【ゼオスキンの歴史】
背景として、日本で昭和中期にハイドロキノン-モノベンジルエーテルが白斑を起こしたことで
ハイドロキノンも化粧品に配合できませんでしたが、2001年から4%まで許可されました。

ゼイン・オバジは、1987年より自身の考えた「オバジニューダーム・システム」を商品化した。
そのシステムとは、フィチン酸(トーナー)で浸透を高めハイドロキノンを併用というもの。
システムではないトレチノインも併用した。内部闘争的なことがあり分裂し2013年にゼオスキンが誕生する。しかし様々な指摘が起こった。


https://www.skintherapyletter.com/melasma/melasma-post-inflammatory-hyperpigmentation-treatment/
近年の論部にこうある。美白剤としてのハイドロキノンは、長期連用で後遺症(褐変症 https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3482806/)を残すことがあるため、
連用できず休まなけれなばいけない。また「発がん性がある」とちまたで噂されている。

色抜け(白斑)や黒ずみが起こるという最近の意書きの元となった厚生労働省の説明資料でもハイドロキノンが筆頭に挙がっている
https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-11121000-Iyakushokuhinkyoku-Soumuka/0000046702.pdf
>製造販売業者が、製品特性を考慮して「色抜けや黒ずみ」の注意喚起が必要である
>と判断した化粧品(ハイドロキノン含有化粧品等を想定)


ゼイン・オバジは、権利をとられている「オバジニューダーム・システム」と差別化したんだね。ハイドロキノン・トレチノイン休止中の製品がゼオスキンから出た。
2013年にオバジは、5ヶ月以上連用するな、特に自己治療すると、リバウンドの色素沈着など酷いことになる、といった。
http://modernaesthetics.com/2013/04/taking-the-pulse-of-hydroquinone-therapy-a-plea-for-caution
ハイドロキノンはアメリカの5州で禁止されたので、ちまたにはハイドロキノンの代替製品も出ていてゼオスキンもようやく2015年にはハイドロキノンフリーの製品を出してきた。
https://zoskinhealth.com/blog/tag/skin-brightening/

トーナーはグリコール酸となり、2015年にクリニック以外でも買えるレチノール、ビタミンC(ピュア)、アルブチンを使う新しいプログラムを提唱。