悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】61
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悟りを開いた人=ブッダのことで、仏教的人生相談になります。
仏教の議論は宗教板で。ここは、あくまでも人生相談スレです。
◆利用者のみなさんへ
・人生相談板では 相談すること、それに答えること このやりとりが大事です。
独り言や自説の主張・雑談・馴れ合いなどは禁止です。各々の専門板へ。
・何度も書き込む場合は最初に書き込んだ時のレス番号を名前欄に書いておいてください。
・相談はなるべく詳しく明確に書きましょう。(できれば年齢や性別も。)
では、どうぞ。
※前スレ
悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】60
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1513819266/ >>205
ip開示しないとなんの根拠にもならないしw
それにさw他人に首つれとか生きてる価値ないって吠えてるカスが
自分で捏造したチェッカーとか示されてもw
だからさwいい加減認めればw
お前は多重人格で無意識にたちんぼを買ってんだろw
一度も完全な証拠示してないからw
お金かけてip開示しろよw
でも出来ねぇよなw
お前がだって書いてることだからw
なぁ坐禅して悟りとか騙って
たちんぼに中出ししてる気持ちってどんな心境なのw
自分で必死にチェッカー捏造してる気持ちってどんな感じなのw >>206
はぁ?
チェッカーが捏造出来るだ?
http://hissi.org/
キチガイだなw 馬鹿過ぎw
つか、私が成りすまして書いてましたって自白してるようなもんじゃんw
凄まじい馬鹿だなw 宗教板で瞬殺された事を根に持ったからといって、そこまでするか?
キチガイだろ、こいつ。 >>206
糞凡夫ってそんなことまでやってるの?
キモいね。 親や兄弟、学校の先生や友達などから受けた影響を完全に落とすにはどうすればいいですか?
本来の自分を取り戻して、自分オリジナルの人生を歩みたい。
他者から受けた影響の消し方を教えてください。
あと他者の影響って消したほうがいいんですよね? ありがとうございます。
観察をしてみましたが、15分の止の瞑想の後はぼーっとした感じでした。
雑念について教えて頂きたいのですが、雑念には2種類あるようです。
1つ目は普段の思考的で能動的な雑念で、内心に言葉のように辻褄が合って浮かぶものです。
それが静かになると、夢のような雑念が起きます。関係の無いイメージや言葉だったり、映画のようなワンシーンだったり。
そしてハッとしては戻りまた浮かんで乗っ取られそうになり…の繰り返しです。
未だ、この夢の雑念から先に進む事が出来ません。
これは雑念というか眠り掛けている気もします。
リラックスし過ぎているのでしょうか。
しかもこれは夢のようにふわーっと意識を乗っ取るような感じで来るので、無視しきれていません。
乗っ取られては戻って、の繰り返しです。
夢の雑念が起きるのは眠りかけていて良くないことなのでしょうか?
無視が難しいのですが、この雑念はどうしたら良いのでしょうか? 雑念には2種類あるのですか?
普段の雑念とは違う、
この夢の雑念は何なのでしょうか? あと私は毎日よく夢を見て明晰夢を見たり寝入りばなもこの夢の雑念が湧き、普段からこれが起きやすいです。 >>185
楽しみを見つけ生き生きと過ごすのが標準だ
ま
心はそうそう老けない
>>189
いちいち構わないよう
>>211
再構築しよう
どうとでも >>213
脳波が睡眠時に近い状態なのか、若しくは脳が酸欠状態にあるとかかなぁ?
いわゆる魔境が生じ易い状態。
息を数え直すとか、鼻から思い切り息を思い切り吸って吐くとか、立ち上がって少し歩くとか、身体を抓るとかね。
自分は思い切り息を吸って「むぅぅぅぅう!」と全身全霊をかけて(息を)吹っ切るけどね。 >>211
仏教ではそうした出来事が種子となって阿頼耶識に蔵され、それが次の行動を制約するそうですよ。
脳に記録された回路を切り替えるなら、新しい回路を築くって事でしょうね。
上塗りです。 人を許せないのは自分の傲慢さが原因でしょうか、なぜ自分が傷つけられなければならないのだという
相手がどんなに嫌なやつで傲慢で職業上などであってはならないような態度であっても、そう感じる自分だけが原因で許せないのだから焦点を相手に向けるのが間違っているのでしょうか >>220
いや相手にそう言えばいいだけで、その場にいない人間に対していつまでも怒っていても仕方ないでしょう
あなたは傷つけられたと感じますか? >>204 おぬしには負けるがのう。
わっはっはっは。
頼んだのじゃ。
>>211 自らの本心を観察する事によって消えるのじゃ。
心を観察してどのような反応がその影響なのか調べるのじゃ。
それが完全に観察できればなくなるのじゃ。
全ての影響はなくしてよいものじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>212 どういたしまして、またおいでなさい。
>>213>>214 まだコントロールができていないのじゃ。
それらは潜在意識からの観念なのじゃ。
深い瞑想に入っているが、心を完全にコントロールできていないから巻き込まれるのじゃ。
それらにも囚われず、気がついたら集中に戻る実践を重ねていればコントロールできるようになるのじゃ。
何もせずにそれらが現れては消えていくのを眺めるのじゃ。
そうすればそれらもいずれ消え、無念無想の境地に入れるのじゃ。
更に精進あるのみなのじゃ。
>>219 わしは何も思わないのじゃ。
>>220 それは傲慢ではないのじゃ。
ただの反応なのじゃ。
頭のおかしいものはどこにでもいるものじゃ。
それによって傷付くとか、思う原因がおぬしの心の中にあるのじゃ。
このスレにも頭のおかしい者が書き込んでいるが、おぬしはそれによって傷付いたとか思わないじゃろう。
犬が吼えたり、鳥が鳴いたりしても傷付いたとか思わないじゃろう。
特定の状態に傷付いたという反応をする原因がおぬしの心の中にあるというだけなのじゃ。
それがなければその反応も無いのじゃ。 自分の他人に対する悪い感情の原因を探したり
悪い感情にサティを入れたり
感情から離れようとしたり
手放そうとしたり
気にしないようにしたり
どれもいまひとつでした
ただ「打つ手なし」と思えたとき
『ひともじぶんもうけいれてみよう』
とアイデアが浮かびました
―ひともじぶんもうけいれる―
効果の程はまだ分かりませんが
これからの私の人生をもって証明していきたいと思います 観察による気づき、原因がないと仮定する、手放す。
私には負の要素がどうしても残り、これらの方法では解脱出来ませんでした。
ただ、他人も自分もうけいれて生きていけたらいいのかな、と思っています。
うけいれたぶん、人生の自由度は増えそうです。 相談者(>>189)です。
鬼和尚様他、回答者の皆様、ありがとうございます。
暖かい回答に心癒やされます。
また質問にきます。 鬼和尚、良寛は本当に悟っていたのでしょうか?
良寛の最晩年の貞心尼とのやり取りは、非常に人間的な交流でした。(恋愛?)
良寛はこの貞心尼と弟の由之に看取られて亡くなりました。
この辺りが本当に悟っていたのかな、と思うところです。 >>229
悟りに関心のある人であなたと同じ勘違いをしている人は非常に多いですね。
「もろもろの欲がなくなることが悟り」だと思うのは全くの間違いです。
一休禅師も奔放な老いらくの恋を楽しみながら晩年を過ごしました。
昔、清水寺の貫主(かんす)だった方は80歳を過ぎてから子供を作って話題になったものです。
性欲というものは人によって煩悩になったりならなかったりするのです。食欲と同じです。
見る人の性欲が煩悩の場合は、良寛さんや一休禅師が悟っていないと見えてしまうのです。
(他人を見る時も自分の煩悩が投影されてしまうからです。) >>223>>224 それがサティなのじゃ。
今までのは観念遊戯であったのじゃ。
自分の本心を受け容れていなかったのじゃ。
自分の本心を受け入れ、観られなければ全てが観念遊戯なのじゃ。
そこから全てはじめるのじゃ。
>>226 どういたしまして、またおいでなさい。
>>229 悟っていたじゃろう。
無為の人であったのじゃ。
積極的に教えはしなかったからよくわからないのじゃ。
静寂と慈悲の念を見出すのじゃ。
>>231 加油なのじゃ。 生理痛が酷くてガン検診のついでに病院行ったんだけど、それを知った友人が何するの?どんな感じ?入れるの?(内診するの)ってうるさい
毎回お腹痛いとか病院行った方がいいかなとか騒ぐんだから心配なら行けばいい。
男の先生に見られるのが嫌だとか言うけど、先生だってくさるほど見てるだろ。
2、3回飲んだだけのよくわからない男にホイホイ股開くくせになにかまととぶってんだよ。
お前になんか教えねーわって思ってにこやかに教えない。行けば分かるよって言ったらその後から仕事中もしかと。
なんで棒を突っ込んだかとか教えなきゃいけないんだよ。
私悪くないよね?
