子供を作る事が一番子供の事を考えていない!85
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人は自分の為に生きている
親が子供を一番に考えてるなんてありえない
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※ 上述はスレの流れが荒れる要因ですので遵守して下さい。
・否定したい時はまず意見を聞いてから言いたい事を相手に説明する事。
お互いに相手の考え方や価値観を尊重し合うようにしましょう。
子作り否定者のみのスレ進行を希望される方は下記スレへどうぞ。
子作りは大罪 65 (ワッチョイ)
http://krsw.5ch.net/test/read.cgi/mental/1538232844/
前スレ
子供を作る事が一番子供の事を考えていない!84
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1536740290/ >>750
そういう解釈を、子供の立場からみて、ジレンマ、ダブルスタンダードが無くなる、反出生が正しいという事になる。 >>751
それは「銃の引き金を引いたのは自分だが、相手を殺したのは弾丸であって自分ではない」と主張しているに等しいです。精子に責任能力はありません。 射精したのは自分だが、卵子に到達したのは精子であって自分ではない 俺が生まれなければ射精することもなかった
産んだ親が悪い
俺は悪くない 単語が同じでテニヲハが違うからもうコピペにしか見えないんだろうし
コピペに見えるくらい読み込んでコピペだと認識するくらい擦り込まれててワロテしまうやろ?w
反出生はこいつで勉強しておけよ
議論にならないヤツは自分に反出生を擦り込むためにもコピペを朗読してやるんや >>756
それは「銃の引き金を引いたのは自分だが、相手を殺したのは弾丸であって自分ではない」と主張しているに等しいです。精子に責任能力はありません。 >>758
それは「銃の引き金を引いたのは自分だが、相手を殺したのは弾丸であって自分ではない」と主張しているに等しいです。精子に責任能力はありません。 反出生は、搾取される対象である子供の感覚や、感情を尊重する思想である為に
ビーガン種差別主義ジェンダーとか税、少子化は
反出生主義と全く関係ない、完全に別問題である
子供の感覚や、感情を議論から除外するのは、
そのの時点で
論理的誤謬(藁人形論法)であるため
全く、完全に関係ない別問題である 子作りを否定すると急に脳の機能が低下して死ね連呼する連中見るの本当に笑える 産む側 産み落とされる側
お互いに納得同意しあうから取引が成立し対称的である
産む側の納得はあるのに、産み落とされる側の納得同意がないのは
産む側に対して
産み落とされる側が納得同意を見出せないから
非対称であるから出生に対称性は成立しない
非対称の解釈を、子供の立場からみて、ジレンマ、ダブルスタンダードを強制する事になる。
よって対称も非対称も無くなる、反出生が正しいという事になる。 何も考えずに中出ししてハズレ引いたらお前のせい
頭悪すぎじゃね? >>762
それは「銃の引き金を引いたのは自分だが、相手を殺したのは弾丸であって自分ではない」と主張しているに等しいです。精子に責任能力はありません。 生涯子供を作らなかったら天国に行ける宗教ってある?
あったら入りたい お互いに納得同意しあうから取引が成立し対称的である
産み落とされる側の子供の立場になって考えて、
子供本人の、納得同意を見出せない、非対称であるから
出生に対称性のある取引は成立しない
よって出生は、子供に納得同意なく、
ジレンマ、ダブルスタンダードを強要する、反道徳的な行為である それは「銃の引き金を引いたのは自分だが、相手を殺したのは弾丸であって自分ではない」と主張しているに等しいです。精子に責任能力はありません。 非対称であるから産むべきではない
快苦の非対称の以前に産む側 産み落とされる側に対称性がない非対称がある前提で
発展させた苦痛の面から非対称を強調するが
そもそも産む側 産み落とされる側という事が根本にある それは「銃の引き金を引いたのは自分だが、相手を殺したのは弾丸であって自分ではない」と主張しているに等しいです。精子に責任能力はありません。 Aさんがもし存在するとしたら、そこには苦と快が存在する。
苦が存在するのは悪いことで、快が存在するのは良いことです。
一方、Aさんがもし存在しないとしたら、苦も快も存在しません。
その場合、苦がないことは良いことであり、快がないことも悪くはないということになります。 去年は今年の平成最後の日や新元号最初の日を狙って
仕込んだ夫婦やカップルも多そうだ 人生は嫌なことの方が多い
子供は、親・出生地・時代を選べない点から、
最も合理的な立場は子供をこの世界に生みださないことだ
生まれてくることはその本人にとって常に災難であり、
それゆえに子供を生むことは反道徳的な行為であり、
子供は生むべきではない
Aさんがもし存在するとしたら、そこには苦と快が存在する。
苦が存在するのは悪いことで、快が存在するのは良いことです。
一方、Aさんがもし存在しないとしたら、苦も快も存在しません。
その場合、苦がないことは良いことであり、快がないことも悪くはないということになります。 存在しなきゃ、苦がないことも快がないことも良くも悪くもない >>778
存在してる人間にしか良し悪しの判断は出来ない
存在してる人間から判断した場合に非存在は良い状態ということになる
(自動的に無病息災、生老病死と永久に無縁、生きる上でのリスク、コスト共に永遠にゼロ)
だから新たな存在を作らないまま、子供=自分(私)に運命を委ねられている一個人を非存在の状態に留めておこう
矛盾も破綻も無いよw 元から何も無いことを良しとするなら
目に見えるもの見えないもの全てが無いだろうね
全て産まれたいから産まれたのだと
考えるなら矛盾しない
産まれて生きている誰かが
産まれないことを良しとしても
自分が産まれなきゃよかったと
繰り返し思い続けて生きて死ぬだけだ
もちろん産むことを経験しないのも自由だ
どんな境遇だろうと
産まれて生きて死ぬだけで十分完結している 苦しみたいから苦しんでいるんだ津波にあって死にたいからそうなったんだなんとでもいえるな その通りだと思うよ
苦しみたいから苦しんで
楽しみたいから楽しむ
死にたいから死ぬ
生きたいから生きる
そこに住んでいるから津波にあう
そこに住んでないから津波にあわない
何でもその通りに考えることもできる
もちろん
楽しみたいのに苦しむことも
苦しみたいのに楽しむことも
生きたいのに死ぬことも
死にたいのに生きることも
どんな風に思うこともできるし
実際にある
自分が楽で都合の良い考え方したらいいと思うよ 実際にある
都合の良い考え方
そういう単語がうかんだら上手くいかないな >>779
存在してる人間からすれば、非存在が良い状態とは言えないね >>784
だとしたらその理由、裏付けを添えてもらわないと
否定だけされても返しようがないよ まあね
あくまでも作る人間として、そこからの
作られる側の目線に立ってみた上での価値判断でしかないのは確かだけど
だから反論する場合には目線を共有してもらわないと論点はずっと噛み合わないだろうねw 主観で考えれば、存在しなきゃ苦がないことも快がないことも良くも悪くもない
主観そのものがないんだから当たり前だけど >>788
存在している我々の価値基準に照らして
現にある苦が予め回避可能なパターンの場合に
強いてそれを回避せずにおく理由って何があるのかな >>789
話が変わってるけども、俺の意見は
>>788
だよ
これに反論がないならそれでいいんだけど >>790
話しは変わっていないよ?
・判断するのはあくまでも我々
・目線は作られる子供の立場から
・作られて生まれるその事の功利的な価値判断、強いて求める合否について
作る/作らないを委ねられている我々が現にここに存在して居る以上は
「決して作られないんだから善悪と未来永劫無関係」は通用しないよね 誰が判断しようが一緒だよ
あくまでその対象の主観を想像してるに過ぎない
主観が存在しなければ、苦がないことも快がないことも良くも悪くもない いくら本題とは関係ないことをごちゃごちゃ書いてもこれは変わらない >>792
その抗弁は我々の存在=我々の主観の存在をも完全に無に帰すのと同じなんだよ?
作られる子供の目線を理論上に作り出すためには
まずもっての我々の存在が必須なんだから当然だよね >>794
我々の存在を認めることと、存在しないものの主観を否定することとはなんの関係ないよ >>795
やっぱり噛み合わないみたいだw
その無の非存在が有である存在へシフトしてしまったらどうなのかっていう部分が最重要部分なんだけど ごちゃごちゃ書いてるけど
もし生まれたら苦しんだかもしれないけど、生まれなかったから苦しまなくて良かったね
みたいなことを言いたいの? >>797
>>779で書いた非存在が非存在に留まる場合に於いてのメリット
>(自動的に無病息災、生老病死と永久に無縁、生きる上でのリスク、コスト共に永遠にゼロ)
これを論理的に否定してもらってもいいし
>>784の論理的裏付けを示してくれるのでもいいよ
要はあなたの主張に従って、鑑みて
こちらが>779で示したひとつの状態が「存在、有」「非存在、無」両方にとって「良くない」を順を追って証明してもらえればいいんだ
「良くも悪くもない」ではなく、何故その状態が「良くない」のかを >>798
ごちゃごちゃ書いてるけど
もし生まれたら苦しんだかもしれないけど、生まれなかったから苦しまなくて良かったね
みたいなことを言いたいの?
違うの? >>799
一貫して人が作られるっていうのはどういう意味を持つものなんだろう?っていう話しをしてるつもりだけどw 俺も一貫して、存在しなければ苦がないことも快がないことも良くも悪くもない
と言ってるだけなんだけどね
反論らしき意見はあるけど、中身がないからこれ以上議論しようもないね >>801
ほらまた、存在からの価値判断の部分がきれいに消滅してるよ? 内容以前におかしな日本語を乱発されると議論にならんよ 存在からの価値判断
とか、まともな日本語じゃないよね >>806
前の流れで「我々=存在」と定義付けてたつもりだったんだけどな
我々=存在にとってメリット足り得る状況は
非存在が存在にシフトした暁にも確実にメリット足り得る状況、状態でしょう?
でもあなたは何故かそのメリットの存在には一切触れないようにしてるから
それを指摘したまでのことだよ >>807
つまり、
もし生まれたら苦しんだかもしれないけど、生まれなかったから苦しまなくて良かったね
みたいなことを言いたいんだよね? 我々にとってメリット足り得る状況は
、非存在が存在にシフトした暁にも確実にメリット足り得る状況だ
というのは当然だ
存在したら我々と同じ立場だからね
でもそれは別に
存在しなければ苦がないことも快がないことも良くも悪くもない、という事実に対する反論には一切ならない
存在しなければ苦がないことも快がないことも良くも悪くもない
と、
存在したら、苦がないことは良いことで、快がないことは悪いことだ
は別に矛盾しないからね
両立することになんの問題もない 生んでもらって良かったかどうかは別にして
事実として生んでくれって頼んだ覚えはないわけだからね
そのときには存在していないわけだから
それが親の一方的なエゴによって押し付けた産んで
子供の良し悪しの同意を得てないわけ >>808
うーん・・・そこまで言うならそれでもいいけどw
だとすると?
「作られなければ決して苦しまず、作られれば苦しむ可能性がある」
これはこれでただの道理、自明の事実でしかないからね
作られない事でのメリットが派生する裏付けにしかならない気がするけれども Aさんが存在するときと存在しないときを比べると、
存在するよりも存在しない方が悪いことの総量が少ないどころか、
そもそもAさんは存在しなければ悪いことが全くないということになります。
出生主義者は善悪 快苦の矛盾も理解せず
悪も苦も少ないほうが良い 無い方が良いと言いながら減らさず消さず
矛盾している思考で苦しんでるにも関わらずそれを解消する
最初から生まれないという選択肢を無視してる矛盾
全部出生主義者は自己矛盾で苦しんで
快楽を苦痛で覆ってシャーデンフロイデ状態で快楽を得る戦争狂だよ >>811
存在しなければ苦がないことも快がないことも良くも悪くもない
存在すれば苦がないことは良いことであり、快がないことは悪いことである
これ以上のことは俺は主張してないし、これに対する反論がなければそれでいいんだけど
それでいい、というなら反論なしということでいいかな? >>814
苦痛と快楽には非対称性がある
つまり、Aさんがもし存在するとしたら、そこには苦と快が存在する
苦が存在するのは悪いことで、快が存在するのは良い
一方、Aさんがもし存在しないとしたら、苦も快も存在しない
その場合、苦がないことは良いことであり、
快がないことも悪くはないということになる >>815
存在しなければ苦がないことも快がないことも良くも悪くもないよ >>814
産む側、産み落とされる側には非対称性がある
お互いに納得同意しあうから取引が成立し対称的である
産み落とされる側の子供の立場になって考えて、
子供本人の、納得同意を見出せない、非対称であるから
出生に対称性のある取引は成立しない
よって出生は、子供に納得同意なく、矛盾を強要し
ジレンマ、ダブルスタンダードを強要する、反道徳的な行為である >>809
>でもそれは別に
>存在しなければ苦がないことも快がないことも良くも悪くもない、という事実に対する反論には一切ならない
ここがミスリードなんだよ
こちらの論は「存在しなければ」では無い
あくまでも「我々が意図した上で存在しないままに留め置くならば」だから
>>813
存在しないことのメリットを享受する「非存在」という主体は確かに存在しないよ
そういう意味では非存在にとってその時点での善悪は存在しない
最初にこちらの提示したメリットをそうだと判断出来る者は「我々」「存在」だけだからね
これも最初に述べたただの事実事象
ここで扱うメリットを我々が非存在に最大限まで享受させようとすれば
非存在を非存在として留め置く以外の方法は無いのだから
でもそれは非存在にとっての、我々の選択への善悪の判断を持ちこむこと自体が不能だという意味には決してならないんだよ
非存在が存在にシフトする可能性を常時備え持っている以上は
そして可能性を実行するか否かが「我々存在」に一手に委ねられている以上はね? >>817
それは「銃の引き金を引いたのは自分だが、相手を殺したのは弾丸であって自分ではない」と主張しているに等しいです。 >>818
苦を受ける人が存在しないとしても苦がないのは良いことである、
受け手が存在しないのであれば、快がないのも苦がないのも単に「ゼロ」であって、
それ自体は良くも悪くないのではないかな、と思ってしまうが。
存在しない人の快苦を考えられる、
快がないのは「悪くはない(not bad)」として、
とにかく「苦」や「悪」がないことを高評価する >>821
それは「銃の引き金を引いたのは自分だが、相手を殺したのは弾丸であって自分ではない」と主張しているに等しいです。 >>819
我々が意図して存在しないままにするなら、我々には少子化その他色々なデメリットが発生するだろう
それだけだよ
存在しないもの、などという存在はないから、苦がないことも快がないことも良くも悪くもない
存在しない、ただそれだけ >>823
その理屈で言えば全ての存在の為した形や輪郭の伴わない予測や予想、思考は非存在として無効化されてしまうよね 客観的に見りゃcIL074/5の方がわけわからんし間違ってるよ
それ以前にスレチだし >>824
またおかしな日本語で意図がわかり辛いが、
例えばどんなことが無効化されるの?
具体例を何個か上げて 「始める価値」はなかったけど「続ける価値」はある
自殺を推奨してはいない。
死ねばいいと言っているわけではない。
人間全体の苦の総計が少ない方がいい。
総量総計が少ないどころか、
そもそも存在しなければ悪いことが全くないということになる
1人の人が死ぬときには、
例外はありますけど多くの場合、
困る人も悲しむ人もたくさんいるし、
本人にとっても死ぬときの痛みや辛さや怖さは計り知れない。
だとすると、自殺するっていうのはマイナスが大きすぎ >>827
それは「銃の引き金を引いたのは自分だが、相手を殺したのは弾丸であって自分ではない」と主張しているに等しいです。 >>826
非存在は何処にも存在していない以上はどんな価値判断とも無縁であるというあなたの論を採用すると
存在しないものについての我々からの言及すらも不可能になってしまうからね?
あなたは自分自身の目線を非存在側から世界を捉える一点に固定化して微動だにさせない
こちらは非存在をあくまでもそれ自体の価値を論じる対象として捉えている
ここの食い違いだよね いやほんと、確実に安楽死できる方法さえ確立されてれば、まだマシだと思うわ
強制参加させられてるんだからせめて自由に確実に安らかに離脱する権利がないと… この世界に産まれて生きるということが
楽も苦も繁殖することもなにもかも
知られるもの知られないもの
出来ることも出来ないことも全てがあるわけだ
産まれるメリット最高にあるんじゃないの
何も無いほうがメリットあるのかな
私は生きたい人が生き
死にたいと思うときに死ねるのは
とても良い生き方だと思う
全てにおいて
この考えが正しいなんて全く思わんけど
こんな考えの人もいるのだ >>830
そのまま、あなたの繰り返している非存在が非存在である以上は良いも悪いも無いという部分だよw
非存在というのは存在から捉えればそれも一つの「有」以外ではありえないんだもの
ここでは非存在は「非存在」という名称を持つ「存在」だよね
でもあなたはそれすらも否定しているから
つまり「非存在」の存在を完全に否定してしまっているということ >>832
「続ける価値」はある
しかし「始める価値」はない
人間全体の苦の総計が少ない方がいい。
総量総計が少ないどころか、
そもそも存在しなければ悪いことが全くないということになる
産む側、産み落とされる側には非対称性がある
お互いに納得同意しあうから取引が成立し対称的である
産み落とされる側の子供の立場になって考えて、
子供本人の、納得同意を見出せない、非対称であるから
出生に対称性のある取引は成立しない
よって出生は、子供に納得同意なく、矛盾を強要し
ジレンマ、ダブルスタンダードを強要する、反道徳的な行為である
1人の人が死ぬときには、
例外はありますけど多くの場合、
困る人も悲しむ人もたくさんいるし、
本人にとっても死ぬときの痛みや辛さや怖さは計り知れない >>833
非存在は有ではないよ
存在していないものは無だ
という考え方だと、なにか問題があるみたいだけど、具体例にどんな問題があるの? >>832
苦を味わうこともメリットだと考えているの? >>824
の具体例が知りたいんだけど
存在しないものには良いも悪いもない、という当たり前の事実を事実として認めたら、何か問題があるの? >>835
我々にとっては「有」以外ではあり得ないんだよ
状況、状態もひとつの「有」だからね
ここで出る「非存在」というのは特定の状態を示す名称だもの >>837
具体例を出すとしたら
産む側、産み落とされる側の立場を考えて
産む側、産み落とされる側には非対称性がある
お互いに納得同意しあうから取引が成立し対称的である
産み落とされる側の子供の立場になって考えて、
子供本人の、納得同意を見出せない、非対称であるから
出生に対称性のある取引は成立しない
よって出生は、子供に納得同意なく、矛盾を強要し
ジレンマ、ダブルスタンダードを強要する、反道徳的な行為である >>838
生まれていない、というのをひとつの状態として考えるのはもちろんいいけども、
だからといって存在しないものにとって、苦がないことも快がないことも良くも悪くもない、という事実は変わらない >>839
出生は子供の同意を得ていない、という事実と、
無にとって苦がないことも快がないことも良くも悪くもない、という事実と、
なにか矛盾するの? >>836
苦という言葉で何を連想するかで
人によってだいぶ違ってくると思うね
私は苦で一番思いだすのは
喘息での発作の苦しさとかが一番かな
過ぎ去ってしまえばその苦しささえも
経験にしかならない
もちろん苦しすぎて自殺でもすれば
それで終わりで他人からみれば
苦しみの中で死んだことになるだろうね >>841
例えば産む側、産み落とされる側の立場を考えて
産み落とされる側を、Aさんに対する苦楽として
苦痛と快楽には非対称性がある
つまり、Aさんがもし存在するとしたら、そこには苦と快が存在する
苦が存在するのは悪いことで、快が存在するのは良い
一方、Aさんがもし存在しないとしたら、苦も快も存在しない
その場合、苦がないことは良いことであり、
快がないことも悪くはないということになる >>840
作られた我々にとってのメリットが非存在にとって長じて(存在へとシフトした場合)メリットになり得るという説明はしたよね
あなたもそこは同意していた
それは「非存在」つまりは「ひとつの「状況」」そのものに長じてメリットが与えられ得るということでもある訳だから
非存在を「存在していない個人」ではなく「個人の存在が無い状況そのもの」だと捉えてもらうといいのかな
メリットを享受するべき主観の持ち主=主体は非存在であっても
「非存在」という状況が既に、今ここに存在を果たす以上は
そのメリットは現に享受されつつあるというね? >>843
それは「銃の引き金を引いたのは自分だが、相手を殺したのは弾丸であって自分ではない」と主張しているに等しいです。 >>844
存在していればメリットになるが、存在しなければメリットでもなんでもない
それだけの話だよ >>846
ただ一点張りじゃちょっと困るよw
こちらの説明に合点が行ったのか行かないのか
そして、そのどちらだとしても
そのやり取りがあったという事実を踏まえた上で、
ここでの流れがどう変化するのかを一番に知りたいから 産む側、産み落とされる側の立場を考えて
産み落とされる側の子供の立場を考えてもらえるかな?
納得同意しあう取引というのは
お互いに納得同意しあうから取引が成立し対称的であるが
子供本人の、納得同意を見出せない、非対称であるから
産む側の一方的な強要で、出生に対称性のある取引は成立しない
よって出生は、子供に納得同意なく、矛盾を強要し
ジレンマ、ダブルスタンダードを強要する、反道徳的な行為である 産む側、産み落とされる側でメリット、デメリットのやり取りが出来る?
やり取りでお互いに納得同意しあうから取引が成立し対称的になるが
産み落とされる側の子供本人の、納得同意を見出せない。と、いう事実を踏まえた上で、、非対称である
つまり、
産む側の一方的な強要で、出生にメリット、デメリットのやり取りができず、
対称性のあるやり取り取引は成立しない、反道徳的な行為である
産む側、産み落とされる側で
産み落とされる側に、一方的な取引を強要する反倫理的な行為である 非存在と存在の繋がりがどこで、どの段階で、どんな状態から派生してるのかを掘り下げて見極めてみたかったんだけどね
ここで扱う「非存在」というのは予め存在の内に組み込まれている可能性の萌芽の別称だから
本当に何処にも何も存在していない無とはまた別のものなんだよ
子供の作り手、作る側が現に、先んじて存在している以上
その「子供」は非存在ではあれども完全な無には決してなれないということ
だからこそ何を以て良いとするか悪いとするかという
存在のみが為し得る価値判断と同じ選考をその非存在も存在の手を借りて果たし得る
至極、可能性=非存在の段階から可能性が実行された場合のよりメリットの大きい算段の立つ場合を良い、よりデメリットの大きい算段の立つ場合を悪いと見做すことは充分に可能なんだ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています