大麻やコカインを所持、使用していた人間が逮捕され、害悪度が大して変わらない酒を飲んでいる人間はのうのうと生きる社会
社会に害悪をもたらすことは基本バッシングされており、たいてい犯罪認定されている
しかし、犯罪認定されているのは多数にとって興味のないもの(行為)ばかりで、多数にとって興味のあるもの(行為は)害悪でも合法になっていることが多い
しかし、害悪の程度が犯罪認定されているものや行為と変わらない存在を容認している時点で、結局社会も害悪をもたらす存在になっているのだから、犯罪者と変わらないよな
つまり、法律を作っている政治家もそれを容認する国民もほぼ全員犯罪者と同一視できる
犯罪者か、犯罪者じゃないか、という区別は害悪な人間であるか?どうかの区別には使えないということ
もはや多数派の害悪な人間が、少数派の害悪な人間をバッシングするため、自分たちを悪者扱いしないための詭弁として使われる言葉だなw