悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】61
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悟りを開いた人=ブッダのことで、仏教的人生相談になります。
仏教の議論は宗教板で。ここは、あくまでも人生相談スレです。
◆利用者のみなさんへ
・人生相談板では 相談すること、それに答えること このやりとりが大事です。
独り言や自説の主張・雑談・馴れ合いなどは禁止です。各々の専門板へ。
・何度も書き込む場合は最初に書き込んだ時のレス番号を名前欄に書いておいてください。
・相談はなるべく詳しく明確に書きましょう。(できれば年齢や性別も。)
では、どうぞ。
※前スレ
悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】60
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1513819266/ 今、仕事から帰宅。
お前ら今まで仕事でやらかしとか、歴代最悪のとんでもない失態とかある?
聞かせて欲しい。 鬼和尚は金剛筋シャツをきてムキムキになってあそこも鬼のようにムキムキになって
女にもてまくるようになったのですか? 鬼和尚は台湾よりも福井に油を加えるべきとは思わないわけですか? 頑張るというのは頑迷に意固地になるみたいな意味らしいので
日本もこれからはガンバレという意味で油を加えるという言葉に言い換えるべきだと思いますか? 耳鳴りに苦しめられています
静寂がなく心の平穏が得られません、もとから静寂の必要性が高い人間でしたここれから解放されるには死ぬしか解決策が見つかりません
どうしたらよいでしょう 鬼和尚はピカソの絵は子供の落書きみたいなものとか思いますか?
>>241 耳鼻科に行くのじゃ >>242
何軒か行きましたが無意味でした
むしろ行かないで身体を休めていた方が良かった >>243 耳鼻科は医学部でも落ちこぼれのアホが逝くとこで藪も多いのじゃ
大病院に行ってみるのじゃ >>230
良寛さんは悟っていないと思われても気にしないだろうけどね 自分の本心が何なのかわかるまで観なければならない
ということですよね
さきほどわかりました
これにより人間関係がよくなるといいな 本心を観て、わかったあとは、うけいれるんですよね。 >>236
おもにヒューマンエラーです
でもヒューマンカインドネスに助けられています >>241
何かおもいわずらっていることはありませんか?
まず心を落ち着けて、あなたが平和に生きることを第一に考えてみては。 鬼和尚。
SNSに過剰にハマるのは若者の方が多いように思うんですが、
大人より若者の方が孤独や寂しさを感じやすい理由はなんなんでしょうか?
若者の方が孤独や寂しさに弱くて、やたら人との繋がりを求めたり何かに依存している姿が目立ちます。
大人に比べて若者の方が閉塞感を感じて生きているように見えます。
どのような理由が考えられますか?また解決する方法はありますか? >>233 悪くないのじゃ。
そのようなことを言わないようにと教えてやると良いのじゃ。
放っておいてもよいのじゃ。
>>234 今はそれを指針にしたらよいのじゃ。
更に気づくことがあればそれも指針にしたらよいのじゃ。
囚われずに進むのじゃ。
どこまでも観察すれば無の境地にもいけるじゃろぅ。
精進あるのみなのじゃ。
>>235 どういたしまして、またおいでなさい。
>>236 特に無いのじゃ。
>>237>>238>>239>>242 何思無
>>241 西式健康法とかをやってみるのじゃ。
治るかもしれんのじゃ。
耳のつぼとかもおしてみるのじゃ。
首のこっているところをマッサージしてこりをとるのじゃ。
いろいろ試してみるのじゃ。 >>248>>249 そうじゃ、自分の本心を受け入れ、明け渡すのじゃ。
そうすれば自分が変り、周りも変るのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>252 まだ逃避が少ないからなのじゃ。
年を重ねると孤独からのいろいろな逃避を覚えて落ち着いたように見えるのじゃ。
実際は年をとっても孤独や寂しさを感じるものが多いのじゃ。
よく観察してみればわかるのじゃ。 >>252
年を取ると人間の人知の及ばない、何か偉大な存在に気づくようになるとか。
それは自然の中、地球上、宇宙に、そして人間の意思の中にもあるとか。
梵我一如というか、一は全、全は一なのでわざわざ人間と繋がらなくても
あらゆる生命に自分自身と同じ懐かしさを感じるようになるとかかな。 >>241 漢方薬はいかがでしょうか。
本当は漢方薬局や漢方を扱う専門の病院で相談されると良いのですが
お疲れのご様子なので「中医学」「耳鳴り」で検索して
自分に合いそうな市販の漢方薬を試してみるといいと思います。
梅醤番茶もオススメです。生野菜や果物、ジュース類はできるだけ控えて
暖かくしてお過ごしくださいね。 俺は見た目を気にして自分を良く見せよう、凄く見せようとしています。
やめた方がいいと思うのですが、これらをやめると人前で自分を律することが
できなくなって恥ずかしいことや法律に触れることをしてしまいそうです。
どうしたらよいでしょうか? そこまでわかっているならやめなくてよいのじゃ
自分を良く見せナイトセックスにもありつけないのじゃ
本能、遺伝子のなせる業じゃ 鬼和尚、私はよくホームセンターに行って、鉢植えの花や観葉植物を
ながめるのが好きです。
植物といっても色んな種類があるんだ、みんなそれぞれに生きているんだと
感心させられます。花は匂いをかいだりします。ランのデンドロビュームの匂いが
一番強いです。
そして、気を貰っているように感じます。
実際、気が流れているのでしょうか? 耳鳴りの者です、ありがとうございます
漢方は市販のものは試してみましたが特に変化なく
耳鳴りは急性期以外はたいした治療もなく大病院にいっても対処療法が主だそうです
耳から音が鳴っていて不安が取れないとき、身体に拘束されているという無力感と絶望も感じます
どう克服する術があると思いますか?
自分なりに気の持ちようなどで何とかしたいと思うのですが
特に神経質です
自殺も本気で考えたりします >>261
わたしもときどき耳がきーんとすることがあります
しかしこれも諸行無常、しばらくすれば止みます
今この耳鳴りも長くは続かないんだな、と楽に構えてみてはどうでしょう
ある程度治まったら、あなたが感じる楽しさや幸せの中に
あなた自身を置いてみてはいかがでしょうか >>257 その心の働きをただひたすらに観察するのじゃ。
そのようにできなくなって恥ずかしいことをするかもという不安も観察するのじゃ。
原因から不安までも完全に観察できれば消えるのじゃ。
囚われがなくなり楽になるじゃろう。
>>260 そうじゃ、気もながれているのじゃ。
生き物には全て気が有るのじゃ。
石とかにも気は有るのじゃ。
>>261 西式健康法とかを実践するのじゃ。
背骨と足をよくするのじゃ。
整体とかに行ってもよいのじゃ。
便通も良くするのじゃ。
健康になれば大抵はよくなるのじゃ。 ありがとうございました。
気が付いたら集中に戻る実践を続けて行きます。
夢の雑念がある状態で観察も始めてしまって良かったでしょうか?
30分、止の瞑想の所を
15分止→15分観
に変えてみたのですが、
無念無想に到れるまで、止の行を完成させることの方を優先した方が良いのでしょうか? たまに明晰夢を見ますが、
覚醒と睡眠の狭間で、感覚や感情が現実より強く感じる事があります。
特に無常の一瞬への強い愛情と切なさみたいな郷愁的なものを感じる事が多いです。
起きればいつも平坦な感情に戻り、その時の感情を呼び起こす事が出来ません。
また、たまに性的な夢を見る事がありますがそれも現実よりも感覚が強いです。
昔読んだ明晰夢という本にも書かれていたのですが、人は明晰夢の中で時に現実より鮮明な感覚を得るようです。
これは何故なのでしょうか?
ヨガでいう微細体というものがあり、それは肉体よりも繊細な感覚を持っていて、明晰夢の際はそうなっているのではと思ったのですがどうでしょうか? もうひとつ夢と現実について教えてください。
ここ数日は仕事で忙しかったせいか眠りばなに、何かに触れて指先が熱いというイメージが起こり、それが実際に痛くてハッとするのです。
イメージから痛みも起こるものでしょうか?
それとも何らかの実際の痛みなりの刺激がイメージを想起させているのでしょうか?
シュタイナーが夢について、夢は刺激を受けてからイメージが起こると言っていいました。
うろ覚えですが、ある人に何か刺激を与えた時にその人が夢の中で椅子から落ちる夢を見たとします。
その場合、刺激を受けた瞬間に椅子から落ちたという記憶(ストーリー)を作り上げるのだそうです。
そのような事もあるのでしょうか?
私は明晰夢や時折起こる入眠時の幻聴が不思議でこれらをよく観察するようにしていますが、実際には無いはずの音をしっかり聴いたり、目の前の綺麗な風景を写真に納める為に携帯を探したりする時は実際に「今感じている自分」を感じています。
しかし夢が何らかの原因から起こるイメージであるなら、現実というのもそうである可能性があると思うのですが、どうなのでしょうか? >>254
鬼和尚、明け渡す、とはどういう意味ですか?
丸投げするとか手放すとか引き渡すとかそういう意味合いでしょうか?
私から誰に明け渡すんでしょうか? 学んでも私の頭では分かりそうにないんで、教えて下さい。 >>273
正にその理屈
従ってこころの中に限らんのだ >>258
>>259
>>265
有難う御座います。m(_ _)m 鬼和尚、「別れ」について話を聞かせてください。
数人の女子と体の関係を持ち、それぞれの子と仲の良い時期がありました。
しかし、その誰とも正式には付き合っていませんでした。
遊びの延長だったとも言えるし、互いに心の隙間を埋めていたとも言えます。
そのうち自然と関係が無くなって数年が経ち、私は別の人と結婚をして家庭を持ちました。
ある時、ふと何人かと再会する機会がありました。
しかしお互い以前のように接する事ができず、余所余所しいんです。
相手に所帯持ちなのを伝えなかった時点でそもそも会うべきではなかったですが、過去の楽しい思い出に囚われて同じような体験を求めてしまったのかもしれません。
私はルール違反を犯しました。
もうこの関係は完全に終わったと思って、連絡も断ち会わない方がいいでしょうか?
短い時間とは言え深く繋がった子達ですから、それぞれ幸せになってほしい気持ちはあります。
同時に二度と戻らない過去になってしまった寂しさのような気持ちもある。
この囚われの心と寂しさにどのように折り合いをつければいいですか?
執着が少しでも残っているのなら幸せを願う対象は家族だけにして、過去の女子達が幸せかどうかなど考えたり様子をうかがうような連絡は取るべきでは無いでしょうか?
潔く忘れて別れろ、と言うのが最善でしょうか。 >私はルール違反を犯しました。
自分でもわかっているではないか。
過去の付き合いは清算して、誰も悲しませないようにするのじゃ。
おぬしも仏法を学ぶと良いのじゃ。 歴史を知ることは人間の理解になりますか?
今ある概念というものは過去から成り立ちを学ぶ必要があると気付き歴史を学ぶ事に楽しみを覚えました。
人の心というものはお釈迦様の時代の人と現代の人の心も変わりませんか?
人類の意識は進化しているのでしょうか? 進化ということは有り得るのでしょうか?
歴史を調べていたら、殺略などの残虐さに気分が悪くなってしまいました。
人が人を人とも思わず残虐に殺したり支配などはどうして出来るのでしょうか。
自分たちとは精神の構造そのものが違うのだと思わざるを得ませんでした。
残虐さとは一体どうゆうものなのでしょうか。悪意がないなら悪ですらないのでしょうか。 >>282
>自分たちとは精神の構造そのものが違うのだと思わざるを得ませんでした。
先ず、その自分の盲目性に気付くことが出発点ではないでしょうか?
牛や豚や鶏を殺し、彼らの苦しみや悲しみなど全く想像することもなく、「ウマイ、ウマイ」と言って
食べているなら同じ精神構造でしょう。
魚介類を生きたまま熱湯に入れ、彼らの苦しみなどには全く気付かずに「マイウ、マイウ」などと言って
喜んでいるのは同じ精神構造でしょう。 >>266 良いのじゃ。
それは自分自身のやり易いように実践するのじゃ。
誰にでもあてはまる方法は無いのじゃ。
自ら実践してやり易い方法を探すと良いのじゃ。
>>267 自分の観念の世界であるからなのじゃ。
心がそのまま見えるから感覚や感情もありのままの強さで感じるのじゃ。
微細体などはないのじゃ。
囚われずに進むのじゃ。
>>268 痛みも観念でしかないから起こるのじゃ。
それは後付の観念なのじゃ。
思考でそのように解釈しているだけなのじゃ。
現実も夢幻なのじゃ。
>>271 自分自身に思ったことや感じたことをありのままに明け渡すのじゃ。
怒ったならば怒ったと観察するのじゃ。
悲しいならば悲しいと観察するのじゃ。
何の解釈も付け加えない本心を自分に明け渡し、受け容れるのじゃ。
>>280 別れたら良いのじゃ。
誰でもいずれは別れるものじゃ。
執着を捨てるのじゃ。
それが楽になる道なのじゃ。 >>283
その発想自体が差別意識であるとは分かっていましたが敢えて書きませんでした。わざわざ突っ込まれて面倒臭いので書いておくべきでしたね。
その辺は既に考えたというか知っていますというか。しかもこれだけ情報社会でありますし一昔前とは違って動物の苦しみを考えられない人の方が寧ろ少数派では?
何を選ぶってそのような発言をしているのか理解に苦しみますね。 >>285
言い訳の必要はないでしょう。自分の盲目性に気付けばそれで済むことです。 >>286
あなたが盲目性と指摘しているものは単に言外であった、という事を言っているだけですよ。
動物の苦しみを考えた事が無いと誤解される事は嫌なので。
あなたがそのように決めつけをする上に相手の弁明を受け入れもしない、自身の盲目性に気付きましょう。 >>283
それに精神構造が違う事と相手を苦しめる事は全く違いますよね。
猫や犬が我々と同じではない精神構造を持っていると大抵の人は思っていますが残虐な行為をする人はごく小数です。
精神構造の違いそのものは問題でもありません。
答えるなら質問の趣旨を理解し答えて下さい。 >>287
>>282 の最後から2行目の文を読んで、あなたが盲目であることがわかったので
つい、本当のことを書いてしまいました。ごめんなさい。
>>288
猫や犬の精神醸造は何の関係もありません。
歴史上残虐なことをしていた人々と現代人の残虐性について書いたのです。 自分は残虐ではないという傲慢
同じ時代に同じ教育を受け同じ生活を営んだとしても自分はそうならないという傲慢 >>291
誰が残虐で、誰が残虐でないなどとは私は一言も言っていないのですよ。
古代人も現代人も同じ残虐な生き物であることがわかっていればいいのです。
そうすれば、
「自分たちとは精神の構造そのものが違うのだと思わざるを得ませんでした。」
のような文は書かないだろうということです。 >>289
>>291
残虐性は文化と教育によるものという考えだということですね。 >>293
違います。
人類はいつも残虐だということです。それが人類の宿命かも知れません。 >>292
ヨーロッパのアメリカ侵略時のインディアンの虐殺を読んでの感想でした。
人間の残虐性が恐ろしく思います。
誰が、というわけでもないのですが現代でも稀にいるような殺人鬼などの精神構造は、我々と違う生物であるかのように感じざるを得ません。
脳波測定でも反応が異なっているそうです。
しかし猫が鼠をいたぶって殺す事に罪の意識も罪ということもないでしょう。
残虐性とは何なのか、と思ったのです。 このような事を考えているだけでも具合が悪くなってくるので考えるべき事でもないのかもしれません。
自身の残虐性に気をつけようと思います。 >>292
わかってる。あなたに書いたんじゃないから。
>>293
基本的にそうですね。
>>295
人は、人が暴力を受けているシーンを見ると可哀想に思います。
しかし、暴力を受けている人に、暴力を受ける正当な理由があれば、そのシーンを好ましく思います。例えば親の仇であるとか。
歴史の本を読むのであれば、そのような背景まで推測してはいかがでしょうか。
魔女狩りにせよ、原爆投下にせよ、地下鉄サリン事件にせよ、残虐な行いの背景には人を盲目にさせる大義名分、何らかの理由があります。
残虐の裏側には盲信があります。 >>296
気をつけるべきは物事を俯瞰してとらえることです。
悪より善のほうが残虐性は強いです。
悪いとわかっていれば躊躇するものですが、善だと思えば躊躇せず省みもしません。 >>297 >>298
楽しみながら拷問などを行う、度を越した残虐性が理解出来ないのです。
共感能力と感情移入能力が欠けていて脳の構造が違うのでしよう。 >>299
楽しみながらというのであれば、極一部の人が持つ性的嗜好のようなものかもしれませんね。
そのような人の割合は今も昔も変わらないのではないでしょうか。
それよりも大事なのは、何かの本に「楽しみながら拷問をする描写」が描かれているのであれば、それはその本の作者が意図してそのような描写にしている事を客観視するべきなのです。
楽しみながらなのか笑うしかなかったのか事実はわかりません。
そもそも、そのような事実があったのかどうかすらわかりません。
南京事件で描かれる日本兵のほとんどは、楽しみながら妊婦の腹を切り裂き赤ん坊を取り出して踏みつぶすのですから。 >>300
そのような人達は人間の中に一定数いると知り警戒していくしかないのかもしれません。
未熟な知見では歴史を学ぶ事が新たな偏見を生み出す事にも成りうると気付きました。
ご指摘ありがとうございました。 自分が生きるために必要なことは、出来るだけ全工程経験してみるのは良いと思うよ、鶏肉を食うなら首引っこ抜いて殺して熱湯使って毛をむしってとか、自分の暮らしの中での残虐なことで考えた方が良いと思うよ >>302
それについてはいろいろな意見があるところですね。
以前に、テレビで自分の中学生の子供に「自分が食べるものだから」と言って
鶏の首をひねらせていた親を見たことがあったが、馬鹿親だと感じたものだ。
確かに、自分は虫も殺さないような顔をして(他人に殺させた)肉料理を
貪っている人間の浅はかさは考えるべきものを含んでいると言えるが、
「動物を殺さなければ生きていけない」ということを大前提にして、それに
何も疑問を持たせないような教育をするのは、あまりに単純過ぎると言えるだろう。
肉食は単なる習慣に過ぎないもので、生きる為に必ずしも必要なことではない。
インドなどには生まれた時から菜食主義で100歳近くまで生きる人もいる。
日本でも、昔の僧侶はみな精進料理しか口にしていなかったし、高僧と言われた
人達は長寿の人が多かった。
栄養学では幾つかの動物由来のアミノ酸を摂取しなければ人は健康に生きられないと
説明しているが、世界中には菜食主義で長生きしている人がたくさんいるのだから、
栄養学などはまだ中途半端な進歩段階にある学問だと言える。
このスレはタイトルを見てもわかるように宗教的な理念がベースにあるスレなのであるから、
「人は動物を殺して食べなければ生きていけない」などという間違った考えを前提に議論する
ことだけはやめてもらいたいものだ。 >>304
私は出来るだけ自分の身近なこととして接した結果知られたことを大切にしてる感じだから、情報として知ったようなことで会話をしてると、なんだか不安になっていくのである時点でやめるかな >>304
人間は縄文時代から動物や魚・貝類なども食べて生きてきた。
お釈迦様も托鉢でもらった肉も食べたはずだ。
肉を絶対食べてはいけない、ということではない。
現代の栄養学が完全だとは私も思ってない。 >>302
>>304
私が山の中で狩猟生活を強いられたらそうするでしょう。
しかし必要もないのにゲーム感覚で命を奪ったり痛みを与える事はしないでしょう。
質問の仕方が悪かったのでしょうね。
いじめなどもそうですが傷つける事を楽しむような残虐性について聞きましたがこれは共感能力の欠如ということで答えが出ました。
>>自分は虫も殺さないような顔をして
あなたの目の前の人が肉料理を美味しく頂く姿を見て浅はかだと決め付ける事は浅はかでしょう。
小学生でも生き物の命を頂いていることを自覚し感謝している子の方が多いですよ。
医療の発展、市販の目薬ひとつにも膨大な動物実験がなされて開発された事などを知った上で目薬を使用していますよ。
安い安いとダイソーなどにも単純に喜べない、消費が促される環境汚染などの犠牲があります。
消費を必要とする一部の人によって動かされている資本主義社会が元凶でしょう。隠され見えないために知られない、成り立ちに疑問を抱かない安直さを責める事も出来ないでしょう。
理想論だけを言うなら他の生き物を苦しめてまで人間だけが生きるというこは良くないし、そこまでするのならこんなに繁栄しなくていい、自然に任せて病も受け入れて生きた方が良い、
とは世の中の大半の人が思うでしょう。
しかし思った所で何を出来るのか、せめて知ること、広める事でしょうか。
一人一人が考え発言をしていかなければならないのかもしれません。
失明するかもしれないと言われて兎を百匹犠牲にすれば助かるかもしれない、と言われた時にどう考えるか、1匹ならどうか?
私は何匹かならなどと考えてしまうから自己中心的な悪い人間でしょう。 何かの構造を知りたがる人と、何かを使って楽しむ人といるなと思うことあるな、私はどちらかと言うと、何かと親しく接した結果構造も知ったりする感じだな、惹かれて親しくなることの方が重要で知ることは二の次かな 社会生活するにはボロボロの服はみっともない上に他人から疎外されるので買い替えなければなりませんね。
見えない所で誰かが被害を受けていると知りながらも疎外される恐れなどの弱さから、仕方がないことだと流れされます。
どこかの国では明日の命もわからないと知りながら、
私1人が服を買わないことで何になるか?という何億人の意識があるでしょう。
いじめの首謀者と弱い傍観者は同じ位に罪があるのだと自覚する事が大事なのか?
私はボロボロの服を着て人から疎外されても平気と思えない弱い人間なので残虐でしょう。
漠然と考えてはいましたが自覚する良いきっかけになりました。
自分の心を整えることが何より大事という鬼和尚の言葉が身に染みます。
これ以上の思考も善悪だとか原因だとかは辞めて
瞑想に励もうと思います。 >>312
誰のことかと思った。
自説の主張となり失礼した。 鬼和尚は特別会計を調べていた石井議員が暗殺されたことについてどう思いますか? >>301
何を考えるにしても、考える材料は常に不足しているということを念頭に。
正しい答えを自分が知ることは“絶対に”ありませんので。
1つの事象には様々な要因がありますよね。
その要因となる1つ1つにもそれを構成する様々な要素があります。
1つの事象を突き詰めれば、そこには太陽があり水があり世界があり、と、なります。
これが縁起を理解するということです。
1つの事象における残虐性というものも、独立した存在では決してないということです。
事象に対して生ずる感情や主観に囚われず、自分の感情が波立つ要因、要素の1つ1つを検証していくことで
自分の思考には根拠のない思い込みがたくさんあることに気づいていくと思います。
それによって無智、無明から離れていくことができます。
がんばってください。 私の苦しみはなんら妥当ではないことを
盲信していたことから来ているのだと気づきました
誤解を正解だと勘違いしていたようです
たくさんの知恵、勉強になります、ありがとうございます >>315
ありがとうございました。
精進致します。 >>282 少しはなるじゃろう。
大体変らないのじゃ。
進化していないのじゃ。
進化は無いのじゃ。
変化しているだけなのじゃ。
動物と同じ程度の感情しかなかったからなのじゃ。
それも恐れから起こるものじゃ。
恐れがあれば他を害して身を守ろうと思うのじゃ。
>>303 女は度胸じゃ。
>>314 何も思わないのじゃ。
おぬしも調べるとよいのじゃ。 >>320
>進化していないのじゃ。
>進化は無いのじゃ。
>動物と同じ程度の感情しかなかったからなのじゃ。
(じゃあ、今は進化してマシになったということ?)
矛盾してるじゃん 他者と関係を断つのが時に非情に思えて仕方がありません。
慈悲や愛が大切と言うのなら、長く付き合って相談に乗ったり話し相手になったり世話を焼いたりするのも
大事な事だとは言えませんか?
もちろん、プラスにならない人間関係はスパッと断てるんですけど、そうではない場合どうしても情が移ったり
感情移入してしまったりして感傷に流されてしまいます。
いずれ誰とも別れなくてはならない、それもその通りだと表面上は理解はできます。
しかし、わずかな時間であっても共に過ごして相手にしてやれる事があるんじゃないか。
そんな風に短い時間でも一緒に過ごす時間が貴重だと思うんですが、これは執着なんでしょうか?
他者の人生に責任が持てないのなら、関係を断つ方がむしろ相手の為にもなるんでしょうか?
仲良くなった人が自分から離れていくのは、正直寂しくて仕方がありません。
感傷に流されそうになった時や寂しさに耐えられない時、どう対処すべきでしょうか? >>323
それも執着なのじゃ。
仏法を学ぶのじゃ。
数息観をするのじゃ。それが何よりの楽しみになるじゃろう。 外界からの刺激により「攻め」と「守り」の
自動反応が私にあると気づきました
攻め守りは大昔からの人間の生存本能とみていいでしょうか?
この自動反応も私というフィルターを通しての
主観による反応とみることもできます
この反応の根源であろう人間に対しての歪んだ思い込みを
正していく必要があるのでしょうか? 他人とは優劣をつけず、比べず、勝敗をつけない、
他人と争わない生き方が問われているのでしょうか? >>261
機関紙を見ていて偶然見つけたのじゃ。
健康食品の「蜂の子800」を飲んでみてはどうかのう。
値段もそんなに高くないようじゃ。
「蜂の子800」で検索するのじゃ。 >>322
「動物」と同じ程度の感情しかなかったものが「人間」の感情を持つようになったのだから、
変化ではなく進化。
より高度な機能を有するようになった場合、「変化」ではなく「進化」とよぶのが常識。
偽○○には難しいかのう・・・。 >>331
お前がそう思うんならそうなんだろう
お前ん中ではな 鬼和尚が間違ったことを言った時でも正しいと主張するようなお馬鹿さんは、永久に悟りを開くことはできない。
社長が間違ったことを言ってもそれを指摘しないでおべっかを言っている馬鹿社員と同じ。 >>282
> 人の心というものはお釈迦様の時代の人と現代の人の心も変わりませんか?
鬼和尚「大体変わらないのじゃ。」
↑
人は精神的に向上していない、進化していないという意見。
> 歴史を調べていたら
> 人が人を人とも思わず残虐に殺したり支配などはどうして出来るのでしょうか。
鬼和尚「動物と同じ程度の感情しかなかったからなのじゃ。」
↑
昔と今の人は大体変わらないとの前提から読み解くのが自然であるから
鬼和尚「(そのような行いをした者は)動物と同じ程度の感情しかなかったからなのじゃ。」
このような意味だと理解するのが普通。
過去形なのは歴史に登場した残虐な個人に対する意見だから。
>>334
文盲。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています