父親の死がこんなにもつらいとは…4
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お父さんが亡くなってしまった人達が語り合い、励まし合うスレです。
悲しみがいつまでも拭い切れないという人、ここで相談してみてください。
・sage進行でお願いします。(メール欄にsageと半角で入力)
・荒らしは徹底放置。
※前スレ
父親の死がこんなにもつらいとは・・
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/jinsei/1401248401/
父親の死がこんなにもつらいとは・・ Part.2
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1481383331/
父親の死がこんなにもつらいとは…3 ・
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1529876063/ >>226
甘えの何が悪い
個人で親子の関係、思い出は違うのだから自分がそうだったから他人にも同じことを強要すんな >>224
うちもかなり若くして逝ってしまった。
まさかオリンピックまですらもたないとは思わないもんなあ…
しかもこっちは癌発覚から1週間で逝ってしまってほぼ急死に近いから
精神的な辛さはもちろんあるんだが本人しかどこにあるか知らない重要書類の問題とかかなり色々身体的にも辛いわ >>228
うちも病院に担ぎ込んで1週間で逝ってしまいました
入院中もやること沢山で疲労困憊になるのにその後すぐ葬儀等は本当に大変ですよね
更に若いと何の準備もしてないから一から揃えないといけないし職場とのやり取りに遺品も沢山
睡眠不足で人間おかしくなることがよく分かりました睡眠本当に大事
これからお忙しいと思いますがご自愛ください 今日は故人のことをすごく思い出す
亡くなる前の数日間のこと、辛そうだった姿のイメージが何度も浮かんでくる
もっといい思い出だってたくさんあるのになぁ
でも死にむかっていくまで看病した日々も苦しかったけど忘れたくない、一緒にいられたから
おばけになって出てきてって頼んでおいたけど
お父さん、あっちの世界はどうですか
たくさんの愛情をありがとう 亡くなる前になんであんな事を言ってしまったんだろうと思うと苦しくなる >>231
親もわかってるよ気持ちは、
それで自分自身を責めるのはお父さんは良しとしないんじゃないかな >>231ですが昨晩、2回も部屋にペットボトルを潰した音が鳴り響いて起きてしまいました
雨も降ったみたいなのにラップ音?
ペコッ、ポコッとゆう音です
少し怖くなりました >>234
ペヤングみたいな体に悪いものばっかり食ってたから死んだんだろうなぁ 書き込みの紹介のみして立ち去りますが、
真面目な話、薬や医療も大事ですが、知識を知るだけでも救われることがあります。
一見、苦しみだらけのように思える事もある世界ですが、
少し長い目で見れば、誰の人生にも必ず救いがあります。
たとえば見かけのお金や財産は少なくても、
下記の69を知るだけで、人生の本当の完全な救いと、
我々に本来与えられている永遠の転生や無尽蔵の豊かさ、
そして損・遠回りしない生き方が《客観的な証拠付き》で分かります。
人生の完全救済の証明
http://itest.5ch.net/test/read.cgi/psy/1514042708/69 もう一生父と喋ることができない事実と向き合うと耐えられないので楽しいことだけ思い出せるようになれればいいのに 人は忘れられるから生きていけるんだなあとか
ボケる人ってずーーーっと色々かんがえてた人なんだなあとか思う 今になって父親の有りがたみが、分かった。
何でもっと話をしたり、飲みに行ったりしなかったのか?
