宗教にすがるようになった孤男2巡目
あまりに酷い人生なのでだいぶ前からキリスト教会に通ってる
通ったところで何が改善するわけでもないが
もはやすがるものが宗教しかない
「いつか神様が何とかしてくれる」と期待を抱きながら生きる日々
宗教を何らかのかたちで活かせないかを模索するスレッドです 前スレ1だけど、俺は教会の礼拝の献金は雀の涙しか入れてないよ
10円とか1円とか、どんなに多くても100円 >>264
それくらいでいいのですか
安心しました 日曜礼拝に行ってきた。礼拝そのものはよい。話を聞いて祈って歌えば済むのだから。しかし、ちょっとした挨拶であっても直接的に人と関わるのがかなり苦痛だ。
俺には宗教による救済の前に、医学による治療が必要なのであろう。(スレ違い) 治療が必要って冷静に判断できるようになったのも礼拝の実体験のおかげともいえる
このスレ荒らしてた鬱病オヤジなんて科学万能唱える割には荒らしを繰り返して病状悪化してるからな 和歌山の宿調べてみたが相変わらず那智勝浦あたりから西部は結構充実してるが
新宮あたりは選択肢が限られるなあ
熊野三山でいってない本宮大社に行きたい気もするが18切符旅行だとアクセスが悪い 今年に入ってから地元の神社に参拝するようになった
神社には鎮守の森があって
周囲と隔絶した非日常的な空間がそこに形作られており
神聖で厳かな雰囲気を味わうことができる 宗教には入ってないけど、仕事先移転してから
劣悪な環境と人間関係で心身ともズタボロ状態になってた時パワーストーンショップで金色の龍が巻き付いた小玉の水晶を購入して
いろいろなパワースポットや旅行先に行くとき
持ち歩いたり公園にある築山の展望台に登って
瞑想しながら龍神を呼び出す祝詞を唱えたりしてた
仕事があまりに辛くて悲惨な状態だったんで
残業した帰り道に藁にもすがる思いでとにかく
星空に向かってキリスト、アッラー、仏陀
天照、とかとにかく知ってる限りの神様と聖人の名を唱えながら今の状態から何とか救い出して欲しいと願掛けしまくってた 心底信じれば、きっと救われるよ
というか、心底信じる人は、心底信じることにおいて、すでに救われている パワースポットでもアイテムでも信心でも単に有効活用したもん勝ちだと思う
悪い方向にハメられたら損、最初から全否定の人は損も得もない 自分には救いを求める資格がない
今はそのような気分 宗教というより自己啓発のジャンルかもしれないが、明日、
中村天風関連の講演を聴きに行く予定 道教は宗教なのか?ってことすらよく分からないけど
荘子の大呼吸を自分なりに調べて実践していってる
まあきっかけはただの漫画だけど
孫に生きる極意として大呼吸を教えて去ったとかいう逸話が妙に心に残った 祈りを毎日続けるのは比較的容易いが
呼吸法や瞑想を続けるのは難しい
と言いながら前者についても最近は滞りがち 三度目の日曜礼拝
引き続き聖書と讃美歌は教会のものをお借りして参加
献金は雀の涙
牧師さんを始めとして対応が親切・丁寧
「俺ごときの人間に…」と恐縮してしまう 続いてるのは良いんじゃないか
もう20年以上前にモルモン教会の英会話ですら余り続かなかったな
荘子の大呼吸は現状ただの深呼吸と変わらない状況だが続けていく
生まれてから死ぬまで文字通り息を吐くように続けざるを得ない呼吸を極める
ということはたしかに有意義かもしれない 祈りは次の四つの内容からなる
・ 賛美
・ 感謝
・ 懺悔
・ 懇願 前スレ1だけど、教会に来てる女にFacebookで友達申請したら無視された
神を信じてるならそれくらい受けろよ、とかなり落ち込んだ 明治以降の近代化する日本において
教会は男女の自由な出会いの場として機能していたとか
どこかで読んだような記憶がある キリスト教て性に厳格だからな
セックスは基本的に子作りの為にするものであって自由なセックスは許されなかった
セックスをする場合でも穴の開いたシーツを女に被せてその穴から插入してたらしい
性開放が始まったのはフロイドが登場してからだね 神にだけは本音を言うことができるような気がする。それはそれで救いなのだろうか。全知の方には嘘をつく必要がない。 全知でおられる方には、嘘をつく必要がない。嘘をつくことができない。嘘をついてはならない。 全知全能なら何故この世に不幸な人間がいるんだよ
そもそもユダヤ人は不幸な人生を歩んできたのによくぞ神を信じて生きてこれたな
俺がユダヤ人なら全知全能という誇大妄想観念は疑うな 前スレ1だけど、只今Zoomで教会のオンラインミーティング開催中
参加者はやはりジジババばっかり
果たしてためになる内容になるのか >>283
街の雑踏の中でも統一教会の食口が俺めがけて向かってくる
だが一度も女の食口だったことはない
あいつらは明らかに人選んでるから信用一切できない 神の意識は、全宇宙の自己意識
全知とはそれであり、完璧な知ではない 前スレ1だけど、神にいくら祈っても幸せになれないのは、この世に悪魔がいるせいだと思う
悪魔というのは神の障碍で、神の意志を邪魔するもの
悪魔が確実に存在するから、皆が幸せになれず、神の意志が全てまで行き渡らないのだと思う
そういう意味では、神は全能ではないのかも
「全智」ではあるだろうけど 神に向かってただ「御心のままに」と祈ることができるようになる
仏教で言えば苦である一切を受け容れることができるようになる
そこにこそ救いがあるのだろうが言うは易し行うは難し 「御心のまま」と「あるがまま」
容易いように見えて極めて困難 まず踵で呼吸をするという感覚を身につけたいんだが
結局のとこ踵から下丹田を連動させるということになる
ということは体表の筋肉運動を意識して鍛錬する必要がある
という感じで大呼吸に到達するまでの課題が増えていく 日曜礼拝に出席した。これで4度目か。
正直に言って肝心の説教がいささか冗長で退屈に感じられる。
通い続けるかどうか微妙なところ。
ただし出席者全員が声を揃えて唱える「主の祈り」だけはなぜか毎回胸を打たれる。 教会に通うのを止めてしまった
説教があまり面白くない(宗教書を読む方が得る所が多い)
賛美歌の合唱がうそ臭く感じられる
一人の方が落ち着いて祈ることができる 自分も一人で祈ってる。
過去の経験から、組織に近づきすぎると、内部事情が見えて、がっかりする事が多い。
教団の発行する本だけ購入して、祈るのは一人でしてる。 前スレ1だけど、俺も実は礼拝にはほとんど行っていない
どうしても信徒が「キリスト教のことを批判的に勉強していない」連中に見えて、牧師も偽善者に感じてしまうから
俺は信仰にとっていちばん大事なのは「神を信じること」だと思っているので、神様を信じていればいいんだ、というのが基本的なスタンス
でもたまーに礼拝に行って信徒たちの顔を見るのも悪くない つらいことを経験したら聖書はこころに沁みますよね。すばらしいと思います。
いいスレッドですね。
基本的に宗教はいいと思いますが、カルトには気を付けてください。
教祖 森上逍遥(山口修源 森神逍遥)財団法人春秋館 宗教法人維摩会
森上逍遥(山口修源 森神逍遥)。宗教法人維摩会、財団法人春秋館 桜の花出版 主宰者です。
以前はニュータイプスユニバースという団体で、超能力開発など人間改造講座という10万円のセミナーなどで経営していました。
空中浮遊写真で信者をだましたりしていました。空中浮遊詐欺を森山逍遥にさせられた直弟子側近スタッフS氏は、行方不明になって十数年以上です。
信者を多数をつかい組織的活動で悪事をなしています。他の森上逍遥スレッドを読めば、個人情報開示脅迫、個人誹謗中傷、急に穏やかで紳士的になったりと恐ろしさがわかります。
菩薩会員(森上逍遥直属秘密組織)で意に沿わなかった元信者、会社社長を死ぬように長期間ひたすら呪わせたりと、通常とは異なる価値観を有する教祖です。
密教呪法を教える儀式(2020年7月)冒頭で、長年ご近所トラブル相手に、森上逍遥が本格的な呪法をかけて行方不明になった旨を講話する宗教者としてあるまじき教祖です。 礼拝や集会が義務や重荷に感じるようになっちゃったら本末転倒じゃないの?
カルトの定義ってのも良く分からないけど世間で評判の悪い団体でも
教義や行事、日常の行いで自分にとって良いもんだけは活かしていけばいいんでないの 仏典読んでるけど仏教の思想を学んでも大して意味がないんじゃないかと思えてきた 前スレ1だけど、今日は教会の礼拝に行った
教会の人はみんな優しいので、俺みたいのでも行くと歓迎してもらえる 「自分の生きたい生き方」に合わせて宗教を選べば良いんだよ。 >>289
亀レスだがユダヤ人は不幸だからこそ神を信じていたんだよ
例えばカップルが周囲に反対されればされるほど燃えるのと似てるかもね 人が死す時、今生いかに修養したるや、判定ありて、結果を示されん。
人生の成績表なり。
その結果にて魂のその後の行き先定めらるる。
人は何のために生まれるや。修業のためなり。
意識・無意識・直接・間接かかわらず、一人でも多くの他者を幸せにするが生きる意味なり。役割なり。 なれば、己に降りかかる出来事全て、良きことも悪しきことも、その修業・役割果たすため、必然に起こるものなり。
その時いかに行動するや、神は全てを見ておわす。
神を信じようと信じまいと、己の行動は全て天に記録されしものなり。
それを肝に銘じ、人生の成績を少しでも高める努力をなすがよからん。 自殺して、楽になどなりはせぬ。
あの世の仕組みを知れば到底、己の命も他者の命も奪えぬなり。
あの世は、この世よりさらに厳しきと心得よ。
己はいつも不幸なりと嘆いてばかりいるものは、10年前をおもい起こすがよし。
善き種をまくものは、花が咲き実もなるが、悪の種まかば、不幸現象起こるなり。
因果応報こそ真理、不幸は全て己の行動の結果ならん。 下手に他者と関わらぬ方がよしと、平凡に生きるが1番と考える人多し
悪しきことをせずとも、良きこともせず、人に奉仕もせず、そのような人生おくれば、それも罪なりと知らねばならぬ。
あの世の仕組みは肉体失いて初めてわかるものなれば、その時、己の生き方悔やみても遅し。
苦労は不幸にあらず。苦労を乗り越え、苦難を乗り越え大きく成長なすは、人として当然の修行なり。
それを放棄し、不運は人のせい、世の中のせい、国のせい、神のせいと責任転嫁なすは許されず。
あげくに自殺、人殺しを犯せし者には、いかなる理由があろうとも、現世では想像もつかぬ厳しき修行待ち受けると心得よ。 >>314
自己を放棄するところにしか宗教的な救済はない
キリスト教であろうと仏教であろうと あの世で厳しい修行ができるなら何故この世でわざわざ修行するんだい? >>320
「自分の生きたい生き方」を肯定や後押しをしてくれる宗教が探しても無いのなら
それならどの宗教にも入らない方が良いね。 >>321
実家暮らしに飽きて、発展途上国を旅してるようなものなのかな。この世は
でも旅でいろいろな勉強や冒険をするはずだったのに、放蕩や犯罪行為なんかをやっちゃうと、
実家に帰ってからもまともな居場所がなくなってしまう感じなんじゃないのかな
だから厳しさの種類が違うんだよ 上の長文はシルバーバーチか何かのコピペかな?
死後の世界観はまあ置いといて、何故死後を知っているのか?
何故知らない人が圧倒的多数なのに自分達の信じる霊界やら何やらが正しいと思うのかをぜひ聞きたいね 現在の世界観はまあ置いといて、何故現在を知っていると思い込んでいるのか?
相対性理論も三権分立も人民主権論も量子力学も非ユークリッド幾何学もケインズ経済学も
知らない人が圧倒的多数なのに
自分達の信じる宇宙論やら常識やらが正しいと思うのかをぜひ聞きたいね >>322
その通りです
宗教によって救われる人と救われない人がいます
それだけの話なのです >>324
こうした霊言という手段によっても説明のしようのない問題に証拠などあり得るでしょうか。
意識に受け入れ態勢が整い、再生が摂理であることが明確になって初めて、事実として認識されるのです。
こちらの世界(霊界)にも再生はないと言う者がいるのはそのためです。
まだその事実を悟ることが出来る段階に達していないからそう言うに過ぎません。
宗教家がその神秘的体験をビジネスマンに語ってもしょうがないでしょう。
芸術家がインスピレーションの体験話をまったく芸術的センスのない人に聴かせてどうなりましょう。意識の段階が違うのです。
シルバーバーチの霊訓
https://spiritualism-books.jp/sb-teachings/sbt-opening.html 注意を払おうとしない読者にわからせる方法を、わたしは知らないのだ
ジャン・ジャック・ルソー まあ死後のある無しはお互いに証拠が出せないからずっと平行線にしかならんから言い合ってもどうにもならんでしょう 人は弱きものなり。ゆえに目に見えぬものの存在にすがらんとする。
それゆえ自分を見失い、よからぬものに惑わされあちらこちらと彷徨い歩きし者あり。
間違うなかれ。
神は等しく皆々に光を照らされん。
人の迷いし心の隙間に金目当てで、神を隠れ蓑にする者、多くあり。
魂を浄化するは人間の修行。そを助けはいたすが、自身の手で浄化、修行するもの。
我、助かりたいと、安易な思いでよからぬ者に惑わされるなかれ。 どの神を祀りてもかまわぬが、大切なことは心を正し、言葉を正し、素直な心で神を求め感謝を捧ぐる事なり。
たとえ札無きても、神棚無きても、神に通ずる真摯な心あればそれ良い。
こだわるなかれ。
神はえこひいきをせぬ。人はみな生かさるるものなり。 人よ。心が苦しくなり時、悩みし時、人を恨み呪う時、いかなる時も神の御もとにかけつけ手を合わせよ。
迷いし時、手を合わせ懺悔せよ。感謝せよ。
神はその時、その瞬間に答えを与うる。
苦しき時の神頼みのみには何も起こらず。
我欲ばかりの望みも、神は聞き入れず。 神ありても苦しき事ばかり、神なぞいらぬと思う者あり。
見返りを求める心捨て去り、ただ無心に祈るべし。
苦労、不幸、病気さえも感謝し、その人生、生きる修行と捉えるならば、何も気に病む事なからん。
見返り求めず、ただ無心に祈り、他者の心の浄化を願う事、神の望みなり。 死すれば灰となりて無となる浅はかな思想、道徳は育たず身勝手な我欲を増長させるばかり
肉体は死しても魂は死なず
傲慢に生き、人と争い、魂穢したれば、帰幽後には厳しき修行が待ち受けん 家がどこかの寺の檀家だったり神社の氏子だったりしない?
宗旨って昔々から決ってるもの
まあ必ずしも家の宗旨を信仰しなければなりない決まりはないけどね この世は修行!
修行を途中でやめるような奴はあの世で修行させるぞ!
どっち道修行じゃん… 肉体の牢獄から解放され、痛みも苦しみもない、行きたいと思えばどこへでも一瞬の間に行ける、
考えたことがすぐに形をもって眼前に現れる、追求したいことに幾らでも専念できる、
お金の心配がない……
こうした世界は地上には譬えるものがないのです。 人にとって死は恐怖の最たるもののようです。が実は、人間は死んで初めて生きることになるのです。
あなた方は自分では立派に生きているつもりでしょうが、実際にはほとんど死んでいるのも同然です。
あなた方が「死んだ」といって片づけている者たちの方が、今では生命の実相について遙かに多くを知っております。 地上の誰一人として見たことのない花があり、色彩があります。
そのほか小鳥もいれば植物もあります。小川もあれば山もありますが、どれ一つ取っても地上のそれとは比較にならないほど美しいのです。
そのうち皆さんもその美しさをじっくり味わえる日が来ます。
その時はいわゆる「幽霊」になっているわけですが、その幽霊になった時こそ、本当の意味で「生きている」ことになるのです。 ただし、熟さないうちにもぎ取ったリンゴは美味しくないように、寿命をまっとうせずに無理やりに霊界へ行けば、長い調整期間の中でその代償を支払わねばならなくなります。
その上、伴侶はもとより、縁ある人々とも会えなくなります。
利己的な波動によって周囲にミゾをこしらえてしまうからです。 変な新興宗教にハマるくらいなら素直にキリストかイスラムやったほうがいい
じゃなくても座禅瞑想するとかね >>322
多分それは宗教じゃない
単に自己満足自己肯定したいだけなら宗教も思想もいらない
後押しが必要ってのは言い訳したいだけだと思う
占いだな >>324
死後審判があってそうなるともう取り返しがつかないから生きてる間にしっかりしとこうねってのはスウェーデンボリの霊界に似てる >>289
なぜ全人類を一人残らず幸福にする義務があるの?
ユダヤキリストの唯一神のことを意味してるなら神に似せて人間を作ってはいそれで終わり
不満があるなら自分を幸せにしてくれる神を拝めばいい >>348
宗教の数だけ道徳があるんだよ。
「◯◯しない奴は人間じゃない」というのが宗教の数だけ多数あるんだ。
いちいち全部に従うわけにはいかない。
その道徳を1つだけに絞る。それが信教の自由だと僕は考えている。 シルバーバーチって分が悪くなるとすぐに「物質的な見方はいけません」に逃げるよな
そこはうさんくさい
死を喜べとか言うくせに自殺はダメってのもよくわからんし >>352
知り合いが自称霊能者に霊視をしてもらった時に色々質問していたら「あなたは信じていませんね?霊的な話をする段階にない人は救えません!」とキレられたそうだ
なんかこのスレでも同じようなやり取りを見た気がするね
思うにこういうスピリチュアルってのは頑張って生きた人は報われるはず、途中で投げ出した人には罰があるはずという公正世界仮説的なバイアスのせいで生まれるんじゃないかな 逆の考え方は虚無主義や刹那主義になるのか
それも最低ランクの思考だと思うけど 決して煽るワケじゃないが考え方にランク付けってのはなんだかよくわからないな
どんな考え方が高ランクだと思う? シルバーバーチの霊媒はスウェーデンボルグの霊界読んでたんたじゃないかな
そっくりなところがいくつか散見される たとえば野口英世や松下幸之助とかかな
実際に多くの人から尊敬されているし実績もある
つまり考え方もそれだけの中身があるんだろう >>356
むしろ違ってるほうがおかしくないか?
同じ霊界のことを語っているのならさ 中絶否定してたりするのはいかにもキリスト教っぽくて胡散臭いんだよ
あとブッダとか東洋の思想家には言及しないのも謎 神を信じて幸せになれないなら悪魔と契約して幸せになろうとは思わない?
神でも幸せにしてくれないのだから悪魔も幸せにしてくれないと思ってる?
神は信じるけど悪魔は信じない? 神様を信じてる。
神様が居なかったら、ここまで生きてこれなかった。
ピンチを何度も救われてるわ。 子なる神が受肉するなら子なる悪魔も受肉するのだろうか
それが俺だから神は俺を攻撃して苦しめるのだろうか