悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】61
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
悟りを開いた人=ブッダのことで、仏教的人生相談になります。
仏教の議論は宗教板で。ここは、あくまでも人生相談スレです。
◆利用者のみなさんへ
・人生相談板では 相談すること、それに答えること このやりとりが大事です。
独り言や自説の主張・雑談・馴れ合いなどは禁止です。各々の専門板へ。
・何度も書き込む場合は最初に書き込んだ時のレス番号を名前欄に書いておいてください。
・相談はなるべく詳しく明確に書きましょう。(できれば年齢や性別も。)
では、どうぞ。
※前スレ
悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】60
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1513819266/ >>420
カテーテルとペースメーカーは、武士道に反する日本の恥なのぢゃ
老朽化した身体自体が重荷に感じるならば、潔く命を絶つ美学も
ムダな苦に長く向きあうことなく済ませられるし、周りにも迷惑はかからん (-人-)
>>423
その通りぢゃ。よく分かったのぅ (-人-)
>>424
「間引き」は必要ぢゃろう。その間引くべく対象を決めるのぢゃ
先天性の障害者、不治の万病人、後期高齢者などの医療介護依存者から間引け
即断 (-人-) >>430
お主のように人工透析を繰り返し、カテーテルとペースメーカーと
インシュリン投与に依存する者らは、たいていはこの和智の言葉を嫌うのぢゃ
武士は喰わねど爪楊枝、高楊枝で、お願いしますよっ (-人-) ♪ 鏡の前に立って、老いて醜く劣化した己の姿を見るのぢゃ
深い瞑想状態にあれば、その身体を「醜い」などとは思わぬぢゃろうが?
普段の心で見て計るのぢゃ。そこで「醜い」と思えたのならば
その判断を、未来ある子供らや若年層への「愛」へと昇華させることも
繁殖行為を繰り返し、後世に繋いで続けられる生命の、真っ当な判断であろう (-人-) >>429
> 人間はお互いが人間同士であれば、倫理道徳や民主主義、平等思想について
> 語り合う事もしばしあるが、蟻や鼠相手にはそんなことは話し掛けないのぢゃ
> つまり交渉とは、お互いの力量が拮抗してなければ行われない駆け引きである
> 現にお主の頭のなか、その心のなかには、蟻や鼠をさほどの量も心配してまい?
私はそれほど心配していませんが、逆に言えば蟻や鼠の心配をすることができる生物は人間くらいでしょ?
明らかに力量が下の動物に対しても、倫理や道徳を持ち込んで思いやるのも人間です。
度を越せばシーシェパードみたいになりますけどね。
人間には残虐性もありますが思いやりもあるんです。
それは私の理想ではなく、人間という動物の生態を客観視すればわかる事なんです。 倫理道徳、人道主義、理性固執は、我々の宝物ではないのぢゃ
「愛」こそが、我々の宝物である。腹に詰まった糞は、出してこそ健康になれる
子供は国家にとって美味しい食べ物ぢゃ。そして若者は喉を通る爽快感
成人は胃袋に収まった満腹感であり、その労務が象徴で吸収される栄養である
老人は大腸に詰まった糞ぢゃ。先天性の障害者や万病人は毒素も同然ぢゃ
トイレで気張ってひり出すのぢゃ。さもないとビョーキになるぞい、ビョーキ
(-人-) >>434
>度を越せばシーシェパードのようになる
ほれ、お主も十分に分かっておるではないか。和智の言うてることと同じぢゃ
適量に留めておくのぢゃ。(-人-) >>435
煽りじゃなく質問なんですけど。
人の生命とは国家を維持するためにあるものだと考えていますか?
そうであるなら国家は生命に勝るという理由が知りたいです。 いくら不健康に苦しむからとは言え、自らの命を絶つまでは、なかなか難しい
そこで容易に残りの寿命を断てる安楽死の無料施設があれば、それこそが
「思いやり」であり、同時に社会保障費の削減にもなるのぢゃ
医療利権の者らが文句を言う場合もあるが、その者らに愛などなく
金のなる木として、不健康な者らをそのように見とるだけぢゃ
和智のように感情や理念を上手にコントロールすれば一石二鳥で恩恵もたっぷり
(-人-) >>436
思いやりの度を越せば思い込みですがそれは理性が未熟だからです。
認識に我欲や感情や主観が影響することを自覚してありのままから物事を考えるのであれば度を越すことはありませんよね。
それが理性だと私は言っています。 >>437
そもそも、国家というモノの始まりは
1、人が1人で生きるよりも集団で「分業」した方が快適だから、集落が形成され
2、その集落が別の集落との意見相違で紛争を始めて、勝者の支配力が巨大化し
3、さらにその中規模の支配構造が別の支配構造と戦争して、勝者が国を造った
つまり国家とは「勝利者の支配構造に過ぎず、社会の基礎は分業体」である
そこに対して、被支配者である世俗の民衆どもが「民主主義 (笑)」だとか
「人権 (笑)」だとか、「弱者救済 (笑)」だとか、「社会保障 (笑)」だとか
「投票選挙 (笑)」だとか、調子こいて踏ん反り返って図々しく宣うのは
【チャンチャラ可笑しい話し】であり、そういう能書きをたれるのは愚民なのぢゃ
これで納得したかいの?カテーテルやペースメーカーが身体の中にあると
実によくない「結果マイナスのお荷物背負い続けさせ思考」が出てくるのぢゃ (-人-) 人の思いやりとして安楽死の無料施設を利用できねば、できぬ者が多ければ
戦争という激痛死が、ある一定時期の感覚でたびたび繰り返し起こるのぢゃ
どっちを選ぶのも自由ぢゃが?和智のオススメは安楽死ぢゃ。和智もそうする (-人-) >>432
「嫌う・嫌わない」ではない事実なんだよ 清々しく生き、清々しく言葉を述べ、清々しく日々を過ごし
死期が迫れば、笑顔で笑って見切りをつけ、清々しく死ぬのぢゃ
(-人-)〜♪ おそらく団塊Jr.世代の、40歳〜50歳の者らが多くこのスレッドに来るぢゃろ
和智もそうぢゃが?和智らのお先真っ暗な「老齢消化期間」を思うてみよ
和智の言うてることが、いかにラクな話しかがよく分かるぢゃろう
皆同じなのぢゃ。愚かな団塊世代の先人たちの真似などせずに、子供らを愛そう
(-人-) 「清々しく生き、清々しく死ぬべきだ」ではなく
人は「清々しくしかあり得ていない」
その事実に気付くことでしょう こじさんてうんこ菩薩?
でも鬼和尚も言う通り死んでしまっては修行も出来ないし次に何に産まれるかもわからないから、死ぬより修行して少しでも悟りの可能性に近づいた方が良いんだよね?
安楽死は悪ではないだろうけど悟りの可能性も知らずに死を選ぶ人が増えるのはどうなのかなとも思う。
日本で合法化されたら選択する人は老若男女多そう…日本人は恥の意識も強く自責の念も重いから… >>440
>国家とは「勝利者の支配構造に過ぎず、社会
>の基礎は分業体」
ピラミッド型とかトップダウンとか王国みたいな感じなのかな?、でもさ、そういう国が滅んで来たから民主主義なんじゃないの、現状は。 >>440
なんだかマルクスみたいですね。
始まりがこうだったから今でもこうだという展開されていますが、そこには因果関係の証明がありませんから論理的ではないですよ。
国家も諸行無常ですから権力も体制も変化しますから、権威主義や社会主義や民主主義やリベラルなどと移り変わっていくのが道理でしょ。 日本人は恥の文化で自責の念が強いだけではなく、「愛の民」なのぢゃ
他者に迷惑を掛けまいと死ぬのもそうぢゃが、そればかりではない
例えばこんな話しがある
「強姦被害の本当の犠牲者は、その話を聞かされた無関係の第三者の男」
強姦を受けた女は、多少は乱暴に扱われたかも知れぬが、多かれ少なかれ
その女は自分の身体の「需要価値」だけはしっかり認識できておるのぢゃ
また、強姦を行なった男は、そんな行為でしか女と交われぬ己の不甲斐なさを
多かれ少なかれ悔やんでおるのも間違いない。女に比べれば「需要価値」が低い
そしてその話を聞かされた無関係の第三者の男はと言うと
その女ほどの価値も無く、また強姦男ほどの行動力も無く、羨みもありきで
その怒りを募らせ葛藤することもあるのぢゃ。それはいよいよ無価値ぢゃからの
乳房の大きい女は、一生涯ずっとそのせいで肩凝りに悩まされるが?
その肩凝りの痛みよりも、自分の相手をする男を喜ばせる自信の表れから
乳房の小さい女に比べて、日々を満足げに笑顔で暮らしとるではないか
また、乳房の小さい女の自信のない表情も、心情が違うだけで愛ゆえの不満ぢゃ
そういう意味で日本人は「愛の民」なのぢゃ。愛ゆえに見切りをつけたい者らを
無理強いして延命させる必要はない。和智は別に貧乳死ねと言うとるのではなく
社会における己の「需要価値の乏しさ」で、後ろめたさに苦しむ者らに
最後の思いやりとしての安楽死の無料施設があった方が良かろう。と言うておる
(-人-) >>448
だから今はその民主主義の、ジレンマを不解消のまま放置される
その問題に向きあう時期であるのぢゃ。民主主義が完全でないから不満が残る (-人-) >>452 いってらっしゃいませ
安楽死施設には賛成なんだけど、いずれ行き過ぎて、ある程度の年齢来たら、早く死ねよ、みないな風潮が出て来たら、どうなんかな〜?、って思うかもな、儂は逝くつもりやけど… >>453
若い世代への、福祉医療介護援助支援の無理強いよりは、遥かにマシぢゃ (-人-) >>450
1つの社会で無価値の人たちには違う価値観の社会を作って与えればいいんじゃないでしょうか?
こじさんがどっかの村にでもそういうコミューンを作ればいいじゃない。
安楽死施設より簡単かと思いますがw 予め死ぬ年齢を決めてると、それまで有意義に生きるかも知らんし、そんな効果もあるかもな まあ、でもそんなシステムは、全く自然ではない、作られたシステムになっちゃうけどな(^^ 浄土宗・山崎弁栄聖者
ある浄土宗系の信者が、山崎弁栄聖者に自然科学全書といったふうな内容の本を差し上げた。部厚な本である。
すると弁栄は、その本を持って、その腹の所に親指を当てて、ピイーッとページを弾かれた。その人がわけを聞くと、弁栄は、「ハイ、これでわかりました」といわれた。
余りの不思議さに、その人は二、三カ所聞いてみると、弁栄は皆すらすら答えられた。これは大円鏡智の働きである。 >>424
そんな細かいこと気にしなくてもその内巨大隕石が落ちて絶滅するよ。
または氷河期に耐えられなくて激減。 浄土宗の内に光明主義があるのではなく、
光明主義の内に、
浄土宗あり、真宗あり、禅宗あり、真言宗あり、
またキリスト教あり、マホメット教がある。
したがってバイブルによって光明主義を説くこともできれば、
浄土真宗の教えによって光明主義を説くことできる。
弁栄聖者は実に破邪顕正ではなく、破邪なき顕正であった。
一切のものにそれではいけないこれが正しい、
というように破邪をおやりにならず、常に一切を生かされた。 博物学者・南方熊楠
常軌を逸した読書家であり、蔵書の豊富な家で100冊を越える本を見せてもらい、それを家に帰って記憶を元に書写するという能力をもっていた。
アメリカへ行ったころから様々な外国語を習得し、やがて18カ国に通じる。
語学習得の方法は「対訳本に目を通す、それから酒場に出向き周囲の会話から繰り返し出てくる言葉を覚える」の2つだけだった。 毎日近所の蔵書家を訪ねては、「和漢三才図会」や「本草綱目」「大和本草」などといった、当時の大百科事典や専門学術書を読みふけり、その部分をそっくり暗記した。
そして家に帰ると、一言一句、挿絵の細部にいたるまで正確に筆写したという。これが大げさな作り話でない証拠に、これらの筆写本の多くが現存している。
科学雑誌『ネイチャー』や『ノーツ・エンド・キリース』にしばしば論文を寄稿し、掲載され、欧米の学者に注目され、名声を高め、チャールズ・ダーウィン、ハーバード・スペンサーと並んで世界三大碩学のひとりと謳われました。
またロンドンでは孫文と親交を結びます。
世界18ヶ国語を操り、独特の宗教観を持ち、生物学から民俗学、大は天文学から小は細菌学まで、その見識の広さと深さは、その辺にいるような天才とはまったく格が違う。 神道宮司・小泉太志命
師は天覧試合にも出た程の剣の達人で、剣道では負け知らずの偉人である。
地元では、伊勢の生き神様と呼ばれ、天皇に関わろうとする邪霊を、剣祓いという秘儀で、折伏していた。
この人は、三キロ先から、来訪者の名前から素性を霊眼で知り、近づけないようにしてしまうという霊力の持ち主であった。 実業家・孫正義
朝鮮人集落で生まれ、豚や羊と生活をともにするような不衛生で貧しい中で、幼少期を過ごします。
孫は東大がいまだにマルクス一筋などレベルが低いことに失望し、アメリカの超名門・カリフォルニア工科大学バークレー校に入ります。
※2015年世界大学ランキングでカリフォルニア工科大学バークレー校は世界4位。東京大学は21位。
「毎日勉強の鬼になりました。勉強の虫じゃないですよ。そんな生易しいものじゃない。もう道を歩く時も風呂の中でも食事をする時でも、寝ている時の数時間以外は全て勉強すると。もちろん英語で」(留学生に向けたスピーチでの発言) 学生の孫は企業する資金を作るため、1日一つの発明アイディアを生むノルマを自身にかし、最終的に生み出した250個の発明アイディアから、
「音声付き自動翻訳機」を選ぶ。
学校内の優秀なアメリカトップクラスの教授たちを集めてプロジェクトチームを組み、ボスになる。
そして作られた自動翻訳機をシャープに売り込んで、1億円という大金を手にした。まだ孫が22歳の青年の話である。 理性の本質は「分別」。つまり、「分ける」こと。
「良い、悪い」とか「Aであるか 非Aであるか」などのもろもろの判断は理性によって生じる。
自然科学における外界に対する精緻な分析もすべて理性による分別作用が基礎にある。高度な
理性は脳が発達した高等動物にのみ存在すると考えられるが、
最も根本的な分別は 「自己、他者(外界)」「自分、他人」の分別である。したがって、全て
の生物は(動物も植物も)は理性の根本的要素を持っているのだ。
「理性」というものは個人や種族を保持するための基礎となるものであるが、「個人性を超える」
世界を知る為には障害となる。「理性」は<悟り>を得た者が他者に伝える時には非常に役に立つ
が、<悟り>を得る為には害あって益なしのゴミなようなものなのだ。
龍樹は「理性」を使って「理性を超える」道を教えたのであるが、それによって「悟り」に至る為
には釈尊の言葉に触れておくことが不可欠となる。龍樹の釈尊への崇拝の気持ちは死ぬ最期の日まで
非常に強かったが、それは釈尊の言葉に触れることがなければ「悟り」に至れなかったことを自覚
していたからだ。(仏教において薫習や聞法が重視されて来た理由もそこにある。)
西洋のカントも理性の限界を理解していたが、釈尊の教えに触れたことがなかった為に「悟りの門」
の一歩手前でとどまり、最後まで「悟り」の世界を知ることなくこの世を去ることになった。 >>466 マジレスさん 2018/02/15(木) 15:17:09.83 ID:RZqSQ3QO
> 理性の本質は「分別」。つまり、「分ける」こと。
言い切っていますが、これはあなたの個人的な見解ではないんですか? お前ら、つまらんこと書いて、スレを消化すんな!!! >>467
仏教哲学では常識的なことを書いたまでですよ。 詭弁ばかりですね。
仏教哲学において理性の本質が分別だという根拠をお願いします。
それが常識であるなら簡単なはずです。 り‐しょう〔‐シヤウ〕【理性】
仏語。宇宙万物の不変の本性。法性(ほっしょう)。また、普遍の真理。真如(しんにょ)。
ふん‐べつ【分別】
[名](スル)
1 道理をよくわきまえていること。また、物事の善悪・損得などをよく考えること。「分別のないことを言う」「よく分別して態度を決める」
2 仏語。もろもろの事理を思量し、識別する心の働き。
仏教哲学というのであればここに書いてある仏語の定義でいいんですよね。 >>470
仏教の勉強をしたことがないのですね。
少しでも仏教の専門書を読んだ人なら誰でもわかっていることですよ。
一般でも、「分別のある人=理性的な人」 と言うでしょう。
自分が無知でわからないことを、すべて 「詭弁だ」 で片付けていたら、
死ぬまで仏教はわかりませんよ。 >>471
仏教用語の理性(りしょう)は特殊用語であって、一般に思想を考える場合に使われることはありません。
西洋思想との関係で(また、一般に人生哲学を考える場合は)、理性は「りせい」であって「りしょう」
ではありません。そうでなければ、西洋哲学の人達と同じ土俵で議論することが出来なくなるでしょう。 >>472
あなたは自分の主張の根拠を“常識だから”って書いてるじゃないですか。
根拠にならないものを、根拠であるかのように扱うそれを詭弁と言うんですよ。
>>471
私は仏教哲学とか知りませんが、仏教で理性や分別と言えばどのような意味かは知っていました。
仏教哲学を勉強したあなたからすれば、もちろん仏語の定義でいいんですよね? >>473
西洋哲学と言っても理性が指すものは様々です。
あなたの理性の定義をお願いします。 西洋哲学や倫理学は悟りを知らない(迷いの中にある)人々が考えた理屈であって、
求道という観点からは学ぶ価値はありません。
仏教の立場から見れば、「理性=分別」 で十分であって、それ以外に意味を考えても
求道の上で役に立つものは何も出てきません。
どんなに西洋哲学を深く勉強しても「悟り」に到達することはありません。(カントと
それ以後の哲学者たちを見れば明らかでしょう。) のらりくらりと論点をそらしますねw
まぁいいですが、理性と分別が同じだとかいうのはもうやめたほうがいいですよw
一般的に使われる理性には道理、倫理、真理というニュアンスが含まれていますから理性は普遍的な正しい考え方という意味を持っているんですよ。
正しい考え方とは主観や感情や欲求に左右されずにありのままの認識による判断だということです。
例えば「俺はお腹が空いているが金がない。ちょうど目の前に飲食店がある。人間は食べなければ死んでしまう。生存したいという本能は何より大切である。よって、目の前の飲食店で食い逃げをすることは悪いことだとは言えない。これは道理にかなっている。」
こういうのを理性的だと普通は言いませんよね。
こういうのは理屈とか屁理屈とか言います。
要するに欲求や感情を正当化するための論理は理性的ではないんです。
理性というのは仏教でいうところの智慧に近いものですよ。 思考と感情の違いって何でしょうか?
瞑想や心理学とかではどちらも来ては去っていくものと書かれている場合が多いですが
これらを分けて捉えるメリットはありますか? 悟りの極意とは「それをただ観察すること」だけでよいのでしょうか?
他にも何かありますか? >>478
お主は、お主なりの屁理屈を大切に心に持って、メキシコや南アフリカに行き
そこでご高説を得意げに垂れて来れば良いのぢゃ。次の瞬間、四肢が胴体から
切り落とされてる場合が殆どでだと思うが、それもまた世界の有りの侭の一部ぢゃ
和智がメキシコの麻薬カルテルや南アフリカのゲリラだったら、そうしてるのぢゃ
(-人-) 犯罪や事件があることがつらいです
犯罪や事件がなくなることはないのでしょうか
犯罪や事件がなくなるようになるにはどうなればいいですか >>483
よくわかりませんけど、こじさんは私を殺したいということですか? 地震などの自然災害は、我々に対する地球の怒りなのでしょうか?
もしくは、地球に住まう、我々を見る神々の怒りなのでしょうか? >>481
思考は、脳内でいちいち言語変換されて論理的に言葉を羅列し整理しようとする
生じたかと思えば消え、消えたかと思えば生じるデムパなのぢゃ
感情は、快や不快を感じうる様々な心の状態のことぢゃ。思考が脳内デムパなら
感情は心の熱、温度に喩えても良かろう。心持ちの温かさやクールな冷たさなど
メリットは、あるんでないの?(-人-)
>>482
何も「ジャッジせずに」そのまま観察してれば良いのぢゃ
例えば、己の中に殺意が芽生えたら、その殺意に対しあれこれと
評価や判断のコメントを出さずに、そのままに観察するだけぢゃ (-人-) >>484
犯罪や事件など、見てて聞いてて不快に感じる出来事は世の中に沢山あるのぢゃ
またそういった犯罪や事件が無くなることなど、少なくとも地球には無いのぢゃ
それが地球環境の企画や仕様だと思うておれば良かろう
悪意のある無しに、高い所から滑落すれば大怪我を伴なう事故となり
人や物が動き続ける限りは、時おり衝突しては事件が発生し
人や動物に思考や感情がある限り、不足の事態が極まれば犯罪にも手を染めよう
それらを無くしたければ、世界中の核保有国の元首たちにでも頼んで
世界同時多発的な核戦争でも起こしてもらえば良いのぢゃ (-人-) ♪
>>485
理性や道徳や倫理を、真理とゴッチャにしてはいかんのぢゃ
その証拠に、お主自身が一向に悟れておらんのをお主自身がよく知っておろう?
(-人-) >>486
お主は、ほんの一時で良いから、自分のことを「ダニ」だと思うのぢゃ
そうして人間の身体を這い回っていたとしよう。だいたいお尻の辺りにぢゃ
ダニのお主は人間の尻の垢が大好きで、それを食べて生活しとるのぢゃ
すると突然、人間が屁を思いっきり放った。ダニのお主はその屁の勢いで
目が回り気が動転してしまったとする。そうしてこう思うのぢゃ
「人間が屁をこくのはダニに対する怒りの表れなのでしょうか?」
お主の質問の、しょーもなさをよく知るのぢゃ (-人-) >>488
悟りと真理は違うものでしょ?
真理は無いかもしれませんが、お釈迦様が智慧によって説いた教えは現代日本の道徳観や倫理観につながっていますよ?
道徳観や倫理観を基にするのが理性なのですから、それを頑なに否定しようとするのはなぜでしょうか。
私は悟りに理性が必要だとかそういう話はしてません。
悟りと理性が関係あるかどうか私にはわかりません。 こじさんのかなしみ、わたしには分かります。
まぁ誰にでもあるものだよね。
自然災害は神々の意思を感じるのですが、神々にも感情などはあるのでしょうか? >>490
真理を「知覚」することが悟りぢゃ。それは言葉や理屈ではなく体感で知れる
真理とはこの世の現象はすべて実体性においては無であり
物理的、力学的にはすべて有。つまり現象への囚われの無意味さを知れるものぢゃ
それを知覚し、体得した者らを目覚めた者、覚者といい、その者らの教えが智慧
釈迦牟尼仏も覚者であり、釈迦牟尼仏が説いた智慧の教えは、道徳や倫理に対し
固執することを促したものではなく、そういったものへの囚われも苦の捏造だと
無の観点から見た智慧の教えを施していたはずぢゃ。こうして人心は解放される
和智が倫理や道徳を否定的に語るのは、覚者の教えを100%理解できに者らが
「智慧の教えとは、これこれこういうももだ」と思い込み
それを自分なりにアレンジし勝手に「倫理道徳的な教え」に変えてしまうからぢゃ
そうなると、いくらその教えを聞いたとしても、人心は一向に解放されまい?
美徳であるはずの倫理や道徳が、人心を縛り括る足枷にしかならぬからぢゃ
例えば「人権」についてぢゃ。誰だって人権を守られれば心地よいし
蔑ろに扱われれば不快であろう?しかし、それをどうこうするのも人の自由ぢゃ
そして先ず第一に「人権」は、それを個人的に尊重するからこそ美徳であって
主張するだけでは単なる他者への抑圧思想に過ぎぬのぢゃ。人種差別とかもの
(-人-) >>491
天の声
「ダニよ、人間にも感情はあるが、屁を放ったのは単なる生理現象ぢゃ」(-人-) 良識人「私は必ずしも同意や同調はしませんが、あなたの意見を尊重しますよ」
↑ 素晴らしい!
黒人「黒人差別するな!」← うるせぇ
障害者「障害者差別するな!」← 死ね
貧乏人「平等人権、格差是正!」← アホ
(-人-) >>492
こじさんは現象への囚われが無くなった後に真理を体感しましたか?
私は突然の体感があってから現象に囚われていたことに気づきましたので、囚われが悟りの足枷になるのかどうか自分ではわかりません。
苦を滅するという悟りを得るには囚われが足枷になるんですかね。
>物理的、力学的にはすべて有
私にはこの意味がわからないので、こじさんの体感とは違うかもしれませんが。 こじさんは、こじはるファンだからこじさんなのですか?
こじさんも、名字がこじまさんなのですか? >>497
真理を知覚できたから、現象への囚われが消えたのぢゃ
内観的な意味で、苦をすべて滅するには凡ゆる囚われに気づき剥がさねばならん
形而上のものは実体性がなく、消滅を繰り返す反応の流れ、五蘊にすぎんから無
物質や力学的なエネルギーは、状態としては確かに存在するから有なのぢゃ
簡単に言えば、人間や動物の肉体は、確かに有る。動くこともできる
しかし霊魂だとか幽霊だとかは単なる妄想であって、そのような実態は無ぢゃ (-人-) >>498
乞食の覚者という意味ぢゃ
こじはるは髪をポニーテールに結ぶと、耳で空を飛んで行きそうなのぢゃ (-人-) 和智は大久保佳代子のファンで、好きな食べ物はヌカ漬け
見てて気兼ねする必要のないブスさが◎、全頭マスクを被せてみたいのぢゃ
(-人-) ♪ >>374 おぬしやおぬしの家族友人などが殺されては嫌だからなのじゃ。
お釈迦様もわが身に引き比べて殺してはいかんというのじゃ。
それが共通の原則なのじゃ。
>>391 自他の区別を超えることなのじゃ。
それでこそ愛なのじゃ。
孤独や寂しさもなくなるのじや。
>>411 それは誇張された像なのじゃ。
シュメール人の姿形は今の人間と同じなのじゃ。
安心して瞑想に励むのじゃ。
>>412 ないのじゃ。
平常なのじゃ。
恐れる主体がないのじゃ。
あるじゃろう。
修行に励んで恐れから抜け出すとよいのじゃ。
>>481 感情は刺激への反応なのじゃ。
思考はその反応への反応なのじゃ。
どちらかに執着していれば詳細に観察する事で厭離できるのじゃ。
>>482 悟るための極意なのじゃ。
ただひたすらに続けることなのじゃ。
続けた者が完成するのじゃ。
>>484 ないのじゃ。
おぬしが悟ればなくなるのじゃ。
精進あるのみなのじゃ。
>>486 ただの変化の一部なのじゃ。
そのような神はいないのじゃ。
悟れば囚われなくなるじゃろう。 >>477
分別=理性?
分別には表層心(唯識でいう前六識)で起きるものと、深層心(末那識、阿頼耶識)で起きるものがあり、理性は表層心(第六識「意識」)で起きる分別の一部なんだけど?
あんた、何言ってんの? >>478
>理性と分別が同じだとかいうのは・・・・
理性=分別 であることが理解できない限り、「悟り」はわかりませんよ。
(仏教哲学では常識です。鈴木大拙の本でも読んでごらん。)
>一般的に使われる理性には道理、倫理、真理というニュアンスが含まれていますから理性は普遍的な正しい考え方という意味を持っているんですよ。
それは、「悟り」を知らない人達の間でだけ通用する煩悩世界での常識なのです。
>理性というのは仏教でいうところの智慧に近いものですよ。
それを妄想と言います。仏教哲学の専門書でも読んで勉強しましょう。
哲学を志向する若者は
「悟ってもいない学者達が考えた思想を体系化して頭に入れたい」のか、
「悟りを得て安心(あんじん)を得たい」のか、
先ずそのことを決めてから勉強を始めることが大切です。
前者なら西洋哲学を学び、後者なら仏教哲学を学ぶことです。 プロティノス
ネオプラトニズムの創始者といわれる哲学者。
万物(霊魂、物質)は無限の存在である「一者」から流出した理性の働きによるものである。一者は有限の存在である万物とは別の存在で、一者自身は流出によって何ら変化・増減することはない。
また、人間は「一者」への愛(エロス)によって「一者」に回帰することができる。一者と合一し、忘我の状態に達することをエクスタシスという。
ただし、エクスタシスに至るのは、ごく稀に、少数の人間ができることである。プロティノス自身は生涯に4度ばかり体験したという。 スウェーデンボルグ
スウェーデンの科学者・神秘思想化
とてつもない人物で、生理学上の研究や、現在の原子物理学に匹敵する物理学上の研究、哲学、心理学など、多様な分野で多くの研究成果を残した大天才、貴族であり議員であった。
彼が精通した学問は、数学・物理学・天文学・宇宙科学・鉱物学・化学・冶金学・解剖学・生理学・地質学・自然史学・結晶学など多様。
57歳のとき、イエス・キリストの神霊と出会い、「霊界を証明せよ」という啓示を受け、生きながらにして霊界の様子を観る事ができるようになる。
世界的学者の変貌ぶりに、世界中の著名な人からも注目され、大哲学者カントからさえも批判を受けることになった。 >>505
【理性】(りせい)
道理によって物事を判断する心の働き。また、善悪・真偽などを正当に判断し、道徳や義務の意識を自分に与える能力。
理性の由来・語源
英語reasonまたはドイツ語Vernuntの訳語。明治初期、西周(あまね)が哲学用語として用いた。
ちなみに、仏教語では「りしょう」と読み、変わらない存在の本性、普遍の真理などを意味する。 ちえ【知恵・智慧・智恵】
@ 〘仏〙 空など仏教の真理に即して、正しく物事を認識し判断する能力。これによって執着や愛憎などの煩悩ぼんのうを消滅させることができる。六波羅蜜の一つ。般若はんにや。 《智慧》
2 (智慧)仏語。相対世界に向かう働きの智と、悟りを導く精神作用の慧。物事をありのままに把握し、真理を見極める認識力。 カール・グスタフ・ユング
スイスの心理学者。
ジークムント・フロイトの『夢判断』に触れ、親交を開始。
1911年には国際精神分析協会を設立し、その初代会長になる。フロイトでなくユングなのは、ユダヤ人以外を会長に選ぶ目的があったため。
ユングは自分自身の無意識の暗い底へ飛び込み、「宇宙の深淵のふち」に立ち、
夢の中で、牡牛の角が生えカワセミの翼を持つ老人と哲学的な議論を交わし始める。
いろいろな古代神話の象徴体系の底に共通の心理的基盤があることを知る。
個人的な意識の底に無意識が存在し、さらにその奥に「集合的な無意識」があることを突き止める。 >>509
君は何かい、そんな辞典の「智慧」の定義を読めば「智慧」がわかるとでも思っているのかい?
そんなことで「智慧」がわかるのなら、昔から誰も命懸けの修行などしていないでしょう。
そもそも、そんな辞典を編集している学者は悟りを知らない人ばかりだということも知っていた方がよい。
それと、イマヌエル・スウェーデンボルグを日本に初めて翻訳・紹介したのは鈴木大拙博士で、
大拙博士は「ワシは出版社に頼まれたから翻訳しただけで、内容には興味はない」とよく言って
いたのです。悟った人間には「宗教体験」と「神秘体験」の違いがわかるので、大拙博士が
スウェーデンボルグに興味を持たなかったのは当然なのです。
C・G・ユングは仏教の唯識思想を知って、それを分析心理学と関連付けられると思い、
「集合的無意識」などという概念を作ってはみたものの、何の「悟り」も持っていないユングに
何ができるわけもなく、結局、治療には役に立たない妄想理論に終わってしまったのです。
日本の河合隼雄はスイスに留学までしてユング派の分析家の資格を取ったが、やはり患者が治る
ことはほとんどなかったので、最後は文化人として活動しただけの人でしたね。 たとえば、「お前はこの律と法を知らぬ、我はこの律と法を知っている。
お前にはとてもこの律と法を知ることはできまい」とか、
「お前のすることは間違っている。私のすることは正しい」とか、
「私の言い方が正しい。そなたの言い方は正しくない」とか、
「そなたの言論は微塵に打ち砕かれた」とかいうがごとく、
争論のことに夢中になっているものがあるが、そのような争論も慎む。
これもまた、修行者の戒のひとつである。
釈迦 なにもわからぬ無知な者は、もともと智の働きがないので、表面に現れるものもない。
また、はるかに深い所まで到達した智恵は、もはや決して表面に出ることもない。
単なる物知り、理屈屋は、知っていることをひけらかそうとして、表に出すので、
滑稽なことになる。
近頃の仏教徒の様子など、さぞ、みっともないとお思いになるでしょう。 恥ずかしく存じます。
沢庵 さまざまな経典を読みあさり、それをぺらぺらと説き散らして高僧ぶってはいるが、
内心はさながら夜叉。
常に妄念妄想のために心は騒がしくうるさいばかりである。
ちょっとした議論や、日常の吉凶栄辱にも煩悩、邪見が次から次へと競い起こってくる。
これらはすべて、取るに足らぬ小見にうぬぼれて、聞きかじりの学問が少しばかりあるのを誇って、
それを大それた境地と思い上がっている連中の成れの果てである。
白隠 学問があると他人を軽蔑して優劣を争い、主我的な迷いを深め、地獄行きの業を増長する。
善星比丘などは、釈尊の説法を全部理解していたが、生きながらにして地獄に堕ち、この広い大地に身の置場すらなかった。
臨済 >>512 >>513 >>514 >>515
そのような文章の引用をしなければ、相手を批判して自分を正当化できないところに、
君が何もわかっていないことが表れているのです。
相手の言っていることを批判したいのであれば、きちんと自分の言葉で説明しなければ
いけません。
(そのような引用は、議論をしているどちら側も自分の都合の良いように使えるものなので、
何の意味もないのですよ。) 書き込む動機、息切れ、きつけ
に、キューシン、キューシン♪
救心 >>466 は、正しいのぢゃ。凡夫がいう理性など自と他の分別、隔てから生じた
思慮、配慮に過ぎず、普遍にある真理を知る上では妨げとなるものと書いとる
(-人-) 釈迦が用いたのはいわゆるマガダ語。マガダ地方の方言。
原始仏教のパーリ仏典は、部派仏教時代に使われていた俗語の1つであり、西インド系の、より具体的にはウッジャイン周辺で用いられたピシャーチャ語の一種であると推定されるパーリ語で書かれている。
それがラテン語のような高級文章であるサンスクリット語になり、アビダルマ教学、瑜伽行唯識学派によって哲学化していった。
それが中国語化され、中国思想と融合し、そして日本語にされ、理性だの智慧だのと言われるようになった。
それらの概念は釈迦没後数百年後の弟子たちが作った概念にすぎない。 インドの当時は仏教などといっていません。ブッタ・ストラーといっています。
神理への道という意味です。
これがインドで概念化され、中国へ渡ってくるに従って仏教という一つの固定した枠の中に入ってきたのです。 中国及び日本における仏教は、大乗教典を依教としており、その考えが常識となっています。
この大乗仏教というのはいつできたかと申しますと、釈尊が入滅して五百年の後の紀元前後に誕生しているのです。
時の論師、文学者、哲学者など、こういう人々が仏の教えを宗教的に神秘化し、文学的に美化し、哲学的に絶対化理論化してゆく、こうした行き方が、当時の流行の中の思想に応じた教典となってしまったのです。 古代の仏教は、これが非常に解りやすく、素直に説かれています。
その一例を上げますと「ゴーダマ様が風邪をひかれて非常にお困りになっている」とか、ある時は「大へん腰が痛いので横になりたいとおっしゃっている」
「バラモン婆羅門にどなり込まれて、ただ黙ってその罵声を聞いておられる」このようなものも説かれているのです。
托鉢に出られて一日中回られたのに、一粒の供米もなく、とぼとぼ帰路につくゴータマの姿もあります。 しかし、信仰がいろいろの分派にわかれて、また婆羅門教やその他とその優劣を競わなければならない必要上、
我々と同じ人間としてのゴーダマが説いた教えを最高度に美化し、哲学化し、
これを説かれたゴータマを完全無欠、金ピカの釈迦如来に仕立て上げたのです。 汝らがもし、仏を愛し、凡夫を憎むようなら、迷いの苦海に浮きつ沈みつ果てしがないであろう。
(臨済録) 外歩いて食い物もらったりくらい真似出来るんだからやってみたら良いと思うけどな、それをしたことで自分がどんなことを感じて何を思うかが、即わかるし、自分にとってどう言うことなのかがとても簡単にわかると思う >>519 >>520 >>521 >>522 >>523 >>524
君は病気なのかな?
知ったかぶりをしてデタラメを書いてでも自分の空虚なプライドを守ろうと必死に
なっているんだね。
パーリ語はサンスクリットが俗語化されてできた言葉ですよ。
だから、パーリ語を学んでもサンスクリットは読めないが、サンスクリットを
学べばパーリ語は簡単に読めるようになるのです。
大学の印度哲学科や仏教学科ではサンスクリットは徹底的に詳しく勉強させられます。
そうすると、パーリ語は少しの勉強で済むようになるからです。(逆はありません。)
また、ブッダというのはボドとも言い、目覚めた者という意味ですよ。
「仏教」というものは「目覚めた者の教え」という意味です。
ブッタ・ストラー(神理への道)などというのは、オカルト教の高橋信次が言い出した
デタラメであって、仏教学の専門家でそんな馬鹿な解釈をする人は誰もいません。
(高橋信次のGLAは大川隆法の幸福の科学のようなもので、まともな「仏教」と呼べるもの
ではありません。)
大乗仏教に対する理解もまったくデタラメで話になりませんね。
明治時代にヨーロッパから入って来た「大乗非仏説論」にうろたえたのは「悟り」や「救い」
を持っていなかった僧侶や一般の知識人だけで、大乗各宗派の指導者達は大乗仏教によって
「悟り」や「救い」を得ていたので、何も動揺することがなかったことは誰でも知っていること
です。だから、日本仏教の中心は昔も今も大乗仏教であって、何ら動揺やぶれがないまま受け継が
れて来た現実があるのです。
(今でも大乗仏教は釈尊の教えではないと騒いでいる者は、悟りも救いも知らない一部の学者や
門外漢だけなのです。)
君はやたらと「理性」にこだわっていたから西洋哲学を勉強している学生かと思ったら、なんと
GLAというオカルト教の信者だったんだね。それで、君のこれまでのデタラメな書き込みの理由が
すべて納得できました。もう、まともに相手にする必要を感じないのでこれで終わりとします。 >>526
いや、お前も十二分に胡散臭いし、文章に知性も悟性感じないなw
てか、この流れ変だな?
何を必死になってるんだw
ゴミカスどもは所詮ゴミカスなんだから、身の程を弁えてレスしろ。 >>527
お前はいつもの、「ただ他人をけなすだけで内容的なことは何も書かない馬鹿男」だな。
内容的なことを書くと馬鹿であることがバレるから決して書かない。そして、自分の
コンプレックスに触るものがあったら、相手の人格を否定する書き込みをして鬱憤を晴らして
いる陰湿な人間、それがお前だ。
他人についてどうこう言う前に、お前のその低劣な心根をよく反省することが大切だな。
私が彼(ID:4U82Fxf+)を批判しているのは、彼がデタラメを書いているから、間違って
信じてしまう人が出ないようにと思ってのことだ。
(内容について何も書かないで、ただ人をけなすだけのお前と一緒にしてはいけないよ。) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています