悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】 74
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悟りを開いた人=ブッダのことで、仏教的人生相談になります。
仏教の議論は宗教板で。ここは、あくまでも人生相談スレです。
◆利用者のみなさんへ
・人生相談板では 相談すること、それに答えること このやりとりが大事です。
独り言や自説の主張・雑談・馴れ合いなどは禁止です。各々の専門板へ。
・何度も書き込む場合は最初に書き込んだ時のレス番号を名前欄に書いておくだ
さい。
・相談はなるべく詳しく明確に書きましょう。(できれば年齢や性別も。)
では、どうぞ。
※前スレ
悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】 73
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1554377565/ >>235
苦しみは原因がわかると消える。
求めているものが手に入らないから苦しみになるわけだが、何故それを求めているのかと掘り下げて原因を心の中に探って行くとやがてわかる。
普通の世間的なやり方だと求めているものを努力して得る事によって苦しみをなくそうとするわけだが、それだと原因についてはそのままなのでやがてまた同じものを求めてしまい切りがない。
根を抜いてない雑草のようなもので、刈っても刈ってもまた生える。根こそぎ抜けばもう生えない。 >>232
普通に止めれば?
止め辛いなら例えば黙って引っ越して相手から見たら行方不明の状態になるとかね。(なんだったら本当に失踪して世界中放浪するのも良い)。
ま、しかし、止めてもしつこく電話とかしてくるようなら今ではストーカー規制法もあることだし、警察に相談しちゃっても良いと思う。
あとはそういった宗教の被害者の会みたいなのがあればそこに相談。 >>222 無じゃ。
>>224 自我を滅し、認識をも滅した境地が悟りなのじゃ。
実践によって確かめるのじゃ。
>>226 きみこではないのじゃ。
おじいさんじゃよ。
>>232 内部情報が知れるならば脱税とかで告発すると善いのじゃ。
本当に逮捕させるのじゃ。
脱会者が多くなるからそれに紛れてやめるのじゃ。
或いは仲間を募って一度に大勢で脱会するのじゃ。
おぬし一人をかまうことはなくなるのじゃ。
みんなで抜ければ怖くないのじゃ。
>>239 消毒してばんそうこうをはるのじゃ。
打ち身には湿布をするのじゃ。
手をあてて細胞が一つ一つ増えて傷を治すことをイメージするのじゃ。
そうすれば早く直るのじゃ。 >>240
一度観念を捨てた後で観念自体の見直しを行い、良いと思ったモノ、苦しみを生みにくい観念を持つ ということです。
そもそも観念(価値観)というモノは完全に捨てる事はできません。
現にあなたも「観念は捨てる、自分などない」という観念を持っていますよ。
>>242
苦しみの原因を掘り下げて心の中を探るのは同感です。
私はその探った結果、その人の考え方や観念(価値観)が苦しみを生み出すモノだと考えています。
だからその観念を見直すことで苦しみを小さくできる、苦しみを乗り越えやすくできる のではないかと思っています。 鬼和尚はようつべに悟りの動画をあげたりしないのですか? >>232です。和尚様ありがとうございます。
実は以前も退会をほのめかしたんです。
そしたらネット掲示板でさらし者にされて大変だったんです。謝罪とお金を払わされました。恐怖と不安で動きにくいのですが、もう少し突っ込んでアドバイスいただけると有り難いです。よろしくお願い申し上げます。 鬼和尚は人間には常に死ぬ選択があることによって
日々を安心して暮らしていける側面があると思いますか? 鬼和尚は独身でしたっけ?不細工でもてないんですか? 鬼和尚は日本が外人に侵食されているのをどう思いますか? 鬼和尚は世界には足が六本ある鶏がいると思いますか?
ちなみに鬼和尚には足が三本ありますか? 仏教棄民の大山は最近ぜんぜん元気がないがそろそろ寿命が来たか? 鬼和尚は運こをするとき出だしのほうが硬くて大きくて
黄門からだしにくくなって
思わぬ難産になったりすることがありますか? >>245
まあ少なくとも観念なしのままだと人と話ができないけどね。言葉も観念を利用した道具なので。ただそこから自由なのかどうかの問題かな。
観念を絶対しして縛られていれば苦にしかならないが人とやり取りするために観念を利用して言葉を作るだけなら苦にはならない。
映画やドラマのストーリーにのめり込み過ぎると苦になるが、そうならないなら苦にならないのと似ている。 >>257
何事にもこだわり過ぎない、とらわれないってことでしょうか。
確かにちょっと観念(価値観)にこだわり過ぎてる感じがありますね。
一歩引いてみて考えてみます。 >>257
ただ、観念(価値観)は人の行動や意思決定に強い影響はあります。
存在しないモノだと言って軽視していいものではないモノかと。
ここまで言っといてナンですが、もしかしたら観念に対する認識が違うだけなのかもしれません。 自分、仏教にすごく詳しいという訳ではないので、
観念についてもwikiで調べられる程度、
観念≒価値観 ってくらいの認識しかないので、
話がかみ合わないのかもしれません。 なんか改めて観念について調べてみたら、
「あるものに対する主観的な考え」って意味があるみたいですね。
そういう意味なら、観念にとらわれ過ぎない方がいいと思います。
となると、今までの自分の発言の中の「観念」は「価値観」に置き換えた方がいいですね。 >>246 しないのじゃ。
>>247 おぬし自身が恐怖と不安を滅しなければ何もできないのじゃ。
自らの心を観察して、その原因を探すのじゃ。
原因からその恐怖と不安が起こると観察できれば消えるのじゃ。
そうすれば堂々と退会できるのじゃ。
さらしものにされようと何も動揺しないのじゃ。
それで動揺するおぬしの心が退会を難しくしているのじゃ。
わしのブログを読んで止観を実践して心をコントロールするのじゃ。
>>250 おぬしがそう思うならばそうじゃろう。
そう思わなければそうではないのじゃ。 >>263
横ですが
>原因からその恐怖と不安が起こると観察できれば消えるのじゃ。
これは具体的にどうやれば良いんですか?
例えば、ある被害に遭って苦しんでる場合
その被害を思い起こすと苦しみが出てくるのを
何度も観察すれば苦は起こらなくなるのでしょうか? 無理して自演しなくていいんですよ?
見向きされてないんですからw 全て言葉が邪魔をするのじゃ。わしのこの言葉も伝えるには読むしかない。しかし、具体的でない何とでもとれる助言は宗教家や占い師の常套句なのじゃ。
何度も追加質問を求められるのは質問者の方にも原因はあろうが、そういう人にこそ言葉以外で目の前に生き様を見せ空間を共有して共通の理解を得るという方法が通じるもの。つまり一緒に共同生活すれば良い。
文章がある程度読めるものでも実際のところは助言者と質問者の媒体は言語と文字のみ。これから本当に的確な助言になりうるのかの。
受取手は言語能力が高いほど勝手な解釈をしてそれが助言者の伝えるところと違っても確認もせず礼を言って去って行く。これこそ話しても分かり合えないすれ違いの決定的瞬間じゃ。
言語を扱う人間よりもそれを持たぬ岩や水、空、わしらには理解のできん情報伝達手段をもつ虫や鳥、草花に学ぶのじゃ。よく観察するのじゃ。
言葉は便利なようで遠回りなのじゃ。その為に弟子たちが勝手な解釈をでっち上げて研究者と名乗るものたちが持論をぶつけ合って争いの火種を作り上げる。宗派や正統など本来はないのじゃ。
開祖こそ本物で本物は開祖一人じゃ。
これも文字を使って書いたのじゃが、言葉の素晴らしいところは全てぴったりと伝えないところじゃ。その全て悟らせず自分自身で見抜く機会は絶対に奪わないという実に粋な道具なのじゃ。
塩燕孤尚からは以上じゃ。 >>266
難しい言葉ほど様々な解釈ができますからねぇ。
すれ違いを起こしにくくするためにも、様々な解釈ができる難しい言葉は簡単な言葉や文章に分解して伝えるのもいいかもしれませんね。
言葉って思いを伝える事もできますが誤解を生む事もある、諸刃の剣ですから、
相手に合わせて上手に使っていくことが大事ですよね。
研究者の持論のぶつけ合いも、それで自分の足りない部分を補完しあえばいいのですが、
そこに相手に勝ちたい、自分だけが正しいと認めさせたいって意識が入るから、争いの火種になってしまうのでしょうね。 飛行機に乗ったりトンネルを通る時に、死ぬのがすごく怖くなるのですがどうしたら良いでしょうか。 ついてないなぁと思う時がありますが、ちょっとした不運が続くような時って何が起こっているのですか?
些細な例えで言うと、
毎度赤信号に捕まるようなタイミングの日と、青信号ばかりでスイスイ行けるタイミングの日、
そんな運勢のようなものって、
やっぱりあるんでしょうか?
不運については自分の準備不足・不注意も大きいので日頃の行いが悪いせいの時もありますが…
悪い事が起こった時は「自分の悪い行いの結果がこんな些細な不運で済んだんだ、寧ろ感謝しよう」とか思うようにしているのですが、
それはただの気の持ちようですか? >>242
何故それを求めているかの原因を探る事が上手く出来ないのですが、
それはやはり止観を実践していかないと出来ないものでしょうか?
生理的欲求の他には「人から良く思われたい」という欲が強く、これのせいで時間もお金もかかります。
これが無ければもっとシンプルに生きられるのに、と思っているのですが、
欲と恐怖があり無くせません。
偽和尚はそういった世間的な苦からは解放されているのですか? 鬼和尚はくもの巣から虫を助けてやることは慈悲だと思いますか?
蜘蛛がかわいそうということにはなりませんか? >>270
和尚さんではないので参考になるかわかりませんが、
私は自分の思いを探る、味わうことがヒントになるかと思います。
求めているものを得た時どういう思いになるのか、得られなかったらどう思うのか、
人から良く思われたと思ったらどんな思いをするか、悪い人と思われたらどんな思いをするのか。
想像でもいいですし、過去にこのような状況になったとき、どんな気持ちをしていたのかを
振り返るでも十分かと思います。
そして、これらで探った自分の思いについて、
どうしてそう思ったのだろうかと、掘り下げをしてみてはいかがでしょうか。
一度や二度の掘り下げではたどり着かないかもしれませんが、
その掘り下げの先にあなたが大切に思っていること、叶えたいモノがあり、
それを守り、叶えるために求めたり、「人から良く思われたい」という欲が湧くのだと 私は思います。
仏教的な考えとは異なるため、受け入れにくいとは思いますが、
こんな考えもあるんだなぁと受け止めてみてください。 鬼和尚は最近質問に答えなくなりましたね?
鬼和尚は人は見た目が9割だと思いますか? 鬼和尚はCGのアナウンサーがニュースを読み上げると思いますか? 鬼和尚に自由に使える5億円があったら、何に使いますか? 【仏教】女性は仏になれない…仏典に残る女性差別、どうすれば? 「男性に生まれ変わって成仏」「夫・子に従うべき」★4
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1560920177/ >>270
瞑想をやっていれば観察しやすくなって早く気づくようになるとは思うけどやってなかったからと言って全く出来ないってことはないと思うよ。中々うまく行かないかも知れないけど。
なんで人からよく思われたいのか?
悪く思われると何か問題があるのか?
あるとして、どういう問題があるのか?
なんというか、小さい子供と親ならばなんとなくわかるけどね。親に気に入られないと死ぬかのように感じるだろうし本当に死ぬこともあるから(実際に虐待で死んでる子もいるし)。
しかし今は既にそういう親子間系みたいな形で人に依存して生きているわけではない筈で、仮にそうだったとしてもそこから脱する力は既にある筈だ。ないと思い込んでるのかも知れないが。
世間的な苦からは完全には解放されてない。悟ってないからね。波があって気づいたらハマってるみたいなのの繰り返し。 鬼和尚さん
観察は、歩きながらとか自転車に乗りながらやるのは余り有効ではないですか?
座って瞑想やりながらじゃないと自我が見えなかったりしますか? >>277 岩波文庫の尼僧の告白(タイトルがエロい)読んでるとわかるが、女でも悟れる。女は仏になれないと言うのは後世につくられたでたらめ 何をしとる時でも己の観察はできよる
観察する場合、己というものに実体など無いと知りおき、無人の客観視点で
無人である己の動きや、思考の巡りまで観察できよる。自我を観ようと思うても
そんなものは無いが、自我であるかのように凡人が思うておる精神の部分は
感情の起伏や、凝り固まった理念などと、意識が「同化」してしもうとるもので
それを解いて脱げれば、解脱となる。と一口に言うても、けっこうベタついとるものぢゃ >>269
統計学や体調のバイオリズムなら未だしも、運勢、ジンクス、カルト占い的な
そのようなものに意識が向いてしまうやも知れぬ、不運の連続などに対して
変な執着は持たんほうが良かろう。そもそも不運を不運として、強く感じてしまうのは
逆に幸運な幸福でも求めておるからであって、手元にある幸福を実感できておれば
多少の流れに囚われることなどない。特に意味深なものなど、何も起こっておらんのぢゃ
すべての流れは、因縁生起でそのようになってはおるが、この言葉もまた
意味深になど捉える必要はない。それは水道の蛇口を捻れば水が出る、とか
人間がその生活において水を必要としたから、蛇口や水道管ができてそこにある、とか
消毒の必要性があるから塩素が混ぜられてるとか、重力があるから下に流れるとか
ごくごく当たり前の原因と結果のことで、良い心持ちでおったとしても
事故にあうときは事故にあうし、精神を安静に保つには、いちいち囚われんことぢゃ 自分で自分が満足できる、自己肯定感を感じていたい。とか、他人から良く思われる
自己承認欲求を満足させたいとか、そういったものも、自我に囚われておるから起こる
世俗的な凡人の常であろう、それがあるから、満たされておれば、たとえ辛い仕事や
痛い目にあっても、心が満足したり、それが不満だと、ネガティヴに陥り性格が捻くれて
あれやこれやと黒い想いを巡らせてしまったりしよる。例えば、容姿の悪い者ぢゃ
本人には何の落ち度が無くとも、それが原因で、肯定感も、承認欲求も満たされず
拗らせて性格が捻くれてしまう。しかしそれも、状態の良し悪し、満足不満足に関わらず
根っこの部分は「同じもの」だからこその、満足や不満足であって、その結果に囚われず
誰しもがそのような、心根を持って生きておる、とさえ理解しておれば、それだけで良い
あとは、他者との差異を見比べて、それに囚われてしまう心と離れていけばよい
上を見ればいくらでも上はいるし、下を見ても同じこと。なかなかどうして便利な世の中
そのような恵まれた環境においては、自分の価値や、必要性を感じれない者も多かろうが
それは逆に言えば、自己観察できる余裕があること。仏教に精通するには恵まれた環境
心の静寂を求め、瞑想行にでも励めばよかろう。涅槃寂静の心地というものは、ぢゃ
それは自己肯定感でも、承認欲求でもない、いちいち理由を必要としない心の安静なのぢゃ 知り合いにウソをついたり自己中な行動をしたりと、評判の良くない子がいます。
私の友達がその子と定期的に会っています。
友達もその子がロクでもない子だと口では言ってるんですけど、なぜか会うのをやめません。
「勉強になることもある」「なぜか月1で会う事になってるのよ」「愛想が尽きたら会わないよ」とか、
他人事のような言い訳ばかり並べて付き合い続けています。
この2人、実は同類の可能性はありますか?
無意識にシンパシーを感じるところがあるから離れられないんでしょうか。 >>268
死というものへの、精神的な囚われを消せばよい。それも仏教のテーマの大きな一つぢゃ
絶命に至るまでの、肉体的な苦痛を恐れるならば、それは痛覚という神経があるから
当たり前で必要な恐怖心と、危機管理に繋がりはするが、精神的な意味において
この世から消えて無くなりたくない。という想いからの死に対する恐怖心というものは
ムダなものぢゃ
不生不滅、不垢不浄、不増不減、是故空中。その実体においては、実体など無いのだから
初めから生まれて有ることも、死んで滅することもなく、精神的な囚われの恐怖などとは
訣別できるように行に励まれよ。己が有る、という囚われがあるから、逆に孤独を感じて
己が無い、と知れば、そこには己と他とを隔たらせうるものは何も生じないものぢゃ
仏教は、世間一般で言うとことの、ニヒリズムでは無い おぬしらよ、悟りを得ることと、金を得ることはどっちが良いかのう?
悟りを得れば問題はすべて解決する。じゃが金はない。じゃが金がないことを苦に思わんから、幸せ一杯でいられるのう。
じゃがこれから悟りを得ようとする者にとっては、悟りを得ても貧乏なのでは、悟りは魅力あるものと映らぬのう。
つまり悟りをすでに得た者にとっては、金は必要ないが、これから悟りを得ようとする者にとっては、悟りも得たい金も得たいというわけじゃて。
ふぉっふぉっふぉっふぉっ・・・・www >>284
その友人を反面教師にして、子供なりに学んでおるのかも知れんし
また、その自己中な性格に不満を感じて、その友人の身勝手さが不運を招く状況を
楽しみにでもしておるとか。そういう意味で勉強になる奴だと思うておるかものぅ
同類の可能性も、無きにしも非ずぢゃが、本人の好きなようにさせればよかろう
>>286
そうだよ >>287
吽鈷菩薩さん、横からすみませんが「己が無い」とはどういう意味なのですか?
私は存在してますが… >>288
精神には悟りの方がよく、身体には金のほうが良かろう。ケースバイケースぢゃ >>290
先ず初めに、例えば「霊魂」というオカルト妄想。そういうものが実体としてあって
人間が生きている、という想いが妄想なのぢゃ。そういう感じで凡人は己の自我を
実体だと勘違いしておる状態であり、そういうものは無い。実体という意味での己は無い
ロボットはセンサーとモーターの組み合わせ。それを誰も生き物だとは思わんように
人間がいかに複雑な情念を持ち、思考ができようが、神経と筋肉の組み合わせであって
釈迦も言うておる。人は骨と肉と皮を繋ぎ合わせただけのものに過ぎない。と
それが実体など無いんだよ。という教えであり、無いと知れれば己と他の隔たりも消える おぬしらよ、金を得るにはどうすればいいかのう?
善行をすればよいのかのう?
否じゃ!!世の中は悪いことをするやつほど金を儲けておるからのう。
おぬしらよ、金を得るにはまず風水じゃ。金回りのいいヤクザがきんきらきんの装身具を身につけているのも、それが風水の理にかなっておるからじゃぞ。
次に清潔じゃ。おぬしらも木造のボロアパートに住む貧乏陣が例外なく部屋を散らかしておるのは知っておるじゃろう。
また車の中はゴミ屋敷状態になっておるのをいやというほど、目撃してきたであろう?
きたなくしておっては金は絶対に集まらぬぞ。
次ぎに施しじゃ。
施しとは、少量の金を施すことによって大量の金を引き寄せることであり、これは悪人でも常套手段としてやっていることなのじゃぞ。 >>278
>世間的な苦からは完全に解放されていない。
自分も前提条件と思って説明で省略してしまいましたが、
よくよく考えてみるとそれが観察や思いの振り返りをすごく邪魔する上、
そこからの脱却ってものすごく難しいのですよね。
世間的にはこうした方がいいとかこう思うだろうといった自分のモノじゃないヤツが、自分自身(心)を覆い隠してしまう。
そのため、自分の観察、思いの振り返りをした筈なのに、世間的に正しいと思うモノとかみんなが思いそうな事が答えとして出てしまう。
それが間違いだと限らないだけに、余計タチが悪い。
そうなると、まずは自分の考えと世間の考えを切り離す必要があるのでしょうね。 >>293
で、お主はどうぢゃ?金持ちに成れたか? スーパーの値引きタイムぢゃぞ。この時間から活動するのが和智の日課ぢゃ
ふふふ (-人-) >>292
肉体的には「ある」けど
精神的には「ない」ってことですか?
難しい… >>264 それでも苦は少なくなるじゃろう。
更にそれが肉体への執着から起こったとか、更に根本的な原因から観察できれば消えるじゃろう。
実践によって確かめるのじゃ。
>>268 それも心の中の原因から起こるものじゃ。
昔飛行機やトンネルで怖い眼にあったとかなのじゃ。
あるいはそのような話を聞いたとかなのじゃ。
そのような原因から恐れが起こり、原因が無かった時には恐れも無かったと観察するのじゃ。
そうすれば消えるのじゃ。
>>269 おぬしが引き寄せているのじゃ。
ものごとは心によって創られるとお釈迦様も言っているのじゃ。
怒りの目で見れば全てが腹立たしいのじゃ。
腹の立つことが多いと不運とか想うのじゃ。
慈悲の目で見れば全てが哀れむべきものとみえるのじゃ。
不運も無いのじゃ。
実践してみるのじゃ。
>>273>>275 むしろ答えすぎなのじゃ。
わしは何も想わないのじゃ。
フランス人は十着しか服を持たないのじゃ。
>>276 おぬしにやるのじゃ。
>>279 いつでもやってよいのじゃ。
そのような時に気付きが起こることも在るのじゃ。
自我の意識的な働きが少なくなるからのう。
常に観察すると善いのじゃ。 >>284 そうじゃろう。
似た者が引き寄せあうのじゃ。
よく観察してみるのじゃ。
>>298 いまきたのじゃ。 無理して自演しなくていいんですよ?
見向きされてないんですからw >>293
> おぬしらよ、金を得るにはどうすればいいかのう?
働け。
>>294
切り離すというか、自分の本音や本心がなんなのかを引き出す必要があるだろうね。
その時に世間というのが自分の記憶に基づいて作られた妄想の一種だとわかるとやり易くなるかも知れない。
世間とはどんなものであるかという観念はそれまでに出会った人との体験や人から聞いた話を元にして更に自分の空想を付加して作られたものだしね。
>>297
肉体があるという認識は精神がしている。もししなかったらあるとはわからなかっただろう。
もちろん物事が「わかる」というのも精神活動の一種だ。 すいかし 世間では結婚は百歳になってからするべきものとはなっていないし
体験や思い込みで世間を妄想して結婚適齢期があるとおもうし
全部妄想でとらわれて苦しむななんてのは
それこそ妄想じゃないのか 自由にできることった、あんまりないなぁ
女風呂に入ることさえできん
実に息苦しい世の中だ
部屋の中散らかってるのさえ、なかなか自由に掃除もできんやつばかりだ 図書館の貸し出し記録を見ると、掃除の仕方だのなんだの多いんだ
人に聞かないと私生活の自由すらままならない
自分の好きなようにすればいいだけなのにな
これは大変難しいことだ
自分の本心だの本音だの そんなものが存在すると思っていることそれ自体こそ、
なんら実体のない妄想ではないのか >>304
そうですよね、同感です。
そうなると、世間が妄想の一種だという事をどうわかるかがカギになるのでしょうね。
言葉でそうだと言われても、やっぱり納得できないと受け入れにくいものですし。
対処的なやり方になりますけど、
その世間というもの、今まで聞いた話を疑ってみるっていうのもいいんじゃないかと 私は思います。
人を疑うっていうと良くないように聞こえますけど、自分で考えが何もない よりはいいと思います。 >>307
そんなことはない、自由にできることなんていっぱいある。
それこそ女風呂を覗いても ね。
ただし、覗かれた方がどうするのも自由だから
あなたをボコボコにしたり、訴えたり、社会的制裁をするのも自由 ってこと。
自分が覗いたあとにそうされるかもしれない、それを理解して覚悟すれば何をやっても構わんさ。
それが自由を認める、自分と相手の自由を認めるってもんだ。
自分の自由だけしか認めようとしないから自由なんてないって思っちまうんだ。 むしろ自分の自由を認めないから自由がないんじゃないのかね 俺は弁護士資格ないけど明日から法律事務所開業するぜーとか
医師免許ないけど外科手術するしお題は一件につき3千万円取るぜとか
そんな自由は自分に認めていない エロイことをしたい、というとき、制服効果というのがある
スーツ、セーラー服、ナース服
これは世間の縛りや権威に反抗したいという男の気持ちをくすぐるので
相手がこれを着ていると興奮度が数倍増すというものである
タブーへの挑戦、限界への朝鮮、隠れて悪事をする興奮である
結婚するとセックスレスになるのは、それらがないからであろう
いつでもできるしする正当性もあるとおもうと、しないのである
女は相手の男が何を着ていようがそういうのなさそう
調べたりしたのを聞いたことがないだけか なんでもネットで購入できるこの世の中、
結婚相手もアマゾン?メルカリ?ゾゾ?に出品されてると面白いのにな
バンバン売れまくるんじゃないのか? 基本どんなこともどうでもいいことだから、後回しにするのが賢い選択となってしまう >>312
それはあなたが「しない自由」を選択したんだよ。
自由って言葉は「する」って方ばかりが注目されがちだけど「しない」事にも当てはまるんだよ。
あなたの場合、法を犯す事をよしとは思わないからそんなことを「しない自由」を選択し、行使した って事。
逆に言うと、道徳的に良い事だってするもしないも自由って事だね。
道を尋ねられても助けなくてもいい。
忙しいからでも、自分にもわからないからでも、特に理由がなくてもいい。
自分がしたくないと思ったら、しなくてもいいんだよ。 だいぼんくんはだいぶ未成熟な思想の持ち主のようだね 若いのかな
未熟で野蛮で品がない 無理して自演しなくていいんですよ?
見向きされてないんですからw >>319
若いよ まだまだ未熟者。
一応補足すると、私個人の考えとしては
基本的に法律は遵守するし、困っている人がいたら助けるよ。
でもそれを人に押し付けたくはない。
これはあくまで自分が良いと思っただけであって、
その人が良いと思うモノとは限らないから。
多分こう言うと、自由を認めろと言ってるじゃないかと思われるかと。
まぁ、実際そうかもね。やっぱり自分は未熟者だ。
自分の言ったことは受け入れなくてもいいけど、
ただこういう意見や見方もあるんだなぁということを受け止めてほしい かな。 >>266
結構いいこと言っとるな
要するに馬鹿に賢人の言葉は入らんし
賢人には馬鹿が底なしなのをあきれるばかり
生来の階級があって、絶対、入れ替わることが無理であると、思うのみ
馬鹿は素直になるしかないと思う 素直にきいてりゃいいだけなのに、反発する
馬鹿の分際で反発するな
だから人間は素直が一番なんて言葉が存在するんだろう
逆に、バカの言うことを、そのまま素直に聞き入れてしまうのは大問題なんだが
馬鹿の言ってるバカのことは、バカにはよく理解できるらしくて
素直にバカになっちゃうんだよなぁ・・・ >>322
若くて進取の気性に富むといってもらいたいね
君には違いが判るまいが >>325
進取の気性に富む、従来の習わしにとらわれることなく、新しいことに積極的に新しい事に取り組むのでしたら、
なぜ私の思想を未成熟とレッテル張りした上で、内容に対する見解がないのでしょうか?
私の述べたことは、社会的正義、道徳に反する一面があるという自覚はありますが、それ故従来の習わしとはかけ離れたものです。
新しい視点として一考する価値は十分にあると思いますが。まだ表面に出していない側面もありますし。
まぁ、あなたの中で自己完結していて、それで十分なのでしたらそれでもいいのですけどね。 >>324
>要するに馬鹿に賢人の言葉は入らんし
>賢人には馬鹿が底なしなのをあきれるばかり
バカには賢人の言葉が入らないって言ってますけど、
それはただ単に賢人の教え方がヘタ、的を射ていない、擦り合わせが出来ていないというのと、
バカの人の方で過去の経験から受け入れがたいところがあるから考えている ってだけですよ。
自分には賢人のフリをした愚か者とバカなり一歩先に進もうとしている人に見えますね。
>馬鹿の分際で反発するな
なんでバカは反発しちゃいけないんですかね。
反発したって事はその人は納得できない何かがあるってことですよ。
納得しないまま物事を進める、何が起きるのか予測すら出来ないなんて、怖くないですか?
少なくとも私は怖いですし、そんな怖いことを人に押し付けるなんてできやしません。
>逆に、バカの言うことを、そのまま素直に聞き入れてしまうのは大問題なんだが
素直に聴くこと自体は問題ではないですが、そこに自分の意見や見解がないなら大問題ですね。
これはバカじゃなくても、それこそ賢人の言ったことでも
そのまま鵜呑み、自分の見解なしに受け入れることも大問題、というか危険です。
なにせ相手に洗脳されているも同然の状態ですからね。 >>329
さて、どうでしょう。
未熟なのはわかってますがね。 >>302 おぬしが慈悲だと思えば慈悲なのじゃ。
くもがかわいそうと思えばかわいそうなのじゃ。
それだけなのじゃ。
全ておぬし次第なのじゃ。 無理して自演しなくていいんですよ?
見向きされてないんですからw 人との対応で正解がわからず、常に緊張と不安と、
更にその後はほとんど毎回失敗したように思えて自己嫌悪があるのですが、
この根本的な原因はどこにあるのでしょうか?
上手い対応がわからないことなのか、人に不安があることなのか、そもそも上手い対応をしなければという強迫観念があるからなのか、空気が読めないからなのか、失敗したと思い込むネガティブさなのか…
全てが原因だとも思いますが、
なんかもっと根本的な原因があるのではないかと思っています。 逆に人との対応であまり不安やストレスを感じない人って、いるんでしょうか?
いても稀でしょうか?
私には想像出来ない心境なのでその心理を知ってヒントにしたいとも思うのですが、
そのような人はなぜ緊張や自己嫌悪しないのでしょうか? 原因がわかれば苦がなくなる原理を教えてください。
高い所から落ちて高い所が怖くなった人は、その原因は分かっていても高い所は怖いままです。
高い所を怖くなくすることが出来るのですか? 毎日毎日、自作自演ご苦労様です。
仕事をしてないんですか? >>336
私はつい最近に人との対応であまり不安やストレスを感じなくなりました。
思想が未熟で野蛮と評された(一応自覚はある)ものなので、
参考にというか、こんな考えもあるんだなぁって程度で受け止めてみてください。
私の場合は、自分の自由も他人の自由もそれぞれあるんだって事を受け入れた事と、
人は一人一人違う存在なんだという事を理解した事で、
他人の言動が気にならなくなり、自分の言動に悔やまなくなりました。 自分の自由も他人の自由もそれぞれあるんだって事を受け入れたっていうのは、
自分は他人を変える事も操作する事もできない、逆に他人は自分を変える事も操作することもできない
という事実に気づいた という事です。
こう言うと、例えば上司の指示に従って仕事をしているのはどういう事なんだ、自分は上司に操作されているんじゃないか
という風に思われるかもしれませんが、その考えにはある過程が省略されています。
それは「自分が上司の指示を受け入れた」というものです。
上司が指示を出したとき、その内容次第ではそれを断ることもできるのです。
例えば、もっと効率のいいやり方があるとか法律を犯しているからとか、そんな理由で断る事もできるのです。
ですが受ける事もできます。その内容が正しいからかもしれません、あるいは断るとあとでひどい目に遭うからかもしれません。
この受ける理由と断る理由の二つを無意識のうちに天秤にかけ、人はどう行動するか判断するのです。
上司に操作されていると思ってしまうのは、受ける理由が大きいので従う判断ばかりをしているからなのかもしれません。 鬼和尚様は悟りを開いたと言いながら結局私に対して開いたのは股でした。ご説明お願いします。 変える事についても同様に「自分が相手の言った事を受け入れた」という過程があります。
例えば釈迦の説法に触れたとします。
その説法を素晴らしいモノだと思えばそれを受け入れ、変わる事ができます。
逆に変なことを言ってると思えばそれを受け入れず、そのままでいる事もできます。
他人ができる事はあくまで「情報の提供」までで、
その人が変わるのはその情報に対し共感し受け入れて、自分もそうありたいと願ったからなのです。 人は一人一人違う存在なんだという事を理解したっていうのは、
人は違う存在だからこそ、物事に対する感想も考えも異なり、それに従い反応、対応も一人一人違うんだってことを受け入れたとも言えます。
言うなれば、自分の事をどう思おうが相手の自由だし、逆に相手の事をどう思おうが自分の自由 という事です。
例えば人助けをしている人を見かけた時、
イイ人だとか素晴らしいと思う人もいる一方で、偽善者とか何か裏があるのかと思う人もいます。
逆に悪さをしているヤンキーを見かけた時、
悪いヤツだとか迷惑なヤツだと思う人もいる一方で、カッコいいとかクールだとか思う人もいます。
こう感想が一人一人異なるのは、その人の今までの経験や持っている情報が異なるからなのです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています