母親の死がこんなにもつらいとは・・・その50
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>>409
亡くなったの高校生の時だしね
30年も経つと医療も進んでるよ
母さんが亡くなった病院行くのも嫌だったんだけど
超久しぶりにいったら当時と全然変わってた
治療法はともかく昔はあまりモルヒネとか使わなかったのかなあ
毎日痛い痛いと泣く母さん見てられなくて
亡くなったも時にはもうこれで痛い思いも苦しい思いもしなくて済むねって思った。 医者が老人だったんじゃないの
今でも痛み止めは使わず激痛に耐えさせる方針の老人医者は割といる
若手医師だと痛みはストレスになって我慢させるのは百害有って一利無しだと知ってるから
普通に痛み止め使う 県立の総合病院だからあまり老人の医師とかいないと思った
たしか主治医みたいな人まだ若かったな
あの時のトラウマから自分は癌で死ぬ、その痛みは想像を絶するものだから治療より痛み止め優先してほしいって思いがある
今ではそういう希望も聞いてくれるらしいので
そういう意味でも医療は進歩してるんだろうな。 最近母親が癌でなくなったけど、モルヒネ打つ前ロキソニンしか処方されてなかったよ
ロキソニン位で痛みが治まるかよと思ってた 医者に限らず精神論を重視する人間ているよね
こう言う手合いがお産は腹を痛めて産まないと子供に愛情が湧かないとか抜かす
あまりに痛過ぎて赤ん坊に憎しみが沸いたと言う人もいるのに 喧嘩はするけれど
とても仲の良い夫婦だった
父が突然逝き
二年後に父を追うように母も逝ってしまった 今日は父の命日です。
両親ともに冥途で仲良くいて欲しい
二人がいなくなってしまって
辛くて悲しい
独りぼっちになってしまった 2年なら言う
てかそう言う無粋な突っ込みは要らんから 7年前のクリスマス当日の深夜、母親にお迎えが来た
サンタのプレゼント配布が終わって空いた隣の席に乗せてったのかなw
親父と一緒に霊園を探し回って最終的には母親が好きだった公園の近くの
見晴らしのいい霊園に決めた
結構なお値段したけど自宅からチャリで30分だし何より親父が気に入った
景色がいいんで親父と二人でよく拝みに行ったわ
昨日も1人で行ってきた
今は二人仲良く俺が来るのを待ってる 父親と仲の良い家庭はええな
母が逝ってしまったから相性、仲が最悪の親父と俺が残された >>421
ウチと同じ
でもその親父も弱ってきてわだかまりも薄れてきた
母が生きてる時にこんな風に穏やかに出来てたらと思うと悔やまれる 親父も昔は嫌いだったのだが
体が不自由になって弱々しくなり
思い通りにならない愚痴でもこぼすのかと思えば
歳だから仕方がないと文句も言わず
コロナで面会できなくてたまに行くとありがとうなどと言い
何か欲しいものあるかって聞いても何もないって
最後の数年間は金銭的には大変だったけど
嫌な思いは一度もしなかったな
良い印象残していってしまった。 天国にいる親父も母ちゃんも人間的に素晴らしいのに
なんで俺はこんなに…
すまんなぁ 少し気持ちの整理をしようと思ったので、、
小6の夏休みに母が自殺。
これまでは「母の死はしょうがないよね、」等と軽く考えていたがつい最近になって真面目に向き合った。
しかし、母との思い出や母の声や仕草、どんな性格だったかすらもうろ覚えである。 自殺する前日の夜の会話でさえうろ覚えである。でも、前日の夜に確かに「愛してるよ」、と言ってくれたことは忘れていない。恐らく勘のいい人ならここで母の異変に気づくのかもしれない。というのも、母親は普段からこんなことを言う人ではなかったからである。当時、母は随分前から病気(後に鬱病だと教えられる)を患っているということを父から聞かされていたが、私は気遣うどころかむしろ酷い態度をとっていただろう。当然、最後の夜も雑にあしらっていたのだと思う。母が自殺を決意した要因の1つに私も含まれているだろう。優しく接していたらもしかしたら踏みとどまれていたかもしれない。後悔しても自業自得だが、母には感謝を言いたかったし、もっともっと色々話したかった。甘えたかった。何も母について知らないまま終わってしまった。
振り返ってみると私は母を相当適当に考えていたのである。母自身に対して一切の興味を示さずあくまでも家族という形式上で接していただけだった。だからこそ母のことはほとんど記憶が無い。後悔しかない。どんなに悔やんでも死人は生き返らないしどうにもならないことはわかっているため、自分主体な考え方で申し訳ないがこの経験を今後に生かそうと思う。
最後に、、
何も出来ずにごめんなさい。
産んでくれて、育ててくれてありがとう
さようなら 自己完結出来ているのならこのスレに来る必要も無さそうな 確かに、、書き出すうちに自己完結してました。スレチでしたね。申し訳ないですm(_ _)m 自分なんかまだ一年なのにどんどん記憶薄れていくよ
防衛本能かね >>427
気にすることないですよ
思いや悩みとの折り合いのつけ方は人それぞれなのですから 心から完結できてるならこんなところ探して来ない
誰かに話したいなら気にせず書くといいよ すぐ人に絡みたい人いるけど気にしなくていいよ
好きなだけ吐き出して下さい >>428
同じく1年2ヶ月だけどどんどん記憶から遠ざかって行く
父親の時は突然の事故死だったから受け入れるまでに時間がかかったけど
母親は長患いしていたからある程度心の準備が出来ていたのかも
失った悲しみは圧倒的に母親の方なのに何故か涙が出ない 臨終や葬式なんかは遥か昔のように感じるのに
どこかに出かけた思い出なんてのはついこの前のように感じる
多分嫌なことは忘れやすいのかな。 ps://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10274522420
これどう思う??俺はこのゴミ息子叩いてるコメ全部にナイスおしといたわww 俺は朝起こしに行ったらうつぶせで鬼の形相で冷たくなってたんで
全く忘れられないわ
まさにトラウマって奴
心筋梗塞ってつらいらしいな
枕に痛みをこらえて唇をかみ切った血がついてた
どんだけ長時間苦しんだんだろって 起こしに行ってそんな状態だからダメとわかってたけど
事情説明して救急車呼んだわけ
そしたら警察も一緒に来ちまった
第一発見者ってことで念のため事件性の有無を確認するらしい
メンタルやられてる中で警察に状況説明
でもそうなると遺体は検視もされるから病院直行じゃないんだよな
よくテレビで見る青いビニールで運ばれる姿を放心状態で見てた
こんな最後にしちまった自分を責めた わいはたまたま家にいる時間に母が倒れたからすぐに救急車呼べたけど
30分ズレてたら半日は放置だったと思う
老人に限らず独居は増えてるし警察が入る案件はますます増えるんやろうな 母が死んでから無気力になって4ヶ月。
傷病手当で休んでるけど気力が復活しない。
俺の精神が弱いのか?これくらい休んだよって人います?
自分の子供も亡くなり、父は子供の頃に亡くなり、母の世話がモチベーションだったのかな
この世はもう楽しくない >>438
トイレで倒れてるの見付けて直ぐに救急車呼んだけど
BMI撮ったら「3時間は経ってます」と言われたよ…
倒れた直後に居合わせていたらもう少し長生きしてたと思う >>438
自分も10月に亡くなってからずっと休職してる
休職期間きれたら仕事やめるかも
生活していくだけの貯金はあるし >>438
私は1年経つけど仕事してない
母とお店やってたからそれをたたんだり諸々後始末の時間も掛かったけど
もう全て終わった今も全く気力が無い
お金ももう無くなるから仕事探さなきゃならないのに… 施設に払う金が毎年200万
葬式で寺と葬儀屋に払った金が250万
まじで口座空になってしまった
頑張って仕事しなきゃならないのに気力が沸かないなあ 82歳の母が施設で今朝亡くなった。あまりにも突然過ぎる
生前に迷惑ばかり掛けて何も親孝行できなかったことを凄く後悔している
こんないい歳して結婚しない馬鹿な奴の自分をいつも心配していた。
何もいらないから母に生き返って欲しい 去年の6月に母が旅立った。私の誕生日の5日後だった。
誕生日は母の病室で過ごした。母が苦しみ出したら看護師を呼んで、鎮静剤を打ってもらって。
母の苦しみが落ち着くのをずっと見守る一日だった。
だから私はこれからずっと、自分の誕生日が近づいたらその光景を思い出して泣くと思う。
父が「自分は何も出来ない」なんて言うから葬儀も、49日も、遺産相続の手続きもやった。
父は平日は仕事のために家を5時半にでて20時ぐらいに帰宅する生活で母に家事を任せきりだった。
だから母が死んでからの半年間は父がちゃんと暮らせるように生活を整える手伝いをして、
やっと目を離しても良いかと思えるようになった。
やらなきゃならない事がようやく終わって、
やっと自分の中にある悲しさ寂しさを少しずつ開放できるようになってきた。 そしたら今度は、母方の祖母がそろそろ危ないという。
元々介護施設に入所してて、母(祖母からすれば娘)が亡くなったことは
ショックが大きいだろうからって伝えてない
母が死んだときに、祖父が私の父に対して「娘が死んだのはお前のせいだ」とか罵詈雑言を
浴びせたとのことで母方の親類には、母のものは遺骨も含め何も渡したくないらしい。
母も「祖父(母から見ての父)の事は嫌い」って生前に愚痴ってたのは私も聞いてる。
けど、母は自分の調子が悪くても祖母が入居してる介護施設に通うぐらい、祖母の事は大事にしてた。
祖母の事を大事にしてた祖母も、もう半年も顔を見せない娘を心配してる。
祖母はもうすぐ旅立つと思う。私は祖母の遺骨を納骨する時に、一緒に母の遺骨も納骨してあげたい。
母にも祖母にも、「もう相手の心配しなくても大丈夫だよ。これからずっと一緒だよ」って教えてあげたい。 そのためには父に、祖母の時に一緒に母の分骨も納骨したいって説得をしないといけない。
祖父が父に当たりたくなるのも分かる。
自分より先に子供が亡くなるのはショックだもの。
父が怒るのもわかる。
結婚して30年以上。知り合った頃から40年以上になる伴侶を不幸になんてしてたつもりなんてないから。
今だって月命日のたびに、好物だったモンブランをお供えしてる。
祖父は母が死んでから、母の遺骨や位牌に手を合わせにも来ないから、余計に怒ってる。
父に「母の遺骨を祖母の遺骨と一緒に納骨したい」とただ言っても、首を縦に振らないと思う。
それは最終的に、「母が祖父と一緒に墓に入る」事と同じだから。
だから私は母が死んで悲しんでる父に対して、責めないといけない。それが私は悲しい。
「私の母は、自分が体調を崩しても心配していた自分の親が死んだことを知ることも出来なくなってしまう。
自分の母親と会わせてあげたい。ずっと心配してた人がもう大丈夫だって、教えてあげたい。」
一人暮らしは安定してきたとはいえ、父だってまだ悲しんでるのに。
なんで息子に責められないといけないんだろう。
なんで私は、まだ悲しんでる父を苦しませないといけないんだろう いきなりの長文、ごめんなさい。
こんな話は友人にするには重すぎて、甘えられるような人は居なくて。
こういう場所に書いて吐き出すしか思いつかなかった 不幸な家庭はそれぞれに不幸であると言うトルストイの言葉は世界共通だなあ 私が本格的に体調を崩したのは、母が旅立ってちょうど1か月の事。
今の会社では社員の誕生祝に粗品を渡すらしく(その年の1月より中途入社)、
「予定よりも1か月以上も遅くなってしまいましたが」と上司から粗品を貰ったとき。
「あんなに苦しい誕生日から、もう1か月も経ってしまった」という現実を思い出し、
上司の目の前で泣き崩れました。
幸い職場はホワイトな所で、泣き崩れた私に精神科やカウンセリングの電話を勧め、
「必要であれば休職を取ってしっかり心を休めてくれ」と言ってくれました。
その言葉に甘えて精神科にいった所、その場で診断書。「休職してください」とのこと
祖父には言えない。「精神が弱るのは軟弱」という古い考えの人だから。
父にも言えない。「自分の至らなさで息子を悲しませた」と追い込むような精神状態だったから。
ずっと隠しながら休職して父の様子を毎週。祖父の様子を毎月確認する生活。
そうして過ごしていたらある日父が、教えてくれた。
「お前が今の会社に入社を決めた時、母は泣いて喜んでいたよ」
それからはもう焦りしかない。
入社年数が短いから、同じような内容で休職が1年以上つづくと退職しないといけない。
結婚の報告どころか、恋人を作ったという報告も出来なかった自分が唯一できた、
「あなたの息子は大企業に勤めるぐらいの人間になれた」という親孝行さえ捨ててしまう。
私は母と同じで本音を隠してしまうから。
父や祖父、父方や母方の親戚に対しても、私との仲は決して悪くない。
けど、何も気にせず甘えられるのが母親一人だけだったから。
今かかえてる悲しみは一人でなんとかするしかない。
母が旅立つときはしっかりと看取った。そこに悲しさはあるけど後悔はない。
母のスマホを触って、貴女が愛猫の手を握り、頭を撫で、声をかける動画を見つけた。
貴女の声や手を見られることがうれしくもあり、もう二度と直接体感できないことが悲しい。
父も祖父も、私の心配をしてくれる。
だったらお願い、一人にして。私は貴方たちの前では悲しみに暮れて泣けないから。
母が遺したこの声を、一人で聞いて一人で泣く時間をください ここの方々は、亡くなった母親に元気な姿で生き返って欲しいと思いますか?
私は思えない。
母は1年近く体の異常に抱えて検査をしても原因が分からず不安を抱えながら過ごして。
入院してから旅立つまでの2週間は食事も出来ず、鎮静剤を常時点滴しないといけなくて。
旅立った日は今まで打っていた量の鎮静剤では足りないぐらい苦しんでた。
鎮静剤をそれまでの倍近い量に増やしてもらってようやく安定し、そのまま眠るように旅立った。
母が生き返ったら、形は違うかもだけど同じだけの苦しみを
もう一度味わってもらうことになる。
そんな苦しみを味わってもらいたくないし、苦しむ姿をまた見るのは耐えられないから、
どんなに悲しくても生き返って欲しいとは願えない うちは余命宣告からたった1週間で死んじゃったから生き返って欲しいよ
例え本人がもう一度苦しむとしてももっともっと話したかった 生き返るなんてありえないけどさ、生き返って欲しいとなぜ思うのか
それは生前にもっと◯◯しておけば良かったという想いからだと思う
再び死ぬ間際の苦しみを味合わせたくないというのも真理だけど
生前もっと優しく、仲良く楽しく過ごしたかったという後悔の念は消えないよ
お母さんともっとずっと一緒にいたかった あの時ああしていればとか
何であんなこと言ったんだろうとか毎日思ってる
自分の最大の理解者が居なくなってしまったことも悲しい >>442,443
ありがとう
近しい人がいてくれるのは凄く救われる
心が軽くなった
ありがとう 先週、母親が逝去しました。
身体も元気で人一倍健康に気をつけてた人が交通事故で一瞬です。
交通事故はダメだよ・・・
まったく心の準備ができてない。
朝、笑顔で出かけて冷たくなって帰るとか気が狂う。
もう悲しさ、悔しさ、怒り、後悔、苦しみで感情がグチャグチャでパニック状態です。
もっといろいろ話したかった。産んでくれて育ててくれてありがとうって、もっとちゃんと言っておけば良かった。いつも味方になってくれてありがとう
そして迷惑かけてごめんなさいって、ちゃんと謝りたかった。
跳ねられた時、痛かったよね。行かせなければ良かった。悔しい苦しい悲しい。 80歳でパートやってて毎朝道路凍ってるから
職場まで送ってーってウザイけど
優しくしてやるか このスレに来たってことは少なからず母の死を意識しているはず
鬱陶しいと思う母ほどいざ亡くなったとき後悔がすごいから嫌でも優しくしとけ
80なんて元気そうに見えてもいつ何が起こるかわからん もっと親孝行したかったし、感謝の気持ちを伝えたかったし、色んな所に連れて行きたかった。
自分の唯一の理解者だったのに、今更になって後悔しかない そっかあ
いい母親に巡りあえて羨ましいな、きみたちは。 80過ぎのパートで元気な母ちゃんいてるあんたの方がうらやましわ 今日、家に様子を見に来た父にお願いして、
「母方の祖母が死んだら、一緒に母の分骨も納骨する事」の了承を得た
父は「祖父に母のものはやらん」って言って反対したけど、
母が祖母と一緒に居られないのはやっぱり寂しいよ・・・ 感情的になりやすい祖父の事だから、祖母が旅立った時はこちらの都合を考えずに
「今まで娘が先に死んだことをアイツには黙ってたんだ。せめて死んだ後ぐらい一緒にさせろ」
という事を言うのは目に見えてる。
その気持ちは私もわかるから、「祖母と一緒に母を納骨する」事を父に了承してもらった。
だって、そうなった時に父が「母の遺骨を渡さない」という意志のままだったら、
私は二人から責められる形になる。
父からは「なぜ娘に手を合わせにも来ないような男に遺骨を渡さないといけないのか」
祖父からは「娘と母を一緒にして何が悪い」
これでひとつ、予想出来てるトラブルは回避できると思う。
私は貴方の持つ家に賃貸契約で住んでるから、相続権の剥奪や大家の権限で、
今住んでる家を取り上げられるのが怖くて直接の反論は出来ない。
でも爺さん、私にも意地はあるんだ。
母が死んで通夜と告別式を終わらせてから、血縁である叔母、義姉である伯母、
近所の人やママ友、勤めていた会社の人や学校時代の友人まで家に来て手を合わせた。
「あいつは私の娘だぞ」と怒るなら、なぜ貴方は手を合わせに来ないんですか?
娘の口から「父の事は嫌い」とまで言われた貴方に。
私が生まれ育った、母と父の作った家庭が「娘にとって不幸だった」と父に言い放った貴方に。
私の父に「お前のせいで娘は死んだ」などと罵声を浴びせた貴方に。
父の息子である私が、貴方に怒りを覚えないと思う?
だから私も、貴方に母の遺骨は触らせるつもりはない。
祖母の49日法要の時も、母の遺骨はずっと私が持つ。
母の遺骨を納骨する時も私の手から直接、住職に渡させてもらう。
貴方には、私と父しか持たない母の「思い出」は何一つ渡さない。 高校の時母親亡くして葬式終わって久しぶりに登校すると
あまり話したことない同級生が俺も早くに母さん亡くしてさあって話しかけてきた
もう高3の2学期だったので短い間だけど少し仲良くなった
まあその年の受験はさすがに全然だめだったけど次の年に地元の国立に合格した
少し仲良くなった同級生は俺より成績良かったけど家庭事情が複雑で進学しなかったと聞いた
21の時久しぶりに会ったら飲み屋の店長やってて
父親も死んで一人きりになって死んだも同然なんて寂しそうに言ってた
その後すっかり忘れてたけどその彼が去年自殺したと昨日聞いて心がざわついてる
何があったのか知らんけど幸せ薄い人生だったんだろうなって。 >>465
きついなあ
ずっと寂しかったのか決定的な何かがあったのか知らないけど
見も知らないそのご友人のご冥福をお祈りします 平均寿命まで生きて眠る様に逝ってくれてたらここまで拗らせる事はなかった 平均寿命まで生きる人が凄いんだよ
平均なんだから100歳90歳と生きる人がいる分6070で亡くなる人がいる
うちも早いほうだったから悔しいのはわかる 感謝の気持ちを心と身体全体で表現してあげたかった
もっと安心させてあげたかった
もっと心に寄り添いたかった
もっと楽しい人生を感じて欲しかった
残念で残念で仕方ない そして寂しい でも実際の死亡年齢の統計見ると
近年の女性の死亡者って85歳以上が7割以上なんだよな
だから勝手に85歳までは大丈夫だなって思い込んでた
もっと色々体のこと気を遣ってあげていればと後悔が消えない >>471
それが出来なかったから後悔となり、いつまでも引きずってココにいるんですよな…
>>472
自分も何の保証もないのにそう思っていたよ
そんな未来無かったのに 諸行無常というやつだね
当たり前な日々が明日も明後日も続くと思っていたが
必ず終わりがあり別れがある
お釈迦様は愛するものともいつかは離れ離れになるのが宿命と言って来世とか言ってない気がするけど
またお釈迦様に会いたい弟子たちが死んだらまた会えるみたいな設定考えたのだろう
死んでみなきゃわからないけどあの世でまた会いたいって思うのは当然だと思う。 もっと私が気を付けていれば、優しくしていたら、そればっかりです
いずれ私も死んで、会いに行きます >>472
それ戦前生まれが丈夫なだけで
戦後生まれにはなんの参考にもならないって聞いたことある 平均寿命なんて贅沢言わない
せめて70まででいいから生きて欲しかった
苦労して働いて年金すら貰わず死んじゃった母さん
可哀想すぎる 大往生ならまた別かもしれんけど
60ならせめて70まで
70ならせめて80まで
いくつで亡くなってもそう思ってしまいそうだなあ 平均までは生きて欲しかったよ
贅沢なんだろうけどさ
100歳とか本当に羨ましい
おめでとうって送ってあげたかった >>465
本当にこの世は平等じゃないな
想像だけでも辛い、願わくば天国で両親と共に幸せに過ごしていて欲しい >>481
自殺すると寿命まで生きた人と同じ所へ行けないから
亡くなった家族にも会えないっていうのが俺の中で死ねない理由になってるんだけど
自殺まで追い込まれる不幸な人や責任感が強すぎて自死で詫びてしまうような人が地獄に行くってなんか理不尽だな
経済的にも家庭的にも恵まれてる人たちにとっては
自己責任で努力が足りない、自殺は甘えってことになるんだろうけど
俺にはそうは思えない。 >>484
自分が自殺しない理由もまさにそれ(向こうで会えない)なんだけど、
実際のところ死にたいと思っても自殺をする度胸なんてない。
思うのと本当にやるの間にはとてつもない壁があると思うんだ。
それを越えるということはそれはもう精神の病気、病死なんだと思ってる 皆のレス番が昨日から1つずつずれてるんだけど何でだろう 私の母は58で、緊急入院から2週間もせず旅立ってしまった
父方の祖父母はどちらも旅立ってしまったけど80を超えてからだったし、
母方の祖父母も、祖母はそろそろ危ないけど80超えてる。
だから両親との時間はまだあるって安心してしまってた。
今の会社に転職して時間的にも体力的にも余裕が出来て、やっと親孝行できる!
そう思って月に1回程度は親に顔を見せられるようになって、それから半年で母が旅立ってしまった。
「孝行したい時に親はなし」
今、本当にこの言葉が刺さります。
半年だけでも母に親孝行は出来た。
そう自分を慰めながら、母を喪った悲しみと向き合う日々です >>485
一度は母親を喪った悲しみが辛くて自分の首を絞めたことある
けど、「ここまで育ててくれた母親の愛情を無為にしてしまう」
と思って踏みとどまってる。
「何かの拍子に死んじゃったり出来ないかなぁ」という希死念慮は消えないけどね
あと最近、賃貸物件で自殺すると相続人または連帯保証人に結構な額の損害賠償が
行くと知って、なおのこと自殺は考えるわけにはいかなくなったな
大家は母方の祖父で、損害賠償は相続人・保証人の父に請求することになる
母が死んで互いに縁を切ると言い切るほど険悪な仲になってるから、
祖父はまず間違いなく法外な額を請求する。
その上で「お前のせいで孫までが死んだ」と罵倒するとこまで予測できる。 やっぱりあれ以上楽しい日々はもう来ないと思うと、悲しい 新築すると人が死ぬという話
うちは新築してたった半年で母さんが亡くなり
下の子はまだ小学生
家を売らなきゃならないかもしれないなどと父は神経質になり怒りっぽくもなったが
住宅ローンはなんとか完済し子供はみんな大人になった
父親は長生きして亡くなったが
寺や葬儀屋の請求書見て驚いた
ああ、親父も苦労したんだろうなって思う
自分の趣味ややりたいことも我慢して再婚もせず生きて
やっと母さんに会えたのかなって。 >>491
家を弄るのは50代迄だと言われたな
60過ぎてからの新築は本人の想像以上に肉体的にも精神的にも負担が大きくてストレスで死ぬんだと
単身者の引っ越しならそうでも無いのかも知れないけど
家族揃っての引っ越しとなると色んな事をしなきゃならないし
実際に自宅のフルリフォーム後に体調崩して数ヵ月後に死んだアラ還を何人か知ってる 平均寿命まで生きて眠る様に逝ってくれてたらここまで拗らせる事はなかった 亡くなった場合の医療費控除の期限て短いんだな
普通に5年と思ってて過ぎてた
親が生きてた証しとして領収書とか残しておこう
こんなことしてるからダメなんだよな
コロナ禍で面会制限がなければ、
ここまで何もする気が起きないダメ人間にならなかったんだろうけどな
ほとんど手続きしてないや 掃除しても洗濯してもゴミを出しても外出しても何をやっても悲しい
もう何もかもが悲しい 悲しみの前には学生時代の友人なんて全く役に立たない
これ以上の孤独はない 兄弟もやっぱ他人だな
もう長くないからたまには会いに来いって言っても来ねえし
施設の入居費年に200万かかるが年金じゃ全然足りないから
俺が出してて大変だなんて言っても1円だって出そうとしない
遺産はいらないって言ってるけど
そういう話じゃねえっての
なんか本当に俺一人きりになったんだなってしみじみ寂しくなった。 >>499
>遺産は要らない
信用しない方が良い
家の兄弟も母の生前は何回も同じこと言ってたけど
結局亡くなったらしっかり自分の権利分は貰っていった 遺言書いてもらえばよかったんだろうけど
死んだ後の話したくなかったんだ: 親兄弟だろうと金が絡むと人間なんてそんなもんよ
人間に期待するな >>492
平均寿命マンしつこい
どうせ70位まで生きたんでしょ 遺産分割の話や役所や銀行や税務署
世知辛い話ばかりで嫌になるぜ
毎週坊さんがお経あげてくれるので
その時ばかりはありがたいお経唱えて心を無にしたいのだが
お寺に80万払って建て替えの寄付金まで請求されると
なかなか無にならんわ >>502
荒らした訳でもないのになんでそんな事を言うの?
いくつまで生きても辛い物は辛いって散々既出だけど 平均寿命の人はスルーして
私のレスコピーして貼ってるみたいだから >>504
いくつまで生きても辛いんなら平均寿命云々言う意味ないでしょ >女の平均寿命は87.57年
87まで生きて欲しかったとか無茶言うなよ ばあちゃんは90代後半まで生きたけど
80後半からはよほど元気な人じゃないと家族を含め結構悲惨なことになるぞ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています