1990年のプロ野球を語ろう Part.2
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>>798
当時のプロ野球ニュースでも解説陣が佐々岡の新人王で纏まりそうになってしまい、中日OBの鈴木孝政が「与田があれだけ目立ったんだから、今年は
与田にしましょうよ(汗)」と焦りまくっていたっけ(´・ω・`) 何だかんだ言っても、タイトル(セーブ王)を獲得した
というのは大きいと思う この年、巨人が日本シリーズ4連敗を喫する兆候はどこにあったんだろうか?
やはり斎藤をシリーズ第1戦に持って来るべきだったのではないか? 96年の日本シリーズで巨人が負けたけどこの時ほどは負けたことが言われていなかったな >>801
斎藤もシーズン終盤はダメダメだったから、
敢えて言えば桑田だったらマシだったかも知れん
第3戦で打たれちゃいるけど、斎藤よりはいい内容だったと思う シーズン終盤の巨人戦のテレビ中継で
先発投手だった斎藤雅樹投手のフォームについて
解説の堀内恒夫氏が「(好調時に比べて)肘が下がっている」と指摘していましたね。 シーズン終盤でいえば西武の投手陣もかなり悪かった。
特に渡辺久信は9月初め頃までは奪三振以外のタイトルを総ナメする勢いだったのにほとんど勝てなくなった。 >>805の堀内氏の指摘は
「肘が下がっている」ではなくて「リリースの直前に肘が(手よりも)前に出てこない」だったかもしれません。
肘の位置についての指摘は間違いなくされていたのですが。 96年は1勝しているし90年ほど序盤でボコボコに打ち込まれてないからな 阪神も未だに05は言われるが14はほとんど言われない https://www.youtube.com/watch?v=nvg8TKebaDo
4:01〜数秒間のあいだに映ってる20歳位の女性2人組はジャイアンツファンっぽいけど
3連敗後の4戦でも敗戦が目前に迫った状況にも関わらず笑顔で応援してるね。
こういうのを見たら自分なら闘志が湧いてくるけど。
まあそれだけで勝てるほど甘い世界でもないとは思うけど。 90年シーズン中の最も調子の良い時のジャイアンツとライオンズがシリーズを戦ったとしても
4勝1敗でライオンズが勝ったと思う。
斎藤が本来のピッチングをしてもその試合は2対1とかでライオンズが勝つのではないかと思う。
ベストピッチをしたからと言って完封する訳でもなく結果完封であった試合をベストピッチ扱いする傾向にあるけど、
そうではないと思う。
そういう意味ではジャイアンツの当時の投手達はいつライオンズと試合してもベストプレーは出来ないと思うし、
当時のライオンズはジャイアンツの様なチームを相手にするのが得意である様な気がする。 ライオンズの選手が88年のシリーズ後にドラゴンズに対して
「何故あのチームにセントラルを制する事が出来たのか分からない」
とコメントした選手がいたけど(石毛だったかな??)
90年シリーズの後にそういった言葉は聞かれなかった。
それは西武の選手の成長かな?
88年ドラゴンズや90年ジャイアンツの様なチームを得意とする自分達と同じ様なチームがセリーグには無かっただけだと思う。
逆に92年のスワローズなんてライオンズからしたら苦手なチームだったのではなかろうか?
ライオンズの選手からしたら92年スワローズはセントラルを何故独走で制する事が出来なかったのか?と不思議に感じたと思う。 連投になってしまいすみませんが
92年の東京ヤクルトはもしかすると発展途上のチームであって
前半と後半の強さが全く違い一年を通して後半の状態を維持すれば独走優勝してたのかな??
ちなみに92年のジャイアンツに10連勝→4連勝→7連勝で21勝2敗の成績を挙げ
その間の1敗も偶然負けただけで内容的には勝ちゲームだったという非常に強い時期があった。
あの時期に巨人と西武がシリーズを戦えば巨人は4連敗を回避し1勝4敗位にはなったかもしれない。
巨人というのはそれほどに西武が手玉に取りやすいタイムのチームだった。
同じような例で92年好調であったタイガースはジャイアンツには大負けした。
タイガース有利な展開でもワンチャンスでひっくり返され最後はジャイアンツに軍配が上がるといった感じに
何故かジャイアンツに有利有利な展開になる事が多かった。
これは西武が巨人を得意としたように巨人が阪神を得意としていたからと思われる。
この様に相性というものは確実に存在しており、どんなに巨人三本柱が絶好調と時に西武と当たっても
90年については巨人は良くても西武に1勝しか出来なかったと思われる。
クロウも日本シリーズ前に「うちは1勝出来ればいい方だろうな」とコメントしている。 藤田2巨人はOP戦含めて、西武には全敗。全部で何連敗だったか?
それは長嶋巨人になって途切れた。
不思議と長嶋には西武コンプレックスがなかった。
それは西武黄金時代と長嶋浪人時代がほぼ被るからか? 単純に94年の西武はデストラーデはもういないし石毛は衰えるしで
長く黄金時代支えてたメンバーに陰りが見えていただけだと思う
まあ西武も西武で試合前に森退任報道をリークして西武ナインを動揺させたけど >>814
89年 二連敗
90年 六連敗
91年 三連敗
92年 三連敗
88年4月のビッグエッグオープニングトーナメント戦で勝利してから
93年3月のオープン戦で勝利するまで14連敗 結局、第二次藤田政権時代は西武に一つも勝てなかったのね >>810
その少女らは16〜7あたりに見える。
現在45位。
幸せに暮らしてるかな?? 長嶋は阪急コンプレックスだからな
オリックスにあっさり負けた >>810
右の娘なんて中学生じゃないのか?
そんな子も3〜4年後は黄色い髪にして真っ黒な顔になってたんでしょうねw ヤクルトで監督野村、コーチ高畠コンビが13年ぶりに復活も1年でコンビ解消 >>810
その子供っぽい高校生の娘と同様90年の巨人軍は子供っぽかった。
一方4年後の巨人軍の選手達は4歳大人っぽくなっていた。
あの子供っぽかった桑田や緒方、斎藤が普通の大人っぽくなってた。単に外見の話だけど。
その高校生達は成人してたであろう94年のシリーズは観戦したんだろうか?
もし観戦したのであれば前回と違いさぞや良い想いを出来たのであろう。 >>804
実際1994年日本シリーズは1戦目の先発は
桑田だったしこの時の長嶋采配は
結果的には成功だった。 94の西武なんて
秋山、デストラーデ、石毛もいないし
ナベQも郭泰源も劣化してるし若手も糞だらけで
かなり弱体化してたから勝っても自慢にならんわ しかも、試合前に讀賣新聞のニュースで、「森監督退任」なんてニュースまで流れたからねw あのニュースも西武側がリークしない限り絶対漏れない話だからなぁ
リーグ優勝した際にもパーティ一つ開かれなかったというから
根本が退団して以降の西武フロントの動きは陰湿 >>810
1戦後の夜中にドーム外で2戦に備えて並んでる女子中学生2人が「明日は斎藤だから絶対勝つ」
みたいに言いながら、緒方の応援歌をフリ付で歌いながらノリノリって場面を放送してた番組があったけど、
その時の中学生に非常に似てる感じする。
お友達同士ですか?何歳ですか??どこから来たんですか???とかレポーターから色々質問されてた。
その番組知ってる人いる????何の番組だったかな。1戦とその後を伝える日曜朝とかの番組だったかな? >>826
堤派
清原派
石毛派
工藤派
と分裂しちゃった…
もっとも現状では工藤以外は失脚して
存在感なくなったけど…(特に堤、清原) 藤田元監督は、
藤田前監督巨人軍を語るという著書の中で、
90年のジャイアンツはそれほどでもなかったのだが他チームの調子が悪すぎて簡単に勝ち進めた。
また92年の自軍は充実しており優勝候補筆頭と自負しており他軍もジャイアンツをそう見ていたと思うが、
92年は皆強かった。下位の中日太洋に至るまで皆が強かったと述べている。
藤田氏は90年よりも92年の方を上に見てた様だ。しかし他球団が強くて勝てなかったと。
証拠は同氏の著書の中にある。しかしそれが事実かは分からない。藤田氏はそう感じたというだけの話である。 90年巨人が強すぎたというのは間違い無い。
しかしその理由は他が弱すぎたからだ。
藤田元監督はそう思ってるようだ。
さすがに弱すぎるとストレートに表現していないが、
どのチームもそれほどの調子ではなかったと自身の著書で語っている。 石毛って西武黄金期のリーダーやってたとは思えないくらい精神論者だよなぁ
野村ID野球も「野球は頭を使ってするものではない」と全否定 藤田氏は92年ジャイアンツが自身最終年にして最も強い状態としたうえで、
原辰徳についても92年は入団以来最も良い年であったと振り返っていた。
チームと原辰徳。この二つが藤田氏にとって最高であったのが92年であったようだ。
それらはあくまで藤田氏の見解であり異論も沢山あるとは思いますが。 92年原の3本の本塁打(大野からの逆転弾、与田からの勝ち越し弾、伊東からの同点弾)は4番としての威厳存在感を、
これでもかというほど示しており、そういった原の『真の4番としての存在感&力強さ』を発揮した本塁打を藤田氏は92年に初めて見たという。
89年の日本シリーズでの満塁弾などまるで眼中に無いかのような最大級の評価を藤田氏は92年原に対してしている。 第二次藤田巨人はドラフトでとった即戦力が壊滅的だったけど、他チームは88〜91年のドラフトで戦力強化していったからな。 1990年の巨人は、公式戦では相手チームが攻守でミスをして勝手に負けていくという印象がありました。
シーズンが進むにつれて、その傾向が強くなったような気が。 清原より原のほうが成績良かったのに原のほうがマスコミに叩かれてたな >>810
中学生ぢゃないか??
もしくは無職の16歳 >>839
清原は華試合や大舞台には滅法強かったけど原は違うから。原はTV中継が始まる前にHRを打っていた印象。 時代背景が全く違うのに、そこだけ切り取って同列に語られてもねえ… のぼせもん気質の博多っ子の与太話にマジレスしてもね(w
「どーせ弱くなったら嘗てのライオンズのように見向きもしなくなるんでしょ?w」と言い返してやれよ。
強きを助け弱きを挫く九州人気質(だから893が増長する)を示す格好の材料でもあるし。 阪神はな
ひょっとしたら強くなる土台ができて…
仲田幸司・湯舟敏朗・中込・野田・葛西・弓長・田村 >>848
湯舟・弓長・田村の3人は、1990年の時点では阪神に在籍していない
(湯舟と田村は1991年〜、弓長は1992年〜) 8月のナゴヤの中日戦で原が大飛球打って「ホームラン」って実況が言ったのにファール。
今ならリクエスト。桑田の連続関東がかかってたのだが。 88年吉田
89年大森
90年元木
91年谷口
ひどすぎ さらにひどいのは2位指名以下も壊滅的なこと その辺が育たなかったのが、
FA設立にも繋がってくるのだろうなぁ
元木の使われ方が、斜め上だったが この年の今日、讀賣が史上最速(だったかな?)でリーグ優勝を決める
しかし、日本シリーズでは西武相手にひとつも勝てずに終わるw >>855
最速。9月1週目に決定、
確か吉村のサヨナラヒットだったかね? 当時埼玉に住んでいたが、
巨人ファンのほうが多くて西武が勝ってもまだ醒めていたわ >>856
日テレ山下末則「ホーーーーーーーーーーーーーーームラーーーーーン!!!吉村!!」 日本シリーズの最初の3試合で讀賣が3敗
これ自体は前年も同じだったんだけど、前年はそこから日本一
一方この年は呆気なく4連敗
さて今年は… >>853
FA創設を主導したのは巨人じゃなくて選手会だけどな 巨人がこの年以来の日シリ
4連敗だが翌年はヤクルトとの
Aクラス争いが精一杯だったんだっけ? >>865
そして、それにも敗れてBクラスへ転落だった
この年に前倒しで勝ち運を使ってしまったんだろうねw 選手会発足時からFA制度の導入を叫び続けていたが当初は梨の礫だった
巨人の野手陣が過渡期になり打線に迫力がなくなると、
発言権を持ち始めていたナベツネが読売新聞をフル活用して
「ドラフトにも職業選択(球団を選ぶ)の自由を!」と
大々的に打ち出し、FA制度導入への流れへ傾いていった FAはナベツネのバックアップがなけりゃ導入はもっと遅れてたよ
選手会が発足して最初の10年間、全くと言っていいほど話に進展が無かった
その間ずっと主張し続けてたから選手会の頑張りのおかげって言い方も正しいけど
選手に権利を与える」のではなく協約に則って他所の選手を獲得できる手段として
ナベツネにはさぞ魅力的に映ったろう 当時はまさか巨人から渡米する選手が出るなんて思いもよらなかったからなぁ。 職業選択の自由を盾に導入しようとしてたのは逆指名の方な
FAと併せて空白の事件よろしくセリーグ脱退新リーグ設立を匂わせて
他球団が及び腰になったところを強行して導入させた >>131
その川崎を開幕投手にして、川上憲伸の登板をズラした落合が2004年にリーグ優勝する。 第1戦で槙原が3ボールからど真ん中直球を投げて大ホームラン打たれた一方で、原は第3戦の初回、一死二・三塁で、3ボール後の4球目の棒玉を平然と見逃した。
その夜の『プロ野球ニュース』の解説で、権藤博は呆れながら
「これど真ん中ですよね、デストラーデは打ってるわけですし」
「(第5球で見え見えのスライダーを空振り)まさか続けて同じタマが来るとでも思ってたんですかね」
「(最後はハーフスイングにボールが当たってピッチャーゴロ)まあ最後はこうなりますよね」
と言っていた。 打つ方では3-0後の4球目は必ず見逃し、投げる方では0-2後の3球目を必ず外す、という野球は、当時の巨人の特徴だったように思う。
原なんかはその典型だ 古田敦也はプロ1軍最初の試合も1軍最後の試合も途中出場なんだよな ナゴヤで延長で原が「ホームラン」とラジオで実況されたのにファール。
桑田の連続完投もかかってたのパーになった。 >>880
それに背いて裏目に出たら罰金とかが科せられていただろうからね 高三陸上競技部でした。西武王国も野茂も故金やんもその他もでした。 この年発売された桃太郎伝説Uに桑田もどきの鬼が出てきたり
巨人ファンだと言うと通れない階段があった >>885
さくまあきらは大洋のファンだったよな確か >>762
ただの左キラーの外野の西岡で巨人不動のクローザーだった鹿取が取れるとは中継ぎ投手重視野球の今じゃ考えられないトレードだな
鹿取に限らず中日の控え捕手の中尾と交換で西本を出し、鹿取の前の守護神だった角をタダでハムに出し、
あの頃の巨人はよほど投手力に自信があったからなのか気前のいいベテラン投手のファイヤーセールを繰り返していたなw そらあれだけ完投できる投手そろえてたら
リリーフなんていらんわ しかし当時、巨人同様に投手王国と言われた広島とか西武でも、
力のある先発を終盤まで投げさせて、潤沢なリリーフ陣を投入する
ってパターンが結局は投手王国として長持ちした印象だなぁ >>889
緒方が二塁が主となり、外野が原・クロマティ・吉村と何時守備破綻してもおかしく
ない(現に日本シリーズで露呈したが)メンツの中では、貴重な外野守備要員として
の役割も担ったんよ。
元々外野が鉄壁な西武では左の代打の一人(他には広橋とか苫篠とか)に過ぎなか
ったけど。
そんなザル外野について、当時巨人ファンから緒方とともに熊工コンビとして期待され
ていた井上真二がモノにならなかったのがなあ・・・との嘆きも聞いたり。 >>892
消化試合っていうのはあれでなかなか哀愁漂うというか味わい深いものがあるんだが、
あんな20試合くらいの消化試合は飽き飽きした 今なら優勝やCS関係なくなったチームだと自軍他軍問わず引退試合をぶっこみまくるが当時はまだ春にやる流れが残っていたからそれもなかった 優勝決定したら中継を打ち切るのに、この年はそれすらやらなかった。 優勝決定が早すぎて、
中継打ち切りしなかったってパターンなのよね
今とは隔世の感 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています