悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】61
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悟りを開いた人=ブッダのことで、仏教的人生相談になります。
仏教の議論は宗教板で。ここは、あくまでも人生相談スレです。
◆利用者のみなさんへ
・人生相談板では 相談すること、それに答えること このやりとりが大事です。
独り言や自説の主張・雑談・馴れ合いなどは禁止です。各々の専門板へ。
・何度も書き込む場合は最初に書き込んだ時のレス番号を名前欄に書いておいてください。
・相談はなるべく詳しく明確に書きましょう。(できれば年齢や性別も。)
では、どうぞ。
※前スレ
悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】60
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1513819266/ >>754
鬼和尚以外の方による見解も是非お願いします。 馬鹿鬼に異見を云うと危害が及ぶだの恐喝が始まり、また、根拠がないDisりが始まるからな。
まともな議論にならないんだよ?
そもそも馬鹿鬼は見性どころか、「智慧の声が聞こえたのじゃー」とか、精神に異常をきたしてるだろ?
常識で考えれば分かる事だ。
分をわきまえてからそうしたことを言ってくれ。 向精神薬だか何だか知れねーが、そんなもんで体験したことは糞くだらない妄想で、
仏教でいうところの見性や悟りとは一切関係ないから。
柴山老師のお弟子さんだったかがアメリカでそれを試験して一切違うと検証済だから。
仏教舐めんな外道。 何故、これだけ物質的に豊かになっているのに心は満たされないのか?
何故、これだけ物質的に効率化が進歩してるのに労働時間が延びてるのか?
すべては悪玉エイリアン、爬虫類人のせいです!(-人-)
https://youtu.be/vtq0VnAR9vM 悟りの安らぎと、この世の苦しみの関係は、すべて「〜しなさい」から始まる
人に病老死の苦があり、自然界はときに厳しいため、恐怖心がそこに芽生えると
人は必ず誰かに「〜しなさい」と言い始まる。子供や隣人に必ずそう言い始まる
「〜しなさい」と言われた方は、心が荒む。そして必ず悪行によって復讐する
これが人々の生の苦のサイクルぢゃ。人は口々に言う。悪人ほど出世する
マキャベリな悪人ほど人の上に立ち成功を収め、富がその者に集中している、と
これは人間どもの自業自得な因果応報なのぢゃ。そして人々の奴隷化が広まった
目の前に猛獣がいても、毒ヘビがいても、暴漢がいても、不道徳な者がいても
絶対の絶対の絶対の絶対に、その者を改善しようなどと思うてはならん
それを思えば思うほどに、人間社会と人心は、荒みに荒んで奴隷化が加速する
日本人は臆病者が多い。だから「〜しなさい」発言が多い。だから悪人が多い
だから日本は奴隷が多い。だから日本は息苦しい。すべては自業自得なのぢゃ
和智は「働け」と、一言でも言うた年寄りどもを殺す。復讐だ。死んで詫びろ (-人-) 「水の結晶」で画像検索せよ。ここに真理と苦悩のサイクルの証拠が視れる
人間の身体は80%以上が水でできておる。だから「〜しなさい」と言われると
心も身体も荒んでしまう。健康にも悪影響を及ぼす。そして能ある者は復讐する
無政府主義は生命の基本。自然界がそうであるように、法や規律は何一つ不要
たとえ殺人や盗みや強姦が起きても、自然界がそうであるように法や規律は不要
しかし人間は安心を得るため自然を否定する。あらゆる規律規範、倫理道徳を
求めるに至り、それらで他者を抑圧することで安心を得ようとばかりする
こうして無政府主義 (アナキスト) たちは、復讐のために必死に勉強に励む
人間社会の支配層におる者たちは皆、アナキストである。大多数の最底辺もそう
支配者は戦争を仕組み、最底辺は戦場で暴れる。臆病者たちは皆、惨殺される
悟りを開いた聖者たちは、目覚める前後に、この事に気づいてしまう
だから乞食の道を選ぶ。決して誰かに「〜しなさい」と言わぬよう生きてる
(-人-) ヒトラーは「演説上手だった」
ゲッペルスは「宣伝上手だった」
「それは今でも研究されている」
果たしてそうだろうか?現代人は80年ほど前の人間の知恵を
見下し過ぎではないのだろうか?ヒトラーもゲッペルスも、同じ古人だ
当時の民衆をバカにし過ぎではないか?今の民衆は当時と比べて賢くなったか?
俺はこのように思う。「当時の民衆も本当は為政者の意図を知ってて応援した」
つまり、ムッソリーニやヒトラーやヒロヒトを盲目的に崇拝するだけではなく
当時の民衆の大多数が「戦争と、それによる大破壊を望んでいた」のではないか
現に俺が今、戦争を望んでいる。似たような書き込みもあり、実際の発言も聴く
総統はこう述べた。「戦争は、不用な弱者を殺処分する最大のチャンスだ」と
それが起こればナチス式に手を下さずとも見殺しになることは確定事項である
ヒロヒト天皇は言った。「耐え難きに耐え、、」。我々は今、過度の人倫拡大と
それに伴い、弱者を多く背負いこみ過ぎては居ないだろうか?
本当は、俺が事細かく説明するまでもなくすべて承知の上で極右政党に票を入れ
「そうなる事を期待している」のではないだろうか?
例えば「金正恩」。彼を魅力的に感じる者など極少数だろう事は誰でも分かる
しかし実際に、彼は一国の元首であり、彼を支持する者の中には
ただ単に恩恵欲しさだけではなく、彼の出来ない事をやってでも支える者がいる
歴史上にそのような意図を明らかに示した武官や文官は幾らでもいたのも事実だ
「有事を望むからこそ特定の人物を全力で支える技能者と、駒となる兵と民が」
現状に不満があるならば尚更のこと。独裁者は、民衆の不満の中から誕生する 弱者を殺せ!苦しめろ!
老害どもを病院に行かせるな!
無理矢理にでも恐怖と不安のままに生きさせろ!
すべて自由だ!何もかも全解放だ!
「汚物は洗浄教」に入信しろ!ヒャッハー!
(-人-) ♪ 執着から苦が生じていることは分かっても、その執着を取れません。
苦の原因はわかっても、苦のままです。
信心銘に書かれているように好き嫌いも選り好みもしなければというのは理解出来ますが、捨てられません。
好みでいえば、私はチョコレートは好きですがあんこは苦手です。
チョコとあんこがあればチョコを選びます。
どちらか食べなければいけないのであれば、あんこだと少し辛いです。
単純に味覚の好みの問題で例えると、このような苦はどう滅すれば良いのでしょう?
もしチョコもあんこも好きでも嫌いでも無ければ選り好みせず、どちらも食べても食べなくても良いと気が楽でしょう。
しかし味覚の好みは自分でコントロール出来る訳ではありません。 >>763
喰う前からそうしてえり好みしてw
チョコやあんこに喰われてどうすんのよw
あんたがチョコやあんこを喰らうんだけど? 囚われや執着は自分の思い込みから来ているのでしょうか?
チョコが好きなのも自分の思い込みでしょうか?
ただ「自分の思い込みに気づく」だけでよいのでしょうか? >>766
>ただ「自分の思い込みに気づく」だけでよいのでしょうか?
そもそも仏教って一切苦(=思うがままにならない)って説いてるよね?
つまり、「思い込みに気付けば」解決するとか、そんな風に思うがままにはなりませんよ、って。
「観察すれば消滅する」とか、そんな風に思うがままにはならない、ってのが仏教のお示しなわけで。 >>768
実践してみたら、いい感じではありましたが。 >>769
「いい感じ」って業を別に作っただけと心得ればいいんじゃないんですか? >>770
不完全でしたか…無限ループですかね?
思い込みに気づけば思い込みは止んで、なくなったのですが…。 >>763
どこの誰が「選り好みするな」等と申したのだ?
悟りはむしろ「思うがままに選り好みしろ」なのぢゃ
その理由は、舌には味を感じる味細胞があって、自分の身体に足りない養分を
美味しく感じ、余ってる養分を不味く感じるようにできておるんぢゃから
あんこが嫌いなのは、お主の身体にあんこの養分の何かが不要なんぢゃろう
食いたくなければ食わんでええのぢゃ
また、人に対する選り好みも同じぢゃ。世の中には色んな人がおるが
誰が良い悪いではなく、お主の進みたい選びたい道の妨げになる者らは
「好かん」と言い放ち、関わりを断てば良いのぢゃ。何故ならば、例えば
お主が空手家に成ろうとして、打撃技を練習してるところへ
柔道家がやって来て、お前を強くする為に寝技を教えてやろうと言うても
空手の試合で寝技を使ったら、即失格になるのぢゃから、その者は不要なのぢゃ
このように、善意であれ悪意であれ、要らぬ者は要らぬのぢゃ
しつこい場合は斬り捨ててしまえ。和智は戦争がしたい。邪魔する者はあぼーん
ヽ(.-w-.)ノ >>717 そうじゃろう。
心を知り尽くせばそれらはないじゃろう。
自分に有るものを知り、無いものを求めないことじゃ。
いま自分に有るものに感謝して善事を積むとよいのじゃ。
>>728 人によって違うじゃろう。
親が変らなければ狂わないじゃろう。
親が変れば変るのじゃ。
>>749 認識できないのじゃ。
認識できれば無ではないのじゃ。
されないのじゃ。
されないことはないのじゃ。
有無の観念が有るのじゃ。
現れないのじゃ。
超えなくて良いのじゃ。
ただありのままに観察できれば良いのじゃ。
>>754 状況によってそれも正しいじゃろう。
持っているものもいるじゃろう。
ならないじゃろう。
教えを邪な事に使うものもいるからのう。
縁起ではないのじゃ。
そのように観察するためのものなのじゃ。 世俗のご都合ブタどもをブチ殺せー!
世俗に都合の悪い世の中にせよー!
修行者は、離俗ではなく倒俗になれー!
これで我らは自由なのぢゃー!
凡愚どもには地獄を見せてやれー!
ヽ(.-W-.)ノ 鬼和尚はバレンタインデーにあの娘にホの字なことをバレタインですか? >>772
清々しい心意気を見習いたいです。
選り好みを無くそうとすることは、
好かんと言い放つ事が怖いから自分の感覚を押し殺し、それが辛いから自分の感覚を変えたいと思っている、
逃避であるようです。
選り好みのままに生きるには人から嫌われる覚悟と強さが必要です。
こじさんは人から嫌われたりすることが怖いとか腹が立つとは思わないでしょうか?
また、人を傷つけることは良くないから戦争を望むことは良くないことだ、などとは思わないのでしょうか? 無は認識出来ない、と認識しとるw
つまり、認識出来ないと認識されているその無は分別って事だな。
思惟(しゆい)を離れてないってことだな。 人生は、運動会のマラソンのリレー競争みたいなものぢゃ
古今東西、様々な国でそれが繰り返されてきた。それが人の歴史なのぢゃ
ところが団塊の左翼老害どもは前走した年寄りが子供にバトンを渡すだけでなく
子供の背中に負ぶさって子供の重荷となってそのまましがみ付いてしまうのぢゃ
そしてその子供らも孫にバトンを渡すときに負ぶさる気でいるからビックリぢゃ
一人の若者が複数人の高齢者を背負いながら、重苦しく重い足を前へと進めるが
こんなんでは諸外国に勝てる訳はない。経済しかり、戦争しかり、何でもぢゃ
ただでさえ資源が無い日本では、国民の労働力だけで欧米列強と肩並べしてきた
それだけでも何倍も努力をしとると言うのにぢゃ、老害どもがお荷物となっとる
後先短い老害どもは、それ以降の事など一切気にかけずに好き放題に病院に行く
医療依存の老害どもが日本の社会保障を圧迫しよる。労働者の賃金も最低水準
そのくせ二言目には「少子化問題」「早く結婚して子供作れ」「介護しろ」ぢゃ
これからの日本はこのように変えねばなるまい。60歳以上は医療機関の利用禁止
カテーテルとペースメーカーは武士道に反する国の生き恥、売国奴以下の非国民
各県に一ヶ所ずつの無料安楽死施設の設置、有事における中高年従軍制度の導入
若者よ、バトンだけ受け取って真っすぐ突っ走れ!前走の年寄りどもがお主らに
負ぶさってこようとしたら、閃光のような後ろ回し蹴りでクリーンヒットぢゃ!
武士たる者は潔く死と向き合わねばならん。武士道とは死ぬ事と見つけるべきぢゃ
(-人-) >>778
思惟を離れた文ってどんなんや?
無理くり揚げ足とってる糞も思惟を離れてないって事でok? 無認識を「視界」だけで説明すると
人の目は顔の前に2つ付いており、その視界は180度前方のみに向いておる
目を開ければその視界は開くが、人は集中してる部分にしか意識が向いてない
その集中してる部分に分別の認識が作用しとって、それを消せ、ということ
五感ぜんぶそうするのぢゃ。思考や認識の関与を一切受けぬ感覚が得られたら
真理が見えてくる。そこで知れることは、思考や認識を解除することで
「この世の全ては本来は空っぽ」と確信を得て知れるのぢゃ。実態性は皆無だと
「生きてるだなんて言うのも思考や認識による勘違い」だと有り有りと分かるし
凡夫どもがその生涯において、如何に思考や認識で振り回されてるかも分かる
この感覚を体得するには、地道な瞑想行か、事故で運よくちょうどいい加減で
頭部を強打するか、そうなるような病にかかるか、ドラッグでODするか (-人-) 例えば、思考は
「私はこういう性格だ」「私はこういう得手不得手がある」「これがポリシー」
「私のジンクスではこうだ」「私の座右の銘は」「これが私のモチベーション」
このような事を四六時中、考えて思うておったりする訳で
例えば、認識は
「これは手でこれは足」「私は人間という生き物」「これが衣服でこれが身体」
「呼吸は酸素を吸って二酸化炭素を吐く」「消化物は腸で吸収され糞となる」
などなど、言葉で思わずとも色々なものを理解して把握しとる部分な訳ぢゃ
これらを一時、消し飛ばすには、怪我をせぬように大きな風船とかで
誰かに後頭部を何遍でもブン殴ってもらうとか、強引な方法もありぢゃ
そもそも、瞑想行でここまで到達するのは、初めの1回がなかなか難しすぎ (-人-) いわば本性由来で可変だ
旨い美しい上手い等皆そうだ
じゃ
心理学スレへ 鬼和尚。
すべては観念だとしたらクオリアとはなんですか?
また、二重スリット実験の1つの解釈として意思説があります。
簡単に言うと物質は可能性として存在し人の観測によって物質は固定された存在になる。
波のようなものから人の意思により粒子へと変わるという説です。
これは正しいですか? 鬼和尚。
波や粒子とかはともかく人の意識が物質に影響を与えているというのは本当ですか?
もしかして科学的に唯識が証明されようとしていますか? >>781
認識が「無」なのに認識せずにどうやってそれを認識するの?
無認識から有認識にもどったときにさっきは無認識だったと気づくってこと?
鬼和尚がいうように認識できれば無じゃないなら、無認識はないってことじゃ? 般若心経でも無とかあるけど
無は観念で認識できないならただの想像でしかなくね?
すべてのものに実態は無いと想像しているだけじゃ? >>780
>思惟を離れた文ってどんなんや?
思惟無しに書かれた文だなw 思考や認識を解除することでありのままに見えるってこと?
思考や認識がなければ観念がないはずだから観念の世界を超えるというのと同じことじゃ?
でもありのままに見えなくても自我があるという観念(思い込み)が消えるなら別に無認識は必要ないんじゃ? >>790
>無は観念で認識できないならただの想像でしかなくね?
ん?無は観念なんだろ?
(観念として)認識する・されないを論じてどうすんの? >>793
だから無認識は認識できないんだからただの想像でしょ?
般若心経も人の想像だってことでしょ? >>794
糞凡夫のようなソープ通いの男にそんな話をしても無駄だよ わけわかんなくなってきたぞw
〜鬼和尚のブログから〜
そこにおいてはもはや見る者も、見られるものも、見るという事も無かった。言葉もイメージも、記憶さえも無かった。 全てが無かった。 そして無でさえも無かった。
これは無を認識してるってことじゃないの?www
記憶もないのになんで無でさえも無かったってわかるのはなんで?www 俺が毎日寝て起きたときに、記憶もなく無でさえも無かったってのはもしかして悟り?www >>796
中論流に言うと、言葉による仮構を見抜いたって事だろうけど、馬鹿鬼自身が半端な体験の上で言語化してるから余計に混乱を招くんだよなぁw どこかに「無」と言うものが、意識しないままにあるもんだと設定してるんだよね。
末那識が深層識でそう働くから仕方ないんだけどw
(その上で=表層識で)概念を離れれば、その「無」が認識出来るだの、出来ないだのと論じてるんだよね。 あー、無があると設定して考えるからおかしいのか
なるほど >>799
そんな寝言はソープ嬢に話してやれよww 言葉による仮構を離れたものといっても、言葉を使って「本来無もない、ありのまま」としか言えないしね。 結局、表層識では本体なんぞ観念だの虚構だの言いながら、心の奥底(末那識)では阿頼耶識を本体として勝手に設定してるんだよね。 じゃあ認識が無いというのは、無いがあると考えたらおかしいのはわかったけど
じゃあ認識が無いというのは無いものがどうしてわかるの? >>805
無認識だった事を後から認識したんじゃなくて? 仏教では刹那生滅を説き、一刹那一意識で、一刹那両意識は説かないからね。 >>806
そうだよね!そうなるしかないよね!
だって有と比較するしかないはずだもんね
じゃあやっぱり思考の産物で、想像だってことだよね あー、なんか悟りなんか知らないっていう糞凡夫さんが正しいってわかってきたw >>804
勝手に阿頼耶識などを仮想して、それで説明がついたと思うお馬鹿さんは
集合的無意識を仮想してわかったつもりになったユングと同じレベル。
そんな妄想の理解しかしていないから、現実はソープ通いの生活をすることになるんだよ。
>>809
あまりに両方とも馬鹿すぎると思って読んでいたら、
なーんだ、お前は糞凡愚の職場の仲間で、自演もどきをしたいたんだな。
馬鹿馬鹿しい限りだ。
>>810
もう、やめておけ。 >>811
自演違うわw君あたまだいじょぶ?
無認識がどうやってわかるのか説明してみてどうぞ?w >>812
君はまず「認識」とは何かについて、よく考える必要があるんだよ。
概念の定義もせずに、「認識だ」「無認識」だなどと言ってもナンセンスなの。
お馬鹿さんの糞凡愚が鬼和尚の言うことを理解できないのは、自分勝手な定義で
認識や無認識を考えているからに過ぎないのだよ。 定義もなにも無認識でしょ?
まったく認識がないのにどこからどこまでが認識だとかきめる必要ないでしょ?
ばかですか? >>814
>定義もなにも無認識でしょ?
君は糞凡愚と同じようにお馬鹿さんのようですね。
「認識」の意味内容が変われば、「無認識」の意味内容も変わることがわからないの?
哲学の入門書でも読んで「認識」について勉強することが必要です。
また、仏教における理解というのは、「わかった」と思ったら即、その時点で日常生活
における意識も変わるのですよ。糞凡愚のように理屈でわかったような気がするだけの
ものは妄想に過ぎないのです。
糞凡愚が「悟りは知らない」などと気取って言っているのは、提唱か何かで老師が言った
のを口真似しているだけなのです。 じゃあ無認識ってなによw
だってぼーとしてても赤は赤だし青は青じゃん?
赤は赤じゃなくて青は青じゃないとか寝ながら目あけてるのと同じようなもんでしょ?
じゃあ無認識だったってどうやってわかるのよ?www
なにか認識してるときにさっきは認識してなかったなっていう比較からの思考の産物でしょwww >>816
>じゃあ無認識ってなによw
>>813 で書いたことが理解できないの?
「認識」の定義によって「無認識」の意味は変わるでしょう。
>なにか認識してるときにさっきは・・・
「認識」の厳密な定義をしないでそんなことを言っているのは、
まだお子ちゃまだということなのです。 お子ちゃまでもわかることが理解できないの?w
無認識をどうやって認識すんのよ?wwwww
比較して無認識だったと認識するってのならわかるw
だけどそれは思考の産物w
はい論破w 意識があるときに、さっきは意識がなかったなって思うのはわかるw
寝て起きたらそうだからw
比較しなきゃわからないんだから思考の産物www
これが悟りならぜいいん悟ってるwww >>818 >>819
やはり、糞凡愚の自演だったね。
その馬鹿さ加減が全く同じだから、同一人物であることが判明してしまう。
>無認識をどうやって認識すんのよ?
「認識」の定義もしないでそんなことを書くようでは、まだ仏教を理解する
ことは無理です。 純粋に学問を学んでの知と
学問と自分を融合しての知と
あるのかなと思いました >>822
ID:x0/hgvse=ID:0ap9UOz7
自演がばれて残念だったね、糞凡夫(糞凡愚)くん。
自演をしなければいけないということが、何もわかっていない証拠なのです。 >>823
無認識をどうやって認識すんの?はいこれw
反論どうぞw
できないならレス禁止だからw >>824
>無認識をどうやって認識すんの?
自演だったことがバレたから、ヤケクソになってしまったの?
「認識」を定義しないでそんなことを書いてもナンセンスだということが
わからないのなら、中学校からお勉強をやり直しなさい。 レス禁止って読めないのかなー
お子ちゃまだからかなー 現在の臨済宗の指導者たちの質は非常に落ちていて、心ある識者たちは憂いを抱いている。
テレビなどで臨済宗の一派の管長の話を聴いていて、そのレベルの低さに情けなくなった
ことが私も何度かある。指導者のレベルが低ければ長期間を僧堂で修行しても大した悟りは
得られないのだから、まして糞凡夫くんのように短期のインスタント接心だけをした者が何も
わかっていないのは当然過ぎることと言えるだろう。仏教用語を頭に詰め込むことが仏教を
学ぶことだと思い込んでいて、(内容もわからないまま)老師が話していたことをインコや
オウムのように繰り返している糞凡夫(糞凡愚)くんが哀れでならない。 苦しい思いのおおもとには思い込みがあり
それら思い込みは妄想に過ぎない
そういうことでしょうか 鬼和尚にお勧めして頂いたヨーガ根本教典を読んでいます。
難しいですが興味深く、座法なども色々試しています。
ハタ・ヨーガプラディーピカーでは
クンダリニーを覚醒させる方法が説かれていました。
クンダリニーは覚醒させた方が良いのでしょうか?
覚者はクンダリニーが覚醒しているとは限らないですか?
クンダリニーが覚醒すると速やかに悟りへ導かれるのですか?
止観の瞑想で悟ることと、クンダリニーの覚醒で悟ることは道が違うのですか?
難易度は向き・不向きによると思いますが、どのような人にクンダリニーは向いていますか? >>785
我々の身体と意識そのものが複合クオリアぢゃ。深く考えるまでもない
宇宙の構造にはいくつもの謎がある。音や光は波であるのに
なぜ真空である筈の宇宙空間越しに地上から星々が見えるのか?など
考えてもどうしょうもない事はあるし観測時と不観測時に粒子の動きが違うのも
素粒子が出たり消えたり同一のものが二ヶ所に同時出現したり、などなど
そういうのはすべて、造物主 (そんな者は居らんが) の設計ミスで創りがガサツ
もともと適当に創られておるんぢゃから、その適当から発生しとる和智らも
適当で良いのぢゃ。あちょぷ、あちょぷ、うきゃきゃきゃきゃ〜 (-人-) >>789
そのように考えるのもわかるが、分別認識と自然認識という2つの言葉を
仮定するとして、和智が言うとるのは自然認識のことを無認識と言うておって
無認識とは、正しく言えば「無分別認識」と、こういう事になるの
意識せずとも目を開ければ視界は開くが、分別、把握、理解しようとせねば
それはただ眼球が捉えた視覚情報が脳に映像情報として映し出されるだけで
何でもないもの、無分別認識の状態。知的情報処理が働いてない状態なのぢゃ (-人-)
通信規制がきてて書き込みしずらい。@ソフバンのアイホン >>831
鬼和尚さんは糞凡愚の言うように悟っていない精神障害者なのですか? >>832
それはわかりますよ?
ようするに無分別認識が無分別だと自覚するには分別認識と比較するしかないっていってるんですよ?
だから思考の産物でしょ?ってこと >>796
これ、鬼和尚が書いてること本当ぢゃから、お主らも瞑想行で逝って観ろって
言葉でないものを言葉で説明するには、こんな風に書くほかないんぢゃよ
無を認識できてるならそれは認識ぢゃんw、とか、言いたいのは分かるが
例えば会話は、認識の認識が認識の認識に認識の認識を認識させようとする行為
であって、その認識事態には実体性は皆無ぢゃから無と表現されるだけで
無の境地とは、実態性が無いと知覚できる心境。と言うこと (-人-) そもそもぼくは無が認識できるなら悟りはあるのかなーと思ってたのよw
よく無の体験とか無の境地とかいうブログ読んでると2元論では体験できないけど万物一体の境地は「そこにはなにもない、だからこそすべてがある」みたいなwww
そういうもんかなーと思ってたけど、鬼和尚が無を認識できないし無はあらわれないて書いてるのみて、じゃあ悟りはないじゃんって気づいたwww けっきょく無は認識できないなら無だったとかぜんぶ妄想じゃんw
絶対そうだってw
認識できないのに認識があったって、それは妄想かもしれんし思い込みかもしれんし、とにかく思考の産物であって糖質的な病気かもしれんwww >>835
あー、もしかして無の境地って言葉どおりの無じゃないってこと?
なんで無っていうの?www >>833
鬼和尚は悟っておるのぢゃ。紛いもなく悟っておる。自我の紛いも無く、のぅ (-人-)
>>834
言葉を使って表現した時点で、全てのものは思考の産物ではあるのぅ (-人-)
お主らがそこそこオツムが良いのは分かるが、知的情報処理活動そのものを
ほんの一時でもピタリと止めねば、覚者が言うてることは、分からんのぢゃ
理解できぬのぢゃ、、、ほれ。このように「分からん」とか「理解できん」とか
こういう言葉を用いて表現すると、頭で情報処理して分かれ、理解しろ、という
勘違いまで同時に伝わってしまうから、言葉というものは厄介というか
言葉でない悟りをわざわざ言葉で説明することの厄介さがあるので
いくつかの言葉を拾ってザックリこういうもんか、とまで飲み込めたら
あとは瞑想行しかないのぢゃよ。まるで生まれてから死ぬまで一度も休まず
泳ぎ回る海のカツオのごとき人間の知的情報処理活動をぢゃな、ピタリと止めよ
(-人-) >>839
ぼくは頭悪いってよく言われますよwww
思考も認識もないとか自分がいないとかw
それは体験できるけど言葉にできないのじゃといわれれば、こっちとしてはそんなもんかーと思うしかないけどw
思考も認識もないとか自分がいないとかを体験も認識もできないなら、じゃあもはや思考の産物でしかないでしょw
寝て起きたときに「さっき無の境地だったぞー!おれは悟った!」ってのと区別できませんwww 「悟り」と言葉で定義され、表現されとる、その感覚、知覚体験は
おおこれか!とハッキリと揺るぎない確信を伴えつつ、それはあるから
瞑想せよ。智慧ではなく一般的な知恵や知識の意味で、頭のいい覚者もおれば
頭の悪い覚者もおるし、説明の上手い下手もあるし、真の知恵者は
知恵のない者に理解させてこそ知恵者ではあるが?教えを乞うほうが
「頭で言われた言葉を吟味して理解しよう」という姿勢である限り
あれこれそれどれの押し問答は終わらずに、ずっと堂々巡りするばかりぢゃよ
例えば「愛」ってなんですか?という問答に置き換えてみよ
それは、これこれこう言うものだ、と言葉だけで10割説明出来るかいな
言葉だけで「愛」を理解して、何の体験もせずに人が満足するかいな
これと同じことぢゃ (-人-) 愛と悟りは十人十色だって無認識を認識できるか無の体験を体験できるかは大切すぎるでしょw
言葉にはできんが無認識は認識できるのじゃだったらぼくの理解をこえたものだと理解できるw
無認識は認識できないのじゃだったら、無認識は認識との比較でしかなくてそれは記憶で思考の産物ですよw
ようするにどれだけ思い込めるかって話であって糖質と変わらんwww 早い話が、、「瞑想でそこまで到達するのがクッソ難しい」なんぢゃよ
だから頭が知的活動による情報処理に逃げておるのぢゃ
こればかりは、【痛いほどよく分かる】のぢゃ。だってクッソ大変だもの
のっ越えた和智は、余裕綽々で講釈たれとるが?凡夫の頃は死ぬほど辛かった
死ぬほど辛くて仕方がないからこそ、その苦悩の塊が勢い余って弾けて逝けた
悟れぬ者らは、ある意味で幸せと言うか、まだ苦悩の累積が足りぬと言うか
いや、幸せ者ではなく大なり小なり心の痛みの経験は溜まってるぢゃろうが?
生半可ぢゃないのぢゃ。なかなかクリアーさせてくれない高い壁なのぢゃ
生きとる限り時間は幾らでもある。死ねば強制的に悟れる。生きとるうちに悟れ
和智のように、幸せ者になれるぞい (-人-)〜♪ ぶっちゃけ軽く絶望ですわw
悟りってあったらいいなと思ってたのが糖質と変わらんのですよw >>842
カントの「純粋理性批判」を読んでごらん。
その後で、龍樹の「中論」を読んでごらん。
そのような優れた先人の書物も読まないで、自己流であれこれ考えるだけでは
どこに行き着くこともなく、一生空しい日々を送ることになるでしょう。
<和算>で満足して欧米の数学を学ばなかった人が、死ぬ間際に後悔するような
ものです。 カントとか竜樹とかしらないけど、大体むつかしいことは言ってないじゃんw
逆になんでこの理屈わかんないの?www
お子ちゃまだから?www >>829
止観でもクンダリニーでも大成すれば同じぢゃろうが、情緒的な意味で
感覚器官への集中が得意で、頭の悪い者に向いているんではないかの?
クンダリニー専門でなくとも、感情を観察しとるとチャクラに対応しとるのが
感じれるし、そこが感情に伴い「開閉」しとるのも感じれるし
ここの凡と比べたら下手に頭が良くてつまづいてる状態よりは、良いかも知れん
(-人-) ♪ >>847
「認識とは何か」について考察することもなく、「認識がー」「無認識がー」などと言っているような
知性では、「ザルで水をすくおうとする」ようなものだから、どこにも行き着く道理はないのですよ。 >>849
キミは論破済みだからレス不要なんだけど?
キミにまとも知性があるなら反論でどうぞw 認識がどんな定義でも変わらんってのが理解できないのかなお子ちゃまにはw
○があると自覚するなら○はある
○がないと自覚するには○がいる
わかんないの?www
定義の問題じゃないんですけど?www 心を開くのぢゃ。疑念で汚れててバッチイのぢゃ。感覚的な意味で
胸のあたりが暖かく、涼しく爽快な風が吹いておるような心地ぢゃ
頭は軽く、それが重荷になる事はなく、全身がそのような心地で包まれ
辺り一帯の環境がそうであるように、そこに抱かれた心地ぢゃ
発泡酒のCM、海外の絶景の場で撮影されて、俳優が喉ごし爽快さを伝えるCM
撮影者も視聴者も、そこには居ないが、ただ生きとるだけで毎日がそんな感じ
しかし修行中は、青汁〜、青汁〜、青汁イエーイ。ケールが鼻をつん裂く臭い
あひゃひゃひゃひゃw (^人^) 認識がないって自覚するには認識がなけりゃだめなのよwwwww
ないものはないんだからあるものと比較しなきゃ絶対に絶対にありえないんですwww 自分には今日はツノがないなーとか今日はしっぽがないなーとか第3の目がないなーとか普通は思わないでしょーがwww
そんなのをまともに思い込みしてるやつは糖質だわwww ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています