1997年のプロ野球
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つい数年前までは、電車の中吊り広告なんか
巨人が独走してりゃ「巨人の死角はここだ!」
低迷してりゃ「巨人逆転優勝の大秘策!」
というような見出しがカネやんだの広岡だのといった
名前と一緒に毎日出ていたからなw
今や見る影もないが。 この年のジャイアンツの低迷は。
ヒルマンや清原なんかより、生え抜きが死に駒として出しすぎたとこでしょ。
木田 河原辺りはシーズンの大半を勝ちゲームの方程式に使えたはず。
来る日も来る日も、入来 三沢ばっかでバカの一つ覚えもいい所。
4位 巨
5位 神
6位 中
今では考えられない順位だった。 >>227
むしろ当時はヤクルトが最下位になるなんて思ってもみなかった 巨人の公式戦最終戦はこの寒い年を象徴するかのように清原の三振でゲームセット 斎藤雅樹の衰えがきつかった
桑田も病み上がりだしまともにローテ組めなかったな
ガルベスと槙原ぐらいで
それでも斎藤はともかく槙原・ガルベス・桑田が、
それぞれ二ケタ勝ってるのに(防御率もさして悪くもない)、
燕に20ゲーム差もつけられるとは采配のひどさに呆れるばかりだ。 前年最多勝の斎藤 ガルベスに11勝の槙原
そこに桑田の復活やヒルマンの加入でこれはすごいと思ったが・・・
落合の呪いか >>233
ヤクルト戦だったな
ホージー38本松井37本でのホームラン王争い最終戦直接対決だったので注目していた。
結果は野村監督が送った刺客の全盛期+超絶好調の石井一久の前に松井ノーヒットでなすすべなしだった。 四球合戦は萎えるが、そういう真っ向勝負のタイトル争いってのは清々しいな。
巨人投手がどういう風にホージーを相手にしたのかは分からんけど。
ホージーに限らんけど、ヤクルトは良い外人獲ってくるゎ 8月の横浜対中日(草薙か平塚)
進藤、谷繁、佐伯の3連発。
星野監督があきれて笑ってたのが印象深いです。 >>"39
それはホージーにタイトルとってほしくなかったから
ホージーがタイトルとるとMVPの可能性も生じた
批判した手前乃村はそれだけは避けたかった そういうことをいいつつ
絶好調の石井一久を送るところが野村監督らしい >>241
結局MVPは古田だったんだよね。
守備での功績とかがが考慮されたんだろうけど、当時は何で
ホージーじゃないのか不思議だったよ。 >>236
チーム防御率はリーグ2位だったし得失点差も+14だったからなおさらだな。
打撃力や投手力が極端に悪かったわけではないだけに。 横浜のマシンガン打線の愛称が認知されたのはこの年だっけ? >>244
巨人は抑え不在じゃなかったっけ?
シーズン終盤に趙成民で抑えが固定されるまで、目まぐるしく抑えが変わってた気がする。 >>244
でも、ヤクルトと比べると一目瞭然だよ
ヤクルトは先発の防御率がよく安定感があり、
抑えも伊藤智、高津の両輪がうまく回っていた。
打線も上位下位関係なくとにかく打っている
両リーグ投手成績
1 大野 豊 135.2回 2.85 1 小宮山 悟 187.2回 2.49
2 山本昌 206.2回 2.92 2 岡本 晃 146.2回 2.82
3 田畑 一也 170.1回 2.96 3 潮崎 哲也 174.0回 2.90
4 吉井 理人 174.1回 2.99 4 豊田 清 150.2回 2.93
5 竹内 昌也 140.1回 3.01 5 小池 秀郎 182.2回 2.96
6 ガルベス 192.2回 3.32 6 黒木 知宏 240.2回 2.99
7 川村 丈夫 151.2回 3.32 7 西口 文也 207.2回 3.12
8 三浦 大輔 142.1回 3.35 8 星野 伸之 202.2回 3.24
9 槙原 寛己 150.2回 3.46 9 野田 浩司 150.1回 3.29
10 湯舟 敏郎 136.2回 3.56 10 工藤 公康 161.1回 3.35
11 藪 恵壹 183.0回 3.59 11 伊藤 隆偉 135.1回 3.46
12 澤崎 俊和 156.1回 3.74 12 下柳 剛 147.0回 3.49
13 桑田 真澄 141.0回 3.77 13 グロス 233.0回 3.63
14 野村 弘樹 143.1回 3.89 14 武田 一浩 163.2回 3.85
15 黒田 博樹 135.0回 4.40 15 薮田 安彦 146.1回 3.94
16 門倉 健 160.0回 4.73 16 高村 祐 145.2回 4.76
17 山内 泰幸 152.0回 5.21
セリーグの上位の5人が本当に熾烈だったんだな。
決してレベルは高くないけど。
斉藤雅はもう規定投球回にも達していなかったのか。 戦力入れ替えた西武が再びパの強豪に!
西武黄金時代が終わってオリックスの時代かなと予感させたけど結局大した事無かったね。
ただシリーズでは勝てなくなってきた。
このあたりからパは西武かダイエーの二強時代に突入したと思う。 >>251
この年はまさかまさかの不振だった。
翌年はプチ復活したはず。 >西武黄金時代が終わってオリックスの時代かなと予感させたけど結局大した事無かったね。
オリは優勝メンバー放出・冷遇しまくって世代交代失敗だからなあ。
V2くらいで世代交代急ぐ必要あったのかね??
下手に常勝球団になってしまうと選手の給料あがりまくっちゃうってのが最大の理由だろうけどさ。
谷はともかく、塩崎や佐竹は小川や馬場の控えでしっかり育てた方が良かったろうにな。
キャッチャーにしても、中嶋・高田がいるのに三輪優遇だもんな(笑)
結局三輪もいまいちで、日高も中途半端なままレギュラーになっちゃって…。
ちなみに96年の日本一メンバーで、97年冷遇された野手は…
藤井:出番激減(でも18本塁打)
小川:塩崎優遇で出番減(後に横浜移籍)
高田:三輪優遇で出番大幅減
中嶋:三輪優遇で出番大幅減→FAで西武
馬場:佐竹優遇で2軍へ→ヤクルトからトレード申入で移籍
本西:谷優遇で2軍へ→阪神からトレード申入で移籍
高橋智:出番減、移籍希望(後にヤクルト移籍)
勝呂:日本一オフに近鉄放出
若手以外には五十嵐を優遇してたなあ
五十嵐>>>藤井だったもん。仰木的に。
98年以降には藤本博史とか南渕とか獲って、ホント意味不明だったし。 >>222
それから11年も経つと,野球中継で10%を超えることも稀になり,ついには地上波での中継そのものが激減…。 斎藤開幕小早川から被3連発だよなぁ
あれは衝撃だった
何でここまで打たれるかってくらいコテンパンにやられた
それ以降もさっぱり
なぜ前年の最多勝投手が翌年突如崩れるのかと思ってた
98年は辛くも10勝したけど、球の勢いは感じられなかった 小早川は事実上、巨人の2人の大投手を引退に追い込んだことになるんだな。 全盛期の斎藤はフォームに躍動感があったが、衰えだしたこのころから
体の回転が浅くなり手投げっぽくなってた
いい時は重心が低く上体も沈んでたが、やや高くなってた
だから球に力がいかずポンポン撃たれた。
上原とかぶってしょうがね・・
斎藤も今の上原ぐらいの年齢から衰えたな 全盛期が凄かったのに、急速に衰えるってのは萎える・・・ >>252
夏場にはV3確実という状況になりかけたんだけどね。
イチローの手記が週刊誌に載ったあたりから失速した。 斎藤は96年後半の故障をひきずってるような気がしたが でも斎藤は翌年は10勝したんだよね
球威は落ちてたがサイドスロー特有の両サイドへの制球でうまくモデルチェンジできたと思ったんだが
開幕の頃には景気回復一直線という雰囲気だったのに、日本シリーズの頃にはボロボロになっていた。
シーズンオフに拓銀と山一が破たん。 小早川3連発
石井ノーノー
伊藤智復活
ホージーの覚醒
古田キャリアハイ
清原が空回り
西口力投!プチ岡林に
&95、'96が「メイクドラマ」でこの年は「メイクミラクル」だよ>読売 お前ら山本昌に触れてやれよ。最下位チームの最多勝だぞ? >>269
「最下位チームでの最多勝」なら,黒田(現:ドジャース)も後年やっているからなあ…。
で,その黒田のルーキーシーズンだったこの年,初登板の巨人戦で完投勝利を挙げたんだよな。見てて痛快だった記憶がある。 グライシンガーですらやってるし今年の岩隈も現状そうだし
そこまで関係ないかなあとは思う この年で一番ムカついたのは星野監督がミスして自滅して降板した投手をベンチで殴るは
蹴るはで暴力を振るったこと。テレビの公の場でそんなことするな。たしか甲子園の
阪神戦の消化試合だったけど。 開幕戦の斎藤の小早川の3連発
3本目の斎藤の呆然と立ち尽くして打球すら見なかったのが印象的
桑田が復活したのもこの年よね。
清原は不振やら言われてたけど、93年から選手名鑑を買い続けてたから清原の得点圏打率の悪さも知ってたから意外でもなんでもなかった。
中日は立浪が開幕戦初回先頭打者ホームランでナゴヤD第1号。
不調の仁志がなぜかレフトでスタメン。顔色の悪い池山隆寛がレフトにライナー、仁志がもたついてランニングホームラン。
西武のロバート。ウィシュネフスキーって名前。
たかぎたいせーがランニング満塁ホームラン。
阪神が18人のリストラ。
巨人から近鉄に行ったノーコンが1回にいきなり5者連続フォアボール。
次の年の選手名鑑の斎藤雅樹がふてくされたような顔で目が死んでたのが一番印象的でした。
ぼくも85年生まれですが、けっこー学校で野球は話題に出てましたよ。
8月くらいまで担任が阪神優勝とか言ってたし ナゴヤDと言えば、
五階席第1号がパウエル
逆方向第1号が金本 大豊が外国人審判に暴行したのもこの年だよな。
星野監督が後ろから大豊の背中押してたけど、別に押さなくても外国人審判の胸突いてたよな。
その事件でその外国人審判は辞表出して、母国に帰国したけど。 この年の日本シリーズの最中に「安室奈美恵 できちゃった結婚」が話題になったせいか,
日本シリーズの結果はほとんど覚えていない。というよりも,途中から西武がサンドバッグ
状態になったのだけは覚えてるけどw 俺が始めてプロ野球に興味を持った年だったなぁ
当時は小3でした マシンガン打線が完成した年だったな
石井一にノーノー食らうまでの追い上げは凄かった 桑田復活 斎藤衰え 槙原 負け原
と3本柱終焉を感じた年 槙原はこの年チームの勝ち頭だぞ(12勝)
ガルベスも同じ勝ち数だが、負けも12敗。
槙原がいなかったら最下位でもおかしくなかった。
てか長嶋がちゃんと木田を使ってたら、あんなぶざまな結果にはならなかった そういやテータムが日シリ後に解雇されたのは残念だったな。
ペタが来るまで一塁が固定出来なかっただけに勿体ない ヤクルトが開幕から13勝2敗で走り、終盤横浜に最も迫られた所からもうもう一度13勝2敗をやったのを覚えてる。 >>286
何故か木田の登板が少なかったね。
前年はこの采配が良かったのか悪かったのか知らないけど
木田や宮本が登板した試合、1点取られたくらいで
中継ぎに交代した試合をよく見た気がする。 >>282
特に8月は驚異的な強さを見せて20勝6敗という恐るべき成績だった。
6月時点ではヤクルトと14ゲーム差あったのに2ヶ月で3.5ゲーム差まで詰めたんだからヤクルトは相当焦ったと思う。
サヨナラ本塁打
【97】■894・佐藤真(葛西) ■藤島誠(木村) ■パウエル2(ペルドモ) ■大石5(ホセ) ■田口壮(島崎) ■鈴木尚典2(木下) ■吉永3(岩本) ■城島1(吉田) ■田中雄4(石井) ■井口1(小林)
■初芝2(小林) ■吉永4(河本) ■緒方孝(葛西) ■Tペレス(西山) ■伊東勤3(河本) ■古田4(島田) ■ゴメス1(岩崎) ■鈴木健2(吉武) ■イチロー1(河本) ■藤井康5(吉田) お邪魔致します
下記スレの>118-120に、全サヨナラ本塁打・81年〜01年分(レコードブック2002より)も載せていますので
よろしければお越し下さい
↓
2008年までのドラマティック・サヨナラ賞を選考スレ
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1238677368/ 工藤公康が背番号を21から、漸く西武時代の47に変更 >>291
あれから12年。今となっては見る影も無いぐらい弱体化している。 >>291
あわやメイクレジェンドだったんだなぁ。
この年の秋頃、友達と飲みながら「何だかんだ言って最後はヤクルトだろうなぁ。
横浜は優勝経験値が足らんもんw」と90年代の盟主を優勝予想にあげて、
実際にその通りだったけど、この年の経験が翌年に生きるとは大いなる予想外だった。 >>262
永谷脩が捏造したと訴訟沙汰になったんだっけか。 グリーンウェル退団に伴い急遽中日を昨年限りで解雇になったコールズを獲得。 >>252>>262
この年もまたオリックスだろうと思っていた。
前年96年日本一のオフ仰木監督が新たに3年契約。
監督と対立し退団した山田久志に代わり神部年男を迎え心配された投手継投も冴え
5割ラインを行ったり来たりのチームも5月末からの10連勝で西武を抜き首位浮上。
平井酷使離脱後の抑えにも小林が回り、前年までの野村、鈴木と共に接戦を凌いでいった。
打線も”猫の目”というのは主に下位打線で
一番田口にイチロー、ニール、C・D改めドネルスの中軸はほぼ固定で安定していた。
7月頃から早くも西武との2強レースで球宴前の2週間半に及ぶ長期ロードに負け越し、
その際6連敗中に西武に抜き返されるも
粘ってゲーム差なしの首位“マジック健在”を印象付けて折り返した。
球宴直後4連敗するなど調子の上がらない西武を尻目に
球宴直後1分け挟んでの7連勝で貯金17で5ゲーム差とした
正直なところ「これで決まり」と思ってたんだけどなぁ。 つづき
1.5差に詰め寄られた8月15日。
球宴直後以来の地元神戸での3連戦に3タテ、「西武に対し苦手意識がないやっぱり決まり」
ところがその直後の3連敗を含め残り1ヶ月強の32試合で5度の3連敗で失速。
9連勝、5連勝で奪首した西武とあまりに好対照な終盤だった。
「やった」と思わせる連勝の後にすぐ連敗という波が幾度となく押し寄せたシーズンだった。 さらにつづき
V3を逃した要因は大きく分けて3つ
1.機動力の差
西武は御存知「ヒット!フット!ゲット!」で200盗塁、対するオリックスはリーグ5位の70盗塁だった。
イチローの39盗塁を除けば僅か31個、二桁盗塁選手はゼロだった。
犠打の差はさほど無かったが、足での威圧感に欠けた。
2.救援陣の疲弊
8月の神戸での西武3タテからシーズン終了まで18勝24敗の失速の原因の大きな要因。
24敗のうち逆転負けなんと15。連覇の原動力になっていた野村が不調、鈴木が右ひじ故障と
連覇の2年での酷使がここにきて響いた。
3.性急な若返り
西武の黄金期が終わったのは94年、東尾の下松井、大友、高木らが育ち鈴木健も4番で引っ張った。
オリックスはそれに刺激されて「これは遅れちゃいかん」と思ったのだろうが急ぎ過ぎた感がある。
勝呂を近鉄に金銭トレードで放出。シーズン途中にも
馬場、本西という内外野のスペシャリストをあっさり放出。
ルーキーの谷、佐竹、塩崎を仰木監督お得意の大抜擢のためとはいえ
立て続けの名手放出には少し驚きましたね。
やはり仰木監督というのは良くも悪くも“劇薬型”。
長きに渡った強いチームづくりをする監督ではなかったかなと思います。
(了) 確かこの年だったかな?
故・三村氏(当時の広島監督)が巨人戦でジャンパイア炸裂して負けた試合後、
「あの審判をお立ち台に上げてやれ」という趣旨の発言をしたのは。 長嶋が広沢の名前間違えて「広岡の内野安打が大きかった」って試合かな。 >>314
仰木のやり方はたまに無理があるな
西武が強さを取り戻してオリックスが弱くなっていったのはよくわかる。 >>316
ちなみにこの年の広沢は巨人時代の五年間で唯一ほぼ期待通り働いたといっていい成績だった >>318
95年と大して変わらんくなかった?って思ったんだけど、
打率が4分ほども違っていたのか。
だが打点は2年前より下がっているという不思議。 6月までは阪神
首位ヤクルトに3.5まで追い上げた
苦手の札幌横浜で、久慈の2発、6ホームランと言う85年顔負けの猛打で追い上げた。で元中日のコールズ獲得
守備はともかく、前年29ホームランの打力を期待した
しかしその後は・・・ >御存知「ヒット!フット!ゲット!」で
(´・∀・`)ヘー 今初めて知った。
阪神の「元気、やる気、根気」みたいだな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています