1997年のプロ野球
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
ヤクルト優勝決定試合に潰された、ダウンタウンのごっつええ感じ 松井が開幕10試合で打率わずか0割5分 0本
第一号ホームランが出たのは11試合目 清原巨人移籍初年度
前半不振に悩まされるも32本塁打95打点をマーク
だが、誰もが優勝がほぼ決まった後の帳尻といった。
全盛期の勝負強さに程遠く西武側がFA移籍の際にあまり惜しむ声が聞こえなかったのがうなづけた
夏場に横浜がヤクルトを猛追
翌年の優勝を予感させる快進撃を見せる 大阪ドーム、ナゴヤドーム元年。
一方の球団が10年以内に消滅するなんて当時は誰が予想しただろう。 この年の監督交代は横浜だけ。
2位なのにも関わらず代えたため疑問の声が上がる。
この交代劇が翌年の優勝に繋がったが…。 90年代を代表する投手、斉藤雅・今中の2人が揃って衰えたシーズン >>1
セントラルは開幕からヤクルトが独走し早くも灯が消えた。
一方のパシフィックは西武とオリックスを中心に混戦で、結局西武が覇権を奪回したが、見応えのあるシーズンではあった。 引退選手
広瀬哲朗
岡崎郁
仁村徹
福良淳一
宮本和知
西村徳文
長嶋清幸
大石大二郎
田村藤夫
郭泰源 >>17
ヤクルトって一度横浜に僅差にまで迫られて無かったか?
でヤクルト戦ノーノー食らって、巨人戦で死滅した気がしたが…。
ちなみにこの年は巨人、中日、阪神と現在優勝争ってるチームが最下位争ったシーズンでもある。 >>19
岡崎は96年引退、広瀬は98年引退です。 >>21 ベイがヤクに終盤2.5まで迫ってスポーツ紙に「やベイぞ にご(2.5)ってきた」って書かれた。 ホージー様ホームラン王
斎藤に衰えが見えはじめ、今中落合が死んだ年
ホージーとは逆にオルティスはパッとせずに途中解雇。
後はヤクルトの野中・廣田・加藤(博)の中継ぎ投手陣も奮闘した。
キモハラの大阪Dオールスターで打った打球がフェンスにあたり、壁がはげた ↑それと打球が天井に引っ掛かって落ちてこなかったよね
後レーザーポインター事件もこの年か オリックスがナゴヤドームで主催試合
イチローのお膝元ということで >>32
外野が山崎、音、パウエル
音の所に益田やら山口が入って、パウエルを一塁にして矢野(現阪神)をライトにしたりね。
まあ、やばかったですよw ナゴヤドームの巨人ファンが清原の応援をボイコット。 松井ナゴヤドームホームラン量産
一時期中日選手の総本数より上回ってるのが話題になった
その1年後のナゴヤドームオールスターでは弾丸ライナー5階席弾 何故?。
この時でしたっけ、永谷脩氏が週刊誌に「イチロー夢日記」を書いたのは、あれが掲載されてからオリックスが西武に抜き去られてしまい、リーグ三連覇を逃したのは。
ノムさんが永谷氏を批判していたのを覚えています。 「イチロー夢日記」っていまではなぜあれほど大騒ぎしたのかわからなくなった。 阪神、4月中旬に6連敗も6月上旬まで5割キープ
グリーンウェル骨折であっという間に退団
旭川で一試合6HR
ハイアット、シークリスト、コールズ、マクドナルド、郭李みんなしてウンコ
巨人戦で1イニング10点 イチローの連続無三振記録を止めた下柳(日本ハム)は仰木監督の推薦でオールスターゲームに出場しなかった?
コールズは打撃の割に守備力の弱さから星野監督以下中日首脳陣から戦力外通告を受けたのに・・・、確か阪神はオリックスのD.Jにも食指を伸ばしてた様な。 この年のロッテは.279、14本塁打、77打点のキャリオンがチーム三冠王
チーム総本塁打がたった75本 伊良部ヒルマンが抜けほぼ全員評論家達がロッテの最下位予想
この年のロッテは史上最弱チームと言われるほど弱かった。
100敗説もあったくらいだ。 東京中日スポーツの佐瀬稔「風と光と」
出版がダメならネットでいいからまとめてくれんもんかね。
この年もとても面白かったんだが…。 阪神の桧山と新庄が2人でこの年300三振ぐらいしてた。 >>47
その僅か8年後に優勝した時は、流石に自分のホッペを抓ってみたが痛かった。 選手名鑑でのホージーに対するコメント
「広い守備範囲が魅力の外野手として定評。レフトでクリーンアップが予定されており
これで飯田、稲葉と鉄壁の外野トリオを形成する。楽しみな助っ人だ。」
・・・ 今年二十歳の俺はこの年初めて清原と言う選手を知りました 伊藤智の高速スライダー、吉井光線事件、ヤクルト優勝時野村が黄金時代作るとかほざいてたな。今では考えられないほどヤクルトが強かった。野村が大嫌いといって地味に頑張っていた広沢が好きだった。 ジャイアンツ22年ぶりの最下位も見えた年だったな。
三振王は清原と桧山が激しく争ったが結局は清原に軍配。
>>58
この年、広沢はまだスワローズ所属?
既に巨人
95年の不振に比べれば少し活躍したシーズン
イチローが首位打者を獲得…はいつものことだが
この年は.345で、2位クラークの.331とは1分4厘差。
確かシーズン後半で1分以下の差になった時期もあり、
ひょっとするとイチローが首位打者をとりそこねるのでは?
と少しだけ思わせた年だった。 ホージー好きだったけどなあ
シリーズで打った(とういか当たった)へなちょこヒットは印象的
ヒットじゃなくて野選だったかな? 今フジテレビ739でプロ野球ニュース1997年特集やってたのか
チクショー黄金伝説なんか見てたよ 小宮山が書いてたけど、かなり印象的なシーズンだったらしい。
小坂が盗塁王を松井と競っていて、さらに新人王資格のある岡本も防御率も自分と競っていたから。
松井に盗塁を許したり、防御率で岡本に負ければ小坂が新人王になれないのでかなりプレッシャーだったとのこと 西部‐ダイエー戦で27対0くらいのスコアで西武が圧勝した試合があった記憶がある >>72
福岡ドームのライトスタンドから無数のメガホンが投げられた試合か。
あの試合生で3塁側スタンドから見た。 西武が豊田か石井貴で、福岡ダイエーがウェストだったかな先発投手は? ロッテが10−0で勝ってたのを
近鉄が11点獲って11−10で勝った試合が有ったな。
漏れは大阪ド−ム見たさに千葉から遠征したが
園川と佐野が先発でキャリオンが5−5打った事
今でも鮮明に憶えてる。1997年8/23@大阪ド−ム
西武が21−0(くらい? 相手忘れた)で完封した
試合があった気がするんだが、それとはちゃうの?
20数点を超える試合って、滅多に無いっしょ。 >>78
多分それ。相手はダイエーでスポーツ紙(確か日刊スポーツ)の一面にもなった。 >>78>>79
これか、しかも毎回得点試合のおまけつき。
ちなみに西武の投手で21点差完封したのは現巨人の豊田
1997年5月7日(福岡ドーム)
123 456 789 計
西武 242 211 612 21
ダイ 000 000 000 0 もしも日本シリーズに強い清原が残っていれば西武が日本一だったかも アメリカ人の審判(デュミロって名前の人だったかな?)がいた年 >>86
手元にある記録本には110試合出場393打数99安打28本塁打76打点打率.252 廣田、野中、加藤がいなきゃ優勝できなかった。
打つほうではホージー、小早川、馬場。 >>88
開幕シリーズで加藤が2Sした時は
まさか復帰早々抑えに大抜擢か?と思った。
中継ぎで60試合、1.99でキャリアハイ >>89
加藤はその前年が散々な結果だったから、復活したのはすごく嬉しかったな。 吉永(ホークス)はこの年前半戦だけで25本ホームラン打ってた
後半戦は4本しか打てなかった 吉永は西武球場で30号ホームランを打ったが、その試合が降雨ノーゲームになってしまったため
1本損してしまい、結局30本の大台に届かなかったな。 ヤクルトの再生工場が一気に脚光を浴びた年だな。
とある巨人戦で、延長に突入するも投手がいなくなって、
最後の投手として13回からマウンドに上がった元打撃投手の山内投手。
彼が三回をしっかり抑えた試合をラジオで興奮しながら聞いたなぁ…。
最終回に味方が点を取って、一度地獄を見た男がプロ初勝利を挙げたのには感動した。 >>93
それって山内じゃなくて野中じゃなかったかなぁ?
当時は山内もいたが、オリックス時代に8勝してるし。
野中は阪急をクビになった後、台湾や中日でプレーしたのちヤクルトにテスト入団。
この年に日本では初勝利を挙げてその時はけっこう話題になってた。
ちなみに巨人戦じゃなくて横浜戦だったと思う。 野中投手のプロ初勝利は5月下旬の横浜スタジアムでの対横浜戦。
山内投手は2年前にオリックスから入団している(入団経緯はあまり覚えてませんが・・・。)。
確かに巨人との東京ドームでの延長戦勝ちの試合で山内投手は勝ち投手になった記憶が有る。
>>94
プロ初勝利じゃなかったかもしれない…間違えた。
でも選手は山内で間違いない。
7月上旬の巨人戦だったよ。 この年の奪三振王は山本昌の159個で歴代セでは最小
斉藤雅、斉藤隆、今中の3人が揃って不振だったからなあ >>98
斎藤隆は確か,ヒジの手術で一軍登板は無かったはず。
今中にしても病み上がりだった(肩かヒジかは忘れたが)。 この年一番速い球を投げたのは檻の平井 次いで近鉄の酒井 >>100
酒井は翌年セットアッパーとしてかなり活躍してたね 広島はその後、01年に勝率で3位ながら4位になってるな この年のヤクルトは古田がチャンスで鬼のように打ってた印象があるな その年のパワプロ(5かな?)で最多勝の昌の能力が弱かったなぁ…コンCスタBに一発…落合英の方が能力良かったし汗 中日は最下位だったからなぁ…。
ナゴヤドームに対応出来なかった感じか? >>108
同じくホームがドーム球場になった近鉄は3年ぶりにAクラスになった 暴言かもしれないけど言わせてもらう
ヤクルトが優勝する年は後から振り返ると地味な印象がある(92年除く) >>111
94,96年の巨人が劇的に優勝してたからそう感じるのかもしれない
ヤクルトの優勝は毎回ぶっちぎりの一人勝ち状態だし >>112
でも97年は決してぶっちぎりとは言えないかと…。
この年は夏場に横浜が猛追撃をかけてきて、
周り(マスコミとか)も「横浜に37年振りの優勝を」という雰囲気になってきてて。
野村監督も、雰囲気に押されないようにと選手に言い含めてたらしい…。
その中であった横浜との直接対決で何とかしのいで、
更に石井一久のノーノーで黙らせた感じがする。 ヤクルトが開幕から最後まで終始1位、こういう例は過去どれだけあるのか? 今年のセの順位見て10年あれば戦力って大きく変わるのだなとしみじみ思いました >>115
97 順位 07
ヤ 1 巨
横 2 中
広 3 阪
巨 4 横
阪 5 ヤ
中 6 広
見事に入れ替わったな。 日本シリーズでホージーがグリップエンドに当てる
内野安打を打ったのはこの年でしたっけ? >>118
この年だよ Youtubeにもあるはず >>115 >>116
そういえば2003年秋の週ベで
「今年のセは1位と最下位を入れ替えた98年の順位と同じ、まさか横浜と阪神の強さが逆転するなんて当時は思いもしなかった」
という投稿があったのを思い出した 「クラッシュ正宗」、「ストッパー毒島」というプロ野球漫画があるけど
どちらも97年のプロ野球をメインに描かれている 全然球界初じゃなかった。
戦後間もない期間で200盗塁は結構頻繁に記録されてた。 >>113
そうだよな。オレ当時小6だったけどクラスの友達も横浜を応援し始めて、普段野球見ない女子からも
「横浜は37年ぶりなんだから今年くらいいいじゃない」って言われたよ。
オレは5歳の時からの燕党だからこう言ってやった。「ヤクルトの底力はここからだぞ。この直接対決で証明されるよ」 するとどうだ、1戦目は石井一久のノーヒットノーラン、2戦目も土橋のタイムリーで快勝。
その後クラスでは誰も騒がなくなった。
あの時は最高に気持ちよかった。今でも忘れられない >>80
その試合、TNCが巨人戦を差し替えて放送していたが
あまりの酷さに途中で巨人戦に切り替わった。 >>124
85年度なのにそんなプロ野球人気高いのか?
83年度生まれだが小学の時にプロ野球の話題をしていた連中も中学になったらプロ野球の話題を
しなくなっていたからプロ野球人気の低下を感じていた(うちの中学は甲子園に出場した
東海大浦安、市立習志野や県大会準優勝の木更津中央に行った人もいて野球が盛んだった)
たまに巨人やイチローや野茂の話題をしている奴はいたが
よりによってヤクルトとか横浜とか…一体どこの話だよ >>123
昭和20年代は盗塁阻止技術が今と比べて格段に劣る時代だからこの時代に記録した価値は高いと思う。 だが昔は天然芝の球場が多かった
元大洋の加藤博一が言ってたんだが天然芝の球場だと土によって前に行く力が
邪魔されて80パーぐらいの力しか出ないそうだ
対して人工芝の球場だと蹴った100パーの力がそのまま出る
それで、今は人工芝の球場が多いから羨ましいって言ってた
ヤクルトと横浜が優勝争いするなんて80年代では考えられなかった。 >>127
88年度生まれだが小学生の頃は普通に毎日皆と野球の話してたぞ。 8月2日、甲子園 阪神×巨人
巨人投手陣炎上、1イニング二桁失点で
長嶋監督自らマウンドへ・・・。 >>131
そりゃ関西とか中京とか福岡で阪神・中日・ダイエーの話をするならありえるでしょ
俺は88年生まれだが普通に野球の話してたよ
関西なのに巨人ファンだらけだったけど >>134
関西と中京と福岡あたりは未だに野球人気が高い例外的地域なんだから
野球人気が低い関東とは全然話が違うだろ
関東で今の10代・20代前半の世代がプロ野球の話題を当たり前にしているのが
凄いのであって 阪神(5位) ヤクルト戦7勝20敗1分 横浜戦17勝10敗
巨人(4位) ヤクルト戦8勝19敗 横浜戦14勝13敗
横浜優勝争いのときはマスコミもさんざん煽ってたから、
首都圏の小学生が毎日話題にしてても何ら不思議ではない。
今の小学生がプロレスの話題を毎日してるってんなら不思議だが。 横浜の優勝なんてプロ野球を普段から見ている人を除くと神奈川県民以外は正直どうでも良いネタ
マスコミが勝手に盛り上げてただけ
千葉県や埼玉県の小学生が全く関係ない、元々それ程人気があるわけでもない
横浜の球団のネタで盛り上がれるわけないじゃん
つうか関東の平成生まれの小学生がプロ野球の話題をしてるなんてそれこそ不思議だろ
1997/4/19
神 000000004 4
ヤ 002000201x 5
1997/9/27
神 0000000040 4
ヤ 1000102001x 5
ワロス 清原vs藪って二人の掛け合い漫才も見ごたえあったけど
単純に打者と投手との真剣勝負としても面白いと思ったがな
この年確かマクドナルドなんて投手を阪神がリリーフエースとして獲得したよな
名前が珍しいから覚えてる、すぐ打ち込まれて帰ったな。 >>13588年生まれで世代は87年の葛飾区在住だけど、皆野球の話してたしグラウンド借りて野球してた。
圧倒的に巨人ファンが多かったけど、98年はニワカ横浜ファンが急増。
オレもその一人で、東京ドームで裏に全選手が載ってる横浜の下敷買って必死に名前覚えた。
パワプロも皆持ってたし、キャプテンとか読んでたな。
阪神はあの戦力で本当に良く頑張ったと思う。
6月には貯金が2つあった時もあったし。 当時ダイエー吉永が前半戦ホームラン量産したような
25本くらい
そのホームラン量産が後に例の手旗信号(笑)によるスパイ行為のおかげと言われる 近鉄小池が覚醒して最多勝(15勝)になった年。
二宮清純の取材ではフォークを使わなくなって(から)勝てるようになった、と語ってた。 85年からプロ野球を見てきたが、印象が最も薄い1年だ
覚えているのは松井ほうじーのタイトル争いぐらいか。
サカブタが必死だな
98年神奈川は横浜一色だったぞ
大魔人神社は毎日すごい人だかり サッカーも好きだから97年と98年はどうしてもプロ野球の印象は薄いんだよな〜。
中日ファンだからペナントがつまらんかったのも原因だけど。 清原・ヒルマン・石井浩が入団したこの年の巨人が
4位に終わると予想した人はどれだけいたんだろうか?
あと、この頃は巨人が他球団の主力選手を何人も獲得する事に対して
世論やマスコミからの非難の声はそんなに激しくなかった様な
気がするんだけど実際の所どうだったんだろう? 長嶋茂雄という看板が批判を封じていたがそこそこ非難の声はあった。
1994年オフの補強があまりにもチームのバランスをくずす補強だったのにくらべて
このときの補強は前評判ではほどほど適材適所的だったせいか比較的少なめだった。
名古屋ドーム元年。仁志の怪我で一番に抜擢された緒方がライトスタンドへホームラン。スタメンはこの日ぐらいではないかな。そしてこの年限りで引退。長島も老け込んできて、地味な年だがこの年からプロ野球の雰囲気が変わったような気がする。 >>148
それを知ったN村監督が激怒していた。
誰が関わったのか知らないが追放処分になってもおかしくない行為。 この年って新入団の外国人野手の活躍が目立つ
ホージー(ヤクルト) .289 38本 100打点
ゴメス(中日) .315 31本 81打点
ウィルソン(日ハム) .274 37本 94打点
マルティネス(西武) .305 31本 108打点
クラーク(近鉄) .331 23本 93打点
一方でルイスやグリーンウェルというネタ選手もいたし 一方でパウエル、グロス、ヒルマンは完全にダメになったね >>159>>160
そして
「神のお告げ」
「肩に小錦」 仰木によるオリックス改革3年計画の一年目
「改革元年」のスローガンも掲げていた。
実質はリストラ元年だったわけだが…。
オールスターでは、過去10年間4番を打ってた清原がセリーグに
移籍したから、次の4番は誰になるのか注目されてた。。。。
打ったのは1試合目吉永(ダイエー)、2試合目小久保(ダイエー)の順番だったと思う。
一方の清原はセリーグ選抜で出場したものの、スタメン7番だった。
テレビの解説者が「ちょっと寂しいですね」って言ってた。
前半戦の成績が打率.210くらい、本塁打15本、打点43だからしかたなかったけどね。
でも、その試合で2打席連続ホームラン、3打席目もあわよくばホームランっていう
ファールを打って大舞台には強いなっていう印象は残した。
また、この年のオールスターでは松井カズオが古田から1試合4盗塁してブレイクしたな。 >>159
そもそも、その辺のチームは外人探すの上手いよね。 >>160
グロスはこの年も活躍(二桁勝利&200イニング突破)してた
ダメになったのは翌年の98年
>>164
西武はどうかな?
ペンバートン
マニュエル
ロバート
ギブンズ デストラーデ
カブレラ
フェルナンデス
フェルナンデス
マクレーン
etc >>169
>>168は>>167に対するレスなんだろうと思うが・・・
それはさておき、どこのチームだってハズレ外人を言ってしまえばキリはないだろうw
あと、俺的基準では強豪チームだとソコソコの成績で、ある程度優勝に貢献してしまえば、
当たり外人っぽく見えちゃうってのもあるw 記録本見てたらこの年のホークスに、D・ウエストって投手がいて
91.2回投げて防御率が6.38、なのに8勝5敗と結構勝ち星を挙げてる
そして前年15勝(8敗)した武田は投球回数も防御率もほぼ同じなのに4勝9敗
>>82
それはない
西武は豊田の離脱で実質先発が西口と潮崎だけ
3、4戦の先発がその年殆ど実績のない石井丈と新谷
事実二人ともヤクルト打線にあっさりKOされている
打線の不振も酷かったが先発の駒数ではなっから勝負になってなかった
ヤクルトは石井一、田畑、吉井と3本柱がしっかりしていたし
ブロス、川崎もいた >>173
結局トンビの自爆で終わった感が強かったな。
西口→潮崎→後半戦先発テストに合格した石井貴。
でよかったのに、完全に石井貴が死に駒になってしまった。
リリーフは、デニー 橋本 森慎二で固まってたから尚更淋しいシリーズだったよ。
しかし、92年と全く逆の立場になってたな >>175
俺も石井貴を使わなかったのは凄く疑問だった
まぁ、97年は殆どがシリーズ初出場で経験者は数えるほど
しかもみんな大舞台で本来の力を発揮できないような連中だったからなぁ
特に稼頭央はその典型的な例
04年にナカジにレギュラーが変わった途端日本一になったのは偶然じゃないような気がする C・Dとドネルスが同一人物だったと当時は気がつかなかった グリーンウェル
ハイアット
コールズ
シークリスト
マクドナルド 田中幸がシーズン後半1番を打ってた記憶がある
当時は長打力はあっても打率が低くて足も速くないのになんで1番なんだ?
って思ってた Wikiで中日は最下位に終わるが投手陣は奮闘を見せたって書いてあるけど、
山本昌と宣だけが活躍したとしか思えない。
先発 勝 敗 防御率 中継ぎ 登板 防御率
門倉 10 12 4.73 中山 53 4.34
落合 4 6 3.66 遠藤 40 5.24
前田幸 2 13 5.06 大塔 43 3.54
佐藤秀 古池 山田博 北野
現在からは想像できないくらい投手力が悲惨でした。 >>185
「投手王国の礎となる兆しが見えた」って感じかね。
翌年はチームERA1位で、翌々年は同じく1位で優勝に結びついた訳だしね。 チーム防御率が4.33→3.14でいきなり1点以上良くなったんだよね。
野口&落合の台頭、川上の入団が一番の要因かな? >>187
そうだね。あと前田幸の中継ぎへの配置転換、正津・日笠の活躍も大きかったね。
この時期はチームカラーが変わる転換期だったね。 >>189
ドラファンだが、宮田さんは今の強力投手陣の礎を作ってくれた人
だと思ってます。
巨人のコーチを辞めたれた後も、中京テレビのドラ応援番組で、
中日OBの解説の人より多く、ナゴヤ球場に足を運んで、
調子落ちして二軍に落ちた選手やリハビリ中の選手を激励したり、
若手投手にアドバイスしたりと積極的に動いてくれてました。
亡くなられたときも、中日ファンからの、お悔やみの言葉が多かった
はずです。 伊藤智 WHIP0.69
佐々木 WHIP0.70
宣銅烈 WHIP0.76
凄っ
1997年のヤクルトは日本プロ野球史上最強チームだと思う。
黄金期の西武より強い。
勝率高いし日本シリーズ圧倒的な勝ち方だし開幕から常時首位だし。 >>192
野村IDの円熟期、俺は他球団ファンだがこの年のヤクは
急なアクシデントも動揺もせずに立て直す辺り、相手を倒す為の作戦の多さや臨機応変ぶりが
怖いぐらい伝わって来るチームだった。貫禄や余裕さえ漂ってた。もはや鬼の領域。
唯一揺らぎかけたのはベイの快進撃ぐらいか。対戦成績でもベイ戦は1つ負け越している。 中日が散々だった年か
星野の嫁さんが死ぬわ、中日は最下位になるわ、ナゴヤドームは雨漏りするわで。 9月下旬にヤクルト対阪神の優勝決定試合が予定されてたダウンタウンの番組
を差し替えて放送された。後に松本人志が怒って番組を降板したなんてこともあった。 清原
前半 212 15 39
後半 287 17 56 オールスター後の終戦状態の中、清原だけがどでかいホームランを連発していたと思う
一時期打点がトップに5点差程度まで詰め寄ってきて
「こんなチーム状態でタイトルだけとってもなあ・・・・」と思っていた 後半は一応清原なりには力ある程度発揮してたんだな。
後半の巨人は長い長い消化試合が続いていたから
清原が多少打ってもファンは「フーン」てなもんだったな。
そのせいか、翌年からシーズン頭だけ狂ったように打っては
怪我→復帰→「泥水を(ry」→HR→怪我の無限ループ男に
生まれ変わってしまった。 ノムさんにmake(負け)ドラマって言われたのはこの年だっけ? SS:青木智仁 今沢カゲロウ 長谷川淳(GERARD) 石川俊介(聖飢魔II) 高橋良郎(ノヴェラ) 長谷川淳(GERARD) 細野晴臣(YMO) 諸田コウ(DOOM) 渡辺建(PRISM)
AAA:江川ほーじん(爆風スランプ) 亀田誠治(東京事変) バカボン鈴木 MASAKI(アニメタル) 山下昌良(LOUDNESS) TAIJI(X LOUDNESS)
A:KENJILAW(SEX MACHINEGUNS) CRAZY COOL JOE 小松秀行 琢磨仁(KUWATA BAND) DEAN(AION) TOSHI 人時(黒夢)
B:内田雄一郎(筋肉少女帯) SHUSE(La'cryma Christi) 関口和之(サザン) 戸城憲夫(ZIGGY) tetsu(L'Arc~en~Ciel) TOKIE(RIZE) 廣瀬洋一(THE YELLOW MONKEY) 瞬火(陰陽座)
C:ka-yu(Janne Da Arc) 北田万紀(syrup 16g) 木下裕晴(L⇔R) 桜井賢(THE ALFEE) 鈴木博文(ムーンライダーズ) 徳永暁人(B'z) NATCHIN(SIAM SHADE) 根岸孝旨(Dr.StrangeLove) 樋口豊(BUCK-TICK) 前田啓介(レミオロメン)
D:いかりや長介(ザ・ドリフターズ) 上原太(マキシマムザホルモン) 恩田快人(JUDY AND MARY) 角野秀行(TUBE) 洞口信也(クレイジーケンバンド) HEATH(X) 松井常松(BOOWY) ミト(クラムボン)
I:えな 田中貴(サニーディ・サービス) はなわ 福岡晃子(チャットモンチー) フルカワミキ(SUPERCAR) 丸山隆平(関ジャニ∞)
この年と98の石井は怪物だったな
横浜にトドメをさすノーヒットノーランとか 虚塵(笑)と犯珍(笑)、そして味噌(笑)がBクラスwwww ヤクルトファンとしては個人的にはこの二つ
ヤクルト-西武のシリーズで、辻が1打席しかたたなかったのは残念だった。古巣相手に本人は燃えてたろうに。
シーズンではホージーが1番〜8番まで全打順を経験したのは、特に外国人としては珍しい、と思った。
だがなんといっても小早川3発 >>209
そうなんだっけ?
メークドラマって96年だった気がするから、
マケドラマは97年かと思ってた。 >>213
長嶋監督のメークドラマ発言は1995年ヤクルトを追いかけるときに
盛んに連発して、負けドラマはその年のシーズンオフに野村監督が言っていた。
翌年もゲーム差は離れていたがメークドラマを連発し「もうだめだろ」と世間が思ったところで
札幌の9連打を基点とした快進撃で逆転Vをかざり、「1年越しでメークドラマを実現」とマスコミも表した。
マスコミは1996年の優勝を「神がかり」と言ったが、実は最初の年は失敗している。
都合の悪いところは忘れるのがマスコミ
イチローがこの年くらいから少し飽きられてきた(松坂との対決でまた大きな話題になったけど) 95年96年、藪 湯舟
97年、川尻
と三年連続最多敗戦投手。
97年は川尻 古溝 船木が負けすぎたな・・・。 逆に、葛西 田村 伊藤が最強だったな(弓長の4勝負け無しはでかいw)。 >>214
あー、そういえばそうだったかも。
95年は最終的に10ゲーム差付けられてんだから、
終始独走されてる印象だけどなぁw
03阪神に対して、夏頃にゃ既に20差近く付けられてたのに、
「まだ諦めん」とか書いてたのと一緒だな。 >>214
マスゴミは「もう負けられない」とか「首の皮一枚」とかって何月頃まで使ってたの? 「もう負けられない」→「首の皮1枚」→「明日負けたらシーズンが終わると
思って戦え」→「明日が最後のチャンス」 この年の終始低調な成績にもかかわらず巨人戦は平均視聴率20%越え つい数年前までは、電車の中吊り広告なんか
巨人が独走してりゃ「巨人の死角はここだ!」
低迷してりゃ「巨人逆転優勝の大秘策!」
というような見出しがカネやんだの広岡だのといった
名前と一緒に毎日出ていたからなw
今や見る影もないが。 この年のジャイアンツの低迷は。
ヒルマンや清原なんかより、生え抜きが死に駒として出しすぎたとこでしょ。
木田 河原辺りはシーズンの大半を勝ちゲームの方程式に使えたはず。
来る日も来る日も、入来 三沢ばっかでバカの一つ覚えもいい所。
4位 巨
5位 神
6位 中
今では考えられない順位だった。 >>227
むしろ当時はヤクルトが最下位になるなんて思ってもみなかった 巨人の公式戦最終戦はこの寒い年を象徴するかのように清原の三振でゲームセット 斎藤雅樹の衰えがきつかった
桑田も病み上がりだしまともにローテ組めなかったな
ガルベスと槙原ぐらいで
それでも斎藤はともかく槙原・ガルベス・桑田が、
それぞれ二ケタ勝ってるのに(防御率もさして悪くもない)、
燕に20ゲーム差もつけられるとは采配のひどさに呆れるばかりだ。 前年最多勝の斎藤 ガルベスに11勝の槙原
そこに桑田の復活やヒルマンの加入でこれはすごいと思ったが・・・
落合の呪いか >>233
ヤクルト戦だったな
ホージー38本松井37本でのホームラン王争い最終戦直接対決だったので注目していた。
結果は野村監督が送った刺客の全盛期+超絶好調の石井一久の前に松井ノーヒットでなすすべなしだった。 四球合戦は萎えるが、そういう真っ向勝負のタイトル争いってのは清々しいな。
巨人投手がどういう風にホージーを相手にしたのかは分からんけど。
ホージーに限らんけど、ヤクルトは良い外人獲ってくるゎ 8月の横浜対中日(草薙か平塚)
進藤、谷繁、佐伯の3連発。
星野監督があきれて笑ってたのが印象深いです。 >>"39
それはホージーにタイトルとってほしくなかったから
ホージーがタイトルとるとMVPの可能性も生じた
批判した手前乃村はそれだけは避けたかった そういうことをいいつつ
絶好調の石井一久を送るところが野村監督らしい >>241
結局MVPは古田だったんだよね。
守備での功績とかがが考慮されたんだろうけど、当時は何で
ホージーじゃないのか不思議だったよ。 >>236
チーム防御率はリーグ2位だったし得失点差も+14だったからなおさらだな。
打撃力や投手力が極端に悪かったわけではないだけに。 横浜のマシンガン打線の愛称が認知されたのはこの年だっけ? >>244
巨人は抑え不在じゃなかったっけ?
シーズン終盤に趙成民で抑えが固定されるまで、目まぐるしく抑えが変わってた気がする。 >>244
でも、ヤクルトと比べると一目瞭然だよ
ヤクルトは先発の防御率がよく安定感があり、
抑えも伊藤智、高津の両輪がうまく回っていた。
打線も上位下位関係なくとにかく打っている
両リーグ投手成績
1 大野 豊 135.2回 2.85 1 小宮山 悟 187.2回 2.49
2 山本昌 206.2回 2.92 2 岡本 晃 146.2回 2.82
3 田畑 一也 170.1回 2.96 3 潮崎 哲也 174.0回 2.90
4 吉井 理人 174.1回 2.99 4 豊田 清 150.2回 2.93
5 竹内 昌也 140.1回 3.01 5 小池 秀郎 182.2回 2.96
6 ガルベス 192.2回 3.32 6 黒木 知宏 240.2回 2.99
7 川村 丈夫 151.2回 3.32 7 西口 文也 207.2回 3.12
8 三浦 大輔 142.1回 3.35 8 星野 伸之 202.2回 3.24
9 槙原 寛己 150.2回 3.46 9 野田 浩司 150.1回 3.29
10 湯舟 敏郎 136.2回 3.56 10 工藤 公康 161.1回 3.35
11 藪 恵壹 183.0回 3.59 11 伊藤 隆偉 135.1回 3.46
12 澤崎 俊和 156.1回 3.74 12 下柳 剛 147.0回 3.49
13 桑田 真澄 141.0回 3.77 13 グロス 233.0回 3.63
14 野村 弘樹 143.1回 3.89 14 武田 一浩 163.2回 3.85
15 黒田 博樹 135.0回 4.40 15 薮田 安彦 146.1回 3.94
16 門倉 健 160.0回 4.73 16 高村 祐 145.2回 4.76
17 山内 泰幸 152.0回 5.21
セリーグの上位の5人が本当に熾烈だったんだな。
決してレベルは高くないけど。
斉藤雅はもう規定投球回にも達していなかったのか。 戦力入れ替えた西武が再びパの強豪に!
西武黄金時代が終わってオリックスの時代かなと予感させたけど結局大した事無かったね。
ただシリーズでは勝てなくなってきた。
このあたりからパは西武かダイエーの二強時代に突入したと思う。 >>251
この年はまさかまさかの不振だった。
翌年はプチ復活したはず。 >西武黄金時代が終わってオリックスの時代かなと予感させたけど結局大した事無かったね。
オリは優勝メンバー放出・冷遇しまくって世代交代失敗だからなあ。
V2くらいで世代交代急ぐ必要あったのかね??
下手に常勝球団になってしまうと選手の給料あがりまくっちゃうってのが最大の理由だろうけどさ。
谷はともかく、塩崎や佐竹は小川や馬場の控えでしっかり育てた方が良かったろうにな。
キャッチャーにしても、中嶋・高田がいるのに三輪優遇だもんな(笑)
結局三輪もいまいちで、日高も中途半端なままレギュラーになっちゃって…。
ちなみに96年の日本一メンバーで、97年冷遇された野手は…
藤井:出番激減(でも18本塁打)
小川:塩崎優遇で出番減(後に横浜移籍)
高田:三輪優遇で出番大幅減
中嶋:三輪優遇で出番大幅減→FAで西武
馬場:佐竹優遇で2軍へ→ヤクルトからトレード申入で移籍
本西:谷優遇で2軍へ→阪神からトレード申入で移籍
高橋智:出番減、移籍希望(後にヤクルト移籍)
勝呂:日本一オフに近鉄放出
若手以外には五十嵐を優遇してたなあ
五十嵐>>>藤井だったもん。仰木的に。
98年以降には藤本博史とか南渕とか獲って、ホント意味不明だったし。 >>222
それから11年も経つと,野球中継で10%を超えることも稀になり,ついには地上波での中継そのものが激減…。 斎藤開幕小早川から被3連発だよなぁ
あれは衝撃だった
何でここまで打たれるかってくらいコテンパンにやられた
それ以降もさっぱり
なぜ前年の最多勝投手が翌年突如崩れるのかと思ってた
98年は辛くも10勝したけど、球の勢いは感じられなかった 小早川は事実上、巨人の2人の大投手を引退に追い込んだことになるんだな。 全盛期の斎藤はフォームに躍動感があったが、衰えだしたこのころから
体の回転が浅くなり手投げっぽくなってた
いい時は重心が低く上体も沈んでたが、やや高くなってた
だから球に力がいかずポンポン撃たれた。
上原とかぶってしょうがね・・
斎藤も今の上原ぐらいの年齢から衰えたな 全盛期が凄かったのに、急速に衰えるってのは萎える・・・ >>252
夏場にはV3確実という状況になりかけたんだけどね。
イチローの手記が週刊誌に載ったあたりから失速した。 斎藤は96年後半の故障をひきずってるような気がしたが でも斎藤は翌年は10勝したんだよね
球威は落ちてたがサイドスロー特有の両サイドへの制球でうまくモデルチェンジできたと思ったんだが
開幕の頃には景気回復一直線という雰囲気だったのに、日本シリーズの頃にはボロボロになっていた。
シーズンオフに拓銀と山一が破たん。 小早川3連発
石井ノーノー
伊藤智復活
ホージーの覚醒
古田キャリアハイ
清原が空回り
西口力投!プチ岡林に
&95、'96が「メイクドラマ」でこの年は「メイクミラクル」だよ>読売 お前ら山本昌に触れてやれよ。最下位チームの最多勝だぞ? >>269
「最下位チームでの最多勝」なら,黒田(現:ドジャース)も後年やっているからなあ…。
で,その黒田のルーキーシーズンだったこの年,初登板の巨人戦で完投勝利を挙げたんだよな。見てて痛快だった記憶がある。 グライシンガーですらやってるし今年の岩隈も現状そうだし
そこまで関係ないかなあとは思う この年で一番ムカついたのは星野監督がミスして自滅して降板した投手をベンチで殴るは
蹴るはで暴力を振るったこと。テレビの公の場でそんなことするな。たしか甲子園の
阪神戦の消化試合だったけど。 開幕戦の斎藤の小早川の3連発
3本目の斎藤の呆然と立ち尽くして打球すら見なかったのが印象的
桑田が復活したのもこの年よね。
清原は不振やら言われてたけど、93年から選手名鑑を買い続けてたから清原の得点圏打率の悪さも知ってたから意外でもなんでもなかった。
中日は立浪が開幕戦初回先頭打者ホームランでナゴヤD第1号。
不調の仁志がなぜかレフトでスタメン。顔色の悪い池山隆寛がレフトにライナー、仁志がもたついてランニングホームラン。
西武のロバート。ウィシュネフスキーって名前。
たかぎたいせーがランニング満塁ホームラン。
阪神が18人のリストラ。
巨人から近鉄に行ったノーコンが1回にいきなり5者連続フォアボール。
次の年の選手名鑑の斎藤雅樹がふてくされたような顔で目が死んでたのが一番印象的でした。
ぼくも85年生まれですが、けっこー学校で野球は話題に出てましたよ。
8月くらいまで担任が阪神優勝とか言ってたし ナゴヤDと言えば、
五階席第1号がパウエル
逆方向第1号が金本 大豊が外国人審判に暴行したのもこの年だよな。
星野監督が後ろから大豊の背中押してたけど、別に押さなくても外国人審判の胸突いてたよな。
その事件でその外国人審判は辞表出して、母国に帰国したけど。 この年の日本シリーズの最中に「安室奈美恵 できちゃった結婚」が話題になったせいか,
日本シリーズの結果はほとんど覚えていない。というよりも,途中から西武がサンドバッグ
状態になったのだけは覚えてるけどw 俺が始めてプロ野球に興味を持った年だったなぁ
当時は小3でした マシンガン打線が完成した年だったな
石井一にノーノー食らうまでの追い上げは凄かった 桑田復活 斎藤衰え 槙原 負け原
と3本柱終焉を感じた年 槙原はこの年チームの勝ち頭だぞ(12勝)
ガルベスも同じ勝ち数だが、負けも12敗。
槙原がいなかったら最下位でもおかしくなかった。
てか長嶋がちゃんと木田を使ってたら、あんなぶざまな結果にはならなかった そういやテータムが日シリ後に解雇されたのは残念だったな。
ペタが来るまで一塁が固定出来なかっただけに勿体ない ヤクルトが開幕から13勝2敗で走り、終盤横浜に最も迫られた所からもうもう一度13勝2敗をやったのを覚えてる。 >>286
何故か木田の登板が少なかったね。
前年はこの采配が良かったのか悪かったのか知らないけど
木田や宮本が登板した試合、1点取られたくらいで
中継ぎに交代した試合をよく見た気がする。 >>282
特に8月は驚異的な強さを見せて20勝6敗という恐るべき成績だった。
6月時点ではヤクルトと14ゲーム差あったのに2ヶ月で3.5ゲーム差まで詰めたんだからヤクルトは相当焦ったと思う。
サヨナラ本塁打
【97】■894・佐藤真(葛西) ■藤島誠(木村) ■パウエル2(ペルドモ) ■大石5(ホセ) ■田口壮(島崎) ■鈴木尚典2(木下) ■吉永3(岩本) ■城島1(吉田) ■田中雄4(石井) ■井口1(小林)
■初芝2(小林) ■吉永4(河本) ■緒方孝(葛西) ■Tペレス(西山) ■伊東勤3(河本) ■古田4(島田) ■ゴメス1(岩崎) ■鈴木健2(吉武) ■イチロー1(河本) ■藤井康5(吉田) お邪魔致します
下記スレの>118-120に、全サヨナラ本塁打・81年〜01年分(レコードブック2002より)も載せていますので
よろしければお越し下さい
↓
2008年までのドラマティック・サヨナラ賞を選考スレ
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1238677368/ 工藤公康が背番号を21から、漸く西武時代の47に変更 >>291
あれから12年。今となっては見る影も無いぐらい弱体化している。 >>291
あわやメイクレジェンドだったんだなぁ。
この年の秋頃、友達と飲みながら「何だかんだ言って最後はヤクルトだろうなぁ。
横浜は優勝経験値が足らんもんw」と90年代の盟主を優勝予想にあげて、
実際にその通りだったけど、この年の経験が翌年に生きるとは大いなる予想外だった。 >>262
永谷脩が捏造したと訴訟沙汰になったんだっけか。 グリーンウェル退団に伴い急遽中日を昨年限りで解雇になったコールズを獲得。 >>252>>262
この年もまたオリックスだろうと思っていた。
前年96年日本一のオフ仰木監督が新たに3年契約。
監督と対立し退団した山田久志に代わり神部年男を迎え心配された投手継投も冴え
5割ラインを行ったり来たりのチームも5月末からの10連勝で西武を抜き首位浮上。
平井酷使離脱後の抑えにも小林が回り、前年までの野村、鈴木と共に接戦を凌いでいった。
打線も”猫の目”というのは主に下位打線で
一番田口にイチロー、ニール、C・D改めドネルスの中軸はほぼ固定で安定していた。
7月頃から早くも西武との2強レースで球宴前の2週間半に及ぶ長期ロードに負け越し、
その際6連敗中に西武に抜き返されるも
粘ってゲーム差なしの首位“マジック健在”を印象付けて折り返した。
球宴直後4連敗するなど調子の上がらない西武を尻目に
球宴直後1分け挟んでの7連勝で貯金17で5ゲーム差とした
正直なところ「これで決まり」と思ってたんだけどなぁ。 つづき
1.5差に詰め寄られた8月15日。
球宴直後以来の地元神戸での3連戦に3タテ、「西武に対し苦手意識がないやっぱり決まり」
ところがその直後の3連敗を含め残り1ヶ月強の32試合で5度の3連敗で失速。
9連勝、5連勝で奪首した西武とあまりに好対照な終盤だった。
「やった」と思わせる連勝の後にすぐ連敗という波が幾度となく押し寄せたシーズンだった。 さらにつづき
V3を逃した要因は大きく分けて3つ
1.機動力の差
西武は御存知「ヒット!フット!ゲット!」で200盗塁、対するオリックスはリーグ5位の70盗塁だった。
イチローの39盗塁を除けば僅か31個、二桁盗塁選手はゼロだった。
犠打の差はさほど無かったが、足での威圧感に欠けた。
2.救援陣の疲弊
8月の神戸での西武3タテからシーズン終了まで18勝24敗の失速の原因の大きな要因。
24敗のうち逆転負けなんと15。連覇の原動力になっていた野村が不調、鈴木が右ひじ故障と
連覇の2年での酷使がここにきて響いた。
3.性急な若返り
西武の黄金期が終わったのは94年、東尾の下松井、大友、高木らが育ち鈴木健も4番で引っ張った。
オリックスはそれに刺激されて「これは遅れちゃいかん」と思ったのだろうが急ぎ過ぎた感がある。
勝呂を近鉄に金銭トレードで放出。シーズン途中にも
馬場、本西という内外野のスペシャリストをあっさり放出。
ルーキーの谷、佐竹、塩崎を仰木監督お得意の大抜擢のためとはいえ
立て続けの名手放出には少し驚きましたね。
やはり仰木監督というのは良くも悪くも“劇薬型”。
長きに渡った強いチームづくりをする監督ではなかったかなと思います。
(了) 確かこの年だったかな?
故・三村氏(当時の広島監督)が巨人戦でジャンパイア炸裂して負けた試合後、
「あの審判をお立ち台に上げてやれ」という趣旨の発言をしたのは。 長嶋が広沢の名前間違えて「広岡の内野安打が大きかった」って試合かな。 >>314
仰木のやり方はたまに無理があるな
西武が強さを取り戻してオリックスが弱くなっていったのはよくわかる。 >>316
ちなみにこの年の広沢は巨人時代の五年間で唯一ほぼ期待通り働いたといっていい成績だった >>318
95年と大して変わらんくなかった?って思ったんだけど、
打率が4分ほども違っていたのか。
だが打点は2年前より下がっているという不思議。 6月までは阪神
首位ヤクルトに3.5まで追い上げた
苦手の札幌横浜で、久慈の2発、6ホームランと言う85年顔負けの猛打で追い上げた。で元中日のコールズ獲得
守備はともかく、前年29ホームランの打力を期待した
しかしその後は・・・ >御存知「ヒット!フット!ゲット!」で
(´・∀・`)ヘー 今初めて知った。
阪神の「元気、やる気、根気」みたいだな。 ホージーの本塁打王は所持着驚いた。実力は完全に松井>>ホージーだったが、
狭い神宮を本拠地にできたおかでげだろうね。 実力っつぅか、要するにヤクルトお得意の当たり外人だったんだろう。
当時は東京ドームが狭いと言われる事はあまり無かった印象があるが、
よくよく球場の形を見てみれば、神宮ほどではないにしろかなり狭い。
ヤクルトはつくづく外人を探すのが上手いね。 ホージーはそこで自分が大砲だと勘違いして翌年急降下したのよね。
人は見た目が8割というがやっぱりそうだったようだ。 >>324、>>325、>>328は人間のクズ。さっさと死ねよバーカ! この年のヤクルトはあんなに強かったのに、何故翌年以降3年連続4位と芳しくなかったんだろ
どう考えても崩れる要素皆無、全く無理もせず優勝したチームだったではないか。 吉井の退団とホージーの劣化、抑え不在が主な原因かな >>332ホージーの実力なんて所詮あんなものだよ。
ホームラン王自体まぐれで取ったようなものだから。 ホージーの1年目は狙ってなくてタイトルをとれた。
2年目は狙おうとしてとれなかったどころかスタイルを崩した。
要は慢心。 同じ成績を数年続けてこそ真の一流選手になれる。ホージーは2流どころか3流プレイヤー。 3流でもまぐれでタイトル取れたら誰も苦労しないけどなw この年のベストオーダーは
1右イチロー
2遊松井稼
3DH鈴木尚
4中松井秀
5一ロペス
6三ゴメス
7二小久保
8捕古田
9左ホージー
投西口
というすさまじい面子だったりする。
ベストオーダーで「4番松井」はいいんだけど「センター松井」ってうんざりする >>338
そうだな。少なくとも、”タイトルホルダー”として球界には名前が残るわけだしw 西武のメンバーが前回優勝時(94年)と大きく入れ替わっていて、違うチームを
見ているようだった。
清原・工藤・石毛などの主力選手が抜けたのはもちろん、石井丈・渡辺久・郭
鹿取なども力の衰えを隠せず、ヤクルトに良いようにやられた日本シリーズを
見ていて寂しかった。 さらに打の功労者マルティネスまで捨てて打線が悲惨にw。 92年と全く逆の展開な感じだったな。
西口が岡林で豊田が怪我で出れてなくて西村とかぶる。
オールスター松井稼頭央の2盗3盗し放題の
ぴのっぷりはワロス。 >>342
新谷の衰えもひどかった
というか95年、96年のピークのときしか活躍できない
1流とはとても言えないピッチャーだけだったかもしれない >>342
後半に出てきた4人の投手は、偶然にもこの年限りでチームを去るんだよな。
(石井丈は日本ハムへ、渡辺久はヤクルトへそれぞれ移籍し、郭・鹿取は引退) >>319
打率と打点の関連性は低いよ
打点と関連性が高いのは塁打÷打数の長打率
このぐらいの差は簡単に変わるだろ この当時のセは監督の個性が強くて好きだったな。
今のセの監督はみんなしがないサラリーマンみたいに華のない中年ばかりで魅力がない。 / ̄ ̄ ̄ \
/ . \
/ _ノ ヽ、_ \ 名将、この年に戻りたいお…
.| =⊂⊃=⊂⊃= . | 人生っていろいろだお、こういうキャラになった名将って何なんだお…?
\ ⌒(__人__)⌒. /
( |┬| ヽ
ヽ、二⌒) (⌒ニ この年巨人に途中入団したカステヤーノがまだ現役であることを知ってすごく驚いた 95〜01年で、阪神が最下位でない唯一の年。それでも5位。(62勝73敗1引分)
最下位にならなかったのは奇跡。
名古屋ドーム元年の中日が自滅したのもある。 巨人はこの年借金9で4位に終わったけど、
最下位にいた期間が阪神、中日より圧倒的に長かった。
5月半ばに転落して、中日と入れ替わったのが9月上旬。 >>356
小早川毅彦の3連発を喰らい躓いた巨人は4月は10勝12敗の4位タイ。しかし5月4日から横浜とライバル・ヤクルトに計4連敗すると最下位に転落。
借金も5月に6つ、6月に2つ、7月3つ、8月3つを追加。「メイクミラクルよ再び」の声も6月末で首位・ヤクルトに15ゲーム差でその声も小さくなり、
最多借金の17となった8月末には18.5差とさらに広がりその声自体全く聞こえなくなった。
6月24日に1日だけ横浜と入れ替わっただけで前述の通り9月上旬に直接中日を叩いて連勝して抜き去るまでの間
5月8日から9月4日まで最下位滞在日数なんと120日。中日は6月中旬まで5割前後の戦い最下位滞在は巨人にかわされてから最後までだけだった。
ちなみに阪神は吉田新監督の継投多用で4月5割、6月前半は5差ながら2位、7月上旬まで貯金1で3位だった。
7月まで阪神が貯金を持っていたのは92年以来という健闘ぶり。最下位にいたのは巨人と5位タイになった5月の3日間だけで単独最下位は皆無だった。 当時から巨人ファンだったけど、そんなに酷い状況だったのか。
現実から目を背けていたのか、正直さっぱり記憶がないやw
この年は大リーグのグリフィーがHR記録更新なるかと注目していて、
日本のプロ野球はあまり注目していなかった。
最終的には56本で更新ならず、翌年が有名なマクガイアとソーサの争いだったね。
英字新聞を購読して、大リーグ情報を熟読していたな。 97年前半戦本塁打ランキング
セ
松井(巨)25本
ホージー(ヤ)22本
金本(広)21
ゴメス(中)17
江藤(広)17
桧山(神)16
パ
吉永(ダ)25
小久保(ダ)23
ウィルソン(日)22
ニール(オ)18
マルティネス(西)18
田中(日)15 >>360
しかし後半戦は4本しか打てず30本塁打にあと1本届かなかった吉永。
ちなみにワースタ2では本塁打王クラスのパワーに設定されていた。 吉永はファミスタ64で40本の設定になっていた(しかし長打力は小久保に劣る)。
恐らく前半戦のデータを参考にしたと思われる。
>>357
ノムさんにmake drama=負けドラマ
って揶揄されてたのはこの年だっけ?
マスゴミ発信の首の皮一枚の一枚が何枚もあった記憶がw この年に阪神に在籍したハイアットは
ここ20年で唯一の3Aでシーズン40本塁打複数回達成者であるにも関わらず、
メジャーでは打率が低過ぎて定着出来なかった万年3Aリーガー ハイアットがメジャーで一番多く出場した年が24歳当時の93年、ロイヤルズで81試合に出場し7本塁打を放ち36打点を挙げた。
しかしこの年も打率.218で出場試合数を上回る82三振を喫していた。阪神では67試合64三振。 >>363
まあ百歩譲って、たとえ首の皮が1枚ぽっきりしか無かったとしても、(その皮は)切れたと思ったら
またくっついてしまうような、(巨人及びマスゴミにとっては)非常に都合のいい皮だったりしてw 借金11の5位の分際で「これで来年の展望が開けたで!」と喜んでしまうのが阪神クォリティ
その後の4年間、どうなったかはもはや説明するまでもない ヤクルトと横浜の優勝争いというとても珍しいことがあった年。 この年Aクラスだった球団は、>>370で挙げられている2チームと広島だからな。
次にこうなるのは、一体いつになることやらw 1997.9.28の信濃町&千駄ヶ谷の賑やかぶりには今でも印象に残ってる。
昼・・・国立にて、フランスW杯最終予選 日本×韓国
夜・・・神宮にて、ヤクルトの優勝決定試合
俺はもちろんハシゴしたぜw この年から投手の完投数が激減してるな。
特にセリーグなんて前年の半分しか完投がない。
この年に何かあったっけ? ナゴド元年の中日は散々だったな
パウエル .340→.253
山 崎 39本107打点→19本塁打54打点
大 豊 38本塁打89打点→12本塁打35打点 大砲タイプの二人はナゴドの広さに戸惑ったという言い訳も出来るが
パウエルの劣化っぷりはちょっとひどすぎるな
もちろんそんな選手を獲った阪神の見る目のなさも大概だが >>376
確かに夏頃は「横浜優勝?」なんて雰囲気もマスコミなんかにはあったね。
俺は「絶対にない、ヤクルトで決まりだ」と思ってたし、実際にそうだったけど、
翌年の優勝は予想できなかった。 去年の日ハム、ヤクルトと似た推移をしたのか?>1997横浜 初パワプロだなあ。
飯田稲葉ホージー(真中)
前田緒方金本
イチロー田口谷
ここの外野の数値は異常
97デビューは井口以外に誰が有名だろ? 6月後半の時点で最下位につけてたチームが、そこから狂ったかのように調子を上げてリーグ優勝を果たしたら確実に球史に残っただろうな。
昨年の日ハムと1993年の中日は惜しかったけど。 印象に残らない1年
日本シリーズは「あったの?」って感じ 日シリはホージーのグリップエンドしか記憶に残っていない 今年はこの年みたいになるんじゃないのか?
巨中阪に威圧感がまったくない。 阪神がこの年の中日みたいになる可能性はありそう。
広い球場(ナゴヤドーム)に移される=飛ばないボールの採用
それにより、自慢の強力打線が沈黙し投手陣を見殺しにしまくり。
横浜は今までよりかは少しマシになる程度で5位浮上の目は出てくるかも。 96年の横浜は、
序盤快調→すぐに脱落
だったが、97年横浜は逆に
序盤までイマイチ→夏場猛反撃(ノーノー喰らうまで)
と、対照的であった
大矢監督には続投してほしかった
いい形で権藤さんに引き継ぎできたとも言えるが >>386
しかし、同年オフに中日が施した血の入れ替え方は、今思えば堅実だったな。
ソロアーチストばかり並べても意味がないということを痛感した一年だった。
大豊矢野パウエル⇔久慈関川・・・今の阪神がこういう補強をするとしたら、放出加入対象は誰になるんだろう? >>388
ブラゼルがシーズン終了までこのままだったら、大豊と同じ運命になることは確実かも。
今後の狩野は阪神移籍後の矢野と同じ野球人生を歩めるのだろうか? 甲子園もHRが出にくい球場だから、ナゴド移転後の中日やロッテのような機動力重視の野球に切り替えた方が上手くいく。
85年と同じ戦略で夢を見るのは危険だし、そのやり方だとかなりの高確率で空回りするだけで終わる。 ナゴド移転後の中日は、確かに投手力を引き上げて、打線も安打でつないで足を使って得点するタイプに切り替えたけど、
それでも山崎武にゴメスと、HRを量産できる選手は2人いたんだよ。
どんな野球でも、最後の片付けをできる選手がいないと厳しいものがある。
1991広島や2007ハムみたいなのはレア中のレアケースよ。 ♦別♦に♦ア♦ン♦チ♦で♦は♦な♦い♦が♦、♦
♦本♦気♦で♦ジ♦ャ♦イ♦ア♦ン♦ツ♦の♦最♦下♦位♦を♦期♦待♦し♦て♦い♦た♦。♦ この年のタイガースは6月まではチャンスあった
まず確かにコールズ取ったが、レフト守らせたのはまずかった
後5番タイプではどう見ても無かった
それならニールを取るべきだった
投手力は良かっただけに惜しかった 優勝したヤクルトは開幕日から一度も首位を明け渡さず優勝。
日本シリーズでも西武に白星を一度も先行されず日本一という完璧なシーズン。 90年代以降で一番印象薄いシーズン。
セパ共に薄い。
ちょっと印象づいてるのが松井とホージーのタイトル争いぐらい。 俺もコールズレフトは何を考えてんのかと思った。
あのサードでの緩慢な捕球→超高速送球が見ものの選手なのに。 >>393
グリーンウェルが大誤算だったのもキツいな >>109
仰木out後は低空飛行が続いてたが、1997&1998の二年間を振り返ると最悪期からは脱出したように思えた。1998も5位ながら借金1だったし。
しかし、その後はまた三歩下がってしまったな。
佐々木恭介も鈴木啓示ほどではないが勝負的資質はない監督だった。策士としては不合格かな。 この年の近鉄は夏場まで2桁借金を背負いながら
0対10から大逆転勝ちした試合の後驚異的なペースで勝ちあがって3位となった。
一時はオリックスを抜くかという勢いだった。 「細腕繁盛記」(前)
『関西圏初のドーム球場、世界初の本格的マルチドーム』を売りに大阪ドームが3月にオープン。県庁所在地の大阪市に本拠地を移し
ユニフォームも一新。新生近鉄でさあAクラス、優勝といきたい所だったが石毛博史、大塚晶則の加入以外は前年とさほど変わらないメンバーの
投手陣再生が容易ではないのは明らかな情勢だった。前年もリーグワースト571失点と毎年のように課題となっている投手陣を建て直すべく、
この年唯一新しいコーチとして来た小林繁は、首脳陣のキーマンだった。
しかし14年ぶり現場復帰の細腕コーチの仕事は春季キャンプから山積していた。
巨人時代から「再生したい」と語っていた移籍の石毛には相手の正面に投げられないキャッチボールの事から細かくにアドバイスしてきた。
未更改でキャンプ参加の中抑え・佐野重樹は色々な面において守護神・赤堀元之並みの待遇を要求、佐野の気持ちのコントロールにも年間通して
手を焼いた。
もはやキャンプの年中行事となっていた赤堀の先発転向希望問題もあった。年々強硬になっていた赤堀の打診がありながら、小林は
記者の質問にも「さあ、どうでしょうねえ」とチェンジアップではぐらかした。
大リーガーの新外国人ボブ・ミラッキの調整遅れ、酒井弘樹の故障もあって開幕ローテーションには石毛に香田勲男といった
復活を目指す元巨人組やプロ未勝利の25歳・寺前正雄ら新顔が揃った。
神戸の開幕2連戦が共に雨で流れたため新本拠地での開幕3カードという日程となる幸運もあってその9戦を6勝2敗1分けの好発進、
投打のバランスも良かった。しかし直後の20試合で全く連勝がなくその間5勝15敗、早くもGW中には最下位に転落した。
6月24日には借金が最大の14を数えて早々とV争いから脱落した。
その元凶はやはり投手陣、6月までの38敗のうち5失点以上の敗戦が25試合もあった。先発陣も開幕4連敗の寺前がローテーションを外れ、
高村祐に山崎慎太郎といったエース格がともに2勝ずつの大不振。小林期待の石毛も2勝(2敗)止まりよ苦しんでいた。出遅れたミラッキも
初回60球10失点KOなど全く日本で通用せず、その代役で急遽5月獲得のジョニー・ラフィンも元メジャーとは思えない“野手投げ”で二軍落ち。
その細身の体からは想像もつかない強気の投球でならした小林の心もさすがに折れそうになっていた。 (続) >>398
と考えるのは浅はか
来日前年に3Aで本塁打王・打点王・MVPと無双していたハイアットが通用しなかった方が誤算
ペタジーニもバースも3Aでは無双するが、メジャーでは全然駄目
メジャーリーガーよりマイナーの帝王の方がNPBで大活躍するのに合ってる
あとカブレラも2Aで53試合で35HRの本塁打王という新記録樹立、ショートも3Aで首位打者2回、
セギノールも3Aで首位打者・打点王の二冠とか
これまでバリバリメジャーリーガーが来ても良くも悪くもメジャー時代と横ばいの成績しか残せていない
「細腕繁盛記」(後)
球宴が終わり後半戦に入っても、依然5位と6位を行ったり来たりの苦しい戦いが続いた近鉄。7月28日ダイエー戦での10−18のスコアのように
打ってもそれ以上に取られる展開が続いていた。
しかし球宴前あたりから先発組には二軍落ちの山崎やミラッキに代わって2年目の岡本晃、復帰の酒井が入っていた。救援組でも不振の佐野に
代わってルーキー大塚をセットアッパーに抜擢と監督・佐々木恭介は数々の配置転換を行った。
8月に入っても13日まで借金12で首位・オリックスと11差の最下位。だがこの翌日から課題の投手陣が目を覚ました。
初めて先発に回った佐野の4ヶ月ぶり勝利となる好投から、全て1失点以下という今季初の5連勝を記録して最下位を脱出すると、24日のロッテ戦
ではプロ野球46年ぶりとなる10点差大逆転勝ち。ここから6連勝、前年10敗1分けと苦手の神戸での対オリックス3タテもあった。
8月は2ヶ月連続勝ち越しの14勝9敗だったが、3失点以下が7月9試合に対し8月はじつに17試合と守り勝つ事も出来るようになりチームは
上昇気流に乗り、得意の追い込みという“近鉄らしさ”が出て来た。
ダイエー、日本ハムを抜いたチームは9月にも4連勝、6連勝と勢いが止まらず借金を完済。17日、遂に142日ぶり貯金生活に入った。
結局あの10点差大逆転以来22勝7敗2分け、最大10.5ゲームあった3位・ダイエーとの差をひっくり返し最終的に貯金5で3年ぶりの
Aクラス入りを果たした。
進撃の原動力は打線の両外国人と前半は弱体だった投手陣。タフィ・ローズは2年目で初の3割&100打点、新外国人フィル・クラークも93打点と
好機に強く、24試合連続安打するなど打率もイチローに次ぐ.331と猛打を見せた。
本家の『細うで繁盛記』ほどの老舗復活とはいかないまでも、投手陣も夏場以降小林が目を細める奮起。
左腕・小池秀郎は8月から閉幕まで8連勝し15勝で西武・西口文也と最多勝を分け合った。前年未登板の岡本も2ケタ10勝クリア、中抑えの
新人大塚も11SPと若手が台頭。ベテランでも香田がシーズン通して先発ローテーションを守り9勝(4敗)、それがオリックスとの最大差14を
一時はあわやと2位浮上いう2まで縮める要因となった。
そしてコーチ1年目から結果を出した小林はその後、奇跡のリーグ優勝を飾る01年まで5年間コーチを務めた。 (了) 「生え抜きの切り札」
62勝73敗、勝率.459の5位。これだけを見れば苦しい戦いだった事が想像できる。しかし、それまで2年連続最下位。
さらに98年からまた4年連続最下位という前後6年を見ると、この97年が大健闘に見えるのだから不思議だ。
それでも実際97年び阪神に関しては大健闘まではいかなくとも“健闘”はした部類に入れてもいいのかもしれない。
プロ野球記録(当時)開幕20試合連続安打を43年ぶりに更新した和田豊の活躍に引っ張られたチームは4月を5割で乗り切ると、
5月の“グリーンウェルショック”にもめげず何とか5割前後を推移し続ける戦い。三度目の監督となる“切り札”吉田義男の歯切れのいい
選手起用は戦力不足を補うものだった。吉田も63歳、過去2度の監督時代で起こした自身の負けん気の強さが災いしての主力選手や
マスコミとの確執は起こさなかった。第三次政権では吉田も妥協やリップサービスという技を持ち合わせていた。
6月7日には久慈照嘉の2ホーマーを含む8年ぶりとなる1試合6本塁打で10得点、翌8日も11安打7得点と鬼門といわれた北海道で
横浜を連破しこの年3度目の4連勝。貯金を最多の3として5ゲーム差ながら2位に浮上した。竹内昌也を除く先発陣が思うように
勝てない状態。しかしそれを伊藤敦規、田村勤、葛西稔、弓長起浩のリリーフ陣がフル回転でカバーしてこの結果に繋げた。
だが打線に関しては物足りなさを感じていた首脳陣。八木裕を代打専任で使いたい事と若き四番・桧山進次郎がもう少し軽い負担で
打ってもらいたい事情から退団のマイク・グリーンウェルと不振のフィル・ハイアットに代わる助っ人が欲しかった。
そこで6月に獲得したのが前年中日で29本塁打を打ちリーグ得点圏打率ナンバーワンのダーネル・コールズと左打者の新外国人
リード・シークリストの2人だった。 (続) >>395
でも、ある意味では痛快なシーズンだったな。
前年優勝して、「さあ2連覇へ」と他球団から外国人投手を引き抜いたまでは良かったが、
そいつが全く使い物にならなくてねえ。挙句の果てに「肩に小錦がn(ry」
ワイが聞いた情報によると、もうじき中国はバブルがはじけて昔の貧乏な中国に戻るらしい
もう経済は破綻してて、取り戻すのは無理なんだそう
その世界ではごっつい有名な政府関係者筋から聞いた確かな情報や
まあお前ら頭の良い連中には、今さらなくらいのネタや、
お前らからすればもう常識的なくらいの知識や
>>408
セ・リーグは下克上感があって面白かった。
昔の3弱が全てAクラス。
もうこんな年二度となさそう。 グリーンウェルが仮に帰らなくても多分ダメだった
長いの打てないし守備は緩慢
あれじゃあいてもいなくても一緒
清原がいたらと思うと
松井がいたらと思うと 清原や松井をくじで当てたら、97年は外人は必要ない
1二 和田
2遊 久慈
3右 松井
4三 清原
5一 平塚
6左 桧山
7中 新庄
8補 関川
桧山や新庄が下位にいる打線
間違いなく打てる それこそ松井は阪神に来てたらあんな一流に育ったかどうか・・・
ってのはある。 清原もそうだな、秋山とデストラーデがいなくなった後の西武もいまいち破壊力なかった 97年、もし阪神にいたとしたら
松井は20本60打点
清原は30本打つも70打点くらいな気がするなw
それでも、当時の阪神考えたらだいぶマシな打線になりそうだ
というより、もし二人がいてこれくらいの成績残したらプレッシャーが
少なくなった平塚、新庄、桧山が安定した成績残せただろうな >>416
正直云って、清原や松井が阪神にいたら、
桧山や新庄はともかく、平塚はレギュラー張れたかどうかあやしい。 1 和田 ニ
2 久慈 遊
3 関川 右
4 平塚 一
5 桧山 左
6 新庄 中
7 星野 三
8 山田 補
自分の中では97年はこれがベストオーダー こうして見ると97阪神は守備はひどくないんだよな
ていうかむしろいい方 この年の阪神は巨人や中日がガタついたからAクラスも狙えた。
ただ、運の悪いことに横浜ヤクルトが無双したことが。
もし広島ヤクルトが翌年以降の広島ヤクルトなら、横浜がいつもの横浜なら優勝までしたかもしれない。
ただ、シリーズは33-4以上の叩かれぶりになるだろうが。
さすがにそれは虫が良すぎw
ただもう少し得点力があれば3位は十分可能だっただろうね 藪 恵壹 29登板 10勝12敗 防3.59
湯舟 敏郎 27登板 10勝6敗 防3.56
川尻 哲郎 32登板 5勝14敗2セーブ 防3.92
竹内 昌也 38登板 8勝6敗 防3.01
中込 伸 23登板 7勝7敗 防3.09
舩木 聖士 24登板 1勝8敗 防4.84
古溝 克之 35登板 1勝7敗1セーブ 防4.84
山崎 一玄 45登板 2勝2敗1セーブ 防4.79
弓長 起浩 59登板 4勝0敗 防4.37
田村 勤 50登板 0勝2敗9セーブ 防2.86
伊藤 敦規 60登板 8勝5敗8セーブ 防2.67
葛西 稔 44登板 6勝3敗10セーブ 防1.51
竹内が終盤、最優秀防御率狙えるんじゃね?
って所までいったんだよな。
湯舟も久々に二桁勝ったから、来年は!と思ったら
案の定、ズッコケたwwwww ヤクルトに致命的に勝てなかったから
阪神は
コールズの劣化は想像以上だった
札幌から神宮の6月
あの時に勝ってたらわからなかった
首位も 6月8日終了
首位ヤ
2位神
3位広
4位中
5位横
6位巨 「ハズレ外国人」
あわよくば優勝争いを目論んだ阪神に途中入団したコールズとシークリスト。コールズは中日時代の96年に三塁で130試合フル出場
していたが、鈍足による守備範囲の狭さと膝の状態の悪さからくる悪送球のためリーグワーストの20失策を記録していた。首脳陣は
膝の状態を考慮し左翼で出場させることを決めた。そしてハイアットの不振によって空席だった三塁にはこれまで通り、星野修と今岡誠の
併用、先発で使える状態になれば米マイナー時代三塁が本職のシークリストを起用する事にした。
そのシークリスト、代打でデビューした6月21日いきなり巨人・槙原寛己から適時打を放つと26日からは「六番・三塁」の先発出場で
安打を飛ばし7月頭までは3割を打っていた。だがビギナーズラックではないがすぐに打てなくなって代打に降格、それでも打棒は戻らず
8月に二軍落ち。
一方のコールズも膝は思ったより悪く、売りの打撃にも影響。より打撃を活かすため一塁や慣れた三塁でも起用したが成績は上がらず
両外人ともチームに貢献できず。ハイアット、グリーンウェルに投手のマクドナルドと合わせて5人の外国人が揃って“ハズレ”だった
97年阪神だった。
チームもシークリストの調子に比例するように失速。7月4日まで貯金生活だったが、翌日から6連敗すると以後二度と5割に復帰する
事はなかった。6月終わり頃からちょうどそれまで踏ん張ってきた救援陣がへばってきた頃で7月を6勝9敗と負け越すと、8月は3連敗1度に
5連敗2度であっという間に借金2ケタ。終盤の6連勝も同率4位を逃す結果に終わった。
特に対戦成績7勝20敗1分けと事あるごとにヤクルトに敗れたのも響いた。ヤクルトは新外国人ドウェイン・ホージーが大当たりして
2年ぶり日本一に大きく貢献、ハズレ外国人たちに悩まされた阪神と好対照だった。ヤクルトにはこれで93年から5年連続負け越し、
95年から3年連続で10以上の負け越しで、90年以外野村克也率いるヤクルトに勝ち越せていない。ここまでくるとツバメ恐怖症というより
“ID恐怖症”といった感じだった。その野村が99年から阪神監督に就任、ヤクルト時代はハウエル、オマリー、ブロスと助っ人に恵まれた
野村も阪神では“ハズレ外国人”に泣かされる3年間を味わう事になる。 (了) 1997年ゴールデングラブ賞
投 桑田真澄 巨人
捕 古田敦也 ヤクルト
一 駒田徳広 横浜
二 立浪和義 中日
三 進藤達哉 横浜
遊 宮本慎也 ヤクルト
外 飯田哲也 ヤクルト
緒方孝市 広島
新庄剛志 阪神
今見ると全員すごいメンバーだな 「ハッスルしない」
>>426
「8月から行けると思ったのは甘かった」と最終戦終了後の吉田監督は振り返った。前半戦は7月の6連敗もあって借金5の5位でターン。
後半戦は湯舟敏郎、中込伸、藪恵壹と揃って好投。打線も今岡誠、久慈照嘉の“新”一・二番コンビとコールズに代えて三番起用の
関川浩一らが当たり最初の5試合を4勝1敗。首位・ヤクルトとは12差と遠かったが2位・横浜には3差。8月2日には最下位相手とはいえ
巨人戦で1イニング10得点した事もあって、Aクラス入り挑戦へ5日から始まる18試合に渡る長期ロードに向けて吉田も自信を持っていた。
しかし蓋を開ければいきなり好調横浜に3タテを食らうなど5勝13敗とこの年も“死のロード”となってしまった。先発陣崩壊に貧打病再発で
7月から9月まで3ヶ月連続で負け越した。
「8月」以外の誤算として吉田は川尻哲郎と舩木聖士の計算していた2投手の低迷と、新庄剛志と桧山進次郎の主軸コンビの
低打率を挙げた。
川尻は前年13勝(9敗)の技巧派。この年は開幕投手を務めたがいきなり3連敗、6月まで3勝7敗で1ヶ月以上先発を外れるなど
5勝14敗の大不振。舩木も前年6勝(9敗)だったが、故障もあってわずか1勝(8敗)だった。前年2人で19勝18敗だがこの年は2人で
たったの6勝(22敗)と期待を裏切った。
新庄は当初の三番から一番、六番、七番、五番とあらゆる打順を打つも最後まで安定しなかった。過去の“引退未遂”発言のイメージも
手伝ってファンの応援ボイコットにも悩まされた。桧山は100試合で四番を務め自己最多の23本塁打、82打点を挙げたが、その反面で
150三振。両者とも全試合出場したが合わせて270三振を喫し、チームでも当時のシーズンワーストとなる1000三振。この「三千振」が
リーグ最少得点の元凶だった。吉田は新庄と桧山について「紙一重の壁が厚い」と奮起を促したが、一方で「外国人が安定しなかった事も
誤算」と“フロントも同罪”と言わんばかりの総括を聞く限り、「ハッスルハッスルハッスル」のスローガンを掲げてもなかなかハッスルしない
選手をよそにこの年一番ハッスルしていた吉田の負けん気の強さは60歳を過ぎても健在だった。 (了) >>424
とにもかくにも序盤の福岡ドーム3連戦3連敗が響いた。
あそこで1勝でもしていれば、流れは変わっていたはず。
それにしてもこの年もそうだが、
ヤクルトは当時恒例開催だった福岡ドーム3連戦で
相手に3タテを喰らわせた場合はその年必ずリーグ優勝→日本一。
93年を皮切りに95年、97年、2001年と4度も結びつけている。 この年の阪神の最大連敗は6連敗。
4月と7月に1回ずつあった。
4月の6連敗は
甲子園で中日戦3連敗〜福岡ドームでヤクルト戦3連敗・・・。
それでも4月を11勝11敗で乗り切ったのにな・・・
ワイは日本人やけど聞いた情報によると、もうじき中国はバブルがはじけて昔の貧乏な元の中国に戻るそうやで
みんなも知っての通りでもう経済は破綻してて、取り戻すには無理なんだそうや
その世界ではとても有名な政府関係者筋から聞いた確かな情報やで
君らほど頭の良い連中には、今さらなくらいのネタやな、かえって失礼なくらいな
お前らからすればもう常識的なくらいの知識やろ!!
まあもう大儲けしてるのには悪いが知らないののために、一応な
この年の巨人は清原加入の効果も見られず4位に低迷。63勝72敗で
ナベツネが「歴史的大敗」と評していた。
シーズンオフのプロ野球ニュースで、解説者の別所氏がこの年の巨人に関して「情けないねえ」
と苦笑しながらコメントしていたな。
アンチ巨人の俺は6年ぶりのBクラスでメシウマ >>434
結果として4位にはなったけど、巨人が最下位だった時期もあったわけで、
「このままシーズン終わってくれねえかな…」などと思ったものよ。 9月は13勝8敗と勝ち越して最下位から4位へ。
しかし その間東京ドームでヤクルトに3タテをくらい
ヤクルト優勝をアシスト
>>436
しかも、その前の2位横浜との3連戦で3連勝しちゃったもんだから、
「ふざけるんじゃねえ」などと思った。
まあ、あそこの球団のKYぶりは、今も昔も健在ということでw 清原
1996 率.257(487-125) 31本 84打点
1997 率.249(462-115) 32本 95打点
三部門のみると遜色無いのが困るw 95打点だからそんなに悪くないと思うが
阪神タイガースの4月は例年、開幕ダッシュは調整下手だから出来ないけど、中継ぎがいいから接戦は拾う事が出来る
しかし爆発力がないから、どうしても夏場に息切れしてしまう
大体一緒
優勝した年は結局金本と井川の軸がしっかりしてたから
85はやはり打線が異常だったから 昨年のソフトバンクなんか比じゃない西武の機動力野球200盗塁 この年のヤクルト以来
完全優勝(一度も首位を譲ることのない独走)
はない。
確か、この年のキャッチフレーズだったかスローガンだったかが、
「ヒット フット ゲット」だったよな。 >>442
伊原が若い連中に睨みをきかせてた
東尾も自身が福本蓑田に足で掻き回されるのが嫌だったから機動力を全面に押し出したらしい
松井大友高木大の1,2,3番で120盗塁
その他、清水河田奈良原らも二桁以上 いきなり15勝4敗スタートだったからね。
最後の同率首位は4月6日終了時点の横浜か。
4月8日終了以降は最後まで単独首位だね。
日本シリーズも第2戦で負けて並ばれただけなので
完全日本一と言えるのかな?
チーム打率、チーム防御率もトップ!
唯一、横浜に1つ負け越したのが残念な部分か・・・ この年を最後にプロ野球を見なくなった
巨人ファンはこの前後3年くらいで同じような人多いと思う この年のAクラス並びは向こう500年は再現されないと思うが、何が原因だったんだろ。
巨人中日がダメすぎたのか?横浜が強すぎたのか?
前評判では巨人中日ヤクルト優勝争い、横浜は阪神といつもの最下位争いとか言われていたが。 宣銅烈が背水の陣で挑んだ97年の開幕戦。
ワイルドピッチをしてしまったが本塁で走者をブロックして勝つ事ができた。
あれがセーフになっていたら宣もシーズン波に乗れずにそのまま終わっていたかも
知れない。 横浜はなんだかんだで大魔神佐々木の抑え固定により投手力がガタガタでなくなった
元々打力はあるから、勝ち方さえ覚えたらいくらでも優勝争いに加われた
巨人は逆に抑え不在が全て
まだ先発絶対主義だったが故に安定感がなかった
中日は一般通りナゴヤドームが全て 中日もナゴドであそこまで弱くなるか?
と思ったら当時の中日は戦力不安定だし、広い球場に移っても弱体化しなかったのは88年の巨人ぐらいか。
甲子園ラッキーゾーンやズムスタ、福岡ドームなどは暗黒期の移行もあるけど。 ナゴヤ球場仕様だから中日は
星野監督は大概二年目に動く
ナゴヤドーム二年目に川上や福留
大豊や矢野のトレードと派手に動き99年の優勝につながった 「補強費とプレッシャー」
長嶋茂雄が初めて監督を務めた75年は巨人が球団史上初の最下位となった年。当時の投手陣が集まって創られたのが“最下位”と
“再会”をかけた「さい会」。彼らは今でも毎年集まって親睦を深めている。その「さい会」メンバーが親睦会以外で集結したのが97年8月、
週間ベースボールで企画された大討論会。高橋一三、横山忠夫ら4氏が苦しむ長嶋巨人に檄を飛ばすといった内容だった。
ほぼ緊急という形でこのような企画が実施されたが、それも当然の事と言えた。
いきなり開幕で前年まで3年連続完封の斎藤雅樹が“小早川ショック”でつチーム共々つまずくと、5月に最下位に転落したままこの8月まで
浮上できないでいた。あの75年以来22年ぶりの最下位ターン、最大借金17、5位とのゲーム差も最大で5の時期もあった。
9月の6連勝で一気に中日、阪神をかわし4位に浮上し球団史上2度目の最下位は免れたものの一度もV争いに絡めなかった屈辱の
シーズン。首位に20ゲーム以上の差をつけられたのも75年以来の事だった。
96年オフにオーナーに就任したばかりの渡辺恒雄の大号令で開始した補強は、同じくリーグ優勝を果たした94年オフを越えるものだった。
まず最初に、長嶋も惚れ込んだというロッテの長身左腕エリック・ヒルマンを2球団と競合して獲得。近鉄・石井浩郎のトレードでの獲得は
4球団との競合だった。さらにFA宣言した西武・清原和博は長嶋が自ら口説いて阪神との争奪戦に勝った。それでは飽き足らず
“台湾のイチロー”ことルイス・サントス、ドラフトでも逆指名で入来祐作、小野仁を獲るなどこの大補強は33億円補強といわれた。
しかし、補強費とプレッシャーはある意味で比例。補強を重ねるほど現場へのプレッシャーは増大。結果は獲った選手が働かず補強は
失敗に終わった。日本一ヤクルトでは前球団を解雇された小早川毅彦、馬場敏史、廣田浩章、野中徹博が移籍1年目から活躍。
4人の年俸を足しても清原の97年年俸の約5分の1、“再生工場長”野村克也は思わずほくそ笑んだに違いない。清原、ヒルマンら期待に
沿えなかった選手も問題だが、野村の挑発に乗りヤクルトに11も負け越すなど我を忘れた長嶋采配も4年ぶりシーズン負け越しと
6年ぶりBクラスの大きな原因。勝率5割未満は長嶋の監督11年目で4度目、2年前と同じ失敗をした巨人は“勝利はお金じゃ買えない”と
いう証明をベンチワークとバランスの悪い補強で示してしまった。 (了) >>456
ヒルマン獲得に際して、(結局は負けたけど)巨人と競合した球団があったのか…。
結果論だけど、その球団にとっては、「ハズレ」を引かなくて良かったんだろうなw >>457
ヒルマンを争ったのは西武、ダイエー。中でも西武は優勝しただけにホッとしたことでしょう。
ちなみに西武は石井の争奪戦にも参加して敗れています。 なぜヤクルトは4番に長打力のあるホージーを使わないで古田を起用したのでしょうか? >>272
この年、パウエルは星野の鉄拳制裁に不満持って刃向かったよね。
「そんなに自分が強いなら俺を殴れ!」って。 鉄建制裁は人を鍛えるには有効な手段かもしれないけど、それに反発する者も少なからずいるから逆に指導者と選手間で溝が生じて空中分解を招く可能性もある。
それらしきコメントを仰木さんがコメントしてたのは記憶している。 >>459
(ホージーは)この年のホームラン王になったけど、信頼度という点では古田のほうが断然上だったから。
2月24日 サッカー日本フル代表
国際親善試合
アイスランド戦
大阪(長居スタジアム)
>>387
6月後半まではどん底だったよ。そこから狂ったかのように猛迫してきた。
ああいう推移したのは93中日や08オリもそうだった。
Jリーグだとどうかな? 星野は人を鍛えるのは上手いけどチームを結束させるのは下手だな。 >>464
95年の名古屋と川崎はいずれも1st序盤の最下位争いから急浮上した >>467
鳥栖は8月まで昇格争いに加われてなかったけど、最初からずっと一桁順位をキープしてたよ。
札幌は夏前まで15位前後をウロウロしてたが。岡山や富山、水戸と並走してたぐらいだから。 >>464
97年は近鉄の追い上げも凄かった。
惜しむらくは追い上げが始まったのがもうすぐ夏休みも終わろうという頃だった
あとこの年で覚えてるのがオープン戦に登板して120km/h台の直球しか投げられなくなっている今中慎二。
好きな投手だったので愕然とした記憶がある。 >>465
若い時に星野の下で使われてた選手は、結構息長く現役を続けられてるよね。
大失態犯して殴られる経験を味わえば、常に緊張感を持って事に当たれるようになるだろう。
よりしっかりとした人間になれる。 横浜の猛追はヤクルトが7・8月は調子がいまひとつだったのも大きいかな。
特に8月は神宮で横浜に3タテを喰らうなど中盤まで負け越し状態で大きく調子を落としていた。
ただし終盤に6連勝して最終的には8月も勝ち越しで終えた。
ここで持ちこたえたのが大きかったな。 巨人は、落合をコーチ兼任でもいいから残留させて清原のお目付け役としていれば
連覇はできたんじゃない? >>474
それは無い。というよりも、「清原が巨人に来る」ことが濃厚になった時点で、落合のほうから
「自由契約にしてくれ」といった筈。 まぁタラレバの話しな訳で、どんな状況であれ
落合コーチが実現したところで、
清原のお目付役をしようとは思わなそう。 >>464
その流れで優勝を果たしたチームって見られないよね。
メークドラマを遂げた1996&2008読売も前半戦はそれほど悪い成績じゃなかったし。 >>478
92年の巨人は惜しかったけどね。
6月頭まで最下位で一ヶ月で首位に上り詰めた。
94近鉄なんかも、そんな流れだった様な。 >>477
自分もそう思う
コーチ兼任でも大森と後藤辺りのを指導してそう
実際日ハム最初の年に上田を3割バッターにしたのはほんとすごいと思った
この年や95年のヤクルトは完璧なほどに強かったのに、何故翌年は4位になってしまったんだろうか。
シーズンの強さがあまりにも盤石だったわけだし、崩れる兆候など皆無だったと思うんだけど?
主力投手の成績が隔年気味
てか、優勝した年に活躍した投手の顔触れが結構違う 星野の下でだと言われた通りにプレーして意見を言わない選手だけが試合に出場できる。
タチの悪いミスや文句を言うとボコボコ。
弱いチームには合うかもしれんが、昔の西武やオリックスみたいに基盤がしっかりしている強豪チームだと即内紛勃発ですな。 >>461
1001と仰木じゃ監督としてのタイプは180度異なるよ。
仰木の場合は、細かいことは口に出さないで選手の自主性を重んじるタイプの監督。
戦略面も常に最悪の事態を想定してプランを立てて行く。 落合は逆に若い頃の清原ならとことん真摯に指導しないと思う
あの頃の清原の素質に恐れをなしてたのは当時から言ってたしアドバイスくらいはするだろうけど >>460
星野の暴力に不満を抱いてた外人はパウエルだけじゃなかったような。
もう一人いたと思うが名前忘れた。うろ覚えだがステアーズだったかな? それは90年に在籍してたバンスロー。
2年契約だったけど、違約金を払ってまで退団を決断したそうよ。
彼も暴力反対のアピールをしまくってたね。 バンスローは中日の選手の9割はヘビースモーカーとも言っていた。 バンスロー、3割打って30本近くホームラン打って十分な
成績だったのになんでやめたんだろう・・・
って思ってたが、そんな事情があったのか。紳士な思考の人だったんだな 日本シリーズでの、ホージーのグリップで打ったタイムリー内野安打。
いわゆる「秘打」
病床に伏していた青田昇氏が、あれをテレビで見て「戦前に岩本義行さんが
やったものだ。」というメッセージをテレビ東京のディレクターに電話で
伝えた。その数日後に亡くなられた。 >>464
今年の新潟はそんな推移をしそうな予感がする。 今のSBや西武ファンからしたら、この年と95年のヤクルトはどうやって優勝したのか知りたいだろうな。
どちらも前年巨人は優勝してしかも大型補強をしてきたんだからその時点で勝ち目はないだろうと思われてたけど。
広島も当時は手堅いチームだったし。 広沢ハウエル川口
オマリーミューレン吉井
当時から巨人が大型補強って違和感あった
94の成績
オマリー>ハウエルは明白で
ミューレン広沢も球場の違いからしてたいしてかわらんし
吉井と川口も落ち目の川口だから今更とってどうするんだとおもたし ペーニャはホージーになれそうだが、小早川に当たる選手が見当たらないね。
ここでカブレラを微再生できたらウマーなんだが・・・ 某週刊誌の見出しにこんなのがあった
「中日今季最下位確定、主力選手T不倫疑惑」 開幕前に発売された週刊誌の予想は当たった。
中日最下位。
主力選手Tが誰なのかわかりません。 徳武(笑)
田上(笑)
まさか種田(笑)
種田って独身者なのに >>497
帆足は当時の吉井みたいになれるのだろうか。 今年のホークスならノムさんに監督して欲しかったな。 >>497
カブレラの再生はもうムリだろうな。
何せ、”職場放棄疑惑”まで持ち上がったからなw 清原叩きすぎだったな。
巨人ファンは。
前年の清原の成績見たらまぁそんなもんだろと予想つくのに 中日はナゴヤドーム、阪神は神のお告げが低迷原因と言われたがそれでもASすぎまではAクラス争いしてなかった?
なんか急に落ちたイメージ。
そこらへんから横浜が上がってきたほか、ずっと1弱だった巨人まで勝つようになってきた。
なぜ急に中日阪神落ちたんだ?
もうドームになれはじめ、グリーンウェルショックから立ち直りかけたとこで。 前年ひざをいため、もう使い物にならんかったコールズを、しかも出来もしない外野手にし、出来もしないクリーンアップにしたから
それならマルティネスを取るべきだった
阪神は
中継ぎは良かっただけに惜しい 俺はこの頃から野球以外のことに興味を持ち始めて
プロ野球のことは詳しくなくなった。
SPEEDや安室奈美恵にはまったのもこの年 日本シリーズでホージーとマルティネスのB級助っ人対決が実現
※B級助っ人
アピールポイントならA級だが致命的なウィークポイントありな選手 マルティネスって弱点あったかな?
99年に巨人に途中入団しても驚異的に打ってたし、何故西武から切られたかわからなかった 打ではホージー、小早川(開幕戦だけでも意味がある)の補強、
真中の成長、控えの青柳の奮起。
投では廣田の補強がめちゃくちゃでかかった。あとは加藤、野中、田畑のピークの
年がここに集中したことかな。 そうだったね。しっかりとした先発と抑えがいれば土台が固まるからね。
ちなみに、小早川はこの年最初の打席と最後の打席がともにホームランだった。 1二 和田
2遊 久慈
3右 ニール
4一 マルティネス
5左 桧山
6中 新庄
7三 今岡
8補 関川
Aクラスは見えた >>516
守備がかなり下手糞でこれが原因で西武を首になった
実際巨人時代のパワプロでは守備がGだったりw >>510
なんか気がついたら最下位になってなかったか中日。
ナゴヤドームに1年翻弄されてなら最下位独走していた筈だし…
最下位争いよりAクラス争いのが長かったのが気になる この年のセリーグのAクラスは、ヤクルト・横浜・広島だった。
ヤクルトはともかく、横浜と広島が次にAクラスに入るのは、いつになるんだろうなw >>524
この2年前に比べたらまともだったのに順位は2年前より下だった。
阪神が健闘したからだけどそれでも最後は巨人に抜かれて5位だったな。
巨人中日の5位6位というのは今思うと貴重だから見たかったな 阪神じゃなくて横浜じゃないか?
ナゴヤドームを一番最初に攻略したのが横浜な感じ
途中まで中日頑張っていたのは狭いビジターで稼いだ他にナゴヤドームで相手も苦しんだからじゃないか?
それをごまかしごまかししてきた(ごまかせただけでも凄いが)のが見破られた途端あぼーん。
すぐ変えたから大低迷はなかったけど。
ただ今のDENAだとナゴヤ球場でも勝てるかわからないわい ナゴヤドーム1年目だったがこの年の西武―オリックスは西武の主催だった
翌年以降合併まではイチロー繋がりで毎年オリックスが主催することになる ★マインドコントロールの手法★
・沢山の人が偏った意見を一貫して支持する
偏った意見でも、集団の中でその意見が信じられていれば、自分の考え方は間違っているのか、等と思わせる手法
・不利な質問をさせなくしたり、不利な質問には答えない
誰にも質問や反論をさせないことにより、誰もが皆、疑いなど無いんだと信じ込ませる手法
↑マスコミや、在日カルトのネット工作員がやっていること
TVなどが、偏った思想や考え方に染まった人間をよく使ったり、左翼を装った人間にキチガイなフリをさせるのは、視聴者に、自分と違う考え方をする人間が世の中には大勢いるんだなと思わせる効果がある。
.... >>522
ニールが外野というのは、どうも不安だな。
かといって、マルティネスが外野じゃもっと不安だw 1997年中日監督が落合ならあっさり優勝したかもな
2011年に貧打で優勝したぐらいだからナゴヤドームハンデは無に等しい >>509
元西武ファンとしては、(清原が)巨人V逸のA級戦犯の如く扱われるのが
我慢ならんかったな。
もっと糾弾されるべき人物が他にも相当数いただろうに…。 この年の清原はまともに打ち出したのが後半戦に入ってからで内容は数字以上にお寒い限りだった
最近でいえばあまり三振しないけどホームランも打たない2009年の辛いさんみたいなもん 今年の初芝って7本ぐらいしかホームラン打ってないけど、ケガだったんですか? 堀内投手コーチも酷かった、翌年はヘッドコーチになったが >>540
確か、その翌年だったよな。川相をブン殴ったのはw ナベツネさんが長嶋監督に最後通告をした年。
優勝できなければ辞めてもらう予定だったが結局は辞めさせなかった。 >>542
80年の「長嶋解任」の悪夢が頭をよぎったと思う。
ナベツネは、そうした嗅覚が異常に鋭いからなw この年くらいで長嶋解任しときゃ、
巨人も幾分かはマシな球団になってたと思うけどなぁ。j
とアンチ長嶋の巨人ファンは思ふ。 なんとなく思うが、今季のセはこの年に近い流れで進みそうな気が…
巨人=ヤクルト、阪神=横浜で、他の4球団は全て借金持ちで熱い最下位争いを演じてるというところが。
巨人も当時のヤクルトも終始首位をキープするも、一時的に阪神、横浜に詰め寄られてるところは被ってる。 寂しい時代だった。
麻疹で入院して七夕頃病院のベッドで巨人-阪神戦を見た。
この時期でもう借金20位で最下位独走していた。
なんの望みもなく桧山の大振りを見たり関川が無駄に高打率だった。
世の中この頃から同じような感じだな 1997年7月7日 時点の順位なら↓だぞ
1 ヤ 46−26
2 広 35−33 9.0
3 神 35−36 1.5
4 横 32−36 1.5
5 中 32−39 1.5
6 巨 31−41 1.5 そうだよなぁ。
この年は巨人が秋頃まで最下位の危機だった記憶がある。 1997年8月31日 時点の順位
1 ヤ 65−44
2 横 60−46 3.5
3 広 56−51 4.5
4 神 49−59 7.5
5 中 49−63 2.0
6 巨 47−63 1.0
97年の読売は5月中旬辺りから9月初めまでずっと最下位だった >>542
いくら前年に(マグレとはいえ)リーグ優勝を果たしたのに、
その翌年にちょっと低迷した程度で、監督をクビにするなんて
どれだけ短気なんだよ、あのナベツネとかいうジジイはw しかも日テレは続投発表で報道特番組んだからな
サンテレビとかテレ玉ですら有り得ないことを全国にww 札幌で、久慈が奇跡の2ホームラン打って大勝したときは
今年は行けるかもと期待はした
コールズがなあ・・・
もしマルティネスだったら
1和田2久慈3新庄4マルティネス5桧山6平塚7ハイアット8関川
Aクラスは固かった >>552
たかが続投発表で特番だなんて、恥ずかしいことだよなw >>540
そんな堀内も、今では一端の国会議員だもんなw 小早川の斎藤から3連発
あれが斎藤を狂わしたといってもいい たしかに無残だったけど、一度の滅多打ちで
それまで大エースとして君臨してきた斎藤の
色んな部分が狂っちゃうモンなのかなぁ?
なんて当時思ってた。 2年前(95年)の開幕シリーズでも桑田の頭部死球、橋本・石毛の崩壊など
何かと話題が多かった対戦カードだよね。
広島ファンだけど、この年は「よくAクラスに入ったな」という感想。
紀藤、加藤、山崎が崩れる中、先発だと大野と澤崎が頑張った。
ただ新人王は内容を見れば横浜・川村だと思うけどね。
あとは中継ぎの高橋英樹、東瀬もよく投げていた。 広島はロペスのおかげ
この時代は横浜ローズ、広島ロペスが特にチャンスが強かった
それなのに何故ロペスをこの年で一度解雇したんだろうと思ってた 巨人は、落合が残留していれば絶対に連覇できた。
落合がいれば清原は気が引き締まって結果を出しただろうし、
また落合自身がコーチ兼任で右の代打の切り札であればベスト。 前年優勝チームで、松井が遂に覚醒し、
桑田復帰、清原ヒルマン獲得だからなぁ。
黙ってたって優勝する筈なんだが。
大型補強をした時の毎度おなじみセゲヲ采配の極致だった(。A 。)
斎藤の衰えは間違いなく大きかったけどな。 >>564
それはない。
落合自身もそれを望んではいなかったはずだし…。 あの年は、清原が松井並に打っていたとしても優勝は無理だったろ。
やはり、斎藤の故障や、15勝を期待されたヒルマンがほとんど
登板できなかったことの方が大きい。 阪神は解雇したロペスを取ってたら、少なくともAクラスには入った
1和田2久慈3新庄4ロペス5桧山6平塚7ハイアット8山田 >>566
この年より悲惨でナゴヤに合わない2011年打線で優勝してるからな
と、言うことは星野が2011年に中日なら… >>570
ロペスは97年までは広島だから
もし取っていたら98年はAクラスはギリギリでいけたと思う。少なくともパウエルよりは欲しかったよな >>558-559
確かに、あれは大きかった。
と同時に、あれで斎藤が”並の投手”になった感じがするw 小早川3連発で斎藤が並みになった言うより
斎藤の癖が、のむさんでわかってしまったのが
元々心臓はさして強くない斎藤にとったら
ショックだったのかも
江川引退決意させたのも
斎藤が劣化したのも小早川か >>574
斎藤の癖がわかった? 馬鹿はひっこんでおけよ >>574
ソース元がwikiなんだけど、要はこういうこと(↓)でしょ?
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%97%A9%E5%B7%9D%E6%AF%85%E5%BD%A6 「腕に覚えあり」
この97年、ロッテの新監督に近藤昭仁が就任した。92年の八木沢荘六に始まり、前GM広岡達朗が指名したボビー・バレンタインに江尻亮と
いったように千葉移転以降のロッテは、黄金期の西武のノウハウを注入しようという意識が見え隠れしていた。この近藤も広岡・森祇晶が監督を
していた時代にコーチを務めていた人物。前オフに広岡はGMを解任されて、お家騒動は一旦収束を見せていたが、近藤が広岡や前任者の
江尻と同じ早大出身である事からも球団内に「広岡イズム」がまだ残っていたのが窺える。監督経験があり、現場も2年ぶりとブランクが短い
事も理由になった。
コーチ陣には「近藤色」が強く出た陣容となった。投手コーチの植村義信は広岡政権のヤクルトコーチ時代、中村稔は近藤が藤田元司の
参謀だった巨人時代、バッテリコーチの鈴木悳夫は早大の後輩、ヘッド兼打撃の長池徳士は横浜監督時代と西武コーチ時代という接点を
持った四者を呼び集め、二軍にも西武から広野功を引っ張った。他にも広岡GM時代から在籍している松沼博久、平野謙、小野和幸の
コーチ陣はやはり西武時代にコーチと選手の関係にあった3人だった。
こうして見ると強かった時代を知る指導者を、ただ闇雲に集めて入閣したようにも感じられたがそれだけではなかった。植村は5球団で数々の
投手を指導してきた育成の名人、中村は斎藤雅樹を球界ナンバーワンに育て上げた過去を持ち、長池も阪急など4球団でコーチ歴があり
秋山幸二らのスラッガーを教え、鈴木も94年まで2年間日本ハム一筋で捕手を指導してきた。そして監督の近藤本人にしても石井琢朗、
鈴木尚典、波留敏夫、斎藤隆、島田直也、三浦大輔ら多くの若手を抜擢してレギュラーに仕立てて新生横浜の土台を作った。新たなロッテの
「近藤内閣」は“腕に覚えがある”人材の集まりという布陣になった。
ともすれば勝利以上に育成を重視したようにも見える政権になるのも無理はなかった。投手陣では前年オフに伊良部秀輝とエリック・ヒルマン
と左右の大きな柱が抜け、打線でも和製大砲の不在などによる長打力不足。若手の底上げを早急にせざるを得ない状況がチームには大きく
横たわっていた。
入れ替わったのは選手も同じで、外国人も含めて16人が新入団。チーム内を大幅に入れ替えたフロントとしては、広岡GM時代の失敗を
踏まえた「リトライ」というよりは、一からやり直す「リセット」の感覚に近かった。 (了) 「楽しみは持ち越し」
近藤ロッテの出足はまずまずだった。開幕の対日本ハム2連戦に連勝、開幕連勝発進は実に15年ぶりの事だった。4月は首位タイの10勝
9敗で乗り切ったが、特に後半11試合で2桁安打が8試合と打線が活発。ドラフト5位の新人・小坂誠が打率.352を打てば、投手では守護神
を務めていた成本年秀を故障で欠きながら代役・吉田篤史と左腕・河本育之の新ダブルストッパーが活躍。小坂は新人野手として史上初、
2勝5Sの河本は5年ぶりの月間MVPを受賞した。翌5月1日にも勝ったロッテは貯金2とはいえ5年ぶりに単独首位に立ったが、好調は長続
きしなかった。
3日から4連敗するなど5月を9勝14敗、6月には6勝14敗と大きく負け越し最下位に転落した。若手だけで戦力層の薄さをカバーするには
少し荷が重かった。7月も16日までは4勝7敗だったが19日から球宴を挟んで6連勝、1つ負けてまた6連勝して最下位を脱出、借金を
4まで減らした。しかしその間にあったエース・小宮山悟の中4日登板が祟ったのか、直後の8月12日から8連敗して最下位に戻ると以降そこ
から這い上がる事はなかった。
打率、本塁打、得点の全てで5位に大差をつけられるリーグ最低の数字。得点力アップを期待されて獲った外国人も、課題解消の活躍までに
いたらなかった。マーク・キャリオンは現役メジャーリーガーの驕りからか闘争心に欠け14本塁打77打点に終わり、伊良部とのトレードで
パドレスから獲得したジェイソン・トンプソンも春季キャンプ中から交換要員の変更を現場から要求されるほど評価が悪く、低打率に加え
14本塁打止まりと粗さの目立つ結果となった。
外国人に関しては投手も同じでトンプソンと来たシェーン・デニスは開幕から3連続KOなどで1勝もできず。「ヒルマン以上」の評価だった
マイク・フィアリーも3勝と物足りなかった。近藤の若手積極起用も及ばず5年ぶりのテールエンド、5月以降1勝もできず3勝(10敗)の
竹清剛治や、打率.169とプロの厳しさを味わった清水将海と我慢を重ねた相手もいたが、新人王の小坂に立川隆史、福浦和也が後半戦に
出番を増やし自信を付けた。投手でも24歳の薮田安彦が初の規定投球回到達、同じ24歳の黒木知宏は両リーグ最多の13完投で240と
2/3回を投げて12勝(15敗)を挙げるなど登用が実を結びつつあった。球宴前後の戦いに横浜監督時代同様将来への手応えを掴んだのか、
近藤も「チャンスを与えた若手が成長した、来季は期待できる」と総括、楽しみは持ち越された。 (了) >>582訂正
下から5行目竹清について
×「5月以降1勝もできず」
○「5月以降1勝しかできず」
の誤りでした。失礼しました。 セは巨人だけ置き去りで巨人以外のどこがAクラスになるかBクラスになるかわからなくて面白かったな
5位阪神や最下位中日もときたまいい位置に顔出してきたり、横浜や広島が下がっていたり
最後はヤクルト横浜広島巨人阪神中日だが、後15試合あったらまた順位は違ってたかも 清原が入ったのにずっと最下位だった期間が長かった巨人
落合がいなくなり斉藤雅の衰えが効いたか あるあるw
でも孤軍奮闘エースっていう悲壮感も何だか無い(´・ω・`) >>572
この頃の阪神はドケチだったから、ダイエーより金額出せなかったでしょ
それにファーストは大豊取っちゃったし。
自分としては大豊取らないで平塚をファースト4番固定したほうが勝利打点は相当稼げたと思うね >>595
平塚株急上昇
今思うと内川に似てた
打撃も阪神版内川で右の巧打を見せたと思う
大豊キヨパウウェル…いらな過ぎた
平塚こそ正義だった 1997
1 和田(二)
2 久慈(遊)
3 関川(右)
4 平塚(一)
5 桧山(左)
6 新庄(中)
7 ハイアットOR星野(三)
8 山田OR定詰(捕)
1998
1 坪井(右)
2 今岡(遊)
3 和田(二)
4 平塚(一)
5 桧山(左)
6 新庄(中)
7 星野(三)
8 矢野(捕)
大豊の代わりに先発投手取ればよかったのにね
関川+久慈なら矢野+落合とか遠藤、頑張れば門倉とかも行けたかもね チャイニーズ高校野球権利団体ワイパー 沖縄海焼きそば
チャイニーズ高校野球権利団体ワイパー 沖縄海焼きそば
チャイニーズ高校野球権利団体ワイパー 沖縄海焼きそば
チャイニーズ高校野球権利団体ワイパー 沖縄海焼きそば ここ数日見かける>>603のような書き込み
これを書いたヤツは一体、何がしたいんでしょうね…。 >>591
今だからこそ思う。
巨人が最下位になって、ナベツネが発狂する姿を見てみたかったなw チャイニーズやらかし慰杏空気プレン 沖縄海長エクスそば
チャイニーズ慰杏オレオレビザ空気プレン 沖縄海長エクスそば
チャイニーズオレオレビザ空気プレン 沖縄海長エクスそば
チャイニーズオレオレビザ空気プレン 沖縄海エクスそば グリーンウェルが最後までいたら、どれぐらい働いたか。 グリーンウェルは、あの時で2割3分しかなかった
だから最後までやってもダメだった気はする
むしろマースやクレイグの方が期待できた
クールボーも チャイニーズケイキ強制送還権オレオレ空気プレン 沖縄海キンコウマー君博多焼きそば
チャイニーズケイキ強制送還権オレオレ空気プレン 沖縄海キンコウマー君博多焼きそば
チャイニーズケイキ光金強制送還権オレオレ空気プレン 沖縄海キンコウマー君博多焼きそば
チャイニーズ光金気ブラックジャックオレオレプレン 沖縄海マー君捜査焼きそば マント・ヒルマン・グリーンウェル
ネタ外人の揃い踏みですなw ヒルマンの世間の印象って、
やっぱ巨人なのかなぁ。
ロッテではエース級だった訳だが、
そっちの話は既に忘れ去られているんだろうか。 >>611
ロッテでの活躍を帳消しにして、それでもなお上回るほどの
ダメダメぶりだったなw ヒルマンのいた年のロッテがシリーズに出ていたら、下手するとヤクルトが負けていたな。 >>613
他に小宮山・伊良部もいたからな…。
もっとも、打線ではヤクルト>ロッテ
という印象だったけど…。 伊良部 ヒルマン 小宮山 園川 ヒルマン 伊良部 小宮山 1997年から消費税が3%から5%にアップ。
清原が背番号を3から5に変更することで
「僕の背番号は消費税みたいなもんです」と
自虐的に言っていた。
今年は背番号を5から8に変更する選手っているか? 2リーグ制以降唯一の老舗総崩れ(巨人、阪神、中日)
その他の年は最低でも必ず1球団が残るけど… >>620
たまには、こういう年があってもいいな。 >>620
今回パがその傾向あるな
セは97年とは逆の争いが激化wwwwww 巨人、あと一歩で最下位ならず。
いやあ、惜しかったなw 巨人と中日はともかく、阪神は暗黒時代に最下位じゃなかった大健闘の年だろ グリーンウェルばかりしつこく言われるが
ハイアットも球史に残るマイナーの帝王だったんだよな
確かここ30年で3Aでシーズン40本塁打を複数回記録しているのは彼1人だけだったはず 今日杉内が不知火ばりのハエドマリを親父と見たが
ホージーが殿馬ばりのグリップ打法はこの年だっけ? >>254-255
強引に若手に切り替えて経験不足になって
それもあって暗黒に突入したからな >>625
阪神が健闘・・・というよりも、中日が勝手に転落していった
というほうがふさわしいと思う。 ナゴドの最初の年でゴメスが3割30本打ったり山本昌が最多勝取ったりして
主砲とエースの働きから阪神より強く見える。が最下位だったんだよな 中日の首脳陣星野、島野以外解任
早川実、高畠はフロント入り
小松、柏原は解説者に
立石は台湾でコーチ 終盤は、西口が先発・リリーフにフル回転
という印象が強い。 「イチローは遠く」
2年前のオフと同じように敢行した巨人の33億円補強も、やはり他球団の主力選手や助っ人獲りに終始していた。中でも第二期政権1年目と
なる93年から長嶋監督が意識していたのが、自身も守っていた三塁の強打者だった。
台湾球界で3年連続3割5分以上を打ったルイス・サントスは秋季キャンプでテスト入団した中距離ヒッター、「台湾のイチロー」と呼ばれ注目が
集まった。93年に原辰徳、岡崎郁の衰えを目にした長嶋は毎年のように三塁手を集めてきた。息子の長嶋一茂に始まり、ジャック・ハウエル、
ジェフ・マント、石井浩郎。そう考えると、このルイスは長嶋にとって何度目の正直だったのか数え間違いをしそうなほどだ。大補強の中に
おいて年俸3000万の安値だったルイス、結果はマントらと同じ道を歩む形となってしまった。
4月、5月と打率3割にすら届かぬ2割4分台。5月までの2ヶ月間で打率.248でノーアーチ、打点は14だった。5月後半から代打が多くなり
6月上旬に二軍に降格すると最後まで一軍復帰することはなく、8月26日に解雇された。台湾時代279試合で62失策とあって問題視されて
いた三塁守備も30試合で2失策ではあったが、記録や数字に表れないミスも少なくなかった。
ルイスは確かに打てなかったイメージが付きまとっていた。そして実際に打率もイチローに遠く及ばなかった。ただ猛打賞こそ無かったが
マルチ安打7試合、無安打試合もレギュラーを外されるまでの25試合中で9試合、少なくはなかったが特段多くはなかった。最後の先発出場
となった5月31日でも4打数2安打を打っていた。本塁打が無かった事や借金2ケタを数えるほど低迷したチーム状況が、気の短い長嶋の
決断を早めた。
それにしても「台湾のイチロー」などで呼ばれる「イチロー」の定義への違和感は否めない。ルイスは右打ちの内野手で鈍足、何年か安定して
高打率を残せばイチローと形容したくもなるのは理解できるが、日本球界と海外球界の違いに戸惑い日本で成功しないケースはいくらでも
あるのだから高打率は前提としても、せめて左打ちの俊足であることを条件にイチローと形容してもよかった。翌年に中日に入団した李鍾範も
韓国球界で高打率と図抜けた盗塁の多さで右打者ながら「韓国のイチロー」と呼ばれたが、李も3割を一度も打てず苦しんだ。彼らの日本球界
での不振は皮肉にも本家イチローの凄さを際立たせるものであった。 (了) >>629
>>639
これが後々暗黒期に突入していく原因になってしまったからな 中堅どころもそうだけど主力もどんどん抜けていってたやん
長谷川に星野にイチローに田口、あとV2メンバーではないけどアリアスも
そのくせロクな選手を補強しないことをナベツネに噛み付かれてた セは横浜とヤクルトが接戦だった印象だけど、終わってみれば11ゲーム差もついたのね。
9月の直接対決で、石井一にノーノー喰らってズルズル落ちて行った感じかな。
3位の広島は勝率5割を切っているのだから、4位の巨人も5位の阪神も、あと少し頑張ればAクラス入り出来た。 中日は広島にカモられていたのが痛かった。
広島は中日以外の4球団に負け越している(対中日18勝9敗)のにAクラスに入れたのは中日のお蔭。 松井秀喜が100四球をマークし名実ともに球界最強の打者となった年でもある。 >>646
まるで去年みたいだな…
今年も勝ち越しのようだし近年の中日がこの年に似すぎwww そういえばこの年のパの優勝決定試合も2−1でサヨナラ勝ちだったね…
しかも延長で10回まで言ってるのも… >>571
打てないだけなら優勝出来るけどあの年はPがぶっ壊れて守れなくなってたからな
落合は守れないチームを率いて優勝争いは無理
すぐ小松や孝政を森繁に変えるんだろうが森繁も守れないチームを簡単にさまがわりは出来ない >>653
それだけじゃない。
日本シリーズも、本拠地3連戦を3連勝でフィニッシュ
というのも、この年と被る。 来年のサッカーJ2リーグの面子は、親会社を持つクラブが6チームくらいあって凄いことになってるけど
この中からプレーオフにすら進められないチームが複数出てきたらこの年の巨人を彷彿させてしまうかも。
巨人も97開幕前はメークドラマを完成させたうえに清原や石井、ヒルマンを獲って死角なしだと思われてたのにふた開けたらコレだもんな・・・ 読売は95年も大型補強して大本命とされておきながら、ヤクに大差つけられてしまって3位だもんな。
でも14も貯金を稼いだから97年よりはまだ擁護できる。 あの年は阪神中日から荒稼ぎしたんだろ
10年後に物凄い復讐されたけど よく巨中阪Bクラスで番狂わせと言われるが当時を考えたらそうでもないかも
中日は周期的に弱期がくる時代だし阪神は暗黒期 >>662
磐田とC大阪は怪しい雰囲気が漂うわね。
C大阪も来季就任しそうな監督は鹿島では微妙だったようだし。 ホージーのシリーズでの秘打くらいしかこの年は覚えてない。とりあえず長嶋巨人のダメダメっぷりで野球から離れてた時期。 広島の逆指名コンビ 沢崎と黒田
現在までの両者の実績はこんなになるとは思わなかった。 ナゴヤドーム・大阪ドーム開場
立浪の開幕戦先頭打者ホームラン
桑田の復活 この時期はヒルマン ルイス ガルベス暴挙やら悪夢でしかない セルビーとカステヤーノとテータムの来日初アーチを球場で目撃できた (ヽ*´◯`*)石井一にノーノーを食らってしまったんだ・・・ >>674
三つめは翌年じゃない?この年も何かやらかしたの? >>678
この年は、何もやらかしていないな。
前年(96年)と翌年(98年)は大いにやらかしたけどw ノムケンのかかとに当たって乱闘寸前ってのはあったけどこの年だったかは忘れた ガルベスほどの暴れん坊ならこの年も何かしらの騒ぎは起こしてるはず 96年のガルベスといったら山崎へのビーンボールからの大乱闘だろJK >>682
だからそれはみんな分かってるんだが、
スレタイの97年に何かやってたっけ?って話だろうよ スレタイずれるが、二年後には満塁弾二発w
1本は浜スタ場外 シリーズ第3戦でリリーフで出た、渡辺久信が古田に勝ち越し弾浴びてああもう決まったと思った。 >>664
10年前の西武も鷹と檻に勝ち越して優勝したけど
今年は凄いレイプされっぷり >>666
とは言っても後にも先にもこの年一回きりだしな この年、阪神にシークリストっていたな コンラッドを10倍ぐらい不器用にした打者でセカンドゴロしか打てなかった シークリスト 25試合10安打4打点8四球ホームランなし
コンラッド 24試合10安打0打点11四球ホームランなし 近鉄のビジユニが物議をかもしたが、今やそれを遥かに通り越した状況に 「急場凌げず」
ホージー、マルティネス、ゴメス、クラーク、ウィルソンと聞けば野球ファンは、97年に来日してすぐに年間通して活躍した外国人として
思い出す事が出来るだろう。途中来日選手でもマホームズ、テータム、ペンバートンといったところならまだ記憶しているかもしれない。しかし
シークリスト、カステヤーノ、ラフィン、ボニチと聞いて果たしてどれだけの人が思い出せるろうか。このシーズンは史上最多だった前年の
47人を塗り替える55人の外国人が日本プロ野球に在籍したが、チーム事情に伴い球団が急場凌ぎに途中獲得した助っ人も前年の3人から
9人に増えていた。その中で本当の意味で急場凌ぎになった選手といったら先に書いたヤクルトのジム・テータムと横浜のパット・マホームズ
くらい。時間的に従来より完全な調査が難しい途中入団選手には、より一層“宝くじ”の要素が強く、その成功率は低い。
フィル・ハイアットの腰痛、不振により阪神に入団したリード・シークリストは、来日初打席に代打適時打を放ち、デビュー5日後から10試合
連続「六番・三塁」で先発出場した。その9戦目までは打率3割台をキープしていたが、8戦目の4タコ以降24打数無安打で8月に二軍落ち。
ハイアット復帰間もない9月8日に解雇、在籍わずか3ヶ月弱だった。シークリストがデビューした巨人戦の翌日、相手の巨人で代打ダメ押し
3ランを打ったペドロ・カステヤーノは、期待を裏切ったルイス・サントスに代わる新外人だったが長打力、守備力もほどほどで打率に関しては
ルイスを下回った。他にも巨人ではデビュー以来4戦連続セーブも、4セーブ目からの4試合連続失点で即二軍落ちして1ヵ月後に退団した
デビットことデーブ・パブラスもいる。阪神でも6月だけで9登板も半分以上の試合で失点して、二軍でも勝ち無し3敗でシークリストと共に
解雇のボブ・マクドナルドと投手でも台所を救えない選手がいた。
他球団でも近鉄で先発1登板のみに終わったジョニー・ラフィン、オリックスでウエスタン初の三冠王に輝いたジェームス・ボニチも一軍では
目立たなかった。やはり急遽呼び寄せた外国人では簡単に急場を凌げない事を考えると、さすがに「神のお告げ」は有能なフロントでも予測は
できないが、十分に時間のあるオフのうちに入念な調査をするなど、球団側もなるべく“急場”が訪れないよう戦力を準備しておかなければ
いけない。 (了) ダンカンはこの年にいた阪神の外人を何も見ないで全員言えたw
あれには感服した。 >>694
グリーンウェル・ハイアット・シークリスト・コールズ
郭李・マクドナルド・クリーク
だっけ? マクドナルドは何しに来たんだろうな
名前だけで取ったんとちゃうか 台湾のイチロー ルイス
肩に小錦が乗っている ヒルマン
暴れん坊 ガルベス
存在感ゼロ カステヤーノ 巨人のデビットの動画無いかなと検索したらチョソンミンの初登板動画出てきてその中にシークリスト出てきてワロタw
https://www.youtube.com/watch?v=nIZK-v092eU >>701
クビ飛んだのは翌年。福岡ドームで守備でフェンス激突して肩骨折してサヨナラだった記憶がある 巨人は投手陣大崩壊だったな
先発
斎藤、ぶっ壊れた 桑田は病み上がり 槇原一人元気 ガルベス投げれるがムラッ気全開
宮本、交通事故で引退 岡島、完全に経験不足 ヒルマン、小錦
中継ぎ
西山、川口、河野、岡田、怪我や絶不調もあったがあまりにも信用されなさ過ぎた 河原病み上がり
入来、三沢 使い潰された 小野、一年間二軍で英才教育させる予定が急遽あげたが全ての失敗
抑え
木田、好投してたが長嶋と堀内の冷遇で配置が定まらず後半ネズミで戦力ならず
デビット、潮崎並のシンカーと絶賛した中村堀内角www
趙成a、ストッパーにいなかったらもっと悲惨な事になってたがこの選手も小野同様に1年英才二軍で教育してれば翌年怪我をしない身体になってた
この頃の巨人ってシーズン中のトレードって皆無に等しかったんだな 取っても野手ばっか これ中日の引っ越しと横浜の確変が1年遅ければ最下位もあっただろうな 秋口頃までマジで最下位だったもんな。
長嶋、どんだけ無能なんだよとか思ってたっけ >>703
斎藤雅樹が開幕戦で潰されたのが、投手陣全員にショックを与えたんだろうね
桑田の復活は敵ながら嬉しかったけど >>704
横浜はこの年2位だぞ
1位ヤクルト 2位横浜 3位広島 4位巨人 5位阪神(巨人と阪神は同率だが去年の成績順位で巨人が4位)6位中日
阪神が川尻(5勝14敗)舩木(1勝8敗)古溝(1勝7敗)があまりにも負けすぎたのが敗因 中日はどうしようもなかった 入来はいい投手だと思ったが長嶋得意のたらいまわし起用 >>707
巨人と阪神は同率ではない
巨人 63勝72敗
阪神 62勝73敗 >>709
そうだ最終の横浜戦でこれで勝てば並べるって記憶がいつの間にか同率にって記憶になってたサーセン オリックスのV3を阻んだ鈴木健の決勝ホームランかな。
イチローが悔しがってた。WBCで韓国に負けた時よりも悔しがってた感じ。 実はセリーグ3位以下はみな団子状態
最下位も3位もさほど差はない 青波燕のリターンマッチになっても、この頃のオリは戦力ダウンが進んでいたからまた結果は同じだったろう。 96年オフ
ショートの守りではトップだった勝呂を近鉄へ金銭トレードで放出
長谷川メジャーにトレード
97年6月
二年連続3塁のゴールデングラブ賞受賞の馬場+岩崎⇔ヤクルトから記念男の広永+後の暗黒期主軸投手になる小倉交換トレード
センターの守りの要本西阪神へ金銭トレード
センター 谷 ショート 塩崎 サード 佐竹この三人ルーキーとしては頑張ったほうだけど力不足だったな特に終盤完全に経験不足出ちゃったもん
馬場との交換要員が左の長距離と先を見た投手補強なのはわかるとして本西を金銭で放出だったのがな〜 >>704
広沢が復調しなかったら…
ガルベス事件が1年早ければ…
前年に広島が逃げ切ってれば…
小早川がヤクに来なければ… 彼もヤクルトに移って偉い生き生きと明るくなったので
やはりセの方が客さん入るからやる気も出るのかなと
思ってたけど。
それ以外の理由もあったとはねw 元ロッテのサード
「俺はプリクラなんかヘルメットに貼ってへんで」 この年のヤクルトはチートと言うほどに盤石な強さだったけど、
それが何で翌年はものの見事に低迷してしまったんだ?
同じ事は95→96年にも言えるが。 ホージーの不振じゃね
野村の命令でダウンスイングにして散々 田畑 26登板 15勝5敗 防2.96→12登板 3勝5敗 防5.63(肩痛発症)
吉井 28登板 13勝6敗 防2.99→FAでメジャーへ 代役・北川 23登板 4勝4敗1セーブ 防3.83
石井一 18登板 10勝4敗 防1.91→28登板 14勝6敗 防3.30 最多奪三振・最多暴投
ブロス 23登板 7勝8敗 防4.99→西武へ移籍 入れ替わりヤクルトへ・渡辺久信 19登板 1勝5敗1セーブ 防4.23
川崎 22登板 7勝5敗 防4.19→29登板 17勝10敗 防3.04 最多勝・沢村賞
野中 44登板 2勝3敗 防2.28→16登板 0勝0敗 防8.53
山本 46登板 3勝6敗1セーブ 防3.67→35登板 7勝2敗3セーブ 防2.03
山部 14登板 0勝2敗2セーブ 防3.51→29登板 3勝8敗 防4.57
廣田 59登板 1勝0敗3セーブ 防2.71→52登板 4勝2敗7セーブ 防2.56
加藤 60登板 5勝1敗6セーブ 防1.99→16登板 0勝0敗 防8.44(肩痛発症)
高津 51登板 7勝4敗7セーブ 防2.04→42登板 2勝3敗3セーブ 防5.56(肘痛発症)
伊藤 34登板 7勝2敗19セーブ 防1.51→29登板 6勝11敗3セーブ 防2.72(無援護) 捕手
古田 率.322(509-164) 9本 86打点 MVP→率.275(491-135) 9本 63打点
一塁
小早川 率.249(309-77) 12本 33打点→率.173(93-81)3本 8打点 不振で入れ替わり・度会 率.263(205-54) 4本 12打点
テータム 率.309(139-43) 13本 25打点→退団 新外国人・ムートン 率.241(97-87)3本 12打点 6月退団→新外国人・アンソニー 率.245(151-37) 12本 31打点(怪我しやすい)
二塁
土橋 率.301(355-107) 8本 61打点→率.259(397-103) 9本 52打点
辻 率.262(279-73) 2本 18打点→率.304(168-51) 3本 18打点
三塁
池山 率.276(439-121) 18本 79打点→率.275(400-110) 18本 59打点
遊撃
宮本 率.282(387-109) 1本 33打点→率.258(368-95) 1本 25打点
左翼
ホージー 率.289(498-144) 38本 100打点 本塁打王→率.233(317-74) 13本 42打点
中堅
飯田 率.306(421-129) 3本 37打点→率.283(286-81) 1本 28打点(怪我しやすい)
真中 率.338(228-77) 3本 19打点→率.275(495-136) 5本 27打点
右翼
稲葉 率.267(439-117) 21本 65打点→率.279(258-72) 5本 23打点 不振で併用・副島 率.266(301-80) 8本 38打点 この年の広島だけど3位って奇跡だよな…
阪神はともかくまさか巨人中日が大コケ
したのがここまで響いたとは… むしろそこが面白いだろう
団塊ジュニア世代の台頭と読売以外生え抜き選手ばっかりで >>725
前年も3位だし、巨人が落ちたかわりに横浜が上がっただけで
奇跡でも何でもない
投手は弱かったが、打線は強力だしな
むしろ妥当な成績だと思うぞ 昔の野球懐かしいなぁ
久慈て158cmじゃね 小さいわ
平塚て内川に似てるな。リーチが長くてパワーがある所とか
金本て大豊の打ち方にそっくりだな。まねしてるんじゃね 「なぜ早大大学院に行った?」 清原が桑田への怒り爆発
2013年 週刊文春 http://shukan.bunshun.jp/articles/-/3288
CMを見た巨人OBが清原に『ついに和解?』と聞くとこう答えたそうです。
清原『アホ。するわけないやろ。金のためや(笑)。
仲良うしゃべってるように見えるやろ。カメラの前以外では一言も話してない』 >>729
この年はBクラスがデフォのいつもの横浜では無かったから…
もし巨人or中日がAクラスデフォのいつもの巨人or中日だったら… そんな巨人中日もよ、前評だと台風の目として優勝争いして他は取り残されるとか言われたんだぜ
実際は巨人中日が取り残されたわけだがw この年って打者有利だったと打者不利だったの2つの真逆論評がでるけど結局のとこは? 本塁打数やOPSでいえば有利も不利もないごく平均的な年 >>703
そんな酷い投手陣なのになぜかヘッドコーチの昇格した堀内
角は1年で辞任
代わりに来た投手コーチがあのクラッシャー池谷公二郎 >>734
そうなったのが翌年以降だったな
巨人中日が本来の地力を取戻し、横浜がマシンガンになって
ヤクルトも強くもなければ弱くもない
そうなると下は盤石の暗黒阪神しかいないという・・・。
ロペス解雇、江藤野村劣化で攻撃力も中の上程度に落ち着いた。 ロペスは高年俸要求してたから払えないから出て行っただけ
野手陣
江藤は完全に96年の仁志の打球が原因
正田・野村・西山は衰え
緒方のフェンスに足掛けて捻挫は自業自得(まさかこれが致命傷になるとは思わなかった)
前田も怪我の影響で一進一退 金本だけ元気
浅井と町田でどうにかトレード勧めれなかったかね
投手陣
紀藤は気力が無くなった 大野は寧ろよくここまでやってくれた 加藤は手放すの早すぎた 黒田は伸び悩み
山崎はまぐれを引きずってしまった ミンチーは2年目以外は頑張ったがやっぱりロペスと同じ結果 佐々岡一人元気だけど途中起用法で迷走
山内・澤崎・小林幹英はこれはもう広島の悪しき伝統
自前で育てるのに限界が来てたのにトレードでの補強を殆どしてないのも低迷に繋がってる 三村監督「おどれら日本シリーズに出られんようにしたるぞ!」
たしかこれはこの年6月のヤクルト戦だったな
まだ2位で半分以上試合残ってるのに で、シリーズに(後々に渡って)出場できなくなったのは自分達の方だったというw わかってると思うが、これは真面目にやって追い抜くつもりで
言ったんじゃないからな
差は大きいとはいえ、2位に着けているチームの監督が早々と降伏宣言
した挙句、腹いせにヤクルトの打者に痛い目に遭わせようというんだから
広島だけに「仁義なき戦い」のつもりだったのかも知れんがwww この年は監督が暴れてた
外人審判恐喝の星野、審判回し蹴りの東尾、そして三村
そんな中、ウィンドブレーカーを腰に巻いてやんわりと抗議する
ムッシュ吉田が微笑ましかった 今思えば、このシーズン途中の馬場、本西の放出から、オリックスの低迷や、ファン離れが起きたと言っても、過言では無い。数年後、球団に愛想尽かした星野がFA。イチローが残留して欲しいと言っても、阪神を選んだ。翌年、イチローもメジャーへ‥ 自チームのナインに「おどれら」言ったんだ?
「おどれ」言う時は敵意剥き出しな感じがする >>748
違う、ヤクルトの打者連中に広島の三村監督が言った
しかし、乱闘の最中だから当然近くに味方選手もいる
広島の選手からしても諦めた・信頼されてないと思うだろ D.Jの2番煎じでC.Dとくるなら、D.VとかE.Dは出んのかと今行っても面白くないか 阪神は、6月までは5割を保ってた。
しかし、途中からきたコールズが燦々たる結果に終わり落ちた。
ヤクルト3連戦のヤクルトの地力や戦術の巧みさに、見事にやられ3タテ食らった。なのにフロントは懲りもせず、翌年も中日からお古を獲得。しかも使い物にならなかった。
暗黒ど真ん中らしい出来事だった。 テータムをチャンスに打てないからという理由で解雇したノムさん
チナミにテータムのOPSは規定未到達とは言え、この年の規定打席到達者OPS1位
白ローズの.984より高い1.030だった
この時代にOPSが普及していれば、評価がまた違っていただろうな
ノムさんがセイバーメトリクスについてどういう考えを持っているのか知らないが 97年のセだが、残30試合前後のところだとヤクは横浜に2.5差まで接近されてたけどそこから突き放して最終的には11差まで広げさせている
http://www.geocities.jp/db_dragons/dragons97.html
ちなみにVやねんのシーズン、残30試合前後の段階では阪神と読売の差は5だが、終われば読売は2.5差付けて優勝した
http://www.geocities.jp/db_dragons/dragons08.html
そう考えると、まだ日ハム逆転優勝の目はないとは言い切れない Vやねんは追いかける巨人の方が
明らかに戦力で上回ってた事が大きかったけど
今年のハムとソフバンじゃ構図が完全に逆だからなあ >>758
8/30以降
ヤク 20勝8敗
横浜 13勝18敗
昨年9月以降のソフ
9勝14敗
ソフは逃げ切れても詰められる可能性は高いだろうな
今のハムはここ半月勝率7割ペースだし 2000本安打を目指していた松永を、容赦無く干した王監督。この頃の王監督は、まだ迷監督だったから、早く辞めて欲しいと感じていたファンは多かった。 いや、干したというより、使えなかった
松永は94年まで良かったけど、王監督になった95年に一気に劣化した NPBイチローがシーズンの最後までプレーし続けたのはこの年までかな 1997年以来、またヤクルト阪神(神宮)で優勝が決まるかも、明日
ちなみに、例の新庄剛志の「コンパのためのエラー」は
97年優勝決定の前日のマジック1となった試合(9月27日) ヤクルト優勝したね
この年の日程見てたらダイエーが5月9〜11日の対ロッテ3連戦全部を北九州市民球場でやってて驚いた
こんな時代もあったんだなぁ
他にもう1試合やってて7月6日近鉄戦雨天中止の予備日(地方球場に専用の予備日があるのも驚き)の9月26日
地元民からすると別カードでそれぞれ違う相手と1試合ずつやってくれた方が良かったんだろうけど 1997年と2015年のセリーグ
ヤクルト優勝
ヤクルト優勝決定戦は阪神戦
横浜が躍進 → 横浜前半首位
オフに脱税事件 → 野球賭博事件
広島三村「審判をお立ち台に」 → 誤審で広島三塁打 おかしな話だ。俺は94年くらいはガチの野球ファンだった。
9時にチャンネルを変える奴見て腹立ってた。
しかしこの年から俺はドラマに嵌って俺自身が9時にチャンネルを変えていた。
野球が面白いときはビデオだったが。
金曜は9時から「いちばん大切なひと」をよく観てた 9月くらいまで現実味あったからねぇ。
よく最終的に4位に収まったわ(´Д`;)
9月10月は16勝9敗だったそうで。
巨人史上最高レベルのお笑いシーズンだった気がする。
そもそも前年優勝チームで圧倒的戦力補強で、
桑田も復活するしで断トツ優勝候補みたいに言われてたけど、
9月まで最下位を快走してたモンなぁ。
最後の帳尻合わせをもう少し頑張れれば、
ギリAクラスも狙えたのにね。
この頃からずっと長嶋不要論を唱えてたわ。 なにもかもが噛み合わなくなった第二次長嶋巨人の後期象徴みたいなシーズンでしたな
その後2000年に優勝できたけどチーム的には94、96の方が印章に残ってるよ 惨劇の巨人がアニメタイトルなら…
75 元祖惨劇の巨人
79 惨劇の巨人NEXT
97 平成惨劇の巨人
05 惨劇の巨人SEED
06 惨劇の巨人マケミラクル >>778
清原や石井等も加入したのに、チームはBクラス転落だったしなw >>773
先日海外でテロ事件も起きたし
97も11月に海外でテロ事件が起きた…
北陸新幹線も開業した…
もしや…年末にポケモンアニメでトラブルか!? 1997年ほど印象に残ってないシーズンもない、ついでにシリーズも印象ない。 今でも伝説的ダメ外人として語られるグリーンウェル来日、そしてあっという間に引退
台湾のイチローこと鳴り物入りで巨人に入団したルイス、全く結果を残せず
90年代ドーム球場ブームの集大成、中日の名古屋ドーム、近鉄の大阪ドーム、それぞれ使用元年
ゴタゴタがあったものの伊良部がメジャーリーグへ
怪我から復活した桑田がマウンドに戻りヒジをつけるパフォーマンス
ヤクルトを追撃していたマシンガン打線横浜が石井一久にノーノーをくらって勢いを停められる
思い出してみると色々あるね そりゃどこのファンによるかでシーズンごとの印象度は変わるでしょ 新庄と清原の応援ボイコットもこの年だな
試合中にレーザーポインター当てられるという事件もあったな、この年と翌年 1997年セ・リーグ
【投】桑田真澄(巨人)
【捕】古田敦也(ヤクルト)
【一】駒田徳広(横浜)
【二】立浪和義(中日)
【三】進藤達哉(横浜)
【遊】宮本慎也(ヤクルト)
【外】飯田哲也(ヤクルト)
【外】緒方孝市(広島)
【外】新庄剛志(阪神)
セリーグ歴代最高の守備陣 この年に生まれた子供が高卒ルーキーか。
もうミスターの事なんか、病気のおじいちゃん位にしか思ってないんだろうな。 ヤクルトは全日程で首位で優勝
野村曰く翌年はコーチに任せたら低迷した
私の履歴書に書いていた
もし強かったらコーチに任せた私がよかった
と書くだろうが GWもシーズンを通して働けばそれなりの成績は残せただろう
そもそも働くつもりがなかったからどうしようもないが ソン・ドンヨルが前年の屈辱を晴らしたのはさすがだと思った
中日自体は去年と打って変わって散々だったが ソンはレベルの違いにびびったらしいね。
NPBは癖を見逃さない。ボール自体は1年目から良かったんだが球種を読まれてた。 >>795
斎藤雅樹の急激劣化とヒルマンの故障が全てだった… 95年の30億円補強を超える33億円補強を行った巨人だったが
自由契約から拾われた小早川に開幕戦で煮え湯を飲まされ夏場まで最下位に低迷
一方ヤクルトはその小早川を筆頭に、広田、野中、馬場ら移籍組が渋く活躍
金満補強が嫌いな野球ファンにとって大いに溜飲が下がった年だった >>796
それでも優勝できる戦力だよ 打線の補強はすごかったし 中日だってここ5年より強そうな戦力だった(優勝候補一角)が最下位だし 恐竜打線がドーム移転で完全に崩壊したからなあ
そりゃ星野だって守り勝つチーム作りにシフトするわ 星野は中日前期時代から、基本は投手を中心とした守りの野球を信条としてた でも落合終盤よりは怖そうな打線ではあったw
だから優勝候補だったのかな 老朽化していた野武士軍団を数年がかりで解体して跡地を守備に強い人やピッチャーで埋めることが第一期星野中日の再開発だった 大豊矢野←→関川久慈
中日がサービスし過ぎと言われた この年地味に思えるけど中々面白いシーズンだったけどなあ
巨人が9月の初めまで最下位という誰もが予想つかないシーズンだったり >>805
移籍後の成績羅列すると阪神勝利のトレードなんだけど
なぜか中日が得したトレードというイメージもある
何故かは自分でも分からん 久慈も関川も99年優勝に貢献してるわけでそりゃ中日としても大勝利トレードでしょうよ
矢野があそこまで現役を長く続けれたのが阪神にとっても中日にとっても計算外だった
それだけ 星野により人生を狂わされ、星野により新たな道が開けた
皮肉な巡り合わせだな >>805
互いに良いトレードだったんじゃないかな。
1987年オフの小野 平野みたいな。 巨人はシーズン中打撃コーチが入れ替え
1軍の河村と2軍の内田
ブルペンコーチの角は一年で辞任 >>785
あと
清原が巨人でプレーした最初のシーズン
このシーズン途中からヤクルトに加入したテータムが大活躍(打率.309、13本塁打、25打点、OPS1.030)しながら
チャンスに弱いという理由で解雇されてしまう珍事 ヤクルトって伝統的に当たり外人引くのが上手いから
そこそこ成績よくても意外とあっさり切るんだよな
他には99年のスミスや2003年のベッツなんかもそうだった >>814
そういう印象があるから、外人が”ハズレ”だったときの
落胆は他のチーム以上だw ホージーと同時期に居たオルティスもドハズレだと思う ホージーは超ド外れ扱いされながら忍者のように変身した ホージーって1年目は大活躍して本塁打王のタイトル取ったけど、
守備がさっぱりだったな… 返球がいつも山なりで返してたから、肩に古傷でもあるのかと思ってたわ 2年目はくそだったしフロックだったのか
ペタジーニ ラミレスは進化し続けたけど ヤクルト打線は顔ぶれみても、よくこの面子で1試合平均5点も取れたなとと思う。 ヤクルト小早川の開幕戦が3連発が全て。
特に第2打席で斎藤雅樹が投げる1-3から外角のカーブを
狙い撃ちされた。 この年の西武の優勝は「清原が抜けて風通しが良くなったおかげ」と言う声が多いが、それだけではない。
清原が抜けて、他5球団の「西武へのマーク」が甘くなったからだ。
94年まで西武が圧倒的な強さだったこともあって、95年に東尾に監督は変わっても、「やっぱり本命は西武」というものがあった。
で、そのすきを縫ってイチローのいるオリックスが独走した。
96年はオリックスはある程度マークはあったが、「昨年のオリックスは出来過ぎ」と言うのもあって、まだ西武へのマークもきつかった。
で、で、ハムがいい調子だったが、上田監督の家族の騒動もあって、またオリックスが優勝。
97年は、只でも2連覇したオリックスのマークがきつくなるのを、さらに清原が西武から抜けて、
西武へのマークがかなり甘くなり、オリックスへマークが集中した。
それで、西武が優勝した。
俺から見れば、西武はイチローに過剰意識にさえならなければ、97年はマークも甘くなっているから優勝できると思っていた。
でも、8月中ごろまでは、そのイチローへの過剰意識で手こずっていた。
そこで伊東が投手陣を集めて、なにか話をしたらしいけど、多分「一人の選手(イチローのこと)に意識過剰になるな!野球はチームでやるものだ。
腰を据えてやれば絶対に勝てる。」という内容の話だったんじゃないかと思う。
そこから、西武が水を得たように勝ち始めて、逆転したから。
よくイチローの安打数や打率などで、それがすべてだと言うファンがいるけれど、絶対に違うと思う。
97年の西武優勝を見て、「やっぱり野球はチームスポーツだ」と言うのを肌で感じたものだった。 ヤクルトは監督が隔年で良いみたいな感じだったもんな
勝てる年は勝ちに行き、4位の年は下位イジメ
最大の理由は投手陣が隔年だった オールスターでは松井稼に走られまくった古田だが
日本シリーズではしっかり借りを返したのが格好いい 隔年の原因って投手陣が総じてスペ体質だったせいもあるんでね?
森西武は久信郭工藤がそこそこ安定してたし 隔年でも十分だろ、この頃のセリーグのレベル高かったし あんまり高いイメージないな
巨人がFA選手、逆指名で豊富な戦力与えられ
戦力が偏っているのも関わらず、監督の迷采配ぶりで低迷し燻ってて
他球団は戦力不足、ヤクルトは中途半端な戦力で勝っている感じだわ そんな中途半端なヤクルトに全く歯が立たなかった西武w 93年がハウエル、95年がオマリー、ミューレン、ブロス、97年がホージー
外国人に恵まれ続けた生まれたヤクルト >>837
恵まれたっていうか、上手いんだろうね
巨人もちったぁ見習えや(´・ω・`) ヤクルトの外国人スカウトまで強奪したけど意味がなかったな ジャイアンツの外国人野手が活躍しないのは、フォローがないから。
活躍して当たり前。
ヤクルトの家族的な雰囲気が、家族を大切にする外国人に合うんだ。 ペタジーニやラミレスが活躍したのは監督の若松の功績も多い それなりには期待されていた
けれどシーズンが始まると大不調
球団から大矢が見限られて采配権が剥奪されて途中から実質権藤監督になった 独走する巨人にヤクルト広島中日がどう攻めるか?それを後ろで見守る横浜、阪神だったような
ヤクルトは怪我体質、広島は戦力の高齢化、中日は移転というアキレス腱を克服できたらみたいに あれこの年の横浜ってヤクルト猛追してなかったっけ
石井にノーノ―食らって勢い止められたけど 大矢の投手起用って酷すぎる
第二次政権の時も酷かった
投手コーチの斎藤明夫も悪いんだろうけど >>848
その後東京ドーム巨人戦で3タテ喰らって万事休す この年の巨人に3タテとか、
嫌がらせ以外の何物でもないw >>851
読売のKYぶりは年季が入っていますからw >>848
チーム内更迭されて置物になったとたんにチームが強くなった ノムさんはなんだかんだ言っても、打倒巨人には躍起だったよね?
巨人戦の対戦成績がもろに明暗を分けているという傾向もあった。
94 11勝15敗 巨人優勝、ヤクルト4位
95 17勝9敗 ヤクルト優勝、巨人3位
96 7勝19敗 巨人優勝、ヤクルト4位
97 19勝8敗 ヤクルト優勝、巨人4位
98 11勝16敗 横浜優勝、巨人3位、ヤクルト4位
隔年でワンサイド勝ちの応酬になるのも珍しい。 >>855
更に加えると松井を抑え込んだ年は勝ち越し、
打ち込まれた年は負け越してる
古田が「松井は得意にしているコースと苦手なコースが隣り合ってるから、
文字通りボール一つ分投げ分けるコントロールが必要になる」って振り返ってたな キャンプで酷評されたヤクルト新外国人選手ホージー、オルティス
しかしホージーまさかの本塁打王
たたオルティスはダメダメで半ばにクビになってテータムに替わった
テータムは息切れした小早川に替わって度々活躍していたな
日本シリーズ第1戦の決勝ホームランとか ホージーもおっさんになって、時折プリクラヘルメットを取り出して眺める日々か 開幕戦でもあったけど
仁志出塁、川相送ろうとするが盗塁してアウト、ランナーなしって試合がかなり多かったイメージ
終いに長嶋も嫌になったのが後藤を一番に置くことが多くなった 外人保有が四人限定だったとはいえ、オマリーが途中入団もなかったのは勿体無いな 横浜はタコノリ4番計画を持っていたが
怪我で開幕に間に合わなくてローズを4番に配置したがこれがハマった 前年の横浜は鈴木、ブラッグス、ローズのクリーンアップトリオ
ここからブラッグスが抜けて・・・ >>861
オマリーは気分屋の問題児のイメージがマイナスだったね
実力でいえばヤクルトを解雇された96年だって悪い数字ではなかった ポジションが被る落合獲得に動いたことに腹を立てて退団じゃなかったか
仮に落合獲得成功した場合も、ヤクルトはオマリーを切るつもりだったのかな >>863
ブラッグスって最後の年はケガの影響で明らかに飛距離が落ちてたから
抜けても大して影響はないと思ってたけどね ブラッグスが抜けて入ったセルビーはオープン戦では打ちまくったが
オープン戦で何処に投げれば打たれて何処に投げれば打たれないを完璧に研究されてしまい
シーズンでは全く打てなかった
ただ、夏場以降は左の貴重な代打として結構頑張っていた記憶がある 横浜、プチ黄金時代の幕開け。
1997〜2001年というあっという間だったけど。 そういえばこの年の横浜はオープン戦首位だったんだな
シーズンも二位だったし
>>862
ローズがいなくなった後に実現するが、ボロボロだったな… >>868
逆によく4年も持ったわ
広島の暗黒とヤクルトの隔年か? 90年代は6球団のうち5球団が優勝した群雄割拠となった年代で珍しかったね
大半は長嶋巨人と野村ヤクルトの覇権争いだったけど
でもこの年はヤクルト広島横浜がAクラス、巨人中日阪神がBクラス
長いセリーグの歴史を辿ってもこの年1度だけの珍事 349 :代打名無し:03/02/27 16:26 ID:f6oFurHk
そういえば、96年のオフに某少年誌の付録でデー○大久保が
「来年の優勝は、巨人でまちがいなし!ひょっとすると5月に優勝が決まっちゃったり」とか言ってたっけ。
まぁBクラスなワケだが。何がいけなかったんだろうな。 大逆転優勝した翌年に大型補強したんだから、
そりゃ優勝間違いなしとは思うわな。
巨人ファンとしては悪い方の予想が見事に的中した訳だが(´・ω・`) 2年前にも同じように大型補強して優勝できなかったのにな
なので当時はミレニアムVの年もいささか懐疑的な見方をしてたよ 清原→チャンスに打てない扇風機
ルイス→打てない守れない走れない
石井→怪我が治り佐々木から本塁打を打つなど期待されたが、また怪我で離脱
ヒルマン→肩に小錦が乗っている
補強の目玉がこの様じゃな
広沢や後藤の奮闘ぐらいしか話題にならなかったんだし まだ松井(当時23歳)一人ではまだ引っ張って行けなかった頃か 前年に続いてHR王争いできる器だったんだから、
決してフロックではなかったんだよね。
この頃の巨人ファンとしては松井だけが希望の星だったかな。
あとは翌年以降に入団してくる高橋上原二岡阿部 この年の巨人って誰が抑えやっていたのか全く記憶にない
前年抑えだったマリオは退団していたし
石毛は石井とのトレードで近鉄に出されていたし
西山は前年にヘタレ振りを発揮して戦力になってなかったし
槙原が抑えに回ったのは98年からだし 調べたら最初は木田、その後木田が中継ぎに回って
新外国人のデヒットを回したが失敗が続いて
替わりに昇格させたチョソンミンが後半から定着した模様
まあこの年の巨人は下位に低迷して負けまくってたから
抑えを出す展開になかなかすることが出来なかったし
印象にないのは無理もない 他球団から獲得したロートルを一時的な抑えに使って、
ちょっと良い結果が出ると使い続けちゃうもんだから、
若いのが育たなかったんだよな。
ロートルだって長続きするわけないしw >>886
ゲンちゃんはタマネギ農家としてテレビとかに出てたじゃん >>886
柏田は野球留学していたメッツでメジャーまで昇格して
翌年巨人が慌てて呼び戻した 前年最多勝の斎藤にガルベス
復活した桑田 にヒルマン加入に槙原 河原の先発陣だしどう見ても優勝候補筆頭だわな
斎藤が急激に劣化するとは思わなかった >>888
97年シーズンの話だよ
前年はマリオ、河野、川口で勝利のリリーフトリオだった
で、この年はどうだったかなと >>890
河原は96年に肘を痛めてメス入れて
この年に復帰してからもリリーフ専門だったから先発の頭数にははなっから入っていなかったと思うよ
そういうこともあったし
当時はあんな息が長い選手になるとは思いもしなかったな この年から、オリックスが変な路線に走り始めた。馬場、本西らを放出から始まり、以後は毎年主力が出て行った。 96年の優勝メンバーでオリックスで現役を全うできたのって
野手だと藤井、福良ぐらいで
投手でも佐藤義則ぐらいか? 廻り巡ったけど田口もそれっちゃそれか
もうブルーウェーブじゃなかったが >>855
97年の巨人戦一方的にカモにしている
同一カードで貯金11だし 松井を抑えられるかどうかがカギだとノムも古田も言ってたな
得意コースと苦手コースが隣り合ってるから文字通りボール1つ分の
コントロールが必要だったと
松井を抑えた年は勝ち越し、打たれた年は負け越しだったとかなんとか >>900
それが出来たのがこの年の加藤だったんだろうな
阪神の時は遠山 ヤクルト加藤が急に球はやくなってびっくりしたな 加藤 広田 高津 伊藤とリリーフもよかったなヤクルト >>903
調子がイマイチで抑えから外されたから
調整の一環として先発に この年、池田親が、福岡地区の解説者になったが、まさか、今も、ホークスOBとしての解説者として君臨してるとは思わなかった。ある意味、王が、いまだに福岡でホークスの会長してるよりビックリした。 NPO誇大広告ハローワーク指導員じゃちょうバイトレベル
ハドソン川汚染水道水ゲーム情報サイト24億着服
NOPハローワーク爆買い指導員(40代千本ノックの刑)
練馬区公私混同騒動
NOPハローワーク爆買い指導員(冷暖房完備低所得者レビューアマゾンカスタマーさんコメント問題)
警察無視騒音問題(クラブビジネス使用クラスぽっちゃり系記者 >>902
それ95年。この年の加藤はカーブが戻って球速も平均140中盤だった >>903
単純に状態が上がらないから気分転換と岡林が離脱して穴が空いた >>894
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| あたしらも … |
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 ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
,.へヘー'、
〈/=)人y.〉
j(;д;レ(
と(_゚'_/○>
|く__ゝl;;;|、〉
,ノ;;;UU;;;ヾ;;ゝ >>910
序盤に復活の勝利をしたが程なくして離脱した >>855
1997年から、標的をベイスターズに切り替えるきだったんだよな。 岡林も伊藤も、93年で終わったという印象を抱いてるファンの多いこと
まあ岡林はともかく、伊藤はこの年バリバリだったと思うんだがなぁ
youtubeの映像もこの年のだろ 石井一久がノーヒットノーランして横浜の息の根を止めた試合を中継で観ていたけど
もう序盤から今日の石井からは横浜はヒットすら打てないんじゃないかって雰囲気がプンプンしてたのを覚えてる
権藤が「フォアボールを6つも与えたんじゃ勝ちがない」って負け惜しみを言うのが精一杯だった ドラゴンズはナゴド一年目で野球転換が上手くいかず爆死
タイガースは打線の柱の予定だった大物グリーンウェルが7試合で退団して爆死 中日は打線が湿るのはわかっていたが他でなんとかできなかったのかな?
ビジターもあったわけだし
星野にしては先打ちが全然なかったのが不思議
とにかく先を見て先を見てじゃん
東京ドームにあわせて野武士から守りに変えるやり方にしたりしたりも
あれで優勝候補だったんだし それは沈んだ後知恵だから言えること
96年はほぼ同じメンバーの強竜打線を擁してシーズン終盤まで優勝を争っての二位だったわけで
中日はエース今中がローテを守れなかったのが最大の誤算だった 虎はいう程爆死でもない、むしろ当時の戦力でよくやった方
60勝に乗ったし、7月くらいまではAクラスだった
衝撃なのは8月まで巨人が最下位だったこと 暗黒阪神の中ではそこそこ見れるシーズン
平塚伊藤敦の再生部隊が大活躍
出たり引っ込んだりだった葛西新庄が通年活躍
GWがグレンぐらいやっても順位1個上がる程度だから大差ない みんな「今年もオリックス」とか言ってたけど、俺は西武だと思っていた。
例えFA清原の動向がどうであろうと。
周囲からは笑われたけど。
結果は俺の言う通りになった。
仰木が鈴木一を特別扱いしすぎた結果だよ。 >>917
基本の星野ならいくら前年二位でもドームに適合しない選手を遠慮なく放出したり、ピッチャーを鍛えたり強奪したりということやりかねないのにやらなかったよな
優勝でも高木の遺産なんて呼ばれるようなことは嫌うタイプだし >>920
しかも、”神のお告げ”によって帰国してしまった選手がいて
その結果だったからな。
彼の代わりにもうちょいマシな選手がいたら、もしかして…。 本拠地が広くなったのに昨年よりチーム防御率が悪化した中日 グリーンウェルは退団と同時に残りの年俸分を自主的に返納しただけまだマシ >>925
パウエル・ジャーマンの外野守備を考えたら極めて当然の結果。 >>927
それ見た後だったからチーム事情で外野に回ってた荒木の守備が神に見えた 巨人はBクラスに落ちたが大型補強には動かなかったな…
当時の状況を考えると脱税事件に巻き込まれるリスクを避けたか? >>929
IDが6位ヤクルト、1位巨人みたいだ。
実際には巨人はあわや最下位だったがw 小松辰雄、星野に指導者失格の烙印押されそれ以降現場に戻れず 広島が3位だったけど、Aクラスに入った気が全くしない内容だった。
前年頑張った紀藤、加藤、山崎が総崩れ、山内も防御率5点台だし、翌年からの長い連続Bクラスを暗示している年だった。
19年後、澤崎と黒田の評価、実績がこうも異なっているとは。 まぁいわゆる強奪のことを言っているのであろう
逆指名も強奪みたいなモンだろうけどなw
この頃以降の逆指名組は大きな戦力になったもんなぁ
パンダ上原二岡阿部 この年の焼き豚に日本一とセの最下位のチームが
10年後入れ替わるといっても信じるかね? 1987年からNPBを観始めた自分にとって一番印象がないシーズン >>941
2007年とか2009年とか2012年の方が印象ないような
これらの年は何があったか思いだせん そんなもんどのチームを応援してるかでいくらでも変わるだろ >>944
巨人ファンなので87年も含めてどの年もよく覚えておりますw 97年の巨人は2005年に次ぐネタチームだったな
清原は扇風機でヒルマンは給料泥棒でルイスは打てない上に守備は草野球だし 斎藤雅樹が開幕戦で小早川に粉砕されたのが全てだった 中日、この年以来の最下位が現実味を帯びてきましたな。 >>951
64試合 打率.197 4本 23打点
殊勲打や代打連続出塁もあったが、それでも大分物足りないけどね 小早川の2打席目の本塁打が斎藤の不振に繋がったの?
疑心暗鬼になったの? >>954
そして今日、19年ぶりの最下位が決定してしまいました。 成績的には97年のが酷いけど、
あの時は星野やフロントの動きが早いから立て直せた 中日が最下位の時の投手コーチ
80年 稲尾和久
92年 佐藤道郎
97年 小松辰雄、早川実
16年 近藤真市、友利結 当時ドラゴンズファンとしては
山本昌の最多勝、宣銅烈投手の本領発揮?、今中の凋落、大豊、山崎、その他打撃陣の落ち込みが印象に残っています。
山本昌投手は開幕8連勝を記録し、オールスター前に12勝2敗だったと記憶しています。
宣銅烈投手の援護を仰ぐケースが多かったですが・・・
宣銅烈投手は、8月途中くらいまで星野監督が「今シーズンのアイツは救援失敗がない」と言っていました。
この年初の救援失敗が、勝ち運に見放されていた前田幸長投手の先発試合(横浜戦)だったはずです。
今中投手は、オープン戦で直球の最速が128km/hという状況でしたね。
数年後、今中投手は1994年の夏に肩を痛めていて、以後騙し騙し投げていたという事実を知った時は涙が出る思いでした。 特に96年の後半に優勝争いをしているチームのために
無理して早期復帰したのがよくなかったみたいね 男気・黒田のルーキーイヤー
今日、今シーズン限りでの現役引退を発表しました。 96年より92年だろう
8連勝したけど最下位だったから見事な無駄だった 97年春の中日キャンプで、ナゴドに適応させるため走塁練習に力を入れてるという新聞記事を見た
大豊や山崎のベースランニングを「ダンプカーがF1に参戦してるようだ」と表現していた記憶がある 打つのは完全に諦めて投手だけを極める、打たれない路線にしたら2011みたいになれたのに見誤ったよな だから翌年からそういうチームに作り替えていったわけじゃん
ただ不思議なのは同じように広いドーム球場に移った近鉄は
大してチームカラーが変わらなかったことなんだよな
96年から97年で比較してもさすがにホームランはかなり減ったけど
打率はむしろ大幅に上昇しているぐらいだし >>974
2011年は加藤良三統一球だからね
勘違いしてそうだがそもそも中日は上位に顔をだすときは打撃が強いチームだよ
2011年だけは本当に本当の例外で比較参考にしてはいけない >>976
これ地味に北海道移転後のハムにも言えることで
07以外は打線が良くないと優勝できない >>894
ここまで弱くなったのはこれが原因だからな >>979
そうか?本西も馬場も放出が失敗だったとは言えない
見る影もなく衰えてた
仰木采配で入れ替わり出場させてなんとなく余力があるように感じられただけで
選手としてはすでに限界を迎えていたと見ていい
原因はそこではなかろう でもその二人を立て続けに放出したら明らかに選手層薄くなったじゃん
ただでさえオフに勝呂を放出した後だったのに
代わりがルーキーの佐竹や塩崎じゃさすがに優勝を狙うには厳しいよ 狙うには厳しいというけど放出したこの年もオリックスは優勝争いに絡んでますよ まとめて考えられがちだがオリックスが弱くなったのは02年以降の話
すでに96年から6年が経過してるわけで仮に本西や馬場を残してても、ねえ 落合とらないでオマリーとれば日ハムの優勝もありえたな ウィルソンを獲らないでDHオマリー1B片岡3B広瀬だろ
かえって打線が弱くなるじゃないか
右・外野手のブルックスはバランスからいって獲得するだろうし >>990
ブルックスなしでウィルソンでよくないか だから左でDHか一塁の選手を被って獲得する話がないってことだよ
(ウィルソンにいたっては来日してから一塁すら守れないことが発覚したが)
さらにハムの外野は手薄で井出、上田(前年.201)しかレギュラー候補がいなかったから
どの道外野手を取らざるを得ない 落合に贈るつもりだった高級ネクタイを渡せないまま
しょんぼりするノムさんが印象的だった このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。
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