宗教にすがるようになった孤男2巡目
あまりに酷い人生なのでだいぶ前からキリスト教会に通ってる
通ったところで何が改善するわけでもないが
もはやすがるものが宗教しかない
「いつか神様が何とかしてくれる」と期待を抱きながら生きる日々
宗教を何らかのかたちで活かせないかを模索するスレッドです 神が俺が自殺するよう仕向けているのか神を裏切って俺が自殺しようとしているのか 事故死や病死じゃなくてあえて自殺というのは神の愛のあらわれなのか 人間にとって必要なものだから宗教は存在してるんだろうね 俺は信じてる宗教はないけど人間にはやっぱり宗教は必要なんだろうね 土佐勤皇等とか
ああいう組織いいよなぁ
尊王の精神で生きねばならんだろ 前スレ1だけど、俺はインテリジェント・デザインを支持してる
キリスト教徒だから支持ししてるんじゃなくて、インテリジェント・デザインを考えてたら神を信じるようになった、みたいな感じ
この世は神の存在なしには説明のつかないことがたくさんある 生まれてきたことと生きていることを謝罪すれば神は俺を不幸にするのをやめてくれますか インテリジェント・デザインについて知れば、神の存在を少しは信じられるようになるよ 生きる意味なんか本来ないけど信仰を持てばそれを教えてくれる
信仰ってある意味楽になる方法なんだよね 神を信じるか信じないかという問いが無意味である。
神に対してとる態度が人によって違うというだけの話。
宗教・信仰を特別に持たない人にも、
神はそれぞれに使命や務めを与えておられているのであり、
また、そういう人を粗末に扱うようなことを神はなさらない。
そのように僕は考えます 前スレ1だけど、俺たちを苛めてるのは悪魔だと思う
悪魔は現実に存在して、神と対立する立場にあり、それが俺たちを苛めている
それから守ってくれているのが神様で、決して神様が苛めているわけじゃない
この世は神と悪魔の戦いの場なんだよ >>175
その通り
無宗教ではなく無信仰、もっというなら宗教的無関心と言い換えるべき >>175
試練が長すぎるんだが
いつになったら終わるんだよ 神は、世界の「全体」であるような存在である。
けれども、神は「完全」な存在ではない。
神自身が、私たちと共に、進化の途上にある。
というわけで、
神から独立した「悪魔」のようなものは存在しない。
そして、神は私たちの望みを何でもかんでも叶えてくれるような存在ではない。
というのが僕の個人的意見です。 人間には神のような超越者が必要なんだね
かつて神を持たなかった民族なんかいなかっただろ 俺がやる気を見せて頑張ると、直後にやる気をくじく酷いことが起きる
今までそういうことが何回も起きてきたことを思い出した
今日もそんなことが起きた
これはいやがらせなのか、乗り越えるべき神の試練なのか…
前から毎日かかさず神に感謝の祈りを捧げてるのに
なんでこういう仕打ちを受けるのか
見返りを期待するのが悪いのか… 関連スレ
宗教やってないと現世限りの幸福(しあわせ)しか得られないのか?
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1615345212/ 主題歌
いつもがめつい人間だった
学歴積めと言われれば 参考書買って勉強励み
アタマ悪いのを隠していたわ
戦後日本は金儲け主義 これが幸福(しあわせ)自分の胸に
嘘をついてる とてもがめつい人間だった
いつも素直な人間だった
儲かりまっせ!と言われれば その日のうちに株を買ったし
ライフスタイルも派手に変えたわ
クソ政府とか数多(あまた)の人に 描かれてきた「バラ色未来」
いつも夢見る とても素直な人間だった
幸福(しあわせ)なんて欲しくない 現世限りの
幸福(しあわせ)なんて要らないわ ちっぽけな
今は 死後の世界を 今は 清い世界を 見たい 神は俺がつらい思いをしている姿を見て喜んでいるのだろうか
俺が苦しんでいる姿を見るのがそんなにおもしろいのだろうか 瞑想に関心を持っているのだが、かなり頭でっかちな人間なので、
考えるのを止めろと言われてもなかなか考えるのを止めることができない。
それに加えて、瞑想法には様々な種類があるのだが、
やはり考えすぎてしまい、一つの特定の瞑想法を選択して実践することができない。
助言をいただければ幸いです。 >>191
頭に浮かんだ考えを第三者目線で見ると良い
あ、今こんな事考えた…今度はこんな事思ってるみたいに 俺も瞑想やってるけど、いつの頃からか全く集中できなくなってしまった
呼吸を数えるのをやってるけど、10回も数えられない
3回くらいで意識がどっかいってる 宗教なんて端的に言えば死後の世界での幸福の保証だよね? 統治する領土民に確約のない希望を与えて、操りやすくするツールだろ。 徳川時代は、残虐度だけで言うと
奈良、平安時代よりも退化してるわな
残酷刑もそうだし、連座で子供も容赦なく処刑
毎年2000人が処刑されてるし、武士階級も
つまらぬことで切腹
中国の秦王朝くらいのレベル >>192
ありがとうございます。
>>193
自分もそうです。ただ、マントラを唱える瞑想法には、比較的に集中できる感じがしています。
>>194 >>195
自分は今でもそれに似たような考えを持っていますが、
それと同時に、そのような考えだけでは、
人が生きるということの真実を理解し切ることができないと思ってもいます。 山上の垂訓を読むと不幸であることが神に愛されている証拠のように思えてくる 切腹刑ってのはほとんど実施されることはなかったらしいけどね 大した知識も無いのに宗教イコール悪みたいな決めつけはよくないよね 山下良道『本当の自分とつながる瞑想』(河出文庫)の中で取り上げられている
「体の微細な感覚を観る瞑想」は、自分にも集中しやすい瞑想法。
読みやすくてお手頃価格(税抜680円)。 イエスはユダのことを生まれなかったほうがその者のためによかったとおっしゃった
イエスがユダにしようとしていることをしなさいとおっしゃった
俺の人生もそういうことなんだと思う 宗教て何なんだろうなあ
何故人間をここまで狂信的にするのだろうな ある特定の人々が狂信的であり自分が狂信的でないと確信している人たちのほうが
実は異常なのではないだろうかと思ったりすることがある >>203
たぶんイエスは、
ユダ(のような人たち)に対して、
心の底から同情・共感して、そのように言ったのであろうと、自分は思う。
たぶんイエスは、
ユダ(のような人たち)が生きる価値がない人間であるなどと思ったりはしないと、自分は思う。 神に愛された結果が自殺したくなるような人生なのか
自分は神に試されているとか憎まれているとかのほうが神を愛せるわ 神は私たちに恩恵をもたらすだけではなく災厄をももたらす。
けれども神は不本意ながらそうしているのであり、
災厄に遭う私たちが苦しむのを高みの見物のように平然と眺めているのではない。
神自身が自分自身に苦悩していると同時に、
私たちの苦悩に心の底から共感・同情している。
僕はそう考えます。 神は馬鹿なのか
何でこんな不完全に人間を作ったんだ
苦しみばかりの人生だよ いわゆる「アカシックレコード」は、イコール、「全知」としての神である、
と考えてよいのであろうか? 恵まれない子どもたちのために寄付すれば神は俺を幸せにしてくれるよね?
とりあえず10万くらい寄付すればいいのかな? >>209
神は完全ではないから神を恨んでも仕方がない
でも神を恨みたくなるのはそれはそれで仕方がない
>>211
自分を幸せにしたいという思いを手放して寄付行為をする時に
神はあなたを幸せにするのだと思う 俺が神を愛しても神は俺を愛してくれない
俺が神をそして救いを求めれば求めるほど神は俺に苦しみと悲しみを与えた
どうすれば神に愛されるのかわからない 神を信じていても不幸になるし無神論者でも幸せになる 人間につらい目にあわされたら人間を嫌いになる
でも神につらい目にあわされても神を嫌いにはなれない たくさんつらいことがあったけど神は俺を救ってくれて必ず幸せになれると信じて今まで生きてきた
信じるだけでなくて困っている人を進んで助けてきたつもり
ふと思った
神を信じているのか自分を騙しているだけなのかどっちなんだろう >>221
そのように悩み迷うのは健全なのだと思うよ
単純に信じたり単純に疑ったりするよりも 相川圭子『瞑想で心の癖を変える ヒマラヤ大聖者のシンプルな智慧』(幻冬舎文庫)
同『瞑想で愛の人になる ヒマラヤ大聖者のシンプルな智慧』(同)
前者を通読したが、タイトルを見て誰もが期待するであろう、
瞑想法や、瞑想によって開示される世界についての具体的な記述はほとんどない。
後者については、似たりよったりの内容のため途中で読むのを止めた。
宣伝のための書にすぎない。著者自身は優れた宗教家であるのかもしれないけれども。 すみません…イヤサキノイヤハテノヒメミコなんすけど…冷蔵庫に若干余裕があり、賽銭箱への… 「世界人類が平和でありますように 」って祈ってばかりいる
宗教団体の一男性から陰湿な嫌がらせをされています
描いた絵を中傷されたり読んだ本を憎まれたり
やることななすことにいちいち攻撃してきます
とにかく嫉妬しているようです
祈ってる内容と、実際の言動が正反対の偽善者なのはなぜなんでしょうか?
彼のせいで平和がなくなっています!
助けてください!! キリスト教的な救済
永遠の生命への参入
仏教的な救済
終わりない生からの解脱
対極的であるように見えながら
根本において一致する もし金があったら四国遍路のような巡礼の旅をしてみたい 教会の日曜礼拝に通おうと思って
最寄りのプロテスタント教会に
電話で問い合わせてみた
特別な手続きは不要、
当日に直接行けばいいらしい
いささか対応が簡素すぎるように感じられた
それが不安要因になっている 妙に推しが強いよりはよっぽど良いんじゃないか?
四国遍路はお金かけないで回るってこともできるけど
ある程度お金かけたほうが無難だよなあ >>232
自己流宗教を目指しているんだけど
一人だとやっぱり心配になってくるんですよ
このやり方で大丈夫なのか?と >>233
月並みな言い方になるけど試行錯誤して不安になってみたり色々考察してみたり
その過程自体にすでに十分に価値があるのでは?
例えばこのスレの最初のほうまで粘着してた荒らしは科学を妄信して宗教を否定する立ち位置だったけど
まずその対立構造で否定しようというのが間違えてるし、ご本人の科学的知識自体が根本的に間違えていた
こういう風に自分の頭で考えることを放棄して希望的観測だけでお題目をコピペのように唱え続けるだけだと
人としての向上心が無くなるし単純な過ちにも気づけず、心身ともに病んでいくという泥沼にハマってしまう
不安や方法論に疑問が出るということはおぼろげながらご自身の方向性や目的が見えてきてズレを感じてるのでは?
正しい努力・行動をしているほど未知のモノやら改善点等が嫌なほど見えてくると思う
こういっちゃうとキリがないけど結局延々とその繰り返しだし、それで良いんじゃないかな? 興味本位で珍スポット巡りをしている
この春は奥道後の石手寺にいったがパワースポットのデパートって感じで
テーマパーク的に楽しんでるんだけど青年世代でもちゃんとお題目唱えてお堂巡りしてたり
お婆ちゃんが健康長寿唱えてまわってたり日常のなかでの信心ってのも良いもんだなあと感じた >>231
前スレ1だけど、境界はどこもそんな感じだよ
多分行ったら礼拝の最後に「今日初めて礼拝に来られた方」って皆の前で紹介されるだろうけど、それだけ
教会によってはその後皆で簡単な食事をするけど、そこに招待されるかもしれないね
来る者は拒まず、去る者は追わず、そんな感じだよ教会は 自分の側に裁量権があるほうが良さそうだしね
英会話でいったモルモン教会がそんな感じだったな
宣教師の青年たちとは仲良くなったが彼らの任期が終えて帰国してからは行かなくなった >>231と>>233です。レスありがとうございます。
自分の宗教的な立場は、一応、折衷主義、習合主義と言えます。
特定の教団、宗派には属しません。
折衷的・習合的な立場からすると、
ヒンドゥー、密教、人智学、神智学、大本教、生長の家、等は参考になりそうですが、
それらのいずれかに帰依するわけでもありません。
教会に電話をしたのは気の迷い(笑)だったと思います。
勉強のために行ってみるのは有益と思われますが… 近所の教会のバザーのときの出店が安くて好きなんだけど
ことしも全くできないんだろうな
むかし映画で見たサンジャックへの巡礼路とエルネスト・ゲバラのバイク旅行の行程は
いつか実際にたどってみたい 前スレ1だけどゲバラの生家に行ったことあるよ
アルゼンチンのコルドバ近郊のアルタ・グラシアって街にある
すごくあっさりした外観だったけど写真撮ってきた
置いてあるノートにもスペイン語でメッセージ書き込んできた 特定の宗教コミュニティに属したい
しかし同時に属したくない、属してはならない
矛盾するようですが、それが率直な思いです 巡礼道ってのは魅力を感じるな
国内の伊勢参りや熊野古道関連とかならやりやすいか
ゲバラの日記読んでみると言動や考え方は自分の生き方の指針になるな
直接宗教と関係あるってわけではないけど 思い切って日曜礼拝に行ってきた
通い続けてもよいと思っている
ただ人嫌いなので毎週はツラいかも… そういうのは気が向いた時だけのほうがよさそう
義務に近い感じになっちゃうと辛くなってくるかも >>241
>>243
富裕層だけど病弱な自身の経験からか医科大学進学
ブエノスアイレス出発の従兄とのバイク旅行中にブラジルのらい病隔離施設での
医療スタッフ経験が革命家になる影響を与えてるんだよね
元々きままな自由旅行だったはずのものが人生の転機になったりするんだよなあ >>244の続き
ミッション系高校の出身なので礼拝の雰囲気を一応知ってはいた
当時はちんぷんかんぷんだった聖書の言葉も以前よりは分かるような気がした
久しぶりに唱えた「主の祈り」には胸が熱くなった
前スレ1さんが言っている通り礼拝の最後、牧師から出席者に紹介された
礼拝の後、何人かの人が親切に声をかけてくれた
少し驚いたのは出席者のほとんどが高齢者である点
最も若い人でも40代といったところ
創価学会を始めとする新宗教でも信者の高齢化が進んでいると聞く
既存宗教はどこでも似たような状況なのかもしれない >>239
生長の家の信者ではないが、生命の実相は読んでる。
あれはいいね。 統一教会が近くのホールで毎年のようにクリスマスイベントやってる
終了後にホールから大勢のお婆ちゃんがお菓子セットなんかもらって楽しそうに出てくるのを何度か見た
こういう活動だけに徹してくれれば世の中にとって有意義な存在だと思えるんだけどな 統一教会もやべえよな
KCIAの実行部隊だっていうし、日本の全国の大学に原理主義研究会作ってるし
南米でもいろいろやばいことをやってた
胡散臭い連中だわ 自分の側で必要な取捨選択だけしてればいいなら世間では悪評の宗教でもいいんだけどな
統一教会とかエホバの商人とか積極伝道のとこは肌に合わない 生きている意味とか死んだ後どうなるのかが自分ではどうしてもわからないし見い出せない
もう幻覚でも幻聴でも良いから神が教えてくれやしないかと夜中の神社で拝んでみたが駄目だった
祈りが足りないかと思ってしばらく土下座してみたが膝に砂利が突き刺さって痛いばかりだ そもそも信心が持てないなあ
藁をもすがる思いで経典関連やら文学やら漫画、著名人の生き方やら
気になったものは何でも参考にしてるけど
いろいろな宗教の縁起譚見てみると土地や時代が変わっても人情には
普遍的なものがあるなあと感じられた 神とは、無生物も含めた一切の生命の源であり、
一切の生命を超越すると共に一切の生命に内在するところの、生命である 南方曼荼羅に大きな影響与えてる真言密教は面白そう
近畿から紀伊半島あたりはゆっくりまわってみたいな 状況次第で8月か9月に熊野古道方面行こうかしら
2000年前後はよく行ってたけど直近で行ったのは2013の9月初頭なんだよな
那智勝浦の温泉民泊して那智の大滝みにいったりザックリ通過した程度だったけど 適当に踏破しやすいルートでサンジャック巡礼道歩きたいのに
当分欧州の田舎を東洋人がウロウロするのは厳しそうだな 明日、再び礼拝に出席する予定。
額は自由とはいうものの、所得の乏しい俺にとり、献金はけっこうな負担だ。 日常の礼拝でもお気持ちみたいなものってあるんだ
色々と活動してれば経費もかかるしな ハンセン病の隔離施設(ちょっとした村落のようなもの)に行くと
寺院、神社、教会はコンパクトにそろってるんだよな
時代が時代だからそれだけかよって感じもするが
強制隔離されたらその中で死ぬまで生きるって状況だからその程度の配慮はあったんだな