広中平祐は一度広島大学に落ちた
(ただ、当時は旧帝以外の国立が「二期校」と呼ばれ奇問難問を出しており決して楽ではなかった
余談だがあさま山荘事件の犯人が二期校であることにコンプレックスを持っていたことから、二期校を無くすため共通一次が導入された)
そして大学でも非常に出遅れたが、ひたすらに勉強して覚醒した

つまり、受験数学が出来るということは意味がなく、大学以降でどれだけ本当の数学を勉強したかのほうが圧倒的に大事
そして周知のとおり、日本の大学生、大学院生は勉強していない