悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】61
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悟りを開いた人=ブッダのことで、仏教的人生相談になります。
仏教の議論は宗教板で。ここは、あくまでも人生相談スレです。
◆利用者のみなさんへ
・人生相談板では 相談すること、それに答えること このやりとりが大事です。
独り言や自説の主張・雑談・馴れ合いなどは禁止です。各々の専門板へ。
・何度も書き込む場合は最初に書き込んだ時のレス番号を名前欄に書いておいてください。
・相談はなるべく詳しく明確に書きましょう。(できれば年齢や性別も。)
では、どうぞ。
※前スレ
悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】60
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1513819266/ >私はルール違反を犯しました。
自分でもわかっているではないか。
過去の付き合いは清算して、誰も悲しませないようにするのじゃ。
おぬしも仏法を学ぶと良いのじゃ。 歴史を知ることは人間の理解になりますか?
今ある概念というものは過去から成り立ちを学ぶ必要があると気付き歴史を学ぶ事に楽しみを覚えました。
人の心というものはお釈迦様の時代の人と現代の人の心も変わりませんか?
人類の意識は進化しているのでしょうか? 進化ということは有り得るのでしょうか?
歴史を調べていたら、殺略などの残虐さに気分が悪くなってしまいました。
人が人を人とも思わず残虐に殺したり支配などはどうして出来るのでしょうか。
自分たちとは精神の構造そのものが違うのだと思わざるを得ませんでした。
残虐さとは一体どうゆうものなのでしょうか。悪意がないなら悪ですらないのでしょうか。 >>282
>自分たちとは精神の構造そのものが違うのだと思わざるを得ませんでした。
先ず、その自分の盲目性に気付くことが出発点ではないでしょうか?
牛や豚や鶏を殺し、彼らの苦しみや悲しみなど全く想像することもなく、「ウマイ、ウマイ」と言って
食べているなら同じ精神構造でしょう。
魚介類を生きたまま熱湯に入れ、彼らの苦しみなどには全く気付かずに「マイウ、マイウ」などと言って
喜んでいるのは同じ精神構造でしょう。 >>266 良いのじゃ。
それは自分自身のやり易いように実践するのじゃ。
誰にでもあてはまる方法は無いのじゃ。
自ら実践してやり易い方法を探すと良いのじゃ。
>>267 自分の観念の世界であるからなのじゃ。
心がそのまま見えるから感覚や感情もありのままの強さで感じるのじゃ。
微細体などはないのじゃ。
囚われずに進むのじゃ。
>>268 痛みも観念でしかないから起こるのじゃ。
それは後付の観念なのじゃ。
思考でそのように解釈しているだけなのじゃ。
現実も夢幻なのじゃ。
>>271 自分自身に思ったことや感じたことをありのままに明け渡すのじゃ。
怒ったならば怒ったと観察するのじゃ。
悲しいならば悲しいと観察するのじゃ。
何の解釈も付け加えない本心を自分に明け渡し、受け容れるのじゃ。
>>280 別れたら良いのじゃ。
誰でもいずれは別れるものじゃ。
執着を捨てるのじゃ。
それが楽になる道なのじゃ。 >>283
その発想自体が差別意識であるとは分かっていましたが敢えて書きませんでした。わざわざ突っ込まれて面倒臭いので書いておくべきでしたね。
その辺は既に考えたというか知っていますというか。しかもこれだけ情報社会でありますし一昔前とは違って動物の苦しみを考えられない人の方が寧ろ少数派では?
何を選ぶってそのような発言をしているのか理解に苦しみますね。 >>285
言い訳の必要はないでしょう。自分の盲目性に気付けばそれで済むことです。 >>286
あなたが盲目性と指摘しているものは単に言外であった、という事を言っているだけですよ。
動物の苦しみを考えた事が無いと誤解される事は嫌なので。
あなたがそのように決めつけをする上に相手の弁明を受け入れもしない、自身の盲目性に気付きましょう。 >>283
それに精神構造が違う事と相手を苦しめる事は全く違いますよね。
猫や犬が我々と同じではない精神構造を持っていると大抵の人は思っていますが残虐な行為をする人はごく小数です。
精神構造の違いそのものは問題でもありません。
答えるなら質問の趣旨を理解し答えて下さい。 >>287
>>282 の最後から2行目の文を読んで、あなたが盲目であることがわかったので
つい、本当のことを書いてしまいました。ごめんなさい。
>>288
猫や犬の精神醸造は何の関係もありません。
歴史上残虐なことをしていた人々と現代人の残虐性について書いたのです。 自分は残虐ではないという傲慢
同じ時代に同じ教育を受け同じ生活を営んだとしても自分はそうならないという傲慢 >>291
誰が残虐で、誰が残虐でないなどとは私は一言も言っていないのですよ。
古代人も現代人も同じ残虐な生き物であることがわかっていればいいのです。
そうすれば、
「自分たちとは精神の構造そのものが違うのだと思わざるを得ませんでした。」
のような文は書かないだろうということです。 >>289
>>291
残虐性は文化と教育によるものという考えだということですね。 >>293
違います。
人類はいつも残虐だということです。それが人類の宿命かも知れません。 >>292
ヨーロッパのアメリカ侵略時のインディアンの虐殺を読んでの感想でした。
人間の残虐性が恐ろしく思います。
誰が、というわけでもないのですが現代でも稀にいるような殺人鬼などの精神構造は、我々と違う生物であるかのように感じざるを得ません。
脳波測定でも反応が異なっているそうです。
しかし猫が鼠をいたぶって殺す事に罪の意識も罪ということもないでしょう。
残虐性とは何なのか、と思ったのです。 このような事を考えているだけでも具合が悪くなってくるので考えるべき事でもないのかもしれません。
自身の残虐性に気をつけようと思います。 >>292
わかってる。あなたに書いたんじゃないから。
>>293
基本的にそうですね。
>>295
人は、人が暴力を受けているシーンを見ると可哀想に思います。
しかし、暴力を受けている人に、暴力を受ける正当な理由があれば、そのシーンを好ましく思います。例えば親の仇であるとか。
歴史の本を読むのであれば、そのような背景まで推測してはいかがでしょうか。
魔女狩りにせよ、原爆投下にせよ、地下鉄サリン事件にせよ、残虐な行いの背景には人を盲目にさせる大義名分、何らかの理由があります。
残虐の裏側には盲信があります。 >>296
気をつけるべきは物事を俯瞰してとらえることです。
悪より善のほうが残虐性は強いです。
悪いとわかっていれば躊躇するものですが、善だと思えば躊躇せず省みもしません。 >>297 >>298
楽しみながら拷問などを行う、度を越した残虐性が理解出来ないのです。
共感能力と感情移入能力が欠けていて脳の構造が違うのでしよう。 >>299
楽しみながらというのであれば、極一部の人が持つ性的嗜好のようなものかもしれませんね。
そのような人の割合は今も昔も変わらないのではないでしょうか。
それよりも大事なのは、何かの本に「楽しみながら拷問をする描写」が描かれているのであれば、それはその本の作者が意図してそのような描写にしている事を客観視するべきなのです。
楽しみながらなのか笑うしかなかったのか事実はわかりません。
そもそも、そのような事実があったのかどうかすらわかりません。
南京事件で描かれる日本兵のほとんどは、楽しみながら妊婦の腹を切り裂き赤ん坊を取り出して踏みつぶすのですから。 >>300
そのような人達は人間の中に一定数いると知り警戒していくしかないのかもしれません。
未熟な知見では歴史を学ぶ事が新たな偏見を生み出す事にも成りうると気付きました。
ご指摘ありがとうございました。 自分が生きるために必要なことは、出来るだけ全工程経験してみるのは良いと思うよ、鶏肉を食うなら首引っこ抜いて殺して熱湯使って毛をむしってとか、自分の暮らしの中での残虐なことで考えた方が良いと思うよ >>302
それについてはいろいろな意見があるところですね。
以前に、テレビで自分の中学生の子供に「自分が食べるものだから」と言って
鶏の首をひねらせていた親を見たことがあったが、馬鹿親だと感じたものだ。
確かに、自分は虫も殺さないような顔をして(他人に殺させた)肉料理を
貪っている人間の浅はかさは考えるべきものを含んでいると言えるが、
「動物を殺さなければ生きていけない」ということを大前提にして、それに
何も疑問を持たせないような教育をするのは、あまりに単純過ぎると言えるだろう。
肉食は単なる習慣に過ぎないもので、生きる為に必ずしも必要なことではない。
インドなどには生まれた時から菜食主義で100歳近くまで生きる人もいる。
日本でも、昔の僧侶はみな精進料理しか口にしていなかったし、高僧と言われた
人達は長寿の人が多かった。
栄養学では幾つかの動物由来のアミノ酸を摂取しなければ人は健康に生きられないと
説明しているが、世界中には菜食主義で長生きしている人がたくさんいるのだから、
栄養学などはまだ中途半端な進歩段階にある学問だと言える。
このスレはタイトルを見てもわかるように宗教的な理念がベースにあるスレなのであるから、
「人は動物を殺して食べなければ生きていけない」などという間違った考えを前提に議論する
ことだけはやめてもらいたいものだ。 >>304
私は出来るだけ自分の身近なこととして接した結果知られたことを大切にしてる感じだから、情報として知ったようなことで会話をしてると、なんだか不安になっていくのである時点でやめるかな >>304
人間は縄文時代から動物や魚・貝類なども食べて生きてきた。
お釈迦様も托鉢でもらった肉も食べたはずだ。
肉を絶対食べてはいけない、ということではない。
現代の栄養学が完全だとは私も思ってない。 >>302
>>304
私が山の中で狩猟生活を強いられたらそうするでしょう。
しかし必要もないのにゲーム感覚で命を奪ったり痛みを与える事はしないでしょう。
質問の仕方が悪かったのでしょうね。
いじめなどもそうですが傷つける事を楽しむような残虐性について聞きましたがこれは共感能力の欠如ということで答えが出ました。
>>自分は虫も殺さないような顔をして
あなたの目の前の人が肉料理を美味しく頂く姿を見て浅はかだと決め付ける事は浅はかでしょう。
小学生でも生き物の命を頂いていることを自覚し感謝している子の方が多いですよ。
医療の発展、市販の目薬ひとつにも膨大な動物実験がなされて開発された事などを知った上で目薬を使用していますよ。
安い安いとダイソーなどにも単純に喜べない、消費が促される環境汚染などの犠牲があります。
消費を必要とする一部の人によって動かされている資本主義社会が元凶でしょう。隠され見えないために知られない、成り立ちに疑問を抱かない安直さを責める事も出来ないでしょう。
理想論だけを言うなら他の生き物を苦しめてまで人間だけが生きるというこは良くないし、そこまでするのならこんなに繁栄しなくていい、自然に任せて病も受け入れて生きた方が良い、
とは世の中の大半の人が思うでしょう。
しかし思った所で何を出来るのか、せめて知ること、広める事でしょうか。
一人一人が考え発言をしていかなければならないのかもしれません。
失明するかもしれないと言われて兎を百匹犠牲にすれば助かるかもしれない、と言われた時にどう考えるか、1匹ならどうか?
私は何匹かならなどと考えてしまうから自己中心的な悪い人間でしょう。 何かの構造を知りたがる人と、何かを使って楽しむ人といるなと思うことあるな、私はどちらかと言うと、何かと親しく接した結果構造も知ったりする感じだな、惹かれて親しくなることの方が重要で知ることは二の次かな 社会生活するにはボロボロの服はみっともない上に他人から疎外されるので買い替えなければなりませんね。
見えない所で誰かが被害を受けていると知りながらも疎外される恐れなどの弱さから、仕方がないことだと流れされます。
どこかの国では明日の命もわからないと知りながら、
私1人が服を買わないことで何になるか?という何億人の意識があるでしょう。
いじめの首謀者と弱い傍観者は同じ位に罪があるのだと自覚する事が大事なのか?
私はボロボロの服を着て人から疎外されても平気と思えない弱い人間なので残虐でしょう。
漠然と考えてはいましたが自覚する良いきっかけになりました。
自分の心を整えることが何より大事という鬼和尚の言葉が身に染みます。
これ以上の思考も善悪だとか原因だとかは辞めて
瞑想に励もうと思います。 >>312
誰のことかと思った。
自説の主張となり失礼した。 鬼和尚は特別会計を調べていた石井議員が暗殺されたことについてどう思いますか? >>301
何を考えるにしても、考える材料は常に不足しているということを念頭に。
正しい答えを自分が知ることは“絶対に”ありませんので。
1つの事象には様々な要因がありますよね。
その要因となる1つ1つにもそれを構成する様々な要素があります。
1つの事象を突き詰めれば、そこには太陽があり水があり世界があり、と、なります。
これが縁起を理解するということです。
1つの事象における残虐性というものも、独立した存在では決してないということです。
事象に対して生ずる感情や主観に囚われず、自分の感情が波立つ要因、要素の1つ1つを検証していくことで
自分の思考には根拠のない思い込みがたくさんあることに気づいていくと思います。
それによって無智、無明から離れていくことができます。
がんばってください。 私の苦しみはなんら妥当ではないことを
盲信していたことから来ているのだと気づきました
誤解を正解だと勘違いしていたようです
たくさんの知恵、勉強になります、ありがとうございます >>315
ありがとうございました。
精進致します。 >>282 少しはなるじゃろう。
大体変らないのじゃ。
進化していないのじゃ。
進化は無いのじゃ。
変化しているだけなのじゃ。
動物と同じ程度の感情しかなかったからなのじゃ。
それも恐れから起こるものじゃ。
恐れがあれば他を害して身を守ろうと思うのじゃ。
>>303 女は度胸じゃ。
>>314 何も思わないのじゃ。
おぬしも調べるとよいのじゃ。 >>320
>進化していないのじゃ。
>進化は無いのじゃ。
>動物と同じ程度の感情しかなかったからなのじゃ。
(じゃあ、今は進化してマシになったということ?)
矛盾してるじゃん 他者と関係を断つのが時に非情に思えて仕方がありません。
慈悲や愛が大切と言うのなら、長く付き合って相談に乗ったり話し相手になったり世話を焼いたりするのも
大事な事だとは言えませんか?
もちろん、プラスにならない人間関係はスパッと断てるんですけど、そうではない場合どうしても情が移ったり
感情移入してしまったりして感傷に流されてしまいます。
いずれ誰とも別れなくてはならない、それもその通りだと表面上は理解はできます。
しかし、わずかな時間であっても共に過ごして相手にしてやれる事があるんじゃないか。
そんな風に短い時間でも一緒に過ごす時間が貴重だと思うんですが、これは執着なんでしょうか?
他者の人生に責任が持てないのなら、関係を断つ方がむしろ相手の為にもなるんでしょうか?
仲良くなった人が自分から離れていくのは、正直寂しくて仕方がありません。
感傷に流されそうになった時や寂しさに耐えられない時、どう対処すべきでしょうか? >>323
それも執着なのじゃ。
仏法を学ぶのじゃ。
数息観をするのじゃ。それが何よりの楽しみになるじゃろう。 外界からの刺激により「攻め」と「守り」の
自動反応が私にあると気づきました
攻め守りは大昔からの人間の生存本能とみていいでしょうか?
この自動反応も私というフィルターを通しての
主観による反応とみることもできます
この反応の根源であろう人間に対しての歪んだ思い込みを
正していく必要があるのでしょうか? 他人とは優劣をつけず、比べず、勝敗をつけない、
他人と争わない生き方が問われているのでしょうか? >>261
機関紙を見ていて偶然見つけたのじゃ。
健康食品の「蜂の子800」を飲んでみてはどうかのう。
値段もそんなに高くないようじゃ。
「蜂の子800」で検索するのじゃ。 >>322
「動物」と同じ程度の感情しかなかったものが「人間」の感情を持つようになったのだから、
変化ではなく進化。
より高度な機能を有するようになった場合、「変化」ではなく「進化」とよぶのが常識。
偽○○には難しいかのう・・・。 >>331
お前がそう思うんならそうなんだろう
お前ん中ではな 鬼和尚が間違ったことを言った時でも正しいと主張するようなお馬鹿さんは、永久に悟りを開くことはできない。
社長が間違ったことを言ってもそれを指摘しないでおべっかを言っている馬鹿社員と同じ。 >>282
> 人の心というものはお釈迦様の時代の人と現代の人の心も変わりませんか?
鬼和尚「大体変わらないのじゃ。」
↑
人は精神的に向上していない、進化していないという意見。
> 歴史を調べていたら
> 人が人を人とも思わず残虐に殺したり支配などはどうして出来るのでしょうか。
鬼和尚「動物と同じ程度の感情しかなかったからなのじゃ。」
↑
昔と今の人は大体変わらないとの前提から読み解くのが自然であるから
鬼和尚「(そのような行いをした者は)動物と同じ程度の感情しかなかったからなのじゃ。」
このような意味だと理解するのが普通。
過去形なのは歴史に登場した残虐な個人に対する意見だから。
>>334
文盲。 >>334
鬼和尚「(昔の人)は動物と同じ程度の感情しかなかったからなのじゃ。」
あなたはこうだと思ったんだね。
鬼和尚「(残虐な行いをした人)は動物と同じ程度の感情しかなかったからなのじゃ。」
こうでしょ。 >>335 >>336 >>337
「変化」と「進化」の意味をよく考えた方がいい。
「動物と同じ程度の感情」しかなかった者が
「人間らしい感情」を持つようになるなら、
それは「進化」であって、単なる「変化」ではない。
つまり、進化ではないというのなら、残虐な行為の原因は
「動物と同じ程度の感情しかなかった」からではなく、
「人間の感情は持っていたが、欲や怒りの煩悩に支配されていたから」
などの別の原因(認識)として捉えなければならないということ。
それを「「動物と同じ程度の感情しかなかったから」ととらえるなら、
「進化」を認めていることになるということ。
これが理解できないのなら、中学校から勉強をやり直す方がいいでしょう。 >>338
なんだやっぱり文盲か。
>>335>>336をよく読み直すように。 >>338
そうゆう人は現代もいるので、進化とかは関係なく、人間の中にも動物程度の感情しか持っていない人もいる、
という意味だと思います。 >>339
私が鬼和尚が矛盾していると言うのは、
「動物と同じ程度の感情しかなかったからなのじゃ。」の部分なのです。
その捉え方が間違っていると言っているのです。
人間として生まれれば、(病気でない限り)
「動物と同じ程度の感情しかない」ということはないのです。
残虐行為もすべて煩悩のなせる技だということです。
君は中学校に戻って国語の勉強をやり直すように。
>>340
君も、もっと国語の力を身に付けた方がよいでしょう。 >>341
マウントおじさんは胎児からやり直しましょう >>341
あなたは文章を部分的に捉えて全体を読み取れていない時がよくありますよ。
それに、鬼和尚が煩悩に囚われていたからと伝えたかったのならそう書くはずだから、それでは曲解ですよ。 >>340
>そうゆう人は現代もいるので、
極悪非道の人間達も、家族や一部の人達とは温かい人間関係を持っているものです。
残虐だった独裁者たちも皆そうです。
「動物と同じ程度の感情しかない」人間は(病気の人を除けば)いないのです。 >>343
>鬼和尚が煩悩に囚われていたからと伝えたかったのならそう書くはずだから
だから、そう書かなかったということは鬼和尚の認識が間違っていたということなのです。 >>321
今も動物と同じ程度ってのは変わりないんじゃないかなあ。
形は変わっても本質は同じで人間は全然頭良くなってないと思う。
(バカだから自分は頭がいいと思い込みたがる。ある意味高度な思い込みではある)。
まあ数千年単位じゃ普通は進化なんかほとんどしないと思うよ。 >>346
「進化していない」ことを前提で話していることも理解できない偽和尚は口を挟まない方がいい。 >>344
哺乳類の動物は大体家族を大事にしますよ。 >>348
小学生なの?
「独裁者でも、残虐な行為をする時以外は他の普通の人間と同じ感情を持って生活している」
から 「動物と同じ程度の感情しかない」ということはない、と言っているのですよ。
もう、馬鹿らしいので、これで終わりにしておきます。 終了。 >>341
>残虐行為もすべて煩悩のなせる技だということです。
すべてというのは違和感がありますが、煩悩のままに行動するというのは動物的だと思いますが?
煩悩とは動物的欲求です。
人間は動物的欲求とは別に理性があります。
理性に従うのは人間的であり煩悩に従うのは動物的です。
煩悩のままに残虐行為を行う者は「動物程度の感情しかない」で何も間違っていないと思いますが? >>349
> 「独裁者でも、残虐な行為をする時以外は他の普通の人間と同じ感情を持って生活している」
普通の人は残虐な行為ができません。なぜなら理性がありますから。
動物でも残虐な行為をする時以外は食べて排泄して寝て、それほど人間と変わらないと思いますが。
人間と動物の決定的な違いは理性なんですよ? >>347
いや、だから進化してないんだよ。今もそのまま。だって実際今も残虐なままじゃない。何か高度になったっていう思い込みがあるだけで。 >>349
感情レベルは低くとも知能さえあれば他人とコミュニケーションはとれますよ。
独裁者の場合は感情というか正義のためとかの洗脳状態に近いんじゃないですかね。
サイコパスとか考えられないような児童虐待する人は哺乳類ですらなく爬虫類レベルの感情なのだと思います。 >>351
> 普通の人は残虐な行為ができません。なぜなら理性がありますから。
んなこたなかろう。戦争やりまくってるし死刑もなくならなってないし、例え制度としてなくして押さえ込んだって殺したいって感情は出てき続けるんだから何も変わってないよ。押さえ込むの止めたら吹き出すんだから。
人間はちょっと道具を多く使えるようになっただけのただの動物だ。 >>353
こう言ったら爬虫類に失礼だったので撤回します…
チンパンジーと人間の感情はそう変わらなそう >>354
> 戦争やりまくってるし
戦争は残虐ですか?
残虐にならないように戦争にも国際ルールがありますよね。
>死刑もなくならなってないし
死刑は残虐ですか?
死刑囚が苦しまないようにする配慮がありますよね。
>例え制度としてなくして押さえ込んだって殺したいって感情は出てき続けるんだから何も変わってないよ。
感情を押さえ込むのが人間でしょう。
何も変わっていないのかどうかはわかりませんが。
基本的には変わっていないでしょうね。
>押さえ込むの止めたら吹き出すんだから。
押さえ込むのを止めるのは人間的ではなく動物的になりますよね。
> 人間はちょっと道具を多く使えるようになっただけのただの動物だ。
人間は動物ですが、他の動物との違いはわかちあいや思いやりがあるという部分です。
動物と人間を分けるのであれば、理性こそが人間です。 もう少し仏教的な視座から見てはどうでしょうかね?
「心」とは仏教でいうところの八識の第六識「意識」に該当します。
勿論、その構成に変化がない事は言うまでもありません。
そのうえで、「心」というものは刹那に生滅を繰り返すもので、恒常・不変のものではなく、
依他起性のものではないのですか?
天台では、一念三千といい一念にも三千世界(諸法)が具われていると云うじゃないですか?
唯識でも、「種子生現行、現行熏種子、三法展転、因果同時」と云うじゃないですか?
華厳でも、重重無尽縁起と云うじゃないですか?
変化があまり無い、進化している、動物的・・・
「これだ」という捉え方はどうも私には常見的に思えるんですが。
縁起の理の中で「心」を捉えないと…。 >>357
仏教的には、動物の心はどう捉えられているのですか?
畜生界というものがありますよね。
仏教的に捉えると、姿形は人間であっても、心は畜生であったり地獄であったりする、
ということなのでしょうかね。 >>358
個の保存や種の保存で説明出来ないわかちあいは人間にしか無いとされています。
自分のお腹が空いているのに野良猫に食べ物をあげたりするような行為ですね。 >>360
それはミラーニューロンが猿より少し多目にあるからかも知れないな。その分だけ相手のことがわかると。
しかしそれは群を作る性質のある生き物なら自然に増えていくように思う(何万年という単位での進化ね)。
その方が生存率高まるから。 >>359
動物のそれは勉強不足で分かりませんが、一念の中にも地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界
・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界の十界が具足されてると云いますからね。 >>361
そうかもしれませんね。
未来はわかりませんが現時点での人間とその他の動物との大きな違いはそこにあります。
ですから人間らしい心とは何かと考えるなら、思いやりや分かち合いということだと思います。
それが自然選択によるものだとしてもです。 そもそも、「心」の変化を論じるのなら、どこかに基準点を設けないとね。
それと「心」が「心」の進化云々を論じるって、どんなもんかねぇ。
論じる「心」がその論じられる「心」なわけでしょ?
「心」は人間の進化の過程で生存に適するために造られたって言うけどね。
と仮定すれば、作られた時よりその「心」は生存に適するために変化を遂げたか?
そりゃ科学や医学、いろいろな学問が発達し、生存に適する環境は整ったけど、
とどのつまり、根本的な存在の問題についてはどうなのかねぇ…
これから先だって、AIや臓器移植、人口生命体等、根本的な存在に関わる
新たな問題に直面すると思うけどね。 >>358
お釈迦様はうさぎの時に自分を食べてもらおうと火の中に飛び込んだらしいので、もしかしたら動物にもあるのかもしれません。 >>363
いや、大きな違いじゃないと思うよ。人間だけ突出してるんじゃなくて類人猿やチンパンジーみたいなのとなだらかに地続きなんじゃないの?遺伝子もたいして違わないし。群で生活するのも同じだし。 >>364
仏教では存在を作るのは心でしょうから根本的なのは心では?
糞凡夫さんは唯物論者ですか? >>367
仏教(唯識)では、根本識として阿頼耶識を設定し、他の七識をその転識といってますけどね。
第六識である「意識(=心)」も阿頼耶識の転識って事だそうで。
「心(第六識「意識」)」は阿頼耶識の変成として現れたもの(という表現が適当かどうかw)。
であれば、人類としての進化「心の生成」も元は阿頼耶識の成せる(?)業なんでしょうね。
もっとも、その阿頼耶識自体も刹那生滅し依他起性のものであり、無始無終で恒常不変ではないのですから。
仏教は奥が深いw >>367
> 糞凡夫さんは唯物論者ですか?
何でしょうね、わかりませんw >>366
類人猿と人間は似てる部分がかなりありますよね。
チンパンジーなんかは他の動物には見られないような、ある意味では人間のような残虐さを持っていますよね。
ボノボと人間もとてもよく似てますが、利害関係なく分かち合うというのはボノボにもありません。人間だけです。
その分かち合いや理性をどれだけ重要視するかによって大きな違いだったり小さな違いだったりするのでしょうが、私としてはそれが大きな違いだと思っているという事です。 >>366
過去にチンパンジーの生態を調べている時にチンパンジーの残虐性にすごくショックを受けたことがあって、人間とチンパンジーの違いを考えたことがあったんです。
人間が猿から進化したのであれば、人間はもともと残虐な性質を持っているんじゃないかと思ったんです。
それで何が違うのかを調べているうちに、分かち合いということに繋がりました。 >>321 それを進化と感じるのは今の状態が進んだものという価値観からなのじゃ。
スパルタの人ならば逆に軟弱に退化したとみるかもしれん。
連続殺人犯を多く知る警察官などは人は全く変らないのだとみるかもしれん。
今でも何人も平気で害する者がいるからのう。
>>323 自ら書いてある通りに、それはおぬしの寂しさや孤独感から起きているものじゃ。
寂しさや孤独感から他人と関係を断つのが非情に思うのじゃ。
それらが自らの心に有ることをただ観察するのじゃ。
原因がわかるならば、原因から観察するのじゃ。
そうすれば寂しさや孤独感は消えるのじゃ。
そして寂しさや孤独感からではなく他人に親切にするがよいのじゃ。
それが真の善事なのじゃ。
>>326>>327 よい気付きなのじゃ。
しかし、それを生存本能とみなくてよいのじゃ。
ただそれが心の働きとして有ると観察するのじゃ。
歪んだ思いも正さなくて良いのじゃ。
何も問われていないのじゃ。
ただありのままに観察し続けるのじゃ。
そうすれば厭離がおこり、心は整えられていくのじゃ。
精進あるのみなのじや。
>>330 よくあることじゃ。
この前は良く出ると思ったらバブじゃった。
バブ味がしたのじゃな。 鬼和尚はなぜ人を殺していけないとおもいますか?
世界の常識では神が禁じているから、で簡単なそうですが
日本的にはブッダが禁止しているから、でいいでしょうか? >>351
>人間と動物の決定的な違いは理性なんですよ?
それ、何かの教科書で読んだの? レベルが低すぎるよ。
理性によって煩悩を抑えているなどと考えているようでは
宗教の「し」の字もわからないでしょう。
本当を言えば、「煩悩」などないのです。あなたの好きな「理性」
を使うなら、「理性」が「煩悩」を作っているのです。
まあ、これからもっと仏教書をたくさん読んで勉強して下さい。 >>376
詭弁? 中学生なの?
仏教を含めた東洋哲学では常識中の常識ですよ。 ちなみに思考と理性は違うからね。
混同しないように。 マウントじじいは視野が狭く頭が固く独りよがりなオナニー野郎
糞凡愚と同類 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています