>>81
>60歳になるまで何も功績を残してない凡才が
>それ以降に突如として天才になるなんてことは
>絶対ないとはいわんけど・・・まあないね

張 益唐を思い出したので、書いておくね
彼 2013年だと58歳か
彼の研究が、ジェームズ・メイナードのフィールズ賞に繋がったのです

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E7%9B%8A%E5%94%90
張 益唐(ジャン・イータン、1955年 - )は、中華人民共和国生まれのアメリカ合衆国の数学者である。数論を専門とする。
ニューハンプシャー大学(英語版)に講師として在籍中の2013年、隣り合った素数の間隔として無限回みられる値の最小値に関して、有限な上界を初めて確立する論文を数学誌『Annals of Mathematics』に提出した。この研究により、2014年のマッカーサー・フェローに選出され[5]、カリフォルニア大学サンタバーバラ校の教授に任命された[6][7][8]。
経歴
幼年期と教育
文化大革命の終結後、張は1978年に学部生として北京大学に入学し、1982年に数学の学士号を取得した。北京大学の大学院では数論を専門とする潘承彪(中国語版)教授の指導を受け、1984年に数学の修士号を取得した[1]。修士号取得後、数学者でもあった北京大学学長丁石孫と数学科長郊東皐の推薦を受けて[10]、パデュー大学大学院の全額支給奨学金を得た。張は1985年1月にパデュー大学大学院に入学して6年半在籍し、1991年12月に数学の博士号を取得した。
キャリア
張は学術的な職を見つけるのに苦労した。「その時期、学術的な職を得ることは困難でした。それは雇用市場の問題でした。また、私の指導教員は推薦状を書いてくれませんでした。」その理由は、張の研究が、彼の指導教員である莫宗堅(中国語版)の以前の研究の誤りを指摘するものだったからである。莫はこの研究に非常に不満であり、張への推薦状の作成を拒否した
1999年から[12]ニューハンプシャー大学で講師を務めた。2014年1月、ニューハンプシャー大学は素数に関する彼の発見に対して、彼を教授に任命した[13]。張は2014年にプリンストン大学に1学期滞在し、2015年秋にカリフォルニア大学サンタバーバラ校に移籍した[14]。
2013年11月にジェームズ・メイナードは別の手法により P(k) がある k ≤ 600 において成り立つことを示した[19]。2014年4月、Polymath8(英語版)により、その境界は k ≤ 246 まで下げられた[20]。
受賞
張は、2013年のモーニングサイド特別功労賞数学部門、2013年のオストロフスキー賞、2014年のコール賞数論部門[13][21]、2014年のショック賞数学部門を受賞した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%89
ジェームズ・メイナード(James Maynard, 1987年6月10日 - )はイギリスの数学者
2022年、フィールズ賞を受賞[4]。
2013年11月メイナードは、素数間の隔たりの境界性に関する張益唐の定理[8]に、異なる証明を与え、任意の
mに対し、m個の素数の組のうち隔たりが有界であるものが無数に存在することを示すことで懸案の問題を解決した[9]