1990年のプロ野球を語ろう Part.2
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
打つ方では3-0後の4球目は必ず見逃し、投げる方では0-2後の3球目を必ず外す、という野球は、当時の巨人の特徴だったように思う。
原なんかはその典型だ 古田敦也はプロ1軍最初の試合も1軍最後の試合も途中出場なんだよな ナゴヤで延長で原が「ホームラン」とラジオで実況されたのにファール。
桑田の連続完投もかかってたのパーになった。 >>880
それに背いて裏目に出たら罰金とかが科せられていただろうからね 高三陸上競技部でした。西武王国も野茂も故金やんもその他もでした。 この年発売された桃太郎伝説Uに桑田もどきの鬼が出てきたり
巨人ファンだと言うと通れない階段があった >>885
さくまあきらは大洋のファンだったよな確か >>762
ただの左キラーの外野の西岡で巨人不動のクローザーだった鹿取が取れるとは中継ぎ投手重視野球の今じゃ考えられないトレードだな
鹿取に限らず中日の控え捕手の中尾と交換で西本を出し、鹿取の前の守護神だった角をタダでハムに出し、
あの頃の巨人はよほど投手力に自信があったからなのか気前のいいベテラン投手のファイヤーセールを繰り返していたなw そらあれだけ完投できる投手そろえてたら
リリーフなんていらんわ しかし当時、巨人同様に投手王国と言われた広島とか西武でも、
力のある先発を終盤まで投げさせて、潤沢なリリーフ陣を投入する
ってパターンが結局は投手王国として長持ちした印象だなぁ >>889
緒方が二塁が主となり、外野が原・クロマティ・吉村と何時守備破綻してもおかしく
ない(現に日本シリーズで露呈したが)メンツの中では、貴重な外野守備要員として
の役割も担ったんよ。
元々外野が鉄壁な西武では左の代打の一人(他には広橋とか苫篠とか)に過ぎなか
ったけど。
そんなザル外野について、当時巨人ファンから緒方とともに熊工コンビとして期待され
ていた井上真二がモノにならなかったのがなあ・・・との嘆きも聞いたり。 >>892
消化試合っていうのはあれでなかなか哀愁漂うというか味わい深いものがあるんだが、
あんな20試合くらいの消化試合は飽き飽きした 今なら優勝やCS関係なくなったチームだと自軍他軍問わず引退試合をぶっこみまくるが当時はまだ春にやる流れが残っていたからそれもなかった 優勝決定したら中継を打ち切るのに、この年はそれすらやらなかった。 優勝決定が早すぎて、
中継打ち切りしなかったってパターンなのよね
今とは隔世の感 日本シリーズで巨人が惨敗した伏線は、何だったんだろうか。
槇原を1戦目に持ってくる判断は疑問がある。
9月8日に優勝決定後、投手陣は調子を落としていたりとかしたのかな。 東海テレビ21時前のドラゴンズtodayは早々とあすの天気に変わっていたが。 >>899
江本の暴露本によると優勝決めた巨人の選手は祝勝会で連日連夜飲み歩いてまともな練習してなかったらしいんだが本当なんだか。 伏線というか、そもそも実力差が歴然なのに、
西武より2週間早く優勝決めて、
(これで西武より強いと錯覚した気さえする)
浮かれて飲み歩いていた上に、
投手陣の調子は落ちていたし(連動していたのかも知れんが)
要は舐めてたとしか言いようがない気がする。
05阪神と似たようなパターンちゃう つまり、讀賣が日本シリーズで惨敗したのは必然だった
ということね 当時一つでも負けたら前年の例があったから
一気に流れが変わることを恐れていたからな
西武応援してた俺も気は抜けなかったよ >>898
さすがに中継延長はなかったが、巨人優勝のちょうど翌週に、
フジが茨城県ひたちなか開催のヤクルト×大洋のデーゲーム中継していた。
本来ならカード的に中継中止対象にしたかったのだろうが、
地方開催、それも球場こけら落としということで、地元民に配慮しての中継だったのだろう。 >>900
Bになるとそこで打ち切るのが昔のあの時間
ニコニコには85年に三浦和義が逮捕された日のニュースとあがっていたが9月にはもう優勝無理だから既にオフ体制 >>889
鹿取、角、西本も移籍先で最後の花を咲かしたからなあ。少なくとも飼い殺しよりは良かったんじゃないか。角と西本に至っては藤田元司に感謝してるくらいだし。 確か優勝決定時点では、斎藤雅樹の防御率が前年に近いペースだったのが
結局最終的には2点を超えてしまったんだっけか? >>908
24試合目まで
18勝4敗 防御率1.67205.0回、38自責点)
最後3試合(広島、中日、中日)
2勝1敗 防御率7.58(19.0回、16自責点) >>889
鹿取があんだけ西武で長くクローザーやるなんて、まったく計算外だった。
王監督時代の酷使でくたびれて、終わったと思ってた。
もし鹿取が外人だったら切られてそこで野球生命終わってても不思議じゃない。
ただ堀内は「今年は肩使っていないから、来年は最高じゃないか」なんて
言ってた。 日産ル・マンでポールポジション&決勝5位
日産R90CP耐久チャンピオン
スカイラインGT-Rツーリングカーチャンピオン 凡打する打席も全打席テレビに映る原
プロ野球ニュースで売った場面だけダイジェストで出る清原 >>912
これ
清原が巨人に来て「実力通りの成績」を残したのに叩かれた理由 そういえば大洋はこの年オープン戦横浜スタジアムでやれるかどうか怪しかったんだよね
2月後半に発生した大島近海の大地震で横浜でもちょっと被害出てたし >>898
それが問題になって実は翌年から打ち切りオプションを付けてる
だけど91、92、93と最後までもつれて発動しなかった
94ももう巨人が優勝してるからとフジは最終カードあたりを打ち切る計画でいて中日阪神広島は現地ローカルの録画ですまそうとしたが、あのように縺れて最後の最後の日まで中継した。
東海は最後の中日巨人を深夜録画で若手の訓練用にしようとして主力をゴルフ(中日クラウンズ?)にまわしていたが話が変わり吉村をゴルフからはずして、二戦級解説にするとこをたかまさとtssから達川を借りて全国生放送に そういえば10.8の試合、
山梨ではテレビ中継がなく、
視聴率48%だかに貢献できんかった
昭和ばりにラジオにかじりついて聞いてたなぁ >>899
逆に2002で西武が4連敗したときはどう言われていたの?
>>907
角はヤクルト、西本はオリックスでも多少なりとも活躍していたな
>>916
これパの変則プレーオフなみに皮肉すぎるよな >>918
一行目
和田のタイムリー性の当たりを仁志が好捕で、
無得点に終わったため、流れがどうのこうの
ってのは割と聞く >>899
斎藤が>>908-909のような状態だったから、初戦の登板は避けよう
ということになったんじゃないの? かといって槙原も病み上がりだったから、
あの時点なら桑田が一番調子良かった気がするけどな
とはいえそれでも勝てたかも分からんし、
せいぜい第6戦で終わってたろうw
本来伏兵の香田木田を投げさせてたら、一矢くらいは報いたかな? まあしかし香田木田宮本あたりを第1戦先発という選択肢はないしな 96年もシリーズ負けたけどこの時ほど言われてないよな 世論がオリックスに味方してたから
前年のヤクルトは勝った為にボロクソ叩かれた 長い間プロ野球見てきてるけど
日本シリーズで虚カスを応援したのはこの年だけ
それだけ西武の強さが憎たらしかったが
この年の強さは半端なかったな この年の貧弱な巨人じゃ今のソフトバンクにはやすやすとレイプされて終わりだな 去年でさえ、讀賣はソフトバンクにフルボッコだったからねw オリックスにボコられた長嶋にしろ昨年の原にしろ、
負けても相手を過大に褒め讃え、自らも力不足だとコメントしたが、
この年の藤田は捨て台詞を吐いただけで、西武に対して祝福の弁どころか、自らの負けを素直に認めなかった。
翌年からナインとの間にギクシャクした空気が流れたのも当然。 日本はいじめ国家になったもだけど気持ちはわかるが…ってやつだな
選挙でも落選してふてくされたり有権者叩いたりしたやつはもう次が無いらしいな 日本シリーズ前の下馬評はどうだったんだろうね。
「あれほど盤石投手陣で独走優勝の巨人に、負ける要素はない」
「独走で連覇の巨人>>>昨年3位の西武」
が大方だったんだろうか。 >>930
長嶋はオリックス褒めたたえてたか?
なんか力を発揮する前に負けてたみたいなことを言ってたぞ >>932
いうほど西武圧倒的有利の下馬評ではなかった
西武陣営も投打の中心の清原・渡辺久が消化試合で絶不調だった
巨人も終盤に投手陣の調子が悪かったけど西武も同じように投手陣の調子は落ち目
消化試合で好投した鈴木哲を秘密兵器として先発させようかという話もあったほど >>933
イチローを中心に素晴らしいチームに成長してる
云々のコメントを残したが
あの33-4のA岡田もロッテに祝福コメントしてるほど
藤田も西武は完成されたチーム、うちも見習いたい的なコメントが欲しがった >>932
直前の予想番組でMr.マリックが4勝3敗巨人って
予言したのを信じた俺
ファンの気持ちを踏みにじりやがってバーロウ(´・ω・`) 礼儀がなってないと、翌週テレ東のスポーツTODAY月曜スポーツ討論会で
青田と志生野が藤田ヘボ発言を批判
ダンカンも敵将として尊敬してたが正直見損なったと怒ってたりもした 藤田さんも青田だのダンカンだのに言われたくないだろうよ
前から思っていたが殿堂板にいるアンチって無駄に年を重ねている分たちわるいな
江夏とか藤田がそうだけど野球の実績じゃケチつけられないからって
何十年も前のことで毎日毎日くだらないいちゃもんつけてて怖い >>932
当時大学生だったけど、
仲間内の巨人ファンの嫌な奴も「西武に勝つ要素はない!(キリッ)」とイキってたよw
独走でリーグ優勝なら日本シリーズも圧勝なら苦労はないわな。 >>939
藤田アンチの長嶋シンパは、気持ち悪い奴らが多いからなぁ >>939
野村のアンチなんて
現役時代の実績は審判や記録員に金を渡して作り上げてもらった捏造記録
とか堂々と言ってのけるからな
人格的にはそら褒められた人物じゃないが >>941
教祖(?)が性悪だと、信者どもまでもが右へ倣えとばかりに
性悪になってしまうのかしらねw >>940
江川と掛布は西武日本一論を曲げなかった
山下大輔はどちらが勝っても4勝0敗と大胆予想
結果は当たった >>939
>江夏とか藤田がそうだけど野球の実績じゃケチつけられないからって
江夏は覚醒剤、藤田平は監督解任に反発して籠城
現役時代の実績に泥を塗る行為で失望したな >>940
独走といってもレベルの低いセ・リーグで対抗馬の中日、広島がコケてくれた中での独走だからな
独走したことで自分たちは強いと勘違いしてしまった それはロッテにスイープされた05年の岡田阪神にも言えるな >>939
>>945
藤田の実績というけれど、1981首位打者獲得も相手の篠塚を敬遠しまくったり、
結膜炎と理由を付けて欠場したりと、決して褒められたものではない しかし生え抜き唯一の2000本安打という素晴らしい実績を残しているがな >>950
それには異論はないが、監督解任通告での「そんな話(クビ)は聞いていない」
ありゃないよな・・・ >>930
「監督がへぼだから負けました」だったよね?
他にも原のフライ落球について「こっちは平凡なフライを落とすなんて...」と。
「西武の強さは想像をはるかに超えるものだった」と言っておけば、問題なかったんだろうか。 「ヘボだから負けた」は自らの負けを認めた様な気もするが、
相手を讃える表現ではないわね
相手を讃えると、自分たちは永久に勝てない印象を植え付けるから、
意図的に言わなかった・・・なんてこともないか・・・
祝勝会の潮崎とかのはしゃぎっぷり見れば、
讃える気にもなれんかも知れんがw 何で相手を讃えなきゃいけないんだよ
少年ジャンプかよ >>953
「西武は完成された素晴らしいチーム」
「悔しいが完全に力負け」
「脱帽に尽きる」
これくらい無難なコメントをしていればね。 「私だって寝ないで采配したのにひどい、日本はイジメ国家になったもんだ、イヤなら巨人を観るなよ!たかがファンが」
これまで言ったらどうなるか 藤田は慕う選手も多いし2度も巨人を立て直した功労者であることは間違いないが
長嶋一次政権時は川上と一緒に長嶋采配をせせら笑っていた立場でもあった オリックス神戸移転決定。
結局根付けず大阪にまた移転。根なし草。 >>961
今じゃ、合宿所も二軍の本拠地も全て大阪府にあるからね そして、日本シリーズでパリーグ優勝チームにフルボッコされるわけですねw 次スレ立てる時はPart.じゃなくてPartにしてください(.は不要) ダイエーがゴセージを獲ったのは今でいうキンブレルが来た様なモンだな
三宅一生デザインのユニフォーム、宇崎竜童作曲の応援歌、立木義浩撮影のファンブック、
極めつけによこトピア後の百道浜に福岡ドーム建設と話題作りの為のお金の使い方がバブルだったな
DeNAの南場はこれを真似して布袋寅泰に応援歌を作曲依頼したりしている ソフバンはシリーズで3勝したら次の試合の監督を田淵にするルール作れよ ついでに大石バッテリーコーチと杉本投手コーチを呼ばないと やはり田淵時代は今となっては黒歴史なんだろうか
特に一年目 本人もいい思い出は皆無だろうし
球団としても何の意図も感じられない道楽人事でしかなかったからなあ >>968-971
田淵にとっては忘れてしまいたい時期だろうね 「新人の当たり年」
大豊作と言われるドラフトは、やはり68年と89年になるだろう。後のスター選手が勢揃いしただけでなく、入団1年目から即戦力として働いた選手が
多かった事も共通している。ルーキーイヤーに主戦選手として活躍したのも68年組が9人、89年組が10人を数えた。
違った点といえば、68年組では新人王を獲った22本塁打の阪神・田淵幸一と21本塁打のロッテ・有藤通世を筆頭に12本塁打、40打点の
広島・山本浩二、125試合出場の中日・島谷金二、大下剛史を二塁に追いやり122試合で遊撃を守った東映・大橋穣といった野手陣が多く、投手では
18勝の東映・金田留広、規定投球回未満ながら9勝を挙げたアトムズ・藤原真、チーム最多登板で8勝の中日・星野仙一くらいだった。それに対し
89年組ではタイトル総なめの近鉄・野茂英雄と中日・与田剛の新人王コンビに、先発リリーフ兼用で13勝17Sの広島・佐々岡真司、リリーフのみで
100イニングを投げ15SPの西武・潮崎哲也、防御率リーグ4位のロッテ・小宮山悟と投手が多く、野手はゴールデングラブ受賞のヤクルト・古田敦也
と近鉄・石井浩郎のみだった所ではなかったか。
プリンスホテルから25歳でのドラフト3位入団だった石井の初出場は5月、プロ初安打は6月と出遅れたが7月4日にプロ初アーチを放つと7月9本、
8月8本の一発を打って強力な近鉄打線の一員となった。三塁手と一塁手をこなしながら、22本塁打を放ち期待に応えた。
投手での即戦力といえば日本ハムの左腕、酒井光次郎は4月から働いてパ・リーグでは他に野茂だけという新人2ケタ勝利を挙げた。プロ初先発で
いきなり完投勝利、前半戦は全球団から1勝ずつの5勝、後半戦では8月に4完投3完封で4連勝して防御率0.25の成績で文句無しの月間MVPに
輝いた。近大時代80回3分の1イニング連続無失点の記録は伊達ではなく、シーズン3完封は同僚の松浦宏明、オリックス・山沖之彦と並びリーグ
最多タイだった。
日本ハムではドラフト6位入団の有倉雅史も印象的な働きぶりだった。6月19日、3点ビハインドの6回途中から最後まで無失点で投げ切ると9回味方
打線の逆転サヨナラで初星、4日後も6回無失点の好救援後にまたも逆転サヨナラで2勝目といった内容で、7月は先発での勝利、シーズン最終戦
では初完投で4勝無敗の成績で終え将来を嘱望されている投手の一人に加えられていた。
セ・リーグでも前述の与田、佐々岡以外に後の主力となった選手が多くいたが、ルーキーイヤーでの活躍と言えばヤクルト・西村龍次が酒井同様年間
先発ローテーションを守り10の勝ち星を得た。とはいっても当初は抑え役で1勝1Sの西村、開幕10試合もしないうちに先発転向、先発初勝利は
5被弾しての初完投だったが、1−0の完封も2度するなどコンスタントに勝ち星を稼いだ。球団では高野光以来の新人2ケタ勝利だったが、尚且つ
勝ち越しで終えたのは61年の森滝義巳と西村の2人だけだった。
90年シーズンは新人王だけならず特別表彰を受けた選手も3人いたが、それでも表彰には漏れて“記憶より記録”に残せた選手が多かった文字通り、
新人の当たり年となった。 (了) 山内孝と山内和が犬猿の仲とは知らずにキャンプ同室にしたらしいね この年の巨人は、今年のJ1でいえば川崎フロンターレみたいなものだったのか? >>977
向かうところ敵なしで完全独走してるし、リーグの歴史に名を刻むくらいの勝率(勝ち点ペース)を残そうとしてるからな レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。