集合論の公理系に限らず、およそ公理系を設定する人は、まあ間違うこと
なく無矛盾で独立な公理系を設定するものだ。
そのとき彼らは必ずしもモデルの存在を確認してそれらの公理系を設定する
わけではないだろう(たとえばユークリッドも)。
ということは、モデルの存在というのは力ずくの最終確認手段に過ぎず、
無矛盾性や独立性を察知するもっと早い方法があるということなのじゃ
ないかな?