>>157
書き残したものがなかったからではないか

この4人とも自分が書いたものは一切残っていない。ソクラテスの言説は、彼の死後、弟子のプラトンによって記述された。孔子の場合は、孔子と弟子の行動が後代になって「論語」としてまとめられた。だから論語は「子曰く〜」が書き出しになっている。

釈迦は、もっとすごく、約500年にわたって経典の結集が行われた。だから経典は口伝をまとめたもので、書き出しは「如是我聞」(このように私は聞いた)となっている。どの経が本当に釈迦の説いたものかは不明。最初にまとめられた小乗経でさえ、釈迦滅後1世紀、大乗経はその後4~5世紀を経て世に出ている。だから大乗経は釈迦の仏教ではなく、後で加えられたという「大乗非仏説」もある。



新約聖書は編集された

 クリスチャンが依拠している新約聖書はイエスの言動を弟子の使徒たちが記したものだが、ローマ帝国が国教とする際に、ローマ皇帝の統治に都合の良いように編集が行われた。例えば1945年にエジプトで発見されたトマス伝などは今の聖書から排除されている。トマスは「神は天上にいるのではなく、心の中にいる」というイエスの言葉を伝えている。