13×小学校のかけ算順序問題 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>708
「21÷7の答えを求めるには、どの段を見ればいいか?」という問題は
あくまで初心者の小学生用だろ?
大人なら瞬時に計算して答えの3を出し、それで「3の段をみればいい」という勘違い答案もありうるかもしれないが、
21÷7の答えをなかなか思いつかない子供相手に、
「21÷7の答えを求めるには、3の段を見ればいい」なんていう教え方をすると、
子供はイライラどころではなく発狂するだろうね。 因数分解の問題も解の公式使えば解けるのにたすき掛けで解かせるじゃん 割り算するのに割り算した結果を使うのは、
証明するのにその証明すべきことを使うのと同じだろうに >>705
全部の段を見るやり方でもいいですよ
私のやり方はあくまで一例なんで
どの段を見れば?の質問については
私のやり方なら3468の段、あなたのなら1〜9の段が答えですね
>>712
割り算の答えは使ってないですよ
九九の中から答えになるものを探してるだけなんで >>713
> 全部の段を見るやり方でもいいですよ
それは、お前のやり方だろ。と言っても論理を欠きすぎているお前には分かるまい。多少、説明はしておこうか。
> 私のやり方はあくまで一例なんで
あくまでも例題、21÷7や24÷7だからな。一例なのは当たり前だ。お前以外でも、だ。
> どの段を見れば?の質問については私のやり方なら3468の段、あなたのなら1〜9の段が答えですね
違うだろ。なんでそうも論理に欠けているのかね? お前のやり方は21÷ないしは24÷を見て全段さがすわけだ。
その中で有力候補として3,4,6,8が残るわけだ。自分で書いていて気が付いていないのか?
既に指摘したが、なぜ2を外した? 24÷の場合、12もあるだろう? お前のやり方は因数分解だ(素因数分解ではない)。
24は因数分解すると何ですか、とやってるのがお前であるわけだよ。2,3,4,5,6,7,8,9,11,12,…と探さねばならん。
そして、24に成り得る因数として、2,3,4,6,8,12が残るわけだ。しかし、÷7であるにも関わらず、7が除外されてしまう。
それでは24÷7は計算できないよね。せっかく、はっきり÷7と書いてあるのに、ということだ。
一方、÷7であるから、7の段というのが、相手の答であるわけだよ。1〜9の段と考えるまでもない。7と書いてあるからな。
> 割り算の答えは使ってないですよ> 九九の中から答えになるものを探してるだけなんで
割り算の答を使ってるわけだよ。正確には答の候補だがね。24÷7の÷7に注目して7×□と発想するやり方は答を使っていない。□のままでいいからな。
ところが、お前のやり方だとかけて24になる数字を探し出さねばならん。答ないしは答の候補だ。当然、計算してからになるよね。(そして正解を見つけられない)
それで「割り算の答えは使ってない」わけがなかろうが。少しは論理能力を使ってくれ。話にならん。 割り算は、九九で除数の段を順に見てけって話は、
余り付き除算でこそアリガタミがある。
割り切れる例だと、ピンと来にくいかもしれないね。 >>713
3468の段、は割り算の答えの出ない「失敗例」なのでそれを議論する価値はないね
とりあえず答えが出る考え方を最後まで通して示してくれるかな?
その上で、最終的な「何の段を見たらいいの?」に答えて欲しいものだね 3468の段
3468×1=3468
3468×2=6936
3468×3=10404
3468×4=13872
3468×5=17340
3468×6=20808
3468×7=24276
3468×8=27744
3468×9=31212 >>714
2の段には24はないからね
>>716
その子の考え方を把握するのが先決だからね
解法の善し悪しは次の段階でしょう >>718
> 2の段には24はないからね
ほらね、それがお前の限界ということだ。九九と言われたら九九でしか考えない、というねw
> その子の考え方を把握するのが先決だからね> 解法の善し悪しは次の段階でしょう
つまり、その前の段階を考えていないわけだ。何も知らない段階から考えはじめられはしない。
考えてもらうのは大事なことだ。そのためには、まず何をすればいいかということ。
おそらく何も知らんだろうから、少し教えておこうか。ずっと以前に、ひたすら教え込む教育があった。
知識量は増えたが弊害があった。考えなくなったんだよ。全て教わればいいと思ってしまったからね。
そこで、まず生徒に考えさせるという試みが行われた。しかし、うまくいかなかった。
何の知識もなしに考えても無駄だったんだよ。無益なことを延々と考えるだけに陥るからね。
そういう紆余曲折を経て、現在に至る。適度に教えて適度に考えてもらうというね。
お前の考える程度のことは、もう試してみてあるわけだ。歴史に学ばん奴はこれだからな。
考えるのはいいことだ。しかし、既に何が行われたかを知らず、過去の失敗例を延々と考えてもねぇw
悪いことは言わんから、適度に学んで、適度に考察しておけ。でないと、貴重な人生を無駄にしてしまうよ? で、>>714に対しては反論は一切できずと。 相変わらずだねぇ。一か所でも難癖つければ反論したことになるのは、お仲間内だけだよw >>718
あぁ、子供自身の考え方の話か。
みんな教え方の話をしてたはずなんだけどね。
余り有りの割り算に関してだから余り無しは学習済みであって
その段階で「何の段で〜」というのも学習済みのはず。
子供がその事を忘れちゃった、或いはどうでもいい
と思った状態で考えたということだね。
まぁ次からは頑張れってことだな >>718
君の「一例」の考え方を把握するのが先決だったんだけどねぇ
まあ、それは、答えの出ない「失敗例」であり次の段階もなく
明らかに「悪し」、だね
「その考え方は答え出せないからバツ」で一蹴されて終わり
で、これまでも他の人も黙っていられないくらい突っ込みどころ
満載のようで、同じことを繰り返し言うのも野暮なのだけれど、
まぁ次からは頑張れってことだな いかにコイツが文章を読めないか、あるいは気分次第なのかという問題についてw
ttps://twitter.com/sekibunnteisuu/status/752843551570931712
> 積分定数 @sekibunnteisuu
>【中1数学】方程式でなんで移項ができるの?? http://benkyo.me/%e7%a7%bb%e9%a0%85/ #掛算
> 後半になぜ移項が出来るのかの理由が書いてあるが、駄目な教え方ですね。
> 5x+17=32 → 5xー17=32 → 5x=32ー17
> なんて混乱の元。
リンク先は後半で移項という操作がなぜできるかを書いている。コイツが言っているのは前半。
記事ではまず移項というのが「超能力」みたいだとしている。式の変形なんて初めて習う段階だとそうだろう。
5x+17=32がなぜ5x=32-17とできるのか。記事はそこを詳しく解説している。記事のポイントといっていいだろう。
5x+17=32の両辺から17を引く。5x+17-17=32-17。17-17は0だ。だから5x=32-17。移項ってこういうことやってるんだよ。
と説明し、「一番大切なのは、なぜ移項ができるのか??ということを理解していること」とまで言っている。
コイツは記事がまるで「超能力」として示した部分だけをあげつらって、ダメな教え方と断じている。
歪曲だよね。歪曲でないなら日本語が読めないレベルだ。まぁコイツは感覚的に気にいらないものは間違いとする奴なんだがなw
> 積分定数 @sekibunnteisuu
>#掛算 こちらは私の考えにちかい。
> http://ameblo.jp/myquest/entry-12008622816.html
> 「移項」なんて教える必要ない。
自分に近いとして示したほうも、移項が両辺から引く(足す、かける、割る)ということだと言っているに過ぎない。先の記事と同じ説明をしている。
相違は上記記事では移項という用語を否定的に見ているということだな。つまり、コイツはそこが気に入ったということになる。
移項という言葉を用いるか否かは些細な問題だろうし、現に使われている用語なのだから知っておいてよかろう。
しかし、コイツはその些細な点が最重要らしい。ほぼ同じ説明に対して両極端な態度を取っているからね。
気に入るものは自分に近い、正しいとし、気に入らないものは間違いとする。やはり公教育の害虫だねぇw 移項を間違えるような生徒は、両辺から引くように教えても
片方の辺からしか引かないような間違いをするだろうね。
結局、間違え方が変わるだけ。
「移項を教えないのが良い教え方」なんてのは思い上がりだよね。 都知事選:知事に当選する為ならば、公約とか政策なんてどうでもヨロシ。
大学教育:経営が成立する為ならば、学生とか論文なんてどうでもヨロシ。
糞父芳雄:教授に昇進する為ならば、分野とか研究なんてどうでもヨロシ。
よよよ、よォ〜〜〜しを。近視眼的で打算的だよォ〜〜〜んんん。
ケケケ¥
都知事の選挙:人気だけで候補になり、政策は無視。
馬鹿板の議論:態度だけが問題になり、論理は無視。
ニホンの習慣:学歴だけで採用となり、能力は無視。
ヨシヲの主張:態度だけが問題になり、学問は無視。
商習慣の基本:名前だけで契約となり、品質は無視。
博士号の実態:肩書だけが問題になり、優劣は無視。
¥ まあ、「移項」というネーミングをすることで、概念化できて思考しやすくなるからね。
アルゴリズムを暗記できない子は結構多いよね。
目的とそれに結びつく行為が直ぐに出てこない。言語化することでそれの助けとするわけだ。 都知事選:知事に当選する為ならば、公約とか政策なんてどうでもヨロシ。
大学教育:経営が成立する為ならば、学生とか論文なんてどうでもヨロシ。
糞父芳雄:教授に昇進する為ならば、分野とか研究なんてどうでもヨロシ。
よよよ、よォ〜〜〜しを。近視眼的で打算的だよォ〜〜〜んんん。
ケケケ¥
都知事の選挙:人気だけで候補になり、政策は無視。
馬鹿板の議論:態度だけが問題になり、論理は無視。
ニホンの習慣:学歴だけで採用となり、能力は無視。
ヨシヲの主張:態度だけが問題になり、学問は無視。
商習慣の基本:名前だけで契約となり、品質は無視。
博士号の実態:肩書だけが問題になり、優劣は無視。
¥ コイツがいかに曲解または誤読をするかの別例w
ttps://twitter.com/sekibunnteisuu/status/753118600702099456
> 積分定数 @sekibunnteisuu
> #掛算 #等分除・包含除
> http://www.sakai.ed.jp/weblog/index.php?id=sakai058&type=7&search_word=%C5%F9%CA%AC%BD%FC&search_option=1
> >等分除と包含除という専門用語になりますが,この区別が子どもにはけっこう難しいのです。
> こういう言葉を見るたびに不思議に思える。
割り算には「12個の飴を4人で分けると1人に何個?」(等分除)と「12個の飴を1人に4個ずつ配ると何人分?」(包含除)の2パターンがある。
と、天下り的に言うと、「ほーら、一つしかない割り算を勝手に分類して子どもに見分けさせてる!」と非難が来そうだがw
そうではない。むしろ、子どもに学んで、具象数の割り算に得手不得手があることから、何があるのか探し当てたわけだ。
それが等分除と包含除だな。割り算の「等分する」のイメージに近いのが等分除。同数累減という計算法が具体的なのが包含除。
文章題などでは、あるときはさっと割り算と思い付けて、きちんと計算までスムーズにできる。
別のときには割り算かどうか分からず、割り算と思っても何で何を割るのかを思いつけないことが起こる。
そんな子を多数観察すると、等分除と包含除があるわけだな。どちらか一方だけがよく分かるというね。
ネットで検索しても、等分除のほうが易しい、包含除のほうが解きやすい等々、意見が分かれている。
しかし、慣れるまでだ。等分除、包含除どちらも何度も練習すれば、どちらも難なく解けるようになる。
そうなれば等分除、包含除の違いなんて不要になり忘れてしまう。忘れてもらって、ようやく割り算を教えたことになりもするだろう。
> 「子供は抽象思考が苦手。大人の視点からしたら、どちらも同じ割り算と思うかもしれないが、子供にとっては違うものなんです。
子どもだが、割り算をこれから習うという意味でね。初心者と言い換えてもよい。
> われわれは子供の視点に寄り添って教えているんです」という理屈じゃなかったの?
そういう理屈なんだよ。初心者を熟練者にするまで、寄り添って教えるわけだ。 > 等分除と包含除は区別が不可能だし区別する意味はない。
算数を習い終えた時点、視点ではね。問題としているのは、これから習う子なわけだ。コイツは常にそこを忘れるか、無視するがw
> 子供は両者の区別が苦手(大人もそんな区別は意識しない)
子どもでは区別が苦手というのは、自分の得手不得手すら把握していないということだ。上述のようにね。
大人が意識しないのは、もう不要だからだ。小学校卒業までに不要になるからね。
> だったらこんな区別を教えるのやめればいいのに。算数教育界は実に不可解。
区別を教えるのをやめれば、ずっとある種の割り算が苦手になるだけなんだよ。
コイツは自分も学校教育を受け、割り算を等分除だ包含除だと考えなくていいほど教えてもらっておいて、何噛みついてんだかねw
> しかも滑稽なことに、等分除と包含除の区別を苦労して教えた後に今度は「統合」を教える。
> http://www.ishikawa-c.ed.jp/content/tashikana/2005jirei/05s51/05s51b13.pdf
> >・等分除と包含除を除法として統合的にとらえる。
違う文書を勝手にくっつけて論じる、いつもの似非さんらしい自己矛盾だな。まあいい。
統合するって、当たり前のことなんだがねぇ。等分除も包含除も、同じ割り算にならないとマズいんじゃないの?
「12個の飴を4人で分けると1人に何個?」も「12個の飴を1人に4個ずつ配ると何人分?」も12÷4だ。違うのかねぇ?
さらにいえば、苦手を解消するために、いったん分類する。そして不要になれば捨ててもらう。それのどこがオカシイのだかねw
> 算数教育界って、やってることが馬鹿だよね。
自分の読み取り方がバカだとは気付けないらしいw 読んだものの半分くらいは斜め上の勘違いしてんじゃないのかねぇw ヒキニートがうざいな
ここにしか妄想を吐き出せないのだろう
最近、人と話したことがあるのか疑問に思う http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2016/07/post-849_2.php
小学校で必要な「プログラミング的思考」とは何か?
>例えば、掛け算の場合は「30円のものが4個」という計算は「30かける4」がマルで、「4かける30」は
>バツだとか、割り算の場合も「一人2個ずつ配ると何人に配れるか?」という話と「5人に分けると一人
>あたり何個になるか?」という話を「わざわざ分けて」やっていたりします。
>冷泉彰彦
>(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任
また、こういう人が出てくる…。
記事にある「数学教育の現代化」なんて大失敗だったろ?それ以降の教育を「ゆとり」と断定して批判するのも
酷いし。何これ?w >>730
積分定数なんかも、実生活では他の人と話す機会が極端に少ないように見えるけどな。
ツイッターで妄想を吐き出すしかない人間。 あっちでいくら妄想を垂れ流そうがこっちには迷惑かからない分、積分定数の方がまし いわゆる本人乙ってやつかw ま、算数ではなく算数について語る奴に難癖つけるのが似非さんらしいといえば、ねw 積分定数が教えている塾は、進学実績が地味すぎるんだよね。
生徒の頭の問題もあるだろうけど、積分定数の教え方が良くないのも原因だろう。 定規に難癖つけ出したらしい。まぁ悪徳業者まがいのことをしている団体はいて、そこは批判していいとは思うんだが。
ttps://twitter.com/genkuroki/status/753349154403778560
> 黒木玄 Gen Kuroki @genkuroki
> #掛算 定規を買わせたい人達が、子供達に定規を使うことを義務付けていたりするというまことにけしからんことが結構あるようですが、
あるね。そこは批判していい。しかし、定規を使わせたほうがいいケースには思い至らんらしい。割と深刻な話なんだが。
> 最終的には定規を使わずにそこそこ綺麗な直線を引けるようにならないと、紙と鉛筆(ペン)を道具として使いこなすためにはめちゃくちゃ不便ですよね。
定規を使わずにそこそこ書けるようになるには、どうすればいいかだ。今の子どもがどうなのかをよく見た上でね。
まぁ20年前くらいだと、普段のノート使いやテストの答案に、長い分数記号はともかく、加減乗除記号に定規は不要だったろう。
ところが、だんだんおかしくなってきたんだよ。そのため、使用される鉛筆も変わってきた。
鉛筆がHBではなく、今や2B、さらに6Bまで。そのことが、あるTV番組で紹介されたりもしている。原因まで遡ってね。
原因は体力低下やアンバランスだ。筋力の低下もあれば、特定のスポーツのみ過度にやって偏りが出るといったこともある。
文字なんかだと本当の真っ直ぐの線があまりないだけに目立たない。HBの鉛筆だと字が薄すぎる程度。
ところが算数は真っ直ぐな線を使った記号が多い。するとボロが出る。×が×に見えないとかね。
あとで自分で見直しても分からないほど酷いことも少なくない。しかし、体力と手書きは関係ないと思う大人は少なくない。
自分は体力ないと思う大人でも記号や線などは一応描けるからね。字や記号、線は手先で書くものだと思っている。
違うんだよ。字を大きく、美しく『描く』書道なんかでははっきり分かるんだが、字や記号とて手先ではなく全身で描くものなのね。
書道家が姿勢がいいのは、そうでないとみっともないからではない。書をうまく描こうとすると、結果として姿勢がよくなる。
手先をうまく動かすためには、腕をいい位置にしっかり支え動かす必要があり、そのためには肩を、と続き、結局は全身をうまく使え、となるわけだ。 それができないのが、今の子の一部にはいるわけ。だから定規を使いなさい、となる。あくまでも最初のうちはね。
使う鉛筆が変わってきた、定規を使うように指導することがある、その背後には何があるかを知らないと、的外れの批判になる。
もちろん、須らく定規を使えという指導についてもね。それはおかしい。きちんと体遣って字や記号が描ける子もいるんだから。
> 黒木玄 Gen Kuroki @genkuroki
> @genkuroki #掛算 あと、無用に綺麗に書くことを教えるのではなく、実用的に十分な程度に綺麗に書くことを教えて欲しいと思う。
教えているわけだよ。自転車に乗れない子に最初は補助輪使わせるのと同じだ。うまく記号を描けない子には定規で補助するわけ。
> 紙と鉛筆やペンの組み合わせは、ヒトの思考力を増強するための道具として極めて強力であり、万人が使いこなせるようになっただけで世界が変わると思う。
その通りなんだがね。この場合はフリーハンドで描けるようになるために、何が問題でどうするかなわけだ。 > 黒木玄 Gen Kuroki @genkuroki
> @genkuroki #掛算 ドラマガリレオを子供達に見せて、「湯川先生のように、自分の考えてをまとめるために、どこでもいつでも数式を落書きできるようになりましょう」と教えた方がいいかも。
> 湯川先生がポケットからミニ定規を出して落書きシーンで使ったら印象が大幅に変わる。笑
K氏のおかしなところは、こういうところにも表れているよね。子どもが大人と同じようにできると思っている。
控えめにいっても、ひたすら大人の真似をすれば大人と同じになれると思っている。そんなわけなかろう。
ちょっと前にこのスレで、同じ失敗を繰り返すと、失敗することを学習してしまうことを紹介した。
この問題でも同じだよ。最初から何度も変な記号を書くという同じ間違いを繰り返すと、変な記号しか書けなくなる。
字でも同じだ。頭の中にあるイメージ通りに書くことがよく知られている。両手が使えなくなって筆を加えて書くようになった書道家の事例などでね。
では、頭の中にある字や記号のイメージはどうして作られたか。そういう字や記号を何度も書いたからだ。
鶏と卵みたいな話だけどね。だからこそ、下手な字を書く人が字を練習してもなかなかうまくならない。頭と体に染みついているからだ。
算数の記号は幸い、直線が多い。下手な記号しか書けない子に補助として定規を使って、何が問題なんだろうね。
慣れてきてフリーハンドで問題なくなったら、定規を捨てるだけのことだろうに。
口先だけで「定規なしで上手にやれ」と言ったって、できるもんではないよ。なんでそんな簡単なことが分からないのか。
> 黒木玄 Gen Kuroki @genkuroki
> @genkuroki #掛算 福山雅治さんはあの数式落書きシーンのために練習したんでしょうかね?結構丁寧にゆっくり書いている印象がある。音楽のおかげで速く書いているように錯覚する人がいるかもしれないですが。
> いずれにせよ、あのシーンで福山さんにミニ定規を使わせるのはおかしい。
大人が使うわけないよ。コイツはホント、何も考えないで手あたり次第なことを言うw
定規も掛け順も、もうできる人には不要、不慣れでまごついている人には必要という、シンプルなことでしかない。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) >コイツはホント、何も考えないで手あたり次第なことを言うw
(´・ω・)つ鏡 >>739
どのへんが何も考えてないなのか、ガツンと言ってあげなよw 今の小学校は可換不可換の群冠論をならうのか、すごいな またコイツだw 頓珍漢なこと言い続けて、まだ懲りていないようだねぇ。
https://twitter.com/sunchanuiguru/status/762275499288645632
> 鰹節猫吉 @sunchanuiguru
> 算数教科書が大失態!3gのオモリと10gのオモリでは11gのモノは測れないらしい。
> 当然そんなバカなことはなくて、左の皿に測りたいモノと3gの分銅3個、右の皿に10gの分銅2個をのせてつりあうかどうかみればよい。 #掛算
> 「倍数の問題、いちょうあがり!」というつもりなんだろうけど、他の編集者にチェックしてもらってないんじゃないかと思いますね。
> やってしまった本人はウッカリミスで気が付かないということはあり得るし、人間である以上仕方ないですが、他の人に見てもらえば防げるミスのはず。(終 #掛算
大失態ねぇw 算数でいえば検算に相当することを、自分の主張に対してやらないから、つもこいつはオカシイわけだが。
さて、この見解に対し、同じ掛算タグをつけて、批判も披露されている。要点は、
1.天秤の用法(片方に試料、もう片方に分銅)に反する。
2.倍数についての授業に役立つように教えていることを忘れている(文脈、状況の無視)。
といった感じだったな。1については、「乾電池のほうの皿にも分銅を載せて」と言い出せば、たいてい「天秤はそういう使い方は」と反論が出るものだ。
まぁ実際にやっちゃうとまずいのは確かだ。分銅は素手では触らないほど気を遣う。分銅の質量が次第に変わっちゃうからね。
ましてや試料と一緒に乗せちゃマズい。分銅が汚れ、腐食し、使い物にならなくなってしまう。
「実際にはやらない、算数なんだから」と再反論したとしよう。じゃあ、なんで天秤で問題作ったのか分かってるのか、となる。
分銅の組み合わせでどんな重さが作れるかという問題だが、片方なら和だけだ。両方なら差も考えることになる。
変数全て0以上の整数で、ax+byを考えるわけだな。両方の皿に分銅を載せる、すなわち差も考慮するなら、ax-by, by-axも考慮することになる。 >>744の続き
今は、ax+byを教えたいから、それのみで考えてもらいたいわけだ。だから天秤モデルで問題が作られているわけ。
片方にしか分銅を載せないという原則のある、「等しい」を検出する機械が天秤であるわけだからな。
小学校とはいえ、天秤の使い方はしっかり教えてあるはずだ。生徒もしっかり理解している。
算数の問題とはいえ、そのことを「状況」として使うわけだよ。説明などが少なくて済むということだ。
説明が少なくて済むのは教師(設問者)が助かるだけではない。生徒(解答者)も助かる。延々と長い但し書きを読まなくて済むからね。
もちろん、両方の皿に分銅を載せるアイデアを思いつく子はいるだろう。その場合は、片方だけならどう?と聞けばよい。
その程度のことで、大失態も何もないと思うんだがね。いつものことだが、切り取って曲解して狂喜乱舞して非難して見せる芸だなw くだらん漫才だ。
和だけ考える練習が済んだら、差も考えりゃいいわけ。易しいから難しいへ。慣れてから次へ。
付和雷同した連中も同じだが、そういうカリキュラム無視だよね。
「賢い俺が別解を思いついたんだから、それも理解させておけ」とね。無理に決まってるだろうが。
(こいつらのやり方、下手するとマイナスの数に行き着いたりしかねないんだが、割愛しておく。) ちなみに、天秤の両方の皿に分銅載せていいとするなら、1g単位でどんな重さも計れることは容易に分かる。倍数の考え方でね。
天秤の片方の皿に3g3個、もう片方に10g1個載せれば、差は1gであり、1gのものが計れる。
3g×3-10g×1=1ということだな。両辺をm倍すると、m(3g×3-10g×1)=m、というのは大人向け説明。
子ども向けなら、片方に3g3個、もう片方に10g1個というのを1セットとして、11gなら11セット使えばいいね、といった意味のことを懇切丁寧に説明すればよい。
さらに、11gだけじゃないよね、1gごとでできるんだから、どんな重さでも計れるよね、と説明しておけばいい。
もちろん、もっと効率的な方法はある。11gなら片方に3g3個、もう片方に10g2個でいいからだ。
よく考えると、1〜2gまでは、上記のセットを使うしかないが、3gになると3gの分銅1個でいい。
3gごとに状況がリセットされるわけだな。と考えていけば法則性が見つかるだろう。そういう応用を考えるのも面白いかもしれない。
しかしまず、できるかどうかの判定をしたいなら、シンプルで分かりやすい規則性を見つけるほうがいい。算数のカリキュラムがやっているようにね。 >>746
> 3g×3-10g×1=1ということだな。両辺をm倍すると、m(3g×3-10g×1)=m、というのは大人向け説明。
あー悪い、間違えたw 3g×3-10g×1=-1か10g×1-13g×3=1だわ。よくこういうポカをやる。すまん。 >>746の大人向けの説明が、大人の代数で重要な事項であることから、
低年次の数学や算数でも、天秤の両側に分銅を乗せるような事例は
しばしば扱われる。だって理科じゃないからね、というわけだ。
近年、学校の授業だけで勉強している子も少なくなってきたから、
あらかじめ塾や自習書で汚染されている生徒が混乱しないように、
「分銅は片側に乗せる」と念押しすることは、算数では必要な配慮だろう。
理科なら、それは「知ってなきゃ」で済むのだろうが。 >>748
扱われる事例はあるけど(さっき引用したツイートの前後でも出ている)? 何の話か分からなかったの? ま〜たつまらんことで騒いでいるようだ。多少詳しく見ていこう。
ttps://twitter.com/sekibunnteisuu/status/762853155600072709
> 積分定数 @sekibunnteisuu
> @vecchio_ciao #掛算
> https://twitter.com/vecchio_ciao/status/762574396129017856
(↑※1より大きい数で割ると答が割られる数より大きくなり、1だと同じ、1未満だと大きくなる例題、法則の話)
> この問題だけど、「計算しないで」という注釈がない場合、計算しないと誤答扱いになる可能性もありますね。
この前段に※部分が暗記物になってやしないかという危惧があり、実際に計算してみればいいという意見が出ている。
例題は、11÷2、11÷1.1、11÷1.6、11÷0.6の中で答えが割られる数より大きくなるのはどれかというもの。
で、コイツが計算がややこしかったらと疑問を呈している。俺なら28763÷0.143にしちゃうよなどと言ってね。
そう言ったそばから、簡単な数で試してみればいいとも言っている。フォローして完璧な主張にしたつもりなんだろうかね?
いわゆるフォローになってないというやつだなw その簡単な数と設問に出た数とは何が共通なの?という疑問に答えてない。
28763÷0.143なら、除数だけ変えるとして、0.143を挟むようにして除数を設定して、28763÷0.1と28763÷0.2にでもしておこう。
どちらも計算すれば被除数より商が大きくなる。それはいい。では、その簡単な数と除数0.143は何が法則性として共通?
そこが分からないと、÷0.143の結果も分からないよね。もちろん正解は「除数が1未満」ということだ。
何のことはない、「1未満(の正の数)で割れば商が被除数より大きくなる」が分かっていなければできないわけだ、たとえ簡単な数を使ってもね。
割と大事で引っかかりやすい点だ。「いくつかに分けるはずなのに、なんで大きくなるの?」と思ってしまいやすい。そこから概念を発展させる必要がある。
こういうことがあるせいか、ツッコミみたいな引用付きRTがされている。自由派として知られる物理学者だ。 ttps://twitter.com/kikumaco/status/763164199304343552
> 菊池誠(シンではない) @kikumaco
> うーむ、僕にはこれは「計算せずに答えられるべき問題」と思えるんだけど、どうかなあ
これはC氏の「設問の計算しないでと注釈がなければ、計算しないとバツにされるかもね」という妄想(無い事実を捏造するいつもの手)に対して為されている。
C氏はこれに反応する。自分が何か言われたら、反論に違いないと思い込み、再反論を試みるいつもの態度だ。
(実際には、計算しないで分かるはず、そういう問題を作れというC氏の見解に菊池氏が賛同していることは明らかなのにねw)
ttps://twitter.com/sekibunnteisuu/status/763166003148627968
> 積分定数 @sekibunnteisuu 8月10日
> @kikumaco 1より小さい数で割ったら大きくなる、というのは理解しておくべきでしょうが、分からなければ計算してみればいいわけです。実際やってみれば納得できる。
計算してみればいいと言っているんだが、自分が計算しなくてもいいと主張したことは忘れているようだw
俺が解釈した、計算しなくてもいいという主張は、設問に出た数ではなく簡単な数で試すことも含む。
数の類似性を理解して法則性を見つけ出すわけだからね。上記のように、結局は法則性を分かっていなければできない。
さて、菊池氏はC氏の再反論(コイツが大好きな自己矛盾というやつだなw)に答える。
ttps://twitter.com/kikumaco/status/763167476095913984
> 菊池誠(シンではない) @kikumaco
> @sekibunnteisuu これはわりと微妙な話で、「1より小さい数で割るとはどういうことか」という概念を理解していれば、計算不要です。
> 問題は、そういう理解をこのテストで問えるかだと思いますが、テストで問えることなんて限られてるので、その理解を問うテストは不可能かもしれません
まあ、もっともな見解だね。少なくとも、1問だけで理解しているか否かを判定することはできまい。
しかし、C氏は必死になる。なにせ掛算順序自由派の巨頭とコイツが目する人間から反論されたと思い込んでいるからだw > 積分定数 @sekibunnteisuu
>@kikumaco 概念の理解を無理に問おうとするとこの問題のように「計算しないで」と解法を制限したり、
> ひどい場合には、「1より小さい数で・・」と文言を書かせるというような結果になってしまうと思います。
> 引き算の意味を問う問題↓
> http://homegrown.jugem.cc/?day=20130713
> 3:4=6:x 比の概念を理解していたら瞬時にx=8と分かるけど、内項の積=外項の積で、3x=4×6とするケースが多い。
> これだと概念を理解しているかどうか怪しいけど、「内項の積=外項の積を使わないで」とも言えない。
引き算とか比の全く別の問題を無意味に引き合いに出している。いつものことだが、ともかく思いついたことを言ってみる癖は健在だ。
癇癪を起すと、周りにあるものを手当たり次第に投げつける子どものようだ。相手がいちいち相手するわけなかろう。菊池氏はこう答えた。
> 菊池誠(シンではない) @kikumaco
> @sekibunnteisuu 概念を理解しているのか、単に操作を覚えているだけなのかは、試験で問えるものじゃないんですよ。僕はくだんの問題がひどく悪いという気はしません。
> ちなみに、「1より小さい数で割る」の意味は、操作以前に概念を教えるべきだと思います
C氏は粘って(「だって偉い俺が間違いなんて嫌だもん」w)、酷くはないが不器用な問題、だって暗記じゃ駄目だし、などと続けるが後の祭りだろう。
C氏が四の五のと言っていると、元盟友?からレスが入る。K氏など最初は持ち上げ、後にさんざ侮辱した人だな。 > 高橋誠 ?@metameta007
> @kikumaco @vecchio_ciao @sekibunnteisuu 「1より小さい数」=小数で割るという概念を包含除的に理解していれば、ということでしょうか。
> しかし割られる数が割る数より小さい場合は包含除的に理解できないこともあり、小数、分数の割算が出てきたときに、
0.5÷0.2なら包含除の計算手法の同数累減で分かる。しかし、0.2÷0.5では単純にはできないね。
目の付け所はなかなかよい。おそらく割り算で自分も苦労したんだろう。分からないものを苦労して理解した人は割と教え上手だ。
> 自分自身どのように考えて納得させたかというと、割算という概念を、
> 「割る数を1としたときに割られる数はいくつになるのか」と理解したように思いますし、最近の教科書はそのようになっていて、感心しました。
まあそういう理解で納得したんなら、それでいいだろう。悪くない。0.2÷0.5タイプを理解する方法は他にもあるね。
例えば長方形の面積。アレイ図から発展させた小数、分数対応もできる面積図だ。かけ算だと答は面積だ(以降、割愛)。
高橋氏に対してC氏は答えることができず、菊池氏の以下を利用して印象操作を図る。
ttps://twitter.com/kikumaco/status/763182767785975808
> 菊池誠(シンではない) @kikumaco
> @vecchio_ciao @sekibunnteisuu 「1より小さい数で割る」という概念を理解していれば瞬殺問題です。
>一方で、割り算を操作としてだけ暗記していると計算しなくてはならない。
> ところが、概念ではなく「1より小さい数で割ると元より大きくなる」と暗記しててもできちゃう
菊池氏の見解は一貫して、「まず概念を理解すべき、しかしテスト1問では理解を測ることはできない」だ。常識的といってよいだろう。
しかし、C氏は上記を引用してこう述べる。さっきのは暗記問題なんだーと印象付けたいのだろうが、自爆だよw ttps://twitter.com/sekibunnteisuu/status/763498602635235328
> 積分定数 ?@sekibunnteisuu 4時間4時間前
#掛算 https://twitter.com/kikumaco/status/763182767785975808
> 結局、良問と思えても、分数や演算記号の書き順まで含めて何でもかんでも暗記させる今の算数教育の文脈では駄問になりかねない、ということかな。
元の問題は特に悪問の類ではない。菊池氏の言を待つまでもなく、「1を基準として」という簡単ながら大事な概念だ。
数学用語でいえば、乗法においては単位元、除法においては左単位元だからね。要は「1で掛けても割っても」ということだ。
一連の流れ、特に菊池氏の指摘は翻訳すればそういうことなんだが、C氏は気に入らない。自分が言い出したことと違うからね。
そこで、無理矢理に暗記問題なんだと印象付けて締めくくりたかったわけだ。菊池氏はその可能性を否定していないにも関わらずね。
ま、いつものことながら支離滅裂だ。それも道理で、コイツは「自分の言は過去から未来に至るまで、一言一句正しい」としたいからなんだけどね。
それと「なぜなら俺は誰よりも偉いからだ」ということ。算数でどうこうなんてのは、そのための道具でしかない。
だから言っているわけ、C氏とその愉快な仲間たちwは公教育の害虫だとね。早めに駆除するか、少なくても追っ払っておく必要がある。 コイツ、言うことがほとんどことごとく変だなw
ttps://twitter.com/sekibunnteisuu/status/763547322273837058
> 積分定数 @sekibunnteisuu
> 101×84を工夫して計算しなさいという小学四年生の算数の計算の解き方を教えてくだ...
> http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11154710296 #知恵袋_ #掛算
式で書けば、101×84=(100+1)×84=100×84+1×84=8400+84=8484というところだろうな。おや乗数が2つ並ぶ答だ。
コイツが大好きなショートカットできる計算だ。だがコイツはこの問題に限っては気に入らないらしい。以下のように続けている。
> 積分定数 @sekibunnteisuu
> #掛算 計算を楽にするための工夫のはずなのに、どう工夫していいのか分からないと悩んでしまうのは本末転倒な気がする。
工夫にもコツがあるわけだ。そのコツも習得しておこうよ、ということがコイツには分からないらしい。
まあ、そりゃそうだろう。いつも、既に理解している視点でしか、まだ理解していない人のことを考えないからな。共感能力が根本的に欠けているんだろう。
生まれ持った勘で分かるはずないんだねぇ、テクニカルな考え方をする算数・数学なんだから。
普通、多数桁だと順当には筆算するだろう。やってみよう。
101
× 84
―――
84
84
―――
8484
これが頭に浮かべられるようなら、ぱっと簡単な計算方法が思いつくだろう。そうでなくても書いてみればいい。
101と0があるために、桁上がりの部分の足し算が生じないわけだ。書いてみれば、分配法則より直観的かもしれない。
だから、「84の100倍と84を足せばいい」と工夫に気が付くわけだ。こうなると、次に同様なのがあればさっと思い出せもする。 最初から順序良く全部教えてやらせたら、そうはならない。思い出さないんだな。なぜかといえば、楽したから。
「分からない」というメンタルの溜めがあって、それが(たとえ教わったにせよ)溜めの解放で「あっそうか」という感覚が生じる。
分かるというのは、非常に気持ちいい。全部教わると知っただけだね。よほどに工夫しないと面白くないことが多い。
言葉を変えて言えば、自分でやったから、ということになる。自分が為したことは、自分にとって大きな意味を持つものだ。
どう工夫していいか分からないこそ、勉強する必要があるわけだ。よほどに役立たず、さらには有害な事項は別だがね。
この例なら、類するものが日常計算で出てきたときに思いつけるようになるだろう。役に立つよね。
しかも、コイツはこういう楽になる計算が大好きで高評価していたわけだ。100の50%なら2で割ればいいとかね。
そのほうが割合が分かっているとすら言い切りやがった(間違ってるけどなw)。
でも、101×84だと駄目出しする。(生徒が解法を知る前は)分からないからと言ってね。
じゃ、勉強なんか最初からしなけりゃいいじゃんってなっちゃうと思うよ? それでいいのかい? となる。
少なくとも恣意的だよね。コイツが気に入るかどうかなんだから。だからだよ、何回も言うようだが、奴らは公教育の害虫だとね。 あ〜あ、アホな言いがかりつけてるから、発言停止を求められちゃってるよ。
ttps://twitter.com/sekibunnteisuu/status/763601497443540992
> 積分定数 ?@sekibunnteisuu
> #掛算
http://blog.livedoor.jp/rve83253/archives/936115.html?1470620982#comment-form
> ブログ主から出禁を通告されてしまったw
> しかし、なんだかな〜
既にコイツもよく知っているはずの、「2m13cmと2m34cmでは。どちらが何cm長いですか」という問題についてだね。
1)2m34cm-2m13cm=21cm
2)34cm-13cm=21cm
3)234cm-213cm=21cm
こういう解答があって、正解にすべきもの、誤答とすべきものはどれか、それはなぜか、というものだ。
1は完璧に設問に沿った式を立て、解いている。幸い、mとcmで繰り下がりといったことは生じないため、簡単に計算できる。
3はmをcmに換算している部分を示していない。2はmの部分が等しいから0になることを示していない。
まぁどれもよくやる計算であり、2はcm単位でしか違わないとき、3は2m13cmと1m87cmみたいなときには便利だろう。
上記ブログでも取り上げたこの問題では、生徒が議論したことになっているが、特にどれかが間違いとはしていない。
どれが正しいかなんかより、単位の使い方などまで議論が広がる、面白い展開になっている。
ブログ主は、m部分が2と2で同じとはいえ、引き算の式として明記すべきではないか、と今の学校教育ではしていると推測している。
しかし正解にしてやればいいんじゃないかとも思っている。そこへC氏が噛みついた。
> 「今の日本の教育では、34cm−13cmでは、式としては×なのだろうね。」とのことですが、それはなぜなのでしょうか?
とね。その直後に「わたしはこの授業を見ていて、○にしてやってもいいような気がしてきた。」とあるにも関わらず、だ。
しかしこの時点では、C氏も「今の日本の教育」について問いただしているだけとみることもできる。ブログ主は答える。 > 説明がないと、2mを忘れてしまったのか、うっかりしてしまったのか、それとも了解の上でそう書いたのかが判断できません。
> ですから、あくまでテストのときの約束ということで、やはり指導は要すると思います
C氏は上記の直前に「あくまで素人の考えですが、式というものは、あくまで文章題に即していないといけないと思う」とあるのを咎め、
> 事実として正しい答えに行き着いている以上、正解にすべきだと思います。
と言いだす。よく分からん話だ。22-1=21と計算しても正解なのか? そうではなかろうに。
ブログ主は。34-13でも正しいとしたいと言っているわけだ(自分を部外者と規定しているので、希望を述べている)。
その式にも合理性がある、というわけだ。特に問題はなかろう。しかしC氏は「お前は違うことを言っている!」と決めつけてしまったんだな。
お得意の800の5割は800÷2のほうがいいとか、算数が暗記物ではだめだとか、誰も言っていないことを延々と批判までし始めた。
誤読して、さらには言ってもないことで非難とは失礼な話だ。見かねたのか横槍が入り、説明不足と判断すれば不正解のこともあるだろうと意見する人が出る。
要は説明が適度にあればいいということだな。暗記物が駄目といった点に同意してもいる。穏当な見解だろう。だがC氏は反論されたとみるや否や噛みつくw
文章題でも解答の仕方は勝手でいいとか(意訳w)、暗記物は駄目と言いながら暗記させている奴がいるもんとか、ほとんど話が通じない。
でまあ、コイツは俺もときどき使う「相手の言い分を一文ごとに全否定してみる」という手法をどこかで覚えたらしいな。
相手が論を出し惜しみする、反論されたくないのか曖昧に胡麻化そうとするといったときには有効だ。論全体を示させるということだな。
しかし、相手が言いたいことをきちんと言い切っているときには無効、有害だ。論ごとに反論ないしは同意する必要がある。
でないと話が進まない。相手の論がよく見えないから、話を進ませるために一文ごとに否定する手法を使うわけ。 相手が全部言ったつもりなら、論単位に切り替えないと、話を進ませたい側が話の腰を折る結果になる。
ま、煽るだけ煽って単に相手が喋り疲れるのを待つなら、それでもいいのだけれどね。話す気がないとき、と言い換えてもいい。
で、お得意の「だったら、こんなことまであるはずだ」論法を使いだす。かなりワロタ。
> この理屈からしたら、「2016年8月9日午後7時12分から2016年8月9日午後7時47分まで読書をした。どれだけの時間読書をしたでしょうか?」を求めるには> 2016年8月9日午後7時47分ー2016年8月9日午後7時12分
> としないとならないのか?
そもそもそんな問題は出すまいよ。(もちろん、2つの年月日・時分秒の差を求めるという計算は、最終的にはできるようにするけどね。)
上記を書いているとき、コイツは得意満面だったんだろうね。このスレでも似たような奴がいたっけw
「どーだ、これで『違う』と答えれば、『お前は自己矛盾してる』と責め、『そうだ』と言えば、『誰もそんなことはしないぞ』と難詰できる」と思ってるんだろう。
しかし、そんなトラップもどきに返すまともな回答があるとすれば、「バカか、お前は」くらいだろう。
実際、そう返されたことがあるんじゃないかねぇ。だからコイツは下手な予防線を張った。
> 今度議論に参加するときは、ちゃんと相手が何を言っているのかを見た上でお願いします。
そりゃお前のことだろうと思った人、正解ですw 案の定、ブログ主からこう言い渡された。
> コメント最後の《今度議論に参加するときは、ちゃんと相手が何を言っているのかを見た上でお願いします。》
> この言葉は、積分定数さんに送りたいですね。
誰がムチャクチャ言ってるのか、コイツ以外の誰の目にも明らかなわけだ。他の部分もそうだ。こう言われてしまっている。
> そのほかにも、わたしやHidekiさんのコメントを勝手に解釈して、その解釈を根拠にいろいろ批判されていますが、これはもう迷惑なだけですね。
ついったなどでもコイツと愉快な仲間たちがよくやってるやつだな。話をずらしていって非難するというアレねw そして、ブログ主としての管理責任上、最も言い渡したくないことを言わねばならなくなる。
> 以後、コメントを控えていただければと存じます。
これ、俺も場所の管理をやった経験から言っても、他の管理者などと話して分かるのだが、極めて残念な思いがするものだ。
カルト的に固定メンバーと盛り上がるための場所は例外だけどね(コイツが持ってる掲示板みたいなアレw)。
迷惑をかけ続ける奴はまず説明、続いて説得、それで駄目ならやりたくないが注意、どうしても駄目なら最後には退場処分。
その過程で、他の参加者にも迷惑がかかっているから、説明して謝罪もせねばならん。
全面的に非難して、相手の言い分を無視するつもりなら、相手のブログ外で論を展開すればいいのにね。
その手間を嫌って、相手の用意した場所で暴れるんなら、処分も甘んじて受けるつもりが必要だろうよ。
ところが、コイツはそれすら分からない。相手が横暴と思って、わざわざついったで報告する。
自分が賛同され同情されると思ってるんだろうね。原義通りの確信犯だ。駆除以外、方法がないことを、コイツ自ら何度目かの証明をしてしまったようだw この魚臭い奴は喋れば喋るほど墓穴を掘るってことが分かってないようだw ま、似非の入る墓穴だから構わんがw
ttps://twitter.com/sunchanuiguru/status/764061580577255425
> 鰹節猫吉 @sunchanuiguru
> #掛算 続)「3gと10gのおもりで11gのものを量れるか?」問題、英語版でも11gは量れないことになっていた。(終
> https://twitter.com/sunchanuiguru/status/762275499288645632?lang=ja
自分で引用したツイートはコイツのものだな。前に天秤を使い3gと10gの分銅で11gは計れるもん!ってやつの英語版。画像URLも引用しとこう。
> https://pbs.twimg.com/media/CpQkjMeVMAAszVx.jpg
この英語版で面白いのは(いい意味で、だよ)、9g〜12gの選択肢以外に1〜100を記した10×10の表も添えられていることだな。
3の倍数+10の倍数で埋めてみましょう、というわけだ。まず3の倍数で埋めていくとしようか。3、6、9、…と埋まっていくね。
次に10の倍数で埋めていく。10、20、30、…が埋まる。ここで10に注目してみる。3の倍数をここから使えばどうか。
13、16、19、21、…と埋まっていく。20とて同様だ。23、26、29、32、…と埋まっていく。
そして30から。しかしこれは3と10の最小公倍数だ。33は3の倍数だ。36、39、42もだ。とある規則性が見えてくる。
そういう仕掛けであるわけだな。それだけではない。コイツが問題にした、両方に分銅を載せるアイデアはその表を使えばどうなるのか。
3gの分銅を試料の皿に載せることを考えよう。10から出発して引き算で作ると、7、4、1が作れることが分かる。
同様に20から出発すると、17、14、11(例の重さだな)、8、5、2が作れる。さらに30からなら、とやればいい。
もちろん、3の倍数のところから10ずつ減らすのはどうか、ということもやってみることになる。
すると全て埋まることが分かってくるだろうね。操作としての規則性も見えてくる。算数レベルでは充分だろう。
数字を選択肢として与えられて、パズル的に、あるいは勘で思いつくのとは大違いだ。数学的にね。
1〜100の10×10の表を見ても、そういうことが思いつけないのがコイツ、さらには似非さんであるわけだな。
やはり害虫だよね。自分の勘や思い付きを強いて、算数、数学はすっかり忘れている。 C氏が批判対象をいかに理解していないかが分かる例w こんなに対象に無知だったとはね。
ttps://twitter.com/sekibunnteisuu/status/765507264589418496
> 積分定数 ?@sekibunnteisuu
> #掛算
> 1年算数:求差の教え方
> http://kiyotaka6.exblog.jp/23024401/
> これを見て「求差は難しい」の意味が分からなくなってしまったorz
リンク先ブログは求差を教える要領を説明する動画だ。3つの傘それぞれの下に計5つの椅子が2つあったり、1つだったり。
(傘, 椅子, 椅子) (傘, 椅子, 椅子) (傘, 椅子)みたいな感じだ。小学1年に計算させてみるといろいろ間違うという話が出てくる。
生徒が3-5と書いてしまい、小さい数から大きい数を引けるの?と聞くと、はっと気が付いて5-3に直すなんて話が紹介されている。
それは引き算式の書き方が分からないという話じゃないのね。はっきりそう言いはしないが、言わずとも分かる。
だってちょっと指摘したら気が付く、思い出すということなんだからな。不慣れなこと(求差)すると混乱しがち、知ってるはずのことですら忘れがちというやつだ。
ここでも俺がよく言ってる、かけ算で新しい数を扱うときには以前に使った掛け順固定を一時復活させるということに通じる。
不慣れなことをするなら、それ以外はできるだけ慣れているものにするか、情報量を下げてやるということだ。混乱させないようにね。
> 傘が3つ、椅子が5つ
> A 椅子が傘よりも2つ多い、ということが理解できない。
> B 椅子が傘よりも2つ多い、ということは分かるが、傘が25,椅子が13となると数が多くて分からない。計算方法も分からない。
> C 多い方から少ない方を引けば答えが出ることは分かるが、「違うグループの引き算はしてはいけない。椅子から傘は引けない」と認識しているので計算できない。
リンク先動画が説明しているのは、どれでもない。その程度のことも読み取れないとはねぇ。
求部分「5人の子がいて3人は男の子です。女の子は何人?」は全体が5人という1つの集合だけを考える。
求残も「3人の子がいて3人帰りました。まだいるのは何人?」もそうだな。全体が5人で、そこから減らす。
求差「3つのビーチパラソルの下に椅子が5つあります。どちらがどれだけ多い?」だけは違う。 3つのビーチパラソル、5つの椅子という2つの集合がイメージされる。ここが初心者には難しい。引き算かもと思うが、何から何を引くのかと迷う。
例えば、(傘, 椅子, 椅子) (傘, 椅子, 椅子) (傘, 椅子)を整理してみるという手がある。既に習った1対1対応を使う。
(傘, 椅子) (傘, 椅子) (傘, 椅子) ( , 椅子) ( , 椅子) とするわけだな。そして(傘, 椅子)を取り除く。
( , 椅子) ( , 椅子)が残る。ここで、1対1対応させた( )に注目すると、求残の計算モデルになる(求部分と考えることも可能)。
(*) (*) (*) (*) (*)から(*) (*) (*)を取り除く引き算になったからね。求残だ。
こうして求残タイプの引き算なら分かる、出来る子にも求差が説明でき、次第に分かってくるだろう、という話だ。
動画で明快に説明されている、そんな簡単なことすら、コイツには分からないらしい。揚げ足取りかと思ったが本気で分かってないようだ。
> 算数教育界の人が言う「子供にとって求差は難しい」はABCのどれなのか?あるいはどれにも該当しないのかが分からなかった。
自分の思う範囲にあるはず、としてしまいたいわけだな、分からないからw 分からなきゃブログ主に聞けばいいのにね。
しかしコイツは分からないから聞く質問ができない。難詰はできてもね。「だって俺は誰より偉いんだもん」と思ってるからねw
こいつが考えた選択肢の中に正解はない。ブログ主が解説しているのは別の問題だ。上記のようなね。
> これによると「3ー5=2としてしまう」という難しさ、ということなのか?
混乱して引き算の記法をうっかりしただけだよ。3-5=2と書けると本気で思ったわけじゃない。
> しかし、「引き算は、大きい数ー小さい数、という式を立てないとならない」「3ー5は−2であって2ではない」というのを知らなかったらどうだろうか?
そんなことくらい、生徒は知っているよ。
> つまりこの子の頭の中ではaーbを|aーb|と認識しているなら、それは単に一般の算数・数学の慣習とは異なった認識をしていると言うだけのことで、
してないしてないw > この子自身が算数なり引き算なりを理解していない、ということではない。
ここだけ合ってるねw
> 慣習に従った方が望ましいから、この手の子には「とにかく、大きい数ー小さい数の式を立てなさい。そういうことになっている。つべこべ言わずにそうしなさい」と教えてもいいと思う。
おやおや強権発動するんだw コイツ、暗記物は駄目だと言ったり、暗記させたり、コイツの大好きな自己矛盾ってやつだなw
しかし、引き算の記法は数学的必然性はない。いわゆる語義通りの「きまり」ってやつだ。「みんなそうしてるから、そうしてね」というもの。
そして、ブログの動画には引き算の記法を知らないとか、あえて破るとかいった話は一切ない。全てはコイツの妄想に過ぎん。
> いずれにしても算数教育関係者の言う「求差は難しい」というのは胡散臭い。
デタラメに解釈して胡散臭いなんて言ってみてもねぇw 胡散臭いのが誰なのか、またもやハッキリしてしまったようだw
いつでもこんなもん。似非自由さんの言う「ガッコの算数がおかしい」というのは胡散臭いw 穏当な見解を述べたブログに勘違いして噛みつき、追放処分にまでされても、まだ悔しいらしいw
ttps://twitter.com/sekibunnteisuu/status/766808315795951617
> 積分定数 @sekibunnteisuu 35分35分前
> 批判の内容に対して反論するならともかく、批判自体をやってはいけないことと認識しているとしたらアホである。
> ↓を見て思ったけど、教育界の人は批判と誹謗中傷人格攻撃が異なると思っていないのではないだろうか?
> http://blog.livedoor.jp/rve83253/archives/936115.html?1470620982#comment-form
リンク先は例の「2m34cmと2m13cmの差を求める式」だな。>>757からちょっと書いてある。
追放されたもんで、C氏の掲示板常連に頼んで、代わりに噛みついてもらったらしいw
> 28. Posted by TaKu 2016年08月11日 21:23
> toshiさんへ
> 積分定数さんが、toshiさんの勘違いを
> http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t21/2594
> で指摘しています。
> 積分定数さんからのコメントは控えて欲しいとの事なので、私の方からお伝えしておきます。
> 以下は、私の感想になります。
> 【相手に伝える力の大切さ】という発言がありますが、相手の考えを読み取り理解する努力も大切だと思っています。
> toshiさんからは(Hidekiさんからも)、それがあまり感じられませんでした。
最後に煽りを入れるのを忘れないとは、さすが荒らし一味だw このリンク先はC氏の掲示板だな。こんなことが書いてある。
> [2594] 誰かお願いします。 投稿者:積分定数 投稿日:2016年 8月11日(木)14時49分2秒 編集済 返信
> 以下の文章を最後のコメントにしようとしたけどブロックされているようです。
> 誰か、この「2594」コメントのURLを提示するか、コピペして、
> http://blog.livedoor.jp/rve83253/archives/936115.html?1470620982#comment-form
> にコメントしてもらえませんでしょうか?
まあ、おいおいと言うしかないな。代弁で書き込ませたら、本人が書いたも同然だろうに。
管理者がブロック措置を取るって、どういうことか分かってないらしい。自分もそこでは管理者なのにねw
まぁいい。何を書きたかったんだ?と見てみよう。 > toshiさんへ
> 「以後、コメントを控えていただければと存じます。」とのことですが、私の発言を誤解しているのようなので、それに関して述べて最後とさせていただきます。
最後ねぇ。仮にこれが書き込め、具体的に反論されたら、さっきのが最後と思ったけど、これを本当の最後に、とか言い出して終わらないもんだがw
> 「おかしいでしょう。」
> おかしくはありません。
引用が短すぎて何のことか分かりにくいが、C氏の殴り込み先wでのブログ主がこう言ったのを引用したいようだ。
「 まず、わたしは《自分は算数専門でないので、あくまで素人の考えですが、〜。》と書いています。」
「それに対して、《客観的事実として、学校での算数教育現状がそうなっていると理解》はおかしいでしょう。わたしは学校での算数教育現状などふれてもいませんよ。」
> toshiさんは「わたしは算数専門でないので、あくまで素人の考えですが、式というものは、あくまで文章題に即していないといけないと思うのです。」と述べた。
ブログ記事本文ではなく、コメント欄でC氏が噛みついたことにブログ主が答えたものだな。
> この「いけないと思う」が、toshiさんがいけないと思っているのか、算数教育の世界ではそうしないといけないとされていると思う、の意味なのか判断が迷うのですが、
式は文章題の文章から数学部分と取り出して作るものだから、文章題に即している必要がある、というのは適切な見解だ。これはブログ主の見解だね。
ただし、ブログ主はメートル部分が等しいからセンチ部分だけの計算式も正しいとしたいと言っている。その式も即しているという見解なわけだな。
> 算数教育について色々調べていると、「文章題に即していないといけない」となっているらしいことは分かっていました。
そりゃそうだ。ただし、「即する」ということで何を言っているかは注意する必要がある。
> ただ、toshiさん自身がそれを是としているのかどうか分からないので、
是としていると読んで差し支えあるまい。ただし、勝手に「即する」を定義して、相手の意見を捏造してはいかんがね。 > 「客観的事実として、学校での算数教育現状がそうなっている、ということは了解しました。その上で、「あくまで文章題に即していないといけない」という考えには異論があります。」と書きました。
そりゃ、「即する」をどう取るかということに過ぎん。で、C氏勝手定義の「即する」で相手の見解を歪曲したわけだな、今回の件で。
> 「あくまで素人の考え」と言っても、実際に小学校で授業してきたのでしょうし、私自身も色々調べているわけだから、私が「客観的事実として、学校での算数教育現状がそうなっている」と認識しても何の不思議もありません。
ほらほら、おかしくなってきたw 具体的なことはまだ言ってないがね。
> 「わたしは学校での算数教育現状などふれてもいませんよ。」
> なるほど。
> 「式というものは、あくまで文章題に即していないといけないと思うのです。」というのは、現状がどうなっているかの推測ではなくて、
> toshiさん自身がそう考えているということですね。私の誤読ですね。
よくできたね、自分の誤読を認められたなんて、偉いじゃないか。今までと比べて、だけどねw しかしだ。
> でも、この文章からはどちらにも解釈可能ですよ。
ほらな、おかしく捻じ曲げた。多義に解釈可能なら、真意を聞けばいいだけの話さ。なぜそうしないんだか。
こっちもあり得るからおまえはこっちで考えているはず、と固執してしまい、ついに出入り禁止になったんだろうに、
その論法使いすぎて毒され、本気で自分の解釈が相手の真意より真実になっている、と思い込んでしまっている。さすがはカルトさんだw
> 特に今回は「今の日本の教育では、34cm−13cmでは、式としては×なのだろうね。」とtoshiさんが、算数教育の客観的状況を推測している、という文脈があるのだから、
> 私のような誤読も自然にあり得ると思います。
論理的つながりがさっぱり分からん。誰かコイツに論理学を教えてやるべきだろう。
まぁ「即する」をブラックボックス化して、そこにコイツに都合の悪いものを全部ぶち込んだだけだろうけどねw
でさ、んなことはどうでもいいとコイツ自身が言っていることを、コイツが理解してないのが怖いねぇ。
誤読したと認めているわけだからな。 なら虚心坦懐、誤読を正すか、正すべく聞き直すべきだろう。と普通の人間なら思うはずだ。
そうせず「誤読しちゃった責任、お前が取れ、俺の解釈した通りにしろ」とねじ込んでしまう奴に、何言っても無駄だけどねw
> 「あなたは、わたしが答えまでバツにしていると勘違いしていますね。記事本文ですが、《式としては×なのだろうね。》と書いています。答えが合っているのなら、もちろん答えは〇にしますよ。」
《式としては×なのだろうね。》は現状の学校での算数教育に対する推測だな。ブログ主は式も○でいいと思っている。記事に明快にそう書いてある。
仮に学校で式が×になるところまで譲ったとしても、答までは×にすべきではない、とブログ主が考えていることが読み取れる。
> 何一つ誤解していません。
何を? コイツさ、相手に分かるようにという配慮は全くないね。というか、分からないようにしているんだろう。
そうしておくと、相手はC氏の真意をあれこれ考えて、C氏の真意に近そうだと思えることを言ったりするからね。
詐欺師がよく使う手だ。あくどいんだが、何かを思い込ませるためには有効な手ではある。
> 「事実として正しい答えに行き着いている以上、正解にすべき」
> ここでいう「正解」というのは、「式としては×なのだろうね。」に対して言っているのだから、「式も○にすべき」という意味です。
ブログ主の誤解なんだと言いたげだな。確かにコイツの見解では、メートル部分を省いたセンチだけの式を考えているだろう。
俺が前に言った、センチの数値が違う、答だけ合ってて式がムチャクチャなものは、極端な話に過ぎん。
面と向かってなら、「そんなバカげた」と返され、「そりゃそうだろう」として話を進めるところだ。
話を進ませるための煽りということだ。(んで、掛算タグにも似たようなこと言う奴がいるとw C氏がこっち見てるかどうかは知らん。)
> もしかしたら、「正解」というのは、式の部分ではなくて最終的な答えの部分の正誤だけに関して使うという算数教育界での独特な流儀があるのかもしれませんが、
式に×が付いている例、コイツやコイツの愉快な仲間()がさんざん非難するための例に挙げていると思うんだがねぇ。これも自己矛盾ってやつ?w > 仮にそうだとしても、私がそういう意味で使っているわけではないことは明らかだと思います。
そのコメント欄でも、式と答、で話が進んできたわけだし、誰も文章題にない数値(ただし答えは合う)を持ち出してはおるまい?
> 「《事実として正しい答えに行き着いている以上、正解にすべきだと思います。》あなたは、わたしが答えまでバツにしていると勘違いしていますね。
> 記事本文ですが、《式としては×なのだろうね。》と書いています。答えが合っているのなら、もちろん答えは〇にしますよ。」
> ↑この後半部分は私が勘違いしているという前提で、「そんな勘違いはおかしい」と反論しているわけですよね。
そのときに、正しく応対せず、さらに歪曲や誤読、誰も言っていないことでテンション上げたんだよね?
なんで今更なのさ、ってことだ。後で言い訳思いついたからさらに粘着してきたのは明らか、と受け取られて当然だろう。
> その通りです。そんな勘違いするのはおかしいですよ。だったら、「積分定数は勘違いしている」という前提を疑うべきでしょうね。
疑いようのない事実なわけだよ。誰も言ってない無関係なことを列挙しただろう? ブログ主が式も○にしたいと言ったことを真逆に返しただろう?
> 私からしたら、「わたしが答えまでバツにしていると勘違いしていますね。」というtoshiさんの勘違いこそが不可解です。
いつもの手だね。分からないと言い募って、延々と相手に説明させようとする。荒らしがよく使う手だ。
ま、こんな非常識なことにブログ主が答えてくれるはずもない。ブログ主はC氏のママじゃないんだからなw
甘やかしてくれるはずもない。記事をよく読め、二度と来るな、と返してお終いになったw ¥
>1 :名無しさん :2006/04/30(日) 01:41:01 ID:KPnB.CH2
> 迷惑かしらん
>
>5568 :名無しさん:2016/08/17(水) 18:26:13 ID:???
> うるさい
>
>5569 :kmath1107★:2016/08/17(水) 21:46:32 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
>5571 :名無しさん:2016/08/17(水) 23:39:07 ID:???
> うるさい
>
>5576 :kmath1107★ :2016/08/18(木) 20:58:14 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
>5577 :名無しさん :2016/08/18(木) 21:05:02 ID:???
> >>5575
> うるさい
>
> >>5576
> 賛同致します
>
>5578 :kmath1107★ :2016/08/19(金) 08:46:22 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
> Re:>>5577 人への念の盗み見による介入が無くなれば世の不和が無くなるだろう.
>
>5582 :¥ ◆2VB8wsVUoo :2016/08/19(金) 08:53:36 ID:???
> 芳雄が理想とし、自ら体現する大学教授とは?
> 0.自分が『お教授である』という利点を徹底活用して、偉そうに振舞う。
> 1.年寄りや権威には擦り寄って顔色を窺い、ラクして損しない様にスル。
> 2.難しい分野や困難な研究テーマは徹底して避けて、努力を最小化する。
> 3.高い学歴とか権威を効率的に利用して、自分を飾って偉く見せ掛ける。
> 4.他人に見える部分だけを巧みに繕ってメッキし、人格者のフリをする。
> 5.相手のオツムの質を窺い、シッタカだけで見識がある様に見せ掛ける。
> 6.自分よりも優秀な人間は絶対に敵に回さないでヘラヘラと仲良くする。
> 7.自分から見てダメオツムな野郎は、上から目線で威圧して屈服させる。
> 8.大して中身が無いカラッポ知識を針小棒大に騒ぎ立て、蘊蓄を傾ける。
> 9.自分の大脳が働いてない低能ぶりは、口先で適当に誤魔化して逃げる。
>
> ¥
> その前があって、 http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t21/2609 だな。前半が幾何、後半が確率。
統計学の部分についていえば、「サイコロを6000回振ったとき、出る目の数はどれも1000回ずつになる」という数学的結論はない。
平均といったことなら1000回でいいけどね。しかし普通は「1の目が出るのは、95%で1000±n回」などと言う。
誤差を含み、かつ誤差についても定量的に言えるのが確率、統計学の強みだ。統計学も数学だからね。
そのことをC氏が分かっているのかいないのか不明だが、数学的には1000回ぴったりではおかしいとしている点は正しい。
一方、幾何の部分でC氏が言っていることは、どうも怪しい。幾何学で2つの線分の長さが等しい証明問題の部分だな。
具体的な問題が不明だが、幾何学なら「等しいことが証明できる」「等しくないことが証明できる」「証明自体が不可能と証明できる」のどれかだ。
どれかに確定するまでは未証明、つまり「まだ分からない」ということになる。分からないと証明不能は全く異なる。
怪しいと思う部分の一部を、掲示板からちょっと引用しよう。
> 数学で線分abと線分cdの長さが等しいことを証明せよ、ただし定規などを使ってはいけません
> という問題が出されたことを想定すれば、定規を使うとバツになるのは当然。
定規を使うなという断り書きがあるからではないだろう。念のために書いてあるに過ぎん。測定で証明を代用しないようにね。
測定も一応は役に立つものではある。元の図ができるだけ正確なら、測定でおおむね等しいと確認できるからね。
しかし、一例にすぎん。例えば、縮尺変えても大丈夫なのか、誰も保証できない。保証するなら証明することになる。
また、測定誤差も問題だ。幾何学として調べたら、ごくわずかに等しくないなんて分かるものだとしよう。1兆分の1違うとかね。
それを測定で検出できるとは限らない。さらにいえば、誤差ゼロの測定が不可能なことは物理学がもう証明してしまっている。
たとえ超精密な測定法が開発されてもね。よく知られる量子力学だ。不確定性もあり、長さならプランク長さなる最小単位がある。
プランク長さの半分なんて測定できないわけだ。ところが幾何学は誤差無しの厳密性がある。 これはもう、純粋に観念的な世界になるわけ。定規なんて具象物で規定できるようなものではない。
> 物差しで長さを比較する現実世界 と 概念の世界の数学 が対立しているわけではない。
数学と現実世界は無縁なんだがな。でないと、数学の証明に現実の物をもちこまねばならなくなってしまう。
現代以前だとそういう面はあった。古代より現実から数学を発想したからね。今は違う。現実と切り離した。
だからこそ、数学が完全で無矛盾かどうかを議論できた。数学については数学以外が不要だからできることだ。
言い換えれば、数学は数学だけで閉じている。そういう数学がたまたま現実に応用できることがあるに過ぎん。
しかし、対立ではないだろうね、無縁ということなんだから。2つの線分の証明でいえば、長さが等しいと幾何学で証明できたとする。
そうなら、その問題通りに作図して定規で測ったら2つの線分は誤差の範囲で等しいとなるだろう。
数学では観念から現実へは一方通行だ。対立でないなら共存ということなら、違うと言っておくべきだろう。無縁なんだからね。
> 誤解していることを例に挙げることで、全体が胡散臭く見えてしまう。
まったくねぇw コイツはしばしば自分に跳ね返ることを言っちゃうよね。しかも、今回は数学だ。数学とは何かを誤解している。
簡単な事例も挙げておくか。経験上、ときどき出てくるものだ。1+1=2なのかというもの。
「粘土の塊が2個ある。その2個をくっつけてこねた。どうみても1つの粘土の塊だ。1+1=1で2じゃない。ほーら、数学なんて役立たずでしょw」
これに対しては要は「数学は数学のみで閉じた論理体系だから、現実への適用は適用する人間が数学を正しく扱え」とでも答えておくしかない。
あるいは「現実世界で何をしても、数学に対する証明にはならない。なぜなら数学は数学以外と無縁に作ってあるから」とかね。
数学に数学以外を混ぜる奴は数学を根本的に分かっていない。実際にサイコロを転がして確かめる? お前は何を言っているのだw 俺は確率を分かってるんだー、と自慢したくて墓穴掘ってるよw 例の「6000回サイコロ降って、1の目が1000回」をよほど根に持ってるらしいw
ttps://twitter.com/sekibunnteisuu/status/767866226907373569
> 積分定数 @sekibunnteisuu
> 降水確率90% などと予報して、これが当たったかどうかを事後的に判断するにはどうすればいいのか?
> 天気予報に確率を導入してしばらくしての新聞記事で、予報確率と実際の降水となった割合がほぼ一致していたので、よく当たっていた、という記事を目にして疑問に思ったことがある。
まぁ疑問を持つのはよいことだね。本当に疑問に思ったのなら、だけどねw
> ある期間ごとに集計してどれだけ当たったか調べるとする。 期間前日までで降水確率90%とした日が9日間あって、全部雨だった。
> 明日はほぼ間違いなく晴天。そうするとここで「降水確率90%」と予報することで、「90%と予報した日が10日間あって、そのうち雨は9日。見事的中」となる。
そういう分かりやすい方法と採用したんだろうね。天気予報は不特定多数向けの情報なんだからな。
野球の打率なんかと同じだ。直近の打席を調べて、10打席当たり3打数なら3割としている。(違ってたらスマンw)
> これはやっぱりおかしい。
まず駄目だしか。まぁ結論から言うのも悪くはなかろう。結論が適切な方法で推論されたのなら、だけどなw
> 降水確率を予報として出して、それが当たったかどうかを、降水になった割合がその確率に近いかどうかで評価するのは不合理。
予測を確定した結果から評価して、何かマズイのかねぇ。
> 単純なケースにモデル化する。 袋Aには赤玉4個白玉1個 袋Bには赤玉1個白玉4個 入っている。
> ある人が2分の1の確率でAかBを選択して、玉を取り出す。 観測者が2人、甲と乙がいて、この人が袋に手を突っ込んだ時点で、赤玉を取り出すのが何%かを当てるゲームをするとする。
またもや、おかしなことを始めたなw いつもの、「もしこうだったら論」に近い。降水確率とアナロジーが成立してるのかねぇ。
観測者乙は甲より予測に有益な情報が多い。そういう比較モデルを設定した時点で、ミスリードの意図を疑われると思うんだが。 > 甲は常に50% 乙は、Aに手を突っ込んでいたら80%、Bに手を突っ込んでいたら20%と予報する。
乙のほうが予測精度が高いことは、たいていの人には分かるだろう。
> 何度もやると、 甲が50%と予報した状況(つまり全部)で、ほぼ5割が赤玉 乙が80%と予報したときは8割、20%と予報したときは2割が赤玉。 どちらも的中したことになってしまう
与えられた情報次第で予測精度は変わるということに過ぎん。
> 予報的中の評価方法として、これは不合理。
違う方法では異なる結果を得た。それのどこが不合理なんだろうね。実際の降水確率はどう計算するか、知っているのだろうか?
予測すべきエリア内で過去に似た天気図であったときの事例を集める。1mm以上の降水頻度を調べ、100例中25〜34回であったなら降水確率30%だ。
これ、作業や解釈が結構ややこしい。エリア内でごくごく狭い範囲で1mm以上あれば降雨1とカウントするのか、とかね。
その辺りは経験でやっていたはずだ(そのうち、はやりのビッグデータと学習型AIになってくるかもしれない)。
C氏の例になんとか対応させようとするなら、甲は天気図無視で過去全部の降水回数での予測、乙は似た天気図で予測、となる。
なんのことはない、乙の方法なわけだ。
(そうではない解釈ができるのは承知、なにせC氏のは現実とかけ離れたモデル化なんだからなw)
> 直観的には、乙の方が甲よりもより正確に予報しているといえる。それを反映させる評価方法はないものか?という話をネットでしていたら、ある人が名案を出した。
現実は乙だ。よかったねw この後、名案なるものの解説が続くが、どうでもいい。降水確率の予測モデルを理解していないで話を進めていたのだからね。
逸れた話はどうでもいいわけ。しかし、一応は見てみるか。 > 予報値を実際の値(赤玉だったら1,白玉だったら0)の差の2乗を合計して、この値が小さいほど、予報が当たったと見なすというもの。
> 何度も繰り返す場合は合計値を回数で割ればいい。 これで計算すると、甲は0.25 乙は0.2 で乙の方が精度が高い、と直観通りの結果になる。
> この評価方法の場合、事前の情報から考えられる確率を予報値をして出すことが、この評価値(小さいほどいい)の期待値を最小値とすることになる。
> 確率pで、予報値xの場合の評価値の期待値は p(xー1)^2+(1−p)x^2 x=pで最小値。
バカバカしいね。予測の評価に確定した結果を用いている点で同じだよ。しかも、降水確率は乙の方法で求めているんだしね。
コイツ、何か話をし出すと、自分の話を補強したいあまり手当たり次第になり、当初の目的をすっかり忘れる。
しかも、自分が誤解しているかもしれないということを疑いもしない。変だと思ったら、必ず相手がおかしいと思い込んでしまう。
天気予報関係者もバカではない。1億以上の不特定多数を常に相手にもしている。少しは自分を疑ってしかるべきだと思うんだがね。
実際、降水確率の求め方に関して無知だ。かなり説明が難しい代物だと分からん奴は、こういう単純化をしがちだ。
降水確率をどう解釈するかの一般向け説明はいろいろある。単純なのは予測エリア内で10日中何日というものだな。
しかし、これでは実感(←理解、ではない)しにくい人もいる。別の説明例としては、「エリア内の3割の人が雨に遭う」なんてのもある。
それも分かりにくいと文句を言う人はいるけどね。だからいろいろの説明方法を用意する。
しかし、感覚的に納得するための説明方法に過ぎんのよ。そこに固執して適不適をあれこれ言っても的外れだ。
的確に評価したければ、アルゴリズムと計算式を評価するしかない。(以降、割愛) 降水確率は、過去の似たような天気図からの統計なんだが、
何か勘違いしてる人がいるようだ。 相変わらず、突然の思い付きで悦に入っているようだ。相変わらず、間違っているけどなw
ttps://twitter.com/sekibunnteisuu/status/771250165566943232
> 積分定数 @sekibunnteisuu
> #掛算 どうも中学数学では、定義、定理、性質が区別されているようで
> 定義は、誰か偉い人が決めた唯一のもの
> 性質は、成り立ついろいろな性質
> 定理は、性質の中で特に重要なもの
> となっているらしい。
「誰か偉い人が決めた」というのは、コイツがさんざんネットを漁って、ようやく見つけたページのもののようだ。単なる塾のサイトだな。
ttp://www.kokugoryoku.jp/2014/12/13/%E5%AE%9A%E7%BE%A9%E3%81%A8%E5%AE%9A%E7%90%86%E3%81%AE%E9%81%95%E3%81%84%E3%81%AF%E5%88%86%E3%81%8B%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%99%E3%81%8B-%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%95%B0%E5%AD%A6/
> 定義と定理の違いは分かりますか?(中学数学)
> まずは定義ですが、これは正しいかどうかはわかりませんが、昔、偉い学者たちさんが、決めたことと覚えてください。
> たとえば、「2辺が等しい三角形は二等辺三角形」としましょうと決めただけです。
> 別の学者では、「2辺が等しい三角形は二辺等三角形」と決めたかも知れない。
> つまり、「定義とは決まり、ルール」なのです。
定義とは人工的なものだということだね。まぁ仕方がなかろう。ある特徴で何かを分類したとして、何をどうして何と呼ぶかくらいはやるものだ。
「こういうものをこう呼ぶことにします」と他人に伝えなければ、その場だけのものになってしまうからね。
不特定多数が使って便利な概念は、概念内容と名前を共有しておきましょう、というに過ぎん。 中学生相手なら、「偉い学者さんが決めた」とでも伝えておくしかなかろう。一応の配慮はあり、一意なものではないとも説明している。
適切な説明だろうね。しかし、コイツは適切なのが気に入らない。そこで、「偉い学者が決めた」だけを取り出す。
しかも、原文に反して「唯一のもの」と捻じ曲げてしまった。もっとも、どこからの引用なのかは伏せてある。ネタバレするとマズイと思ったんだろうw
しかし、唯一ではない、ということは明らかだね。数学では定義は重複を排するだけでなく、数も意味も最小限にしたい。
証明されうるものも定義からは排する。逆に、それらを満たしていそうなら定義はなんでもいい、ということにもなる。
自分が言いたいことに近いことを言っているサイトを探し、そこだけを取り上げ、しかも歪曲するとはね。堕ちるところまで堕ちたようだw
証明抜きで受け入れる公理系という言葉はあるが、定義系とはあまり言わんかもしれんが、定義系は確かにある。
その定義系もいろいろありうるわけだ。しかし、特に支障がない限り、できるだけ同じものにしておいたほうが便利だ。
例えば、正三角形。三辺の長さが等しい、が最もよく用いられるかな。ユークリッド原論で採用しているからだろう。
しかし、三つの角が等しい、という定義を採用しても、特に問題はない。その定義から、三辺が等しい、を証明すればいいだけのことだ。
どっちでもいい、だからこそどちらを定義とするか共有しておくわけだ。何を証明すべきかが変わってくるからな。 ttps://twitter.com/sekibunnteisuu/status/771250984190259201
> 積分定数 @sekibunnteisuu
> #掛算 以前、横浜市教委指導主事が「正三角形の定義は3つの辺の長さが等しいであって、3つの角が等しいというのは性質であって定義ではない」と言っていて、
> 「何を馬鹿なことを言っているのか?」と思ったけど、算数や中学数学ではそうなっているのかもしれない。
そりゃ横浜市の小中学校でどう教えているか、つまり何を定義として採用しているかを紹介したに過ぎんからさ。
まさか、こっちでもいいが、あっちでもいい、なんてことはやりはせん。さっきのサイトにもある。人工的に決めておくわけだ。
どっちでもいい、なんてやったら、こっちの定義ではこう、あっちの定義ではこう、なんてことになってしまう。
原論的な自由度ということなら、辺の長さと角度と、どちらを定義として採用してもいいという議論はできるだろう。
だけど、コイツが聞いたのは市教委だ。現行のカリキュラムを提示するに決まっているし、三辺が等しいを定義として採用して問題はない。
むしろ、どちらの定義を採用しているかを即座に明言できている点を褒めるべきだろう。
しかし、コイツは気に入らないんだよねぇ。自分がどういう視点でどう考えたいかは言いもしないでさ。
相手はエスパーではない。いや、そのことはコイツもよく分かっている。だからミスリードを誘ったわけだな。ただ非難するために、だなw
小中学校のカリキュラムを聞いていると思わせて聞き出し、数学ではこうだと非難する。これが揚げ足取りでなくてなんのかw >>797
> しかし、唯一ではない、ということは明らかだね。
そういう当たり前のことを
生徒が当たり前と
感じるようになるような
指導をしていれば、
教師も世間から
多少は信用されるのにね。 >>799
だから、そういうのは小学生には無理なんだって。
確実に「これだ!」と教えてくれと言われるぞ そもそも、中学以降は試験回数は学期ごとに1、2回なのに、
小学校では暇なし試験しているのが根本的問題だと思うけどなw
これは、小学と中学以降との大きな違いだ。試験回数が多ければ、
そりゃ、試験で問題を解く際に要求される知識が少なくなる。
小学校でも学期ごとに1、2回にすれば、試験で問題を解く際に
要求される知識が現状より増えるから、こんな問題はなくなるんじゃないか。
試験回数を減らせば教える時間が増えるのだし、図や足し算を用いて
帰納的な形で子供に掛け算を教え、その教えた範囲の掛け算の順序が
実は交換可能なことを教えることは、半学期位で出来るだろう。
小学教師は、試験中休んで後で採点し教師にとっても残業が生じて
時間が減るという、何とも合理的でない教え方をしているw >>799
> > しかし、唯一ではない、ということは明らかだね。
> そういう当たり前のことを 生徒が当たり前と感じるようになるような指導をしていれば、教師も世間から多少は信用されるのにね。
徹頭徹尾、「まだ数学を学習途上なのだ」ということを忘れるよね、お前の常としてw
それなら、かけ算の導入時はどうなのかね? 最初から2+2+2は3+3と同じことだと教えるのかね? 同数累加と交換法則はそういう話なのだが。
あることが数学として正しい、ということと、それが正しいとできる数学を学ぶことは別なわけだ。何度も言うようだけどね。
途上なんだよ、途上。学ぶ前に結果を示して理解できるかね? できはせん。それなら暗記させるのかい?
あのさあ、自分が言ったことが何を意味するか、招くかを少しは考えなよ。生徒に酷い結果を招くことばかり言っているではないか。
そういうことを教師にせよと今回は言っているわけだよね。公教育をまるごと破壊する気満々と言われても仕方あるまい。
教師にどういう恨みがあるのかは知らんし、関知もしないけどさ。お前の言動を見ていると、お前に原因があるとしか思えんな。笑えん。
大事なことなので言葉を変えてもう一度。生徒にとってよくなるように考えろ。己が快のみを貪るな。 >>801
それでは定着しないから一般の公立校じゃ無理だよ。
ちなみに、中学校でも計算分野ではひっきりなしに小テストを行っている。 >>802
こういう当たり前との感覚って、
高度なゴールじゃなく、学習の出発点なのにな。
算数科とソロバン塾の区別はついてるのか? >>804
> こういう当たり前との感覚って、高度なゴールじゃなく、学習の出発点なのにな。
へー、
1.「正三角形とは三辺の長さが等しい三角形である」
2.「正三角形とは三つの角が等しい三角形である」
のどちらが定義でもよいよ、どちらでも正三角形を理解しなさい、どちらの定義からも他方が性質であることを理解しなさい、と小学生に強いるわけ?
無理と言うしかないな。正三角形というものを初めて認識する小学生なんだから。
だから言っているわけなんだがね、己が主張を通すために子どもに無理を強いるなと。
> 算数科とソロバン塾の区別はついてるのか?
お前はそろばん塾で正三角形が何かと考えたり、作図でもするのかい?w >>805
> のどちらが定義でもよいよ、どちらでも正三角形を理解しなさい、どちらの定義からも他方が性質であることを理解しなさい、と小学生に強いるわけ?
当たり前だ。それを知らなければ、正三角形を知ったことにならない。
無理だと言うなら、小学生に正三角形は無理と言ってるに過ぎない。
> お前はそろばん塾で正三角形が何かと考えたり、作図でもするのかい?w
図形なども教えるソロバン塾を、苦悶式と呼んでいるな。 >>806
> 当たり前だ。それを知らなければ、正三角形を知ったことにならない。
おやおや? ユークリッド流なら「三辺が等しい」を定義として「三つの角が等しい」だけで十分満足な成果を得ているぞ?
しかし、そういう話は大人がすることだ。何が問題なのか、書いてあってもさっぱり分からないようだな。
正三角形という分類からして初耳な初心者、しかも小学生という年齢なわけだ。そんな相手に何を気張っているのかね?
大事なことなので再掲しておこう。「と『小学生』に強いるわけ?」 明記してあるよね。ゆえにお前は小学生相手にそうしろと明言したわけだ。
どちらからも理解しないと分かったことにならないと責める? 小学生相手に? それ、イジメと言うんだよ。
公教育がイジメになってどうする。後でいいことは後にするんだよ。学ぶべきことはごまんとあるんだからな。
> 無理だと言うなら、小学生に正三角形は無理と言ってるに過ぎない。
正三角形がどういうものか分かる小学生が多いんだがね。今話しているのは何が定義で何が定理なのかということだ。
まずは、正三角形が「正三角形は三つの辺の長さが等しくて、三つの角も等しい」でいいわけだ。そういう理解が間違いであったりはせん。
そうしておいて、三つの辺が等しいという前提から、三つの角が等しいことを証明したみたりするわけだな。必要であればね。
> 図形なども教えるソロバン塾を、苦悶式と呼んでいるな。
あそこ、そろばん塾なのかねぇ。それなら一部の小学校もそろばん塾であろうよw
定義にこだわるわりに、いい加減な定義を振りかざすもんだねw ったく、自分の主張を無誤謬としたくて、その主張以外すべてがどう歪んでもいいらしい、相変わらず。
それが賛同者のみならず、人を遠ざけてしまっていることに気が付いたほうがいいんだけどねぇ。
ま、憎悪を吐き散らかしていれば満足なのなら仕方ない。10年後くらいに後悔はするだろうけどねw >>805
いまどきの小学校はでは、正三角形は「三辺が等しい」と「三つの角が等しい」の両方が成り立つことを教えていないの? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています