>>775
>ZFの公理が9つであるとか書いてしまう人ですから

横だけど
その記述自身は、無問題でしょ
例えば、17条憲法のように、9つを9条と読めば、問題なし
つまり、9条の一つが、パラメータを含む公理図式になっていると考えることができる
(ここは、ある本の記述を引用した形になっているよね。この議論は、随分前におサル>>5-6が騒いで、議論した記憶がある)
(なお、この議論は、>>816
 「A+B=(a0+b0,a1+b1,a2+b2,…)
 と定義すればいいですね
 一回ですよ、どこが無限回ですか?」と類似の議論だね)

>形式主義を理解していないと思います

「形式主義を理解していない」は、そうかも。但し、望月氏が理解しているかどうかとは別として、かつ、形式主義をどう定義するかによるとしても
いまさら、「形式主義 理解うんぬん」の批判は、如何なものかな。ヒルベルトの計画は破綻したんだしね

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%A2%E5%BC%8F%E4%B8%BB%E7%BE%A9_(%E6%95%B0%E5%AD%A6)
形式主義 (数学)
形式主義は、ダフィット・ヒルベルトによって主張された。その目的は数学をゲームと考えることによって、数学的実在に直接関わることなく、数学の無矛盾性を証明するためであった。(ヒルベルト・プログラム)上記の点から、ヒルベルトの形式主義は、ブルバキの公理論とは異なるものである。

完全かつ矛盾のない数学システムを作るヒルベルトの目標は、十分に表現の富んだ矛盾のない公理体系はそれ自体の無矛盾性を決して証明できないことを述べたゲーデルの第二不完全性定理によって致命的な打撃を受けた。そのような公理体系はサブシステムとして有限算術を含んでいるため、ゲーデルの定理はそのような体系の有限算術に対する相対無矛盾性を証明できないことを含意する(もし証明できたとすると、その体系自体の無矛盾性を証明できたことになるが、ゲーデルの定理はこれが不可能であることを示しているためである)。

ヒルベルトは最初は演繹主義者だった。しかし、上記から明白に、彼は、本質的に意味のある結果をもたらすために、確実な超数学的方法(metamathematical method)を熟考した。

つづく