背理法不要論ってどうなん?
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
天動説と地動説みたいなもの
どちらも正しい場合は、簡潔で理解しやすい方が選ばれる 背理法で証明ができること自体は正しいが、どこが誤りであるかを正確に把握しなければならない 背理法なしで数学を組み立ててみればいい
たしか解析で行き詰まる >>9
背理法で証明できる命題は直接証明可能という定理がある
まあ存在定理だけどな この話、よくわからないのだけど
例えばその背理法不要先生による
「√2は無理数である」
の証明はどういう形式をとるの? 背理法無用論信者による
「√2は無理数」の証明
任意の自然数 a,b につき、
2 * a * a
素因数2の個数が奇数
b * b
素因数2の個数が偶数
よって
2 * a * a ≠ b * b
両辺の平方根を取り
√2 * a ≠ b
√2≠ b / a
のように背理法の逆で証明を進める。 それは背理法を使っていないのではなく、見かけを変えただけ
普通は最後に一度だけ「矛盾するので仮定は偽であった」と書くところを、推論の各ステップで何度も背理法を使っている
各ステップで使われる背理法の矛盾箇所は極めて単純なものなので、「矛盾するので仮定は偽であった」という文言を排しても読者に伝わる
そのため見かけ上では背理法を使っていないことになる 訂正
各ステップで使われる背理法の論証は極めて単純なので
「○○と仮定する……すると矛盾するので○○ではないことがわかる」という書式を省いても読者に伝わる 背理法不要論が実際に背理法を「使ってない」のかどうかはさておき、
「長い背理法は好ましくない」
「矛盾を導くまでの行数をなるべく短くしたい」
という欲求のもとでは、>>13のような証明はアリだろう。 背理法だと偽の命題を仮定することになるから
その下で導出される命題は真でも偽でもあり得てしまう
それが嫌だから(証明の理解にならないから)背理法はダメという話だったと思うので
証明中に偽の命題が出てこない
という点で>>13はアリなのでしょう >>14
一応途中で間違った命題が入ってないんだから、背理法とは別モノでしょう >>14
と、いうか各ステップで背理法を使っているというのはどういうこと?使わなくてもできると思うが
もちろん、"使おうと思えば"使えるというだけであって 教科書に載ってる√2が無理数であることの証明は背理法ではないらしい
『Q&A数学基礎論入門』 よくある勘違いで言えば
背理法不要論でいう背理法は数理論理学でいう背理法云々とは別物、証明法の話(主張そのものを見れば明らかなことだけど)
排中律とかはもちろん認めていて
前提に結論の否定を持ってきて始める証明法を問題にしているはず そういうこと
証明法と言わずに書式の問題だと言った方が分かりやすい >>13 の証明方法
ネット上でも叩かれまくり
=でなく≠で式を変形していくのは、より危険が大きい
素因数分解の一意性を使用しているが、背理法無用論で証明できるのか?
分かりやすくなるというメリットが無い。これでは背理法を使った方がより分かりやすい。
などなど カントールの対角線論法も背理法でしょう。
だから背理法を否定したら、実数の無限集合が可付番集合でないことさえ
証明できなかった訳で。数学は背理法的な逆から矛盾を導くツールが多いよ >>24
√2の無理数性の証明と対角線論法は背理法といっても違うらしい >>13
こういうスタイル俺もやるわ。
背理法って要は対偶論法なんだよな。真であることがわかってる命題Aに対して「¬P⇒...⇒¬A」を示して、
そこから対偶で全部ひっくり返して「A⇒...⇒P」とやってPを証明する。
細かいことを言えば頭に量化子がついたりするんだけど、言いたいことは分かると思う。 背理法と対偶は命題論理の公理として互換性があるので、その意味で同じ ★★★貧富格差解消の為には、累進税の税率を国民投票で決めるべきである★★★
http://jbbs.livedoor.jp/▲study/3729/storage/1069408696.html#47
▲この掲示板(万有▲サロン)に優秀な書き込みをして、▲総額148万円の賞金をゲットしよう!(*^^)v
http:▲//jbbs.livedoor.jp/study/3729/ →リンクが不良なら、検索窓に入れる! >>28
わりぃ、根拠書かないやつは一律に無視してるんだわ そんなことはないな
>>23 の論点は重要
これじゃあ背理法を使うべきだな 明らかに「背理法」が変な証明もあるのでそれは排除した方がよい。
例えばある集合からそれの冪集合への全射がないことを示すのに、
「全射があったと仮定する」と言いながら、全射であるという条件を使わず、
単に写像であるということだけから値域に入らないものを作ってる。
それで「背理法の仮定に反する」という証明。変だよな。
普通に、「集合から冪集合への写像は全射ではない」と言えばいいだけだから。 初等的な数学までしか修めていない人は勘違いしがちだが、論理変形だけに目が行って本質を捉え損ねると高度な数学はできないよ
正しさだけを追い求めればいいというものではない
もちろん間違いはないように進める必要はあるが
≠での変形でも、正しさを論理的に確かめてあれば問題はないだろう
どのような手法に基づこうが命題の正しさ自体が保証されることは否定していないし、そこは問題にしていないんじゃないか
命題が論理的に正しいことが理解できるのであれば、その次に重要なのはその命題の証明を含めた理解だよ
ここがおろそかになると真っ当に数学はできない
と、いうよりこの理解度自体が数学における研究に求められる資質の一つ
もちろん、受験数学程度であればそこまで必要はないのかもしれないが
学問として数学を修めるには必要なこと 数学の研究発表においても、
背理法で証明すること自体は問題は無いが
背理法で証明します、なんだかよくわからないけど証明は回ります、というのはやってはいけない
必ず何が本質かということは理解していて、説明できなければならない
だから、背理法を使っていても、何が本質かちゃんと押さえておければいいけれども
例えば学生が重要な命題の証明で何が何だかわからないけど証明だけはできます、という認識だと、理解に重大な影響を及ぼすので教育上よろしくないというのはわかる とある数学者も言っていたが、物理や化学と違って数学の命題は暗記するものではなく理解する物である
公理さえ定めてしまえば全て道で繋がっている、一つの世界が出来上がるのが素晴らしいところ
そして命題の理解と証明とはとても密接な関係にあるのだから証明のための証明に抵抗を感じる数学者は少なくないだろう
もちろん実践的な研究のうえで背理法が必要になることはあるし、それについては否定していないのでは
あくまで、数学の本質の理解を妨げる危険性に注意しろ、ということであれば納得できるはなし その持論は結構なんだけど、長々と書いた動機が
「≠での変形でも背理法よりかは直感的だと思う」
という頼りない感想なのが頂けない
結局何に当てはめてよいのか分からない空論に聞こえる すまん
≠の変形がなんで駄目なのか教えてくれまいか 背理法を使った手続きの方が、むしろ数学的(論理的)に見えるけどね。
統計検定などでもそうでしょう。いきなり、実証したい仮説を持ってくるのでなく、
まずは無に帰したい方の帰無仮説を用意する。それにp値などのパラメータを
付与して、その帰無仮説の蓋然性を確率的に検討する。そして、その仮説が
なかなか有り得そうにないと判るとそれは棄却されて、検定者が本来、採用したかった
方の仮説である対立仮説が、そこでようやく採択される。
もちろん、それは確率論的な話なので、ここで採用られた仮説が完全に真である保証は
なく擬陽性や偽陰性の可能性も少しは残る。ただ、ここで言いたいのはそのことでなく、
背理法のような一見すると迂遠で冗長なアプローチにこそ、数学的な真理へ至る本質
があるのではなかろうかという私なりの推論ね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています