ご参考
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%85%83%E4%BD%93
一元体
しばしば、一元体を F1 あるいは Fun[note 1] で表す。

https://en.wikipedia.org/wiki/Field_with_one_element
Field with one element
Monoid schemes
Deitmar's construction of monoid schemes[25] has been called "the very core of F1‑geometry",[16] as most other theories of F1‑geometry contain descriptions of monoid schemes. Morally, it mimicks the theory of schemes developed in the 1950s and 1960s by replacing commutative rings with monoids. The effect of this is to "forget" the additive structure of the ring, leaving only the multiplicative structure. For this reason, it is sometimes called "non-additive geometry".

https://m-hiyama.ハテナブログ.com/entry/20100712/1278895027
檜山正幸のキマイラ飼育記 (はてなBlog)
2010-07-12
いわゆる「一元体」の正体をちゃんと考えてみる

コンヌやその他の人々が探求している謎の代数系F1ですが、記号「F1」は既に定着しており、「一元体」とか「標数1の体」という言葉もよく使われています。しかし、これらの記法/用語法は大変に良くないものです。人を混乱させたりウンザリさせたりと、弊害があると思います。

実は僕自身、以前(いつかは忘れた)F1についてなんかで見た覚えがあるのです。しかし、「F1 = {1}」という記述で、「バカバカしい/ウサン臭い」と感じて何ら興味を持てませんでした。コンヌ/コンサ二の論文で、バカバカしくもないし、ウサン臭くもないことがやっと分かった次第。

この記事内では、説明の都合上、F1に代えてTという記号を使います。「F1」という記号や「一元体」「標数1の体」という言葉がなぜ不適切かというと:

1.Tは、集合として一元(シングルトン)ではない。0と1の二元である。
2.Tの標数が1であると言い切るのは難しい。むしろ、Tの標数は未定義とみなすほうが合理的に思える。
3.Tは体ではない。環でさえない。ゼロ付き可換モノイドである。
4.F2は確かに体であり、素数pに対するFpの特殊な場合と考えてよいが、TはこれらのFpとはまったく異質である。
というわけで、「F1」、「一元体」、「標数1の体」はひたすら具合が悪いのですが、そんな記法/言葉を使いたくなる気分・心情は、まー分からなくもないです(以下に説明)。

なぜ「体」と呼びたがるのか
略す

ほんとに「一元」「標数1」なのか
普通に考えると、「一元」であることと「標数1」は同じことです。1 + 1 + 1 = 0 なら標数3で三元体、1 + 1 = 0 なら標数2でニ元体です。それなら、1 = 0 なら標数1で一元体と。しかし、いくら何でも {1} ではどうにもなりません。

コンヌ/コンサニのように、サクセッサsを使って s;s = s として標数1を定義すれば、足し算がベキ等である半体 B = {0, 1} を作れます(「「掛け算ありき」から見えるエキゾチックな世界と真実の世界」参照)。しかしBは、ティッツが求めていた“体”にはなりません。