大学学部レベル質問スレ 14単位目
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>>526
そのとおりですね
ありがとうございます >>530
だから1変数の場合に帰着してるんじゃん 奇数次元の実射影空間P^2n-1に対して
それを境界に持つようなコンパクト多様体を見つけろという問題が分かりません
よろしくお願いします >>536
すいません可微分多様体という条件が抜けていました 調べたら実射影空間は偶数次元の時が向き付け不可能なんですね
偶数次元では確かに上のような境界にはなりえないらしいです おお、奇数次元なら向き付け可能なんだ
知らなかったww >>519
> >>516
> >>517
>
> レスありがとうございます
> 要するに、何か不味いことが起こるというより、1つの連結成分だけとってきて議論した方が話が単純ということですかね
中間値の定理で、いちいち連結成分毎にとか面倒でしょ。 dx/dt = αx + βy
dy/dt = γx + δy
みたいな連立微分方程式の代入法の解法は
両辺をtで微分して式を変形して代入して解いていきますが、
普通の連立方程式、例えば
y = 2x + 3
y = x + 4
両辺xやyで偏微分とかすると正しい答えにたどり着けません。
なんで連立微分方程式は両辺微分したものがイコールになるの?
俺の質問が分かって答えが分かる人、教えてちょ。 微分方程式は両辺の関数が等しいことを表す等式だから、同じ関数に同じ微分という操作をしても等式は成り立つ
代数方程式は両辺の実数が等しいことを表す等式だから微分するとぶっ壊れる おおお
なるほど、方程式と恒等式は似ているけど違うのと同じで、
代数方程式と微分方程式は似ているけど違うって感じか。
ありがとう。
俺の頭の中でドラクエのレベルアップの音が響きそうです。 ・・・
恒等式だったら両辺微分しても成り立ちますよね?
恒等式では変数に何入れても両辺が一致する→両辺の関数が一致する
となると、世の中で言われている「微分方程式」というのは、
「微分恒等式」というのが正確な気がしてきましたが、
なんで、微分方程式っていうのでしょうか?
知ってる人、もしくは私の気のせいとやらがおかしいのを示せる人、教えてちょ。 関数の意味で等式として成立しているものを考えてる、
単に数の意味で等式が成立しているものを考えている、
どちらも方程式であり、恒等式も方程式の仲間といえる
ただ、方程式を考えるときは、
動機として方程式を満たすもの求めたい
あるいは方程式を満たすものとして数を定めたい
そういうものがあげられる
それに対して、恒等式は、考えている構造の中で(本来はそれも記述すべき)
成立が明白な方程式を扱っているといえる
XY = YX というのは行列では一般に成立しないが
高校数学でいう多項式の範囲では恒等式になっている
このように考えている構造を明白にしたほうがわかりやすい >>546
恒等式だったら何を入れても成り立つから解く意味がない
特定のものでしか成り立たないから解く必要があるのが方程式 代数方程式は「よくわからないけど何らかの実(または複素)数のうち等式を満たすもの」を考えていて、微分方程式は「よくわからないけど何らかの関数のうち等式を満たすもの」を考えている
微分方程式は関数空間上での等式であり、恒等ではない方程式
もちろんその微分方程式の解となる関数を固定した上で、任意の値で成り立つ等式と見れば恒等式だけど、普通はそんな見方をしない
(代数方程式を「解空間上での恒等式」とは普通見ないのと同様) ぬおおお!
明日は数検一級の試験を受けるのに説明を受けても完全には理解できん。
俺のこの程度の理解力では、明日の数検1級の合格はやばいかもしれんで、これは!
要するに解く必要がある式に対して方程式という言葉を使うとaboutに理解しました。 方程式:変数を含む等式のこと。変数に値(この値は実数だったりベクトルだったり関数だったりする)を代入するごとに等式の真偽が定まる。例えばy=xという方程式にベクトル(1,1)を代入すれば真、ベクトル(1,0)を代入すれば偽。df/dx=fという方程式に関数f(x)=e^xを代入すれば真、関数f(x)=xを代入すれば偽。
恒等式:(ある集合上の)どんな値を代入しても真となる方程式のこと。例えばx+x=2xはどんな実数でも真で、d(2f)/dx=2df/dxはどんな関数でも真だからこれらは恒等式。
方程式を解く:方程式が与えられて、代入したら真となる値の全体を求める問題のこと。 >>552
せめて解の存在、一意性とかそっちなら数学的意味合い感じるけどさ。
根と解の違いとか
作用素と演算子、iとjとか。 定義と代入の違いをMathematicaだと:=と=で分けてた。 >>558
「ガロアの淫夢」で男根を取っ替え引っ替えしても気付かない淑女達って章があったじゃろ?。 KingOfUniverseの根はヤマタノオロチンポッポである 数学の証明問題で自分の答えと本の答えがどう違うのかわかりません。
数学の証明問題を解いた時にこれが答えと自分の証明で異なる方法で証明した場合に、それが正しいのかわからず、結局自信がないので教科書の書き式を全て真似(つまり暗記)して理解しようとしてしまいます。
自分で問題を解く時、どこまでを定義として示す必要があるのか、そういうことが全くわかりません。
まるで暗闇の中で何かを手探りで探し回っているような感覚です。
今は雪江代数の群論入門を実質独学していますが、問題を見て自分で解いてみるというやり方はしておらず、答えを見てその答えを暗記しているだけのように思います。
皆さんは同じような悩みはないのでしょうか?
なぜここまでは証明する必要がある、ここまでは証明しなくてもよいなどの判断はどうやってできるようになったんでしょうか?
よろしくお願いします。 そういった不安がなくなるところまで定義もしくは使った定理の仮定を満たすかの確認をすべき >>562
俺が20才ぐらいの時にガチ数学に興味を持ち始めて取り組んだ時に持った感情と同じことを感じてるな
俺の経験で言うと、徹底的に疑って自明なレベルまで納得の出来る数式表現なり、証明の進め方なりを求めていった。
例えば、「●●である、ゆえに■■である」って議論があったら、本当にそうなのか、この”ゆえに”の部分には一体どういう議論が省略されているのか
って事を疑いまくった。
で、それを繰り返している内にちょっとずつ力がついていって、この”ゆえに”の行間を埋めれるようになって、納得が出来るレベルにまでいけた。
例えば、「Aが成り立っている、同時にAならばBでもある。ゆえに、Bである」
↑こんな議論をみたら自明すぎて”ゆえに”の行間なんてありえないだろ?
こういう風にして”ゆえに”とか”従って”とか”だから”の言葉の裏にある省略された議論を引き出し、上記のようなA,Bに当たる命題まで遡っていったりしてた。
こういうやり方はかなり時間が掛かるけど、若い内の体力ある内にこういうタイプの「筋トレ」はしておいた方が良い。
ある程度慣れてくると、知ってる議論ならこの”ゆえに”が拒否反応を示さず納得できるようになってくる。
”ゆえに”に焦点を当てて語ってみたが、”=”についても同じで、この”=”を導く際に、他のどの数式を援用したのかとかも同じように考えまくってたな、俺は。
で、自分が考えた証明と模範解答の違いだけど、向き合う根本精神は全く同じで、自分が作った証明における”ゆえに”や”だから”や”なので”
について徹底的に「本当にそうなのか?」「ツッコまれたら答えれるのか?」とか自問自答しまくるといい。
俺は、そういう風な態度で臨んだ結果、論理や式変形にまで疑問を持ち始めて数学基礎論に興味を持った。
もうここでは、数学の証明は記号変形として定義されていて俺の脳にメッチャしっくりときた。 あと、証明の理解については別の答え方をする人も居ると思う。過去にどこかで↓下みたいな答え方をする人が居た。
つまり、証明を何度も何度も手書きしてお経を唱えるように自分の心の中で唱える。
すると、ちょっとずつちょっとずつじわーっと自分の中に議論が染みてきて、"確かにそう言われれば正しいような気がする"という感覚になってくる。
言わば、幼児が親から言語を無定義のまんま与えられ、そのロジックをそのままで獲得するような過程。
やり方は大体上記のパターンに落ち着くのでは?(比重の置き方は千差万別だろうが)
で、どこまで証明すべきか?についてだが、結局は慣れだけど、一つに今までの議論で土俵としてきた内容は証明しなくてよいということは言える。
例えば何かの集合が群をなすことを証明する場合、上記のような納得という意味では、そもそもその集合が本当に集合と言ってよいのかぐらいまで疑う気概が必要とも言えなくは無いが、
証明としては大体の場合は議論の流れ的に集合であることは明らかだから一々集合であることの証明は必要なかったり、とか。
別の視点で言うなら、ちゃんとした正しい証明になるなら、いくらでも詳しく行間を埋めて書いてもいいと思う。
長くなったけど、俺が過去に体験した心境と同じだったから、つれづれと長文書いてしまったが、頑張ってくれ >幼児が親から言語を無定義のまんま与えられ、そのロジックをそのままで獲得するような過程。
この言葉だが、正しいことを、そうとは知らされず(?)、与えられたままそのまま獲得していっていくという感じという意味では、
天才は大体こっち系の人が多いような気がする。学問に限らず、スポーツ、芸能、等についても。
教育者や周りが優秀な環境だと、こっち系で育つことが出来るんだろうけど。。。
凡人は疑いまくってやっと正しい知見を獲得できる、みたいな。。。 そもそも教科書に書いてある事を理解できたなら暗記の必要はないから言ってることが矛盾してる
自分を誤魔化してるんじゃないか?
暗記して理解だと自分を誤魔化したら自信など付かないぞ ID:pbxxzVND
数学の本スレでのレスを見る限り、この人の言うことを参考にしてはいけないように思う。 多様体のホモロジーで閉多様体のときは最高次の整数係数ホモロジーは向き付け可能ならZで不可能なら0ですが
コンパクトでない時にはどうなるのでしょう?
直感的には0になりそうな気はしますが証明がわかりません
よろしくお願いします 少なくとも境界付き多様体の内点とみなせるような場合なら境界付き多様体のポアンカレ双対
H^i(M,∂M) = H_(n-i) (M)
をを使えば
H_n(M) = H^0(M,∂M)=0
になるな >>537
Cone(S^n)=D^{n+1}
>>541
知らなかったのか >>562
>皆さんは同じような悩みはないのでしょうか?
有るわけ無いだろ >>571
RP(k)のconeは原点で多様体の構造はいらんのと違う? >>574
いや>>534はRP^kが常にk+1次の境界付き多様体の境界になる事を示せであって境界になってるやつひとつ見つけろじゃないでしょ? 改めて見ると>>535ってそんなスッキリした答えあるのかな?
いわゆるコボルディズムの問題で奇数nに対してRP^nはゼロコボルダントってのは言えるのかもしれないけど、なんかピタッと「RP^nは×××の境界」って言える×××があるのかな?
すごい怪しい希ガス >>563
そうですよね
わかってはいるんですが…
>>564
なるほど、確かに自分がハァ?となってしまうところは証明や定義のゆえに〜等の場所で起こっていたかもしれません。
何度も何度も定義を使っていくことでここではこの定義が必要であるという感覚は養えるともわかっていても心が折れそうでした。
どちらにせよ、数学科以外の人間が独学をするのはモチベーション的にもなかなか厳しい道ですね…
アウトプットとそれの訂正をしてくれる人がいないので
代数学の講義もオンラインで教授に聞きに行けないのが辛いです。
>>567
一応本にある問題はここでこういう定義を使えば証明できるという流れは暗記しているので同じ問題であれば解けると思うんですが違う問題が出たらおそらくわからないです…
>>572
どうやったらそのレベルまで達することができたんでしょうか?
本当にすごいことだと思っています >>578
入る?
少なくともPL manifoldではない
MがPL manifild ⇔ 任意の点のスター近傍がD^n
だけどRP^kのスター近傍Nはどこまで行ってもRP^kのconeで∂N=RP^kにしかならないから∂D^n=S^(n-1)であるD^nにはなり得ない
PLで無理なら可微分ならもっと無理やろ
逆はあるかも知れんけど >>577
《1.数学は暗記ではなく理解なのか》
数学は暗記すべきなのか,それとも理解すべきなのか,これはよくある問いである.一般に数学はただ暗記するだけではだめで,そのわけを理解しなければならないとされ,「理解」が「暗記」の対極であるかのように考えられているが,数学はそんなに単純ではない.
円周率π(パイ)は無理数であるというのはよく知られた事実だが,その証明を知っている人は少ない.π(パイ)は無理数であることの初等的な証明はI.Nivenによるものが有名であり,以下のサイトにその証明がある.
http://mathematics-pdf.com/pdf/pi_irrational.pdf
私も中学生のときからπは無理数であることはよく「理解」していたが,大学に入学するまでその証明は知らなかった.証明を知らなかったのだから「理解」していたのではなく「暗記」していたに過ぎないと言われるかも知れない.しかし不思議なことに,I.Nivenによる証明を初めて読んだときに,それによってπが無理数であるという事実が深まった,とは感じなかった.それよりはむしろπは無理数である,という明白な事実を確認したに過ぎない,と感じた.
I.Nivenによる証明は確かに「理解」はすぐにできた.しかし,だからといって「わかった」ような気がしなかった.なぜなら証明をはじめて読んだときに,巧妙な手品を見たような感じがしたからである.では,証明を暗記すれば「わかった」ような気がするかといえばそうでもない. 《2.数学がわかるようになるには》
数学の本を開いて見てみると,いくつかの定義と公理があって,定理とその証明が書いてある.定理を理解するにはまず証明を読んでその論証を辿って見る.ここで,定理の証明の論証を辿ってくのは定理の証明が正しいことを確かめるというよりは,むしろ定理が述べる数学的現象のメカニズムを見るためである.
これで証明がわかればよいが,わからないときは繰り返しノートに書き写してみるとたいていの場合わかるようになる.例えば,微積分の授業で登場するε-δ論法は毎年多くの大学生を苦しめているが,これも繰り返しノートに書き写してみるとだんだんとわかるようになる.それでもわからない,という人は書き写す回数が足りていない.どんなに難しい証明も,何百回もノートに書き写せば必ずわかるようになる.
このようにして一旦わかった定理の理解を深めるためには別証を考えてみるのが有効である.なぜなら別証は定理が述べる数学的現象のメカニズムの別の見方を示すからである.
さらに,定理の理解を深めるには,定理をいろいろな問題に応用して見ることが有効である.定理を自由自在に応用できるようになればその定理は完全に「わかった」訳で,確かにいろいろ定理を応用しているうちに証明を忘れてしまうことはあるが,証明を忘れても定理がわかっていることには変わらない.証明を忘れたために定理がわからなくなるということはなく,むしろ繰り返し応用していくうちに定理そのものはますますよくわかってくる.
定理の証明を知っていたけれども忘れてしまったということと,証明は全く知らないということは非常に違うように思える.しかし,自分が証明の論証を辿ったことを知っているということと,誰かが証明の論証を辿ったことを知っているということは大差ないとも考えられる.このように考えれば,証明は知らないがよく「わかっている」定理は,証明は忘れたけれどもよくわかっている定理と大差ないことになる.ゆえに確信を持って定理を応用することができる.
最後にまとめておくと,わからない証明は繰り返しノートに写してみる,別証を考えてみる,定理をいろいろな問題に応用してみる,たったこれだけで数学はわかるようになるのである 元のサイトのURL貼れなかったので書き写しました
特に小平邦彦先生による数学の学び方が大変参考になった.ググればすぐわかるように,小平邦彦先生は日本人初のフィールズ賞受賞者である(注;フィールズ賞とは数学界のノーベル賞といわれるものである).
フィールズ賞受賞者も数学は暗記だ、と言っているようですね 信じたいなら信じとけばいいからウザイこと書くな
他人には他人の方法がある 535ですがいろいろコメントありがとうございます
調べたてら田村一郎の微分位相幾何の本の演習問題で
閉なn次元可微分多様体M上に不動点を持たない対合σがあれば
M×I上に同値関係(x,1)〜(σx,1)を入れるとn+1次元可微分多様体になり
(この部分がまだよく理解できていませんが)
それを使うとRP^2m+1をC^m+1の単位球面S^2m+1の商と見たとき
S^2m+1上での√-1倍写像がRP^2m+1上の不動点を持たない対合を定めることから言える
という記述を見つけました
>>583のリンク先の最初の例もこれと同じもののようなので参考にして読んでみます
感謝です つまりは不動点なしのinvolutionを持てばゼロコボルダントになるんだな >>580
本当に手間かけていただきありがとうございます。
勇気が出ました
人の2倍時間をかけてでもやっていこうと思います。
定義の往復による理解と別証による応用までしっかりやっていきます! >>580
>不思議なことに,…証明を初めて読んだときに,
>それによって…事実が深まった,とは感じなかった.
>それよりはむしろ…事実を確認したに過ぎない,と感じた.
>…証明は確かに「理解」はすぐにできた.
>しかし,だからといって「わかった」ような気がしなかった.
>なぜなら証明をはじめて読んだときに,
>巧妙な手品を見たような感じがしたからである.
大数学者K.K(小平邦彦)のこの発言はごもっともである
証明は「なぜ…か」に対する回答ではない
所詮「…でないと矛盾することの証」でしかない
巧妙な手品が実は本質的である、と感じたとき
納得できるのだろう >>581
>定理を理解するにはまず証明を読んでその論証を辿って見る.
>ここで,定理の証明の論証を辿ってくのは
>定理の証明が正しいことを確かめるというよりは,
>むしろ定理が述べる数学的現象のメカニズムを見るためである.
>定理の理解を深めるためには別証を考えてみるのが有効である.
>なぜなら別証は定理が述べる数学的現象のメカニズムの
>別の見方を示すからである.
これこそガウスが重要な定理の証明を
何度も異なる方法で実施した理由だろうな
登山家が同じ山を何度も異なるルートで登頂するのと同じ >>591
>定理の理解を深めるには,定理をいろいろな問題に応用して見ることが有効である.
>定理を自由自在に応用できるようになればその定理は完全に「わかった」訳で,
>確かにいろいろ定理を応用しているうちに証明を忘れてしまうことはあるが,
>証明を忘れても定理がわかっていることには変わらない.
>証明を忘れたために定理がわからなくなるということはなく,
>むしろ繰り返し応用していくうちに定理そのものはますますよくわかってくる.
ぶっちゃけていえば、定理の理解は証明の理解とは別である
応用できればわかった気になる
小学生が足し算やかけ算の可換性の証明を知らなくても
可換性を「理解」するのと同じである >>585
>RP^2m+1をC^m+1の単位球面S^2m+1の商と見たとき
>S^2m+1上での√-1倍写像がRP^2m+1上の不動点を持たない対合を定める
RP^2mの場合、R^(2m+1)の単位球面S^2mの商だが
R^(2m+1)上では、上記の「√-1倍写像」のようなものが存在しない
ぶっちゃけていうと、S^nのオイラー類に関係する
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%BC%E9%A1%9E ところで、
1.CP^(2n)は向き付け可能だが、これを境界とする多様体は存在しない
2.しかしCP^(2n+1)を境界とする多様体は存在する
2.を示せ >>587
ブラックホールを別の宇宙に移動するポータルサイトにした場合、三次元じゃない別宇宙にうまく繋げる方法ってあるのかな?。 >>590
同じ定理の別証明同士もたまにトンネル効果で遷移する経路、登頂"コスト"の停留点的な古典経路、と見做せそう。 ガウスが平方剰余の相互法則に多くの別証明を与えたのは一般化への道を探るため pが真
qが真
の時にp→qが真になるというのがよくわからないです。
p,qそれぞれが真である事とp→qが真である事は別の問題だと思うのですが →の定義だと思うのが良いと思います
「ならば」の意味がこもった定義の「→」も色々研究されています ”ならば”に対してのそういう疑問って至る所で耳にする。
”ならば”と言う概念を二値論理の中に埋め込むことについて、最も不合理で無い(=最も妥協的な)真理値が現在の”ならば”の真理値表。
なんなら、他の真理値表と比較すればいい。 >>599
そういう真理値について疑問が沸いたなら、ファジー論理、多値論理もググるといい
砂山がある。
砂山から1粒取り除いても砂山だ。
これが真なら、同じ議論を繰り返すことによって、何もなくても砂山になるけど、そういう所の議論を探るのがファジー論理とか 記号を使った抽象的な論理式で考えてるから分からなくなってる可能性がある
6は3の倍数だ→6は偶数だ
という命題が真なのは納得行く? >>599
直観主義論理というのがあって、そっちの考えの方があなたにはあってるかもしれないですね
AならばB
これは普通に考えたら、Aが真ならば必ずBも真になるということを意味しています
こう考えた時、AとBというのは変数的なもので、その命題の真偽というのは絶対的には決まらない相対的なものである、という感覚が何処かにあるのです
だから、命題の真偽は絶対的なものだと考える古典論理は感覚と合わないのですね
Aの真偽が決まる前にBの真偽はすでに決まっていると考えているから気持ち悪いのです
命題の真偽を相対化する仕組みを兼ね揃えた論理体系が直観主義論理です
クリプキモデルというのがあって、そこでは命題の真偽は絶対的なものではありません
場合によって変わり得るものだと考えます
それで、クリプキモデルにおけるAならばBの定義は、まさに、Aが真のときは常にBも真である、というような定義になっています 正直いって今は納得行きませんね
最初は違和感なくそんなもんかなと思ってたんですが
結論しか見てないならqが成り立ってりゃ何でもいいってことで 条件を考えている時のならばと扱いが違うように思うのですよ。
そもそも
命題の話をするとp,qがさりげに関係あるような感じの具体例を提示するから余計に混乱するんですが
pとqが命題であればなんでもいいんで
p 6は3の倍数である
q リンカーンは男だ
においても認められる事で
p→qも真だし
q→pも真だし
pとq同値なん?って頭がバグるんすよ >>607
クリプキモデル勉強してみるのが良いと思いますよ
あなたの疑問の答えがあります
直観主義論理を学んだ上で、古典論理はそこからどのような変更を加えているのかがわかれば、古典論理の定義も納得できるはずです →の読み方は「…だから…」ではなく「もし…ならば…」である、っていうのは違和感の答えになる?
真偽が与えられるのは推論の妥当性に対してではなく内容そのものに対してというか >>608
んーまぁそれは理屈として知ってはいるんですよ。
昔は何の疑問も抱いていませんでしたし
むしろよくありがちな前件が偽の時には何であろうと真であるなんかは最初から疑問を抱いていませんでしたし今も何の疑問も抱かないぐらいですしね。
論理学的な同値な変形も今まで特に内容も吟味せずに当たり前の変換として使ってきてましたし
>>609
ありがとうございます。ちょっと調べてみます。何かお勧めな導入書的なものありますか? >>610
あーif thenで考えると たしかになんか日本語よりしっくりくる気がします。
まぁでもホントに従属節なんてどうでもいいんですね。
自分でもなんでこんな事に疑問持つのかも分からんぐらい当たり前だったんですよ。呼吸する事意識し始めたら何か呼吸の仕方よく分からなくなって苦しいみたいな感覚なんです。 >>610
条件文p→qは「pならばq」または「pはqの十分条件である」と読む
「pが真のときqは真である」という文が偽になるのはpが真のときqが偽であるときのみ >>605
6は3の倍数 → 6 = 2 × 3 → 6は偶数
ならどうだ 実際の数学でも、(ある前提のもとで)AならばBという定理が証明されたあと、Aという条件は不要だったということが分かったりする。
AとBの間に本当に論理的関係があるのかどうかは難しい問題なので、形式論理の範疇を超える。 古典論理の範疇を超える、ですよ
ある段階での知識量において真偽は判断すべきである、というのは直観主義の考え方です
昔はAという条件がないとB証明できなかったけど、研究が進むにつれてAがなくても証明できることがわかった
これは直観主義論理で説明可能です >>617
そんな直観主義の説明は初めて聞いたんだが?
俺の理解では直観主義は有限性や有限的手続きと結びつく概念なんだが 古典論理が納得いかんって言ってるレベルの人間が直観主義数学なんてもんに手出して物になるわけない >>618
それは統語的な側面ですよね
意味論としてのクリプキモデルを学べば、上のような解釈ができますよ >>617>>620
出典プリーズ
多分君の主張と少し違うことが書いてある わからないならクリプキモデルでググればいろいろ出てきますよー >>622
自分の主張に合致した出典が出せないから誤魔化してるね
文献を眺めてるだけの人がよくやる 可能世界の到達可能関係、って言ったってあなたわかりませんよね?
ちゃんと勉強してから文句は言いましょうね クリプキモデルは名前しか知らないけど
直観主義論理は単にP∨¬Pが恒真にならないってだけでしょ
そういうラティスを何て言ったっけな
実数の開集合の全体で
¬Pを(P^c)^oって定義する奴みたいな奴 ハンティング代数ってやつですか?
そっちはあまりよく知りませんけど、クリプキモデルの方が意味づけとしてはいい気がしますけどね ちなみにですけど、直観主義論理でなぜ排中律が成り立たないかは、クリプキモデルで簡単にわかります
現段階の知識量をもってして、ある命題Aやその否定¬Aが正しいかどうか判断することは、一般にできないからです
リーマン予想とか典型的な例ですね
知識量が極大となってこれ以上新たな知識を取り得ることはあり得ないという、神の視点に立った時の論理が古典論理です
リーマン予想が正しいか正しくないかは、神のみぞ知るわけですね めちゃめちゃやんwww
こんな論がたつなら今ある未解決問題全部神のみぞ知るやんww
一知半解でいい加減な言葉尻追っかけただけの議論で悦に浸ってるからこんな妙チキリンな結論に辿り着くんだよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています