悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】61
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悟りを開いた人=ブッダのことで、仏教的人生相談になります。
仏教の議論は宗教板で。ここは、あくまでも人生相談スレです。
◆利用者のみなさんへ
・人生相談板では 相談すること、それに答えること このやりとりが大事です。
独り言や自説の主張・雑談・馴れ合いなどは禁止です。各々の専門板へ。
・何度も書き込む場合は最初に書き込んだ時のレス番号を名前欄に書いておいてください。
・相談はなるべく詳しく明確に書きましょう。(できれば年齢や性別も。)
では、どうぞ。
※前スレ
悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】60
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1513819266/ >>577
全然違います。
もっと仏教について勉強して下さい。 無明とは知っているという思い込みだというのは違いませんよ。
例えば自分の目の前で母親が子どもを平手で叩いているのを目撃したとします。
それに腹を立てたり憤りを感じたりするのは無明だからです。
目の前の情報だけですべてを知っているかのような思い込みをするから、それに腹を立てたりするんです。
自分はその母親が母親かも知らないし子どもが子どもかも知らないし叩いたのか偶然当たったのかも知らないし、叩いたとしてもどんな理由だったのかも知らない、何も知らないという自覚があれば、腹を立てることはありません。
すべての煩悩はこのような知るはずのないことを知っていると思い込むことから生じるものです。
これをお釈迦様は無明だと言っていたのだと思います。 全て自由自在に操れる者に、もう一つ自分を作らして決闘すると矛盾が生じます。
勝っても負けても引けわけも勝負をしないことも、全てを自由自在に操れるということが成立しません。
神は物を消すことは出来ても消した事実を消すことが出来ません。
なので神様居ません。
絶対は存在出来ません、
が、絶対が存在しないとゆうことは神は居ないとゆうこも絶対に決める事が出来ません。
しかし1+1=2は紛れもなく絶対です
数字には絶対があります、、、
なので言葉とゆうものが絶対を持てないと思います
様々な知恵、絶対ではなく最高が更新されて今に至るのだと思います。
なので宗教などの教えは良いと思うのですが(更新されて行くものであってもいいし、変わらなくても特に良いものはそのままでも別に構わない)、
お経や仏壇仏具神棚等は後付けの文化風習だと思ってしまいます。(変わらなくても特に良いものに入るかも知れませんが)
弔いの儀式のためってのもあるし
なので、無神論者無宗教でいたいのですが、やはり人間は群で生きるもので宗教に入って居ます、、
信じてない思いが更新できず心苦しいですが、仮面を被って生きています。
人は足掻きの果てに願うと思いますが願うところが無いのは苦しいです
最近姉の娘を助けて下さいと何かに願いました、、
そこで気づきました、力が無くても私を絶対にすればいいと
そして願うことをやめ、念を込めることにしました。 1度でも忘我を体験すれば自分が知らないものを知っていると思い込みしていたことに気づくのではないでしょうか。
それは自分がいるという思い込みだけには留まりません。
大小や善悪や美醜など二元論的なものはすべて自分の思い込みだと気づくでしょう。
そのようなものに固執していた自分が無明だったと気づくでしょう。 「平成哀歌」
はい ♪
遊ぶつもりで、上京したがっ
7時出勤、10時過ぎに帰宅
変わらぬ景色を、行ったり来たり
そんでもって手取りで、15万
働きづくめの、毎日だから
生きる望みは、何もない
あ〜あ〜あ、やんなっちゃった ♪
あ〜あああ、驚いたっ
あ〜あ〜あ、やんなっちゃった ♪
あ〜あああ、戦争おきろっ
(-人-) 【教育勅語】
和智おもふに、文明の発達とともに、人の精神は、その暮らしの豊かさに比例し
幼稚化してしまっている。男子は戦で使い物にならず、兵役を嫌がるばかり
しかし兵器のロングレンジ化が進むことで、殺人への抵抗感が薄れたのを幸いに
刀剣類は機銃に取って代わり、長距離を射程に収める弾道、巡航ミサイル
あるいはドローンなど無人飛行攻撃機の登場が、子供らに兵役を務めさせた
これにより、平和の望みを訴え続けるも、実は単なる社会保障ドロボーな
先天性の障害者、不治の万病人、後期高齢者や、それを擁護し、国力衰退を招く
国内の左翼思想家どもを、心置きなく地獄へ叩き落とせる、可能性がある
真の敵は、優秀な敵将に非ず、国内に居座る愚かな社会保障ドロボーである
よって我々は、敵国元首と秘密裏に密約を交わし、自国への攻撃を誘致して
障害者施設、隔離病棟、老人介護ホーム、暇潰しデイケア、早朝の公園などを
ピンポイント爆撃してもらうことを、願うに至っており、ソシャゲスマホ弄りや
立ち飲み屋、ヒトカラ、漫画喫茶などが、若い勤労世代の、慰みなのである
(-人-) >>579 >>581
「無明」と「無明が晴れる(=無我)」は仏教の根本概念です。
頭でこねくり回して納得するようなものではありません。
きちんと仏教を勉強しましょう。 では。 >>532 それが苦になると体にも悪いのじゃ。
実践に励む者にはよいのじゃ。
他人に気兼ねなく自らの本心が知れるからのう。
実践あるのみなのじゃ。 孤独は故郷なのぢゃ。孤独を苦にする者は、依存症の病原菌なのぢゃ。関わるな
(-人-) 数ヶ月間ずっと憂鬱で、ぼーっとして、お菓子もいっぱい食べてしまいます。
家族や友人の些細な言葉にすごくイライラしてしまいます。
タヒにたいと不意に思ってしまいます。
何もかもぐちゃぐちゃにしたい、発作のような気持ちに襲われます。
理由もなく涙がでて、これまで楽しかった勉強や趣味に対してワクワク感がなくなりました。
もうなんなのか分かりません。こんな時ありますか >>587
仏法や学問は相手をやりこめるためのマウンティングの道具ではありません。
外界の条件に惑わされて念を起こす。これを無明とす。 瞑想にふけって神秘体験を得ても、あるいは書物を読み勉強を重ねても、
日常生活に戻ったとたんに欲望にかられたり、ヒステリーを起こしながら議論ばかりをして争っていたとしたら、何の意味もないではないか
日常のさまざまな活動、色声香味触法の六塵である現実の中で、
正念を打失するのはどの時かと、常に自己点検しなくてはならない >>591 >>592
他人をマウンティングだと言う自分自身のマウンティングに気が付かない愚かさだね。
他者の人格ではなく、他者が書いた内容を論理的に批判できないにならレスをする資格は
ないと言うべきだろう。(人格批判は馬鹿でも出来るのだから。) ↑悟ってないのにレスを繰り返し、スレを荒らすのはやめてください >>587
無明と無明が晴れるのは単純なことですよ。
お釈迦さまの教えの本質って単純なんですよ。
それをこねくり回して難しくしているのがあなたなのではないかと思いますけど。 >>587
例えば誰かがあなたに「バカ」と言いました。あなたにはそれが全く聞こえなかった、あるいはあなたはバカという言葉を知らなかった、あるいは自分に言われているのだと思わなかった。
このような時に煩悩は生じないでしょ?
それだけのことなんです。
知らないなら煩悩はないという単純なことなんです。
その理屈は何も知らない状態を体験することで気づきます。
無思考無認識の何も知らない何もわからないを体験すればそこに苦しみがない事に気づきます。
それによって「知っている、わかっている」が苦しみの原因だと気づきます。
あとはそれを実践してみれば、それが正しいものだとわかります。 人が何を求めて話すかは、発してる言葉の意味とは全く関係ないことも多いと思うけどな >>594
そういう書き込みが一番いけないと言っているのです。
内容についてはまったく書かずに、ただ自分の感情で他人を否定しているだけなのです。
>>595 >>596
君は理性が大切だと言っていた人でしょう。
それに対して、私は理性は悟りの障害になると言ったでしょう。
>「知っている、わかっている」が苦しみの原因だと気づきます。
それこそ、理性が悟りの障害になるということなのですよ。
>>597
それは何かについて議論をしている時に持ち出すことではありません。
友達(家族・恋人ら)と会話を楽しむ時だけにして下さいね。 >君は理性が大切だと言っていた人でしょう。
人間には理性があると言っていたのは私ですね。
>それに対して、私は理性は悟りの障害になると言ったでしょう。
はい。
>「知っている、わかっている」が苦しみの原因だと気づきます。
>それこそ、理性が悟りの障害になるということなのですよ。
私とあなたでは理性の定義が違いますからね。
あなたの言う「理性」が私の思う「思考」や「分別」を指すのであれば、そうなのかもしれませんね。 >>599
君が言っている理性は仏教で言う「りしょう」に近いものですね。
私が言っている理性は「りせい」は一般的に使われている内容で、カントなど西洋哲学者たちも
使って来た内容です。
理性を仏教で言う「りしょう」と定義するなら、それは当然最も大切にすべきものになるでしょう。 プーラナ・カッサパは悟っておったのぢゃ。無上正等正覚の覚者なのぢゃ
綺麗事を言わず、己の保身に叶うように言葉を濁さない姿勢は、信ずるに値する
八正道などと言う綺麗事は、それを述べる者らの様相を見てみれば瞬時に分かる
綺麗事のオブラートで包まれ、綺麗事の言葉が蔓延する偽りの状況を望む輩は
障害者、万病人、高齢者、不細工、貧乏人、未熟者など弱く価値の低い者らぢゃ
八正道の屁理屈を愚直な言葉で一刀両断する、斬り捨て御免な姿勢こそが
信ずるに値する、人望をも根底から遠ざけた、無上正等正覚者の潔い在り方ぢゃ
(-人-) 人も動物も、海や大地の恵みを毎日いただいてウンコで返しておるのぢゃ
つまり受けた恩はウンコで返すのが地球の正常な習わしなのぢゃ
だから子供は小便たれるマンコと大便たれるアナルの間のバギナから産まれよる
オシッコもウンコもじゃじゃじゃじゃブリブリブリ〜が生命の正しい在り方ぢゃ
和智はいつも清廉潔白な吽鈷菩薩なのぢゃ (●´ω`●) おおよそ、10倍の兵力差の争いに勝つ者は、知恵が優れた将軍の証ではあるが
もっと言えば、時に10倍の兵力差の争いに敗けることも、優れた知将の証である
敵陣に10倍の兵力が在ることは、敵国内には更にその10倍もの民が控えており
戦に勝った後は、その民が難民として押し寄せ、支配構図に加わることになる
そこにおいて健常な若者は有益に用いれるが、中には不健康な年寄りも多い
必ずしも人の数だけがそのまま国力として反映を見せる事はないため
優れた知将は、時に10倍の兵力差の戦いにおいて、わざと敗北を組む事もある
あらかじめ不要な将を地方へ左官し、不要な民を領土の端へと追いやり
敵の10倍の兵力を持って戦に臨むも、頃合いを見て退却命令を出せば
敵は勢いに乗ってその地を我が物とするが、そこには不健康な年寄りしか居らず
敵はそれらを民として抱える羽目になるのである
そうなれば攻撃は容易である。大量の油と火矢を用いて、すべて焼き払えばよい
兵法家、吽鈷菩薩 (-人-) 示して云く、仏々祖々、皆な本は凡夫なり。
凡夫の時は必しも悪業もあり、悪心もあり、鈍もあり、癡もあり。
然あれども尽く改めて知識に随て修行せしゆへに、皆仏祖と成しなり。今の人も然あるべし。
『正法眼蔵随聞記』
理性が悟りの妨げ?
理性なくして知識には随えないよ。
知識に随えなければ修業もままならんよ。
馬鹿いうなw 人身受け難し今既に受く。
仏法聞き難し今既に聞く。
此の身今生に度せずんば、更に何れの生に於いてか此の身を度せん。
「三帰依文」
理性なくして如何に仏法を聴くというのだ? 凡夫ほど、八正道を求めるのぢゃ。その成れの果ては衰退と滅亡なのぢゃ
強者の弱点は「驕り」である。顕示の欲なのぢゃ。潔い者は驕らないのぢゃ
弱者の弱点は「救済悲願」である。人倫の所存を伺う。潔い者はそれを望まず
有りの侭を、そのまま納得するのぢゃ (-人-) 仏法は、耳で聴いてはならん。頭で処理してはならん。心で観ずるものぢゃ (-人-) この和智を将軍にしなければ、日本は滅亡する。地球から、あぼーんされる (-人-) 清廉潔白な「潔さ」は、自他の理性に縋るような自己保存の欲求に妨げられず
真理を有りの侭に観じれるものぢゃ。それこそが心の強さの表れ。弱き者は迷う
踏んだり蹴ったりな事態に、幾度も遭遇して八方塞がりとなり、大貧くじを引く
おめでとう☆彡 >>610
それ、心の耳
心の耳ある者は聞け
心の眼ある者は見ろ
感覚器官な訳が無かろう?(-人-) 釈迦の言葉の引用も、2500年が過ぎ、そろそろ潮時ぢゃ
あ奴は「末法の世」を説いたが、それを招いたのも、あ奴の優しさが故に、ぢゃ
他の覚者は、教え乞われても黙っておった。臆病者に構うこと無かった
尻拭いもラクではない。説明せずとも、皆が本当は分かっておることぢゃ (-人-) >>611
こじさんの言い回しを使うなら、仏法とは耳で聞き、頭で処理し、心で観ずるものです。
感覚器官がなくては仏陀の説いた法に触れることはできません。
頭で処理しなければ法を理解することができません。
どれも大事です。
こじさんは死人に仏法を教えることができますか? >>616
死人は既に悟れておるのぢゃ。死人に対して和智が説かずとも
その死人の耳や眼が機能しなくとも、説法を説くこと自体が無駄なことぢゃ
本当は、生ける者らも死人と何ら変わりない物ではあるがのぅ (-人-) そんな事よりも、今まさに捕食動物の口の中にある小動物を前にして
理性やら倫理やら道徳を、お主が説いてこれば良かろう。動物も衆生ぢゃしの
釈迦のたれた糞は、メチャ臭い、、!(-人-) 仏法はに凡夫のために説いた方便ですよ。
殺生するなとか盗みをするなとか、なぜ真理ではないことをわざわざ説いたのかわ考えればわかるでしょ。
それは凡夫にとって良い影響もあり固執するなら悪い影響もありますが、良いことのほうが多いだろうことはわかるでしょ。
人を殺したいのであれば、自らを殺せばいいだけです。 >>618
なぜ固執するのですか?
こじさんは、理性や道徳や倫理が二元論的に悪いものだと考えているように私には思えます。
理性や道徳や倫理は良いものでしょうか悪いものでしょうか?
悪いものだと考えているのであれば、理性や道徳や倫理の持つ良いところはどんな部分でしょうか? >>621
世界は鏡なのぢゃ。それは心の投影で形作られる
人の世も、動物の世もなく、同じものであって、人間社会とは概念ではあるが
その概念ですら、心の投影なのぢゃ。つまり、理性や道徳や倫理という綺麗事を
重んじつつ、言葉にして発する者らは、それにより自己保存の欲求が叶うよう
臆病でネガティブな心からの言葉に過ぎんのぢゃ。だから不自由で息苦しくなる
例えばぢゃ、戦場の兵士たちは敵を殺めた後には PTSD に掛かることが多い
これは若く未熟な兵士たちの心にも美徳感や情念があるからではない
同じ人間である敵の死体や、その無惨な死に方を目の当たりにして
自己保存の欲求が危機を感じて、恐怖に囚われた結果に過ぎんのぢゃ
こう言った危機感や恐怖心から「だから戦争はよくない」と言葉を発することは
要するに、ネガティブな危機感や恐怖心を共有するように仕組まれたものである
分かり易く言えば、今の日本ぢゃ。多くの者らが「息苦しさ」を感じておる
その原因がコレ。美徳ではなく、危機感や恐怖心の投影された社会に縛られとる
動物たちはこんな状況を作り出したりしないのぢゃ。言葉を発さぬからの
そんな人間たちが居なくなれば、土地は自然に自浄され再生していくが
居り続ける限りは、アンバランスに状態が崩れてゆくばかり。皮肉ぢゃの
美徳が悪徳としてしか効果が出ておらんのぢゃ。臆病さの自己肯定の投影だから
日本もそろそろ、銃刀法でも解禁したらどうかね?自浄作用は頻繁に起こるが
「息苦しさ」など、消えて無くなるぞい (-人-) >>620
仏法などと言う法など無いのぢゃ。それは目覚めた者の真理の教えなだけぢゃ
それが一方的に臆病で未熟な凡夫の、そのご都合に叶うためにあるのではない
「自己」から解脱できた者は、自然や宇宙と同じようなものぢゃ
試しに自然や宇宙を見るのぢゃ。多くの場合は、凡夫に都合が悪いではないか
凡夫もまた、そこから発生した以上は自然の一部、宇宙の一部ではあるが?
その自覚がなく、「自己」の保存欲求に煽られ、次の瞬間には道徳を口にする
ネガティブな心の投影は、巡り巡って必ず還ってゆくから、覚悟した方がええ (-人-) >> 622 こじ ◆jDjYTwtZiI 2018/02/17(土) 17:14:00.05 ID:sJ9vJjtb
> >>621
> 世界は鏡なのぢゃ。それは心の投影で形作られる
> 人の世も、動物の世もなく、同じものであって、人間社会とは概念ではあるが
> その概念ですら、心の投影なのぢゃ。
ええ、それはよくわかります。
>つまり、理性や道徳や倫理という綺麗事を
> 重んじつつ、言葉にして発する者らは、それにより自己保存の欲求が叶うよう
> 臆病でネガティブな心からの言葉に過ぎんのぢゃ。だから不自由で息苦しくなる
こじさんの心には理性や道徳や倫理が綺麗事に移るのでしょう。
それはわかります。 >>623
こじさんは自己の保存欲求は悪いものだと思っていますか? こじさんは無明ですよ。
何かしらの体験をされたらしいですが、それで自己を正当化するのはよくないです。
妄想ばかりしていると、自分が色眼鏡をはめていることに気づくこともできなくなるかもしれませんよ。 元気いっぱいのDQNを思え。彼らは「丸裸の心」に、攻撃性という武器を持つ
しかし一度その武器を手放せば、いつでも他者と抱き合える「丸裸」の状態ぢゃ
堅苦しい凡夫を思え。彼らは「私は社会人だ」とか「社会道徳が大切だ」とか
「常識的にはこうあるべきだ」などの、息苦しい言葉の数々で、心に防具を纏う
その防具の重量は相当なものぢゃ。兜に鎧に小手に足具足、実に重苦しい
そしてもはや、それを自分一人では脱げない状態になっており、日々を過ごす
常にカチャカチャと音がなり、夜に寝るときも中が冷たく冷え込む。動き辛い
次第に心は悲鳴をあげる。だからこそ「仏教に教えを乞いにきた」のでは?
いよいよ丸裸の乞食である覚者の教えは、「解脱のススメ」ぢゃ
解いて脱げ、と言われることの方が多いのではないかの。その防具をぢゃ (-人-) >>626
お主が何を言うても、皆同じなのぢゃ。例えば人間社会に生きる女でも
惚れた男に衣服を脱がされ、その身を抱かれてる時に、心地よさを感じる
ホトからヨダレを垂らしてアヒンアヒン喘ぐ、それのどこに社会性があるのか?
そしてその行為から、人々は産まれ出でてきとるのぢゃ
色眼鏡をはめてるのはお主の方ではないかの (-人-) ♪ 心のなかに恐れがあるならば、それを解いて脱げば良いのぢゃ
恐れを刺激されぬように、凡夫どもが如何様に言葉を発し、その規律を設けても
それを和智がこなごなに粉砕してやるぞい。凡夫の家に強盗に行くやもしれん
ふっふ〜ん (-人-) ♪ 出産なんて人から人が出てくるんだからなあ、社会性どころか、オカルトだよなあ 理性や道徳や倫理や常識などと言う言葉で、人心を縛り括るばかりだと
その不満が集積されて一気に放たれる「戦争」が起こるからの
もう結構ヤバいのぢゃ。思う存分に恐れるが良かろう。銃剣や弾丸が身を貫き
炎や爆風で身が焼かれ、満足に食う物もなく冬は寒さに晒され
息子が兵役を迫られ、家族や隣人が無惨に殺される状況を目の当たりにして
もう決まっとるのぢゃ。後悔するのぢゃ。残念でした (-人-) >>631
末法思想や誇大妄想がオウムの麻原そっくりですね。
オウムの麻原は正しいと思いますか? 大乗の悟りというのは、感情の起伏のない「人格者」を絵に描いたような人間になることではありません。
「性愛宗教と揶揄されたオショー」、「晩年は奔放な愛欲の日々を送った一休禅師」、「自らの宗教に
対する強い信念から徹底的に他宗批判を続けた日蓮」・・・、彼らはみな本物の大乗の悟りを得ていた人々
でした。
悟り澄ました木石のような人格を自分にも他人にも求めている人は死ぬまで大乗の悟りを理解することは
出来ないでしょう。
(オショーは大乗の修行をした人ではなかったが、悟りの内容が大乗と同じだった為に道徳を説いていた
周囲の伝統的な宗教家達とは終生論争をしていたものだ。)
こじさんは少し極端な表現が多いが、基本的に真実を言っているね。 欲求に正直な生き方はあると思いますよ。
「理性は善だ!」←無明
「理性は悪だ!」←無明
「理性に善悪はない」←本当 >>632
和智は2ちゃんねるが生んだ第二の麻原彰晃と言われとる
第三次世界大戦は必ず起こるし、大好物はメロンなのぢゃ
麻原は覚者ではない (-人-) こじさんの厭世的な思想はわかります。
それを良くするために現状批判をされるのもわかります。
しかし人間の場合、すべての問題は、思い込みをするところにありますよね。
理性や道徳や倫理というものに対する盲信がなくなったとしても、次は違うなにかを盲信するのが凡夫なのでは?
殺人がだめだという盲信がなくなれば、殺人がだめだというのは間違いだと盲信するような気がします。
根本的な解決は思い込みから離れることしかないですが、それは簡単ではないだろうと私は思います。
だとしたら、少なくとも理性や道徳や倫理が正しいと思い込みをしていたほうがマシだと私は思います。 >>636
時代に根差した方が選ばれ、多くの衆生がそれを支持するぢゃろう
人が歩くとき、左右の脚を前後運動させねば、前に進むことは不可能なのぢゃ
それは世界の歩みも同じである。政治のイデオロギーで言えば、右傾化と左傾化
これまでの日本は左翼台頭の時代であったが、それ以前の大日本帝国は完全な右
こうして歴史が時を刻む流れのなか、どちらかに偏るのも、人の歩みと同じぢゃ
和智は第三次世界大戦と、メロンと、ハザール系ユダヤ陰謀論と、色々好きぢゃ
(-人-)〜♪ 倫理、道徳が大切 → 事勿れ主義の偽りの平和 → 平均寿命が伸び伸び
→ 勤労世代のストレスがたっぷりの高齢化社会 → 息苦しい、何とかして〜
そこで和智が台頭
道徳イラネ。本音で生きろ → 不要な弱者に淘汰圧が強化 → 安楽死でスッキリ
→ 勤労世代が勢いをつけ、政府は軍備増強 → 大東亜共栄圏時代の最大領土奪還
吽鈷大将軍閣下ばんざい!やったぜ (-人-)b ☆彡 こじさんはおもしろいですねw
>>635
麻原はどうして覚者ではないのでしょうか?
オウム真理教の地下鉄サリン事件は、こじさんの支持するところではありませんか?
結果として民間人が犠牲になりましたが、本来の狙いは官僚や警察だったらしいです。
麻原彰晃は、第3次世界大戦を引き起こすために国家転覆を狙っていたらしいですよ。 平和主義者に物申すのぢゃ。心して聞くが良い
お主らの望んだ平和思想は、必ずジレンマが伴うのぢゃ。つまりバランスが悪い
そのジレンマを、平和主義者たちだけで解消するのぢゃ。問題を投げてはいかん
臭い物にフタをし続ければその臭い所から必ず和智のような危険人物が生まれる
年寄りは若者に負ぶさってはならんのぢゃ。重荷になってはいかん
オレオレ詐欺師の皆さん、今日もお勤めご苦労さまです (-人-) ♪
腹に詰まった糞は、出してこそ健康になれるのぢゃ。お年寄りはウンコも同然
米帝との雌雄を決する戦いに敗れた日本。アメリカへ貢ぐ女がごとき日本
極度の便秘に悩み、硬弁が肛門を固く閉ざし、肝臓が破れてすまう
自己負担は流石にキツい、路頭に迷った。ネバネバ、ギブアップ日本
面倒臭いぢゃろ?よろしい、では戦争だ!和智について来いっ!(-人-)b ☆彡 >>639
残念でした。和智は公安や警察や軍隊とは相性バッチリの、国の忠犬なのぢゃ
細かい犯罪やテロ行為で満足するような輩ではない、ファシストなのぢゃ (-人-) >>638
それが妄想でしょ?w
わかっててわざとやってるんですか?w
道徳イラネってなったところで、人間の煩悩は変わらないし、領土奪還しても人間の煩悩は変わらないでしょ?w 本物の覚者が暴れ始めたら、どれほどの威力かを見せてくれようぞ!
麻原の100倍はヤバい! >>642
お前、もう結構かなり、この和智に抱かれたいぢゃろ
頭のいい精液を、たっぷりブチ込まれたいぢゃろ?
それならば和智に絶対服従しろ、日本には教育勅語が必要なのぢゃ
上の方に書いたはずぢゃが、読んでおらんのか?和智が発した教育勅語を (-人-) こいつか?
宗教体験とかほざいてるキチガイは?
私は30年以上前に仕事でプーナに行った時にバグワンの講話を3回聴いた だけだが、聴いていただけで宗教体験が起こった。
訪問者だったのでサニヤシン になることもなく、以後は時々講話テープを聴くだけだが、いまだにテープを 聴くだけで体に律動が走ることが多い。
道元禅師の正法眼蔵を読んでいて起きる律動と同じものだ。 凡夫と覚者の決定的な違いは、その心根のポジティブさである
覚者であれば、四肢や臓物や脳髄が飛び散る激しい戦場の中にあっても
笑顔でニッコリ、首級をあげて旨い酒を呑むぞ!えいえいおーっ
死して靖国の英霊たちに顔向けができるよう、男子たるもの生きねばの (●´ω`●) 人間と動物との違いだけど、「より良くよく生きてゆこう」という
創造的な行為を主導する大脳前頭葉野の有無だとか。 >>646
そういう妄想は、こじさんの場合は妄想だと自覚しながらやってるのかもしれませんけど、妄想ばかりしてると本当におかしくなるかもしれませんよ?w
>>648
へー、おもしろいですね。
動物は生存欲求が優勢ですが、人間は生存欲求より幸福欲求が優勢なのではないかと私は考えていたのですが、あながち間違いではないかもしれませんね。 >>649
いいから黙って社会保障を削減しろよ。福祉縮小の社会にしろ、急げ便秘女 (-人-) 道徳は不要
倫理は足枷
理性は都合
常識は偏見
日本に必要なのはトイレ。それらを飲み込んで流してしまう水洗便器 (-人-) 道徳は、語ってはならん。個人的な心情とだけしておくべきものぢゃ
倫理は、語ってはならん。個人的に自由研究の題材にだけしておくべきものぢゃ
理性は、語ってはならん。他者に対して共有や共感ばかり求めるのは外道の所業
常識は、語ってはならん。それは個々人が20歳までに集めた偏見の累積に過ぎん
三島由紀夫の不道徳教育のススメでも読んでこい。和智は読んでおらんがの (-人-) 人権は、個人的に尊重することに価値があり、主張した時点で腹黒い悪魔の所業
主張された人権思想は、戦火でこなごなに粉砕されるべき!あぼーん (-人-) 和智はスパルタンX (意味不明)
未熟な凡夫どもは悲鳴をあげて泣き叫ぶ、スパルタ教育の軍事訓練教官
右手で銃を掲げ「こっちで楽しみ!」左手で股間を握り「こっちでも楽しむ!」
和智らは、父親がマスターベーションで飛ばした精液が母親の割れ目に入り込み
望まずして生まれて来た地獄の申し子。感情を持たぬ優秀な殺戮マシーン一兵卒
大日本帝国万歳!安倍総統閣下万歳!秋篠宮大元帥陛下万歳!日本会議万歳!(-人-) 動物は生存本能によって死ぬまで生きているものですが、人間はいつでも死ぬことを選択できます。
たとえば砂漠の真ん中で飲食物もなく動く体力も気力もなく、理性的に考えれば自分が助かる可能性がほぼゼロであり、ポケットには安楽死できる飲み薬がある。
そこで生を選ぶ人は、生きることによって幸福になれる可能性に希望を持つでしょう。
たとえば偶然誰かが通りかかって自分を助けてくれる可能性など、ほぼゼロであってもそこにしがみついて生きることを選択するのだと思います。
死を選ぶ人は、死ぬことによって現状よりも幸福になれる可能性に希望を持つでしょう。
生での幸福を得ることには絶望し、むしろ死のほうが幸福であると判断した場合は、死を選択するでしょう。
人は他の動物と比べて、非常に自殺が多い生き物だろうと思いますが、それは生存欲求より幸福欲求が優勢だからなのではないかと私は思います。
すごく厄介なのが、人は幸福を求めているのに幸福とは何かというのは漠然としていて、結局のところわからないものを求め続けているということですよね。 >>656
凡夫は馬鹿だから幸福を「求める」のぢゃ
覚者は智慧があるから「求めぬ」のぢゃ
つまり、馬鹿凡夫どもは「定められた幸福」をチラつかせれば
アホみたいに気色悪い汗水垂らして社畜労務をしよるのぢゃ
おめでとうございます ☆彡 >>590 うつかもしれん。
冬には血行がわるくなるからうつになる者も多いのじゃ。
くびのこりをマッサージでほぐすとよいのじゃ。
便通を良くするのじゃ。
風呂に入るのじゃ。
心の中にある原因を探すのじゃ。
数息観もやるとよいのじゃ。 先生「お前ら、もっと勉強しろ!」
親「ちゃんと進学しなさいよ!」
学生「フガフガ」
教育利権構造「入学おめでとう」(ガッポリ儲かったぜ!)
社会人「お前ら、ちゃんと働け!」
親「ニートは許しませんよ!」
新入社員「フガフガ、フガ」
経済利権構造「就職おめでとう」(この社畜奴隷どもめ笑)
女「結婚してよ!」
親「早く孫の顔を見せてくれ」
男「フガ、フンガー!」
近所の専業主婦たち「結婚おめでとう」(亭主元気で留守がいいわよねぇ)
銀行「ご融資致します」
男「フガフガ、フンガー!」
社会人「マイホーム購入おめでとう」(30年ローンかよw)
社会人「独立開業おめでとう」(金稼ぐために金使うとか本末転倒w)
和智「おーおー、馬鹿凡夫どもは、よう頑張るのぅ。幸福をチラつかされたか」
(-人-) ♪ 人は幸福になろうとして多くの物を手に入れようとするが
実は手に入れたつもりの物らに、逆に「所有されてしまってる」のぢゃ
学歴、経験、資格、スキル、資産、物件、車輌、伴侶、子供、何もかもにぢゃ
お釈迦さまは乞食になられた
吽鈷さまは生活保護課へ行かれた (-人-) こじさんの言い種はひどいですけど、実際のところそういうものなんでしょうね。
しかし求めているものが求めている限り得られないなんて不思議なものですね。
眼鏡の人にあるあるな話ですが、私は出かける時に眼鏡がどこにもないと思って探していたんです。
私の眼鏡どこにあるか知らない?って人に尋ねると、眼鏡かけてるじゃん(笑)って言われました。
本当にバカみたいな話なんですが、眼鏡を探している時には眼鏡が目の前にあることにまったく気づかないのですからねw 少し前の日本では「制限選挙制」であった。ある一定額の納税者のみに
選挙権が与えられ、実際に社会維持活動をしている者らだけに社会決定権がある
つまり、退職した高齢者や、保障を受ける障害者、万病人、ナマポ、外国人には
一切の社会決定参加権が与えられない状態にあって、妥当な社会がそこにあった
しかし、大多数の弱者どもは、福祉優先社会という自分らのご都合を通すため
民主主義を声高らかに叫び、無差別に「一人一票の投票権」がある社会を望み
結果的に「多数決で弱者の言い分が勝つ」ように、せっせと仕組んだのである
そして日本はこう呼ばれた。「一億総平民」。高度成長期、バブル期の勢いが
弱者のご都合の思惑を、表沙汰にする事なく、有耶無耶にされてきたのだ
しかし今は違う。膨大な社会保障費は現役の勤労世代に重苦しくのし掛かってる
世に出回る健康食品や、医療技術の進歩はますます弱者どもの寿命を延ばす
「いっそのこと戦争でも起きればいい」「朝鮮戦争の戦争特需って良いよな」
「ヒトラーは戦争は弱者を処分する最大のチャンスって言ってた」「わかるぅ」
今日もまた、団塊の左翼老害が運転する車が、幼い子供や若者の命を奪い
若い夫婦は離散し、ある者は一家心中し、勇者たちはオレオレ詐欺に勤しんでる
「長幼の序」。儒教の孔子が述べた糞みたいな言葉である。効き目は最悪
政界、財界、教育界、芸能界、商業組合、あらゆる場所に左翼老害が居座ってる
コイツらを追い出すのに、100の手順を踏み、若者を牽引するリーダーがいる
それこそが日本の国家元首、安倍晋三総統閣下。立法府の長、三権の長である
ハイル安倍!ハイル安倍!ジック・ハイル!自称リベラルな左翼老害どもに死を! 君子のふみ行うべき道は、たとえば遠方の土地に行くのも必ず近くから始めるようなものであり、
高い所へ登るのも必ず低い所から始めるようなものである。
まず身近なところから始まるのだ。
詩経には「妻や子たちの温かい和やかさ、まるで琴と大琴の合奏。兄弟もすっかりむつみあい、
やわらぎの中で楽しんでいる。なんじの家庭をうまくととのえ、なんじの妻子を楽しませている」
とうたわれている。
先生は言われた、
「父も母も満足しておられるだろうね」と。
(中庸) 古きよき時代に、輝かしい徳をもった聖人は、まずその国をよく治めた。
その国をよく治めようとした人は、まずその家を和合させた。
その家を和合させようとした人は、それに先だってまずわが身をよく修めた。
わが身をよく修めようとした人は、それに先だってまず自分の心を正した。
自分の心を正そうとした人は、それに先だってまず自分の思いを誠実にした。
自分の思いを誠実にしようとした人は、それに先だってまず自分の知能を十分におし究めた。
知能をおし究めるには、学問によって物事の善悪を確かめることだ。
学問を積んで、物事の善悪が確かめられてこそ、はじめて知能がおし究められる。
知能がおし究められてこそ、はじめて思いが誠実になる。
思いが誠実になってこそ、はじめて心が正しくなる。
心が正しくなってこそ、はじめて一身がよく修まる。
一身がよく修まってこそ、はじめて家が和合する。
家が和合してこそ、はじめて国がよく治まる。
国がよく治まってこそ、はじめて世界中が平安になる。
こうしたわけで、君子はまず何よりも自分の徳の充実に気をつけるのである。
(大学) 鬼和尚は今回のバレンタインデーでいくつチョコをもらいましたか 瞑想姿を見られたら案の定麻原○晃のテーマではやし立てられたりして、嫌な気持ちになりました。
今ではジョブズのような有名人が瞑想実践者だと知られているからまだ瞑想やヨガのイメージはマシになりましたが、日本では特にリアルタイムでニュースを見ていた30代以上にとってはオウムのイメージが強くて、瞑想というだけで怪しまれる節がありますね。
いちいち麻原のテーマを歌われたりして嫌な気分だし、そうゆうことをしてくる相手の性格そのものにも腹が立って来ます。 本日てか昨日は
ケチャップがドバドハ出てましたね (^^ やはり家族がいる休日は寝る前などに布団の中でひっそりやった方が良いのかと考えてしまいます。
家庭のある方はどのように瞑想を実践していますか? >>666
よほど仏教や瞑想に縁のなかった家庭だったのですね。
坐禅が身近だった家庭(曹洞宗や臨済宗の檀家、その他)では、テレビでオウムの若者が瞑想している
のを見て「まともな瞑想」だと思った人はいなかったはずです。ヘッドギアをして瞑想している姿など
は頭がイカれていると感じるのが普通でした。
>>669
家族の人達に禅の道場の写真などを見せながら、
「オウムの瞑想はヨーガの真似ごとをしていただけで、本来の瞑想は全く異なる背景と伝統を持ったもの」
であることを説明してあげればよいでしょう。 瞑想は、風呂に入ってからベットで寝るときにやれば何の気兼ねも無しぢゃ
姿勢は寝たままでよい。部屋に明かりも消してよい。半眼視界もスムーズぢゃ
風呂上がりのため、肌に伝わる感覚も心地よく、寝てれば余計な力も要らぬ
薄暗い部屋に聴こえるのは、エアコンや窓越しに外を走る車の音や風の音だけ
思考を止め、呼吸だけ感じ、徐々に自分と周りの「隔て」を剥がしてゆく
自分の身体とパジャマは同じもの、掛かってる布団も同じもの、ベットも床も
肌に触れる空気も、手を伸ばせば届く部屋の壁も、天井の板も電球も同じもの
窓の外に広がる世界も自分と同じもの。姿形、形状は違えどすべて同じ物の変化
私は個の生物として生を勘違いしており
瞑想によってその勘違いを解くもの
凡ゆる自己の構成要素は剥がれ落ちていき、心は鎮まり、個を超えた全てとなる・・・
(.-_-.)...zzZ 風呂上がりセンズリ後そのまま眠れる寝たまま瞑想はもっと良い
雌雄に分かれ異性を求め、年がら年中発情期の人間にとっては、センズリ重要
男子は射精後、女子は絶頂後、色んなことがどうでも良くなる、それを有効活用
さっきまで心の奥で胸を焦がして思いを寄せていた、あの子もこの子もその人も
今となってはどうでも良い。明日の仕事は、明日考えればいい
目覚まし時計にすべて任せて、私は私を超える域へと到達する・・・
(.-_-.)...zzZ https://i.imgur.com/hvl76J0.gif
こいういう風に困ってる時に助けてもらった時に
助けてくれた人がミスってさらに酷いことになった場合
どうするべきでしょうか? >>666
座禅じゃなく正座してするとか椅子に座ってするとか
それでも問題ないと思うよ 白い紙に黒い染みがひとつあるのを見つけ。
「この紙のここに黒い染みがある。この紙は真っ白ではないので白い紙ではない。白い紙でなければ黒い紙なのだ。」
本当に愚かである。 白い紙に黒い染みがあるのを見つけ。
「この紙のここに黒い染みがある。黒い染みはあるが元は真っ白の紙である。元が真っ白であるから白い紙である。」
本当に愚かである。 白い紙に黒い染みがあるのを見つけ。
「この紙のここに黒い染みがある。」
これが賢者である。 >>666
麻原彰晃マーチは名曲です。
親しみやすさと覚えやすさを徹底的に追及し、音楽によってオウム真理教や麻原彰晃を周知させることが目的であり、それは果たされたと言えます。
麻原のテーマを歌うことはオウム真理教の布教活動であることを理解させたほうがいいかもしれません。
愚か者は自らが何をしているのかさえ知りません。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています