数学者より哲学者の方が格上
例えばデカルト
数学でも偉大な業績を残したが哲学者としての業績の方が知られてる それを「自由」とは言わないから。
国家主義的政体下での企業間競争に過ぎない。 学歴やGPAなんかどうでもいい
もうとっくに実力主義だから
なんでアメリカの巨大テックが
「人種差別を積極的に忌避する」かというと
国籍や人種で採用からふるい落とすと
先端ITで務まるような希有な才能を取りこぼすおそれがあるから
同様に、学歴や学業成績のような
「職務上の適性判定に役立つのかどうか曖昧でゆるい基準」で選別すると
やはり稀少な才能を取りこぼす可能性があるからもう時代遅れ
それほどまでに先端企業では必要な人材の基準が厳しくなってるということ 多くの人たちが惨めな思いをしないように
出る杭を打ち続けるという点では
日本も中国と大差ない。 医者や公務員や銀行員ごときなら
「あるていど賢そうな集団を
手短にざっくりと選別して採用する」という方式で
業務を回すことができる
そのような方式には
偏差値で輪切りにした集団学歴選別が適用できる
が、才能を要する職場は
その方式では人材を確保することができない
たとえば
先端ITのエンジニアとか
野球選手とか
ジャンプの漫画家とか
所属していた組織ではなく個人の能力で採用されて
採用後も常時厳しく実績を審査され続ける仕事だ >>所属していた組織ではなく個人の能力で採用されて
>>採用後も常時厳しく実績を審査され続ける仕事だ
日本の数学界は? >>326
全然違う。
共産党の利益にかなう企業は優先される。ベンチャーだろうが
なんだろうが、それは同じ。逆らえば大企業でも潰す。 無意味な大義名分でも、現実と正反対なものは害でしかない。
それがチャイナの共産党が掲げるもの。 まるでオウムの信者を見るようだ。
こいつ、洗脳されてるっぽい。でなきゃ工作員か? > ID:NfbWWDww >>335
共産党に敵対する者たちに
悲惨な現実を与え続けることによってのみ
共産党は支配権を正当化できる。 >>337
昔からある恐怖政治にすぎんけどね。
そんなものをありがたがるバカがいるから呆れる。 潰せないものには同化するしかないというのは
「長いものには巻かれろ」という知恵か あたりまえだろう、数学も科学も哲学から派生したんだから。
それに、数学というのは抽象度の高すぎる問題しか扱えないのだよ。
バランスがわるい。
数式をみてみろ。
内輪のルールだけを暗記した人間にしか分からない暗号がたのしいのだ。
形式言語という点では、コンピュータオタクと数学者は似たようなものだ。 あたりまえだろう、数学も科学も哲学から発展したんだから。
発展しないまま地平線にいる哲学の偏差値が底辺なのは当たり前。 ソクラテスが現代に生きてれば、頭はそれなりにいいから、偏差値最底辺の文学部哲学科にはいかないだろう
そもそも昔のソクラテスが有名だからと言って、現代の偏差値最底辺組が同じ栄誉を受けるべきことにはならない
まさに虎の威を借る狐
お前ら偏差値最底辺組がソクラテス時代に生まれたたら、ソフィストとかになれるわけがない。せいぜい奴隷の現場作業員としてアテナ人にこき使われる牛馬だろ
お前ら偏差値最底辺組は、現代でもソクラテス時代でも負け組であることに変わりはない 偏差値を基準にものを言う学生は
大学では蔑まれるよ。 >>344
数学や科学の抜け殻というか、残り滓が現代のいわゆる哲学なんじゃね? 偏差値の話をしてる人って
東大数学科の進振りの点数が例年低めであることを知ってるのかな
入り口のハードルの高低は
そこで行われる学問の難度や価値には無関係 哲学自体はやる意義があるんだけどなぁ
岩波文庫の古典一冊読むだけでも考えや思想に深みが増すし。
ただ大学やアカデミアが哲学やる環境ではないわな
哲学は論文で評価するべきではないわ 文学みたいなもんでしょ。
小説や詩を読むことは生活や思索を豊かにしてくれるけど、
それ自体が学問の対象になるかということはなはだ疑問。 判断に概念が適用されたときに、対象は客体となる、とカントは書いている。 アルキメデスが現代に生まれていたら
多分数学者にはならなかっただろうな
なんとなくだけど アルキメデスが現代に生まれていたら
多分哲学者にはならなかっただろうな
なんとなくだけど偏差値が底辺だし アルキメデスも中村哲も
目先のことしか見えないバカに殺されたという点では同じ キルケゴール Kierkegaard,Soren 1813〜1855
デンマークの哲学者、宗教思想家。ニーチェと並ぶ実存思想の創始者。マルクスと同時代に生き、奇
しくも共にヘーゲル哲学の根底的な批判者である。マルクスが経済社会の実体の矛盾を分析してヘーゲ
ルの観念論を「転倒」させたのに対し、キルケゴールは、思弁的なヘーゲル哲学の客観性を批判し、人
間の肉体と精神を対象化して掘り下げ、不安と絶望にとらわれる近代的人間の生を実存的に描いた。 >ルの観念論を「転倒」させたのに対し、
典型的な言葉遊びだな
数学ができないとこういう拗らせ系の痛い文学部哲学科君になってしまうわけだ キルケゴールって、なんか妖怪みたいな名前だよね。
キェルケガートだといくぶんましか。 >>360
Henning Haahr Andersenという代数群の専門家は
Kierkegaardの曽孫だという 哲学の論文は薄いとよくないみたいだ。
ポイントは、その気になればその主題について
ぶっ続けで1日中でもじゃべり続けられるかどうからしい。 近世の哲学で理系が読んで損しないのはスピノザとキルケゴールの何冊かの本ぐらいだと個人的には思う
中学高校数学はともかく(読み方次第でいかようにも使えるから)
大学以降の数学にゴミ本は基本的にないので、数ヲタはゴミ本に対する向き合い方を
知らないから言うけど、哲学は基本ゴミ本だらけだから
この二人はユダヤ哲学の影響が強いらしいので、カントールの考えてたことを
本気で知りたいなら読んで損しないと思う カント―ルなら
ボルツァーノとワイエルシュトラスではないの? ボルツァーノの弟子筋には
ハーン、ティーツェ、ヴィルティンガーたちがいる。 カント―ルを集合論にはめたのは
フーリエ級数の収束域の問題 フーリエ級数からどんな数学が広がったかを
振り返り、改めてその方向に新展開を試みているのが
現代の表現論 ポアンカレの「科学と仮説」の新訳が出たので
買って読んでいる。
長い解説は読みごたえがある。訳者は文系だが
物理学者の弟が専門用語をサポートしたようだ。
しかし基本的にポアンカレの思想を文科系の頭で論じているから
つまらないこと夥しい。 文系のトップに評価されるより
受験理系の学部卒どまりが面白いと言ってくれる本を書きたい。 >>373
> 文系のトップに評価されるより
> 受験理系の学部卒どまりが面白いと言ってくれる本を書きたい。
白い目で見つめてあげたい 結局まともな理系は
東大か、ギリでも京大までしかほぼ居ないので(それ未満の大学だと学年に数人レベルの例外的存在になる)
そこらのなんちゃって理系よりは東大文系に面白いと言ってもらいたいが >>377
近い将来、アバターどうしのVRの会合はこうなる とりあえず、倫理や道徳は数学が出来る・出来ないよりは大切だとは思う。でもそれ以外はどうだろね。
あと、科学とか宗教と比べると、
哲学は正解がないけど、まあまあ良い結論を求める。
科学は今分かってる事を基にして結論付ける。
数学は、大抵の場合は矛盾しないやり方で何かの答えを算出する
宗教は、正解がなかったりその時点での科学水準では到底わからない事について、何かしらのストーリーを持ち出して、「だからOOはこうなってる」みたいに言う。それが人を救う事も苦しめる事もある。
みたいな感じか。
数学は面白いけど科学と哲学の絶妙に良くない部分を持ってる気もする。。。
何が格の差を決定づけるかに正解はないけど、安直にどれくらい社会の役立つか、を基準に考えると、
物理みたいに道具として使わないならよくある哲学のイメージと同じに役立たずになっちゃいそう。
で、哲学と違って何が「良い or 良い解釈か」か、みたいな結論ではないから、大義名分がないというか。。
ただ、参考になる事実を提供することもあるし、絶対とは言い切れないことが確定してる哲学よりは役立つ可能性はあるんじゃないか?
信頼できる結論を出すという点では数学者の方がありがたいかも? 一番大きな違いは、知能指数的には
数学者>哲学者
と言うことだろ。
学部の偏差値見てもそう言える
数学者は必要に応じて哲学できるが
哲学者は微分積分すらできない
能力差で区分できる 真理の本質は変容する。
時代精神に大きな影響を与えるこのような言葉を
数学者が発することはなかった。 そんなものは単なるキャッチコピーにすぎん。「新しい資本主義」
なんていう戯言をほざくのと同じで、社会には何の影響もないだろ。
科学(数学も含む)ほど時代を変えたものはない。 >>381
その真理の趣旨は限りなく倫理や道徳に近い気がする。
どっちかというと、かなり人類共通認識っぽくなってる[論理]については、
哲学者は当時分かってることをベースにしたり裏をかいたりして、相当大雑把な視点を与えただけで、
具体的に詳しく進めたのは論理学者、それを利用するのは数学者、更にそれを利用するのは物理学者、 みたいなものだと個人的には思う。
正直、ある程度の水準まで行けば新たに大きな枠組みのモノの見方を提示する必要性はそんなに感じないと思う。あったとしても、理論の修正を図ったりする過程で物理学者とか数学者が思いつく事はあると思う。
やっぱり「上手い物事のとらえ方」が出来てしまった以上、哲学が今後発達する望みは薄いな。
せいぜい、
科学を信用できず自分に悩み、自分にとって上手く折り合い付くように考えたい人で、既存の宗教やオカルトチックな話に否定的or疲れきった人
に対して、何かポジティブな感情を起こさせるような人生論・人生観、的な部分でしか役に立たなそう。 >>383
「真理を何とするかについては色々あるけど、正解のない倫理や道徳的な真理よりはみんなが同意しそうな"論理"を真理のようなものと便宜上みなして考えると」
という仮定を書き忘れてました 宗教の時代は終わった
哲学の時代も終わった
科学の時代が終わるのは 何時だろう 数学は宗教でも哲学でも科学でもない
ただの遊戯だ
遊戯もいつか終わるだろうか? 数学的真理は本当の真理ではない
もちろん本当の嘘でもないが
要するにただの約束事である
現実がその約束事に沿うとしても
それはただの偶然である >>382
「単なる」ではない
特別に長い尾ひれがつけられる言葉だ。
ホウィトヘッドはそれらを
「プラトン哲学の注釈」と言った。 >>390
それは
デデキントの切断による実数の定義が
エウクレイデスの原論の比例論の焼き直しであり
カントールの有理コーシー列による実数の定義が
アルキメデスの挟みうち法の焼き直しであるのと
同様かな? 実数の概念は基本的には古代ギリシャ時代に分かっていたのであって
19世紀にそれを正確に公理化したに過ぎない、という考えは
あながち間違っていないかもしれない それを公理化する必要というものがあった。
オイラーによる素数の無限性の解析的証明の発見と
ルジャンドルによるオイラーの予想の同等分布の問題としての定式化、
そしてガウスの少年時代の予想を経て
ディリクレにより完成されたルジャンドル予想の証明、
そしてディリクレの1837年の論文に触発されたリーマンの1859年の論文。
しかしガウスの予想の解決にはあと一歩足りなかった。
デデキントの「数とは何か、何であるべきか」は
これらすべてをふまえて書かれている。 哲学なんて自己啓発本程度の価値しかないよ
微分積分すらできない偏差値底辺が言葉遊びしてるだけ デデキントを超えて数理論理学を開いたのは
哲学者のフレーゲやラッセルたちだった >>394
ゲーデルの理論にはどれくらいの価値があると思う? >>393
>公理化する必要というものがあった。
そこは否定しません
>>396
>ゲーデルの理論
数理論理学的にはともかく哲学的な価値はないな
他の数学における価値もさほどないかも ゲーデルは数学者なので片手間に哲学もできる
だがお前ら偏差値底辺の文学部哲学科にできるのは無意味な言葉遊びだけ >>395
フレーゲもラッセルも、もともと数学者だろ?
哲学者呼ばわりは失礼だよ。 ラッセルは数学者なので片手間に哲学もできる
だがお前ら偏差値底辺の文学部哲学科にできるのは無意味な言葉遊びだけ >>400
そういう物言いが趣味ではないと言われていることに気づいてほしい >>401
ラッセルは死の直前に
「私はヘーゲルは嫌いだ」と言った
自分が哲学者だと思っていないと
こうは言わないだろうね。 本人が晩年どう思ってたか知らないが、もともと数学者で
あったことに変わりはない。
数学者から哲学者に落ちぶれることはできても、逆はなかなか。 >>403
数学とは無関係の実に些細なことでしたか
つまらないですね >>407
数学を少しは知っているつもりみたいだから尋ねますが
オイラーが4n+1型の素数の無限性を出すために
計算して収束性を確信した級数の和の
数論的な意味を知っていますか。
ご存知なら教えていただけるとありがたい。 >>406
哲学者を手玉に取る手腕を見ていたら、確かにそうかもしれない >>407
「初等整数論講義」に出ていたからもういい。
>>409
Weilはスパイ容疑で、Russelは哲学者として収監された。 Nevanlinnaが当局にねじ込んでくれたおかげで
Weilは命拾いをした 数学者や哲学者よりも格上なのは、森羅万象を扱う安倍晋三である。
スレ終了! バンクシーの役には立ってるだろ。大金せしめてウハウハだよ。 ガウスは「先験的に」という言葉が気に入っていたようだ >>419
数学を少しは知っているつもりみたいだから尋ねますが
オイラーが4n+1型の素数の無限性を出すために
計算して収束性を確信した級数の和の数論的な意味を答えられますか。
知っているのなら、答えてみたまえ。
その答えで君の数学の程度を推し量れるからね。 >>420
それは「初等整数論講義」の付録に書いてあった。 こんなところに落書きするようなやつは、みんなバンクシーである