0296鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
2019/04/28(日) 23:20:40.36ID:wv0bM4wF例えば大きな樹の葉が一枚、葉の部分だけが自分であり、他に自分はないと認識していたら、それが変色して散ってしまうのは大きな苦になるじゃろう。
それは人にとっての病や老いや死に他ならないのじゃ。
しかし、大樹にとってはただの季節による新陳代謝なのじゃ。
冬に備えた日常の作用なのじゃ。
落葉の一枚で何も変ることは無いのじゃ。
人も同じようにこの身だけが自分であり、肉体とともに消える思考や感情、記憶認識だけが自分と認識していれば老病死も苦なのじゃ。
しかし、全てである意識が本体であると気付けば、肉体のなくなる死すらも変化の一部と知れるのじゃ。
古くなった肉体を捨てるのは当然の変化であり、大樹が一枚の葉が落ちても変らないように、全てである意識は何も変わらないと知れるのじゃ。
そのように認識出来る本来の状態に還ることが悟りなのじゃ。
>>291 へのつっばりはいらんのじゃ。
>>292 上じゃな。
天に逃れるのじゃ。