嫌な態度はとってないし、そういうことを聞かれたら嫌な人だっているだろう。
なんでわかんないんだあいつは。 >> 232
他人のことも自分のこともうけいれる
このことが気づきとは驚きです
これは私の悩みを解決する知恵のようなものになっていますが
これを生き方の指針にしてもいいでしょうか?
自分の本心を観ても「あぁ そうなんだぁー」ぐらいで特に進展がありません
本心を観ていくと なにもない 境地まで行けるものでしょうか? わたしが苦しくなるのは「そう見るから」だと思います
だったら「そう見なければいい」だけですね
ありがとうございました 今、仕事から帰宅。
お前ら今まで仕事でやらかしとか、歴代最悪のとんでもない失態とかある?
聞かせて欲しい。 鬼和尚は金剛筋シャツをきてムキムキになってあそこも鬼のようにムキムキになって
女にもてまくるようになったのですか? 鬼和尚は台湾よりも福井に油を加えるべきとは思わないわけですか? 頑張るというのは頑迷に意固地になるみたいな意味らしいので
日本もこれからはガンバレという意味で油を加えるという言葉に言い換えるべきだと思いますか? 耳鳴りに苦しめられています
静寂がなく心の平穏が得られません、もとから静寂の必要性が高い人間でしたここれから解放されるには死ぬしか解決策が見つかりません
どうしたらよいでしょう 鬼和尚はピカソの絵は子供の落書きみたいなものとか思いますか?
>>241 耳鼻科に行くのじゃ >>242
何軒か行きましたが無意味でした
むしろ行かないで身体を休めていた方が良かった >>243 耳鼻科は医学部でも落ちこぼれのアホが逝くとこで藪も多いのじゃ
大病院に行ってみるのじゃ >>230
良寛さんは悟っていないと思われても気にしないだろうけどね 自分の本心が何なのかわかるまで観なければならない
ということですよね
さきほどわかりました
これにより人間関係がよくなるといいな 本心を観て、わかったあとは、うけいれるんですよね。 >>236
おもにヒューマンエラーです
でもヒューマンカインドネスに助けられています >>241
何かおもいわずらっていることはありませんか?
まず心を落ち着けて、あなたが平和に生きることを第一に考えてみては。 鬼和尚。
SNSに過剰にハマるのは若者の方が多いように思うんですが、
大人より若者の方が孤独や寂しさを感じやすい理由はなんなんでしょうか?
若者の方が孤独や寂しさに弱くて、やたら人との繋がりを求めたり何かに依存している姿が目立ちます。
大人に比べて若者の方が閉塞感を感じて生きているように見えます。
どのような理由が考えられますか?また解決する方法はありますか? >>233 悪くないのじゃ。
そのようなことを言わないようにと教えてやると良いのじゃ。
放っておいてもよいのじゃ。
>>234 今はそれを指針にしたらよいのじゃ。
更に気づくことがあればそれも指針にしたらよいのじゃ。
囚われずに進むのじゃ。
どこまでも観察すれば無の境地にもいけるじゃろぅ。
精進あるのみなのじゃ。
>>235 どういたしまして、またおいでなさい。
>>236 特に無いのじゃ。
>>237>>238>>239>>242 何思無
>>241 西式健康法とかをやってみるのじゃ。
治るかもしれんのじゃ。
耳のつぼとかもおしてみるのじゃ。
首のこっているところをマッサージしてこりをとるのじゃ。
いろいろ試してみるのじゃ。 >>248>>249 そうじゃ、自分の本心を受け入れ、明け渡すのじゃ。
そうすれば自分が変り、周りも変るのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>252 まだ逃避が少ないからなのじゃ。
年を重ねると孤独からのいろいろな逃避を覚えて落ち着いたように見えるのじゃ。
実際は年をとっても孤独や寂しさを感じるものが多いのじゃ。
よく観察してみればわかるのじゃ。 >>252
年を取ると人間の人知の及ばない、何か偉大な存在に気づくようになるとか。
それは自然の中、地球上、宇宙に、そして人間の意思の中にもあるとか。
梵我一如というか、一は全、全は一なのでわざわざ人間と繋がらなくても
あらゆる生命に自分自身と同じ懐かしさを感じるようになるとかかな。 >>241 漢方薬はいかがでしょうか。
本当は漢方薬局や漢方を扱う専門の病院で相談されると良いのですが
お疲れのご様子なので「中医学」「耳鳴り」で検索して
自分に合いそうな市販の漢方薬を試してみるといいと思います。
梅醤番茶もオススメです。生野菜や果物、ジュース類はできるだけ控えて
暖かくしてお過ごしくださいね。 俺は見た目を気にして自分を良く見せよう、凄く見せようとしています。
やめた方がいいと思うのですが、これらをやめると人前で自分を律することが
できなくなって恥ずかしいことや法律に触れることをしてしまいそうです。
どうしたらよいでしょうか? そこまでわかっているならやめなくてよいのじゃ
自分を良く見せナイトセックスにもありつけないのじゃ
本能、遺伝子のなせる業じゃ 鬼和尚、私はよくホームセンターに行って、鉢植えの花や観葉植物を
ながめるのが好きです。
植物といっても色んな種類があるんだ、みんなそれぞれに生きているんだと
感心させられます。花は匂いをかいだりします。ランのデンドロビュームの匂いが
一番強いです。
そして、気を貰っているように感じます。
実際、気が流れているのでしょうか? 耳鳴りの者です、ありがとうございます
漢方は市販のものは試してみましたが特に変化なく
耳鳴りは急性期以外はたいした治療もなく大病院にいっても対処療法が主だそうです
耳から音が鳴っていて不安が取れないとき、身体に拘束されているという無力感と絶望も感じます
どう克服する術があると思いますか?
自分なりに気の持ちようなどで何とかしたいと思うのですが
特に神経質です
自殺も本気で考えたりします >>261
わたしもときどき耳がきーんとすることがあります
しかしこれも諸行無常、しばらくすれば止みます
今この耳鳴りも長くは続かないんだな、と楽に構えてみてはどうでしょう
ある程度治まったら、あなたが感じる楽しさや幸せの中に
あなた自身を置いてみてはいかがでしょうか >>257 その心の働きをただひたすらに観察するのじゃ。
そのようにできなくなって恥ずかしいことをするかもという不安も観察するのじゃ。
原因から不安までも完全に観察できれば消えるのじゃ。
囚われがなくなり楽になるじゃろう。
>>260 そうじゃ、気もながれているのじゃ。
生き物には全て気が有るのじゃ。
石とかにも気は有るのじゃ。
>>261 西式健康法とかを実践するのじゃ。
背骨と足をよくするのじゃ。
整体とかに行ってもよいのじゃ。
便通も良くするのじゃ。
健康になれば大抵はよくなるのじゃ。 ありがとうございました。
気が付いたら集中に戻る実践を続けて行きます。
夢の雑念がある状態で観察も始めてしまって良かったでしょうか?
30分、止の瞑想の所を
15分止→15分観
に変えてみたのですが、
無念無想に到れるまで、止の行を完成させることの方を優先した方が良いのでしょうか? たまに明晰夢を見ますが、
覚醒と睡眠の狭間で、感覚や感情が現実より強く感じる事があります。
特に無常の一瞬への強い愛情と切なさみたいな郷愁的なものを感じる事が多いです。
起きればいつも平坦な感情に戻り、その時の感情を呼び起こす事が出来ません。
また、たまに性的な夢を見る事がありますがそれも現実よりも感覚が強いです。
昔読んだ明晰夢という本にも書かれていたのですが、人は明晰夢の中で時に現実より鮮明な感覚を得るようです。
これは何故なのでしょうか?
ヨガでいう微細体というものがあり、それは肉体よりも繊細な感覚を持っていて、明晰夢の際はそうなっているのではと思ったのですがどうでしょうか? もうひとつ夢と現実について教えてください。
ここ数日は仕事で忙しかったせいか眠りばなに、何かに触れて指先が熱いというイメージが起こり、それが実際に痛くてハッとするのです。
イメージから痛みも起こるものでしょうか?
それとも何らかの実際の痛みなりの刺激がイメージを想起させているのでしょうか?
シュタイナーが夢について、夢は刺激を受けてからイメージが起こると言っていいました。
うろ覚えですが、ある人に何か刺激を与えた時にその人が夢の中で椅子から落ちる夢を見たとします。
その場合、刺激を受けた瞬間に椅子から落ちたという記憶(ストーリー)を作り上げるのだそうです。
そのような事もあるのでしょうか?
私は明晰夢や時折起こる入眠時の幻聴が不思議でこれらをよく観察するようにしていますが、実際には無いはずの音をしっかり聴いたり、目の前の綺麗な風景を写真に納める為に携帯を探したりする時は実際に「今感じている自分」を感じています。
しかし夢が何らかの原因から起こるイメージであるなら、現実というのもそうである可能性があると思うのですが、どうなのでしょうか? >>254
鬼和尚、明け渡す、とはどういう意味ですか?
丸投げするとか手放すとか引き渡すとかそういう意味合いでしょうか?
私から誰に明け渡すんでしょうか? 学んでも私の頭では分かりそうにないんで、教えて下さい。 >>273
正にその理屈
従ってこころの中に限らんのだ >>258
>>259
>>265
有難う御座います。m(_ _)m 鬼和尚、「別れ」について話を聞かせてください。
数人の女子と体の関係を持ち、それぞれの子と仲の良い時期がありました。
しかし、その誰とも正式には付き合っていませんでした。
遊びの延長だったとも言えるし、互いに心の隙間を埋めていたとも言えます。
そのうち自然と関係が無くなって数年が経ち、私は別の人と結婚をして家庭を持ちました。
ある時、ふと何人かと再会する機会がありました。
しかしお互い以前のように接する事ができず、余所余所しいんです。
相手に所帯持ちなのを伝えなかった時点でそもそも会うべきではなかったですが、過去の楽しい思い出に囚われて同じような体験を求めてしまったのかもしれません。
私はルール違反を犯しました。
もうこの関係は完全に終わったと思って、連絡も断ち会わない方がいいでしょうか?
短い時間とは言え深く繋がった子達ですから、それぞれ幸せになってほしい気持ちはあります。
同時に二度と戻らない過去になってしまった寂しさのような気持ちもある。
この囚われの心と寂しさにどのように折り合いをつければいいですか?
執着が少しでも残っているのなら幸せを願う対象は家族だけにして、過去の女子達が幸せかどうかなど考えたり様子をうかがうような連絡は取るべきでは無いでしょうか?
潔く忘れて別れろ、と言うのが最善でしょうか。 >私はルール違反を犯しました。
自分でもわかっているではないか。
過去の付き合いは清算して、誰も悲しませないようにするのじゃ。
おぬしも仏法を学ぶと良いのじゃ。 歴史を知ることは人間の理解になりますか?
今ある概念というものは過去から成り立ちを学ぶ必要があると気付き歴史を学ぶ事に楽しみを覚えました。
人の心というものはお釈迦様の時代の人と現代の人の心も変わりませんか?
人類の意識は進化しているのでしょうか? 進化ということは有り得るのでしょうか?
歴史を調べていたら、殺略などの残虐さに気分が悪くなってしまいました。
人が人を人とも思わず残虐に殺したり支配などはどうして出来るのでしょうか。
自分たちとは精神の構造そのものが違うのだと思わざるを得ませんでした。
残虐さとは一体どうゆうものなのでしょうか。悪意がないなら悪ですらないのでしょうか。 >>282
>自分たちとは精神の構造そのものが違うのだと思わざるを得ませんでした。
先ず、その自分の盲目性に気付くことが出発点ではないでしょうか?
牛や豚や鶏を殺し、彼らの苦しみや悲しみなど全く想像することもなく、「ウマイ、ウマイ」と言って
食べているなら同じ精神構造でしょう。
魚介類を生きたまま熱湯に入れ、彼らの苦しみなどには全く気付かずに「マイウ、マイウ」などと言って
喜んでいるのは同じ精神構造でしょう。 >>266 良いのじゃ。
それは自分自身のやり易いように実践するのじゃ。
誰にでもあてはまる方法は無いのじゃ。
自ら実践してやり易い方法を探すと良いのじゃ。
>>267 自分の観念の世界であるからなのじゃ。
心がそのまま見えるから感覚や感情もありのままの強さで感じるのじゃ。
微細体などはないのじゃ。
囚われずに進むのじゃ。
>>268 痛みも観念でしかないから起こるのじゃ。
それは後付の観念なのじゃ。
思考でそのように解釈しているだけなのじゃ。
現実も夢幻なのじゃ。
>>271 自分自身に思ったことや感じたことをありのままに明け渡すのじゃ。
怒ったならば怒ったと観察するのじゃ。
悲しいならば悲しいと観察するのじゃ。
何の解釈も付け加えない本心を自分に明け渡し、受け容れるのじゃ。
>>280 別れたら良いのじゃ。
誰でもいずれは別れるものじゃ。
執着を捨てるのじゃ。
それが楽になる道なのじゃ。 >>283
その発想自体が差別意識であるとは分かっていましたが敢えて書きませんでした。わざわざ突っ込まれて面倒臭いので書いておくべきでしたね。
その辺は既に考えたというか知っていますというか。しかもこれだけ情報社会でありますし一昔前とは違って動物の苦しみを考えられない人の方が寧ろ少数派では?
何を選ぶってそのような発言をしているのか理解に苦しみますね。 >>285
言い訳の必要はないでしょう。自分の盲目性に気付けばそれで済むことです。 >>286
あなたが盲目性と指摘しているものは単に言外であった、という事を言っているだけですよ。
動物の苦しみを考えた事が無いと誤解される事は嫌なので。
あなたがそのように決めつけをする上に相手の弁明を受け入れもしない、自身の盲目性に気付きましょう。 >>283
それに精神構造が違う事と相手を苦しめる事は全く違いますよね。
猫や犬が我々と同じではない精神構造を持っていると大抵の人は思っていますが残虐な行為をする人はごく小数です。
精神構造の違いそのものは問題でもありません。
答えるなら質問の趣旨を理解し答えて下さい。 >>287
>>282 の最後から2行目の文を読んで、あなたが盲目であることがわかったので
つい、本当のことを書いてしまいました。ごめんなさい。
>>288
猫や犬の精神醸造は何の関係もありません。
歴史上残虐なことをしていた人々と現代人の残虐性について書いたのです。 自分は残虐ではないという傲慢
同じ時代に同じ教育を受け同じ生活を営んだとしても自分はそうならないという傲慢 >>291
誰が残虐で、誰が残虐でないなどとは私は一言も言っていないのですよ。
古代人も現代人も同じ残虐な生き物であることがわかっていればいいのです。
そうすれば、
「自分たちとは精神の構造そのものが違うのだと思わざるを得ませんでした。」
のような文は書かないだろうということです。 >>289
>>291
残虐性は文化と教育によるものという考えだということですね。 >>293
違います。
人類はいつも残虐だということです。それが人類の宿命かも知れません。 >>292
ヨーロッパのアメリカ侵略時のインディアンの虐殺を読んでの感想でした。
人間の残虐性が恐ろしく思います。
誰が、というわけでもないのですが現代でも稀にいるような殺人鬼などの精神構造は、我々と違う生物であるかのように感じざるを得ません。
脳波測定でも反応が異なっているそうです。
しかし猫が鼠をいたぶって殺す事に罪の意識も罪ということもないでしょう。
残虐性とは何なのか、と思ったのです。 このような事を考えているだけでも具合が悪くなってくるので考えるべき事でもないのかもしれません。
自身の残虐性に気をつけようと思います。 >>292
わかってる。あなたに書いたんじゃないから。
>>293
基本的にそうですね。
>>295
人は、人が暴力を受けているシーンを見ると可哀想に思います。
しかし、暴力を受けている人に、暴力を受ける正当な理由があれば、そのシーンを好ましく思います。例えば親の仇であるとか。
歴史の本を読むのであれば、そのような背景まで推測してはいかがでしょうか。
魔女狩りにせよ、原爆投下にせよ、地下鉄サリン事件にせよ、残虐な行いの背景には人を盲目にさせる大義名分、何らかの理由があります。
残虐の裏側には盲信があります。 >>296
気をつけるべきは物事を俯瞰してとらえることです。
悪より善のほうが残虐性は強いです。
悪いとわかっていれば躊躇するものですが、善だと思えば躊躇せず省みもしません。 >>297 >>298
楽しみながら拷問などを行う、度を越した残虐性が理解出来ないのです。
共感能力と感情移入能力が欠けていて脳の構造が違うのでしよう。 >>299
楽しみながらというのであれば、極一部の人が持つ性的嗜好のようなものかもしれませんね。
そのような人の割合は今も昔も変わらないのではないでしょうか。
それよりも大事なのは、何かの本に「楽しみながら拷問をする描写」が描かれているのであれば、それはその本の作者が意図してそのような描写にしている事を客観視するべきなのです。
楽しみながらなのか笑うしかなかったのか事実はわかりません。
そもそも、そのような事実があったのかどうかすらわかりません。
南京事件で描かれる日本兵のほとんどは、楽しみながら妊婦の腹を切り裂き赤ん坊を取り出して踏みつぶすのですから。 >>300
そのような人達は人間の中に一定数いると知り警戒していくしかないのかもしれません。
未熟な知見では歴史を学ぶ事が新たな偏見を生み出す事にも成りうると気付きました。
ご指摘ありがとうございました。 自分が生きるために必要なことは、出来るだけ全工程経験してみるのは良いと思うよ、鶏肉を食うなら首引っこ抜いて殺して熱湯使って毛をむしってとか、自分の暮らしの中での残虐なことで考えた方が良いと思うよ >>302
それについてはいろいろな意見があるところですね。
以前に、テレビで自分の中学生の子供に「自分が食べるものだから」と言って
鶏の首をひねらせていた親を見たことがあったが、馬鹿親だと感じたものだ。
確かに、自分は虫も殺さないような顔をして(他人に殺させた)肉料理を
貪っている人間の浅はかさは考えるべきものを含んでいると言えるが、
「動物を殺さなければ生きていけない」ということを大前提にして、それに
何も疑問を持たせないような教育をするのは、あまりに単純過ぎると言えるだろう。
肉食は単なる習慣に過ぎないもので、生きる為に必ずしも必要なことではない。
インドなどには生まれた時から菜食主義で100歳近くまで生きる人もいる。
日本でも、昔の僧侶はみな精進料理しか口にしていなかったし、高僧と言われた
人達は長寿の人が多かった。
栄養学では幾つかの動物由来のアミノ酸を摂取しなければ人は健康に生きられないと
説明しているが、世界中には菜食主義で長生きしている人がたくさんいるのだから、
栄養学などはまだ中途半端な進歩段階にある学問だと言える。
このスレはタイトルを見てもわかるように宗教的な理念がベースにあるスレなのであるから、
「人は動物を殺して食べなければ生きていけない」などという間違った考えを前提に議論する
ことだけはやめてもらいたいものだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています