1997年のプロ野球
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
ヤクルト優勝決定試合に潰された、ダウンタウンのごっつええ感じ 松井が開幕10試合で打率わずか0割5分 0本
第一号ホームランが出たのは11試合目 清原巨人移籍初年度
前半不振に悩まされるも32本塁打95打点をマーク
だが、誰もが優勝がほぼ決まった後の帳尻といった。
全盛期の勝負強さに程遠く西武側がFA移籍の際にあまり惜しむ声が聞こえなかったのがうなづけた
夏場に横浜がヤクルトを猛追
翌年の優勝を予感させる快進撃を見せる 大阪ドーム、ナゴヤドーム元年。
一方の球団が10年以内に消滅するなんて当時は誰が予想しただろう。 この年の監督交代は横浜だけ。
2位なのにも関わらず代えたため疑問の声が上がる。
この交代劇が翌年の優勝に繋がったが…。 90年代を代表する投手、斉藤雅・今中の2人が揃って衰えたシーズン >>1
セントラルは開幕からヤクルトが独走し早くも灯が消えた。
一方のパシフィックは西武とオリックスを中心に混戦で、結局西武が覇権を奪回したが、見応えのあるシーズンではあった。 引退選手
広瀬哲朗
岡崎郁
仁村徹
福良淳一
宮本和知
西村徳文
長嶋清幸
大石大二郎
田村藤夫
郭泰源 >>17
ヤクルトって一度横浜に僅差にまで迫られて無かったか?
でヤクルト戦ノーノー食らって、巨人戦で死滅した気がしたが…。
ちなみにこの年は巨人、中日、阪神と現在優勝争ってるチームが最下位争ったシーズンでもある。 >>19
岡崎は96年引退、広瀬は98年引退です。 >>21 ベイがヤクに終盤2.5まで迫ってスポーツ紙に「やベイぞ にご(2.5)ってきた」って書かれた。 ホージー様ホームラン王
斎藤に衰えが見えはじめ、今中落合が死んだ年
ホージーとは逆にオルティスはパッとせずに途中解雇。
後はヤクルトの野中・廣田・加藤(博)の中継ぎ投手陣も奮闘した。
キモハラの大阪Dオールスターで打った打球がフェンスにあたり、壁がはげた ↑それと打球が天井に引っ掛かって落ちてこなかったよね
後レーザーポインター事件もこの年か オリックスがナゴヤドームで主催試合
イチローのお膝元ということで >>32
外野が山崎、音、パウエル
音の所に益田やら山口が入って、パウエルを一塁にして矢野(現阪神)をライトにしたりね。
まあ、やばかったですよw ナゴヤドームの巨人ファンが清原の応援をボイコット。 松井ナゴヤドームホームラン量産
一時期中日選手の総本数より上回ってるのが話題になった
その1年後のナゴヤドームオールスターでは弾丸ライナー5階席弾 何故?。
この時でしたっけ、永谷脩氏が週刊誌に「イチロー夢日記」を書いたのは、あれが掲載されてからオリックスが西武に抜き去られてしまい、リーグ三連覇を逃したのは。
ノムさんが永谷氏を批判していたのを覚えています。 「イチロー夢日記」っていまではなぜあれほど大騒ぎしたのかわからなくなった。 阪神、4月中旬に6連敗も6月上旬まで5割キープ
グリーンウェル骨折であっという間に退団
旭川で一試合6HR
ハイアット、シークリスト、コールズ、マクドナルド、郭李みんなしてウンコ
巨人戦で1イニング10点 イチローの連続無三振記録を止めた下柳(日本ハム)は仰木監督の推薦でオールスターゲームに出場しなかった?
コールズは打撃の割に守備力の弱さから星野監督以下中日首脳陣から戦力外通告を受けたのに・・・、確か阪神はオリックスのD.Jにも食指を伸ばしてた様な。 この年のロッテは.279、14本塁打、77打点のキャリオンがチーム三冠王
チーム総本塁打がたった75本 伊良部ヒルマンが抜けほぼ全員評論家達がロッテの最下位予想
この年のロッテは史上最弱チームと言われるほど弱かった。
100敗説もあったくらいだ。 東京中日スポーツの佐瀬稔「風と光と」
出版がダメならネットでいいからまとめてくれんもんかね。
この年もとても面白かったんだが…。 阪神の桧山と新庄が2人でこの年300三振ぐらいしてた。 >>47
その僅か8年後に優勝した時は、流石に自分のホッペを抓ってみたが痛かった。 選手名鑑でのホージーに対するコメント
「広い守備範囲が魅力の外野手として定評。レフトでクリーンアップが予定されており
これで飯田、稲葉と鉄壁の外野トリオを形成する。楽しみな助っ人だ。」
・・・ 今年二十歳の俺はこの年初めて清原と言う選手を知りました 伊藤智の高速スライダー、吉井光線事件、ヤクルト優勝時野村が黄金時代作るとかほざいてたな。今では考えられないほどヤクルトが強かった。野村が大嫌いといって地味に頑張っていた広沢が好きだった。 ジャイアンツ22年ぶりの最下位も見えた年だったな。
三振王は清原と桧山が激しく争ったが結局は清原に軍配。
>>58
この年、広沢はまだスワローズ所属?
既に巨人
95年の不振に比べれば少し活躍したシーズン
イチローが首位打者を獲得…はいつものことだが
この年は.345で、2位クラークの.331とは1分4厘差。
確かシーズン後半で1分以下の差になった時期もあり、
ひょっとするとイチローが首位打者をとりそこねるのでは?
と少しだけ思わせた年だった。 ホージー好きだったけどなあ
シリーズで打った(とういか当たった)へなちょこヒットは印象的
ヒットじゃなくて野選だったかな? 今フジテレビ739でプロ野球ニュース1997年特集やってたのか
チクショー黄金伝説なんか見てたよ 小宮山が書いてたけど、かなり印象的なシーズンだったらしい。
小坂が盗塁王を松井と競っていて、さらに新人王資格のある岡本も防御率も自分と競っていたから。
松井に盗塁を許したり、防御率で岡本に負ければ小坂が新人王になれないのでかなりプレッシャーだったとのこと 西部‐ダイエー戦で27対0くらいのスコアで西武が圧勝した試合があった記憶がある >>72
福岡ドームのライトスタンドから無数のメガホンが投げられた試合か。
あの試合生で3塁側スタンドから見た。 西武が豊田か石井貴で、福岡ダイエーがウェストだったかな先発投手は? ロッテが10−0で勝ってたのを
近鉄が11点獲って11−10で勝った試合が有ったな。
漏れは大阪ド−ム見たさに千葉から遠征したが
園川と佐野が先発でキャリオンが5−5打った事
今でも鮮明に憶えてる。1997年8/23@大阪ド−ム
西武が21−0(くらい? 相手忘れた)で完封した
試合があった気がするんだが、それとはちゃうの?
20数点を超える試合って、滅多に無いっしょ。 >>78
多分それ。相手はダイエーでスポーツ紙(確か日刊スポーツ)の一面にもなった。 >>78>>79
これか、しかも毎回得点試合のおまけつき。
ちなみに西武の投手で21点差完封したのは現巨人の豊田
1997年5月7日(福岡ドーム)
123 456 789 計
西武 242 211 612 21
ダイ 000 000 000 0 もしも日本シリーズに強い清原が残っていれば西武が日本一だったかも アメリカ人の審判(デュミロって名前の人だったかな?)がいた年 >>86
手元にある記録本には110試合出場393打数99安打28本塁打76打点打率.252 廣田、野中、加藤がいなきゃ優勝できなかった。
打つほうではホージー、小早川、馬場。 >>88
開幕シリーズで加藤が2Sした時は
まさか復帰早々抑えに大抜擢か?と思った。
中継ぎで60試合、1.99でキャリアハイ >>89
加藤はその前年が散々な結果だったから、復活したのはすごく嬉しかったな。 吉永(ホークス)はこの年前半戦だけで25本ホームラン打ってた
後半戦は4本しか打てなかった 吉永は西武球場で30号ホームランを打ったが、その試合が降雨ノーゲームになってしまったため
1本損してしまい、結局30本の大台に届かなかったな。 ヤクルトの再生工場が一気に脚光を浴びた年だな。
とある巨人戦で、延長に突入するも投手がいなくなって、
最後の投手として13回からマウンドに上がった元打撃投手の山内投手。
彼が三回をしっかり抑えた試合をラジオで興奮しながら聞いたなぁ…。
最終回に味方が点を取って、一度地獄を見た男がプロ初勝利を挙げたのには感動した。 >>93
それって山内じゃなくて野中じゃなかったかなぁ?
当時は山内もいたが、オリックス時代に8勝してるし。
野中は阪急をクビになった後、台湾や中日でプレーしたのちヤクルトにテスト入団。
この年に日本では初勝利を挙げてその時はけっこう話題になってた。
ちなみに巨人戦じゃなくて横浜戦だったと思う。 野中投手のプロ初勝利は5月下旬の横浜スタジアムでの対横浜戦。
山内投手は2年前にオリックスから入団している(入団経緯はあまり覚えてませんが・・・。)。
確かに巨人との東京ドームでの延長戦勝ちの試合で山内投手は勝ち投手になった記憶が有る。
>>94
プロ初勝利じゃなかったかもしれない…間違えた。
でも選手は山内で間違いない。
7月上旬の巨人戦だったよ。 この年の奪三振王は山本昌の159個で歴代セでは最小
斉藤雅、斉藤隆、今中の3人が揃って不振だったからなあ >>98
斎藤隆は確か,ヒジの手術で一軍登板は無かったはず。
今中にしても病み上がりだった(肩かヒジかは忘れたが)。 この年一番速い球を投げたのは檻の平井 次いで近鉄の酒井 >>100
酒井は翌年セットアッパーとしてかなり活躍してたね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています