1990年のプロ野球を語ろう Part.2
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当時イカ天観ていなけりゃ、そんな程度の印象のバンドだろうなあ>ジッタリンジン ベストテンとかトップテンが終わっちゃったから、
ミリオンクラスのヒット曲じゃないと、
どうも流行ってる感がなかったね。
プリプリくらいだと、結構流行ってた印象 >>699
この年の春にトップテンが終わり、さらに秋には夜のヒットスタジオも
終わってしまったからね。
(ベストテンの終了は前の年の秋) この年の今日、巨人がリーグ優勝
しかし、日本シリーズでは西武に4連敗w 藤田はそもそも桑田を投げさせ過ぎ
この年の謹慎はいい休養になったんじゃないか
謹慎なければずっと200イニング超えだっただろう ジッタリンジンといえば沖縄民謡調の「にちようび」が好き。 >>703
謹慎期間が短すぎると思った輩が多かったのでは?
当時は巨人の選手には甘く、他球団の選手には厳しかった印象。
今なら謹慎1年、罰金2億が妥当だろうな。 野球賭博に関わりが疑われていた人との交流だからな。
藤田監督自身が自身とは直接の関係が無いにも関わらず、実兄が暴力団関係者と
付き合っていた件で長らく不遇を囲っていた(一時期、巨人を離れ大洋の投手コーチ
を務めた事も)件まで引き合いに出して、「謹慎1年」を予定していた務台会長を翻意
させたって感じも。
藤田監督側からすれば、「ここで義理を作っておけば桑田は一生自分と読売に尽くす
筈」との計算もあった様な。
その思いは監督最終年で早速裏切られる格好となり、負けても負けても桑田を
ローテから外さない姿勢から寧ろ他の選手の離反を生みV逸の遠因ともなった様な。 藤田野球は結局先発引っ張ってそいつら次第だからな
よく言えば古き好き時代の完投野球
悪く言えば一部投手におんぶにだっこ
長嶋第二次政権にもツケがまわることになる 当時は凄い投手陣だったんだろうけど、
(リアルタイムで見ていたけど、当たり前の様にやっていたので、
「凄かった」という実感があまり湧かなかった)
思い返せば考えとしては古かったんだろうなぁ。
3本柱は結局誰も200勝に届かなかった訳だし。 角や石毛を抑えとして一本立ちさせたのが藤田なんだけどな
707みたいに完投数だけ見て意味不明な戯言ほざくバカが後を絶たないのはなんでだろう・・・ このまま終わったら、ハゲタカだけがタカ笑いしてしまう
非常につまらないシーズンになってしまうw 3年前のオリとの争いで暗黒確変時の立ち回りを
学んだような気がする…
ああなんて事を… 基本的に藤田監督はシーズンが始まったら二軍の事なんか眼中に無さそう。 あの年の両リーグの戦いぶりを見て
優勝チームは独走したとはいえ、
パの方は西武が調子悪いとそれに突けこんで
粉砕してはいたけど、セは巨人相手だと
なんか無気力で見せ場すらなく負けていく。
牛ファンだったが、なんだこいつら的な印象があった。牛ファンだったが巨人ファンの友人に
お前らのチーム西武に一勝も出来ないぞと
言ったら罵倒されたけどw。 結局、日本シリーズで一つも勝てなかったw
もしかしたら「巨人はダイエーより弱かった」のかもw 本原が移籍すぐ活躍して、巨人の2軍がダイエーでは即戦力なのかって言われてたころだろ 巨人から西武に移籍した鹿取も大活躍したしな。王政権末期ヘロヘロなイメージだったのに。 >>718
その前年、藤田監督になって登板数が激減したことが、鹿取にとっては
肩・肘が休められて案外良かったのかも知れないね。 巨人が仕掛けるトレードって失敗するケースが多いけど、
この年の鹿取⇔西岡のトレードは成功したといえるね。 この年に限っての話しで、
尚且つ鹿取は巨人時代同様にリーグを代表するストッパーって感じだったけど、
西岡はこれまた西武時代同様に半レギュラーって感じで、
そもそも選手としての力量が釣り合っていたんだろうかという気がしないでもない。
よくよく調べりゃ西岡もこの年だけでもなく92年くらいでも一応の活躍はしているのだが。 巨人優勝の翌日の読売新聞に激ペンの白取晋が狂喜乱舞の祝勝コメント書いてたけど日本シリーズの敗退ぶりをどう書いてたかな
報知見てなかったから分からんわ 西武はストッパーが喉から手が出るほど欲しかった。
巨人は当時広かったとされる東京Dで守れる外野手が欲しかった。 結果が出た後だから何とでも言えるけど
鹿取は1990年で33歳、当時としては引退もみえてくる時期
しかも王の酷使で終わった投手と見なされるのも不思議ではない
西岡は巨人に一番欠けていた外野守備と
大野や川口に苦しめられての左腕対策という点で
悪くない交換相手だった 西岡はチャンスにも強かったし地味に見えて中々長打力があったからなぁ
でも応援歌にチャンスの女神とか入れるのはどうかと 広島が貧打と言われているが数字だけみれば強打のチームだ
アレン25本 小早川17 野村16
西田13 長内11 広島が貧打だったのって阿南の時でしょ
浩二の時は優勝した91年以外はそれなりだったはず 大野川口佐々岡らの少数精鋭で持ってた投手陣
野村江藤緒方前田ら有望野手は多かったが
まだ伸びてる段階だった野手陣
この両方がクロスしてたのが山本浩二一期
案の定93年に投手大陣崩壊野手陣に好成績残すのがそこそこいたで最下位 >>724
当時を覚えているが、鹿取⇔西岡のトレードは当時でも釣り合わないとの報道だった。
90年頃のパリーグでまともな球団は西武くらい。
むしろ鹿取の意向(在京球団)を汲んでのトレードだった気がする。 ホテルヘルス&デリバリーヘルスとして大阪の日本橋に降臨!!!
完全無修正の激かわ美女在籍
神戸・福原 和歌山エリアトップクラスの人気を誇る
興味のある方は、「日本橋ビギナーズ」で検索♪ 浩二広島は山崎が5番とか打ってそれなりに機能していたな
あれだけ潰しの効く選手もあまりいない 代走今井みたいなもんでほぼ代打専門だった西田をスタメンにしたのは新鮮だった 過渡期だったのと阿南時代に固定メンツで戦ったツケだろ
西田スタメンや山崎サードは 28年前の時点で考えれば鹿取は酷使&年齢面で見切りをつけられても
おかしくないな。
むしろその後が想定外。
また鹿取にとっては外野守備が草野球の巨人から日本一の西武に移った
ことは大きな利点となった >>735
いろんな媒体のインタビューで、右中間に飛球が飛んで
これは長打になるなと思った打球を普通に捕球してくれたと言ってた。
野球観が変わったのは岡崎だけでなくある意味、鹿取も一緒か。 まあそれまで原やクロマティや吉村が守ってた外野だしな >>725
当時の巨人の応援歌はメロディはいいんだけど歌詞がね。顔はかわいい駒田、マスクは二番斎藤、元木スペースホームラン。 抑え投手はFAでチームを移るときにそのチームの外野守備力を見極めてから
入ったほうがいいな。
先発投手なら打力のあるチームに入ったほうが得だが。 >>567
妄想だが、この年に交流戦があったら1001中日は完全にパリーグ球団に標的にされてただろうなあ。過去の1001の行ないやいきさつで。(例、平野放出の西武や近藤貞雄日本ハムとの遺恨。さらには金やんロッテと落合のいざこざも飛び火して。) 徹底的にエースをぶつけられる中日
それより交流戦成績で下回る阪神 この当時の阪神はむしろ、交流戦だけは意外にいい成績を残しそう。西武に勝ったのはウチだけや〜。という変な自信で。ただ、この頃に交流戦があったら中日戦は巨人戦に次ぐドル箱カードになってただろうなあ。 ただ、近鉄やオリックスに痛い目に遭わされそうだなw >>742
川崎球場のロッテvs中日が連日満員で、史実より、ロッテの千葉移転が伸びたかも?思わぬ収益で。 すごくおもしろい嘘みたいに金の生る木を作れる方法
関心がある人だけ見てください。
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YP28K セ・リーグの下位球団は巨人戦ではミスで自滅する印象でした。
中日が斎藤雅樹投手に(1勝)8敗というのも酷かったですね。 開幕第二戦だよね。
開幕戦見に行った。ノムさんデビュー戦。篠塚疑惑のホームラン。この日から線審廃止。
大森のプロ入り初打席サヨナラヒットを栗山が超ファインプレーで阻止。
大森の野球人生ここで終わった。
原がケガ。巨人サヨナラ勝ち。
その後東京駅に向かい大垣行き夜行で鈴鹿へ。WSPC開幕戦。
2年連続ザウバーメルセデス優勝。
帰りの新幹線で木田のサヨナラホームラン聞いてた。 栗山は引退後、首脳陣にアピールするためにわざと派手にダイビングキャッチしていたと話してたが
あの大森の打球もそうだったんだろうか、ガチだったんだろうか。 そうか開幕カードで篠塚の疑惑のホームランの次の日に
木田のサヨナラホームランが続けてだったか
ノムさんのセリーグデビューはかなりヘビーだなw マーフィーにバニスターと身体のどこかがぶっ壊れた人たちまでプレゼントされてな ロックフォードだのレイだのもその頃か?
ヤクルトの外国人スカウトって有能だけどとんでもないのも連れてきてるな。 >>755
レイはコスパ悪かったけど働いた方。
結果的にセンター飯田という副産物が生まれたし。 昭和40年代は「巨人・大鵬・卵焼き」という標語が流行ったが
現在36歳の自分としては、平成に入る前後の頃は「西武・唐揚げ・貴花田」というべきだったな。 そこらへんは年代によって変わるわな。
当時の子供とギャル(死語)には西武ナインはまさにアイドルだったよ。 トレンディーエースとかいう言葉があった
今はハゲた 西武は圧倒的に強かったけど人気だけなら巨人ヤクルトの方が上だった
まだまだセパの格差が大きかった時代 憎たらしいくらい強い森西武が完全体になったのがこの年。
森繁の故障以降長年の弱点だったクローザーとして鹿取を獲得し、セットアッパーの潮崎と合わせて
リリーフ陣も磐石になりいよいよ手がつけられなくなった。 シーズン中は一塁しか守ってなかった落合がオールスターでサードを守ってた 西武が球団持った直後は凄く人気があった
フジでファン感を放送していて、野村の引退セレモニーを見た記憶があるよ 90年よりは数年くらい前の時代の話しだけれど、
消防だった頃のクラスでは女子も含めて8割方はプロ野球に興味があって、
巨人西武と人気を二分していた。僅かに中日ファンとか広島ファンとかもいたけれど。
今じゃ信じられん感覚なんだろうけどね。
女子はルールとか細かいところまでは分かってなかったりするんだろうけど、
「巨人勝ったね」「西武は強いね」「西崎阿波野かっこいい」くらいの話しは
できたモンだよ。野球が娯楽として一定の地位を築いていた時代だったな。 >>761
ヤクルトはギャルだけだな。
子どもまで入れたら西武には及ばなかったと思う。
首都圏在住の感覚。 この頃は西武の帽子を被った子供が結構多かったんだけどな。
黄金期が終わったらいつの間にかいなくなってた。 過去にあった事実を書くと懐古主義だとはたまげたなぁ… 今は信じられないかもしれないとかいちいち
知りもしない今を否定するのが懐古主義満々じゃんw 確かに西武帽の子供は多かったがヤクルト帽はまず見かけなかったな。
人気が圧倒的に婦女子に偏ってたんだろうな。 東北は楽天帽の小学生が多いが6県の小学校の1年生に球団が配布してるかららしい
かわりに黄色い帽子を見なくなった 練習後に先輩の野球用具を運ぶのは新人の役目だった中日だが
チームが与田頼みになってるのに与田に運ばせていたのがケシカランという事になってシーズン中盤から免除になった 東京・千葉でも西武帽多かったな。
地方はどうだったんだろ? この年の開幕戦で、巨人は誰がどう見てもファールであるにも関わらず、
ホームランと判定された”誤審”により、勝利を収めた。
そして今日、歴史は繰り返すのか(?)、ソフトバンクがオリックス相手に
誤審で勝利を収めてしまいました… 開幕戦での篠塚選手のあのポール際の打球、
この年からセ・リーグで採用された審判4人制がいきなり試される結果になりましたね。
打った瞬間、篠塚選手の打ち方から「ああ、ファウルだな」と思ったら、
意外に打球が切れなかったのがむしろ驚きでした。
斎藤投手は、あの本塁打で敗戦投手を免れた事で勢い付いたのかな?と思っています。 田淵幸一
1978年 阪神選手 最下位
1979年 西武選手 最下位
1990年 ダイエー監督 最下位
杉本正
1990年・1993年 ダイエー投手 最下位
2008年 ソフトバンク投手コーチ 最下位
2009年 横浜投手コーチ 最下位
2018年 楽天巡回投手コーチ 最下位 >>769
若い人には分からないだろうが
それぐらいプロ野球ってのは昔は人気があったんだよ
そこらへん歩いてる人だって野球選手の一人や
2人の名前は言えた 野村の「巨人が強い理由がよく分かった」ってコメントに
喝采を挙げたファンも大勢いたんだろうなぁ >>784
特にノムさんの場合は、開幕早々に「ジャンパイアの洗礼」を
思いっきり浴びてしまったからね >>783
広島の選手で顔が分かるのが新井くらい。
菊池も鈴木、丸、野村、薮田も顔はよく知らない。 「アグレッシブ」(前)
監督が代わったチームの初年度は好成績を出す事が、プロ野球の世界にもある。特に横浜大洋の場合は前半戦で顕著にその傾向が表れていた。
80年の土井淳は老舗球団の低迷をよそに6月までは2位で首位広島を追い掛け、82年の関根潤三の時も6月下旬に貯金7として首位だった広島に
2.5差と詰めるなど7月まで巨人、広島、中日と首位争いをした。90年代でも球団名が変わった93年の近藤昭仁の時には、球宴1週間前まで2位で
首位ヤクルトに2.5差と健闘していた。96年の大矢明彦に至っては、GWまでだが貯金2ケタで首位を走ったほどだ。中でも取り分け90年の須藤豊
の時は、前任者・古葉竹識とのギャップと対話重視が選手に強い新鮮味を与えた。
ベテランには「まだまだお前の力が必要だ」と言い、若手には巨人二軍監督時代に指導した同期の名を出して「お前が上」と言ってやる気を引き出した。
イースタン4連覇の経験則から熱血指導で練習量も多かった。就任時に掲げた「AFT野球」のAは“アグレッシブ”の意だったが、対選手だけでなく
采配にも表れていた。
開幕ローテーションに野村弘樹と盛田幸妃の21歳2人を組み込み、先発での働きに陰りが見えた遠藤一彦と前年抑えで10敗もした中山裕章を
入れ替える配置転換も実施した。打者では通算6安打の横谷彰将をトップバッターに起用、同じく14安打の清水義之を銚子利夫に代えて三塁の
レギュラーに抜擢した。
開幕戦に引き分けた後に接戦続きの3連勝スタート、巨人の対抗馬と言われた広島、中日を尻目に4月10勝6敗、5月も1分けを挟んで3連勝発進で
単独首位に立つなど巨人と首位争いを演じた。登用した野村、盛田、横谷、清水は奇しくも全員3年目、盛田こそ結果が出なかったが5月末までで
野村は5月の3連勝で4勝2敗、横谷と清水は3割前後の打率をキープして躍進に貢献した。前年5勝しかできなかった巨人戦に既に5勝(3敗)と
健闘して、5月の成績13勝9敗は月間首位だった。
5月7日に首位を譲ってからも、チームは30日に最大貯金9まで一時伸ばし快走する巨人に食らい付いた。打線では5月打率.309打点22の
ジェームス・パチョレックで走者を還す形が確立、下位打線にも絶好調のベテラン高木豊を置いてパチョレックが歩かされるのを防止した。高木のみ
ならず投手陣でもベテランが“須藤マジック”で息を吹き返し新浦壽夫が5勝1敗、斉藤明夫は2完投1完封で3勝、抑えの遠藤は防御率1点台で
9セーブを挙げた。若手でも開幕投手中山は精神的に強くなり2完封で3勝、中継ぎの岡本透は30日までのチーム39試合のうち19登板、
27回3分の2イニングでわずか1失点と、噛み合った新生大洋に必要なのは“アグレッシブ”や“マジック”だけでは補えないスタミナだけといった
ところだった。 (続) 「アグレッシブ」(後)
須藤大洋と巨人との自力の差は、6月以降の成績にしっかりと表れた。球宴前まで常に2位はキープしていたが、6月と7月は2ヶ月連続負け越しで
球宴後すぐの7月末には、遂に中日と入れ替わり3位に転落した。この2ヶ月では、勝ち頭だった新浦が1勝も出来ず3連敗したのが痛かったが、
開幕投手にも指名して右のエースと目した中山が先発では8月下旬まで7連敗したのは一番の誤算だった。安定していた右の松本豊、左の岡本透と
いった中継ぎ陣も打ち込まれる事が多くなってきていた。大洋は6月からの2ヶ月で、3連敗と4連敗を2度ずつ、5連敗1度で最大9あった貯金を使い
果たしてしまった。
借金生活に入り巨人と12.5ゲームの大差をつけられた大洋の8月以降は中日、広島との2位争いの戦いだった。5月以上にパチョレックが打線を
引っ張り、打率.446に24打点で2年ぶりの月間MVPを受賞した8月は、野村と遠藤が3勝ずつを挙げて月間勝ち越し、この間は2位から4位の
順位が目まぐるしく入れ替わった。8月は広島が15勝9敗と星を伸ばし、シーズン初めて2位に浮上した。この頃の広島は不振の大野豊を救援に
回していたが、大洋でも同じベテラン左腕の新浦を中継ぎに回して中継ぎ強化を図った。打線では2年目の宮里太が三番に座り、安定した打撃で
ジョーイ・マイヤーとパチョレックの両外国人へのつなぎ役になった。
9月はいきなり8連敗の中日が2位争いから脱落、巨人のリーグ優勝が早くも8日に決まり、激しい争いはといえば広島と大洋の2位争いだけだった。
一時大洋は広島に3.5差をつけられたが、二村忠美の連夜の決勝打もあって8日からの敵地3連戦に全勝、一度は残り16試合時点で2位を
奪い返す粘りも見せた。残り少ない最終コーナーの10月も4連勝して猛追、最終試合となる広島戦に勝てばタイとはいえ11年ぶり2位と7年ぶりの
5割確保という所まで来ていた。
左腕を苦手とする広島に村田辰美、岡本透、新浦の左投手による1失点リレーで最終戦を“取りに行った”須藤だったが、打線が0勝3敗と苦手の
佐々岡真司の前に3安打完封負けで2位と5割と逃した。ただ、須藤も「ホッとした」と言ったように7年ぶりのAクラスは無事に成ってアグレッシブな
シーズンは終わった。目立った補強の無い状態で健闘した大洋は、翌年は5位ながら90年と全く同じ64勝で、須藤は3年目の92年5月頭に成績
不振で辞任した。92年はわずか22試合の消化と早い段階での休養だったが、2年間の戦いを見るともう少し監督生活を続けて戦国時代だった
90年代前半のセ・リーグに旋風を起こして欲しかった。 (了) >>790
コラムさん乙
須藤と森脇って似た者同士やなw 久々にAに入り本を出したら翌年からまた暗黒に戻ったり ☆★☆【神よこの者たちはもはや人間ではない悪魔であるこのような悪魔どもを一匹残らず殺してくださいお願いします】★☆★
《超悪質!盗聴盗撮・つきまとい嫌がらせ犯罪首謀者の実名と住所/死ねっ!! 悪魔井口・千明っ!!》
【要注意!! 盗聴盗撮・つきまとい嫌がらせ犯罪工作員】
◎井口・千明(東京都葛飾区青戸6−23−16)
※盗聴盗撮・嫌がらせつきまとい犯罪者のリーダー的存在/犯罪組織の一員で様々な犯罪行為に手を染めている
低学歴で醜いほどの学歴コンプレックスの塊/超変態で食糞愛好家である/醜悪で不気味な顔つきが特徴的である
【超悪質!盗聴盗撮・嫌がらせつきまとい犯罪者の実名と住所/井口・千明の子分たち】
@宇野壽倫(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸202)
※宇野壽倫は過去に生活保護を不正に受給していた犯罪者です/どんどん警察や役所に通報・密告してやってください
A色川高志(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103)
※色川高志は現在まさに、生活保護を不正に受給している犯罪者です/どんどん警察や役所に通報・密告してやってください
【通報先】
◎葛飾区福祉事務所(西生活課)
〒124−8555
東京都葛飾区立石5−13−1
рO3−3695−1111
B清水(東京都葛飾区青戸6−23−19)
※低学歴脱糞老女:清水婆婆 ☆☆低学歴脱糞老女・清水婆婆は高学歴家系を一方的に憎悪している☆☆
清水婆婆はコンプレックスの塊でとにかく底意地が悪い/醜悪な形相で嫌がらせを楽しんでいるまさに悪魔のような老婆である
C高添・沼田(東京都葛飾区青戸6−26−6)
※犯罪首謀者井口・千明の子分/いつも逆らえずに言いなりになっている金魚のフン/親子孫一族そろって低能
D高橋(東京都葛飾区青戸6−23−23)
E長木義明(東京都葛飾区青戸6−23−20)
F若林豆腐店店主(東京都葛飾区青戸2−9−14)
G肉の津南青戸店店主(東京都葛飾区青戸6−35ー2 田代の引退試合の満塁ホームランと、その日のダブルヘッダー第一試合でボロボロの盛田がバックの援護に恵まれてプロ入り初勝利した事しか覚えていない 与田と佐々岡の新人王争い。
リアルで見てない世代だと、先発・抑えやって規定投球回にも達して防御率も与田よりよかった佐々岡に軍配を上げる人が多いような。 >>796
一般の人でも選手の成績を容易に入手できる現在のような環境ならば、そうだったかもしれません。
与田投手の「勝因」は
・最速157km/hを記録するほどの速球のインパクト
(当時は野茂投手でも150km/h超の計時は珍しく、
小松、槇原投手の急速は低下、伊良部投手はまだ成長段階)
・新人の歴代最多セーブ数
・星野監督のプロモーション(談話等でのプッシュ)
こんな感じかなあ、と自分は思った次第です。
それと余談ですが、
翌年、森田幸一投手と岡林洋一投手が新人王争いをしている時期に
誰だったか忘れましたが、
上記「勝因」の3番目の理由を挙げて森田投手有利としていたのを当時聞いた記憶があります。 >リアルで見てない世代だと、先発・抑えやって規定投球回にも達して防御率も与田よりよかった佐々岡に軍配を上げる人が多いような
逆じゃね?w ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています