【な】秋月、千石、若松などを語るスレ80【ど】
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最初に使ったSRAMはSN7489。 4ビット幅×16ワードの64bitでした 昔の猛者はジャンクのコアメモリを編みなおして使ったとか 磁気コアメモリなら、先月に修理したよ。 フェライトコアを固定する接着剤が劣化して外れまくってたので、エナメル線も交換してホットボンドで綺麗に固定してあげた。 これで20年くらいは延命できた気がする。 まだトランジスタの製造技術が安定してない昭和の時代、 当時でも安価に転がってたフェライトコアをトランジスタ代わりに 使えんかと工夫したんがパラメトロン素子やで れっきとした商用計算機やった おじいちゃんそれ以上興奮して話すとまた発作出ますよ、 なんかやってた人多いみたいなんで>>134 の画像の転載元のブログを載せとくね このブログの人は本当にすごい http://www.gcd.org/blog/2013/11/1001/ >>156 1986年と案外遅い時期なんだね、この人が作ったのは。 ほとんど同じような構成のものを1977年に作ったけど、資料も実物も全部捨ててしまった... >>156 当時マイコン(古w)を自作で作るのが主流で その時に作った機械みたいだな 今見ても芸術的でほれぼれしちゃう 俺の手書きノートは象形文字みたいでとても人様に公開できねぇw 俺が入門したのは白土義男のマイコン回路の手ほどきだったな。1986年くらい。 信号のオシロ写真で、パスコンが足りなくて5Vがギザギザしてるのを信号だと思って かなり長い時間なにを言ってるのか理解できなかった。 自分は今の方がマイコン関係よく勉強してるわ(笑) 昔やって解らなかったことが理解できるようになってきた あと今のマイコンはペリフェラルが沢山内蔵されてるから楽なのもある センサー類も小型で使いやすいのが増えたしね >>159 1970年代はともかく、当時でも実用PCは買うのが普通だったでしょう。 松田聖子が777の宣伝してたし、MSXももう出ていたね。 自分もZ80組み込みはやったけど、こういう汎用のPCっぽいのを1から作る人って、 それほどいなかったのではないかな。 Z80でゲームボード作ってたけど初期の頃はまんまPCだったよ。 CPUはすぐに8085に、68kへとって代わられ、システムも変わってったけど、サウンドコントローラーはしばらくZ80だった。 ICEで開発してた頃がハード屋としては面白かったね。 Z80から8085へっていうのがよく分からないんだけど ゲームボードの業界ではそういうものだったの? Z80は手作業でペリフェラル配線した その後Z80とペリフェラルの基板作って8CPUクラスタにした グラフィックがショボかったので7220を付けた そこそこ動いたので7220を基板起こして3個にした これで1670万色出るようになった レイトレーシングの結果を表示できるようになった 日立の何とかってグラフィックの石出たので手配線したが面倒すぎた 俺が自分の基板CADやってた時に隣でamigaのCADやってたな 8080の頃はディスクリートでCPU作ってる人もいたな 当時はメインフレームでもヒートシンク付いた強制空冷式 DASDって洗濯機サイズのHDDが付いてた 8bitの時代はいろいろ試行錯誤的にやってたんですよ。 アメリカの提携先が8085ボードを持ち込んできたので作らざるをえなかったり、6809での試作をやったり。 16bitは開発システム込みで売り込みがあった8086で始まったのですが、ソフト屋さんの意向で早々に68kになりましたね。 学生の時に6809で手配線で自作したけど意外にCPUとして流行らなかった。 表示に6847を使って手アセンブラで頑張ってソフトを書いた。 命令体形の美しさでは8086/8088に優っていたと思うが、セットメーカのプロは コストパフォーマンス重視で、産業用途で6809は使われなかった。 いい勉強になった。今でも原体験になっている。 >>168 ナムコかな? >>170 昔から悪貨は良貨を駆逐するなんて云われるけど、 アーキテクチャが美しいから使われる訳ではなくて 昔から世間はコスパ重視だよね(笑) イノベーションのジレンマと言い換えてもいい Armが普及したのだって(当時は)安くて低消費電力だからに他ならないし コスパ(費用対効果)って、部品単体の値段だけじゃなくとても広い意味を含むよなあ。 秋月ってバリコン売ってないのな ラジオのキットもトリマだし… ゴルゴ13でしょっぼいCG作ってた日本初のCG専用マシンはその後どうなったん? (8086+8087)x256、これからも拡張するよ〜、とか本で見た気がする。 レンズマンのCGもトラウマになる位しょぼかったけど、これも同じマシン? >>162 俺は、マイコンピュータをつくるを読んだわ >>175 大阪大学とトーヨーリンクスのLINKS-1だね トーヨーリンクスは、IMAGICAに吸収合併されたから 今でもCG画像処理分野の国内一角を占めていると言って良いのでは? >>177 そうなんだ、一応系譜は残っているのね。 秋月は今はPIC推しだけどATtinyも増やしてほしいなぁ… 何故か秋月Arduino互換ボードは幾つか出してるけど 秋月サイトがまたメンテ… 北海道にサーバーあって節電に協力してるんかいな FireFoxだとメンテ画面に飛ばされるけど、Safariだと繋がるよ サイトは千石が一番使いやすいかな マルツはデータ量が多いからか検索に時間がかかる 秋月のHTML手書きサイトっぽい味わいは嫌いじゃない 若松(笑) Chromeで秋月がつながったけどhttps:// が死んでるみたいだ >>182 この人10年くらい?前から永遠と描き続けてるある意味相当古参の人だよ 多分精神的な病を抱えてるんだと思う。田口と松田?によっぽど酷いことされたらしいw 自作マイコンの話が続いたけど、結局どういう用途に使ったの? 70年代終わりごろまでにやってた人は当時のパソコンに近いものを目指していたと思う。 >>188 今からは想像できないだろうけど、命令の集まりすなわちプログラムを入力すると命令通りに機械が動く、これだけで感動もんだったんだよ。 最近、災害が多いからインバーターでもと思ったけど 秋月での扱いは随分減ったね… >>188 大掛かりな電子工作 個人で自由に使える計算機は自作で安くする時代 メーカー製のは高すぎたよ 今だってSH-2Aとかでマイコンボード作れば結構早いマシンが作れるお >>188 趣味でキャラクタ型のゲームを作ったり、IMSAI、ALTAIRといったアメリカ製のCP/Mマシンが100万円以上して高価過ぎたんで大学に持ち込んで卒論で義手のシーケンス制御に使ったな。 プログラムは総てハンド・アセンブルでCPUをDMAモードにしてビット単位のオン・オフ・スイッチを使って直接SRAMに書き込み、カセット・テープに録音して保存・再生してた。 おかげで今に続くコンピュータの基本原理を根本から理解できたわ。 >>191 今の時代、難しい高度なプログラムができることに楽しさがあるのは認めるとしても 原始的なものに近いほど感じられる、ある種の感動があったのは確かだと思う。 始めてパチパチやってプログラムを入力してLチカしたときは嬉しかったな。 >>197 同時のLEDは赤色しかなく、しかも暗い。 今のLEDの明るさにはびっくりする。 >>188 電子工作して作ったものどういう用途に使うの? という質問と同じ 昔は無いから必要に駆られて作ったけど 今はほとんどのものは既製であるからなぁ 欲しいけど世の中にないものって、いまは何だろうか タイムマシンやどこでもドアはぜひ欲しいが理論も構造も わからんと作るのも無理だ 数千年後の秋月に部品やキット販売されるのかな 今はアイディア勝負だねぇ それも発明みたいなものじゃなく、ちょっとした思いつきみたいなもので ハッとさせる、惹きつける何かがあるかどうか 自分で思いつくのはそうはないから、作ってみたくなるような物を見つけて真似して作る 発想力、面白そうなものを見つけてくる能力、アレンジする能力、それぞれ色々で 結構楽しいんじゃないかい? 総武線がチューブの中を走っているのを見上げるんだろうなw 20年後にはんだごての個人所有が禁止されて秋月もアングラ営業だよw つーか、20年前に、20年後が「あんまり変わってない」とは思ってなかった・・・ 車も普通に20年前の車が走ってるし・・・ 携帯電話もスマホになったとはいえ基本は変わってないし・・・ >>209 80年頃日経エレクトロニクスが「2000年にマイコンのクロックはどこまで上がっているか?」 というアンケートを国内のその方面の専門家20人くらいに行ってその結果を発表した 1GHzまで到達していると言った人は一人で、ほとんどの人が20〜100MHzくらいを予想していた 21世紀になってから進歩が遅いねぇ >>210 80年代⇒2000年代ってのがすごい変わった感じがあって、 そのあとって全然だよね・・・ほんと その、クロックが1GHzなんて当時の人が想像できないほど、 80年⇒2000年の進化が異常な速さだったのかもしれないけど ムーアの法則が足踏みし始めたからな それも想像の範囲の延長線上 ここらで常温可動量子効果素子みたいなブレークスルーが欲しい そのうえで機械学習を動かしたら 新ギュラリティ発動だ >>209 30年になると人の居る風景は、ある意味激変。電車ではみんな新聞か雑誌読んでたし、連絡は家電と駅の掲示板。パソコン通信はあったけど、インターネットは無い。 >>210 80年代初の8bitマイコン時代は、個人がメモリ64KBを使い切ることは無いと思われてたんやで(笑) >>213 電子によるプロセッサが主役の時代は終わる 今のTTLみたいな扱いになる 2020年代は光プロセッサの時代やで (なおもう一段のブレイクスルーが必要) CMOSロジックは使うけど、TTLはさすがにもう使わないなw 買い置きしてあったぶんが本当のゴミになった 大電流(当方比)ドライブにLS-TTLは使ってる。 在庫限りだけど。 >>210 当時はECLで作ったスパコンすら100MHz行くか行かないかっていう頃だから CMOS(笑い)の速度向上が上手く行くとは思われていなかったのだろう >>215 16bit!!!、なんと8086が1MB、68000が8?16?MB 無限のメモリ空間に思ってた >>216 >光プロセッサの時代やで 30年以上前から、つぎは光って言われてるけどどう実現するのかさえ全く見えてこない 一段や二段のブレークスレーじゃ何ともならんわ >>220 86アーキテクチャー(MS-DOS)の640kの壁は、MSが640k以上使う事はないと思っていたため いうて、CMOS壊れたことあるか? 電子ライタでバチバチやっても壊れんぞ >>220 68000は32bitだぞ メモリ空間は4GB >>226 酸化膜が強いわけではない 保護回路が入っている 初期のCMOSは本当に壊れた はんだ付けで壊れたという話あり (ニクロム線鏝使用) >>210 俺が使ったことのあるHDDで一番小容量だったのが8MBだった。 今は100万倍の容量の8TBのHDDが家にゴロゴロ転がっとる。 > はんだ付けで壊れたという話あり > (ニクロム線鏝使用) セラミックヒータのコテを売るための宣伝文句じゃね? 今、ゲート保護回路のついてないIC/FET入手しようとしても難しいと 思うけど、3SJ11Aとかはそうなのかな? >>228 初期のってツェナーや保護ダイオードとか入ってなかったの? ハンダコテのマイカがGΩの絶縁抵抗でも、ゲート入力の入力抵抗がTΩぐらいなら 282Vp-pがほとんどそのまま印加されてしまうことになるのか >>233 228の言ってる「初期のCMOS」っていうのは、多分CD4000Aシリーズのことかな 等価回路的には一応ダイオードが入ってるんだけど、意図的に保護回路として作ったやつじゃなく 寄生ダイオードだったんで、ポロポロ壊れてCD4000Bシリーズになったんだと記憶してる ちなみに、寄生ダイオードも入ってない単体のMOS-FETを使った装置を輸入してた 会社にいたんだけど、交換修理したのがすぐ壊れたとかもしょっちゅうあったけど 壊れないやつも9割くらいはあったかも、っていうのが実感 >>173 カメレスだが、 6809 に比べ Z80 はレジスタにそれぞれクセがあって使いにくいと言う人も居たが 大体同じ処理をするプログラムをアセンプラで書くとリコードサイズ(メモリ使用量) が Z80 だと概ね 2/3 くらいででできてしまう。当時はメモリが高かったからね。 8088 は 8bit データバスなのに 16bit CPU なんてインチキだとも言われていたな。 >>227 68000/10 のアドレス線は 24bit しか外部に出せてないから 16MB だよ 32bit になったのは 68020 から >>229 俺は20Mのオーバー100万のHDから始まった 会社のものだけどね 当時メインフレームの2.5GのHDは3380Aだっけ 1000万程度してた記憶 >>237 ああ、本当だわ もう記憶が薄れてるわ すまんかった >>219 > 当時はECLで作ったスパコンすら100MHz行くか行かないかっていう頃だから 結構マジでGHzまで行くにはガリウムヒ素でないと無理だろうなって言ってたわ > CMOS(笑い)の速度向上が上手く行くとは思われていなかったのだろう CMOSは低消費電力向けって思われてたし >>239 ウィンチェスターが出てくるまでHDは12インチだったね >>236 そう言うのはこちらでどうぞ 8086 vs. Z80 vs. 6809 vs. 6502 その13 [無断転載禁止]©2ch.net http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/i4004/1474548959/ 15インチハードディスクはまだ新人の時だったので、円盤磨きしかさせてもらえなかったよ。 12インチになってから、円盤とか磁気ヘッドを交換させてもらえるようになって嬉しかったの覚えてる。 手感覚だけて数ミクロン単位の調整が必要になるので、何度も何度もやり直しながら、がんばってたなぁ。 当時は主記憶メモリが小さかったから、たかが数メガのハードディスクでもランダムアクセスできたおかげで便利だったよねぇ。 鑽孔テープとか磁気テープはオペレーターのお姉さまが擬似的にランダムアクセスできてたかもしれんがw 俺も初めてのハードディスクは14インチだったな 数メガしか無かったような また微妙なDCDCだな。。 入力 DC200〜400V PFCの後に繋ぐものだろうか・・ >>246 だね。 うちに自作のPFC回路基板が何台もあるから、電圧のバリエーションを増やして欲しい。 PFCといいつつ電圧安定化回路感が出てるのはなんでなん。。 メーカーによると、分散型給電システムに適するとしているね… コーセル製だから、物は良さそう >>229 おれが最初に触ったHDDは40MBだった。 最初に買ったUSBメモリーは64MBだった(たまに現用w)。 すげえ!HDDを超えたぜ!と思ったもんだわ。 そんなことよりReSpeaker ってなんだよ スマートスピーカの自作が流行ってるのか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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