「私は他(ひと)に欺かれたのです。しかも血のつづいた親戚のものから欺かれたのです。私は決してそれを忘れないのです。私の
父の前には善人であったらしい彼らは、父の死ぬや否(いな)や許しがたい不徳義漢に変ったのです。私は彼らから受けた屈辱と
損害を小供の時から今日まで背負(しょ)わされている。恐らく死ぬまで背負わされ通しでしょう。私は死ぬまでそれを忘れる事がで
きないんだから。しかし私はまだ復讐をしずにいる。考えると私は個人に対する復讐以上の事を現にやっているんだ。私は彼らを憎
むばかりじゃない、彼らが代表している人間というものを、一般に憎む事を覚えたのだ。私はそれで沢山だと思う」


こころ
夏目漱石