは間違いないが
長嶋一次政権時は川上と一緒に長嶋采配をせせら笑っていた立場でもあった オリックス神戸移転決定。
結局根付けず大阪にまた移転。根なし草。 >>961
今じゃ、合宿所も二軍の本拠地も全て大阪府にあるからね そして、日本シリーズでパリーグ優勝チームにフルボッコされるわけですねw 次スレ立てる時はPart.じゃなくてPartにしてください(.は不要) ダイエーがゴセージを獲ったのは今でいうキンブレルが来た様なモンだな
三宅一生デザインのユニフォーム、宇崎竜童作曲の応援歌、立木義浩撮影のファンブック、
極めつけによこトピア後の百道浜に福岡ドーム建設と話題作りの為のお金の使い方がバブルだったな
DeNAの南場はこれを真似して布袋寅泰に応援歌を作曲依頼したりしている ソフバンはシリーズで3勝したら次の試合の監督を田淵にするルール作れよ ついでに大石バッテリーコーチと杉本投手コーチを呼ばないと やはり田淵時代は今となっては黒歴史なんだろうか
特に一年目 本人もいい思い出は皆無だろうし
球団としても何の意図も感じられない道楽人事でしかなかったからなあ >>968-971
田淵にとっては忘れてしまいたい時期だろうね 「新人の当たり年」
大豊作と言われるドラフトは、やはり68年と89年になるだろう。後のスター選手が勢揃いしただけでなく、入団1年目から即戦力として働いた選手が
多かった事も共通している。ルーキーイヤーに主戦選手として活躍したのも68年組が9人、89年組が10人を数えた。
違った点といえば、68年組では新人王を獲った22本塁打の阪神・田淵幸一と21本塁打のロッテ・有藤通世を筆頭に12本塁打、40打点の
広島・山本浩二、125試合出場の中日・島谷金二、大下剛史を二塁に追いやり122試合で遊撃を守った東映・大橋穣といった野手陣が多く、投手では
18勝の東映・金田留広、規定投球回未満ながら9勝を挙げたアトムズ・藤原真、チーム最多登板で8勝の中日・星野仙一くらいだった。それに対し
89年組ではタイトル総なめの近鉄・野茂英雄と中日・与田剛の新人王コンビに、先発リリーフ兼用で13勝17Sの広島・佐々岡真司、リリーフのみで
100イニングを投げ15SPの西武・潮崎哲也、防御率リーグ4位のロッテ・小宮山悟と投手が多く、野手はゴールデングラブ受賞のヤクルト・古田敦也
と近鉄・石井浩郎のみだった所ではなかったか。
プリンスホテルから25歳でのドラフト3位入団だった石井の初出場は5月、プロ初安打は6月と出遅れたが7月4日にプロ初アーチを放つと7月9本、
8月8本の一発を打って強力な近鉄打線の一員となった。三塁手と一塁手をこなしながら、22本塁打を放ち期待に応えた。
投手での即戦力といえば日本ハムの左腕、酒井光次郎は4月から働いてパ・リーグでは他に野茂だけという新人2ケタ勝利を挙げた。プロ初先発で
いきなり完投勝利、前半戦は全球団から1勝ずつの5勝、後半戦では8月に4完投3完封で4連勝して防御率0.25の成績で文句無しの月間MVPに
輝いた。近大時代80回3分の1イニング連続無失点の記録は伊達ではなく、シーズン3完封は同僚の松浦宏明、オリックス・山沖之彦と並びリーグ
最多タイだった。
日本ハムではドラフト6位入団の有倉雅史も印象的な働きぶりだった。6月19日、3点ビハインドの6回途中から最後まで無失点で投げ切ると9回味方
打線の逆転サヨナラで初星、4日後も6回無失点の好救援後にまたも逆転サヨナラで2勝目といった内容で、7月は先発での勝利、シーズン最終戦
では初完投で4勝無敗の成績で終え将来を嘱望されている投手の一人に加えられていた。
セ・リーグでも前述の与田、佐々岡以外に後の主力となった選手が多くいたが、ルーキーイヤーでの活躍と言えばヤクルト・西村龍次が酒井同様年間
先発ローテーションを守り10の勝ち星を得た。とはいっても当初は抑え役で1勝1Sの西村、開幕10試合もしないうちに先発転向、先発初勝利は
5被弾しての初完投だったが、1−0の完封も2度するなどコンスタントに勝ち星を稼いだ。球団では高野光以来の新人2ケタ勝利だったが、尚且つ
勝ち越しで終えたのは61年の森滝義巳と西村の2人だけだった。
90年シーズンは新人王だけならず特別表彰を受けた選手も3人いたが、それでも表彰には漏れて“記憶より記録”に残せた選手が多かった文字通り、
新人の当たり年となった。 (了) 山内孝と山内和が犬猿の仲とは知らずにキャンプ同室にしたらしいね この年の巨人は、今年のJ1でいえば川崎フロンターレみたいなものだったのか? >>977
向かうところ敵なしで完全独走してるし、リーグの歴史に名を刻むくらいの勝率(勝ち点ペース)を残そうとしてるからな >>977
ちょっと待て
それだと、フロンターレにも落とし穴が待っているかのようだなw この年の今日、ドーム球場としては初の試合中止
という出来事があった
(中日が台風のため東京へ移動できず) >>981
19:00から巨人の前半戦振り返り
19:30からのびっくり人間みたいな傘番組が面白かった記憶がある この年の今日、讀賣が独走状態でリーグ優勝を果たす
しかし、日本シリーズで西武に木っ端微塵にされるw そして、勝ち運を前倒しで使ったせいなのか、翌年はBクラスに沈むw >>987
謚墓焔髯」蟠ゥ螢翫→謐墓焔縺悟燕蟷エ繝悶Ξ繧、繧ッ縺励◆譚醍伐縺碁ァ�岼縺ァ蜷牙次縺ィ菴オ逕ィ縺ィ縺九 >>987
投手陣崩壊と捕手が前年ブレイクした村田が駄目で吉原と併用とか。
何故か986が文字化けした。 江川が西武のクリーンアップのホームラン数見て かなうわけがないみたいなこと何度も繰り返してた 外野のレベルが違いすぎ
あきゃま、平野に対し、原クロ吉村とか河原の早朝野球かよ そんな現スレも、もうすぐ1000になろうとしている この7年の間に当時の球界のスタッフにもいろいろ変化があったなあ
清原とか野村とか星野とか金田とか 清原はこの歳首位打者を取れないかったのが後々まで響いた このスレッドは1000を超えました。
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