悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】61
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悟りを開いた人=ブッダのことで、仏教的人生相談になります。
仏教の議論は宗教板で。ここは、あくまでも人生相談スレです。
◆利用者のみなさんへ
・人生相談板では 相談すること、それに答えること このやりとりが大事です。
独り言や自説の主張・雑談・馴れ合いなどは禁止です。各々の専門板へ。
・何度も書き込む場合は最初に書き込んだ時のレス番号を名前欄に書いておいてください。
・相談はなるべく詳しく明確に書きましょう。(できれば年齢や性別も。)
では、どうぞ。
※前スレ
悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】60
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1513819266/ >>343
>鬼和尚が煩悩に囚われていたからと伝えたかったのならそう書くはずだから
だから、そう書かなかったということは鬼和尚の認識が間違っていたということなのです。 >>321
今も動物と同じ程度ってのは変わりないんじゃないかなあ。
形は変わっても本質は同じで人間は全然頭良くなってないと思う。
(バカだから自分は頭がいいと思い込みたがる。ある意味高度な思い込みではある)。
まあ数千年単位じゃ普通は進化なんかほとんどしないと思うよ。 >>346
「進化していない」ことを前提で話していることも理解できない偽和尚は口を挟まない方がいい。 >>344
哺乳類の動物は大体家族を大事にしますよ。 >>348
小学生なの?
「独裁者でも、残虐な行為をする時以外は他の普通の人間と同じ感情を持って生活している」
から 「動物と同じ程度の感情しかない」ということはない、と言っているのですよ。
もう、馬鹿らしいので、これで終わりにしておきます。 終了。 >>341
>残虐行為もすべて煩悩のなせる技だということです。
すべてというのは違和感がありますが、煩悩のままに行動するというのは動物的だと思いますが?
煩悩とは動物的欲求です。
人間は動物的欲求とは別に理性があります。
理性に従うのは人間的であり煩悩に従うのは動物的です。
煩悩のままに残虐行為を行う者は「動物程度の感情しかない」で何も間違っていないと思いますが? >>349
> 「独裁者でも、残虐な行為をする時以外は他の普通の人間と同じ感情を持って生活している」
普通の人は残虐な行為ができません。なぜなら理性がありますから。
動物でも残虐な行為をする時以外は食べて排泄して寝て、それほど人間と変わらないと思いますが。
人間と動物の決定的な違いは理性なんですよ? >>347
いや、だから進化してないんだよ。今もそのまま。だって実際今も残虐なままじゃない。何か高度になったっていう思い込みがあるだけで。 >>349
感情レベルは低くとも知能さえあれば他人とコミュニケーションはとれますよ。
独裁者の場合は感情というか正義のためとかの洗脳状態に近いんじゃないですかね。
サイコパスとか考えられないような児童虐待する人は哺乳類ですらなく爬虫類レベルの感情なのだと思います。 >>351
> 普通の人は残虐な行為ができません。なぜなら理性がありますから。
んなこたなかろう。戦争やりまくってるし死刑もなくならなってないし、例え制度としてなくして押さえ込んだって殺したいって感情は出てき続けるんだから何も変わってないよ。押さえ込むの止めたら吹き出すんだから。
人間はちょっと道具を多く使えるようになっただけのただの動物だ。 >>353
こう言ったら爬虫類に失礼だったので撤回します…
チンパンジーと人間の感情はそう変わらなそう >>354
> 戦争やりまくってるし
戦争は残虐ですか?
残虐にならないように戦争にも国際ルールがありますよね。
>死刑もなくならなってないし
死刑は残虐ですか?
死刑囚が苦しまないようにする配慮がありますよね。
>例え制度としてなくして押さえ込んだって殺したいって感情は出てき続けるんだから何も変わってないよ。
感情を押さえ込むのが人間でしょう。
何も変わっていないのかどうかはわかりませんが。
基本的には変わっていないでしょうね。
>押さえ込むの止めたら吹き出すんだから。
押さえ込むのを止めるのは人間的ではなく動物的になりますよね。
> 人間はちょっと道具を多く使えるようになっただけのただの動物だ。
人間は動物ですが、他の動物との違いはわかちあいや思いやりがあるという部分です。
動物と人間を分けるのであれば、理性こそが人間です。 もう少し仏教的な視座から見てはどうでしょうかね?
「心」とは仏教でいうところの八識の第六識「意識」に該当します。
勿論、その構成に変化がない事は言うまでもありません。
そのうえで、「心」というものは刹那に生滅を繰り返すもので、恒常・不変のものではなく、
依他起性のものではないのですか?
天台では、一念三千といい一念にも三千世界(諸法)が具われていると云うじゃないですか?
唯識でも、「種子生現行、現行熏種子、三法展転、因果同時」と云うじゃないですか?
華厳でも、重重無尽縁起と云うじゃないですか?
変化があまり無い、進化している、動物的・・・
「これだ」という捉え方はどうも私には常見的に思えるんですが。
縁起の理の中で「心」を捉えないと…。 >>357
仏教的には、動物の心はどう捉えられているのですか?
畜生界というものがありますよね。
仏教的に捉えると、姿形は人間であっても、心は畜生であったり地獄であったりする、
ということなのでしょうかね。 >>358
個の保存や種の保存で説明出来ないわかちあいは人間にしか無いとされています。
自分のお腹が空いているのに野良猫に食べ物をあげたりするような行為ですね。 >>360
それはミラーニューロンが猿より少し多目にあるからかも知れないな。その分だけ相手のことがわかると。
しかしそれは群を作る性質のある生き物なら自然に増えていくように思う(何万年という単位での進化ね)。
その方が生存率高まるから。 >>359
動物のそれは勉強不足で分かりませんが、一念の中にも地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界
・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界の十界が具足されてると云いますからね。 >>361
そうかもしれませんね。
未来はわかりませんが現時点での人間とその他の動物との大きな違いはそこにあります。
ですから人間らしい心とは何かと考えるなら、思いやりや分かち合いということだと思います。
それが自然選択によるものだとしてもです。 そもそも、「心」の変化を論じるのなら、どこかに基準点を設けないとね。
それと「心」が「心」の進化云々を論じるって、どんなもんかねぇ。
論じる「心」がその論じられる「心」なわけでしょ?
「心」は人間の進化の過程で生存に適するために造られたって言うけどね。
と仮定すれば、作られた時よりその「心」は生存に適するために変化を遂げたか?
そりゃ科学や医学、いろいろな学問が発達し、生存に適する環境は整ったけど、
とどのつまり、根本的な存在の問題についてはどうなのかねぇ…
これから先だって、AIや臓器移植、人口生命体等、根本的な存在に関わる
新たな問題に直面すると思うけどね。 >>358
お釈迦様はうさぎの時に自分を食べてもらおうと火の中に飛び込んだらしいので、もしかしたら動物にもあるのかもしれません。 >>363
いや、大きな違いじゃないと思うよ。人間だけ突出してるんじゃなくて類人猿やチンパンジーみたいなのとなだらかに地続きなんじゃないの?遺伝子もたいして違わないし。群で生活するのも同じだし。 >>364
仏教では存在を作るのは心でしょうから根本的なのは心では?
糞凡夫さんは唯物論者ですか? >>367
仏教(唯識)では、根本識として阿頼耶識を設定し、他の七識をその転識といってますけどね。
第六識である「意識(=心)」も阿頼耶識の転識って事だそうで。
「心(第六識「意識」)」は阿頼耶識の変成として現れたもの(という表現が適当かどうかw)。
であれば、人類としての進化「心の生成」も元は阿頼耶識の成せる(?)業なんでしょうね。
もっとも、その阿頼耶識自体も刹那生滅し依他起性のものであり、無始無終で恒常不変ではないのですから。
仏教は奥が深いw >>367
> 糞凡夫さんは唯物論者ですか?
何でしょうね、わかりませんw >>366
類人猿と人間は似てる部分がかなりありますよね。
チンパンジーなんかは他の動物には見られないような、ある意味では人間のような残虐さを持っていますよね。
ボノボと人間もとてもよく似てますが、利害関係なく分かち合うというのはボノボにもありません。人間だけです。
その分かち合いや理性をどれだけ重要視するかによって大きな違いだったり小さな違いだったりするのでしょうが、私としてはそれが大きな違いだと思っているという事です。 >>366
過去にチンパンジーの生態を調べている時にチンパンジーの残虐性にすごくショックを受けたことがあって、人間とチンパンジーの違いを考えたことがあったんです。
人間が猿から進化したのであれば、人間はもともと残虐な性質を持っているんじゃないかと思ったんです。
それで何が違うのかを調べているうちに、分かち合いということに繋がりました。 >>321 それを進化と感じるのは今の状態が進んだものという価値観からなのじゃ。
スパルタの人ならば逆に軟弱に退化したとみるかもしれん。
連続殺人犯を多く知る警察官などは人は全く変らないのだとみるかもしれん。
今でも何人も平気で害する者がいるからのう。
>>323 自ら書いてある通りに、それはおぬしの寂しさや孤独感から起きているものじゃ。
寂しさや孤独感から他人と関係を断つのが非情に思うのじゃ。
それらが自らの心に有ることをただ観察するのじゃ。
原因がわかるならば、原因から観察するのじゃ。
そうすれば寂しさや孤独感は消えるのじゃ。
そして寂しさや孤独感からではなく他人に親切にするがよいのじゃ。
それが真の善事なのじゃ。
>>326>>327 よい気付きなのじゃ。
しかし、それを生存本能とみなくてよいのじゃ。
ただそれが心の働きとして有ると観察するのじゃ。
歪んだ思いも正さなくて良いのじゃ。
何も問われていないのじゃ。
ただありのままに観察し続けるのじゃ。
そうすれば厭離がおこり、心は整えられていくのじゃ。
精進あるのみなのじや。
>>330 よくあることじゃ。
この前は良く出ると思ったらバブじゃった。
バブ味がしたのじゃな。 鬼和尚はなぜ人を殺していけないとおもいますか?
世界の常識では神が禁じているから、で簡単なそうですが
日本的にはブッダが禁止しているから、でいいでしょうか? >>351
>人間と動物の決定的な違いは理性なんですよ?
それ、何かの教科書で読んだの? レベルが低すぎるよ。
理性によって煩悩を抑えているなどと考えているようでは
宗教の「し」の字もわからないでしょう。
本当を言えば、「煩悩」などないのです。あなたの好きな「理性」
を使うなら、「理性」が「煩悩」を作っているのです。
まあ、これからもっと仏教書をたくさん読んで勉強して下さい。 >>376
詭弁? 中学生なの?
仏教を含めた東洋哲学では常識中の常識ですよ。 ちなみに思考と理性は違うからね。
混同しないように。 マウントじじいは視野が狭く頭が固く独りよがりなオナニー野郎
糞凡愚と同類 >>380
お前は内容のあることは書かずに(書けずに)、いつもただ他人をけなすだけだな。
少しは内容のある反論をしてみろ。(ガキじゃないのなら。) 人を殺しちゃいけない、というのはマインドに過ぎんのぢゃ
囚われずに上手くコントロールすれば良かろう?
例えば、若者を大勢殺して年寄りばかりの国になったらどう思う?
未来がない。活気もない。魅力もない。医療依存ばかりで社会保障がパンクする
例えば、男ばかりを殺して女だらけの国になったら、それは良いかも知れん
男は少人数さえいれば子種は幾らでもひり出せるからのぅ
例えば戦争が起きれば、戦火を受けた国は初めは無差別に人が死ぬが
戦況対応が整いだすと、まず年寄りが逃げ遅れて死に、男は戦闘に出て死ぬ
こうなればいい感じに余剰人口が削減されてくれよる。老朽化した家屋も焼ける
戦後は復興事業が盛況し、人間の世代交代もスムーズに進む
しかし無駄に市民を生かしておけば難民となって何処ぞの国の煩いとなる
為政者ならば、このように考えても可笑しくはあるまい?
良かれ悪かれ心に「囚われ」があるうちは、人は悟れんのぢゃよ
人殺しについての話題を、食べ物についての話題にすり替えてみればよい
この世の全ての食べ物は、基本的には「毒物」ぢゃ。その全てに致死量がある
つまり栄養も食い過ぎれば身体の毒になる。水だって一度に10g飲めば死ぬ
酸素だって吸い過ぎれば酸素酔いする。なんでも「加減」が大切ぢゃわな
では人殺しの話題に戻すとしよう。それが良くないと言うのは「倫理観」ぢゃ
この倫理観もまた、加減が必要であって闇雲に固執すれば良いってモンではない
これで心のマインドが消えて自由に解放されたかね?(-人-) 例えば、どこぞの坊主が「一切衆生を殺めてはならん」に固執しても
精進料理で使われる植物だって生き物ぢゃ。衆生である
風呂場に生えた黒カビだって生きておる。衆生である
植物にも心があり、脳と同様の器官があって思考してるのぢゃ
それで「一切衆生を不殺生」に生きるなら、そ奴の命は数日と持つまいのぅ (-人-) オツムの出来が悪く、思考や感情のコントロールが下手くそな凡夫の行動を
ある一定水準に規制しておく上では、不殺生マインドも必要ではあるが?
ただそれだけの必要性ってだけのことなのぢゃよ (-人-) 子供が飢えて苦しみ、母親と無理心中する様子を想像してみぃ
老人が病に苦しみ、病院にも行けずに部屋で孤独死する様子を想像してみぃ
どちらかの現象を起こさねばならぬ状況になったら、お主らはどちらを選ぶか?
若者がホームレスの老人をバットで撲殺する様子を想像してみぃ
老人が車で子供を轢き殺し、遺族が悲しみに暮れる様子を想像してみぃ
どちらかの現象を起こさねばならぬ状況になったら、お主らはどちらを選ぶか?
どちらが未来に繋がると思うか?
どちらが精神的な負担が少ないか?
人倫への囚われを解き、それらを心の天秤にかけてみれば良かろう (-人-) >>385
非常に多かろう。そうでなくとも当たり障りのない建前を述べる、とかのぅ (-人-) 人は「愛」が大切ぢゃ。その愛が優柔不断であってはロクな判断はできまいのぅ
(-人-) バカに刃物を持たせない為に、修行中の坊主が刃物を持たぬのぢゃ
和智は正しく扱えるぞい。お主らはどうかね?まだ刃物を持てない修行中かね?
(-人-)〜♪ ああ、あともう一つ重要なことぢゃ
堕胎手術が行われる状況を想像してみてくれ。不要と見なされた極小の胎児が
棒で掻き出される様子を想像してみてくれ。血の池に浮かぶ胎児をぢゃ
それが健常な胎児であったらどう思う?
それが先天性の遺伝失陥な胎児であったらどう思う?
どちらの胎児も子宮の中で「嫌がる」が?心の天秤にかけてみてくれ (-人-) >>391
それは普遍性であるが、ただそればかりではない。物理的に形を成す物があれば
普遍の愛の中でも「進化は自然な流れ」である。これに抗っては不適合な廃棄物
動物の「子殺し」について調べてみよ。そのすべてが障害個体に向けられとる
つまり排他ぢゃが?これも普遍の愛がある世の自然な流れの一部ぢゃ (-人-) 動物の親は、無償の愛を子に注ぎ、時には捕食動物にさえ牙を剥いて子を守る
いまの日本の社会のように、子に親の老後の面倒を見させたりせずに繋いで逝く
しかし親は、障害個体に対しては容赦なく子殺しや育児放棄もする (-人-) >>351
>人間と動物の決定的な違いは理性なんですよ?
アドルフ=ポルトマンの「人間はどこまで動物か」(岩波新書)を読むのじゃ。
他の動物の赤ちゃんは大体が生まれてすぐに動くことができるのじゃ。
しかし、人間は生後1年間は立つ事もできないのじゃ。
生理的に早産なのじゃ。
そこが他の動物と決定的に違うのじゃ。 悟りは「哲学ではない」「思考ではない」が、それを得るまでの道は
まさに哲学だと言える。未だ悟れぬ者らの修行過程は一種の人生哲学ぢゃ
これを踏まえ、仏教を東洋哲学としよう。東洋哲学の本懐は「教え」である
それは、いかに生きるか?が目的の哲学的な教えなのぢゃ。疲れた者が惹かれる
逆に西洋哲学は「学び」であり、論理的な熟考により最適な答えを導き出すもの
このことが西欧の物質文明を進歩、発展させるに至り、戦争の勝ち組となった
東洋文化は戦争の負け組である。今も劣後な立ち位置におり従属を強いられてる
言うなれば、人が悟ったところで、その者の心がラクになるだけで未来は開けぬ
過去七仏から始まる、多くの覚者が「乞食」であることを見れば一目瞭然である
仏徒のなかには「進化を否定する者」も多く居るぢゃろう
それは進化に囚われて己を否定的に思いたくない心情から、そう思わせてる
結果は歴史が物語る通りぢゃ。アジア諸国の東洋文明は、幾多の戦争で敗北した
子供らに「敗北と従属の運命」を背負わせたくば、それで納得しておればよい
(-人-) >>394
ウーパールーパーなど、生まれてから死ぬまで形を変えずに大きくなるだけの
そういう生き物を「ネオテニー」と言う。日本語では幼形成熟だ
人間もまた、幼形成熟の生き物であり、子供と大人の大きさは違うが形は同じ
この種の生き物の特徴は、成熟は非常に遅いが、適応力がとても高い
これの真逆な生き物は「変態」する昆虫である。幼虫 → 蛹 → 成虫。と形が違う
彼らは変態するごとに能力が格段に上がるが、適応力においては実に乏しい
動物と人間の違いは、理性の有無なんかではない。動物にもネオテニーが多いが
人間と動物の違いは、【迷いに囚われる時期の長さ】でしかない
お主が言う「理性」こそ迷いの元凶ではないか。コントロールできぬば未熟ぢゃ
(-人-) 悟りなど、さっさとクリアして体得せよ。悟れぬ者らは、未熟なだけだ
非常に多感的で機能性に富んだ、ネオテニー生物の人間であるが故の
その「迷い」をクリアできぬ未熟者に過ぎん
人生の苦楽はさておき、ただただ生きるだけなら、馬鹿でもチョンでも覚者でも
すでに誰もができおる。死なない限りはできておる (-人-) 覚者である和智が言うてやろう
その判断が必要なら、それを不要と見なせば、人を殺し、見捨て、切り捨てる
これもコントロールなのぢゃ (-人-) この和智がくどくど説明せんでも、宇宙は、歴史は、生命は、そうしてきたし
これからもそうするだけぢゃ (-人-) >>392
動物の「子殺し」をサラッとググッてみましたが、障害者個体を殺してるんじゃなくて、大抵は自分以外の同性の遺伝子の子供を殺してるみたいだった、以前のボスの子供とか、雌なら自分以外の雌の子供。愛があると思えん。(><) 安楽死の合法化と、無料施設の建築を急げ。和智が日本に向けて書く処方箋ぢゃ
(-人-) 覚者の言葉は、宇宙の言葉
命の執着が多く、心穢れた者らには届き難く、受け入れ難い
こうして日本は社会保障でパンクする一歩手前ぢゃ。もうじき破裂する (-人-) 動物の世界の理が、そのまま人間社会に当てはめられるとは思えんけどね、極少数のボス人間の雄達と、それに群がる多数の雌達というような、独裁国ばっかりの世界が思い浮かぶよ、最後は地球統一しますかね、一人のボス人間が。
その世界には生まれて来たくない感じするわ。 「理性」ってのは知性で捉えた概念同士を結びつけ操作する能力
推論の能力を言うんだろ
つまり、「何が正しいか」と考える基準を人間は共有している、
その基準によるはたらきを「理性」と呼ぶようになったって 社会にありふれてる道徳を無視して自然のままに淘汰が行われるのが「正しい」、
何故なら人間全体の発展に寄与するこら
↑
これも「何が正しいか」という理性によっての言説だし 「これが正しく、あれが間違ってる」って語り続ける時点で
この「理性」っていう働きの土台から逃れられないし
引いては知性と理性を使う「自分」という主体「がある」というところから出られない
悟りってのはその外側にまず気付くことなんじゃないか >>394
その本は読んだことがありませんが、トルストイは理性だと言っていましたし、わかちあいが人間特有だという倫理学もありました。
人が早産であることが人のわかちあいに影響を与えた可能性については倫理学で知りました。 >>396
理性をコントロールするのではなく、理性によって感情や欲求をコントロールできなければ未熟なんでしょう。
理性はコントロールするものではありません。 >>392
チンパンジーの子殺しの謎は解明されたんですか? 鬼和尚、古代にシュメール人というのは本当に居たのでしょうか?
シュメール人の像の写真が、目が巨大でとても不気味です。
得体の知れない恐怖感を感じました。
それを見てから、1人で居る時などに思い出して「あんなのが急に目の前に現れたらどうしよう」などと怖くなります。
そう言えば昔、宇宙人に連れ去られた夢やUFOの夢、自分は虫のように小さな存在で大きな目に見られていて何処にも逃げ場のない絶望的な恐怖感の夢を見た事があります。
それらの夢が宇宙人に干渉されている兆候なのでは、などと考えてしまいます。
瞑想していて超能力が発達して宇宙人が見えるようになったら困る、などとも考えてしまいます。
鬼和尚の千里眼で真実を教えて頂きたいです。 悟った人は得体の知れないものへ恐怖を抱かないのでしょうか?
目の前に急に不気味なものが現れたとしても平常ですか?
何故でしょうか?
恐怖感を観察しても「ただ怖い、とにかく怖い」です。
悟らないで自己保存本能がある限りは命の危険を感じて恐怖があるものでしょうか? >>401
それには賛成するよ、こじ氏の論なら
それは「愛」の一つの型かも知れんね 弱肉強食だ、ヤッホー!
戦争だ、ヒァッハー!
って人だけ生き残ればいいのよ
人類誕生以来ずっと争いに勝ち残った遺伝子しか存在していない世界なんだから、全人類が。 >>411
あの目の大きいやつってただの表現方法の内の一つなのでは?(または宗教的な意味があるか、それか鳩避けかな?)
日本の漫画やアニメもデフォルメされてやたら目がでかいよね。 >>415
人間の場合は自然環境に対しては弱いが増える速度が速かったんじゃないかな。
発情期がなくてずっと発情しっぱなしでかなり長期間子供作れるし。
多分そうでないと死亡率高くて生き残れなかったってことだと思う。 >>415
> 人類誕生以来ずっと争いに勝ち残った遺伝子しか存在していない世界なんだから、全人類が。
人類が生存闘争を繰り返しその勝者が適者生存してきたというのは1つの側面ではあります。
しかしそれは人類において微々たる事でしかありません。
勝ち続ける事は困難で負ける事は容易いからです。
争いの性質ではなく思いやりわかちあう性質によって人類は繁栄してきたと考えるのが妥当でしょう。 >>418
そうであればいいんだけどね
ただの野生の王国から変わってないなら
人間が生き残る価値無いよなって
儂もそう思う 安楽死の無料施設が出来たらな
日本人なら死期を見極めて潔く死んで逝く人多いかも知れんぞ、日本人の美徳みたいに、日本文化みたいになるかもな、そんな感じするわ、
良いか悪いかは知らんが… 逃げる速度が速くても生き延びれるけどなw
鳥なんかは飛んで逃げるし、ヤンバルクイナみたいなのは飛ばないけど逃げ足が速い。 >>416
なるほど…少女漫画なんかは顔の半分くらいが目だったりするしね… 道徳や倫理によって生きる事の価値を決めようとするからおかしなことになるんでしょ。 人間が今の技術力による生存力で好き勝手子孫繁栄して生き残ったら地球はあっという間に破滅してしまいそうだな… >>404
それはお主の願望なのぢゃ。また、人間を崇高な存在に、動物を劣後な存在に
そう思い込んでいたいお主の願望からの言葉なのぢゃ (-人-)
>>405-407
ジレンマをそのままに、その不具合を解消できぬまま放置しては
もはや理性は「足枷や重荷」にしかなっておらんぢゃろう
また、そのようにジレンマが解消されぬまま放置されて欲しい者の願望でもある
(-人-)
>>409
それもお主の願望ぢゃ。理性もまた、コントロールすべきものの一つに過ぎん (-人-)
>>410
それも「他人殺し」ぢゃ。子殺しとは、我が子殺しのことなのぢゃ (-人-) >>421
奴隷的な労働力として生かされて来た
という可能性もあるけどな
なんにせよ人類誕生以来ずっと生き残って来た遺伝子なんだから、生き残ろうとする本能は充分刻まれてるだろうな、だから死が怖いはずよ >>425
> >>409
> それもお主の願望ぢゃ。理性もまた、コントロールすべきものの一つに過ぎん (-人-)
理性という言葉の定義が違うようですね。
私は哲学的な理性のことを言っています。
単なる思考ではなく欲や感情に左右されず事象をありのままに認識し、道理的、倫理的に判断するものが理性です。
> >>410
> それも「他人殺し」ぢゃ。子殺しとは、我が子殺しのことなのぢゃ (-人-)
チンパンジーは我が子を殺すのが観察されています。 >>425
そういうの全部は「こじさん」の思いってことでしょ?
「願望だ」という
どこまでいっても何を言っても思っても「自分」が基点になり続けるでしょう? >>411
月間ムーを読んで、お主の疑問を解消するのぢゃ (-人-) ♪
>>412
悟っても、常にその精神を深い瞑想状態に置かねば、お主が言うように
自己保存本能がある限りは危険に対する恐怖を感じるのぢゃ
ぢゃが、その恐怖心もまたコントロールすべきものの一つに過ぎん
過剰暴走させて良い感情や理念など、無いのぢゃ。必要量の警戒心としとくのぢゃ
(-人-)
>>418
例えば、商売や貿易や外交あるいは契約などの「交渉」は、交渉に過ぎんのぢゃ
人間はお互いが人間同士であれば、倫理道徳や民主主義、平等思想について
語り合う事もしばしあるが、蟻や鼠相手にはそんなことは話し掛けないのぢゃ
つまり交渉とは、お互いの力量が拮抗してなければ行われない駆け引きである
現にお主の頭のなか、その心のなかには、蟻や鼠をさほどの量も心配してまい?
己の「理想」もまた、コントロールすべきものの一つに過ぎんのぢゃ (-人-) 「足枷、重荷」「ジレンマ」
これは「こじさん」の思いの上の解釈でしかない
解釈している、思ってる「自分」を解決しないと変なこと言いつづけてしまう >>420
カテーテルとペースメーカーは、武士道に反する日本の恥なのぢゃ
老朽化した身体自体が重荷に感じるならば、潔く命を絶つ美学も
ムダな苦に長く向きあうことなく済ませられるし、周りにも迷惑はかからん (-人-)
>>423
その通りぢゃ。よく分かったのぅ (-人-)
>>424
「間引き」は必要ぢゃろう。その間引くべく対象を決めるのぢゃ
先天性の障害者、不治の万病人、後期高齢者などの医療介護依存者から間引け
即断 (-人-) >>430
お主のように人工透析を繰り返し、カテーテルとペースメーカーと
インシュリン投与に依存する者らは、たいていはこの和智の言葉を嫌うのぢゃ
武士は喰わねど爪楊枝、高楊枝で、お願いしますよっ (-人-) ♪ 鏡の前に立って、老いて醜く劣化した己の姿を見るのぢゃ
深い瞑想状態にあれば、その身体を「醜い」などとは思わぬぢゃろうが?
普段の心で見て計るのぢゃ。そこで「醜い」と思えたのならば
その判断を、未来ある子供らや若年層への「愛」へと昇華させることも
繁殖行為を繰り返し、後世に繋いで続けられる生命の、真っ当な判断であろう (-人-) >>429
> 人間はお互いが人間同士であれば、倫理道徳や民主主義、平等思想について
> 語り合う事もしばしあるが、蟻や鼠相手にはそんなことは話し掛けないのぢゃ
> つまり交渉とは、お互いの力量が拮抗してなければ行われない駆け引きである
> 現にお主の頭のなか、その心のなかには、蟻や鼠をさほどの量も心配してまい?
私はそれほど心配していませんが、逆に言えば蟻や鼠の心配をすることができる生物は人間くらいでしょ?
明らかに力量が下の動物に対しても、倫理や道徳を持ち込んで思いやるのも人間です。
度を越せばシーシェパードみたいになりますけどね。
人間には残虐性もありますが思いやりもあるんです。
それは私の理想ではなく、人間という動物の生態を客観視すればわかる事なんです。 倫理道徳、人道主義、理性固執は、我々の宝物ではないのぢゃ
「愛」こそが、我々の宝物である。腹に詰まった糞は、出してこそ健康になれる
子供は国家にとって美味しい食べ物ぢゃ。そして若者は喉を通る爽快感
成人は胃袋に収まった満腹感であり、その労務が象徴で吸収される栄養である
老人は大腸に詰まった糞ぢゃ。先天性の障害者や万病人は毒素も同然ぢゃ
トイレで気張ってひり出すのぢゃ。さもないとビョーキになるぞい、ビョーキ
(-人-) >>434
>度を越せばシーシェパードのようになる
ほれ、お主も十分に分かっておるではないか。和智の言うてることと同じぢゃ
適量に留めておくのぢゃ。(-人-) >>435
煽りじゃなく質問なんですけど。
人の生命とは国家を維持するためにあるものだと考えていますか?
そうであるなら国家は生命に勝るという理由が知りたいです。 いくら不健康に苦しむからとは言え、自らの命を絶つまでは、なかなか難しい
そこで容易に残りの寿命を断てる安楽死の無料施設があれば、それこそが
「思いやり」であり、同時に社会保障費の削減にもなるのぢゃ
医療利権の者らが文句を言う場合もあるが、その者らに愛などなく
金のなる木として、不健康な者らをそのように見とるだけぢゃ
和智のように感情や理念を上手にコントロールすれば一石二鳥で恩恵もたっぷり
(-人-) >>436
思いやりの度を越せば思い込みですがそれは理性が未熟だからです。
認識に我欲や感情や主観が影響することを自覚してありのままから物事を考えるのであれば度を越すことはありませんよね。
それが理性だと私は言っています。 >>437
そもそも、国家というモノの始まりは
1、人が1人で生きるよりも集団で「分業」した方が快適だから、集落が形成され
2、その集落が別の集落との意見相違で紛争を始めて、勝者の支配力が巨大化し
3、さらにその中規模の支配構造が別の支配構造と戦争して、勝者が国を造った
つまり国家とは「勝利者の支配構造に過ぎず、社会の基礎は分業体」である
そこに対して、被支配者である世俗の民衆どもが「民主主義 (笑)」だとか
「人権 (笑)」だとか、「弱者救済 (笑)」だとか、「社会保障 (笑)」だとか
「投票選挙 (笑)」だとか、調子こいて踏ん反り返って図々しく宣うのは
【チャンチャラ可笑しい話し】であり、そういう能書きをたれるのは愚民なのぢゃ
これで納得したかいの?カテーテルやペースメーカーが身体の中にあると
実によくない「結果マイナスのお荷物背負い続けさせ思考」が出てくるのぢゃ (-人-) 人の思いやりとして安楽死の無料施設を利用できねば、できぬ者が多ければ
戦争という激痛死が、ある一定時期の感覚でたびたび繰り返し起こるのぢゃ
どっちを選ぶのも自由ぢゃが?和智のオススメは安楽死ぢゃ。和智もそうする (-人-) >>432
「嫌う・嫌わない」ではない事実なんだよ 清々しく生き、清々しく言葉を述べ、清々しく日々を過ごし
死期が迫れば、笑顔で笑って見切りをつけ、清々しく死ぬのぢゃ
(-人-)〜♪ おそらく団塊Jr.世代の、40歳〜50歳の者らが多くこのスレッドに来るぢゃろ
和智もそうぢゃが?和智らのお先真っ暗な「老齢消化期間」を思うてみよ
和智の言うてることが、いかにラクな話しかがよく分かるぢゃろう
皆同じなのぢゃ。愚かな団塊世代の先人たちの真似などせずに、子供らを愛そう
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