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イザベラ・バードの朝鮮紀行
0001名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2023/07/23(日) 16:58:58.27ID:RlWhr4LS
日韓併合、日露戦争の前日談としても貴重な資料であるイザベラ・バードの朝鮮紀行
米英による「アジアを侵略しアジア人を虐殺し搾取した日本」という
嘘デタラメのプロパガンダとは真逆である真実の日本政府と軍部の姿が描かれています。

当時の有色人種国家のほぼ全ての国が欧米白人国家の植民地であり白人が有色人種は猿と同等レベルの劣等生物と考えていた時代でした。
日本にとってロシアの南進を阻止し日本の自主独立を守るには、朝鮮半島の近代化が必要不可欠であり、
宗主国である清と結託した支配階級である李王家、両班の腐敗による搾取を終わらせ朝鮮を近代化させるための苦労が痛いほど伝わってきます。
0002名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2023/07/23(日) 17:08:20.68ID:RlWhr4LS
■朝鮮紀行 ~英国婦人の見た李朝末期  著者=イザベラ・バード

当時の朝鮮半島と日本と朝鮮半島の関係、日本の朝鮮半島に対する姿勢を、
第三者であるイギリス人女性の客観的な視点から書かれた朝鮮紀行 ~英国婦人の見た李朝末期。

この書が発行されたのは1897年のために、戦後の歴史観を捻じ曲げた米英など戦勝国による嘘デタラメの歴史観の入る余地が当然なく、
著者であるイザベラ・バード自身が見て感じた事実が記述されているために、当時の実態と真相を知るにはこれ以上ない貴重な歴史的資料である。

朝鮮紀行 ~英国婦人の見た李朝末期  著者=イザベラ・バード
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E7%B4%80%E8%A1%8C
『朝鮮紀行』(ちょうせんきこう、Korea and Her Neighbours)はイザベラ・バードが1894年(明治27年)から1897年(明治30年)にかけて、
4度にわたり末期の李氏朝鮮を訪れた旅行の記録。当時の朝鮮の風俗、社会、政治情勢などを知ることのできる歴史的資料である。1897年に出版された。

以下「朝鮮紀行」より、重要な部分を抜き出し引用しました。
0003名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2023/07/23(日) 17:09:50.69ID:RlWhr4LS
(P32)
朝鮮の言語は二言語が入り混じっている。知識階級は会話のなかに漢語を極力まじえ、いささかでも重要な文書は漢語で記される。
とはいえそれは1000年も昔の古い漢語であって、現在、清で話されている言語とは発音がまるで異なっている。
朝鮮文字である{ハングル}は、教養とは漢籍から得られるもののみとする知識層から、まったく蔑視されている。

(P58)
城内ソウルを描写するのは勘弁していただきたいところである。北京を見るまでわたしはソウルこそこの世でいちばん不潔な町だと思っていたし、
紹興〈シャオシン〉へ行くまではソウルの悪臭こそこの世でいちばんひどいにおいだと考えていたのだから!都会であり首都であるにしては、
そのお粗末さはじつに形容しがたい。礼節上二階建ての家は建てられず、したがって推定二五万人の住民はおもに迷路のような横町の「地べた」で暮らしている。

路地の多くは荷物を積んだ牛どうしがすれちがえず、荷牛と人間ならかろうじてすれちがえる程度の幅しかなく、
おまけにその幅は家々から出た固体および液体の汚物を受ける穴かみぞで狭められている。

悪臭ぷんぷんのその穴やみぞの横に好んで集まるのが、土ぼこりにまみれた半裸の子供たち、
疥癬〈かいせん〉持ちでかすみ目の大きな犬で、犬は汚物の中で転げまわったり、ひなたでまばたきしている。

(P64)
南山の斜面には簡素で地味な白い木造の日本公使館があり、その下には茶屋、
劇場をはじめ日本人の福利に不可欠なさまざまな施設を備えた、人口ほぼ5000人の日本人居留地がある。
ここでは朝鮮的なものとはきわめて対照的に、あくまで清潔できちょうめんで慎ましい商店街や家々が見られる。
女は顔を隠していないし、着物に下駄ばきの人々は日本と同じように自由に動きまわっている。

ここではまた下っぱの兵士や憲兵、それにスマートな帯剣の将校も見られる。
将校は一定間隔で警備を交代するが、朝鮮では反日感情が根づよいためこのような警戒が必要で、
日本公使館員が戦いをまじえつつ海まで逃げざるをえなかったことが二度あった。
0004名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2023/07/23(日) 17:10:18.53ID:RlWhr4LS
(P83)
ある意味でソウルは朝鮮そのものである。
土壁のあばら家や軒の深い茶色の屋根、汚物をたたえて緑色にぬめり悪臭を放つどぶのある、
ソウルのみすぼらしいひとつをとっても、地方のどんな町や村にもある通りの典型だといえる。

(P85)
朝鮮人にとって、ソウルは生活に値する唯一の場所なのである。
とはいえ、ソウルには芸術品がまったくなく、古代の遺物はわずかしかないし、公園もなければ見るべき催し物も劇場もない。
他の都会ならある魅力がソウルにはことごとく欠けている。古い都ではあるものの、旧跡も図書館も文献もなく、宗教にはおよそ
無関心だったため寺院もないし、いまだに迷信が影響力をふるっているため墓地もない!
ソウルには公認の寺院がひとつもなく、清国や日本のどんなみすぼらしい町にでもある、堂々とした宗教建築物の与える迫力がここにはない。

(P111)
小集落はべつとして、漢江沿いの村々には学校がある。ただし学校といっても私塾である。
家々でお金を出し合って教師を雇っているが、生徒は文人階級の子弟にかぎられ、学習するのは漢文のみで、
これはあらゆる朝鮮人の野心の的である官職への足がかりなのである。ハングルは軽蔑され、知識階級では書きことばとして使用しない。

(P137)
朝鮮の災いのもとのひとつにこの両班つまり貴族という特権階級の存在があるからである。
両班はみずからの生活のためには働いてはならないものの、身内に生活を支えてもらうのは恥とはならず、
妻がこっそりよその縫い物や選択をして生活を支えている場合も少なくない。
両班は自分ではなにも持たない。自分のキセルすらである。

両班の学生は書斎から学校へ行くのに自分の本すら持たない。慣例上、この階級に属する者は旅行をするとき、
おおぜいのお供をかき集められるだけかき集めて引き連れていくことになっている。
本人は従僕に引かせた馬に乗るのであるが、伝統上、両班に求められるのは究極の無能さ加減である。
従者たちは近くの住民を脅かして飼っている鶏や卵を奪い、金を払わない。
0005名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2023/07/23(日) 17:10:56.31ID:RlWhr4LS
(P170)
そして悪魔祓いの儀式が終わったあと、その一部が病を治す薬として病人に与えられるが、往々にしてこれは病状を深刻に悪化させる。
なにしろ腸チフスや赤痢にかかった病人に豚肉やキムチを食べさせるのである!

(P211)
日本と土壌がきわめてよく似ているのだから、しかも朝鮮は気候には日本よりはるかに恵まれているのだから、
行政さえ優秀で誠実なら、日本を旅した者が目にするような、ゆたかでしあわせな庶民を生みだすことができるであろうにと思う。
長安寺から元山にいたる陸路の旅のあいだには、漢江流域を旅したときよりも朝鮮人の農耕法をを見る機会に恵まれた。
日本人のこまかなところにも目のいく几帳面さや清国人の手のこんだ検約ぶりにくらべると、朝鮮人の農業はある程度むだが多く、しまりがない。
0006名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2023/07/23(日) 17:11:25.06ID:RlWhr4LS
(P319) 日本軍に敗れた清国軍と清国人は撤退して清に変わり日本が実質的な支配権を得た朝鮮
シーズン最後の日本の汽船でウラジオストクを発ったわたしは、元山で二日すごした。元山はほとんど変わっておらず、
変化といえば、町並みのむこうの山が雪をかぶっていること、朝鮮人が戦時中に日本人の払ったとほうもない労賃で裕福になったこと、
商取り引きに活気があること、木造の哨舎に日本人の番兵が立って平穏な通りを警備していることくらいだった。
以下略
1895年1月5日、長崎を経由して済物浦に着くと、港は前年6月の喧騒や活気と奇妙なコントラストを見せていた。
以下略
かつて大きな商店が立ち並び、雑踏にあふれ、取り引き交渉のわめき声が騒々しく、昼夜分かたず太鼓や銅鑼や爆竹の音が鳴りやまなかった清国人居留地は、
森閑として人気がなくイータイに着くまで清国人には一人も出会わなかった。
一軒の商店が思い切って商売を再開していた。夜間には雑踏のざわめきや物音や照明や浮かれ気分の代わりに、
閉ざした鎧戸の向こうからかすかなあかりがさびしくもれてくるばかりだった。

日本軍による占領は済物浦のこの区域を中世の悪疫のように壊滅してしまったのである。
日本人街と海岸沿いは殷賑をきわめていた。浜には入ってきた貨物と出て行く貨物が積みあげられている。
通りは荷物を積んだ牛やクーリーが大量に行き交うばかりか、山積みにした豆や米を路上で計っては袋につめているので、
人がやっと通れる混雑ぶりである。物価は高く賃金は2倍以上になっており、「搾取」はなくなって朝鮮人は自発的に働いていた。

わたしは馬でソウルに向かった。雪が降りどおしに降っていた。お供がいらないほど事案はよく、オリコルまでは馬夫もつけなかった。
途中、私が立ち寄ったのは日本の郵便局で、情勢の変化をなにも知らずに郵便局に入ったわたしは、親切な日本兵に迎えられ、お茶と火鉢でもてなされた。
ソウルにいたる道路は境界に日本の測量技師の手で鉄道敷設用の杭が打ってあり、荷物を運ぶ人と牛が頻繁に行き来していた。
0007名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2023/07/23(日) 17:19:22.67ID:RlWhr4LS
(P322)
その前年の冬の不況は終わっていた。日本は支配的な立場にあった。
この首都に大守備隊を置き、内閣の要人数名が国の名代として派遣され、日本の将校が朝鮮軍を訓練していた。
改善といって語弊があるなら変化はそこかしこかにあり、さらに変化が起きるといううわさがしきりにささやかれていた。

表向き王権を取り戻した国王はそのような状況を容認し、
王妃は日本人に対して陰謀をいだいているとうわさされたが、井上馨伯爵が日本公使を努めており、
伯爵の断固とした態度と臨機応変の才のおかげで表面上は万事円滑に運んでいた。

1895年1月8日、わたしは朝鮮の歴史に広く影響を及ぼしかねない、異例の式典を目撃した。
朝鮮に独立というプレゼントを贈った日本は、清への従属関係を正式かつ公に破棄せよと朝鮮国王に迫っていた。

官僚腐敗という積年の弊害を一掃した彼らは国王に対し、<土地の神の祭壇>前においてその破棄宣言を準正式に執り行って朝鮮の独立を宣言し、
さらに提案された国政改革を行うと誓えと要求したのである。

小事を誇張して考える傾向のある国王は自分にとってきわめて嫌悪を感じさせるこの誓告をしばらく延期しており、
式典の前夜ですら、代々守ってきた道をはずすことはならぬと祖先の霊から厳命される夢を見て、式典執行におびえていた。

しかし井上伯爵の気迫は祖先の霊を凌駕し、北漢山のふもとの鬱蒼とした松林にある、
朝鮮で最も聖なる祭壇において、王族と政府高官列席のもとに誓告式は執り行われた。

(P327)
現在朝鮮の改革は日本の保護下ではおこなわれていないとはいえ、進行中のものはほとんどどの段階においても
日本が定めた方針に則っていることを念頭に置かなければならない。
日日新聞は井上伯が朝鮮に関し「王室と国しかわたしの眼中にはなかった」とい述べたと報じている。

1895年当初においてはこのような結論が正当だったのであり、
おなじ結論に達したわたしは井上伯のように申し分のない権威に擁護されていることをうれしく思う。
0008名無しさん@お腹いっぱい。
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2023/07/23(日) 17:19:53.76ID:RlWhr4LS
(P342)
1895年1月、ソウルは奇妙な状態にあった。「旧秩序」が変わりつつあるのに、新しい秩序は生まれていなかった。
陸海戦ともに勝利した日本は、戦前、清に協力を要請していた国政改革を朝鮮に強要する態勢にあった。
1894年7月に日本軍が王宮を占拠して以来、国王は「棒給をもらうロボット」にすぎず、またかつて権勢を誇った閔一族は官職から追放されていた。

日本は全省庁の監督責務を引き受け、腐敗した行政官に公正を強いる構えでいた。
1894年9月17日、平壌で清国軍を敗退させた日本に、目的実行をはばむものはなにもなかった。
以下略
とはいえ、改革事業は予想をはるかに超えて難航し、井上伯がほぼにっちもさっちもいかない状態であることは明らかだった。
伯爵は「使える道具が何もない」と考え、それをつくれたらという希望のもとに、上流階級の子弟多数を2年の予定で日本に留学させた。
最初の1年は勉学に努め、次の1年は官庁で実務の正確さと「道義の基本」を学ばせるのがねらいである。
以下略
朝鮮人官僚界の態度は、日本の成功に関心を持つ少数の人々をのぞき、新しい体制にとってまったく不都合なもので、改革のひとつひとつが憤りの対象となった。
一般大衆は、本当の意味での愛国心を欠いているとはいえ、国王を聖なる存在と考えており、国王の尊厳が損なわれていることに腹を立てていた。

官吏階級は改革で、「搾取」や不正利得がもはやできなくなると見ており、ごまんといる役所の居候や取り巻きとともに、
全員が私利私欲という最強の動機で結ばれ、改革には積極的にせよ消極的にせよ反対していた。
政治腐敗はソウルが本拠地であるものの、どの地方でもスケールこそそれより小さいとはいえ、
首都と同質の不正がはびこっており、勤勉実直な階層ををしいたげて私腹を肥やす悪徳官吏が跋扈していた。

このように堕落しきった朝鮮の官僚制度の浄化に日本は着手したのであるが、これは困難きわまりなかった。
0009名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2023/07/23(日) 17:20:35.36ID:RlWhr4LS
名誉と高潔の伝統は、あったとしてももう何世紀も前に忘れられている。
公正な官吏の規範は存在しない。日本が改革に着手したとき、朝鮮には階層が二つしかなかった。盗む側と盗まれる側である。

そして盗む側には官界を膨大な数の人間が含まれる。
「搾取」と着服は上層部から下級官吏にいたるまで全体を通じての習わしであり、どの職位も売買の対象となっていた。
以下略
かくして「旧秩序」は日本人顧問の圧力下で日々変化を見せており、概してその変化は良い方向を目指したものであったとはいえ、
制定ずみもしくは検討中の改革の数があまりに多いため、なにもかもが暫定的で混沌としていた。朝鮮は清と日本のあいだで「迷って」いた。

清が勢いを盛り返したら「憎まれる」のではないかと、日本の提案する改革に心から同意することもできず、
また日本の天下がいつまでもつづくのではないかと思えば、改革に積極的な反対もできなかったのである。

(P350)
わたしが朝鮮を発った時点での状況は次のようにまとめられよう。
日本人は朝鮮人を通して朝鮮の国政を改革することに対し徹頭徹尾誠実であり、
じつに多くの改革が制定されたり検討されたりしていた。

また一方では悪弊や悪習がすでに排除されていた。
国王はその絶対君主権を奪われ、
実質的には棒給をもらう法令の登録官となっていた。

井上伯が「駐在公使」の地位にあり、政治は国王の名において10省庁の長官でなる内閣に司られていたが、
その中には「駐在公使」の指名する者が数人含まれていた。
0010名無しさん@お腹いっぱい。
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2023/07/23(日) 17:21:04.25ID:RlWhr4LS
(P364)
王妃暗殺からほぼ1ヶ月、王妃脱出の希望もついえたころ、新内閣による政治では諸般の
状況があまりに深刻なため、各国公使たちは井上伯に訓練隊を武装解除し、
朝鮮独自の軍隊に国王の信頼を得るに足るだけの力がつくまで日本軍が王宮を占拠するよう勧めて、事態を収拾しようと試みた。

日本政府がいかに列強外交代表者から非難を受けていなかったかが、この提案からわかろうというものである。
しかし井上伯は日本軍は武装して王宮を再度占拠するという方策は、国王の身の安全を確保するという目的のためとはいえ、
重大な誤解を受けやすく、またきわめて深刻な紛糾を招きかねないと考え、即答を避けた。

列強が日本に対してはっきりと要求しないかぎり、このような発案が考慮されるはずはなかった。

電信機が待機し、しかるべき根回しが行われ、11月7日に北部への旅行に発ったわたしは、平壌に着いたとき、
諸外国公使の見守る中で重大なクーデターが首尾よく遂行されたというニュースが待っているものと思っていた。
ところが日本は井上伯と新公使の小村氏がふたりして働きかけたにもかかあらず、
王宮占拠を行わず、訓練隊は相変わらず権勢を誇り、国王は軟禁されたままだった。

なかでも日本の干渉を最もつよく勧めたのはロシア公使なのであるから、日本が各国公使の提案を受け入れていれば、
現在のようにロシアが朝鮮に対して圧倒的な影響力を持つような事態も避けられたのではあるまいか。

たしかにロシア政府は訓練隊を武装解除させて国王を守るよう日本にはっきり要求したのである。
その要求を断った日本政府が結果的にロシアに干渉を許してしまうことになるのも身からでたさびといわざるをえない。

11月のあいだに新しい国策に対する不満は朝鮮国中で増大し、情勢は緊迫の度を深めた。
各国代表ばかりでなくあらゆる階層の国民から、10月8日の事件を調査すべきだ、王妃はどこかに身を隠しているという作り話でごまかすなという声が高まり、
内閣もしぶしぶ何らかの手を打たねばならなかった。
0011名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2023/07/23(日) 17:22:28.15ID:RlWhr4LS
(P404)
平壌は猛襲を受けたわけではない。市内では実際の戦闘はなく、敗退した清国軍も占領した日本軍も朝鮮を友邦として扱っていた。
この荒廃のすべてをもたらしたのは、敵ではなく、朝鮮を独立させ改革しようと戦った人々なのである。
「倭人は朝鮮人を殺さない」ことが徐々に知られるようになり、多くの住民は戻ってきていた。
以下略
そのあとの占領中、日本軍は身を慎み、市内および近郊で得られる物資に対してはすべて順当な代金が支払われた。
日本兵を激しく嫌ってはいても、人々は平穏と秩序が守られていることを認めざるをえず、また、日本軍が引き上げれば、訓練隊がのさばることもよくわかっていた。

訓練隊は日本人から教練と武器を受けた朝鮮人の連隊で、すでに人々に暴力をふるったり物を盗んだりしはじめており、行政当局に公然と反抗していた。
わたしが二度目に訪れた時、目抜き通りはあちこちで建物の解体と建築が行われ、大わらわの様相を呈していた。
日本の商人が商業用の一等地をすべて買い上げ、小さくて暗くて低い朝鮮の店舗を大きくて明るくて広々してこぎれいな日本の建物に改築していたのである。
0012名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2023/07/23(日) 17:23:21.06ID:RlWhr4LS
(P432)
気候は素晴らしく、雨量は適度に多く、土壌は肥え、内乱と盗賊団は少ないとくれば、朝鮮人はかなり裕福でしあわせな国民であってもおかしくない。
もしも「搾取」が、役所の雑卒による強制取立てと官僚の悪弊が強力な手で阻止されたなら、そして地租が公正に課されて徴収され、
法が不正の道具ではなく民衆を保護するものとなったなら、朝鮮の農民はまちがいなく日本の農民に負けず劣らず勤勉でしあわせになれるはずなのである。

しかしこの「もしも」はあまりにも大きい!どんな産業分野にせよ、勤勉に働けば利益の得られることが保証されれば、無気力無関心な人々も変身するはずである。
そのための改革は日本によって行われてきたが、日本も自由裁量権があたえられていたわけではなく、また改革に着手した(とわたしは心から信じる)
ものの、役割を果たし調和のとれた改革案を立てるには未経験すぎた。

それに改革案が成立したにせよ、それを実行すべき官僚たちがほとんど例外なく因習と慣例の両方から堕落してしまっている。
改革は断続的断片的で、日本は枝葉末節にこだわって人々をいらだたせ、自国の慣習による干渉ををほのめかしたので、
朝鮮を日本の属国にするのが目的だという印象を、わたしのみるかぎり朝鮮全土にあたえてしまった。


(P435)朝鮮の女性の地位
朝鮮の下級階層の女性は粗野で礼儀知らず、日本のおなじ階層の女性のしとやかさや清国の農婦の節度や親切心からわおよそほど遠い。
着ているものは汚れ放題で、夜遅くまで休みなく洗濯をするのは自分たちでも、きれいな衣服を着るのは男の専売特許と言わんばかりである。
0013名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2023/07/23(日) 17:24:12.17ID:RlWhr4LS
(P441)
郡庁所在地の慈山でわたしたちは徳川へ北上したときの分岐点にもどった。
以下略
町の人々からは、清国兵は情け容赦なくものを盗む、ほしいものは金も払わずに奪い、女性に乱暴を働くという悲痛な被害の話を聞いた。
前に私達は慈山の隣村ウチンガンの渡し場で大同江を渡ったが、この村は朝鮮人が恐怖に駆られて逃げ出してしまい、
53人の清国人が占拠して重要な駐屯地となっていた。

日本の偵察兵ふたりが対岸にあらわれて発泡すると、清国軍派遣隊はばらばらに逃げ出したものである!
慈山でも他と同様、人々は日本人に対してひとり残らず殺してしまいたいというほど激しい反感を示していたが、やはりほかのどこでもそうであるように、
日本兵の品行のよさと兵站部に物資をおさめればきちんと支払いがあることについてはしぶしぶながらも認めていた。

(P453)
ダレ神父によれば、朝鮮人は節度の意味を知らず、それでいながら率直さにははなはだしく欠ける。
男たちは仲間とお互いの家を行き来して毎日を暮らす。家庭生活はない。
奥の住まいにいる女たちは同性の客を迎え、また娘たちもそこにいる。
男の子は幼い頃から男の住まいに移され、そこで耳に入る会話から、自尊心ある男は女を蔑視せねばならないと学ぶのである。

(P462)
朝鮮人は正真正銘の愛国心にははなはだしく欠けるとはいえ、愛国的傾向は強い。
慣習であるから、「まげ」の廃止は前にもおもにアメリカ帰りの朝鮮人から提唱され、日本人の支持を得て内閣で討議されたことがあったが、
一般の反発がすさまじく、政府は強要はできなかったのである。
0014名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2023/07/23(日) 17:25:09.95ID:RlWhr4LS
(P469)
王妃のつよい影響力と反逆的将校の粗暴な支配から解放された朝鮮国王がいまにその自由を用いたかは、ここに記すまでもない。
以下略
9月には日本の保護下で組織された内閣にかわり14名のメンバーで構成する議政府が設けられた。
これは旧体制にある程度戻る変化だった。
日本がその隆盛時に悪弊を改めるために行った試みは大部分が廃止された。

国内は不穏で東学党に変わり「義兵」が出現した。地方長官職その他の職位を売買する有害きわまりない習慣は多少抑制されていたが、
宮内大臣をはじめ王室の寵臣は破廉恥にもこの習慣を再開した。

また国王自身、潤沢な王室費がありながら、公金を私的な目的に流用し、安全な住まいにおさまってしかも日本人その他の支配から自由になると、
さまざまな面で王朝の因習に引き返してしまった。

王権を抑制する試みがあったにもかかわらず、国王の勅令が法であり国王の意思を絶対とする絶対君主制にもどってしまったのである。
一方、日本は徐々に撤退し、また撤退を余儀なくされ、日本が朝鮮で失った影響力はことごとくロシアの手に渡った。
0015名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2023/07/23(日) 17:25:39.41ID:RlWhr4LS
(P474)
朝鮮国内は全土が官僚主義に色濃く染まっている。
官僚主義の悪弊がおびただしくはびこっているばかりでなく、政府の機構全体が悪習そのもの、
底もなければ汀もない腐敗の海、略奪の機関で、あらゆる勤勉の芽という芽をつぶしてしまう。

職位や賞罰は商品同様に売買され、政府が急速に衰退しても、被支配者を食い物にする権利だけは存続するのである。

日本人が「改革」と呼ぶ新しい秩序は1894年7月23日に日本兵が景福宮を武力で占拠した時点からはじまった。
相ついで発布された(必ずしも施行はされなかったが)改革法令は日本公使が主導したもので、まもなく到着した日本人「顧問」が仔細に調整した。
日本は朝鮮式機構の複雑多岐にわたる悪弊と取り組み、是正しようとした。

現在行われている改革の基本路線は日本が朝鮮にあたえたのである。
日本が朝鮮の政治形態を日本のそれに同化させることを念頭に置いていたのは当然であり、それはとがめられるべきことではない。
以下略
1894年7月、大島氏は官報を鮮明な活版印刷で発行するという有益な刷新を行った。
そして翌年1月には漢字と「無知な者の文字」とされていた{ハングル}の混合体官報に用いられ、一般庶民にも読めるようになった。

(P493)
朝鮮の教育改革計画はもともと日本人による改革時代に発案されたもので、初等学校制度、直接成果の出る師範学校、中等学校の創設がその内容である。
以下略
相当数の初等学校も同様で、1000人を超える男の子が算数、地理、朝鮮史の初歩や他の文明諸国の政治体制のあらましを学んでいる。
77人の青年が官費で日本に留学しており、外国語の習得にはかなりな成果をあげているが、数学の適正と理論力に欠けるといわれている。
全体として、朝鮮の教育の前途は見込みなしというものではない。
0016名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2023/07/23(日) 17:26:24.20ID:RlWhr4LS
(P500)
公金を横領するための技巧や策略にかけては、朝鮮人はことのほか創意と才能を発揮し、朝鮮の官僚の不正行為ほど根絶しにくいものはない。

(P502)朝鮮のシャーマニズム
朝鮮の都市には寺院や聖職者の姿がない。家々には「神棚」がなく、村祭りには神輿もなければ、偶像を運ぶ行列もなく、
婚礼や葬儀では聖職者が祝福をしたり冥福を祈ったりすることがない。

(P538)
いずれにしても、ロシア公使館に遷幸して以来、国王が享受した自由は朝鮮にとっては益とならず、
最近の政策は、総じて進歩と正義をめざしていた日本の支配下で取られた政策とは、対照的に好ましくない。
昔ながらの悪弊が毎日のように露見し、大臣その他の寵臣が臆面もなく職位を売る。
以下略
また日本の支配力からも解放され、さし迫った身の危険もなくなると、国王はその王朝の伝統のうち最悪な部分を復活させ、
チェック機関があるにもかかわらずふたたび勅令は法となり、国王の意思は絶対となった。
0017名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2023/07/23(日) 17:26:57.72ID:RlWhr4LS
(P560)
宗主国中国の影響のもとに、朝鮮の両班たちは貴族社会の全体的風潮である搾取と暴政をこれまで事実上欲しいままにしてきた。
この点について日本は新しい理論を導入し、庶民にも権利はあり、
各階級はそれを尊ばなければならないということを一般大衆に理解させ、無料新聞も同じ路線をとった。

朝鮮の農民には日本と西洋の指導手段を通して、食いものにされるばかりが自分たちの運命ではない、
自分達も市民としての権利を持ち、法的見地から見た平等に値し、
収入を守られるべき存在なのだということが徐々にわかりはじめてきたのである。

この3年間にあった朝鮮に有益な変化のうち重要性の高いものをまとめると、つぎのようになる。

清との関係が終結し、日清戦争における日本の勝利とともに、中国の軍事力は無敵であるという朝鮮の思いこみが打破され、
本質的に腐敗していたふたつの政治体制の同盟関係が断ち切られた。

貴族と平民との区別が少なくとも書類上は廃止され、奴隷制度や庶子を高官の地位に就けなくしていた差別もなくなった。
残忍な処罰や拷問は廃止され、使いやすい貨幣が穴あき銭にとって代わり、改善を加えた教育制度が開始された。

訓練を受けた軍隊と警察が創設され、済物浦から首都にうたる鉄道敷設が急ピッチで進められており、国家財政は健全な状態に立て直され、
地租をこれまでの物収から土地の評価額に従って金納する方式に変えたことにより、官僚による「搾取」が大幅に減った。
広範かつ入念な費用削減が都市および地方行政府の大半で実施された。
0018名無しさん@お腹いっぱい。
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2023/07/23(日) 17:27:35.06ID:RlWhr4LS
(P563)
それでも朝鮮で1年近くをすごし、そこに住む人々をおもな研究対象とした結果、
わたしは1897年の明らかに時代退行的な動きがあったにもかかわらず、
朝鮮人の前途をまったく憂えてはいない。ただし、それには左に掲げたふたつの条件が不可欠である。

Ⅰ 朝鮮にはその内部からみずからを改革する能力がないので、外部から改革されねばならない。
Ⅱ 国王の権威は厳重かつ恒常的な憲法上の抑制を受けねばならない。

以上、わたしはもっぱら朝鮮の国内問題、現状、一般大衆の社会的あるいは商業的な向上の見通しについて書いてきた。

第37章 最後により(P571)
ざっとではあるが、以上が1897年末時点での朝鮮における政治情勢である。
朝鮮は長くつづいた中国との緊密な政治的関係を絶ち、日本から独立というプレゼントをもらったものの、その使い方を知らずにいる。
イギリスは見当がつかなくもない理由から、朝鮮情勢には積極的に関わらなくなっている。

他のヨーロッパ列強はこの地域の保護になんら関心を示していない。
そして朝鮮の領土の保全と独立は、極東における利害関係が敵対しているといって語弊があれば、対立している帝国主義列強のなかでも、
最も忍耐強い国と最も野心的な国のなすがままとなっている。
朝鮮の運命をめぐってロシアと日本が対峙したままの状態で本稿を閉じるのはじつに残念な思いである。
0019名無しさん@お腹いっぱい。
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2023/07/24(月) 07:18:25.79ID:oGVxBBcp
イザベラ・バードの朝鮮紀行にも書かれているように
日露戦争においても、日本の支配優勢時に日本の改革によって搾取ができなくなった李王家、両班はロシア側につき元の悪癖を取り戻し、、
改革を望む進歩会、一般大衆は日本を支持していたという事実が全てを物語っています。

日本が朝鮮を近代化するために朝鮮の支配階級による搾取を改革によって終わらせようとしたのに対して、
朝鮮を植民地支配し搾取する事しか頭になかった清とそれに続くロシアは対照的に、
朝鮮の支配階級に植民地自治政府の役割を与えたわけです。

これは英国や米国の植民地支配にも使われる常套手段である「分断統治」であり、
植民地支配にその国の支配階級を挟むことで敵意を支配階級に向け宗主国に対する敵意を逸らすことが主な目的です。

現在の日本においても米国のやっている日本の植民地支配の手法であり、
岸田や河野太郎、竹中平蔵などの植民地自治政府(自民公明)と代理人に悪政を実行させ、日本国民を宗主国である米国ではなく、
植民地自治政府、代理人に向けさせる効果があり、搾取される奴隷の宗主国に対する反乱を抑え、
支配と搾取を継続させるためには必要不可欠なのです。

もちろん宗主国に対する批判が向かないようにマスゴミなど工作員による情報工作は不可欠であり、
奴隷に対して真実を知らせず騙し続ける必要があります。
工作員によるお決まりの「陰謀論ニダ!」という言葉もこの情報工作の一種であり、
思考停止の頭の弱い人々に思考停止を継続させる効果があるのです。
0020名無しさん@お腹いっぱい。
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2023/07/24(月) 07:19:12.14ID:oGVxBBcp
日露戦争
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%9C%B2%E6%88%A6%E4%BA%89

■戦争目的と動機
☆大日本帝国の動機☆
大日本帝国はロシア帝国の南下政策による侵略を防ぎ、朝鮮半島を守ることで、大日本帝国の安全保障を堅持することを主目的とした。
開戦後に明治天皇の名により公布された『露国ニ対スル宣戦ノ詔勅』でも、大韓帝国の保全が脅かされたことが
日本の安全保障上・並びにアジア侵略への脅威となったことを戦争動機に挙げている。
他方、2月10日の開戦の詔勅に続くはずだったとみられる詔勅草案もあり、ここでは信教の自由を強調し開戦の不幸を強調している。

☆ロシア帝国の動機☆
ロシア帝国は満洲および関東州の租借権・鉄道敷設権などの利権の確保、満洲還付条約不履行の維持(満洲に軍を駐留)、
朝鮮半島での利権拡大における半島支配と日本による抵抗の排除、直接的には日本側からの攻撃と宣戦布告を戦争理由とした。

■朝鮮半島を巡る日露対立
大韓帝国は清の冊封体制を日清戦争後日本によって解かれたが、満洲を勢力下に置いたロシアが朝鮮半島に持つ利権を手がかりに南下政策を取りつつあった。
ロシアは高宗を通じ、売り払われた鍾城・慶源の鉱山採掘権や朝鮮北部の森林伐採権、関税権
などの国家基盤を取得し朝鮮半島での影響力を増長させ、着実に支配していった。

ロシアの南下政策に危機感(1861年(文久元年)にロシア軍艦対馬占領事件があったため)
を持っていた日本がこれらを大韓帝国の代わりに買い戻し、回復させた。

当初、日本は外交努力で衝突を回避しようと努力したが、ロシアは強大な軍事力を背景に日本への圧力を増していった。
1904年(明治37年)2月23日、開戦前に「局外中立宣言」をした大韓帝国における軍事行動を可能にするため日韓議定書を締結し、
開戦後8月には第一次日韓協約を締結。

大韓帝国の財政、外交に顧問を置き条約締結に日本政府との協議をすることとした。
大韓帝国内でも李氏朝鮮による旧体制が維持されている状況では、国の近代化・独自改革が困難であると判断した進歩会は、
日韓合邦を目指すために鉄道敷設工事などに5万人ともいわれる大量の人員を派遣するなど、日露戦争において日本への協力を惜しまなかった。
0021名無しさん@お腹いっぱい。
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2023/07/24(月) 07:19:22.51ID:oGVxBBcp
一方、高宗や両班などの旧李朝支配者層は自分達の利権をなくし、近代化を試みている日本の影響力をあくまでも排除しようと試み、
日露戦争中においてもロシアに密書を送るなどの外交を展開していった。戦争中に密使が日本軍艦により海上にて発見され、
大韓帝国は条約違反を犯すという失敗に終わる。
0022名無しさん@お腹いっぱい。
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2023/07/30(日) 18:52:27.49ID:Oli8xMl1
■共産主義者とアメポチの理解力の低さが生む致命的な誤解■

西洋人は大航海時代のスペイン、オランダ、ポルトガルや近現代では英国、米国まで奴隷商売をやり、
世界中の有色人種国家を植民地化し搾取してきたわけで、
日本ではスペイン、オランダ、ポルトガルのキリスト教宣教師が日本人奴隷を連行し鎖で繋いで船で運んでいくから
豊臣秀吉が激怒してキリスト教禁止令を出して締め出していたほどだ。

スペイン、ポルトガルが米大陸でやったように日本に対して植民地支配できなかったのは
日本は鉄砲があり武力も精神も優れた強力な武士が存在する軍事大国だったからに他ならない。

西洋人は人を物のように扱うから奴隷商売や植民地支配による搾取や、
戦争では原爆を落として一般住民を虐殺し空襲で一般住民を何百万人も殺せるし、
経営者は社員、労働者を物のように扱いリストラも平気で出来る。

西洋人は日本人の感覚では有り得ない恐ろしい冷酷で残虐なことが平気で出来る精神性が根本にあるからだ。
それは唯物論をベースにした利己主義から生まれる精神であり、
彼らは人の目に見える物、物質が全てと考えるから、
徹底的に合理性だけを追求する。

その結果が冷酷で残虐さに繋がっているわけだ。
(西洋以外の大部分の世界も西洋と同じだが、彼らは西洋人と違い知性が低く力がない)

80年代まで日本の主流だった経営者も社員、労働者も皆が一丸になる家族的経営や、
人様に迷惑をかけず、皆が仲良くすることが良い事と考える和の精神の日本人とは対極にあるのである。
(現代の日本ではGHQが作り替えた戦後体制と90年代以降の米国の内政干渉により日本本来の精神は薄れ始めてしまったが)
0023名無しさん@お腹いっぱい。
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2023/07/31(月) 00:01:36.20ID:NX4z0hyZ
その日本とは根本的に違い唯物論の利己主義社会であり対立が基本で階級社会である欧米社会の常識をベースにして生まれた思想が共産主義であるが、
日本の共産主義者は、その根本的に違う欧米社会と日本を同一視。

(労働者の救済を信じる共産主義者は今や絶滅危惧種で日本にしかいないが、
日本の多くを占めるアメポチなどの虚構理論同士で敵対する連中への影響力は高く無視はできない。
なにしろアメポチは思考停止して自分の頭で考えられない連中だから、
反日である共産主義者がアメリカを敵視しているから、アメリカは味方で正義だと判断しアメポチが量産されていくからです)

その西洋の戦勝国、すなわち共産主義者が敵視する米帝、英帝が押し付けてきた戦前日本悪玉論の嘘デタラメを
利用し戦前の日本を日帝などと呼び権力者による搾取の大元かのように敵視。
敵視する相手の都合のいい部分だけは利用する始末。

一昔前に日本経済が世界を席巻していた時代に西洋社会から頻繁に「猿マネ日本人」
という言葉が溢れていたが、日本の共産主義者を揶揄すると確かに「猿マネ日本人」の言葉そのものである。
0024たけし
垢版 |
2023/08/05(土) 17:12:05.75ID:TlvsnyBc
淡い色系メイクを望んでいるなら、マットな状態になるようにリキッドファンデーションをセレクトすることを一押しします。念入りに塗って、くすみとか赤みを見えなくしてしまえばいいのです。
https://harvard.ltd.education/user/dylankendal/
0028名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2024/05/02(木) 15:53:26.17ID:lWNrukkZ
普及版 アメリカ人が語るアメリカが隠しておきたい日本の歴史 新書 - 2023/11/2
マックスフォンシュラー (著)
https://www.ama▼zon.co.jp/dp/4802401620/
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