1990年のプロ野球を語ろう Part.2
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>>463
槙原は伝説のバックスクリーン3連発食らったかと
思えば完全試合やってのけたり。
こんな年に二桁勝てないのもある意味らしいなあw
落合、ハウエル、広沢・・・たしかに補強が期待はずれだと
ファンは脱力だよね。 >>462
木田香田宮本は10勝できたのも90年のみだっけ。
堀内以後、江川、西本、斎藤、桑田、槙原らが活躍したが、
他球団なら200勝できたかと聞かれると微妙な気がする。
故障も含め実力的にはいっぱいいっぱいだった印象。
巨人だとほぼ常時リーグトップクラスの打線の援護の恩恵もあるわけだし。
このなかだと、斎藤あたりは余力残しで引退した印象もあるので、
他球団ならもう数年続けられればあと22勝くらいはできたかもね。 晩年の斎藤は怪我ばっかりの印象しかないがなぁ
原にも言えるが >>467
この年の槙原は怪我上がりだよね。
というか9勝できたのは、割と恵まれていた様な印象。 体が強そうには見えたがな。斎藤雅樹なんか。この頃だとあっさり名球会行きと思ってたが。晩年苦労したんだよな。
松井秀喜も言ってたが。東京ドームの人工芝は疲れやすく怪我しやすい。だからメジャーに行ったらしい。
名球会行きが居そうで出なかったのは、そこらへんにも原因があるのかも
堀内恒夫時代は天然芝だったから しかしケガを恐れて天然芝のメジャーに移籍したら
はがれた芝生に引っかかって手首を骨折したのは何とも皮肉というか・・・ >>467
ナベツネ介入あたりから欲しい病に変わった
務台時代は、FAないとはいえ、外の補強は少なかった
大きいのっても張本ぐらいか >>446-447
最低でも3年連続でリーグ優勝しないと、「黄金時代」とは言えないと思います。
野村監督時代のヤクルト(1990年―’98年)は、2年連続でリーグ優勝した事がありましたが、3年連続は、ありませんでした。
(’92年及び’93年。’93年には日本一にもなりました)
従って、「ヤクルトには未だに黄金時代が無い」と思います。 >>462
宮本さんは、交通事故で負傷し、その後の後遺症が原因で、引退しましたね。
通算66勝です(現役時代13年)。
この事故が無ければ、100勝以上していたかもしれませんね。
>>468
宮本さんは、二桁勝利を2回経験しています。
(1990年に14勝、’91年に10勝) >>396
その4年後、この年のセリーグの最下位のチームが優勝し、事もあろうに、この年のパリーグの最下位のチームと日シリが行われた。最近、野球見た人達は現在のこの2チームのこの当時の激弱ぶりは想像できないだろうなあ。 >>479
ホークスはともかく阪神そんなに強くないから想像できないくらい変わってるようには思えないが とはいえ、当時は阪神セリーグ7位、もしくはPL学園よりも弱いとリアルに言われてたからなあ。最近の横浜や00年代のオリックスでもここまで言われてなかったから。曲がりなりにも戦えてる現在と比べると、天国と地獄の差があるぞ。 >>477
セ・リーグで3連覇以上したのは巨人だけだよ。
連覇だって古葉広島、野村ヤクルト、落合中日しかない。 セのチームにおいては、巨人より強いと周囲が認めれば
黄金時代を名乗れるんじゃないかと思うな ぶっちゃけ3連覇二回の最近の原巨人より落合中日や近年のソフバンあたりのほうが強いわ 10年間で優勝五回
そのうちの四回で日シリ制覇を達成したチームすら黄金時代が無かったなんて言い出したら
もはや日本プロ野球会で黄金時代と呼べるものを持つのは巨人だけだな 南海は秋の風物詩っぷりが酷いし阪急は対抗馬不在の繰り上げ優勝だからなぁ。 片っ端からいちゃもんつけてないで正直に言ったら?
巨人以外黄金時代って言葉は似合わないって 阪急はシリーズでも古葉カープ〜長嶋巨人に3連覇だから黄金期だったでいいだろう この年と前年の巨人を止められるチームはセになかったのかね? >>482
阪神があまりに弱くて「まるで東大みたいだな」なんておかしなジョークが 中日が弱すぎたのが巨人の独走を後押しした
大洋、阪神、ヤクルトは戦力的に落ちるから
大洋の善戦も翻ると中日の不振にもつながる >>475
セパとも見せ場なしの独走Vで日シリも4−0の90が俺はワーストかな。
巨人、西武ってのもいつもの顔みたいな。
97のV争いは90ほどの独走でもなかったでしょ。
セの2位がベイってのも新鮮だったしその後の躍進を予感させるものだった。
当時のヤクルト、西武なら少しこけたあとだからまだ新鮮味があった。
日シリも4−0や4−1じゃないよね(うろおぼえだが)。
まあ、ひいきチームがどこかによって評価が変わるんだろうね。 >>497
残念ながら97の日シリは4-1だった。
ホージーの秘打・グリップエンド打法以外、
全く見所のない日シリだった。 >>498
指摘ありがと。完全に忘れてたわ。
東尾西武は日シリは翌年も2−4で冴えなかったね。
捕手古田のヤクルトは日シリめっぽう強かった。
95も01もたしか4−1だったよね。 97、01あたりのヤクルトのシリーズはつまらなかった
ここがぶつかったら接戦になりそう、という相手が見あたらなかった
去年のハムでも4−1でやられていたろう >>500
95もヤクルトの一方的だったね
まあ97にしても前年オフに大補強した巨人がアレだったので
アンチ巨人にとっては痛快ではあるだろうが… 97年はオールスターでは松井稼に走られまくった古田が
日シリでは完全に殺してたのを見てID野球ヤクルトの怖さを感じたわ 95も97も開幕前、「巨人にあんな大補強されたら、ハナから勝負にならんわ」
とか言って、野村がやる気なさそうなフリをしていた。 ヤクルト絡みのシリーズがあると野球人気低下だとさかんに言われる
例外は78年92年くらいかな 2015と2001のヤクルトを入れ替えたら両方ともいい日本シリーズになったろう >>505
同感。
一昨年のヤクルト優勝、昨年の広島圧勝V、ベイの躍進の陰には、
近年の巨神中の弱体化による明らかレベルダウンの影響があるのだろう。 巨人大補強の年になぜか躍進するヤクルト
2008は期待してたんだがなあ・・・
高田と野村では役者が違いすぎたか >>507
監督以前に野村の頃とは、古田はじめ戦力がちがいすぎるでしょ。
4番をそのまま持ってかれたらそりゃ勝てないよ。
あとグライシンガーと横浜からクルーンだっけ?
野手と違ってピッチャーはいくらいても持て余すことも少ないし。 >>507
1995、1997、2001は
中日阪神がどうしようもない低迷してたからなぁ〜
2015は本当なら阪神がBクラスだったのに例のアレで… この年の巨人はあろうことか西武にストレート負けを喫したが、
1985・86・88年に巨人が優勝できてたら、シリーズで西武には勝てたかな? >>504
ヤクルトの人気って日本の野球人気と比例してる感じだな 勝てるとしたら、85年かな?
広岡を巡って不協和音があったし、あの頃の西武はまだ世代交代の
最中だし、清原もいない。
もっとも85年の巨人じゃあ、という気もするけど。 >>511
88年は西武が軽く捻って終わりだろうよ。 >>507
それでも巨人戦以外はほぼ5割ペースなんだよね
外人でそこそこ打てる選手を補強できていればCS争いには絡めたはず 2000年も巨人の大補強に対しヤクルトは健闘したな
まあ優勝は許してしまったしヤクルト自体は4位だけど
あれだけ巨人叩けたので十分満足できるシーズンだった
翌年はしっかりリベンジしてるし
20082009は20132014の連続最下位以上の悪夢だった・・・ 広島に来たヤングはカープでは珍しい鳴り物入りの入団で結果が出なかったが
ベンチがもう少し辛抱強く使ってやれば違った結果になっていた気がする レイモンド・ヤングって何となく印象的な名前だったなぁ
・・・って思ったら、それは翌年の西武のピッチャーだったw
広島のヤングって、結構な大物だったのね。
しかもMLBの1位だったとか(全米では11位らしいが)。
割と有名なアレンへの大門デッドボール乱闘で、
アレンと間違って風貌の似たヤングが取り押さえられたって
書いてあってワロタ みのもんたのナレーションでも「どっちがアレンでどっちがヤングか分かんなくなっちゃったよ!!」って言ってたな 大門の逃げ足の速さにわろたわw
センターあたりまで行ってたよね。 >>518
年齢的にも若いし、2年目も使ってたら2割6分、22本、3年目には
2割8分、30本…って具合に順応したかも。
もともとのパワーは申し分ないんだし。 乱闘時の逃げ足といえば、
翌年?トレーバーにぶつけた園川も速かったw
その点デービスが襲い掛かってきても
マウンド上に仁王立ちしてた東尾はかっこよかった。さすがは251勝投手。 >>522
69試合の出場で11本だからフル出場すれば25本以上の期待できたかもね
この年の広島打線は迷走の連続だった
開幕4番だった小早川が翌日6番でその後もが一番わかりやすい例 打率がランスよりマシというぐらい不振だった…
まぁロードンも不振で契約不延長になり
翌年移籍してきたバークレオも二軍のままで枠が1人空いてたから残してやれば西武にトドメ差せたかも ヤングは大枚5千万を払ってカープの希望の星で監督の浩二も期待してたのに……。
しかし5千万というのが悲しい 中日の北野にぶつけられてヤングが詰め寄った時に
中日の暴れん坊ディステファーノがダッシュで来て必死にヤングを制止してたのが面白かった 90〜91は星野の影響か知らんが中日はもちろんだけど他のチームもやたら
乱闘多かったイメージ
93〜95あたりの巨人ヤクルトも不穏な雰囲気醸し出してたけど それだけ野球がまだ熱い時代だった
ドームは選手を無機質に陥らせる 野球の乱闘は明るいイメージなのに、相撲の乱闘(ダメ押しや勝負後の
不穏な空気)が暗いイメージなのはどうしてだろうか? ロードンってなんで2年目急にダメになったの?
シュアなタイプで大きな落ち込みをする打者じゃないように見えたが。 >>528
勝負ごとだから遺恨があったほうが盛り上がるんだよなあ
星野は積極的に対立構図を作ってた感じがするな 星野は野球を面白く見せる才能が凄すぎるわ
ああいうのがいないから今は… 星野の1期目は本当に野球が面白かった
毎年戦力が変わるし
この年だよな
水野に張り手を喰らわしたの
野球のエンターテイメント性を極めたのは、やっぱり星野仙一が最高峰
野村克也や川上は暗すぎる ノムさんだってセゲヲに対してめっちゃ吹っかけてたやん
セゲヲは真に受けてマジギレしちゃったけど 俺は星野就任2年くらいで中日ファンやめた。
優勝した近藤監督の頃の野武士軍団が好きだったので、
がらりと顔ぶれが変わってしまった星野中日は受け入れられなかった。
今年のカープみたいに、生え抜きかそれに近い若手とベテランが
融合して花を咲かせるような編成が好きだ。 優勝した年はフジの珍プレー好プレーのアイキャッチにまで登場したり
選手にテレビ出演の依頼が来たら断らないようにアドバイスしたり
エンターテイメントへの協力度では星野以上のものがあった >ヤクルト野村 >>538
就任直後:谷沢の肩たたき、牛島、上川放出
1年目オフ:大島、平野放出
たった2年で前回の優勝メンバー5人が去り、俺の心が離れるには十分。
強くはなったが、落合中心の星野中日はともかく受け入れ難かった。
自分の現役時代知ってる選手がいるとやりにくいとは言うけど。 田尾 星野と関係ないが84年西武移籍
平野 87年西武移籍
谷沢 86年引退
モッカ 85年引退
大島 87年日ハム移籍
宇野 92年ロッテ移籍
中尾 88年巨人移籍
上川 86年ロッテ移籍
やっぱり個人主義の野武士軍団って息長くは出来ないのだろうな
巨人は原も中畑も篠塚も松本も山倉も
みんな現役時代は同じ球団で終わった >>542
俺は勝てばいいというタイプのファンじゃないのよ。
チームカラー重視なので。
>>543
そうして並べてもらうと、クリーンアップが一番年齢が高く
85年あたりからかげりが出てたから、
たしかに落合でも獲得しないと優勝は狙えないというのは
納得せざるを得ないのかな。
しかし82の優勝メンバーがその後ほとんど移籍とはね・・・。 >>544
1990年代後半
かな、タイガースファンの山藤章二と巨人ファンの漫画家が喋ってて山藤が
「じゃあ、貴方は巨人と日ハムの選手がひっくり返って、田中幸雄や片岡が巨人の選手になっても応援するの?」
って訊いたら
「う〜ん、やっぱ応援するだろうね」
って答えてた。
もうどうでもいいんだろうね。とにかく応援するチームの選手になってくれれば。何の思い入れもない。思い入れがあるのは巨人のユニフォームだけなんだね。
オールド巨人ファンは清水哲みたいな変わり者は別にして、とにかく巨人なら何でもいいんだ >>546
一般論としてだが、殿堂板にいるような野球が好きな人間は
そういう個人ファンではなくチームのファンが多いだろう。
誰それがいるから応援する、応援しないなんてのは女みたいですよ。 勝てばいいからカラーや生え抜き()にして暗黒にした高木
落合は星野とちがって再建できなかった >>548
星野は2期とも優勝1回だから再建したかというと微妙。
阪神、楽天でも1度は優勝させるがなぜかあとが続かない。
落合は1年目などは補強に頼らず優勝したし、
8年で優勝4回、日本一1回だからまあまあの黄金時代築いたと思うけど。
ただ、自分の在任中の成績優先で若手を育てなかったから、
そのツケを払わされた高木はちょっと気の毒。 要は野村克也みたいに手作業で泥川の泥をすくい上げ、泥まみれになりながら川を整備するのではなく、金を使い一気に堤防やダムを作り上げ見かけは立派な川だけど
メンテナンス無視だから、いずれ防波堤が崩れる川に過ぎないのが星野流
崩れたときは他の人
でも暗黒球団がゆえに1度でも優勝すれば神様扱い
そういう所は本当に隙のない星野 >>528
監督一年目から星野は乱闘多かった
広島戦で正田と川又の小競り合いから
両軍出てきて乱闘 >>546
清水哲ってヘッスラで廃人になった人じゃなくて? 乱闘したら報奨金が出るから
率先して乱闘やって金儲けしてたという都市伝説
岩本や小松崎なんかは、高木政権で見事に消えた この年で印象に残ってるのは、大洋にいたマイヤーだな
とにかく飛距離が凄くて、打撃練習でハマスタのバックスクリーン場外とか打ってたのを覚えてる
最近調べてみたら、マイナー時代に177mも飛ばして飛距離の記録保持者だったんだな
アメリカのホームランのwikiに書いてあったわ
マイヤーの177mホームランの動画
https://www.youtube.com/watch?v=Z00iMx8hM5s 東京ドームで香田から打ったバックスクリーンへの本塁打も凄かった。
本当に香田の真上を一直線に飛んで、アーチを描いてバックスクリーンに着弾したもの。
パリーグならもっとやれたな。 マイヤーは日本にもっと残しておけば、ブーマーにちょっと及ばないくらいの
存在になったかもね。まだ28だったし。
dhのあるパリーグならなおさら。 1987・1988は、シーズン前半レギュラーも
日シリでは怪我でベンチ外れた西武の田辺、
この年の日シリでも全く期待されておらず、
第3戦9回の守備固めでやっとこデビュー。
その後の日シリも冷遇され続けた。
レギュラーシーズンがいまいちでも、何故か
日シリでスタメン勝ち取る安部とは大違いだ。 まあ、セ本拠地では、指名打者専門の打者を
守備につかせるために、清原が三塁、石毛が
遊撃に回されるのはわかるが、ホームでも
スタメン外されたり、すぐ代打出されたり
してた。 >>543
大島さんが日本ハムへ移籍したのは、1988年です。
宇野さんがロッテへ移籍したのは、’93年です。
中尾さんが読売へ移籍したのは、’89年です。
上川さんがロッテへ移籍したのは、’87年です。
これらの方々は、いずれも、前年まで中日に在籍しています。 90年はバンスローが好成績にも関わらず星野の暴力野球に嫌気さして
退団したくらいだからちょっとやり過ぎた感はあったと思う バンスローって試合前のベンチ裏でも1人ひっそりと聖書を読んでたみたいだけど
真面目なのはいいけどちょっと近寄りがたいのはある気もする 90年星野は08のいじめ国家失言に匹敵するぐらい世論からすごい嫌われていたからな
みんなも書いてるが08と同じで星野浩二田淵が悪者だった
シリーズ勝敗も同じだし、景気が悪くなって小沢が威張り散らしていた永田町も ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています