数学者より哲学者の方が格上
例えばデカルト
数学でも偉大な業績を残したが哲学者としての業績の方が知られてる >>561
論理学という文字には意味はないぞ
学問という意味はないし論理学ではない論理はあり得ない
論理学ではないし論理的でもない >>562
論理学を満たさない論理は存在不可能
バカすぎる >>563
>論理学を満たさない
通常は使わない言い回しだが
どこかの方言?
例えば「数学を満たさない」とか
使ったことはありますか? >>564
普通に使う
中卒無職脳障害が知らないだけ >>566
つまり論理学を満たさないことに反論不可能と >>566
中卒無職脳障害ウケる
In Proposition 4.7 are mentioned some properties that satisfy logics obtained from L3B by adding to it
https://link.springer.com/content/pdf/10.1007/s11787-017-0182-3.pdf https://www.iwanami.co.jp/book/b584809.html
岩波書店
「論理的思考」の社会的構築
フランスの思考表現スタイルと言葉の教育
日や米とも異なる、仏独自の「論理的思考」と、それが社会的に構築される背景を読み解く。
著者 渡邉 雅子 著
ジャンル 書籍 > 単行本 > 社会
刊行日 2021/07/16
ISBN 9784000026062
Cコード 3036
体裁 A5 ・ 上製 ・ カバー ・ 274頁
この本の内容
国内外で活躍するための必須スキルとされる「論理的思考」。だが実は、「何を論理的・説得的と感じるか」は普遍的なものでなく、ある国(文化)で論理的とされるものが、ほかでは非論理的だと受け取られることも。本書では、日や米とも異なるフランスの「論理的思考」と、それが社会的に構築される様相と背景を読み解く。 20世紀哲学史において、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインとマルティン・ハイデガーは、その圧倒的な存在感を放つ巨星と言えるでしょう。彼らの思想は、現代哲学の土台を築き、その後の研究に多大な影響を与え続けています。
しかし、検索エンジンで「20世紀最大の哲学者」と調べると、意外にもシモーヌ・ヴェイユの名前がヒット上位に表示されることがあります。確かに、ヴェイユは独自の存在論や倫理学を展開し、多くの思想家に影響を与えた重要な哲学者です。しかし、ウィトゲンシュタインやハイデガーと比較すると、その知名度や影響力は限定的と言わざるを得ません。
数学の世界に目を向けると、20世紀最大の数学者としてアンドレ・ヴェイユの名が挙げられます。彼は、代数幾何学や数論などの分野で卓越した業績を残し、現代数学の発展に大きく貢献しました。
しかし、検索エンジンで「ヴェイユ」と検索すると、シモーヌ・ヴェイユの方が上位に表示されることが多いという現象があります。これは、シモーヌ・ヴェイユの思想が、哲学や神学の分野だけでなく、文学や芸術にも大きな影響を与えたためと考えられます。 論理も数学も歴史的に形成されたものであって別様でもあり得るのだ >>575
そのことの意味を考えるのが哲学なのだが知能が低い人には無理 というか、むしろ決め事と割り切って周囲の人達に合わせられない頭が悪い人が哲学向きかもしれない 論理や数学は歴史的に作られた便宜上の決め事なので時代や社会で変わることがあり得るのです グローバルに活躍しようと思うなら閉鎖的なムラ社会の身内の論理だけでは通用しないし、
かといって英語圏の論理だけが唯一の論理という訳でもないのです 「哲学は科学か」
哲学は科学なのだろうか。これについて
は哲学者のあいだでも意見が分かれるので
はないか。私自身は、哲学には科学のよう
な面もあるけれども、科学にはけっして還
元できない面もあると考えている。
哲学のセオリーには論理の内的な一貫性
が必要であり、そのような一貫性があるか
どうかは、長い年月をかけて検証され続け
る。これは哲学のもつ科学のような面だと
言えるだろう。
ところが、もう一方において、哲学の問
いのほとんどは、観察や実験によって正し
い答えを出すことができないという性質を
もっている。
( 中 略 )
観察や実験という切り札を持たな
いがゆえに、哲学は対話や説得の方法を研
ぎ澄ますことによって、独自の知的領域と
して今日まで残ることができたのである。
M.Morioka (哲学者)
日経 2024/06/20 夕刊
あすへの話題 森岡正博
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曖昧さ回避 政治家の「森岡正宏」とは別人です。
森岡 正博(もりおか まさひろ、1958年9月25日 - )は、日本の哲学者[1]。早稲田大学人間科学部教授。生と死を総合的に探求する生命学を提唱。2006年より「生命の哲学」という新しい哲学ジャンルを提唱している[2]。代表的な著作は『無痛文明論』『感じない男』など。
人物
1958年高知県高知市に生まれる。1977年に東京大学入学。当初は物理学と数学を学んだが、後に哲学・倫理学に転じた[3]。大学院ではヴィトゲンシュタイン後期哲学とともに、当時登場してきた生命倫理学と環境倫理学を専攻した[4]。