>>287 そうじゃ、超越という言葉が相応しいじゃろう。
 例えば大きな樹の葉が一枚、葉の部分だけが自分であり、他に自分はないと認識していたら、それが変色して散ってしまうのは大きな苦になるじゃろう。
 それは人にとっての病や老いや死に他ならないのじゃ。
 しかし、大樹にとってはただの季節による新陳代謝なのじゃ。
 冬に備えた日常の作用なのじゃ。
 落葉の一枚で何も変ることは無いのじゃ。

 人も同じようにこの身だけが自分であり、肉体とともに消える思考や感情、記憶認識だけが自分と認識していれば老病死も苦なのじゃ。
 しかし、全てである意識が本体であると気付けば、肉体のなくなる死すらも変化の一部と知れるのじゃ。
 古くなった肉体を捨てるのは当然の変化であり、大樹が一枚の葉が落ちても変らないように、全てである意識は何も変わらないと知れるのじゃ。
 そのように認識出来る本来の状態に還ることが悟りなのじゃ。

>>291 へのつっばりはいらんのじゃ。

>>292 上じゃな。
 天に逃れるのじゃ。