コンパックがいち早く386版を出して
IBMが焦って、オープンアーキテクチャを捨て、PS/55とかやって失敗し、互換機メーカーの一社の地位に甘んじて、頑張ることになるのをリアルタイムで見てたよ
クリーンルーム内にコンパックもあったし、PS/55もあった
最新機種の展示場になってて、使いたい放題
だってクリーンルームの中までわざわざ監視しに来ないし、隔離された部屋で狭いし
テトリスは大勢がめっちゃやった、どこか持ち込んだのか不明なコピーで
あと電話線あったから、仕事中にパソコン通信やった
東京の9600bpsのアクセスポイントが通話中だったから、大阪のに繋いだら、数十万の請求来てめっちゃ怒られた
Microcomの9600bps MNPで当時の一番いい奴
それがさー、役に立ったのよ
電波暗室でノイズ対策やるんだけど、最もノイズ出すのが、俺が個人的に持ち込んだモデムにRS232Cを繋いだ時のケーブル
このモデムを見逃してたら、マザーボードの再設計と無償交換で数百万か数千万か飛んだろうな、外人はうるさいからさ、そういうところ
てことで、お咎めはチャラ
電波暗室一個で1億円だってさ
誰も使ってない時に昼寝したり活用させてもらった
設計の奴しか入ってこないし、毎日使うもんでもないし
正直言って、そういう特典がないと逃げ出すレベルの酷い職場だったわ
ちょっと電気電子的な話に戻って来たろ?
他にはね、CPU付けるマザーボードの裏表を設計が間違えて、熟練のライン工に全ピン裏返しにCPUの半田と配線させてた
386か486
基板を作り直すよりも熟練工の徹夜の方が安いんでね
他には、金型から製品が抜けない
型にテーパー付けるの忘れてたりね
結局のところ、IBMの設計を丸パクして、安いチップセットを載せて、量産するだけ、なんだが、安価に量産、日本人の最低レベルの工員を使ってってのが難しかったな
別部署でHDDも作ってたが20MBや40MBの3.5インチフルハイトで大きく重かった
5インチよりもマシだったけど
そこには、いわゆる本物のクリーンルームがあったよ
しかし、常時換気の轟音で地獄の作業場
服は不自由だし飲食もできないし、精密組み立てつっても単純作業だし、高卒の工員じゃなきゃ無理な仕事