複素解析2
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
>>828
ドイツ語だと die Riemannsche Flache リーマン面を部分的に考えた人はそれ以前から大勢いたろうが
Theorie der Abel'schen Functionen 1857
でリーマン面の理論が全体的に整備されたのは間違いなかろう >>819
Ahlforsの本では
the Green's function The Concept of a Riemann Surface (Dover Books on Mathematics) Hermann Weyl >>836
解析接続を最初に考えていたのはオイラーでしょうか?
例のζ(1) = -1/12 を最初に与えたのはオイラーらしいので、解析接続の考え方を使っていたはず
ただ、リーマン面となると、解析接続からさらに踏み込まないといけないので、19世紀のリーマンが最初ってことですかね? >>839
原著
Herman Weyl, Die Idee der Riemannschen Flache, (1913).
これはリーマン面の概念を初めて現代数学風に定義を与えた本らしい。
ただリーマン面の概念自体は19世紀に既に現われて、使われていたが人によって定義があやふやだったようです。
ちなみに、ワイル「リーマン面」として和訳が岩波からも出てました。 >>例のζ(1) = -1/12 を最初に与えたのはオイラーらしいので、解析接続の考え>>方を使っていたはず
オイラーはゼータの整数点における値を求めたかった。
解析接続ができたのはコーシーの公式が使えるようになったから。 Theorie der Abel’schen Functionen.
Bernhard Riemann
[Journal für die reine und angewandte Mathematik, Bd. 54. S. 101–155. 1857.]
https://www.emis.de/classics/Riemann/AbelFn.pdf >>843
Hermann Klaus Hugo Weyl
ワイルに聞こえる 地図を作る為の三角測量網のように、多様体を小さな局所的な地図を貼り合わせて
全体を形成するという方針になったのがワイルからだったのだと思う。
つまりリーマン面が多様体のそういった与え方の始まり? >>847
お前リーマンの教授資格審査講演を知らんのか? ガウスが心から感銘を受けた講演やぞ
無知にも程がある Grundlagen fur eine allgemeine Theorie der Functionen einer veranderlichen complexen Grosse.
https://www.maths.tcd.ie/pub/HistMath/People/Riemann/Grund/ ワイルはハウスドルフ性の代わりに
三角形分割可能性を仮定した。
リーマンは計量によって距離付けされる空間を考えた。 リ−マンの多様体論はガウスの曲面論を少しだけ延長したもの。
何が革新的だったかといえば、目に見える2次元3次元を越えた高次元の
空間幾何学を数式の上で展開したところじゃないかな。
もしもガウスが4次元以上の空間についての研究を発表したりすれば、
カント流の哲学派の論者から空虚空論であると批判非難をされて
ガウスの立場が悪くなった可能性もあっただろう。
ユークリッドの幾何学をみれば、けっして空間3次元を越えた
議論はしていない。ユークリッド幾何学が数学の王様だった時代(ガウスの
頃もまだそうだったはずだ)に、それにたてつくような高次元幾何学は
覚悟がいったに違い無い。リーマンの頃にはそういったタブーが緩んで
きたのだろうか? 神の存在と一意性を
証明できなかったリーマンは
高次元多様体で満足するしかなかった リーマンの論文には離散多様体にも言及してあるそうだ >>852
グラスマン代数のグラスマンはインド哲学を記述するサンスクリットの研究でも有名。 お前らサンスクリットを実践したの?それで何か得られた? アインシュタインの重力場の理論と電磁気場の統一への試み(統一場の理論)
として、カルツァとクラインによる5次元時空の理論があった。
これはつまり通常の時空間4次元にもう一つ次元があってそれで電磁場を
説明しようという企て。形式的には説明できていた。
しかし時代は既に量子力学の時代であって、量子場を統一の枠に
含まない理論は、物理学分野ではあまり関心を引くことは当時はなかったという。
「カルツァ=クライン理論」 5次元の時空の存在性を物理としてまともに考えて見たという先駆例なのだ。
幾何学の空間を座標幾何にしてしまえば、何次元でも理論として持ち出すことは
可能だけれども、普通の日常感覚ではそんなものは空虚なる数学的一般化に
過ぎないと見なされることだろう。 アーベル、がロア、リーマン
朝に道を説いて夕べになる前に旅立った人たち どっちかといえばガルワかな
うちの近くにベルギーワッフルのみせがある
Galoisというのでホーッっておもったが「ガロイス」と呼ぶんだそうだ 下手すると有人外宇宙探査よりも難しいのが
地球の中心を通って地球の反対側までいちばん早い穴を安定的に掘りぬくこと 大気の1気圧はほぼ水柱10メートル分の圧力だ。
つまり海の中では10メートル潜水するたびごとに1気圧が追加になる。
100メートル潜れば水圧が10気圧、千メートルなら100気圧、
六千メートルだと600気圧といった具合になる。実際には水が圧縮される結果
圧力は少し上がるだろ。
仮に地球の地殻を作っている岩石の比重(密度)が水と同じだとしてみよう。
これはもちろん過小評価だが、そうすると、やはり深度と共に地下に10メートル
深く掘るごとに周囲の岩石から受ける圧力が1気圧ずつ増していく。
その仮定の元で十キロメートル掘り進むと千気圧、100キロメートル掘り進むと
1万気圧になる。掘っていくトンネルの壁を支えるための材料はそれだけの
圧力には普通は耐えられずに、粘土のように変型してしまい、掘ったトンネルの
筒状の穴は周囲から押しつぶされて、閉じてしまうことになるだろう。
つまり大深度地下に空間を確保するのが難しい。トンネル内の空気圧が
水と同じ比重の岩石が作り出す圧力に対抗できないためだ。もちろん岩石の
比重は水よりも大きい。壁が崩れないようにとすり鉢状にして穴を掘っていけば
ある程度は掘り進めることができるだろうが、どこかで破綻するだろう。 >>876
地球の中心は地表、地球の表面にはない。 >>873
自分の前に道はない
自分の後に道はできる 君の行く道は、果てしなく遠い、だのになぜ、何を探して、君は行くのか?
そんなにしてまで♪ 君の行く道は 果てしなく遠い.
だのになぜ 歯をくいしばり. 君は行くのか
歯がもうないのに intuition is the aristocratic way of discovery, rigour the plebeian way >>885
19世紀の代数幾何のイタリア学派
「予想」→「例の計算による実験」→「予想の修正」→(以下、繰り返し) 今イタリア学派が正しいと思ってる一流数学者はいないよなぁ
テレンスタオとかも全く思ってないと思う むしろ超弦が純粋数学過ぎて逆方向から叩かれてる印象。 セミナーでブラジルの人に講演してもらったことがあるが
イラン出身の人だった。 >>897
証明を軽視する彼らへの皮肉、名誉教授に捧げたもの エンリケス【Federigo Enriques】
1871‐1946
イタリアの数学者,科学哲学者。1891年ピサ大学を卒業,96年より1923年まで
ボローニャ大学教授,23年以降ローマ大学教授を歴任。しかし38年から44年までの
ファシスト体制下ではみずからその地位を辞した。G.カステルヌオーボ,
F.セベリらとともにいわゆるイタリア幾何学派を形成し,
1893年より代数幾何学に関する論文を多数発表,
代数曲線についての知識の拡大に貢献した。数学研究のかたわら,数学基礎論,
科学哲学の諸問題に取り組み,数学的・科学的概念の明晰(めいせき)化に努めた。 こんな人にとっては証明など下賤なことなのかもしれない コーシーの積分定理の証明はストークスの定理を使うやり方だと微分形式とコーシー・リーマンの関係式を使って数行で終わり。 >>904
それな
しかし日本の複素関数論の教科書ではまず書かれていない
長々と閉曲線の変形について不変なことを証明している 知ってて良かった微分形式(ユークリッド空間の奴ね) 微分形式を使うと留数の定義も厳密になりメリットしかないのだが ストークスの定理
向き付け可能な多様体Ωの境界∂Ω上の微分形式ωの積分はΩ全体にわたるその外微分dωの積分に等しい
∫{∂Ω}ω=∫{Ω}dω
fが正則ならばf(z(1),・・・,z(n))dz(1)^・・・^dz(n)(微分形式)は閉である(一松) ストークスの定理
連結で向き付け可能なm次元多様体内の滑らかな境界を持つ相対コンパクトな領域Ωの閉包上で定義されたC^1級の(m-1)次微分形式ωの境界∂Ω上の積分は、Ω全体にわたるその外微分dωの積分に等しい Xがコンパクトかつケーラーならば
調和(p,0)形式は正則である(小平) コーシーリーマンの方程式は特異点においては成り立つとは言えない。
複素関数の定義が、実部と虚部が引数の実部と虚部に関してコーシーリーマンの
方程式を満たすものであると定義するのなら、特異点は定義域から外されて
いるとしなければならないが、そのあたりのことが曖昧である。
また、引数をz=x+iy としてカーテシアン座標系を使い、関数値についても
同様であるけれども、そのような特定の座標系に基づいての議論をしなければ
ならないことが必然であるか否かについてなんらかの説明があっただろうか?
ある座標系をとった時にだけC-Rの関係式が成り立って、複素関数であると
するならば、別の座標系をとってC-Rの関係式が成り立たなければ、その
座標系では複素関数では無いということになるが、座標系のとり方によって
不変では無いような概念は、すこし頼りないと言うべきではなかろうか? >>複素関数の定義が、実部と虚部が引数の実部と虚部に関して
>>コーシーリーマンの方程式を満たすものであると定義するのなら、
>>特異点は定義域から外されているとしなければならないが、
>>そのあたりのことが曖昧である。
それを明確にしようとしたのがローマン・メンショフの定理で
連続関数でコーシー・リーマンの方程式を満たすものは
正則関数に限ると言っている。 超関数の範囲でのCR-方程式の弱解が
正則関数になることの方が重要 Xが完備ケーラーなら
L^2調和な(p,0)形式は正則である コンパクトなケーラー多様体上の
調和形式の(p,0)成分は正則になる。
ホップ曲面上の任意のエルミート計量に対し、
0でない実調和1形式の
(1,0)成分は正則ではない。 >>日本の複素関数論の教科書ではまず書かれていない
>>長々と閉曲線の変形について不変なことを証明している
この視点は大切 関数論のテキストは
ルーシェの定理以前をどう書くかと
リーマンの写像定理以後をどう書くかが難しい リーマンの写像定理の後を上手に続けているのが
楠の「解析函数論」の第9章 関数論は昔のテキストが良かったよな
色々今だと異論あるけど vivantiの定理の証明が巧妙、普通にf(1)が発散じゃだめなんか 線積分が連続な閉曲線だが至る所微分不可能なフラクタルな曲線であったら、
何か新しいことが起こるだろうか? レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。