数学者より哲学者の方が格上
そもそも「哲学」を学問として扱うには無理がある事に気付けていない時点で無能 政治の世界のキングメーカーにあたるのが 学問の世界では哲学 >>104 低学歴はそういう風に捉えるのか アインシュタイン、シュレディンガー、ボーアは哲学に精通していたよ 科学者は頭がいいから哲学を理解できる 哲学者は数学ができないから科学を理解できない 二千年前なら、哲学も科学も、低レベルで一緒だったんだろうが、この二千年で大きく差が開いたな。 慢心あるいは環境の違い くだらねぇことグチグチ言ってねぇで早くクリプキの様相論理とウィトゲンシュタインの哲学探究に対する考察と要約、解説しろや 無料で哲学者の考察を知りたいなんて虫が良すぎる 俺は英語に精通してるから論理哲学論考の原書を読破してるよ それでは聞いてください、ビトゲンシュタインで『お前の吸引力ダイソンか』 哲学者に自殺を思いとどまらせるには 数学の問題を与えればよい 哲学者の哲学の内容が他の分野で 役に立ってるのか? 数学者が数学者に 「それは哲学だ」と言われたら 言った奴は殴られても仕方ない その命題が哲学なのか数学なのかは確実に判別がつくが。 >>124 「リヴァイアサンの成立条件をゲーム理論を用いて集合として示せ」というのは微妙ではないだろうか アルキメデスという奇跡を伝えたのは 哲学者ではなかった 授業では、数学ではなく理科の先生が アルキメデスについては多くを語る どの世界にも通じることやが…中身の無い奴が数学を誇る! >>125 国家を含む制度慣習法等々は鞍点ESSナッシュ均衡なので一般に不動点集合。 新歴史制度学派どころかアダムスミスどころかジョンスチュアートミルとごっちゃにしたようなジョンメイナードスミスな話だな。 >>126-127 ピタゴラス音階について音楽教師が数理で語るとは思えん。 アリストテレスやパスカル、ライプニッツ、デカルト、カントなども科学者、数学者としてかなり高い実績を挙げている だから、こいつらの語る哲学には重みがある やっぱり語る人間の背景と実績が大事なんだよな 数学できないで文系に逃げて 文系の中でも偏差値最底辺の文学部に逃げて 文学部の中でも花形のフランス文学や英文学から逃げた そういう現代では最も知能レベルの低いのが哲学専攻だからな 過去の賢人の威を借りるとは、なんたる恥知らず >>132 学歴厨、権威主義者 哲学から最も遠い存在 >>132 上半分は同意 数学レベルまで論理的に緻密にできないとただの思想や宗教になってしまうからね 下半分は 「最も知能レベルの低い哲学専攻」がいることしか言えないのでは? すべての哲学専攻を検証したのか 人は記憶型と思考型に大別できる 哲学科の偏差値が、他学部の偏差値とどれくらい違うかを 大学別に比べて、平均とればイメージは掴めるよな 哲学というのは思想や宗教を突き詰めるためのものじゃないのか? 「哲学には重みがある」などというような まるで政治家の演説を聞いた感想みたいな表現は それが思想や宗教以上のものではないことを示している しかし、それでいいのだ。 文明社会は主に思想や宗教によって成り立っているのだから。 数学はどちらかというと文明の副産物であり文明の土台ではない 故人の遺物のうちで何を残すかの判断は 数学ではできない 聖書と共に原論を残してきた知恵は 何を土台に存在してきたのか 数学と哲学が最強でいいでしょ プラトンも数学は認めている 弁護人「ソクラテスはこう弁明している」 検察官「その弁明は失当だ」 裁判官「はい有罪で処刑な」 どうせくだらない弁明したんだろなw これだから哲学者は馬鹿で困る 昔から、法学>経済学>文学部哲学科 >最初の有罪判定投票では、約280対220、でソクラテスは有罪となった。 >引き続いての、量刑の評決では約360対140の大差で死刑が確定。原告が死刑を求刑したのに対し、ソクラテスがオリンピックの優勝者に与えられる「迎賓館での食事」という舐めきった主張をしたため、その飯塚的態度がアテナイ人たちを激怒させたがゆえに、彼は死刑となりました。 馬鹿だろ、哲学者w ソクラテスを死刑にしたアテナイ人たちが残したものもある 灯台総長「イキってるソクラテスより、堅実なアテナイ人となれ」 マジ It better to be a human being dissatisfied than a pig satisfied; better to be Socrates dissatisfied than a fool satisfied. J.S.Mill しかしソクラテスは永遠の名声 対して死刑を下した民衆は愚衆と呼ばれる ソクラテスのどこが偉いのかさっぱりわからん。 アルキメデスやユークリッド、ピタゴラスは偉大なりと 思うが、ソクラテス?誰それ?何したし人なん?って感じ。 それじゃ、詐欺師紛いってことじゃないか。 なんだ、そんな奴でしかないのか。 >>155 この四聖ていうの誰が言い出したかわからん ごちゃ混ぜの4人はどう考えても西欧人でも中国人でもインド人でもないわ >>157 書き残したものがなかったからではないか この4人とも自分が書いたものは一切残っていない。ソクラテスの言説は、彼の死後、弟子のプラトンによって記述された。孔子の場合は、孔子と弟子の行動が後代になって「論語」としてまとめられた。だから論語は「子曰く〜」が書き出しになっている。 釈迦は、もっとすごく、約500年にわたって経典の結集が行われた。だから経典は口伝をまとめたもので、書き出しは「如是我聞」(このように私は聞いた)となっている。どの経が本当に釈迦の説いたものかは不明。最初にまとめられた小乗経でさえ、釈迦滅後1世紀、大乗経はその後4~5世紀を経て世に出ている。だから大乗経は釈迦の仏教ではなく、後で加えられたという「大乗非仏説」もある。 新約聖書は編集された クリスチャンが依拠している新約聖書はイエスの言動を弟子の使徒たちが記したものだが、ローマ帝国が国教とする際に、ローマ皇帝の統治に都合の良いように編集が行われた。例えば1945年にエジプトで発見されたトマス伝などは今の聖書から排除されている。トマスは「神は天上にいるのではなく、心の中にいる」というイエスの言葉を伝えている。 なるほど やっぱりこういうことに詳しい人の意見はありがたい >>157 での2行目は 「ごちゃ混ぜを四聖と言った「人は」はどう考えても西欧人でも中国人でもインド人でもないわ」 というつもりでした 特定できますかね 世界の四聖 釈迦、孔子、イエス・キリスト、ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ(またはソクラテス) 四聖の別の定義 ソクラテス、イマヌエル・カント、孔子、釈迦 - 井上円了は古今東西の哲学を代表する聖賢として四聖を定めた 世界四大文明 エジプト文明、メソポタミア文明、インダス文明、黄河文明(殷王朝)[3] - 金沢大学教授の村井淳志によると、四大文明という言い方は我が国独特のものだという。江上波夫の作った用語で、『再訂世界史』(昭和27、山川出版社)が初出 口八丁手八丁のトリックスターがいて、そいつのグルーピーと いうか、たぶらかされた連中が聖人化したってことなのでは? 松本智津夫のインチキ説法にたぶらかされた知的エリートが 麻原語録をでっち上げるような感じでしょ。 ある時、イエスが弟子たちを連れて街中を闊歩していると、 一人の女性が民衆から石を投げつけられていた。 なぜこんなことをしているのかと、弟子が民衆の一人に問うと、 「この女は罪人だからだ」と答えた。 それを聞いたイエスは民衆にこう言った。 「ならばしかたがない。続けなさい」 そしてこう続けた。 「ただし、一度も罪を犯したことのない正しき者だけこの女性に石をぶつけなさい」 民衆は、とまどい、やがて一人また一人とその場を離れ、 石をぶつけているのはイエスただ一人だけとなった。 >>158 >この4人とも自分が書いたものは一切残っていない。 ムハンマドも文盲だったから同様。 ここ、大事だよね。すべてフォロワーが作り上げた虚像なんだろうな。 >>162 www >>162 一部始終を見ていた通りすがりの旅人は 「必要十分条件を理解していないものが一人いる」 と言って立ち去った。 ある時、老人が海辺を闊歩していると、 一匹の亀が民衆から石を投げつけられていた。 なぜこんなことをしているのかと問うと、 「この亀は竜宮の人攫いだからだ」と答えた。 それを聞いた老人は民衆にこう言った。 「ならばしかたがない。続けなさい」 そしてこう続けた。 「ただし、実際に竜宮城に行ったことのある者だけこの亀に石をぶつけなさい」 民衆は、とまどい、やがて一人また一人とその場を離れ、 石をぶつけているのは老人ただ一人だけとなった。 通りすがりの旅人がその光景を見てつぶやいた あの爺さんはあとニ三年はもちそうだな 玉手箱開けたら、いきなり老化攻撃だからな あの亀こんどあったら許さん 昨晩youtubeで宇宙戦艦ヤマトを歌った22歳のバイオリン弾きが ストーリーについて全く知らないと言っているのを聞いて 浦島太郎になったような気分になった 三人のうち二人を選んだところ、隠し子がいた人は1人だとします。 残りの一人の隠し子がいる確率を求めなさい。 3人のうち1人だけ隠し子がいることが分かっています。 当てずっぽうで河野さんを選んだところ、誰に隠し子がいるか 知ってる人が、浦島さんには隠し子はいないよ、と教えてくれ たうえ、他の人に変えてもいいよと言いました。 確率論的に考えて、私は山本さんに選択を変えるべきでしょうか? それとも河野さんのままでよいのでしょうか? 浦島「なお隠し子がいる/いないは確率変数であり、正規分布に従うものとする」 河野「三人のうち二人の結論が出てるから、残りの1人は固定される。よって自由度は、1減少だ。」 >>174 は>>173 とは無関係なので、そこんとこよろしく。>>176 太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪降り積む 次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪降り積む 吉沢太郎は数学者 NASAで活躍した桜井氏の先生 著書の著者経歴を見て NASAに長く在籍したことを知った。 宇宙飛行士にでもならないと活躍したことにはならないのか? NASAの研究員なんてゴマンとおりますがな。しかも、桜井氏が在籍 してたのはたかだか2,3年でしょ? https://prabook.com/web/kunitomo.sakurai/1422485 NASAで活躍していた日本人というと、東京外大のポルトガル語科を 出て商社マンから天文学者に転身した近藤陽次が有名。 https://baas.aas.org/pub/yoji-kondo-1933-2017/release/1 >>51 日本語の方が遥かに優秀だからな 言霊からきてるし >>181 アメリカで有名になった人みたいだね。 娘さんがJHの教授になっているのか。 >>183 近藤陽次なら、NASAで活躍した日本人だと大きな声で言える。 とはいえ、>>180 のおかげで、彼のオビチュアリーを発見でき たのは幸甚だった。SF作家としてのキャリは全然知らなかった。 晩年は日本のTVでも取り上げられることもあったが、大した 人物だと思う。 娘のベアトリスはprofessorではないようだ。現時点では、 修士課程のassistant program directorでsenior lecturerと いう肩書らしい。ボルチモアのオリオールが研究対象だそうで、 野球ファンならニヤリとするところかw https://www.youtube.com/watch?v=qr1Y-WJWoNY オリオールズが日本に来たのは五十年くらい前だったか 長嶋がキリキリ舞いさせられたのを電気屋のテレビで見た ソクラテスが『ゴルギアス』で展開している崇高な恋愛論は成人男子と(美)少年の間の話 ソクラテスはすっ裸でレスリングの練習する少年たちを見物するのが大好きだったから そら死罪になるわな ある時、老人が海辺を歩いていると、 一匹の亀が民衆から石を投げつけられていた。 なぜこんなことをしているのかと問うと、 「この亀は竜宮城の人攫いだからだ」と答えた。 それを聞いた老人は民衆にこう言った。 「ならばしかたがない。続けなさい」 そしてこう続けた。 「ただし、実際に竜宮城に行ったことのある者だけこの亀に石をぶつけなさい」 民衆は、とまどい、やがて一人また一人とその場を離れ、 石をぶつけているのは老人浦島ただ一人だけとなった。 166とは「浦島」だけ違う。その謎解きがあれば面白いかも。 哲学の最初はこのわからないことをわからないままで置いておかないというところから始まり 哲学から科学や数学が起こった その後、科学や数学は研鑽を続けて、巨大な知の体系を築きます神の領域に迫りつつある 一方、哲学は、分からないことを実験で探求もせずに、言葉遊びを続けて、偏差値最底辺の文学部哲学科で最期のときを迎えている どこで差がついたか 環境の差?慢心 言葉遊びが新鮮な新しい世界を開き得るのが哲学である カントを見よ プラトンのイデアをアプリオリと言い換えただけで 絶大な影響を及ぼした 言語ゲームよりふつうのゲーム理論やったほうがいいよ ガウスはカントに影響された人々からの批判を恐れて 非ユークリッド幾何の発表をためらったのではなかったか? "Kant is a cunt!", said Gauss. 空間の観念を経験から切り離して 先験的のものであると解釈したのは カント(Immanuel Kant, 1724-1804)である。 …故に、幾何学が先験的であるから、その学の基礎をなす 空間が、また先験的でなければならない。… カントの云う幾何学はユークリッド幾何学で、 当時非ユークリッド幾何学は未だ発見されていなかったのである。 ガウスが、非ユークリッド幾何学の研究を 公然発表するのを控えたのは、 この学説が普く(あまねく)世人に承認されていたからであった。 文学部哲学科(偏差値最底辺、数学できない)は、ユークリッド幾何学や非ユークリッド幾何学が分からない 大学によっては 文学部哲学科(偏差値まあまあ、数学できないことない) 理学部数学科(負け組で怠け者、数学わからない) これはそのとおり ただし一流の哲学者は数学もできる ガウス「確かに影響は受けました。反面教師としてですが…。あいつ簡単な数学もできないんですよw所詮は哲学」 ガウスは弟子でマールブルクで天文学の教授をしていたゲーリング宛ての手紙に 「私はこの空間が非ユークリッド的であってほしいと思っている。 なぜなら、そうすれば距離が先験的に定まることになるから。」 と書いている。 リーマンの反面教師はアイゼンシュタインだったそうだ 学問の現在 決定不能は何故出来するのか 数学は答えられるかな 光速度一定の原理が何を意味するのか 物理学者は答えられるかな まだ答えられる段階ではないでしょう? 優劣論じられる段階ですかね 梶島二郎 東京出身。七高理科、東大数学科及び哲学科を卒業。東京工業大学教授を勤めた後、昭和20年鹿児島県立工業専門学校を創立、初代校長となる。昭和26年鹿児島県立大学学長兼工学部長。昭和29年退官。 政治や経済など現実の重要問題を何も解決できず 数学を研究するコミュニティの食い扶持さえ満足に確保できないのに なぜか哲学者より格上だと思っている自己客観視の苦手な数学者 数学で食えてるのは大学や受験産業などの「数学の成績や業績を評価してくれる人工世界」あってのことで よりメタな「世界そのもの」においては数学だけで出来ることなどほとんどない 中学高校とずっと「数学(や勉強)ができるということだけで居場所を確保できて」 大学でも「数学ができることでポストを得られて給料をもらえる」から そういう「数学ができる → 生存できる」という因果が 世界全体にまで拡張できるかのように勘違い 軍事研究費が数学研究に流れてるのに抗議して公職ぜんぶ辞したグロタンが?。 >>223 いちばん端的なのだと軍事用途の暗号とその解読に数学使うよ。 中村幸四郎 1901年 東京に生れる。 1926年 東京帝国大学理学部数学科を卒業。 東京高等師範学校の講師を務める。 1929年6月-1932年3月 ドイツとスイスに留学。チューリッヒ工科大学のハインツ・ホップに学ぶ。 1961年 関西学院大学理学部教授 1986年 宝塚で没する。 文学博士 >>223 > 数学を研究するコミュニティの食い扶持さえ満足に確保できないのに この点についてはみんなもうちょっと反省すべき プラトンは最高におもしろい 哲学とは昔のエンタメ 面白くない哲学は存在価値なし >>233 昔のエンタメと今のエンタメの主要な相違点を 一つ述べるとしたら? 新しい国家を創ろうというとき、 ・幾何や数論を縦横無尽に行き来して理論展開できる数学者 か ・世界主要国の歴史や語学や思想史を行き来して思想展開できる哲学者 か どっちがより必要な人材か? とうぜん哲学者だ なぜなら、歴史や思想を知らなければ 国家にとって必須である法体系や商慣習を設計することができないからだ 文明にとって必須なのはまず宗教家や哲学者であって、 数学者は文明をより良くするオプションにすぎない ・世界主要国の歴史→歴史学者に聞く ・語学→英語や中国語の専門家に聞く ・思想史→歴史学者に聞く 行き来して思想展開できる哲学者 →そんな哲学者はいない。偏差値最底辺の無能だし。 >>235 時代の移り変わりや流行り廃りがあるだけで大きな違いはないと思う 人を楽しませられないエンタメに価値はなし 検索結果「ジェイムズ・ジョイス(ユリシーズ)」 94件中 1〜50 件を表示しています。 名言・格言 発言 1:もしあなたが大きな才能の持ち主なら、勤勉がその才能を磨きあげるだろう。 もしあなたが小さな才能の持ち主なら、勤勉があなたの才能の不足を補うだろう。 ジェイムズ・ジョイス(ユリシーズ) 2:天才は誤りはおかさない。天才のエラーは意志によるもので、 発見の門なのである。 ジェイムズ・ジョイス(ユリシーズ) 3:人は、全世界の問題を解決するようには 生まれていないだろう。 しかし、自分の限られた理解のなかでもやらなければいけないことは、見出せるはず。 ジェイムズ・ジョイス(ユリシーズ) 4:労働は生きるための手段であって、生きることではない。 ジェイムズ・ジョイス(ユリシーズ) 5:死の真っ只中に我々は生きている ジェイムズ・ジョイス(ユリシーズ) 6:芸術は人生からの逃避ではない。まったく逆だ。それどころか、 芸術は人生の中心的な表現そのものなのだ。 ジェイムズ・ジョイス(ユリシーズ) 7:小さな事柄が人を悩ませるのだ。象が向かって来れば身をかわして逃げられもするが、 蝿からは身をかわすことができない。 ジェイムズ・ジョイス(ユリシーズ) 8:いつまで一緒にいられるか分からないということをしっかり心にとめて、 お互いを大切にしよう。 ジェイムズ・ジョイス(ユリシーズ) 9:わしらの心はたえず新しい考えで肥沃にしなければ、すぐに荒れ果て、 何も生み出さなくなる荒地にすぎない。 ジェイムズ・ジョイス(ユリシーズ) 10:人は何を読むかで決まる。 ジェイムズ・ジョイス(ユリシーズ) 11:年を取るとおしゃべりになるのは、たくさんの事を見てきたからであり、 また、やがて永遠にはなす事がなくなってしまうからである。 “History, Stephen said, is a nightmare from which I am trying to awake.” ― James Joyce, Ulysses ttps://www.goodreads.com/quotes/23697-history-stephen-said-is-a-nightmare-from-which-i-am ユリシーズの中でももっとも有名な一節らしい。 素晴らしい決めゼリフだ。 俺ならこう訳したい。 「歴史ですか。…」スティーヴンは答えた。「私としては抜け出したい悪夢ですね。」 「歴史は…」スティーブンは続けた「抜け出しがたい悪夢ですね。」 素手反、曰く「歴史とは余が其処より目醒めんとする悪夢也」 数学は専門学問であるが、哲学は一般学問なんだよな だから数学者よりも哲学者のほうが格上というのは一理も二理もある プラトンも確か似たようなことを言っている ジェネラルナンセンスって知ってる? ナンセンス将軍じゃないよ? プラトンの業績ってなんかある? アルキメデスやユークリッドやピタゴラスなら 名前のついて定理やらなんやらが未来永劫まで 残るだろうけど。プラトンって誰?って感じ なんだけど。 プラトンの本を読んでいると ソクラテスがそばに立っているような気がする。 そんな本は他にない。 プラトンはけっこう批判されてるもんなw 「プラトン嫌い」っていう人はけっこういる いちばん大きな業績はソクラテスの言葉を残したこと ソクラテスはすごい ソクラテスもプラトンも結局は口だけ野郎で終わったからな 他方、デカルトは言うことデカイなりに、光学や幾何学でそれなりの実績を残している >>255 ソクラテスの定理とか、ソクラテスの原理ってあんの? 悪妻もらったせいかなんかしらんが、毒飲んで死んだ人 ということしか知らんわ。普遍的な業績って何? >普遍的な業績って何? ・アテナの民主主義裁判を愚弄した反民主主義 ・毒飲んで死んだ ・詭弁家(裁判で自分の無罪証明に失敗) ソクラテスは、「無知の知」「汝自身を知れ」だろ 高校倫理でも習うんじゃないかな 重要な業績だよ 数学の業績ではないけどね 格言残したのが業績なのか? まるでポンコツビジネス書の著者みたいなもんだなw >「無知の知」「汝自身を知れ」 業績w こんなもん、其処らへんの小学生でも思い付くわ (小学生用学生塾) まだ自分は知らない、それを自覚しよう! 何処が分からないのか、確認してそれを先生に質問しよう! ソクラテスの限界は「知らないことを自覚しよう」に留まって、進歩してないとこだな 多くの文学部哲学科もそのレベル 人類は、ソクラテスの前も、死後も、そんなこと(自分の無知)は当然分かっていて、知らないことをするために、 ・仮説設定 ・実験観察 ・新事象や新理論の開拓 という偉大な作業を数千年続けている それが科学者であり数学者であり、そうした科学を背景に様々な実用技術(医学、工学、法学、経済学)を編み出してきた 他方で、偏差値最底辺の文学部哲学科は、そういう発展についていけずに取り残されて、できることはない数千年前の戯れ言(知らないことを自覚)を繰り返すだけ ソクラテスはあの時代では口が達者で偏差値上位組だったんだろうけど、最上位ではないね 最上位は、そんなことは分かっていても、アテナの民主制度を擁護する立場に立つ雄弁家だよ 中途半端に頭がいいから(最上位ではないので)、反感買って粛清された ソクラテスが現代に生きてれば、頭はそれなりにいいから、偏差値最底辺の文学部哲学科にはいかないだろう かと言って、医者や弁護士ほどの頭の良さもないから、せいぜい経済学部出て一部上場リーマンの部課長レベルかな 一方、現代の偏差値最底辺は、ソクラテスのレベルにすら達していない 医学部、法学部、工学部、経済学部に行けずに、受験の惨敗者として文学部哲学科に行ったわけで 昔のソクラテスが有名だからと言って、現代の偏差値最底辺組が同じ栄誉を受けるべきことにはならない お前ら偏差値最底辺組がソクラテス時代に生まれたたら、ソフィストとかになれるわけがない。せいぜい奴隷の現場作業員としてアテナ人にこき使われる牛馬だろ 他方、現代の法学部や医学部に行くような有能組は、ソクラテス時代に生まれてたら、花形職業のソフィストや軍人や政治家や医者をやってわけで お前ら偏差値最底辺組は、現代でもソクラテス時代でも負け組であることに変わりはない そうなんだよなあ ソクラテスはすごいんだよ なんせ「無知の知」「汝自身を知れ」で現代のお前たちもやっつけちゃうんだから だてに哲学の始祖じゃないよこの人は それほど深ーーい話なんだよなあ (大前提) ソクラテスはすごいんだよ (小前提) ソクラテスは哲学者なんだよ (結論) 哲学科の俺もすごいんだよ これだけのレスを呼び込んだというだけでも ソクラテスの凄さがわかる 数学科の教壇に立って語るべきものを持っている哲学者は 今の日本では皆無だろう。 たとえマッハレベルのが居たとしてもボルツマンいじめてそう。 別に三平方の定理だってそこらの小学生でも思いつくし >医者や弁護士ほどの頭の良さもないから、 何言ってんだ 医者や弁護士なんてまさに「インテリの底辺」そのものだろ(笑) 医者で知的エリートと言えるのはせいぜい東大京大阪大医科歯科慶応くらいのもの。 それ以外の医学部には高校で数学や物理にふんわり挫折してる奴が行く >現代の法学部や医学部に行くような有能組 驚いたなこんな低レベルな認識の奴が 恐れ知らずにも数学板に出張してくるとは お前は受験板の私文スレにでも居てろよ(笑) まあ実際は上位医学部もただ勉強くらいはできるってだけで 別に知的エリートじゃないけどな 俺の親も京医卒で京大医学部で教えてたこともあるのに 知的にはごく凡庸だった >>270 証明つきで思いつく天才小学生がいたら紹介して欲しいね。 エリート教育して大数学者に育て上げるから。 息子が数学者になることを許したのだから 決して凡庸ではない。 ソクラテス、孔子 世界史上の著名インテリ 世界で1年に1人くらい生まれる才能 ノーベル賞学者 歴史書の片隅に小さく載る無名インテリ 世界で年に100人くらい生まれる才能 東大模試一位 歴史に全く名前が残らない 世界で年に10000人くらい生まれる才能 >>276 >>278 この1ヶ月で1400万稼いだけど 数学者や医者でそんだけ稼げる奴が何%くらいいるんだ? 数学者が学部生を相手に講義させられたりするような不毛な時間拘束がなく 自分のスキル向上のために毎日やりたいことがやれて 週に1、2回別々の女とセックスできて(それ以上でもできるけど、体力が保たない) 何不自由なく生きてるけど 可哀想だからレスしてやらなかったのに そうやって温情で対応すると 案の定すぐ調子に乗るのが愚衆なんだよ 笑 >>279 で、その愚衆たちのためにしてやれることを 考える時間は作れていますか? >>280 ホームレスに家を与えるにはどうすればいいか 考える時間を取ってるの? あるいは 避難要請に対して罵声を返した挙げ句に川に流されたDQNたちを 救うにはどうすればよかったか考える時間は? 大衆ってのは川流れのDQNと同じなんだよね。 大衆本人はそう認識してないけど。 助けようにも、関係をもつこと自体がトラブルを招く だから客と店員の関係のように 表面的、事務的にしか関わらないのが正解 愚衆というくらいだから 自分の他の大部分を指しているのかと思った。 それなら高々1パーセントではないのか? 補足: 人生百年時代。50年のときに比べると 大衆は見違えるほど賢くなった。 哲学はどうとでも言えてしまうからなあ 自由度があるからとっつきやすいというのはあるだろうが >>279 ああ、やっぱり引き篭もりか。 自宅でデイトレードでもやってんのかな? デリ嬢相手ならとっかえ引っかえできるし。 そのまま幸せにお暮らしください。 しかし279のような奴を ドストエフスキーは実に上手に書いている。 ドストエフスキーは月収2000万円超えてたからな まさにベンツに乗って人権を語る系のオヤジだった 小林 ドストエフスキーというのは病身で複雑な都会人でして・・・ ゲーテの影響でメフィストフェレスの系譜に属するキャラを 好んで描いた。 279のような人物をどうやって破滅に追い込むかという想像を楽しんでいた。 岡 悪漢ですか。 小林 悪漢です。ドストエフスキーの魅力は、そういうところにあります。 まあでもドストエフスキーは一応数学科出身だし、お前ら文学部偏差値底辺科とは違うぞっと 文学よりも数学が偉いってのが思い込みにすぎないだろ そういうところが馬鹿にされるんだよな 1838年16歳の時に帝都のサンクトペテルブルク陸軍中央工兵学校に入学[* 3]。1839年、父が農民に恨みを買い、ドストエフスキー家が所有する2つの領地であるダラヴォーエとチェルマシニャーの境界あたりで惨殺された[4]。1840年に士官候補生となる。1841年、野戦工兵旗手となる。1842年8月、少尉に任官。1843年8月に工兵学校を卒業した。 数学科にはいつ頃在籍したの? 工兵学校のカリキュラムは、三角関数(着弾予測)、微分方程式(熱力学)、信頼性工学(統計学) 戦艦大和の艦長室の上で着弾予測の計算をした生き残りも 数学科出身だということになるね。 少なくとも文学部哲学科には着弾予測は無理だね 哲学屋にできるのは「どこに着弾するかは知らないが、知らないということを私は知っているので、君たちよりも偉い」と意味不明で役に立たない供述をするだけ 着弾予測だけで数学と言い張る気はないことだけは分かった。 数学には文学部哲学科で講ずべきゲーデル理論が含まれる。 哲学ができるなら数学もできるだろ どれだけ数学を偉いと思ってんだこの馬鹿はw バートランド・ラッセルは哲学から数学に移ったんだっけ? バートランド・ラッセル「哲哲学には馬鹿しかないないから、数学に移った」 >>301 もともと数学やってたんじゃね? 政治学も並行してやってたみたいだけど、哲学が後だと思うよ。 哲学者としてキャリアをはじめた研究者が数学で 業績を残した実例って、近現代であるの? 学部では歴史専攻で、卒後半年マクガバンの選挙キャンペーンの仕事を したあと、経済学で大学院に入ったけど1セメスタだけで辞めて、 プリンストンの応用数学に入りなおし、さらに物理に専攻を変えて PhDだってさ。 アカデミックなキャリアとしては物理学しかない。 まあ数学さえできれば、哲学なんて後付けでいくらでもできるからな 逆に文系偏差値底辺の哲学組は数学はできない 歴史と経済学と物理をやれば フィールズ賞へのスタートが切れるとは言えないか? 数学界では、フィールズ賞よりも阿倍仲麻呂賞の方が歴史も権威もあるのでは? 誰か「現代の阿倍仲麻呂たち」というような題で そんな非国民学者たちを取材して本にしたら 売れそう。講義やセミナーの様子だけでなく 橋下がされたように 「中国流民主主義」を吹き込まれる様子なども 詳しく書いてほしい。 ある日本人数学者は 北京大学に滞在中 中国科学技術大学の教授から夕食に誘われ そこで民主主義が中国に合わないことを懇々と説明された。 それに同意する様子を見せなかった数学者は その後空港で暴行を受けそうになった。 自由選挙の結果、「民主主義要らない」という党が過半数占めたわけでもないしな 単に共産軍が武力で支配してるだけだろ 「中国的民主」とはなんのジョークなんだろうね、しかし。 チャイナの国民は、「中国的人権」が守られるなか、「中国的自由」 を謳歌してるんだろうねw ところで、〜的 という表現や民主という用語は日本由来らしいね。 中国人留学生が持ち帰ったとか。 受験戦争に勝てれば良い生活が待っているということではないでしょうか(低GPA民より) ベンチャー企業は中国のほうが多い ビジネス環境は中国のほうが自由 共産党に逆らわなければ自由だよ それを「自由」とは言わないから。 国家主義的政体下での企業間競争に過ぎない。 学歴やGPAなんかどうでもいい もうとっくに実力主義だから なんでアメリカの巨大テックが 「人種差別を積極的に忌避する」かというと 国籍や人種で採用からふるい落とすと 先端ITで務まるような希有な才能を取りこぼすおそれがあるから 同様に、学歴や学業成績のような 「職務上の適性判定に役立つのかどうか曖昧でゆるい基準」で選別すると やはり稀少な才能を取りこぼす可能性があるからもう時代遅れ それほどまでに先端企業では必要な人材の基準が厳しくなってるということ 多くの人たちが惨めな思いをしないように 出る杭を打ち続けるという点では 日本も中国と大差ない。 医者や公務員や銀行員ごときなら 「あるていど賢そうな集団を 手短にざっくりと選別して採用する」という方式で 業務を回すことができる そのような方式には 偏差値で輪切りにした集団学歴選別が適用できる が、才能を要する職場は その方式では人材を確保することができない たとえば 先端ITのエンジニアとか 野球選手とか ジャンプの漫画家とか 所属していた組織ではなく個人の能力で採用されて 採用後も常時厳しく実績を審査され続ける仕事だ >>所属していた組織ではなく個人の能力で採用されて >>採用後も常時厳しく実績を審査され続ける仕事だ 日本の数学界は? >>326 全然違う。 共産党の利益にかなう企業は優先される。ベンチャーだろうが なんだろうが、それは同じ。逆らえば大企業でも潰す。 無意味な大義名分でも、現実と正反対なものは害でしかない。 それがチャイナの共産党が掲げるもの。 まるでオウムの信者を見るようだ。 こいつ、洗脳されてるっぽい。でなきゃ工作員か? > ID:NfbWWDww >>335 共産党に敵対する者たちに 悲惨な現実を与え続けることによってのみ 共産党は支配権を正当化できる。 >>337 昔からある恐怖政治にすぎんけどね。 そんなものをありがたがるバカがいるから呆れる。 潰せないものには同化するしかないというのは 「長いものには巻かれろ」という知恵か あたりまえだろう、数学も科学も哲学から派生したんだから。 それに、数学というのは抽象度の高すぎる問題しか扱えないのだよ。 バランスがわるい。 数式をみてみろ。 内輪のルールだけを暗記した人間にしか分からない暗号がたのしいのだ。 形式言語という点では、コンピュータオタクと数学者は似たようなものだ。 あたりまえだろう、数学も科学も哲学から発展したんだから。 発展しないまま地平線にいる哲学の偏差値が底辺なのは当たり前。 ソクラテスが現代に生きてれば、頭はそれなりにいいから、偏差値最底辺の文学部哲学科にはいかないだろう そもそも昔のソクラテスが有名だからと言って、現代の偏差値最底辺組が同じ栄誉を受けるべきことにはならない まさに虎の威を借る狐 お前ら偏差値最底辺組がソクラテス時代に生まれたたら、ソフィストとかになれるわけがない。せいぜい奴隷の現場作業員としてアテナ人にこき使われる牛馬だろ お前ら偏差値最底辺組は、現代でもソクラテス時代でも負け組であることに変わりはない 偏差値を基準にものを言う学生は 大学では蔑まれるよ。 >>344 数学や科学の抜け殻というか、残り滓が現代のいわゆる哲学なんじゃね? 偏差値の話をしてる人って 東大数学科の進振りの点数が例年低めであることを知ってるのかな 入り口のハードルの高低は そこで行われる学問の難度や価値には無関係 哲学自体はやる意義があるんだけどなぁ 岩波文庫の古典一冊読むだけでも考えや思想に深みが増すし。 ただ大学やアカデミアが哲学やる環境ではないわな 哲学は論文で評価するべきではないわ 文学みたいなもんでしょ。 小説や詩を読むことは生活や思索を豊かにしてくれるけど、 それ自体が学問の対象になるかということはなはだ疑問。 判断に概念が適用されたときに、対象は客体となる、とカントは書いている。 アルキメデスが現代に生まれていたら 多分数学者にはならなかっただろうな なんとなくだけど アルキメデスが現代に生まれていたら 多分哲学者にはならなかっただろうな なんとなくだけど偏差値が底辺だし アルキメデスも中村哲も 目先のことしか見えないバカに殺されたという点では同じ キルケゴール Kierkegaard,Soren 1813〜1855 デンマークの哲学者、宗教思想家。ニーチェと並ぶ実存思想の創始者。マルクスと同時代に生き、奇 しくも共にヘーゲル哲学の根底的な批判者である。マルクスが経済社会の実体の矛盾を分析してヘーゲ ルの観念論を「転倒」させたのに対し、キルケゴールは、思弁的なヘーゲル哲学の客観性を批判し、人 間の肉体と精神を対象化して掘り下げ、不安と絶望にとらわれる近代的人間の生を実存的に描いた。 >ルの観念論を「転倒」させたのに対し、 典型的な言葉遊びだな 数学ができないとこういう拗らせ系の痛い文学部哲学科君になってしまうわけだ キルケゴールって、なんか妖怪みたいな名前だよね。 キェルケガートだといくぶんましか。 >>360 Henning Haahr Andersenという代数群の専門家は Kierkegaardの曽孫だという 哲学の論文は薄いとよくないみたいだ。 ポイントは、その気になればその主題について ぶっ続けで1日中でもじゃべり続けられるかどうからしい。 近世の哲学で理系が読んで損しないのはスピノザとキルケゴールの何冊かの本ぐらいだと個人的には思う 中学高校数学はともかく(読み方次第でいかようにも使えるから) 大学以降の数学にゴミ本は基本的にないので、数ヲタはゴミ本に対する向き合い方を 知らないから言うけど、哲学は基本ゴミ本だらけだから この二人はユダヤ哲学の影響が強いらしいので、カントールの考えてたことを 本気で知りたいなら読んで損しないと思う カント―ルなら ボルツァーノとワイエルシュトラスではないの? ボルツァーノの弟子筋には ハーン、ティーツェ、ヴィルティンガーたちがいる。 カント―ルを集合論にはめたのは フーリエ級数の収束域の問題 フーリエ級数からどんな数学が広がったかを 振り返り、改めてその方向に新展開を試みているのが 現代の表現論 ポアンカレの「科学と仮説」の新訳が出たので 買って読んでいる。 長い解説は読みごたえがある。訳者は文系だが 物理学者の弟が専門用語をサポートしたようだ。 しかし基本的にポアンカレの思想を文科系の頭で論じているから つまらないこと夥しい。 文系のトップに評価されるより 受験理系の学部卒どまりが面白いと言ってくれる本を書きたい。 >>373 > 文系のトップに評価されるより > 受験理系の学部卒どまりが面白いと言ってくれる本を書きたい。 白い目で見つめてあげたい 結局まともな理系は 東大か、ギリでも京大までしかほぼ居ないので(それ未満の大学だと学年に数人レベルの例外的存在になる) そこらのなんちゃって理系よりは東大文系に面白いと言ってもらいたいが >>377 近い将来、アバターどうしのVRの会合はこうなる とりあえず、倫理や道徳は数学が出来る・出来ないよりは大切だとは思う。でもそれ以外はどうだろね。 あと、科学とか宗教と比べると、 哲学は正解がないけど、まあまあ良い結論を求める。 科学は今分かってる事を基にして結論付ける。 数学は、大抵の場合は矛盾しないやり方で何かの答えを算出する 宗教は、正解がなかったりその時点での科学水準では到底わからない事について、何かしらのストーリーを持ち出して、「だからOOはこうなってる」みたいに言う。それが人を救う事も苦しめる事もある。 みたいな感じか。 数学は面白いけど科学と哲学の絶妙に良くない部分を持ってる気もする。。。 何が格の差を決定づけるかに正解はないけど、安直にどれくらい社会の役立つか、を基準に考えると、 物理みたいに道具として使わないならよくある哲学のイメージと同じに役立たずになっちゃいそう。 で、哲学と違って何が「良い or 良い解釈か」か、みたいな結論ではないから、大義名分がないというか。。 ただ、参考になる事実を提供することもあるし、絶対とは言い切れないことが確定してる哲学よりは役立つ可能性はあるんじゃないか? 信頼できる結論を出すという点では数学者の方がありがたいかも? 一番大きな違いは、知能指数的には 数学者>哲学者 と言うことだろ。 学部の偏差値見てもそう言える 数学者は必要に応じて哲学できるが 哲学者は微分積分すらできない 能力差で区分できる 真理の本質は変容する。 時代精神に大きな影響を与えるこのような言葉を 数学者が発することはなかった。 そんなものは単なるキャッチコピーにすぎん。「新しい資本主義」 なんていう戯言をほざくのと同じで、社会には何の影響もないだろ。 科学(数学も含む)ほど時代を変えたものはない。 >>381 その真理の趣旨は限りなく倫理や道徳に近い気がする。 どっちかというと、かなり人類共通認識っぽくなってる[論理]については、 哲学者は当時分かってることをベースにしたり裏をかいたりして、相当大雑把な視点を与えただけで、 具体的に詳しく進めたのは論理学者、それを利用するのは数学者、更にそれを利用するのは物理学者、 みたいなものだと個人的には思う。 正直、ある程度の水準まで行けば新たに大きな枠組みのモノの見方を提示する必要性はそんなに感じないと思う。あったとしても、理論の修正を図ったりする過程で物理学者とか数学者が思いつく事はあると思う。 やっぱり「上手い物事のとらえ方」が出来てしまった以上、哲学が今後発達する望みは薄いな。 せいぜい、 科学を信用できず自分に悩み、自分にとって上手く折り合い付くように考えたい人で、既存の宗教やオカルトチックな話に否定的or疲れきった人 に対して、何かポジティブな感情を起こさせるような人生論・人生観、的な部分でしか役に立たなそう。 >>383 「真理を何とするかについては色々あるけど、正解のない倫理や道徳的な真理よりはみんなが同意しそうな"論理"を真理のようなものと便宜上みなして考えると」 という仮定を書き忘れてました 宗教の時代は終わった 哲学の時代も終わった 科学の時代が終わるのは 何時だろう 数学は宗教でも哲学でも科学でもない ただの遊戯だ 遊戯もいつか終わるだろうか? 数学的真理は本当の真理ではない もちろん本当の嘘でもないが 要するにただの約束事である 現実がその約束事に沿うとしても それはただの偶然である >>382 「単なる」ではない 特別に長い尾ひれがつけられる言葉だ。 ホウィトヘッドはそれらを 「プラトン哲学の注釈」と言った。 >>390 それは デデキントの切断による実数の定義が エウクレイデスの原論の比例論の焼き直しであり カントールの有理コーシー列による実数の定義が アルキメデスの挟みうち法の焼き直しであるのと 同様かな? 実数の概念は基本的には古代ギリシャ時代に分かっていたのであって 19世紀にそれを正確に公理化したに過ぎない、という考えは あながち間違っていないかもしれない それを公理化する必要というものがあった。 オイラーによる素数の無限性の解析的証明の発見と ルジャンドルによるオイラーの予想の同等分布の問題としての定式化、 そしてガウスの少年時代の予想を経て ディリクレにより完成されたルジャンドル予想の証明、 そしてディリクレの1837年の論文に触発されたリーマンの1859年の論文。 しかしガウスの予想の解決にはあと一歩足りなかった。 デデキントの「数とは何か、何であるべきか」は これらすべてをふまえて書かれている。 哲学なんて自己啓発本程度の価値しかないよ 微分積分すらできない偏差値底辺が言葉遊びしてるだけ デデキントを超えて数理論理学を開いたのは 哲学者のフレーゲやラッセルたちだった >>394 ゲーデルの理論にはどれくらいの価値があると思う? >>393 >公理化する必要というものがあった。 そこは否定しません >>396 >ゲーデルの理論 数理論理学的にはともかく哲学的な価値はないな 他の数学における価値もさほどないかも ゲーデルは数学者なので片手間に哲学もできる だがお前ら偏差値底辺の文学部哲学科にできるのは無意味な言葉遊びだけ >>395 フレーゲもラッセルも、もともと数学者だろ? 哲学者呼ばわりは失礼だよ。 ラッセルは数学者なので片手間に哲学もできる だがお前ら偏差値底辺の文学部哲学科にできるのは無意味な言葉遊びだけ >>400 そういう物言いが趣味ではないと言われていることに気づいてほしい >>401 ラッセルは死の直前に 「私はヘーゲルは嫌いだ」と言った 自分が哲学者だと思っていないと こうは言わないだろうね。 本人が晩年どう思ってたか知らないが、もともと数学者で あったことに変わりはない。 数学者から哲学者に落ちぶれることはできても、逆はなかなか。 >>403 数学とは無関係の実に些細なことでしたか つまらないですね >>407 数学を少しは知っているつもりみたいだから尋ねますが オイラーが4n+1型の素数の無限性を出すために 計算して収束性を確信した級数の和の 数論的な意味を知っていますか。 ご存知なら教えていただけるとありがたい。 >>406 哲学者を手玉に取る手腕を見ていたら、確かにそうかもしれない >>407 「初等整数論講義」に出ていたからもういい。 >>409 Weilはスパイ容疑で、Russelは哲学者として収監された。 Nevanlinnaが当局にねじ込んでくれたおかげで Weilは命拾いをした 数学者や哲学者よりも格上なのは、森羅万象を扱う安倍晋三である。 スレ終了! バンクシーの役には立ってるだろ。大金せしめてウハウハだよ。 ガウスは「先験的に」という言葉が気に入っていたようだ >>419 数学を少しは知っているつもりみたいだから尋ねますが オイラーが4n+1型の素数の無限性を出すために 計算して収束性を確信した級数の和の数論的な意味を答えられますか。 知っているのなら、答えてみたまえ。 その答えで君の数学の程度を推し量れるからね。 >>420 それは「初等整数論講義」の付録に書いてあった。 こんなところに落書きするようなやつは、みんなバンクシーである 俺の予測では第2波の倍以上かな。 根拠は、欧米でそんな感じだからw それリーマン予想ですよね なんか証明とかあるんですか サラリーマンのコロナ予想 コロナ問題は誰が出したんだっけ 角谷? 数学の論理が完全かどうかを考えるのは 一応数学ということになっているらしい 不完全性定理でも完全の定義してるからね たまにド文系が「不完全性定理は人の理性の不完全性を示した」とか息巻いてるけどそうじゃないんよなぁ ってなことを考えるのが数学 作者の気持ちは分からない 不完全性を全く完全ではないと捉えるか必ずしも完全ではないと捉えるかで、 大違い。 >>443 全部否定と部分否定では大違い。哲学というよりかは国語の問題。 >>442 不完全性定理の不完全は完全ではないことを指してるから、「全く」とか「必ずしも」とかいう形容詞は不要 >全く完全ではない 完全では全くないと言い換えたほうがいい。 >>446 どう言い換えたところで実際の不完全性とはかすりもしないのが虚しいね 無制限な背理法がパラドックスを引き起こすので、直観主義で背理法を制限した 格上の哲学としては ロシアのウクライナ侵攻決定に どういう態度をとるのがよいか 教えを垂れるべきではないか 患者が猛烈な勢いで助けはいらないと主張しても 治療を放棄しないよい心理学者と同じく 世界が明日破滅的な戦争を始めようとしても よい哲学者は世界を正気にさせる努力を怠ってはならない >>453 よい哲学者は意味のある暴論を唱え、 駄目な哲学者は無意味な正論を唱える。 有意義な狂気は無意味な正気に勝る。 実例をあげよう ソクラテスはよい哲学者だった ダメな例はいくらでもあるが 例えば「進歩的知識人」たちがそうだろう。 清水幾太郎はそれに気が付いて 自分の著作をすべて絶版にした。 しかしそれは最後の無意味な正気だったかもしれない。 越えてはいけない一線を越えさせない努力は 正気であろうが狂気であろうが 貴い努力である。 大戦中 哲学者は紅茶を飲みながら正義を語る と批判され哲学は終わった 復権があるのかどうかはわからない それは政治家が努力すべきことであって、哲学者の仕事ではない。 >>454 場の空気の断熱的な変化に騙されそうなタイプの茹でガエルに思える。 >>よい哲学者は意味のある暴論を唱え、 >>駄目な哲学者は無意味な正論を唱える。 >>有意義な狂気は無意味な正気に勝る。 エルンスト・マッハはこの文章を激賞するだろうか 素晴らしい箴言だというかもしれないし、言わないかもしれないが、 マッハが意味のある暴論を唱えたことは間違いない。 彼らは数学者がウクライナ侵攻に抗議するのを 笑うだろうか 自分が死ねば政治的混乱が収まることぐらいはわかっていただろうし。 >>469 数学者という肩書はいらんだろ。一市民として反対すればいい。 >>473 ICMに出席するのをやめようと言うからには 数学者の肩書がないと 呼びかけにリアリティーがなくなると思わない? >>472 それが毒杯を仰ぐ道を選んだ本当の理由だったのか? >>474 最初からそう言えよ。にしても肩書はあんまり関係ないけどな。 国際会議やらを欠席して抗議ってのは立派じゃん。どんどんやれ。 アサガオは毎日成長するから見ていても苦痛じゃないが 同じ人間と毎日話すということは意味があるのだろうか >>475 表向きは遵法精神からだろうけど、実際は政治的配慮もあったんじゃない? >>480 すべては「よく生きるとは何か?」に答えるため。 To be, or not to be. That is the question. 個人的には自然、人間、学問とはを知りたいだけかな 理数系も認識論やった方が良いと思う >>440 スピノザは規定は否定とした クレタ人、カント、ヘーゲル 対象をその否定で規定するから 対象は無矛盾 それをその否定で規定するから決定不能に 理解可能だがその否定で規定するからこそ 対象に規定は無いことをもって無矛盾と解る 決定不能と決定しているからこその<定理> ウイルスは生物非生物と分類困難 これは物理としては差異だが否定関係で規定するから 規定すること自体が分類困難の原因 地動説、進化論は地球、人間の相対化 人間、植物、金属、すべて差異を否定で規定 光速度一定の原理は静止はない、つまり自然の存在形態は運動 ディラックの海から真空はエネルギーの基底状態 自然は運動するエネルギーの濃淡が親和反発して新たな濃淡が生成していく過程です 粒子は波の渦→観測問題 最小単位はない 認識器官は物理条件 自然の濃淡はその物理条件の在り方に像を生成する 諸動物の認識器官の在り方で自然は差異として像を結ぶ 静止、生死、無は存在するが自然には存在しない また淡、つまり真空は像を結ばない 自然は一だが認識器官は多として像を結ぶ その抽象が次元 座標原点はない 四次元が存在したら静止した三次元が無限に存在して 自分自身も無限に存在することに 有を無で規定する 0に限り無く近いが0ではないという規定根拠 つまり決定不能 自然はそのまま理解出来ない だから量、時間で規定する 四次元は存在しない 存在しない次元で規定、つまり無で有を規定する ビッグバン仮説 対象が宇宙非宇宙と矛盾する エネルギー保存則、光速度一定の原理の否定 因みに証拠とされる観測は違う理解が可能だと指摘されている 火星に運河発見したアメリカの天文学者と同じ過ちの可能性があると指摘されている 学問は自己言及 自然科学は典型 認識器官に生成する自然像を相対化していくのが科学 そして論理の相対化と自己弁護 論理は対象の否定→決定不能 論理は自然に存在しない 自然は無矛盾であることにより決定不能に 人間自身が自然 自然を他者として規定、理解する 物理は運動変化して無くなることはない 意識は無くなる つまり物理として存在しない 物理状態に付随して現象する 寝起き、そして物理条件次第ではっきりしなくなったり混濁する 自然は無矛盾で理解可能 しかし規定は否定だから決定不能に 自然に存在しない座標原点で自然を理解するということが何を意味するのか現代科学は考えてみるべきかと 半世紀ほど前から古今東西現代科学は新しい観点が必要と主張する科学者たちがいる 問題意識が無いなら仕方ない >>24 フレーゲ、ウィトゲンシュタイン、クリプキの業績も知らない人が哲学を叩いてるんだろうなぁ ウィトゲンシュタインの論理は高校生、 クリプケは修士程度なことはわかる。 しかし、 フレーゲの命題論理の評価はわからん。 コーシーやワイエルシュトラスのεーδ論法を形式的に書いただけのような気がする。 数学者としては3流だけど、哲学方面に売り込むことに成功したということのだけのような。 そもそも、論理は哲学でない。 >>499 数学をやっていると述語論理しかやっていないから、命題論理と述語論理の区別が付かなくなる。 そんなわけで、書き間違えた。 >>24 フレーゲ、ウィトゲンシュタイン、クリプキの業績も知らない人が哲学を叩いてるんだろうなぁ ウィトゲンシュタインの論理は高校生、 クリプケは修士程度なことはわかる。 しかし、 フレーゲの述語論理の評価はわからん。 コーシーやワイエルシュトラスのεーδ論法を形式的に書いただけのような気がする。 数学者としては3流だけど、哲学方面に売り込むことに成功したということのだけのような。 そもそも、論理は哲学でない。 文学部卒は神学部卒以下の社会的評価で就活で位置づけられるのが分相応というものだ。 機体トラブルで酸欠状態に 僅か10分しかなく、必死で家族が待つ地球へ戻ろうとする様を描いています。 想像してみてください。//youtu.be/oWs3yvVADVg ソール・アーロン・クリプキ (Saul Aaron Kripke、 1940年11月13日 - 2022年9月15日[1])は、 アメリカの哲学者、論理学者。 ニューヨーク市立大学大学院センター教授、 プリンストン大学名誉教授。 ネブラスカ州オマハ生まれ。ユダヤ人。 数学って哲学とは何の関係もないのに 関係付けようとする奴が多すぎる 誤用されがちではあるけど関係ないは言いすぎでは 土台となる公理や論理は無数の選択があるけど基本的には数や幾何、古典論理といった「人間的な」あるいは「物理世界的な」基準で選ばれている にも関わらず、それが素朴な範囲を超えたところまで非常に上手く機能しているのは数学の不思議さの一つだし哲学的問題でもある 数学に落ちこぼれると哲学に逃げるんだよね まともな哲学も無理だけど 数学のようなものを究めるためにはある種の盲目さが必要だろうね 逆に哲学的問題意識から数学に手を出す人もなかなか現代数学の感覚を掴むまで学ぶのは難しそう ただ数学の最先端が哲学的に面白いものというわけではないと思う 哲学者が避けて通れない問題が ある時期の数学にはあった 存在と時間を論じた哲学者は 「時間遅れ系」を どのように論じるだろうか 『アト秒科学』の研究者は、非常に数が少なく、 日本全国でも数えられるほどしかいない。今後、 より多くの研究者が参加し、 『アト秒』という単位を扱う技術が いろいろな分野で応用されることを期待したい 京大の数学を出て光学分析の仕事をしている人を知っている 最近またこの手のことちらほら調べてるけど 現代では哲学者は数学なんか分かる必要ないという意見が多いのかね 逆は知らんが、というか、言うまでもないが 要するにこういうことだったんだというまとめが必要な時に 哲学的な思考が役に立つ いかにして哲学は100年前に滅亡したか 1.ラッセルのパラドックスの発見(1902年) 1902年、哲学者のバートランド・ラッセルが論理学における矛盾を発見しました。 このパラドックスは、通常の論理学では回避できないことが判明し、哲学に大きな衝撃を与えました。 2.ラッセルによる新しい論理学の構築(1903年~) 1903年以降、ラッセルはパラドックスの原因が論理学の仕組みにあると見抜きました。 自己と自己言及を明確に区別して混同しないルールを導入し、パラドックスが起こらない新しい論理学の仕組みを構築しました。 3.ウィトゲンシュタインによる論理学の研究(1911年~) 1911年頃から、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインはラッセルの弟子となり、新しい矛盾のない論理学で何が言えるのかを研究しました。 その結果、形而上学や哲学を論理的に扱うことは不可能であることが判明しました。 1921年に出版された「論理哲学論考」で、ウィトゲンシュタインは形而上学や哲学は論理学の誤用から生まれる全く意味のない妄想であると論理学を用いて証明しました。 現在までにこの証明に反証できた人間は歴史上1人もいません。 4.ゲーデルの不完全性定理(1931年) 1931年、クルト・ゲーデルもラッセルの論理学に影響を受け、「論理学によって仮定そのものの正しさをその仮定から証明できるか?」を考察しました。 ゲーデルは、それが不可能であることを証明しました(ゲーデルの第一不完全性定理)。 この定理は、当初ペアノ算術におけるω無矛盾性が証明不可能として確立されましたが、後にロッサーの証明ではペアノ算術における単純無矛盾性、シェファードソンの表現定理により任意のΣ1集合で構成される任意の論理式に対して無矛盾性の証明が不可能であることまで拡張されました。 5.哲学の限界と科学の重要性(1920年代~) 1920年代以降、哲学的な仮定の正しさを論理的に証明する方法は存在しないことが明らかになりました。 アイディアの正しさを決める方法は、現実との比較(実験)しかありません。 つまり、正しさを決める方法は科学しかあり得ないことがわかります。 これらの出来事により、20世紀初頭から哲学は大きな転換期を迎えました。1902年のラッセルのパラドックス発見以降、哲学者を名乗った時点で不勉強な無知または詐欺師であることは確定しており、賢い哲学者というのは論理的に存在不可能であるとされています。 ウィトゲンシュタインの主要な著作である1921年の「論理哲学論考」では、哲学は論理学の誤用から生まれた無意味な妄想であると論じ、「語り得ぬものには沈黙せねばならない」と結論付けています。 また、1953年に出版された「哲学探究」では、哲学は言葉の使い方の誤りから生じる妄想であるため、その誤りを防止するために言語の誤用を研究する必要があると主張しています。 1931年のゲーデルの不完全性定理は、ある仮定の正しさをその仮定から導くことは不可能であることを証明しました。 一方、哲学はある仮定の正しさをその仮定から導くことができるという妄想に基づいています。 いかなる前提から出発すべきかが不分明な状態においても 人間は考えようとする。 >>525 前提を調べないバカは自殺するべき 猿の知能 前提が与えられていなければ 前提について考えなければならない。 神が必要なら作らなければいけない。 必要とされたときもあることを考えると そういうときが来ないとは考えにくい ドイツの名宰相であったW.Blandは 石器時代が再来しないとは限らないと言っていた。 >>523 >いかにして哲学は100年前に滅亡したか もっと前に死んでる説あり >>523 数学板では1と4以外要らない 要するに ラッセルはフレーゲの無制限の内包公理を葬り去り ゲーデルはヒルベルトの無矛盾性証明計画を葬り去った どっちも別にアンチだったわけではなく むしろその方向に共鳴していたにも関わらず 不都合な事実に気づいてしまった >>534 それなんよな ラッセルはフレーゲの論理学をより強化しようとしたし ゲーデルらヒルベルトプログラムを完成させようとした シェファードソンの表現定理により、ゲーデルの第一不完全性定理は任意の論理式のΣ1集合にまで拡張されました。 具体的には、シェファードソンは以下のことを示しました: 1. ロビンソン算術Rと同じ定数を持ち、Rと矛盾しない任意の再帰的可算理論Sにおいて、すべての再帰的可算集合が表現可能である。 2. 任意のΣ1論理式φ(x)によって定義される集合{n|S ⊢ φ(n)}は再帰的可算である。 3. したがって、任意のΣ1論理式φ(x)によって定義される集合に対して、その無矛盾性(つまり∃x ¬φ(x)の無証明性)はSの中で証明不可能である。 これはゲーデルの第一不完全性定理の大幅な一般化です。ゲーデルの原定理ではペアノ算術PAにおけるある特定の算術的論理式の無証明性が示されましたが、シェファードソンの結果により、PAよりはるかに一般的な体系でも、任意のΣ1論理式で定義される集合の無矛盾性は証明不可能であることが分かります。 これにより、ゲーデルの不完全性定理が算術の枠を超えて、一般的な形式体系の本質的な限界を示すものであることが明らかになりました。シェファードソンの業績は、不完全性定理の意義を大きく広げたと言えるでしょう。 参考文献: Shepherdson, J. C. (1961). "Representability of recursively enumerable sets in formal theories". Archive for Mathematical Logic, 5(3-4):119-127. シェファードソンの表現定理は、ゲーデルの不完全性定理の適用範囲を算術の体系だけでなく、任意の再帰的可算集合(r.e.集合)まで拡張したものです。 シェファードソンの論文の内容を要約すると以下の通りです。 1. ロビンソンの体系Rを含む任意の無矛盾なr.e.理論において、すべてのr.e.集合が表現可能であることをエーレンフォイトとフェファーマンが示した。シェファードソンはこれを対角線論法を使って直接的に証明した。 2. 任意の無矛盾なr.e.理論において、互いに素なr.e.集合の対α,βに対し、αを表現しかつ~φがβを表現するような論理式φが存在することを示した。 3. コブハムの結果を使うと、Rと同じ定数を持ち、Rと両立するようなr.e.理論ではすべてのr.e.集合が表現可能であることが示せる。 つまり、シェファードソンはゲーデルの不完全性定理がペアノ算術のような特定の体系に限らず、広範なクラスの論理体系に適用可能であることを示したのです。 その後、不完全性定理はさらに強力な形に一般化されていきました。 菊池-倉橋(2017)は、算術のΣn-definable理論に対してゲーデルとロッサーの不完全性定理を一般化しました。任意の無矛盾なΣn+1-sound理論はΠn+1文で不完全であり、Πn+1-definableな理論の場合は任意のΠn+1文が無矛盾ならば証明不可能であることを示しました。 さらにヴィッサー(2020)は、ゲーデルの第二不完全性定理を導出可能性条件を満たすような一般的な述語論理の体系に拡張しました。PA自身の無矛盾性よりずっと弱い仮定から不完全性が導けることを示したのです。 このように現在でも不完全性定理の適用範囲はどんどん拡張されており、論理学の広い領域をカバーするようになっています。どこまでが限界なのかはまだわかっていませんが、ゲーデルの革新的な発想が驚くほど広範な論理体系に通用することが明らかになってきたと言えるでしょう。 実験なしに物事の真偽が判明することはあり得ない その真偽の1ビット情報を何もないところから取り出せるなら それは情報熱力学による情報とエネルギーの等価性に基けば 何もないところから無限のエネルギーを取り出せることを意味する つまり哲学はフリーエネルギーのオカルトと同じであるwwwww 真偽値1ビットの情報は現実世界と仮説を比較することで情報=エネルギーが現実世界から移動してきて初めて得られるのだmwwmmwm このことからゲーデルの不完全性定理は論理学の問題に限られないことがわかる 現実世界と比較しない全ての想像に対して成り立つと考えるのが自然 ゲーデル完全な体系というのは単に公理に含まれた情報を体系内で移動させるだけで真偽値がわかるというだけの話w ゲーデル不完全性定理&シェファードソンの表現定理による拡張 →密室殺人などできるはずがないという物理法則 哲学 →密室殺人を実行したと言い張る犯罪者 爆発律 →密室殺人でよくあるトリックでこれを手がかりに逮捕できる ラッセルのパラドックス →爆発律トリックによく使われる材料の1つ 異なる対象を同一の記号で表してしまう →爆発律トリックによく使われる材料の1つ 循環論法 →これは爆発律とは別のトリックでよくあるパターン これで犯人探しをするから ・犯行が行われてることが確定する ・犯人がどんなトリックを使うかわかる のですぐに逮捕できるというロジック >>1 数学と哲学はどちらも人類の知性の営みとして重要な学問であり、どちらが優れていると断言することはできません。 しかし、数学は論理的な思考と厳密な証明を重視する学問である一方、哲学はより幅広い視点から人間の存在や価値観などを探求する学問であると言えるでしょう。 従って、数学者は論理的な思考力に優れている一方で、哲学者は柔軟な思考力や洞察力に優れているという傾向があると言えます。 どちらの学問が優れているかは、個人の価値観や興味によって異なるでしょう。 数学的な論理的な思考力と、哲学的な柔軟な思考力、どちらもバランスよく持ち合わせてこそ、真の知識人と言えるのではないでしょうか。 日本文化に初めて触れたが欧米人たちが 日本人のことを 「洞察力に富む人たち」と褒めた裏には 論理性と対話に乏しい文化への批判が 隠れている。 という主張の理由を付して もっと論理性を高める努力が必要と思われる 文庫 フランスの高校生が学んでいる10人の哲学者 (草思社文庫 ペ 4-1) Paperback Bunko – February 5, 2024 by シャルル・ペパン (著), 永田 千奈 (翻訳) 大学では生物は化学、化学は物理、物理は数学、数学は哲学、哲学は語学で 語学ができる人が最強 西洋古代・中世哲学史とか科学史では研究テーマによってはアラビア語も必須ですな アリストテレスの受容史とか研究するならアラビア語やシリア語の文献も読めないといけないでしょう 参考 早稲田大学 文化構想学部HOME > ニュース > 「アラビア哲学:宗教と科学と哲学の対話」文化構想学部 小村優太専任講師 https://www.waseda.jp/flas/cms/news/2018/07/31/5639/ 私が専門とするアラビア哲学は、宗教と哲学の緊張関係があり、哲学の側が理性的言語で宗教を解釈していこうとしていました。実際にラテン・スコラ哲学を担ったのが多くは修道士だったのに比べて、この時期のアラビア哲学を担ったのは医者、科学者、政治家などでした。(新プラトン主義要素の入った)アリストテレス的科学主義をベースとし、宗教そのものは否定しないけれど、それを理性的言語で読み解いていくという態度は、意外と現代の日本人にも馴染みやすいものではないかと思います。 卒業証書なんかどうでもよいというのが 一般的な雰囲気 >>554 いかにして哲学は100年前に滅亡したか 1.ラッセルのパラドックスの発見(1902年) 1902年、哲学者のバートランド・ラッセルが論理学における矛盾を発見しました。 このパラドックスは、通常の論理学では回避できないことが判明し、哲学に大きな衝撃を与えました。 2.ラッセルによる新しい論理学の構築(1903年~) 1903年以降、ラッセルはパラドックスの原因が論理学の仕組みにあると見抜きました。 自己と自己言及を明確に区別して混同しないルールを導入し、パラドックスが起こらない新しい論理学の仕組みを構築しました。 3.ウィトゲンシュタインによる論理学の研究(1911年~) 1911年頃から、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインはラッセルの弟子となり、新しい矛盾のない論理学で何が言えるのかを研究しました。 その結果、形而上学や哲学を論理的に扱うことは不可能であることが判明しました。 1921年に出版された「論理哲学論考」で、ウィトゲンシュタインは形而上学や哲学は論理学の誤用から生まれる全く意味のない妄想であると論理学を用いて証明しました。 現在までにこの証明に反証できた人間は歴史上1人もいません。 4.ゲーデルの不完全性定理(1931年) 1931年、クルト・ゲーデルもラッセルの論理学に影響を受け、「論理学によって仮定そのものの正しさをその仮定から証明できるか?」を考察しました。 ゲーデルは、それが不可能であることを証明しました(ゲーデルの第一不完全性定理)。 この定理は、当初ペアノ算術におけるω無矛盾性が証明不可能として確立されましたが、後にロッサーの証明ではペアノ算術における単純無矛盾性、シェファードソンの表現定理により任意のΣ1集合で構成される任意の論理式に対して無矛盾性の証明が不可能であることまで拡張されました。 5.哲学の限界と科学の重要性(1920年代~) 1920年代以降、哲学的な仮定の正しさを論理的に証明する方法は存在しないことが明らかになりました。 アイディアの正しさを決める方法は、現実との比較(実験)しかありません。 つまり、正しさを決める方法は科学しかあり得ないことがわかります。 >>557 論理的でないならそれはポエムでしかない 学問ではなく学問をやれない無能が縋り付く藁でしかない >>559 論理学を満たさない論理的なものというのは存在不可能だぞ >>559 どうやら論理学という言葉に学という文字がついてるから 論理の学問というものがあって 学問ではない論理というものがあると思い込んでるレベルかwwwww これが漢字の悪いところ 論理学という文字には意味はないぞ 学問という意味はないし論理学ではない論理はあり得ない >>561 論理学という文字には意味はないぞ 学問という意味はないし論理学ではない論理はあり得ない 論理学ではないし論理的でもない >>562 論理学を満たさない論理は存在不可能 バカすぎる >>563 >論理学を満たさない 通常は使わない言い回しだが どこかの方言? 例えば「数学を満たさない」とか 使ったことはありますか? >>564 普通に使う 中卒無職脳障害が知らないだけ >>566 つまり論理学を満たさないことに反論不可能と >>566 中卒無職脳障害ウケる In Proposition 4.7 are mentioned some properties that satisfy logics obtained from L3B by adding to it https://link.springer.com/content/pdf/10.1007/s11787-017-0182-3.pdf https://www.iwanami.co.jp/book/b584809.html 岩波書店 「論理的思考」の社会的構築 フランスの思考表現スタイルと言葉の教育 日や米とも異なる、仏独自の「論理的思考」と、それが社会的に構築される背景を読み解く。 著者 渡邉 雅子 著 ジャンル 書籍 > 単行本 > 社会 刊行日 2021/07/16 ISBN 9784000026062 Cコード 3036 体裁 A5 ・ 上製 ・ カバー ・ 274頁 この本の内容 国内外で活躍するための必須スキルとされる「論理的思考」。だが実は、「何を論理的・説得的と感じるか」は普遍的なものでなく、ある国(文化)で論理的とされるものが、ほかでは非論理的だと受け取られることも。本書では、日や米とも異なるフランスの「論理的思考」と、それが社会的に構築される様相と背景を読み解く。 20世紀哲学史において、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインとマルティン・ハイデガーは、その圧倒的な存在感を放つ巨星と言えるでしょう。彼らの思想は、現代哲学の土台を築き、その後の研究に多大な影響を与え続けています。 しかし、検索エンジンで「20世紀最大の哲学者」と調べると、意外にもシモーヌ・ヴェイユの名前がヒット上位に表示されることがあります。確かに、ヴェイユは独自の存在論や倫理学を展開し、多くの思想家に影響を与えた重要な哲学者です。しかし、ウィトゲンシュタインやハイデガーと比較すると、その知名度や影響力は限定的と言わざるを得ません。 数学の世界に目を向けると、20世紀最大の数学者としてアンドレ・ヴェイユの名が挙げられます。彼は、代数幾何学や数論などの分野で卓越した業績を残し、現代数学の発展に大きく貢献しました。 しかし、検索エンジンで「ヴェイユ」と検索すると、シモーヌ・ヴェイユの方が上位に表示されることが多いという現象があります。これは、シモーヌ・ヴェイユの思想が、哲学や神学の分野だけでなく、文学や芸術にも大きな影響を与えたためと考えられます。 論理も数学も歴史的に形成されたものであって別様でもあり得るのだ >>575 そのことの意味を考えるのが哲学なのだが知能が低い人には無理 というか、むしろ決め事と割り切って周囲の人達に合わせられない頭が悪い人が哲学向きかもしれない 論理や数学は歴史的に作られた便宜上の決め事なので時代や社会で変わることがあり得るのです グローバルに活躍しようと思うなら閉鎖的なムラ社会の身内の論理だけでは通用しないし、 かといって英語圏の論理だけが唯一の論理という訳でもないのです 「哲学は科学か」 哲学は科学なのだろうか。これについて は哲学者のあいだでも意見が分かれるので はないか。私自身は、哲学には科学のよう な面もあるけれども、科学にはけっして還 元できない面もあると考えている。 哲学のセオリーには論理の内的な一貫性 が必要であり、そのような一貫性があるか どうかは、長い年月をかけて検証され続け る。これは哲学のもつ科学のような面だと 言えるだろう。 ところが、もう一方において、哲学の問 いのほとんどは、観察や実験によって正し い答えを出すことができないという性質を もっている。 ( 中 略 ) 観察や実験という切り札を持たな いがゆえに、哲学は対話や説得の方法を研 ぎ澄ますことによって、独自の知的領域と して今日まで残ることができたのである。 M.Morioka (哲学者) 日経 2024/06/20 夕刊 あすへの話題 森岡正博 ページ ノート 閲覧 編集 履歴表示 ツール 表示 非表示 テキスト 小 標準 大 幅 標準 広め 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 曖昧さ回避 政治家の「森岡正宏」とは別人です。 森岡 正博(もりおか まさひろ、1958年9月25日 - )は、日本の哲学者[1]。早稲田大学人間科学部教授。生と死を総合的に探求する生命学を提唱。2006年より「生命の哲学」という新しい哲学ジャンルを提唱している[2]。代表的な著作は『無痛文明論』『感じない男』など。 人物 1958年高知県高知市に生まれる。1977年に東京大学入学。当初は物理学と数学を学んだが、後に哲学・倫理学に転じた[3]。大学院ではヴィトゲンシュタイン後期哲学とともに、当時登場してきた生命倫理学と環境倫理学を専攻した[4]。 read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる