悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】61
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悟りを開いた人=ブッダのことで、仏教的人生相談になります。
仏教の議論は宗教板で。ここは、あくまでも人生相談スレです。
◆利用者のみなさんへ
・人生相談板では 相談すること、それに答えること このやりとりが大事です。
独り言や自説の主張・雑談・馴れ合いなどは禁止です。各々の専門板へ。
・何度も書き込む場合は最初に書き込んだ時のレス番号を名前欄に書いておいてください。
・相談はなるべく詳しく明確に書きましょう。(できれば年齢や性別も。)
では、どうぞ。
※前スレ
悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】60
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1513819266/ >>706
じゃあ観察してるかぎり
こじさんの言う(空っぽ)にはならないよね?
こじさん紛い物〜w こじさんは間違っていませんよ。
気づくというのは大小があると思います。
私が気づいたのは根っ子の部分だけなので根っ子の部分だけなくなりましたが、根っ子や茎や花に気づいた人は、根っ子も茎も花もなくなると思います。
空っぽになるまで思い込みの対象は消滅すると思います。 >>709
私はくそ凡夫ですから、仏教数千年の歴史の中で、様々な覚者や賢者によって明らかにされた智慧に勝る見解は示せませんし、先人方には到底及びません。
しかし、空の思想や唯識は外せないポイントだと思いますよ。
一個人が自己流で見当付けた知識など、仏教数千年の叡智に比較して取るに足らないものです。 >>712
そうかもしれませんね。
実際ネットで仏教を調べていたら蛇縄麻のたとえというのがあって、思い込みがどうのこうのと私が個人で考えた見解など、すでに明らかにされていたことを知りました。
それを知っていたら思い込みがどうのこうのと言わずに蛇縄麻のたとえを使ったと思います。
それに阿頼耶識に蔵されるというのを否定しているわけではないですよ。
それが本当だとしても、それを頭で本当に理解するのは難しく、体験することで知ることが本当なのではないかと思います。 仏教や哲学を勉強しないで自己流であれこれ考えてもむなしいです。
それは、>>564 で<和算>の世界を例に出して説明した通りです。 レス下さった皆さまありがとうございました。様々な環境で瞑想修行されている皆さまのお話を伺えて、ネット越しではありますが共に励む同士というか先輩方といいますか、何となく嬉しく思いました。
体位や時間帯なども工夫してみます。
いつかは家族でも座禅や瞑想に親しめるようになったら良いなと思います。 >>669 部屋にこもっているのじゃ。
そのような愚者とは永遠に縁を切ってよいのじゃ。
お釈迦様も修業の為に国や家族を捨てたのじゃ。
>>673 助けたらよいのじゃ。
ありがとうというとよいのじゃ。
>>680 できるのじゃ。
完全に観察できれば消えるじゃろう。
実践あるのみなのじや。
>>684 おぬしが限界と思った時が限界なのじゃ。
おぬしがよくないと思えばよくないのじゃ。
外国では不治の病に掛かった娘が居た夫婦が素人なのに鬼のように調べて効果の有る薬を作ったという話が有るのじゃ。
本当に愛する者が苦しめば人は限界など無く働くのじゃ。
限界も寂しさも自ら作り出しているだけなのじゃ。
本心を観れば寂しさも無くせるじゃろう。
自らの本心をよく観察し、受け容れて自らの道を決めるのじゃ。 苦や不幸は無知から来るものでしょうか?
楽しさや幸せ、その他よい感情を味わうためには
何を知ればよいでしょう?
不幸が遠ざかり、幸せが近づく、押さえておくべき
ポイント等あれば聞かせてください。 >>708
君の書き込みからすると無は無明のことで有は光明のことだよね?
光明があるから無明がある。
光明がなければ無明がない。
無明があるから光明があるとは限らない。
無明を知れば光明が知れる。
これってめちゃめちゃおかしくないか? >>708
よくわからんけど、理屈がどうだろうが結局のとこどうやって気づくかってだけの話だろ?w
なんのためにもならんことをごちゃごちゃ考えんほうがいいぞw そういえば、毛深さに悩む娘のために、台所にある食品だけで
アレルギー反応を起こさない脱毛薬を母さんが作って、深夜番組の
テレホンショッピングで売ってた事があったのぅ (-人-) 手は2本あるのぢゃ。それは右手と左手の2対なのぢゃ
言葉は、その全てに対義語が有るのぢゃ。右があれば左があるようにのぅ
美味しい食べものを、いくら手で捏ねくり回しても、どんな味付けをしても
口に入れなきゃ味わえないのぢゃ。口は一つしかないのぢゃ
ご飯を食べてるときは、言葉を超えられるのぢゃ。モゴモゴしか言えん
かと言うて、美味しい料理を作れるのは2つの手なのぢゃ
習熟が必要なのは手ぢゃ。習熟そのものが不要なのは口ぢゃ
悟りの境地は習熟そのものが不要な口なのぢゃ。喋ってはダメ
この見事なまでに、稚拙で粗悪な文章を書かせてるのもまた、頭の思念ぢゃ
言葉を用いて反面教師となって見せておる。人万言一知、神無言万知
青椒肉絲、麻婆豆腐、八宝菜、回鍋肉、エビ焼きそば、酢豚、搾菜 (-人-) ピーマン3個入り1袋158円+消費税とか、もう野菜食わないほうがいいの (-人-) 別のスーパーでは4個入り1袋198円。かさ増し用の野菜が肉より高いとか
自販機の小さい缶コーヒーが140円で、500mlの度数高めの缶酒が同じ値段とか
変な時代 (-人-) >>718
現象世界の現在には有のみが存在していて無は過去だけにあり相対的です。一元的な世界では無だけが存在し無が有として現れます。現象世界での矛盾を超えます。
そこで現象世界では知れない無を知り、無を知ることで有の実態を知る、有が観念であり実態は無であると知ります。
これは体験からわかることですが、この体験から推測すると
何かの思い込みに気づくときには現象世界を超える必要があるので気づくとは一元世界を垣間見ていることではないかという私の想像です。 デルモンテの野菜ジュース720mlが158円。これを飲みつつ
100円のハンバーガーとか、でき和えの加工肉を食べた方がずっと安上がり
かつカロリー摂取できる量も多いね。フライドポテトは駄目だ。高い (-人-) >>719
そうですねw
>>725
現象世界と一元的な世界とわけることは正しくないんですが言葉は矛盾を超えられないのでこれは仕方がないところです。
一元的な世界をパズルのようにバラバラにして形や色で分けたものが観念の世界ですので観念世界には一元的な世界が常に潜んでいます。 大人になって妹の方が優秀になると姉はどう思うのでしょうか?
見下していた妹に何一つ勝てなくなると人は狂ってしまいますか?
そうなってから人が変わったかのように感情的になり家族に対して異常な行動になるのはなぜでしょうか? 年寄りをブッ殺すために、玉こんにゃく屋さんでお手伝いしてるが
玉こん30個入り1袋200円くらい。それを煮て串に4つさして1本150円
和智は子供らを相手に、愛のある仕事がしたいのぅ (-人-) ソープランド90分で3万円、ホストクラブでピンクのドンペリ10万円 (-人-) 給料もらってる幼稚園の先生との想い出は少ないが
給料もらってない近所の兄ちゃんとの想い出のほうが濃い (-人-) >>728
息子を愛していれば、親子ゲンカでブン殴られて負けても、むしろ嬉しいのぢゃ
弟や妹も同じなのぢゃ。兄や姉を超えて優秀に育ってくれれば嬉しいのぢゃ
和智は小学生のころ、対象年齢18歳以上のエアガンを何とか手に入れるたび
自分の掌を撃って、血豆を作っておったのぢゃ。痛ければ痛いほど嬉しかった
俺のエアガン最強!って。これは愛なのぢゃ (-人-) 和智は愛の塊だから、和智より年輩の高齢者は皆殺しにするのぢゃ
お餅とこんにゃくで殺す (-人-) >>725
現象世界を超えるのはどうすんの?
くそ凡夫が観察することは新たな業になるってのは確かなんだろ?
思い込みだと知ったってのが思い込みで、堂々巡りじゃねーかwww >>735
思い込みだと知るというと、何かを得たかのような表現なのでそのようにですが、実際には得るものはなく思い込みが消滅するだけです。
ですが消滅、いわゆる無を認識することはできませんから、有ではないことを知るというプロセスになります。
たとえばテーブルの上にりんごがありました。
まばたきをしてもう一度テーブルを見るとりんごがありませんでした。
テーブルの上にりんごがないと認識します。
テーブルの上になにもありませんでした。
まばたきをしてもなにもありませんでした。
テーブルの上にりんごがないなど思いもしないので認識することはありません。
有との比較でしか無は認識できないということです。 >>736
だから無を認識とかありえません。
思い込みが思い込みを作る連鎖があるだけです。
くそ凡夫がいうように無を知ったというのは、それが新たな思い込みになり、堂々巡りになるだけのはずです。 >>673
対象に聞こう
>>680
まあ
が
手間だ
定義はやめよう
>>717
そうではない
決めよう
偏ろう ここの皆に何度も指摘されてるようにあなたの妄想に価値はない。
あなたより高度な体験をし、あなたより賢い先人達が、あなたより優れた教えを既に残している。
自分の体験はすごいとか、自分の考えは新しいとか、それはあなたの妄想なのだよ。
そのような書き込みが自己顕示欲の表れだと自覚しなさい。
そのようなものは自我の強化にしかならんのだよ。 たとえば、「お前はこの律と法を知らぬ、我はこの律と法を知っている。
お前にはとてもこの律と法を知ることはできまい」とか、
「お前のすることは間違っている。私のすることは正しい」とか、
「私の言い方が正しい。そなたの言い方は正しくない」とか、
「そなたの言論は微塵に打ち砕かれた」とかいうがごとく、
争論のことに夢中になっているものがあるが、そのような争論も慎む。
これもまた、修行者の戒のひとつである。
釈迦 なにもわからぬ無知な者は、もともと智の働きがないので、表面に現れるものもない。
また、はるかに深い所まで到達した智恵は、もはや決して表面に出ることもない。
単なる物知り、理屈屋は、知っていることをひけらかそうとして、表に出すので、
滑稽なことになる。
近頃の仏教徒の様子など、さぞ、みっともないとお思いになるでしょう。 恥ずかしく存じます。
沢庵 さまざまな経典を読みあさり、それをぺらぺらと説き散らして高僧ぶってはいるが、
内心はさながら夜叉。
常に妄念妄想のために心は騒がしくうるさいばかりである。
ちょっとした議論や、日常の吉凶栄辱にも煩悩、邪見が次から次へと競い起こってくる。
これらはすべて、取るに足らぬ小見にうぬぼれて、聞きかじりの学問が少しばかりあるのを誇って、
それを大それた境地と思い上がっている連中の成れの果てである。
白隠 学問があると他人を軽蔑して優劣を争い、主我的な迷いを深め、地獄行きの業を増長する。
善星比丘などは、釈尊の説法を全部理解していたが、生きながらにして地獄に堕ち、この広い大地に身の置場すらなかった。
臨済 妄想や自己顕示欲はみとめますが
より良い生き方をみんなで共有できればという思いもありました
皆さんそれぞれに正しさはあると思いますが、この場所の性質でもあるのか
自分の正しさばかりを主張して排他的になるのはどうなのかな
と疑問に観ている所も私はありました 正しさより優しさ、とはどこかで聞いた言葉ですが
優しさもひとつの正しさなのだと思います。 わたしのもう一つの性質「自意識過剰」が故の勘違いでしたらご容赦ください。 私は自分自身にとって自分の考えが最高だと思ってるな、他人の考え使うときは妥協だと思ってる、とっても妥協が多いけどね 自分の考えなどない。
自己の経験による記憶から考えは生ずるもの。
自己の考えだと思っておるそれは、父の考えであり母の考えであり、その他諸々の経験が考えているのである。
経験は縁起によって成される。
道徳や仏法や禅を学んだ者であれば、自己の考えとは釈尊の考えでもあり孔子の考えでもあり道元の考えでもある。
自己の考えが正しいとか、自己の考えは正しくないとか、そのようなものは縁起であると正しく知り、執着から離れなさい。 鬼和尚。
無を認識することはできますか?
無を認識すれば有が厭離されますか?
無を認識しなければ有は厭離されませんか?
観念の世界では有しかないですか?
一元世界では無が有として現れますか?
思い込みに気づくには観念世界を超える必要がありますか?
たくさんの質問ですがよろしくお願いします。 >>749
鬼和尚以外の方による見解も是非お願いします。 >>665
鬼和尚はなぜこの質問にこたえられないのか? >>749
その質問が自作自演、自問自答、自画自賛でないと確約したら参加するけど、
今迄の経緯からして信用できないんだよ?
保証するか?
まずそれぞれの言葉の意味するところを先に話して欲しいな。 鬼和尚。
正しさより優しさですか?
自己の考えなどないですか?
仏法を学べば自己の考えは釈尊の考えでもありますか?
自己の考えは縁起ですか?
よろしくお願いします。 >>754
鬼和尚以外の方による見解も是非お願いします。 馬鹿鬼に異見を云うと危害が及ぶだの恐喝が始まり、また、根拠がないDisりが始まるからな。
まともな議論にならないんだよ?
そもそも馬鹿鬼は見性どころか、「智慧の声が聞こえたのじゃー」とか、精神に異常をきたしてるだろ?
常識で考えれば分かる事だ。
分をわきまえてからそうしたことを言ってくれ。 向精神薬だか何だか知れねーが、そんなもんで体験したことは糞くだらない妄想で、
仏教でいうところの見性や悟りとは一切関係ないから。
柴山老師のお弟子さんだったかがアメリカでそれを試験して一切違うと検証済だから。
仏教舐めんな外道。 何故、これだけ物質的に豊かになっているのに心は満たされないのか?
何故、これだけ物質的に効率化が進歩してるのに労働時間が延びてるのか?
すべては悪玉エイリアン、爬虫類人のせいです!(-人-)
https://youtu.be/vtq0VnAR9vM 悟りの安らぎと、この世の苦しみの関係は、すべて「〜しなさい」から始まる
人に病老死の苦があり、自然界はときに厳しいため、恐怖心がそこに芽生えると
人は必ず誰かに「〜しなさい」と言い始まる。子供や隣人に必ずそう言い始まる
「〜しなさい」と言われた方は、心が荒む。そして必ず悪行によって復讐する
これが人々の生の苦のサイクルぢゃ。人は口々に言う。悪人ほど出世する
マキャベリな悪人ほど人の上に立ち成功を収め、富がその者に集中している、と
これは人間どもの自業自得な因果応報なのぢゃ。そして人々の奴隷化が広まった
目の前に猛獣がいても、毒ヘビがいても、暴漢がいても、不道徳な者がいても
絶対の絶対の絶対の絶対に、その者を改善しようなどと思うてはならん
それを思えば思うほどに、人間社会と人心は、荒みに荒んで奴隷化が加速する
日本人は臆病者が多い。だから「〜しなさい」発言が多い。だから悪人が多い
だから日本は奴隷が多い。だから日本は息苦しい。すべては自業自得なのぢゃ
和智は「働け」と、一言でも言うた年寄りどもを殺す。復讐だ。死んで詫びろ (-人-) 「水の結晶」で画像検索せよ。ここに真理と苦悩のサイクルの証拠が視れる
人間の身体は80%以上が水でできておる。だから「〜しなさい」と言われると
心も身体も荒んでしまう。健康にも悪影響を及ぼす。そして能ある者は復讐する
無政府主義は生命の基本。自然界がそうであるように、法や規律は何一つ不要
たとえ殺人や盗みや強姦が起きても、自然界がそうであるように法や規律は不要
しかし人間は安心を得るため自然を否定する。あらゆる規律規範、倫理道徳を
求めるに至り、それらで他者を抑圧することで安心を得ようとばかりする
こうして無政府主義 (アナキスト) たちは、復讐のために必死に勉強に励む
人間社会の支配層におる者たちは皆、アナキストである。大多数の最底辺もそう
支配者は戦争を仕組み、最底辺は戦場で暴れる。臆病者たちは皆、惨殺される
悟りを開いた聖者たちは、目覚める前後に、この事に気づいてしまう
だから乞食の道を選ぶ。決して誰かに「〜しなさい」と言わぬよう生きてる
(-人-) ヒトラーは「演説上手だった」
ゲッペルスは「宣伝上手だった」
「それは今でも研究されている」
果たしてそうだろうか?現代人は80年ほど前の人間の知恵を
見下し過ぎではないのだろうか?ヒトラーもゲッペルスも、同じ古人だ
当時の民衆をバカにし過ぎではないか?今の民衆は当時と比べて賢くなったか?
俺はこのように思う。「当時の民衆も本当は為政者の意図を知ってて応援した」
つまり、ムッソリーニやヒトラーやヒロヒトを盲目的に崇拝するだけではなく
当時の民衆の大多数が「戦争と、それによる大破壊を望んでいた」のではないか
現に俺が今、戦争を望んでいる。似たような書き込みもあり、実際の発言も聴く
総統はこう述べた。「戦争は、不用な弱者を殺処分する最大のチャンスだ」と
それが起こればナチス式に手を下さずとも見殺しになることは確定事項である
ヒロヒト天皇は言った。「耐え難きに耐え、、」。我々は今、過度の人倫拡大と
それに伴い、弱者を多く背負いこみ過ぎては居ないだろうか?
本当は、俺が事細かく説明するまでもなくすべて承知の上で極右政党に票を入れ
「そうなる事を期待している」のではないだろうか?
例えば「金正恩」。彼を魅力的に感じる者など極少数だろう事は誰でも分かる
しかし実際に、彼は一国の元首であり、彼を支持する者の中には
ただ単に恩恵欲しさだけではなく、彼の出来ない事をやってでも支える者がいる
歴史上にそのような意図を明らかに示した武官や文官は幾らでもいたのも事実だ
「有事を望むからこそ特定の人物を全力で支える技能者と、駒となる兵と民が」
現状に不満があるならば尚更のこと。独裁者は、民衆の不満の中から誕生する 弱者を殺せ!苦しめろ!
老害どもを病院に行かせるな!
無理矢理にでも恐怖と不安のままに生きさせろ!
すべて自由だ!何もかも全解放だ!
「汚物は洗浄教」に入信しろ!ヒャッハー!
(-人-) ♪ 執着から苦が生じていることは分かっても、その執着を取れません。
苦の原因はわかっても、苦のままです。
信心銘に書かれているように好き嫌いも選り好みもしなければというのは理解出来ますが、捨てられません。
好みでいえば、私はチョコレートは好きですがあんこは苦手です。
チョコとあんこがあればチョコを選びます。
どちらか食べなければいけないのであれば、あんこだと少し辛いです。
単純に味覚の好みの問題で例えると、このような苦はどう滅すれば良いのでしょう?
もしチョコもあんこも好きでも嫌いでも無ければ選り好みせず、どちらも食べても食べなくても良いと気が楽でしょう。
しかし味覚の好みは自分でコントロール出来る訳ではありません。 >>763
喰う前からそうしてえり好みしてw
チョコやあんこに喰われてどうすんのよw
あんたがチョコやあんこを喰らうんだけど? 囚われや執着は自分の思い込みから来ているのでしょうか?
チョコが好きなのも自分の思い込みでしょうか?
ただ「自分の思い込みに気づく」だけでよいのでしょうか? >>766
>ただ「自分の思い込みに気づく」だけでよいのでしょうか?
そもそも仏教って一切苦(=思うがままにならない)って説いてるよね?
つまり、「思い込みに気付けば」解決するとか、そんな風に思うがままにはなりませんよ、って。
「観察すれば消滅する」とか、そんな風に思うがままにはならない、ってのが仏教のお示しなわけで。 >>768
実践してみたら、いい感じではありましたが。 >>769
「いい感じ」って業を別に作っただけと心得ればいいんじゃないんですか? >>770
不完全でしたか…無限ループですかね?
思い込みに気づけば思い込みは止んで、なくなったのですが…。 >>763
どこの誰が「選り好みするな」等と申したのだ?
悟りはむしろ「思うがままに選り好みしろ」なのぢゃ
その理由は、舌には味を感じる味細胞があって、自分の身体に足りない養分を
美味しく感じ、余ってる養分を不味く感じるようにできておるんぢゃから
あんこが嫌いなのは、お主の身体にあんこの養分の何かが不要なんぢゃろう
食いたくなければ食わんでええのぢゃ
また、人に対する選り好みも同じぢゃ。世の中には色んな人がおるが
誰が良い悪いではなく、お主の進みたい選びたい道の妨げになる者らは
「好かん」と言い放ち、関わりを断てば良いのぢゃ。何故ならば、例えば
お主が空手家に成ろうとして、打撃技を練習してるところへ
柔道家がやって来て、お前を強くする為に寝技を教えてやろうと言うても
空手の試合で寝技を使ったら、即失格になるのぢゃから、その者は不要なのぢゃ
このように、善意であれ悪意であれ、要らぬ者は要らぬのぢゃ
しつこい場合は斬り捨ててしまえ。和智は戦争がしたい。邪魔する者はあぼーん
ヽ(.-w-.)ノ >>717 そうじゃろう。
心を知り尽くせばそれらはないじゃろう。
自分に有るものを知り、無いものを求めないことじゃ。
いま自分に有るものに感謝して善事を積むとよいのじゃ。
>>728 人によって違うじゃろう。
親が変らなければ狂わないじゃろう。
親が変れば変るのじゃ。
>>749 認識できないのじゃ。
認識できれば無ではないのじゃ。
されないのじゃ。
されないことはないのじゃ。
有無の観念が有るのじゃ。
現れないのじゃ。
超えなくて良いのじゃ。
ただありのままに観察できれば良いのじゃ。
>>754 状況によってそれも正しいじゃろう。
持っているものもいるじゃろう。
ならないじゃろう。
教えを邪な事に使うものもいるからのう。
縁起ではないのじゃ。
そのように観察するためのものなのじゃ。 世俗のご都合ブタどもをブチ殺せー!
世俗に都合の悪い世の中にせよー!
修行者は、離俗ではなく倒俗になれー!
これで我らは自由なのぢゃー!
凡愚どもには地獄を見せてやれー!
ヽ(.-W-.)ノ 鬼和尚はバレンタインデーにあの娘にホの字なことをバレタインですか? >>772
清々しい心意気を見習いたいです。
選り好みを無くそうとすることは、
好かんと言い放つ事が怖いから自分の感覚を押し殺し、それが辛いから自分の感覚を変えたいと思っている、
逃避であるようです。
選り好みのままに生きるには人から嫌われる覚悟と強さが必要です。
こじさんは人から嫌われたりすることが怖いとか腹が立つとは思わないでしょうか?
また、人を傷つけることは良くないから戦争を望むことは良くないことだ、などとは思わないのでしょうか? 無は認識出来ない、と認識しとるw
つまり、認識出来ないと認識されているその無は分別って事だな。
思惟(しゆい)を離れてないってことだな。 人生は、運動会のマラソンのリレー競争みたいなものぢゃ
古今東西、様々な国でそれが繰り返されてきた。それが人の歴史なのぢゃ
ところが団塊の左翼老害どもは前走した年寄りが子供にバトンを渡すだけでなく
子供の背中に負ぶさって子供の重荷となってそのまましがみ付いてしまうのぢゃ
そしてその子供らも孫にバトンを渡すときに負ぶさる気でいるからビックリぢゃ
一人の若者が複数人の高齢者を背負いながら、重苦しく重い足を前へと進めるが
こんなんでは諸外国に勝てる訳はない。経済しかり、戦争しかり、何でもぢゃ
ただでさえ資源が無い日本では、国民の労働力だけで欧米列強と肩並べしてきた
それだけでも何倍も努力をしとると言うのにぢゃ、老害どもがお荷物となっとる
後先短い老害どもは、それ以降の事など一切気にかけずに好き放題に病院に行く
医療依存の老害どもが日本の社会保障を圧迫しよる。労働者の賃金も最低水準
そのくせ二言目には「少子化問題」「早く結婚して子供作れ」「介護しろ」ぢゃ
これからの日本はこのように変えねばなるまい。60歳以上は医療機関の利用禁止
カテーテルとペースメーカーは武士道に反する国の生き恥、売国奴以下の非国民
各県に一ヶ所ずつの無料安楽死施設の設置、有事における中高年従軍制度の導入
若者よ、バトンだけ受け取って真っすぐ突っ走れ!前走の年寄りどもがお主らに
負ぶさってこようとしたら、閃光のような後ろ回し蹴りでクリーンヒットぢゃ!
武士たる者は潔く死と向き合わねばならん。武士道とは死ぬ事と見つけるべきぢゃ
(-人-) >>778
思惟を離れた文ってどんなんや?
無理くり揚げ足とってる糞も思惟を離れてないって事でok? 無認識を「視界」だけで説明すると
人の目は顔の前に2つ付いており、その視界は180度前方のみに向いておる
目を開ければその視界は開くが、人は集中してる部分にしか意識が向いてない
その集中してる部分に分別の認識が作用しとって、それを消せ、ということ
五感ぜんぶそうするのぢゃ。思考や認識の関与を一切受けぬ感覚が得られたら
真理が見えてくる。そこで知れることは、思考や認識を解除することで
「この世の全ては本来は空っぽ」と確信を得て知れるのぢゃ。実態性は皆無だと
「生きてるだなんて言うのも思考や認識による勘違い」だと有り有りと分かるし
凡夫どもがその生涯において、如何に思考や認識で振り回されてるかも分かる
この感覚を体得するには、地道な瞑想行か、事故で運よくちょうどいい加減で
頭部を強打するか、そうなるような病にかかるか、ドラッグでODするか (-人-) 例えば、思考は
「私はこういう性格だ」「私はこういう得手不得手がある」「これがポリシー」
「私のジンクスではこうだ」「私の座右の銘は」「これが私のモチベーション」
このような事を四六時中、考えて思うておったりする訳で
例えば、認識は
「これは手でこれは足」「私は人間という生き物」「これが衣服でこれが身体」
「呼吸は酸素を吸って二酸化炭素を吐く」「消化物は腸で吸収され糞となる」
などなど、言葉で思わずとも色々なものを理解して把握しとる部分な訳ぢゃ
これらを一時、消し飛ばすには、怪我をせぬように大きな風船とかで
誰かに後頭部を何遍でもブン殴ってもらうとか、強引な方法もありぢゃ
そもそも、瞑想行でここまで到達するのは、初めの1回がなかなか難しすぎ (-人-) いわば本性由来で可変だ
旨い美しい上手い等皆そうだ
じゃ
心理学スレへ 鬼和尚。
すべては観念だとしたらクオリアとはなんですか?
また、二重スリット実験の1つの解釈として意思説があります。
簡単に言うと物質は可能性として存在し人の観測によって物質は固定された存在になる。
波のようなものから人の意思により粒子へと変わるという説です。
これは正しいですか? 鬼和尚。
波や粒子とかはともかく人の意識が物質に影響を与えているというのは本当ですか?
もしかして科学的に唯識が証明されようとしていますか? >>781
認識が「無」なのに認識せずにどうやってそれを認識するの?
無認識から有認識にもどったときにさっきは無認識だったと気づくってこと?
鬼和尚がいうように認識できれば無じゃないなら、無認識はないってことじゃ? 般若心経でも無とかあるけど
無は観念で認識できないならただの想像でしかなくね?
すべてのものに実態は無いと想像しているだけじゃ? >>780
>思惟を離れた文ってどんなんや?
思惟無しに書かれた文だなw 思考や認識を解除することでありのままに見えるってこと?
思考や認識がなければ観念がないはずだから観念の世界を超えるというのと同じことじゃ?
でもありのままに見えなくても自我があるという観念(思い込み)が消えるなら別に無認識は必要ないんじゃ? >>790
>無は観念で認識できないならただの想像でしかなくね?
ん?無は観念なんだろ?
(観念として)認識する・されないを論じてどうすんの? >>793
だから無認識は認識できないんだからただの想像でしょ?
般若心経も人の想像だってことでしょ? >>794
糞凡夫のようなソープ通いの男にそんな話をしても無駄だよ わけわかんなくなってきたぞw
〜鬼和尚のブログから〜
そこにおいてはもはや見る者も、見られるものも、見るという事も無かった。言葉もイメージも、記憶さえも無かった。 全てが無かった。 そして無でさえも無かった。
これは無を認識してるってことじゃないの?www
記憶もないのになんで無でさえも無かったってわかるのはなんで?www 俺が毎日寝て起きたときに、記憶もなく無でさえも無かったってのはもしかして悟り?www >>796
中論流に言うと、言葉による仮構を見抜いたって事だろうけど、馬鹿鬼自身が半端な体験の上で言語化してるから余計に混乱を招くんだよなぁw どこかに「無」と言うものが、意識しないままにあるもんだと設定してるんだよね。
末那識が深層識でそう働くから仕方ないんだけどw
(その上で=表層識で)概念を離れれば、その「無」が認識出来るだの、出来ないだのと論じてるんだよね。 あー、無があると設定して考えるからおかしいのか
なるほど >>799
そんな寝言はソープ嬢に話してやれよww 言葉による仮構を離れたものといっても、言葉を使って「本来無もない、ありのまま」としか言えないしね。 結局、表層識では本体なんぞ観念だの虚構だの言いながら、心の奥底(末那識)では阿頼耶識を本体として勝手に設定してるんだよね。 じゃあ認識が無いというのは、無いがあると考えたらおかしいのはわかったけど
じゃあ認識が無いというのは無いものがどうしてわかるの? >>805
無認識だった事を後から認識したんじゃなくて? 仏教では刹那生滅を説き、一刹那一意識で、一刹那両意識は説かないからね。 >>806
そうだよね!そうなるしかないよね!
だって有と比較するしかないはずだもんね
じゃあやっぱり思考の産物で、想像だってことだよね あー、なんか悟りなんか知らないっていう糞凡夫さんが正しいってわかってきたw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています