数学者より哲学者の方が格上
例えばデカルト
数学でも偉大な業績を残したが哲学者としての業績の方が知られてる ゲーデルは数学者なので片手間に哲学もできる
だがお前ら偏差値底辺の文学部哲学科にできるのは無意味な言葉遊びだけ >>395
フレーゲもラッセルも、もともと数学者だろ?
哲学者呼ばわりは失礼だよ。 ラッセルは数学者なので片手間に哲学もできる
だがお前ら偏差値底辺の文学部哲学科にできるのは無意味な言葉遊びだけ >>400
そういう物言いが趣味ではないと言われていることに気づいてほしい >>401
ラッセルは死の直前に
「私はヘーゲルは嫌いだ」と言った
自分が哲学者だと思っていないと
こうは言わないだろうね。 本人が晩年どう思ってたか知らないが、もともと数学者で
あったことに変わりはない。
数学者から哲学者に落ちぶれることはできても、逆はなかなか。 >>403
数学とは無関係の実に些細なことでしたか
つまらないですね >>407
数学を少しは知っているつもりみたいだから尋ねますが
オイラーが4n+1型の素数の無限性を出すために
計算して収束性を確信した級数の和の
数論的な意味を知っていますか。
ご存知なら教えていただけるとありがたい。 >>406
哲学者を手玉に取る手腕を見ていたら、確かにそうかもしれない >>407
「初等整数論講義」に出ていたからもういい。
>>409
Weilはスパイ容疑で、Russelは哲学者として収監された。 Nevanlinnaが当局にねじ込んでくれたおかげで
Weilは命拾いをした 数学者や哲学者よりも格上なのは、森羅万象を扱う安倍晋三である。
スレ終了! バンクシーの役には立ってるだろ。大金せしめてウハウハだよ。 ガウスは「先験的に」という言葉が気に入っていたようだ >>419
数学を少しは知っているつもりみたいだから尋ねますが
オイラーが4n+1型の素数の無限性を出すために
計算して収束性を確信した級数の和の数論的な意味を答えられますか。
知っているのなら、答えてみたまえ。
その答えで君の数学の程度を推し量れるからね。 >>420
それは「初等整数論講義」の付録に書いてあった。 こんなところに落書きするようなやつは、みんなバンクシーである 俺の予測では第2波の倍以上かな。
根拠は、欧米でそんな感じだからw それリーマン予想ですよね
なんか証明とかあるんですか サラリーマンのコロナ予想
コロナ問題は誰が出したんだっけ
角谷? 数学の論理が完全かどうかを考えるのは
一応数学ということになっているらしい 不完全性定理でも完全の定義してるからね
たまにド文系が「不完全性定理は人の理性の不完全性を示した」とか息巻いてるけどそうじゃないんよなぁ ってなことを考えるのが数学
作者の気持ちは分からない 不完全性を全く完全ではないと捉えるか必ずしも完全ではないと捉えるかで、
大違い。 >>443
全部否定と部分否定では大違い。哲学というよりかは国語の問題。 >>442
不完全性定理の不完全は完全ではないことを指してるから、「全く」とか「必ずしも」とかいう形容詞は不要 >全く完全ではない
完全では全くないと言い換えたほうがいい。 >>446
どう言い換えたところで実際の不完全性とはかすりもしないのが虚しいね 無制限な背理法がパラドックスを引き起こすので、直観主義で背理法を制限した 格上の哲学としては
ロシアのウクライナ侵攻決定に
どういう態度をとるのがよいか
教えを垂れるべきではないか 患者が猛烈な勢いで助けはいらないと主張しても
治療を放棄しないよい心理学者と同じく
世界が明日破滅的な戦争を始めようとしても
よい哲学者は世界を正気にさせる努力を怠ってはならない >>453
よい哲学者は意味のある暴論を唱え、
駄目な哲学者は無意味な正論を唱える。
有意義な狂気は無意味な正気に勝る。 実例をあげよう
ソクラテスはよい哲学者だった
ダメな例はいくらでもあるが
例えば「進歩的知識人」たちがそうだろう。
清水幾太郎はそれに気が付いて
自分の著作をすべて絶版にした。
しかしそれは最後の無意味な正気だったかもしれない。 越えてはいけない一線を越えさせない努力は
正気であろうが狂気であろうが
貴い努力である。 大戦中
哲学者は紅茶を飲みながら正義を語る
と批判され哲学は終わった
復権があるのかどうかはわからない それは政治家が努力すべきことであって、哲学者の仕事ではない。 >>454
場の空気の断熱的な変化に騙されそうなタイプの茹でガエルに思える。 >>よい哲学者は意味のある暴論を唱え、
>>駄目な哲学者は無意味な正論を唱える。
>>有意義な狂気は無意味な正気に勝る。
エルンスト・マッハはこの文章を激賞するだろうか 素晴らしい箴言だというかもしれないし、言わないかもしれないが、
マッハが意味のある暴論を唱えたことは間違いない。 彼らは数学者がウクライナ侵攻に抗議するのを
笑うだろうか 自分が死ねば政治的混乱が収まることぐらいはわかっていただろうし。 >>469
数学者という肩書はいらんだろ。一市民として反対すればいい。 >>473
ICMに出席するのをやめようと言うからには
数学者の肩書がないと
呼びかけにリアリティーがなくなると思わない? >>472
それが毒杯を仰ぐ道を選んだ本当の理由だったのか? >>474
最初からそう言えよ。にしても肩書はあんまり関係ないけどな。
国際会議やらを欠席して抗議ってのは立派じゃん。どんどんやれ。 アサガオは毎日成長するから見ていても苦痛じゃないが
同じ人間と毎日話すということは意味があるのだろうか >>475
表向きは遵法精神からだろうけど、実際は政治的配慮もあったんじゃない? >>480
すべては「よく生きるとは何か?」に答えるため。 To be, or not to be. That is the question. 個人的には自然、人間、学問とはを知りたいだけかな
理数系も認識論やった方が良いと思う
>>440
スピノザは規定は否定とした
クレタ人、カント、ヘーゲル
対象をその否定で規定するから
対象は無矛盾
それをその否定で規定するから決定不能に
理解可能だがその否定で規定するからこそ
対象に規定は無いことをもって無矛盾と解る
決定不能と決定しているからこその<定理> ウイルスは生物非生物と分類困難
これは物理としては差異だが否定関係で規定するから
規定すること自体が分類困難の原因 地動説、進化論は地球、人間の相対化
人間、植物、金属、すべて差異を否定で規定
光速度一定の原理は静止はない、つまり自然の存在形態は運動
ディラックの海から真空はエネルギーの基底状態
自然は運動するエネルギーの濃淡が親和反発して新たな濃淡が生成していく過程です
粒子は波の渦→観測問題
最小単位はない 認識器官は物理条件
自然の濃淡はその物理条件の在り方に像を生成する
諸動物の認識器官の在り方で自然は差異として像を結ぶ
静止、生死、無は存在するが自然には存在しない
また淡、つまり真空は像を結ばない
自然は一だが認識器官は多として像を結ぶ
その抽象が次元
座標原点はない
四次元が存在したら静止した三次元が無限に存在して
自分自身も無限に存在することに
有を無で規定する
0に限り無く近いが0ではないという規定根拠
つまり決定不能
自然はそのまま理解出来ない
だから量、時間で規定する
四次元は存在しない
存在しない次元で規定、つまり無で有を規定する
ビッグバン仮説
対象が宇宙非宇宙と矛盾する
エネルギー保存則、光速度一定の原理の否定
因みに証拠とされる観測は違う理解が可能だと指摘されている
火星に運河発見したアメリカの天文学者と同じ過ちの可能性があると指摘されている 学問は自己言及
自然科学は典型
認識器官に生成する自然像を相対化していくのが科学
そして論理の相対化と自己弁護
論理は対象の否定→決定不能
論理は自然に存在しない
自然は無矛盾であることにより決定不能に 人間自身が自然
自然を他者として規定、理解する
物理は運動変化して無くなることはない
意識は無くなる
つまり物理として存在しない
物理状態に付随して現象する
寝起き、そして物理条件次第ではっきりしなくなったり混濁する
自然は無矛盾で理解可能
しかし規定は否定だから決定不能に 自然に存在しない座標原点で自然を理解するということが何を意味するのか現代科学は考えてみるべきかと 半世紀ほど前から古今東西現代科学は新しい観点が必要と主張する科学者たちがいる
問題意識が無いなら仕方ない