>>502でも>>527でも書いたけど、これは「公理が9個」という書き方それ自体が
正しいか間違いかの問題ではなくて、

・「公理が9個」という書き方をする著者を、読者が怪訝な顔をせずに信用できるかどうかの問題

だということ。そして、怪訝な顔をして不信感をあらわにしている読者が少なからずいるということ。
そういう読者に対して「難癖だ」という反論はナンセンス。なぜなら、「難癖だ」という反論によって
読者の不信感が払しょくできるわけではないからだ。依然として、読者の不信感はぬぐえない。

たとえば、複素関数論の文脈で、複素変数を表すのに z や w ではなく x を使っている
危なっかしい著者がいたとすると、ほとんどの読者は不信感を抱き、著者は信用を失う。

「それは難癖だ。複素変数に x という文字を使っても論理的には間違ってない」

という反論をしてみたところで、著者の信用が取り戻せるわけではない。
確かに x という文字でも論理的には間違ってないが、論点はそこではなく、
「複素変数に x を使うという書き方そのものに読者は不信感を抱いている」という生理的な側面が
問題なのである。これに対して「難癖だ。論理的には間違ってない」という反論の仕方では的外れで、
読者の信用は取り戻せない。そして、信用を取り戻せる唯一の方法は、x ではなく z に書き換えること。
IUTの場合は、「公理が9個」という書き方をやめること。
あるいは、そもそも4章終盤は書かなくていいのではないかということ。