【淀川長治】 日曜洋画劇場の思い出 【since1966】
幼稚園・消防・厨房・高校と学生時代、日曜最後の楽しみが物心つく前から既に
お爺ちゃんだった淀川先生解説の日曜洋画劇場で番組終了時に掛かる「明日からまた学校かぁ〜ハァ〜」とため息付かさせる音楽はリアルタイム時はこれから寝るのが嫌になる不快な音楽だったけど今となってはイイ思い出でしたw
日曜洋画劇場Wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9B%9C%E6%B4%8B%E7%94%BB%E5%8A%87%E5%A0%B4 今はゴールデンタイムに洋画を放送する局はなくなった
テレ東で午後1時すぎに三流映画放送、NHKBSで再放送洋画ばかり
時代が変わったよ >>136
家族がそろっているリビングルームなどで観られる作品が少なくなったからね。
日本映画は家庭向けのものがないし、米国映画も暴力、エロ、ホラー、
画面が粗雑で暗いし、台湾、韓国もダメ。 >>137
昔の方が家族向けの映画が多かったと言いたいのかw
認識不足もいいとこ 字幕なしOKなら米国のYouTubeで全編見れるものもある
画像も鮮明で見やすい 字幕が無いとダメだ、
はやく翻訳字幕の自動生成の時代にならんかな。 学校嫌いの俺は日曜洋画劇場のエンディング曲が流れると絶望的な気分になったわ 今は金出して洋画を見に行く時代ではない
わざわざ映画館に足を運ぶなんて面倒くさい 岐阜の無職キチガイハゲ爺い>>1にこれがよほど効いたらしいwwwww
999無名画座@リバイバル上映中2023/02/09(木) 23:36:19.26ID:JkB6SoeY
http://hissi.org/read.php/kinema/20230209/Ui95QWhPY1E.html
本日のキチガイ→ID:R/yAhOcQ
ひとり発狂し200レスとかまじやべえだろこのハゲwww
1000無名画座@リバイバル上映中2023/02/09(木) 23:38:35.57ID:btxdWX69
1000ならキチガイ→ID:R/yAhOcQは奇病にかかり三日三晩苦しみのたうち回って半年以内に死ぬwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
さっさと死ねバーーーーーーーーーカwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww ◆淀川長治
「『ゴッド・ファーザー』は映画としては私はいささか物足りなかったのであります」
「『ゴッド・ファーザー』の時も、実は、戦前の『暗黒街の顔役』の方がずっといいな、と思って観たんですよ。
あれに比べたら流動感が不足と思ったな。
ニーノ・ロータの音楽で、みんなすっかり参っちゃったのね」
「『ゴッド・ファーザー」もニーノ・ロータの音楽が助けてるでしょう。
ニーノ・ロータの音楽がなかったらイタリア移民の哀感は出なかったでしょう。
あの映画はニーノ・ロータの音楽でずいぶん助かってるからな」
淀川さん、流石 サヨナラ、サヨナラのイメージ。ララミー牧場の終わりに解説をやっていた時から
名物だった。 ヨドチョーが右手のない少年に対応したエピソードが泣ける
あの頃は障害者がバカにされ(今でもそうだが)見下された時代だった >>147
まず笑点のテーマあたりから鬱が始まり→サザエさんエンディング→この木なんの木→週刊新潮の赤とんぼと段々鬱が進みとどめがソーインラブ 毎週土曜に放送されるNHK「あの人に会いたい」に出たことあったっけ? 日曜洋画劇場が終わったらすぐさまNHKにチャンネル回してこちらブルームーン探偵社を見る
あのエンディングテーマと背景の摩天楼に行ったことない都会を感じてちょっと大人の気分になる
明日からはまたつまんない学校に行かなきゃいけなくて気が重い・・・
そんな感じだったかな なんで次の日の学校に行くのが鬱だったんだ?
普通に楽しかったけどなぁ。 なんで次の日の学校に行くのが鬱だったんだ?
普通に楽しかったけどなぁ。 5ちゃんに日陰者が集まりやすいからだろう
学校がつまらなくても友達や恋人がいれば乗り切れるものだけど 担任や担当教員の質によっても学校の雰囲気はだいぶん変わる。
158はたまたま運が良かったのかもね。 ヨドチョーが映画の解説を始めるきっかけが「ララミー牧場」
日本で爆発的なアメリカテレビ映画となり、Rフラー来日にこぎつけた
テレビ番組にゲスト出演したフラーはあまりの人気ぶりに感激して泣いていた
なんて純粋なアメリカ人だと思ったよ 戦後6年、まだ反日感情が残ってたアメリカに単身で映画スターの取材をした
勇気はすごいと思う 淀川長治が死んだ時は自分の祖父母が死んだ時より悲しかった
毎週名画だけでなくしょうもない映画の解説までやってるのを見てたので
最初と最後に淀川長治が出てきて何か言うのが当たり前という感覚だった
死んで初めて当たり前なんかじゃなくとてつもなく贅沢なことだったと気づいて愕然とした 第一回は「裸足の伯爵夫人」ナシンベーネのテーマ曲がいい
くらいかな 晩年のヨドチョーは元気だった頃の面影が全くなかった ↑ 何か妙に変だった。服装か態度か何か忘れたが?
、 噂の真相によると淀長は普段は気難しいジイさんだったらしいよ 映画雑誌読むようになってから
洋画劇場の解説やってる人のいいおじいさんイメージしかなかった淀川長治の毒舌ぶりに驚いたな
カトリーヌ・ドヌーブなんかはボロクソに書かれてて笑った テレビの映画劇場の解説では駄作でもやむを得ずなんとか解説していたが
テレビと離れれば本音が出るもんだ
テレビでは金が入るから仕方ない判断だろ 1970年代の日本のガキ向け映画に対する批評など凄い酷評ぶりだぞ
確かに低俗なくだらない映画のオンパレードだったもの
そのときちょっと人気が出ただけの声も出ないガキタレが映画出演してたからな ヨドチョーはJキャグニーが大好きだった
ハリウッド訪問したときのキャグニーの腕を掴んでの
ショットは貴重な一葉 4代目(1996年10月〜)のOPは大林監督の女性版チャップリンだったね
あれネット上では「子供の当時怖かった」という人達いるけど、
俺は当時小学校高学年ぐらいでチャップリンやキートンをはじめとする無声映画に興味を持ち始めた頃だったから、
怖いというよりむしろあのOPが毎週楽しみだった 「スペースバンパイア」での淀川の解説。
「もし、みなさんの中で女の全裸を見たい人、
バッチリ出てきますから。興奮して鼻血が出ますよ。」
昭和って凄い自由な時代だったな。 ヨドチョー全盛期の頃はあらゆる映画評論家がテレビに出てた
あのときの評論家たちはみんな亡くなったんだろうな 【淀川長治】 日曜洋画劇場の思い出 【since1966】