いくら望んでも、絶対に叶わない。もう数年経つのに。 気が抜けちゃったよ。泣いても仕方ないのわかってるし、
だからってカラッと前向きとかそんなの無理で
この前四十九日終わったけど
ただエアポケットがそこにあるような 親父は52歳で亡くなりました
肺がんで2年入退院繰り返し辛かった
もう親父の享年追い越して遺影は歳下の親父ですがやっぱり親父です
年齢は追い越したけど親父は追い越せない
一度だけでも一緒に酒飲んで男同士の話したかった 今日は実家のある町の祭りの日
高齢化と過疎化が進む町なので父は数年前まで神輿を担いでいたそうだ
母が父のことを懐かしそうに語るたびに切なくなる
もう生きているご先祖様はこの人しかいないんだな >>247
それで父の影を追うつもりで地元の神輿をかついでみようとしたら
翌年以降も都合よく呼ばれて「田舎ってやっぱクソやな」てなるパティーン >>248
親父が病気になった時に実はもう担いでてその時に兄弟揃って途中でバックれて二度と呼ばれなくなったので安心してほしい
こう文字で書くと最低のことしてるな 今日亡くなった父が夢に出て来てくれた。夢の中では元気だったまた出て来てね >>251
俺はお前らと違うアピールは中学生で卒業しようね お父さんごめんね
お父さん会いたいよ
ってずっと思ってる パッパはあの世でお婆ちゃんおじいちゃんや
先に亡くなった兄弟姉妹や友達と再会して
酒飲んでお祝いしてるよ。 初盆だ。亡くなる直前まで車運転したがってたんで車の模型置いとくことにした
これ乗って母ちゃんと一緒に還ってこいお父ちゃん うちの父が今日亡くなったよ 最後の10年は入退院を繰り返してて
辛かっただろうが、解放されたんだな >>256
ご冥福をお祈りいたします
これから数週間は忙しいでしょうがご自身の体調管理も気をつけてくださいね 今年は親父が向こうへ行って2回目の盆
一緒に迎える側のお袋もいつかは向こうに行くのかな…と母の死を想像しては怖くなるけど人生こういうもんなのかな だんだんまわりに亡くなる人が増えてきて、父もいってしまったし
死が身近になっていくし自分もそっちへ行くのが楽しみにもなってくる 見舞いに行って思わず仮眠しそうになったとき、
「疲れてるのか。腕を貸してあげようか」と言ってくれた父。
毎日ちょっとの時間しか見舞いに行けなくてごめんな。
「白髪が増えたね。苦労掛けてすまない」。
今でもその時の優しい瞳を思い出すと泣けてくる。
お父さん。きつい言い方したり、結局は介護もできなくなり、ごめんな。
送り火とともに、お母さんと一緒にもう天国に戻っていったかな。 辛いよね。俺は32年前のことなので痛みはもうないかな。若かったのでケンカ別れみたいになってしまったのは残念。
長生きしてくれたら笑い話になっただろうに 初盆が終わった
不思議と帰ってきてる感があった
今はいないんだろうな >>257 256です。遅レスだけどありがとう 今頃は体も楽になっただろうし、向こうの生活を楽しんでると思います。 リアルな夢の中で父に泣いて謝ることが出来た。
ずっと謝りたかったんだ。
困惑したような顔の父、でも優しかった。
昨日は家族みんな出てきて久々に元の家族と過ごせた。 父親が生きている人達がとにかく羨ましい
俺より歳上なのに、俺の親父が亡くなった歳より歳上なのに…いろんな嫉妬をしてしまう アホじゃあるまいし、わかってはいるけど
死んだらもう一緒にあんな事やあんな事もできないんだなって実感する
もちろん、もう大人になっててそんな事する機会なんかないってわかってはいても
思わずにはいられない 感傷にふけると同時に、病院の対応、葬儀屋の応対、その他もろもろ不満もあり疲れた 実家に帰るぞーって連絡もする必要なくなったし
旅行に来てるぞーって報告もする必要なくなったし
どこそこのなんとかが美味かったとか
そんな会話もする必要がなくなったし
連れて行こうと思ってももういないし
孫作ってやれなかったし
最期、すごく苦しそうだったけど、もっと話しかけてれば良かった。 >>270
わかってて言っとるやろ
話しかけまくっとるやん 自宅で29日亡くなった。
要介護5から2ヶ月足らず。
母の電話で朝駆けつけ、息苦しそうな父、今日午後、ケアマネに電話して入院させられればと思ってた。昼すぎ、母から電話でかけつけて、呼吸ない父を心臓マッサージしたが。。
もっと、話すべきだった。迷惑かけました。
子供らのために、重労働頑張ってくれた。田舎なのに兄と俺、大学まで行かせてくれてありがとう。 昨日のお昼は、俺が粥とオカズ作って、俺が介助して少しだけど食べてくれた。あれが、最初で最後の父への介助昼食だった。お父さん、介護が行き届かなくてごめん。 ご冥福をお祈りいたします
葬儀や手続きで忙しいでしょうがお母さんを支えてあげてください 優しい父だった
時間が経って、本当にいなくなったんだなと最近実感して寂しくて辛い 今日お父さん誕生日だね
なんか写真見てたらやっぱりまだ信じられないわ
会いたいわ 朝方探しものしていたら思わず父の笑顔の写真が出てきた。デイサービスでつい数年前なのに、同じデイサービスにしておけば良かったかなあ、とかいろいろ後悔してしまった。辛い、ごめんよ
久しぶりに朝から泣いてしまった。 もう二度と父と会うことも話をすることができない現実にいつもは蓋をして日常を送っているけどたーまに葬儀前後のことを思い出してたまらなくなる >>274
272だが、ありがとう
1日、葬儀終わって、その日に納骨。
亡くなる1週間前に、訪問入浴して気持ち良さそうに、さっぱりしたな、と言っていた顔が忘れられない。入浴後、のびた爪を切ってやった。
俺が、最近風邪気味なゆだと独り言いうと、大丈夫か、はやく病院行け、と心配ばかり。
親って、ありがたいな。
今日から、母ひとりの生活、家は近いが、やはり心配。
寄り添ってあげたい。 >>280
先月で一年半経ちました
>>281
田舎に母一人残しているのは自分も一緒 葬儀が終わって実家を後にする時の切なさは今でも忘れられない >>282
そうなんですね、私は今月、まだバタバタしてるけど来年あたり喪失感どっとくるのかな >>283
前スレで私と同時期に父を亡くした人がいましたが私もその人も葬儀の翌々週からものすごい喪失感が来ましたね
父と同居をしていなかったので葬儀の翌週は普通の日常が再開したものの徐々に父のいないことに現実感が湧いてきて涙が外でも止まらない日々が続きました
死の受容に関しての本によると毎日眠れないくらい悲しみが続くのは約三ヶ月と書いてありこの悲しさがそんなわけ無いだろうと思いましたが本当にそのくらいで不眠はある程度解消しました 告別式で生前の写真とか流されたら、涙があふれてもう無理だ。
挨拶で涙を堪えるのが大変だった。
残された一人暮らしの母のことも考えると、胸が締めつけられる。 夕方になると涙が出てしばらく止まらなくなる。仕方ないので泣いている
こうやってやり過ごしていくしかない 老いたあたの父より、若い時の父を思い出す。湯船でタオルで風船作ってくれて、ニンマリした顔。
もういないんだと、みぞおちがキュッとなる。 タオル風船やってくれたなあ…
子供の頃の思い出はある日突然蘇ってくる時がある もう明日で1週間。葬儀終わると、普通に月日が経つなあ。 今日は月命日
何年経っても変わらず寂しくて悲しみが襲ってくる日
タオル風船懐かしい
自分もやってもらったな 亡くなる数時間前ヒゲを剃ってあげたら嬉しそうに笑ってたなあ それが父との最後のコミュニケーションになると思わなかったけど
ガキの頃、こっちは痛いだけなのに髭頬ずりグリグリすると喜んでた父を思い出す 逝く1週間前に、拒否してた訪問入浴したあと、1ヶ月ぶりの入浴気持ち良い?ときいたら、頑固者が頷くだけだったが満足気だった。
そのあと、伸びに伸びた爪を切ってやって、気持ち良さそうに寝入る顔が忘れられない。 オヤジが死んだときは悲しいという感情はあまり湧いてこなかったな。
相続のゴタゴタもあったし、何より母を守らなきゃならなかったから。
気落ちして鬱っぽくなった母を心療内科に送り迎えしたり、夕飯を一緒に食べたり。
その母も亡くなってしまい、今は一人暮らし。
二人ともこの時期に逝ったから、毎年今頃はしみじみと独りの寂しさを感じてる。
母の死は慟哭してまだうまく整理できていないけど、
オヤジの死っていうか、自分にとってのオヤジという存在を今はじっくり考えられる
ようになった。
男同士だからあまり会話もなかったけど、やっぱりオヤジが好きだたと思う。 親を亡くし、次は多分自分の番と思うと、色々考えるものがある。1日1日大切に妻子と、向き合って生きていかなければと。 お父さんやっぱりお父さんの居ない世界は寂しすぎてなかなか慣れません お父さんいなくて寂しいけど、病気の苦しみや痛みやだるさから解放されたんだ
身軽になって亡くなった身内や友達に会えて、楽になれたならいいな 死ぬってなんなんだろうね
こないだまで笑ってたのに
自分も今食べて笑って話してるけど
いつかポッと命が消えるのか お父さん助けてよ
毎日がつらいよ
最近お墓行ってないし、草むしりに行ってこよう いなくなった事に対する寂しさ悲しさは癒えたように思うけど
たまにふと、「俺が死んでも、母が死んでも、父に再会できるわけじゃない」と思うと
ただただ虚しくなる
父といった幼い頃の旅行の記憶とかが、歴史の教科書の出来事と何も変わらんと気づく
ただただ虚しくなる 亡くなって半月、気持ちの整理と関係なく、時は粛々と経っていく。半年、一年、このまま経っていくのか。父さんの匂いや、後ろ姿、おもかげも時とともに朧げになっていくのかな。 父から、悲しい時に飲みなさいといって美味しいハーブティーとコーヒー豆を貰っていたのだけど
飲めないわ
手をつけられない >>300
すごいわかる
もう1回父がいた時の家族に戻りたい
あの世なんてないしね
もう二度と会えない >>302
素敵なお父さん!
読んだだけで泣けます
今日は母の命日
それから1年経たずお父さんもいっちゃうなんてひどいよ >>304
ありがとう
厳しくて怖い父だったけれど、美味しい物や綺麗な物が好きな人で自分が自活してからはよく美味しいコーヒー屋さんでお茶していたんだ。
ご両親が1年以内に先立たれたのはお辛いですね ひと月経ってないけど、もう父はいないってことまだ受け入れてない自分がいる。 1年半経ったけど受け入れられてないよ
毎日写真に話しかけてたら少しは楽になったが… 会いたいな
会いたいばかりだ
でも長い闘病生活、制限も多かったし病状が重くて苦しかったのを知ってるからやっと楽になれたんだよね
天国で体の苦痛は全て無くなって、会いたい人に会えて美味しい物食べて、おしゃれもしてると信じてる
でもどうしても会いたいんだよなあ いなくなってから気付いた色んな事、感謝の気持ちとか謝りたいこととか、
本当に会いたい。会っていっぱい話がしたい。 昨日みたいな秋晴れの日、体調が良いからと散歩をしてたなと
帽子にリュック背負ってゆっくり歩く姿を突然思い出して、急に涙が出てきた
天気や季節の折にふれては、あの時はああしてたこうだったと記憶が蘇ってくる
もう会えないお父さん。 みんな同じ気持ちだ
父が亡くなって1年9ヶ月。
毎日思い出すし、寂しくて虚しくて自分が情けなくて、謝りたくて、苦しくなる。
秋は寂しいよ。 ゆったりとしたハワイアンを聞くとお父さんを思い出して泣いてしまうよ、会いたいよ
遠慮せずにもっと言えばよかった話しておけば良かったのに、今さらながら思うこと多くて泣いてしまう
ごめんなさいありがとう淋しい会いたい 高校生の時に親父が倒れて15年ほど植物人間状態だったから、今夜にも亡くなりそうとだと聞いた時は
「ついにきたか」
というくらいで何も思わなかった。
深夜で酒も飲んでたから200キロ離れた実家へタクシーで向かう途中も運転手と談笑してた。
葬式場でも平然としてたけど、皆が寝た頃にふと親父の前に座った時、何故か涙が出て耐えきれなくて廊下で号泣した。
母親が気付いて追いかけてきて2人で泣いた。
15年も覚悟してたのに悲しいもんは悲しいんだなと実感した。 父の一周忌だったけどやっぱりなんかいまだに現実を受け入れられない自分がいる
情けない姿見てきっとあの世で苦笑いしてるんだろうなぁ 亡くなってから平穏に日々を過ごしてるように見えるけど、端々で父の不在を感じる
柱が折れてしまったみたいに
私にとっても母にとっても支えだったんだから仕方ない
兄弟もいるけど、母と私とでいると泣けて泣けてしかたない
たくさんの問題が起きても、父がいたから乗り越えられた。
なのに謙虚で優しくて、感謝しかない あ、謙虚で優しかったから、と書いたつもりでした
勢いで書いてしまってすみません
ともに悲しむ母親がいるってのは、まだ有難いのだといくこともわかっていますが
いろいろ事情がある家族でしたので、悲しみも多いです。 父が亡くなってから、
アルコールの量が増えた。
身内からも注意されるし、自分でも分かってるつもり…
父ちゃん、会いたいよ。
父ちゃん… 父ちゃん… 今日、親父が膵臓癌の疑いがあるということで検査を勧められたみたい。
気が早いのは重々知ってるけどこのスレ覗いてしまったよ。
かなり辛いっす。 >>319
先月親父が癌で逝った者です。
つらいタイミングとしては、
癌発覚の病院説明
↓
(ここまで1年以上)
↓
容態悪化の説明
↓
入院
↓
意識が無くなる
↓
死去
のタイミングでした。
癌の状態にもよるけど、しばらくしたら1度は落ち着くと思いますよ。 >>320
レスありがとう。
とりあえず今日の検査結果で糖尿病は確定したみたい。
がんの方はこれから検査だけど調べれば調べるほど辛くなってきた。
昼に連絡もらったので仕事終わりに会いに向かっています。 癌って、二週間前はあんなに元気だったのに…って感じで無くなりますよね… >>321
話せるうちに、いっぱい話しておかないと死ぬまで後悔するで(´・ω・`)
いっぱいお話しておくんやで(´・ω・`) >>318
気持ち分かります会いたいよね父の居なくなった世界は悲しい お前ら、20歳未満ならまぁ可哀相だと思うが
まさか40,50にもなってメソメソしてないよね? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています