全ての閉論理式に真偽値が定まっていないといるべき理由のひとつに「でなきゃ排中律もダメになるから困るでしょ」というのがある
すると「じゃあ排中律諦めて直感主義でいこう、直観主義の集合論なら種の理論」とでも思ったんやろ
もちろん直観主義推論規則にしたところで標準モデルなしでいいわけもない
直観主義数学にしたところで“universeを切り替える”事ができるわけでもない
使いたいなら直観主義でも量子論理でも様相論理でも好きなものを一階述語でも二階述語でも好きな言語系何選んでもいいから議論始める前にキッチリ規定しないといけませんという話
もう本人も諦めてる
弟子も自分の身の振り方模索中なんやろ