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数学を初めとした理系の学問と哲学について 
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0001132人目の素数さん
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2018/05/19(土) 03:10:23.11ID:xoGGPCWd
数学と哲学は(開)近傍にある、もしくは、そこに類似の学的構造がある
ということは無いのかと考えて、数学板にスレを建てました。

ピタゴラス、デカルト、ライプニッツ、ラッセル、ウィトゲンシュタイン、
ホワイトヘッド、フレーゲ、クリプキ、ゲーデル、パスカル、ベルクソン、
ブール、パースetc.と、数学者と哲学者と兼ねた人物が多かったり、
数学的思考⇔哲学的思考の間を行き来している人物や人々も多いのではと思い、
共に高度な論理性と抽象性が要請される点など、両者には共通の構造が
あるのか否かをここでじっくりと考えていきたいと思います。
0021132人目の素数さん
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2018/05/20(日) 01:43:43.43ID:HBAO52zw
>>20
「文系」「理系」っていう分け方がよくない。そこで分離される。
0023132人目の素数さん
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2018/05/20(日) 05:13:04.55ID:UzjtGmCA
神学書を尋常じゃないくらい読みまくったらどうなるのでしょうか?
0024132人目の素数さん
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2018/05/20(日) 08:36:24.69ID:HBAO52zw
>>23
神学にめっちゃ詳しくなる
0026132人目の素数さん
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2018/05/21(月) 04:34:43.99ID:e2WwVUPJ
>>22
対象から本質と構造を抽出するという点で、数学と哲学は案外似ているのかも
0027132人目の素数さん
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2018/05/21(月) 04:42:42.41ID:QW0X+9oW
世界一有名な国はアメリカですか?
0028132人目の素数さん
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2018/05/21(月) 11:22:22.09ID:CdVQaEGF
数学⊂哲学ではあるかもしれんが、哲学⊂数学ではないな。
哲学なるものは雑多な寄せ集め過ぎる。
0029132人目の素数さん
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2018/05/21(月) 15:45:23.85ID:jIBbrvNW
>>27
日本では日本の方が有名だし、中国では中国の方が有名ですよ。
0030132人目の素数さん
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2018/05/21(月) 19:23:55.37ID:4VP+tp4q
>>26
それは似ている点ではなく両者が属すカテゴリの性質だ
ほとんどの学問に共通している
物理:対象(物理現象)から本質(支配法則)と構造(記述する数式)の抽出
文学:対象(文学作品)から本質(作者が伝えたかったこと)と構造(表現手法)の抽出
等々
数学と哲学では対象も本質も構造も抽出方法も異なる
0031132人目の素数さん
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2018/05/22(火) 02:27:21.37ID:GJrEw1mc
>>30
>数学と哲学では対象も本質も構造も抽出方法も異なる

それなのに、歴史上の著名な数学者は、なぜ哲学者も兼ねているのだろう、
というのがこのスレの趣旨じゃないのかな。異なるように見えて、数学と哲学の
間には、実は位相不変量のある同相写像のような同相構造があるのではないか、
という話をしている。>>22の人も述べている通り
0032132人目の素数さん
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2018/05/22(火) 02:36:58.14ID:Ve/Vl8Bk
有名人なら誰でも我がことの如く振る舞う神学のはした女肥溜め吹き溜まり
0033132人目の素数さん
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2018/05/22(火) 02:43:10.69ID:9eWKZkbD
>>29
そういうことじゃなくて、世界的に見て、一番有名な国はどこかという話です。
やっぱり1位はアメリカになるのでしょうか?
0035132人目の素数さん
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2018/05/22(火) 22:31:44.96ID:S9z3TcCh
ていうか単純に数学を始めとする理学系の学問も哲学も「真理の探究」っていう部分が同じなんでしょ
0036132人目の素数さん
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2018/05/23(水) 00:06:13.09ID:z1HLNiok
>>31
哲学と数学の似た構造を話し合うスレで学問全般に当てはまる的外れなことを言ってたから指摘したまで
トマトと私について語るとき「トマトと人はともに地球上にあるから案外似たようなもの」というのは過度に一般化しすぎているだろう?

著名な学者が複数の分野で業績を残している例はよくあり、また数学者かつ哲学者であった人より数学者かつ物理学者であった人の方が多い
そのため哲学者兼数学者がいてもそれは特筆すべきことではない、と感じる
なぜ殊更に哲学と数学に共通構造があると考えるのか説明してほしい

>>22
>哲学と数学は紙一重や
の根拠を教えてほしい

このスレで哲学と数学に共通した何かがあると述べている人はいずれも、学問全般に共通したことを述べているか理由を述べていないかのどちらかだ
0037132人目の素数さん
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2018/05/23(水) 01:21:51.41ID:u7pncPE+
>>36
その理屈が正しいのなら、>>30が例で上げているような文学者が数学者をも兼ねているケースがもっと見られないと矛盾しないかな。美学者が数学者を兼ねているケースや法学者(ライプニッツは例外的に該当するけど)が数学者を兼ねている例がもっと
あっても良さそうな気がするけど。ベイズとかは牧師でもあったので、そこに神学者の要素を見ることも不可能ではないと思うけど。数学者かつ文学者は、少ないんじゃない。サルトルは哲学者かつ文学者だけど、数学者ではないというパターンだけどね。
0038132人目の素数さん
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2018/05/23(水) 02:24:20.08ID:u7pncPE+
エリオット・ソーバー(Elliott Sober, 1948年 - )はアメリカ合衆国の哲学者。
ボルチモア出身。ハーバード大学においてヒラリー・パトナムの下で学び、Ph. Dを取得。
現在はウィスコンシン大学で教鞭を取り、1989年よりハンス・ライヘンバッハ教授職、
1993年よりウィリアム・ヴィラス教授職を勤めている。2003-2005年にはアメリカ科学哲学会会長。
専門は生物学の哲学および統計学、確率の哲学。生物学の哲学においては、自然選択説、
系統分類学の方法論、最適化理論、利他主義の進化や集団選択、創造論やインテリジェント・デザインなど、
統計・確率の哲学においてはベイズ主義や尤度主義、あるいは赤池情報量基準(AIC)などに基づく
モデル選択などを巡る論文・著作を多数発表している。
0039132人目の素数さん
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2018/05/23(水) 02:42:56.55ID:rG9o6+al
>>33
中国人の方が多いから中国かもよ
0040132人目の素数さん
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2018/05/23(水) 12:36:25.49ID:I5HdfiGT
>>36

>>20に対しての>>22であって>哲学と数学は紙一重っていうのはあくまでも個人的な考えやろ
スレタイに対して「哲学と数学には共通部分があります!」って言ってる訳でも無いんだから根拠はいらないだろうに
一個人的考えに根拠を求める必要性も根拠の提示の義務もないやろ
0041132人目の素数さん
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2018/05/23(水) 22:23:35.29ID:z1HLNiok
>>37
確かに指摘通りだ。私が間違っていた
哲学者兼物理学者も多かったから数学哲学物理学の間には共通した何かがあるかもしれない

>>40
説明義務は無い
ただどうしてその考えに至ったのか気になったから根拠を求めた
0042132人目の素数さん
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2018/05/24(木) 05:17:22.69ID:9O9wBzAb
>>41
数学・哲学・物理学を論理積で考えていけば良さそうだね
0043132人目の素数さん
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2018/05/24(木) 08:16:30.00ID:cwLgPhwH
哲学なんてポエムだろ
学問と呼べるものではない
ましてや数学と比べるなんて笑える
0047DJgensei artchive gemmar
垢版 |
2018/05/24(木) 15:33:31.67ID:O+GZIpbX
哲学一本で食えよ。数学だけはダブるな。ダブり要らない。
0048DJgensei artchive gemmar
垢版 |
2018/05/24(木) 15:37:16.14ID:O+GZIpbX
純粋理系はあまりいないぞ。
0049DJgensei artchive gemmar
垢版 |
2018/05/24(木) 15:38:12.63ID:O+GZIpbX
客観的認識能力より、主観の方が絶対速いわけで。共存共立しないからね。
0051132人目の素数さん
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2018/05/25(金) 00:25:49.03ID:/yr5wiaw
飾りは洗い難い
0053132人目の素数さん
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2018/05/29(火) 13:27:36.09ID:vDsZXBnS
海外哲学者の翻訳家だよ
0054132人目の素数さん
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2018/05/31(木) 08:56:18.13ID:gCuD467V
数学は、公式の意味をどこまで深く考えるかがあると思います。結構苦痛なので、数学苦手な子は、もうこのへんで、次の機会にな!どと逃げます。公式の意味をしゃぶり尽くすほど味わえる人は当然数学得意だらうし、哲学でも考え続けるイメージ
0055132人目の素数さん
垢版 |
2018/06/02(土) 11:12:48.78ID:zowvcuDd
>>54
数学は逃げない
0056132人目の素数さん
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2018/06/02(土) 16:10:00.43ID:T2JawErC
>>1 ベルクソンはどういう意味で数学者と呼べるんじゃ?
0057132人目の素数さん
垢版 |
2018/06/04(月) 03:46:57.05ID:x4DlByNA
ベルクソンは数学者ではないけど、数学について哲学しているよ
ベルクソンの純粋知覚や純粋記憶の概念は、現代の脳科学や人工知能の
考え方と近いと述べている学者もいるよ
0058132人目の素数さん
垢版 |
2018/06/04(月) 05:25:58.32ID:AR+5IFF6
>>57
そんなことを言い出したら、シュペングラーの『西洋の没落』も数学史から始まるし、
フッサールもドゥルーズも数学の本質に関する思索をしてるわけでしょ。

そもそも、現代科学に取り組もうとすれば、何らかの形で数学と向き合うのは自然なわけで、
それだけで>>1みたいに数学者の範疇に入れてしまったら、
現代科学に論じる人間は、ほとんどが数学者になってしまう…
0059132人目の素数さん
垢版 |
2018/06/04(月) 06:29:22.36ID:x4DlByNA
>>58

>>1には、> 数学的思考⇔哲学的思考の間を行き来している人物や人々も多い

と書いてあるよ。つまり、ベルクソンやドゥルーズらはそれに該当するので、
>>57は別に矛盾した記述ではないんじゃないの。だから、正しく表現すれば、
現代科学を論じる人間は、ほとんどが数学的思考を有しているだろう、という
風になる。 科学哲学などもそうなるのかな、と。
0061132人目の素数さん
垢版 |
2018/06/04(月) 06:42:09.18ID:x4DlByNA
少し修辞的な表現となるけど、剰余類の考え方を使って、
数学aと哲学bの間には、未知のxを法とする合同なり、同値関係がある、
と考えてみたりするのは、面白いんじゃないの。

a≡b(mod.x)

mod.xによって、aとbが合同となる同値類としての剰余類が
数学と哲学の間にはあってもいいだろう、という話じゃないかな。
>>1の述べていることはね
0062132人目の素数さん
垢版 |
2018/06/04(月) 11:20:06.02ID:sgaE+icH
新しい言葉を使いたい中学生、ってところですかね
0063132人目の素数さん
垢版 |
2018/06/04(月) 13:56:58.13ID:xC9szvPr
哲学の素養が一切なくとも、真の数学理解が
進むと考えるのは、浅慮だろうな
0065132人目の素数さん
垢版 |
2018/06/04(月) 19:16:58.49ID:Ge7U8kbv
小室直樹・副島隆彦・ロバートキヨサキ、鴨頭の信者の俺から見ると

日本では数学は計算というイメージだけど
欧米では論理学というイメージ

日本では何でんでもかんでも突き詰めるとすべて「数字」になる
欧米やイスラエルでは逆で突き詰めるとすべて「言葉・会話・言語」になる
0066132人目の素数さん
垢版 |
2018/06/06(水) 05:30:30.10ID:Bk2v+VIq
>>65 功利主義(幸福の数値化)にIQ(知能の数値化)、EQ(感情の数値化)と、
なんでも数字にする発想は、欧米人に由来するんやで。
0069132人目の素数さん
垢版 |
2018/06/06(水) 23:10:49.89ID:Kh76qDsV
AIをやるために数学の勉強をはじめて、
とても楽しいと知りました。
0070132人目の素数さん
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2018/06/06(水) 23:12:40.73ID:Kh76qDsV
ロジックと、数学と、プログラミングが
近い関係にありますよね。

ややこしくなるのは、
and nand or とかの記号が、
ロジック、数学、プログラミングで
それぞれ変わる点ですよね。

^ これたしかandですよね。
0071132人目の素数さん
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2018/06/07(木) 00:13:07.18ID:TXjo4Li4
おれは論理学は幾何学だと思うね
推移律はいくらでも中間を埋めれるということだから
0072132人目の素数さん
垢版 |
2018/06/07(木) 00:23:53.89ID:Gs2Ap+7x
多角形は、頂点の数で分類すれば群構造として表せる。
三角形同士ならば、直角三角形、鋭角三角形、鈍角三角形の群構造で表せる。
andは∧、orは∨、排他的論理和ならXOR。
数学と論理学とプログラミングはほぼ同じ。

楽しんでいきましょう♪
0073132人目の素数さん
垢版 |
2018/06/07(木) 12:25:33.74ID:YVzpYoBg
インドも西洋なのか?
ローマ数字で数学やってたら不便でしょうがなかったと思うが
0076132人目の素数さん
垢版 |
2018/06/07(木) 20:38:03.41ID:YVzpYoBg
なおPh.DのPhは哲学(Philosophy)の略

すべての学問は「広い意味での哲学」の部分集合なのだ
0077132人目の素数さん
垢版 |
2018/06/08(金) 18:20:28.18ID:4568YWGD
じゃあ、>>76とは逆の発想してみようか。
哲学を諸学問の基礎体とすれば、数学はガロア拡大体と考えればいいかもね
0078132人目の素数さん
垢版 |
2018/06/08(金) 19:30:34.99ID:oowapClg
別にそういうイメージでもいいけど
本来の哲学というのは
「全てを知ること(という営み)」なので
数学も物理も文学も経済学も結局どれだけ進歩しても哲学の一部なんだわ
0079132人目の素数さん
垢版 |
2018/06/09(土) 10:16:14.58ID:yuHLpG8R
>>78 それはそうかもしれないが、そうであれば、
現在哲学と呼ばれているもの(哲学科で教えられているような哲学)は、
本来の哲学ではないとも言えそうだ。
0082132人目の素数さん
垢版 |
2018/06/09(土) 14:45:39.57ID:/Z6Lt5he
神学の橋田女と科学の女王
どうして差がついたのか
慢心、環境の違い
0083132人目の素数さん
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2018/06/10(日) 20:34:10.32ID:sEZ8ok0I
>>79
文学部哲学科の哲学は言葉遊び、学問ですらない。
0085132人目の素数さん
垢版 |
2018/06/14(木) 05:04:14.60ID:V1rUrHnY
素朴に疑問なのだけど、科学哲学を学ぼうとする場合、科学や数学的な基礎知識がない状態で、
つまり、文系で、どうやって科学を哲学できるのかが謎なんだけど。

だから科学哲学であれば、理系でないとまともに扱えないではないかな。
文系だとせいぜい科学史にアクセスできるだけで、科学の本質に迫ることは困難だろう。
コンピューターサイエンスへの哲学的考察についても同様で、理系でないと厳しいでしょ。
0087132人目の素数さん
垢版 |
2018/06/14(木) 09:29:32.66ID:mxBGyFKT
共同ツール 1
https://seleck.cc/685

https://trello.com/
ボードのメニュー → Power-Upsから拡張可能 Slack DropBoxなど
Trello Chrome拡張機能 elegant
ttp://www.kikakulabo.com/service-eft/
trelloのオープンソースあり

共同ツール 2
https://www.google.com/intl/ja_jp/sheets/about/

共同ツール 3
https://slack.com/intl/ja-jp
https://www.dropbox.com/ja/
https://bitbucket.org/
https://ja.atlassian.com/software/sourcetree
https://www.sketchapp.com/
ttp://photoshopvip.net/103903
ttps://goodpatch.com/blog/sketch-plugins/

Trello Chrome拡張機能プラグイン集
https://chrome.google.com/webstore/search/trello?_category=extensions

Slackプラグイン集
https://slack.com/apps

Sketchプラグイン集
https://sketchapp.com/extensions/plugins/
https://supernova.studio/
0088132人目の素数さん
垢版 |
2018/06/16(土) 16:44:30.49ID:EFnNjMz6
>>85 科学哲学や科学史って、理系出身者が普通じゃないか?
東大なら最初からそれ専門でやるんだろうけど。
0089132人目の素数さん
垢版 |
2018/07/01(日) 21:48:22.16ID:VeFuqmrS
>>85
文学部哲学科の連中の「論文」を読んでみ。笑えるから。
科学用語の意味をデタラメに使った言葉遊びだよ。
0090132人目の素数さん
垢版 |
2018/07/02(月) 03:32:42.59ID:a0Gqr/04
>>89
なら、彼らはポモ厨と化しているんだね。なんで哲学科なのに、ソーカルさえ読まないんだろ。
0093132人目の素数さん
垢版 |
2018/07/02(月) 12:01:03.16ID:a0Gqr/04
>>92
文系哲学は科学タームを修辞的に用いて、知的体裁があるものと装っているのだろうね。
ただそれが科学の側から見ると、疑似科学の言説となっているので、そういう文系哲学は
嘲笑の的となるのだろうよ
0094132人目の素数さん
垢版 |
2018/07/03(火) 00:17:26.85ID:owENWaVB
ここの人たちって、そういう人の論文本当に読んでるんですか?

そもそもそんな論文存在するんですか?
0095132人目の素数さん
垢版 |
2018/07/03(火) 00:23:29.63ID:ytoikoPJ
論文の不在を証明せよ
0096132人目の素数さん
垢版 |
2018/07/03(火) 00:34:19.96ID:owENWaVB
論文の存在を証明せよ、と言ってるんですけどw?
0097132人目の素数さん
垢版 |
2018/07/03(火) 01:22:44.57ID:8123gKMc
お互い相手をよく知らずに罵ってるだけだから、ネット上でこの種の議論が実を結ぶことはない
最低でもアカデミックな身分の保証された場を用意しないと
0098132人目の素数さん
垢版 |
2018/07/03(火) 01:23:36.63ID:owENWaVB
つまり、読んでもいないのに批判してるわけですね

とても科学的な態度とは思えませんね
0099132人目の素数さん
垢版 |
2018/07/03(火) 09:01:34.10ID:AZgIUQzJ
>>96
検索して調べた結果、英語で書かれている哲学の論文はある。
言葉を定義して議論を論理的に展開したり、他の科学の結果を使って議論を展開したりする手法もある。
だが、幾つかの哲学科のシラバスを検索すると、哲学科で教えていることは、
古代ギリシア語やラテン語とくいった特殊な言語の習得や、数理論理の基本を除くと、
雑多な寄せ集めの内容になっていて、哲学科では何やっているのかよく分からない。
哲学の論文の内容としては、数学や自然科学、社会科学、人文科学の諸分野の内容だけでなく、
芸術(美しさの捉え方の問題)や文学(?)を論文の題材にしてみたりしていて、何でも論文の題材になるみたいだ。
だが、芸術は本来言葉より完成が先にあって成り立つから、言語を用いて、哲学で分析しても仕方ないだろう。
哲学全般に共通する基本的な問題意識としては、…とは何か? という形になるようだ。
これは、扱っている対象を定義可能なときは、その対象を定義したら論理的な議論をすることになる。
(こちらは、方法論としては、数学の手法とほぼ同じ)。或る意味で数学につながる。
もし、扱っている対象を定義出来ないときは、個々人で捉え方が違うということになって、終わりのない問題になる。
(そちらの例には「認識するとは何か?」が挙げられて、そういった類の問題や対象は、何が何だかよく分からない議論に終わる)。
0100132人目の素数さん
垢版 |
2018/07/03(火) 09:12:02.10ID:AZgIUQzJ
>>96
>>99の下から6行目の一部を訂正(漢字訂正):
芸術は本来言葉より完成が先 → 芸術は本来言葉より感性が先
0101132人目の素数さん
垢版 |
2018/07/03(火) 09:28:39.16ID:AZgIUQzJ
>>96
>>99の上から行目の一部も訂正:
古代ギリシア語やラテン語とくいった特殊な言語 → 古代ギリシア語やラテン語といった特殊な言語
0102132人目の素数さん
垢版 |
2018/07/03(火) 09:36:02.95ID:AZgIUQzJ
>>96
>>101にも訂正すべきところ(「」でくくった部分)があるから、>>101は以下のように、再度訂正:

>>99の上から「4」行目の一部も訂正:
古代ギリシア語やラテン語とくいった特殊な言語 → 古代ギリシア語やラテン語といった「ような」特殊な言語
0103132人目の素数さん
垢版 |
2018/07/03(火) 09:39:47.05ID:QZBXzcqo
数学だと、自然数は「ペアノの公理」を使って定義できて、それで問題が完結する
(経路でいえば閉じている)のに対して、哲学だと、「自然数とは何か?」や
「自然数は、本当に自然なのか?」その前にそもそも「自然と、不自然を分かつものは何か?」、
「数とは何か?」といった感じで、哲学ではその問いや前提自体を幾らでも分岐させて、
その論を展開することが出来る。そして最後に、「自然数の本性は、不自然である」のような
哲学的な帰結を導くことも出来る。「ラッセルのパラドックス」なら素朴集合論に存在
する矛盾を導いて、フレーゲの論理学に矛盾があることをラッセルが指摘したものであり、
それは数学や論理学上での話だけど、こういうことをあらゆる素材、美学含めてなしうる
のが哲学の持つ機能の一つだと言えよう。それだけ、哲学は自由度が高いのだろう。
0104132人目の素数さん
垢版 |
2018/07/03(火) 09:45:12.91ID:QZBXzcqo
だから、経路でたとえると、数学は閉じている(自己完結している)のに対して、
哲学は、経路が閉じていない(自己完結していない)ので、その議論は延々と
続くことになる。ある哲学者aがxと主張しても、別の哲学者cが、それはyだと
言って、こうした突っ込みや解釈の差異が延々と無限に続いていく傾向にある
のが哲学。そういう哲学的営為を無駄と思うか、下らないと思うか、実は、
結構、有益なんじゃないか、と思うのはその人の考え方や感性、必要性にも
よるだろう。
0105132人目の素数さん
垢版 |
2018/07/03(火) 11:38:39.21ID:u3l2v4S1
>>99->>104

具体的な論文名が出てきませんね

どうせ読んでないんでしょうね

とても科学的な態度とは思えません

ググって題名調べて終わり、あなたたちが毛嫌いしてる、頭の中の哲学者そのものではないですか?
0106132人目の素数さん
垢版 |
2018/07/03(火) 11:41:56.13ID:u3l2v4S1
>>93
>文系哲学は科学タームを修辞的に用いて、知的体裁があるものと装っているのだろうね。

>>99
>だが、幾つかの哲学科のシラバスを検索すると、哲学科で教えていることは、
>古代ギリシア語やラテン語とくいった特殊な言語の習得や、数理論理の基本を除くと、
>雑多な寄せ集めの内容になっていて、哲学科では何やっているのかよく分からない。

実際に読んでもいない論文を、シラバス見て専門用語並べただけで内容がわかった気になれるんですね

科学批判批判は文系哲学なのでしょうね
0107132人目の素数さん
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2018/07/03(火) 12:02:20.93ID:AZgIUQzJ
>>105
>具体的な論文名が出てきませんね
>
>どうせ読んでないんでしょうね
哲学の論文を読むことは、哲学者がすることだろ。
哲学専攻の人でなくても哲学の論文が読めて内容が分かれば、
他の分野の専攻者でも哲学の論文が読めて、哲学科とかの存在意義がなくなってしまうじゃん。
高校の倫理の一部は哲学の内容になっているだろ。
0108132人目の素数さん
垢版 |
2018/07/03(火) 12:15:56.09ID:AZgIUQzJ
>>106
>科学批判批判は文系哲学なのでしょうね
そもそも、批判するとは何か?
批判するという現象の解明だけでなく、
批判的な態度を諸分野に生かさないことには、これといった意味がないと思われる。
客観的に見たら、批判するとは何か? という問いへの答えは
唯一つではないどことか、人によって答えは異なる。この問いは終わることがない。
0109132人目の素数さん
垢版 |
2018/07/03(火) 12:21:10.01ID:8123gKMc
自己批判に向かうことで学問的に真摯な振りをしたいのかもしれないけど、
科学批判にも多様な形があり得ると暗に認めちゃって墓穴掘ってる
0111132人目の素数さん
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2018/07/03(火) 12:27:24.64ID:AZgIUQzJ
>>109
>科学批判にも多様な形があり得る
それだと、むしろ個人的な考えが強く反映されるということになる。
0112132人目の素数さん
垢版 |
2018/07/03(火) 12:32:06.00ID:8123gKMc
もしかしてカントも知らずに倫理の教科書がどうとか言ってるのか
無知はある意味で最強というが…
0113132人目の素数さん
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2018/07/03(火) 12:36:14.55ID:AZgIUQzJ
>>112
カントの純粋理性批判や西田幾太郎の思想とかのことは、
多少は高校の倫理の教科書にも書かれていたぞ。
0114132人目の素数さん
垢版 |
2018/07/03(火) 14:55:24.48ID:QZBXzcqo
数学の場合は、なるべく解が求まる方向で動いていくけど、
哲学の場合は、問いそのものをメタ視点で新たに問い直す方向で
動いていくので、そもそも端から解の収束を目指していない感じが
する。哲学はむしろ、一般解を縦横無尽にスライドさせていき、
解を転覆、無化する傾向さえ感じられる。

ふーん、なるほど、そのような変わった物の見方や捉え方もあるのだな、
というように、哲学は人々が客観的・一般的であるとみなすものを
「実はそうではないよ」と説く。数学にもそういう要素がある。たとえば、
人間の直観的な認識から、虚数や無限小などの概念は現れてこないだろうから。

グラフ理論などでも、2つの或るグラフGとHを直観的にだけその経路を見てしまうと
全然別物に見えるものでも、その頂点と辺の接続状態だけに注目すると、それらに
同型と呼ばれるものがあるように、数学にもメタ認知的な要素があるだろう。
0115132人目の素数さん
垢版 |
2018/07/03(火) 18:42:45.49ID:FwEJGuvW
>>107
つまり、論文を読んでもないのに批判してるんですか?

科学を理解してないのに哲学やってるとあなたがバカにしてる哲学者と何が違うんですか?

てかそんな人の存在すらまだ示されてないですけどね
今までの議論で示されたのは、論文も読まずに哲学者を批判するレベルの低い人がいる、ということだけです
0116132人目の素数さん
垢版 |
2018/07/03(火) 22:03:03.94ID:AZgIUQzJ
>>115
>科学を理解してないのに哲学やってるとあなたがバカにしてる哲学者と何が違うんですか?
>
>てかそんな人の存在すらまだ示されてないですけどね
科学の哲学と科学とでは、手法が全く違う。
科学の哲学では、(大規模な)設備を使った実験はしないのではないか。
0117132人目の素数さん
垢版 |
2018/07/03(火) 22:42:24.72ID:VzWnuTnd
>>116
科学では実際に論文を読むことなくグーグルで上っ面かじっただけでもわかったことになるんですか?
0118132人目の素数さん
垢版 |
2018/07/03(火) 22:45:53.72ID:VzWnuTnd
アホみたいに税金使って実験したところで、結局グーグルするんだったら、実験なんかしなくてもよくないですか?
0119132人目の素数さん
垢版 |
2018/07/04(水) 00:18:09.19ID:H8YychWt
>>96
論文の存在を証明できないので、虚学ですね
0120132人目の素数さん
垢版 |
2018/07/04(水) 00:22:46.72ID:foR26SUl
なるほど、そんな論文ないんですね
では、藁人形論法して喜んでるような低レベルしかいないということですね
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